母のタイムスリップ日記
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2010年02月28日(日) |
「あららら」って!!! |
昨日 結構頻繁に鼻水が出ていた母。 「花粉症か?」と感じるほど。
夜間は凄い汗。 風邪だったかと思ったりした。 熱も咳もなく医者に行くほどではないので今日は様子見。
排尿が気になって 今日は朝から水分いつもよりずっと多め。 それなのに日中の「小」が少ない。
母が眠ってしまってから気が付いた。 日中 手足が冷たいので人参糖を飲ませたのだった。
汗は それが原因だったのだろう。 尿量の少なさもひょっとして人参糖の影響なのかな。 薬に頼る事は殆どないのに ついつい服用させて ちょっと失敗だったかも。 漢方は急激には効かないと思っていたが…いやはや。
午後の休息タイムに テレビのスイッチオン。 するとフィギュアのエキシビションの画面となった。 アイスダンスの中国の選手のペアが女性を空中でクルクルと廻す曲芸に近いアクションをしていた時「あららら」と母。 テレビ見てたんだと思った。 でも母を見るともう別の所に視線が行っていたので 単なる偶然かと思った。 だが 別のアイスダンスで やっぱり中国のペアが同じように空中でクルクル。 するとまた「あららら」と母。 偶然ではないのだ。しっかり画面を見て驚いたのだった。
テレビをつけることは 殆どないのだが テレビを見ることも結構脳を刺激するんだろう。侮れないテレビだわ。 集中する時間は ほんの少しだけれど でも良いんじゃないかと思う。
周辺症状の強い時期は テレビを見ることは殆どなかった。 一時的に落ち着かない時期にも やはりテレビを見入る事はなかった。 心の安定している時期には ちゃんと見られるものなのだと感じた。 やはり 出来ないのではなく 時折いろいろ試してみる事は必要なんだなぁ。
明日から3月。 月末には きっとさくら便りが聞かれるだろう。 今年は どっかに連れ出したいなぁ。 それまで外出への障害となるようなことが起きないことを祈るのみ。
朝 介護仲間から電話が入った。 男性介護者で 高齢者世帯。 先日も救急搬送したと聞いていたが 今日も救急搬送という。 前回は 便秘に拠るものだったので直ぐに戻ったが 今回は デイサービスで血圧250となり痙攣を起こしたそうだ。 「これから病院に面会に行きます」と言われたので 詳しくお聞きしていないので過去に痙攣が起きたかは判らない。
痙攣のことは 以前 別の介護仲間から聞いたことがある。 「デイで起きると直ぐ救急搬送されるから…」といわれていた。 その方は 入院に拠るリスクの方が嫌だという考えだったのだ。 おそらく自宅では 様子をみて後は往診をお願いしていたのだろう。
電話下さった仲間は 少し遠く離れた病院まで電車を乗り継いで出かけている。お疲れのないように…と祈るのみ。
そういえば 最近 救急搬送というとそのあたりの病院が多いな。 地域に受け入れ先がないのだろう。 困った状況だな。
土日は 母とどっぷり暮す日。 今日は 1日ぼんやりとしていた。 一週間の疲れが出たのか? はたまた 刺激が足りなかったかな?
起床時 ベッドから起き上がって貰おうと 伸ばしていた足を曲げた時「痛い」と言った。時折 こういうことがある。 上掛けは 圧迫するほど重くないと思うのだけれど…。 最近は ベッドにも慣れてきたのか自力で足はよく動かしているし 体位交換もやっているので 同じ体勢で寝ている事もないのだが…。 でもやっぱり伸ばしていて戻せなかったことが原因なんだろうなぁ。
夕食の前 ちょこっと母の首筋をマッサージしていたら「痛いなぁ」って言葉を発した。これまで顔をしかめる事はあっても言葉を発することもなかったので嬉しかった。
朝は怪しい雲行きで 散歩も出来ず 午後には晴れたけれど 夕食の支度もあるし…。 結局 トイレ誘導やら食事介助で1日が過ぎてしまった。
2010年02月26日(金) |
今に始まったことではないのだけれど |
「以前 デイに通われていた頃も存じ上げていて 〇さんの変わらない姿をみて とても嬉しくなりました」とデイの迎えに見えた方が言葉を下さった。 そういえばお逢いしているかも…とそうっと横顔拝見。 状態は あの頃とは大きく異なるけれど それでも母のことを覚えていてくれる人がいるという事はやっぱり嬉しい。
母を見送ってから 生協の荷受を済ませて 菜園に出かけた。 菜園は借り物なので 現状復帰して返す約束。 期限もそろそろである。 土日は母がいるので動けないので今日が1番動ける日だった。 それなのに昼には雨との予報にガックリ。 朝食も摂らずに走った。
作業を始めたら ブルブルとピッチの振動。 誰かと思ったら デイの職員。 母 こもり熱があったようで 2度計って下がったので入浴決定。 やけどの傷の手当ての方法を聞かれて 処置方法を伝えた。
再度 作業開始。 まだ 暫く収穫できる春菊・ルッコラ。それからアスパラ・韮・三つ葉・ヤーコンの根っこを掘り起こした。 家に持ち帰っても何も準備できていないので役に立つ事は…と考えた。 その時近くのグループホームの方がお散歩してた。 職員を呼び止めて「育ててみますか」と伺うと 入所者の方も職員も二つ返事で「ありがとう 嬉しい」と。 「ところでお名前は?」と聞かれて名乗り 施設長に言えば直ぐに判ると思います」と伝えた。
それから エッチラオッチラ 作物を運んだ。 土も付いているので重たい。 でもこれが 入所している方の喜びになるなら 嬉しい。
運んで行くと施設長が出て見えて あれこれお話。 地域のことも含めて。 「介護者が 家で認知症当事者の介護で悩んでいるのにケアマネや担当する人に話さないので会のチラシ配布させて貰っていいか」と言われた。 「勿論 喜んで…」とふたつ返事で了解した。 こういうことに気が付いて下さる方って以外に少ない。 家族は家で困っているのに言い出せない現状…。 家族も いろいろ話して職員に構えられてしまうような気がしてしまうのだ。 このパターンは今も昔も変わらないみたいだなぁ。
ぽつぽつ雨が落ちてきたので 収穫物を手に家に戻った。 急いでご飯を食べて 母の罹り付け医に出かけてやけどに塗る軟膏を戴く。 その足で 電車に乗って最近行っていないスーパーへ寄った。
買い忘れが目立っていて きょうこそはと思ったのだが メモを忘れてきてしまった。記憶を辿っているうちに あれれ 今日は結婚記念日だと思い出した。 何も準備していない。 最近 母のことが優先されるので…。 気を取り直して お花を買ったり 食材を奮発したり…。
車の保険の振込みも…。 銀行で振り込もうとしたら 数字の打ち込みが異常に長い。 コンビニだとバーコードでよいと聞いたのでコンビニに立ち寄り無事終了。 これで暫くあたふたせずに済むだろう。やれやれって感じ。
1日 あれこれと動き回り 家に戻る頃には 母の帰りの時間となった。 あやや…母のご飯 スイッチ入れ忘れてた!
仕方なく 冷凍してあるもので代行。 おかずは作りおきがあるので何とか食べてもらった。
今日は ちょっとゆっくり目だったが ベッドに入ったら直ぐにzzzz。
母が好調でよいけれど こちら注意力が落ちているなぁ。 いや 今に始まったことではないのだけれど…
母は 快調。 起床時から とびっきりの笑顔を見せてくれていた。 食事中もずっと続いていた。
デイの迎えが来る時も…。 これまで デイの職員に笑顔を見せる事は殆どなかったのだが 今日はニコニコとなにやら話しかけてもいる。 手を伸ばして職員の腕に触れたりもしていた。 これできちんと話せたら…なんて野暮な事は考えない。
職員も「今日は 明るいですね♪」というほど。
母を送り出してから 洗濯やらいろいろやって昼前に家を出た。 今日は 会報を送付する日である。
銀行に立ち寄ると凄い行列。 取り寄せを頼んでいた物が届いてるという連絡を昨日貰ったので デパートにも立ち寄った。 デパートも混雑していた。 25日 昼。そう 今日は大方の人は給料日なんだなぁ。 久しぶりに 当たり前の時間に街に繰り出したのだな。 何処に行ってもガラガラ。 混んでいるのは ユニクロのセールの時くらいだった。
会報発送後 買い物を済ませてとっとこ家に戻った。 定時より送れて送りのバスが見えた。 朝余りに笑顔なので「ひょっとしたら 大が出るかもしれません」と伝えていたのだが どうやら空振り。 それでも 寝入ることなくデイで過し表情もとてもよかったという事だった。
それにしても何がどうなったんだ? 「何時からだっけな?」と記憶を遡るとショート体験後かもと思う。
家とは違う毎日 母にとって本意でない生活後 家での生活は楽園に思えたのかとも思う。 何が決定的に違うかというと ハグすること 話しかけること つまり「個」とじっくり向き合う時間がたっぷりであるという事だ。
そして私自身が ショート帰りのあの表情を思い出して「何とかしなくちゃ」と思ったことも影響があるだろう。
そう考えてみるとショートも良いのかと思ったりもする。 出来るなら 在宅に近い形でのショートステイを望むけれど 家と施設の差を感じられるなら それもショートステイのメリットになるのかな。
それとも… 庭のふきのとうを薬味代わりにお豆腐を載せて食べて貰い。 「春の味する」「苦いでしょ」といいながら楽しみ 苦味で覚醒したとか…?
デイから帰宅後の話に戻ると…。 相変わらずの笑顔の母に「トイレ?」と聞くと深く頷いたのでトイレ誘導。 「小」の後に「大?」と聞いてみるとまた深く頷き「大」排出。
夕食も口の中に入っている所に次の一口を運ぶと顔の前に手を持ってきて左右に振る。「そう 未だなのね」と聞けば頷く。
こんな風に言葉では言い表せないけれど 意志の疎通が出来ているのだ。
食後 眠そうにしておりトイレの合図もあり トイレ誘導後着替えてベッドへ。 時折「うふふふ」と笑うけれど そのうちに深く寝入ってしまった。 八時少し前のことだ。 デイで1日パッチリ目覚めていたのなら 眠くもなるはずである。 かくして 今日は 私の時間が早く訪れた。 こんなに1日中しっかり覚醒し 早々と寝付くなんて 滅多にあることではない。母にとって充実した1日だったのかなぁ。
起床時は いまひとつはっきりしない母。 トイレ誘導時の足取りも引きずる感じ。 時として膝を曲げてしまい 母を持ち上げることになる。 「ねぇ それじゃちょいと辛いから 足下ろしてよ」と母の耳元で囁いてみた。 すっと足を下ろし2.3歩 でもまた膝を曲げてしまい 母を持ち上げる。 「重たいよぉ」とまた囁く また足を下ろす。
母にお願いをする時はいつもこんな感じである。 膝を曲げるという事は おそらく出掛かっているときである。 「ごめんね。歩くのが大変なのに 直ぐにトイレに連れて行けなかったのが悪いのだから 〇ちゃん悪くないからね」と耳元で囁く。 そうでないと母は泣き出してしまうから。
時には「我慢我慢 あとちょっと我慢できる?」といったりもする。
無事にトイレを済ませてから着替え。 この辺りから 母はニコニコ笑顔。 そうなのだ不安が消えればご機嫌になる。
食後 トイレ誘導。「大」「小」排出。 笑顔が多い時は「大」のサインでもあるのだ。時に空振りもあるけれど。
その後やけどの手当て。 やけどの部分は乾いて来ているのでホッとする。 ただ やけどを負った足は 濡れないようにしているので 水虫悪化。 だから 足の指の間を清浄して薬を塗布。
今日も良くしゃべった。 意味のある言葉も意味が掴み切れない言葉も…。 今日も デイで作った桃の花をあしらった吊るしをみて「あら」と喜んでた。
母のために ぬいぐるみが幾つもあるが最近興味を示す事が激減していた。 が ひょっとしたら…と思って 手のひらに乗るぬいぐるみをテーブルに並べてみた。するとまじまじと見つめて手に取って暫く遊んでいた。 その後テーブルをとんとんとたたき出し トイレに誘導するが空振り。 戻ればまたテーブルをとんとん。 そこで 手の平に収まる鈴のような物を持たせてみた。 一瞬 手を引っ込めたがそのうち 自分で握ってコンコン叩いてた。 からりん♪と音がすると「あはは」と笑う。 何がどうなっているという所まで理解できていないかもしれないが 叩く動作で笑いを引き出せるならそれも良いだろう。
洗濯物を干す時は ちょっと悪いけれど一時拘束。 傾いて椅子から落下しないようにテーブルに斜めに座って貰って左側をガードする。右側は 椅子の背でガードする。 家の中では 袖のない椅子と袖のある椅子を使い分けている。 5分も離れないのだけれど…。 1人になると母は寂しがり 切ない顔になるので…。 離れる時は「ちょっと待ってね」といって母の了解を得て離れる。
食事作りは 母に背を向けるが…同じ部屋なので。 デイのない一日はこんな風である。
今日は 水分をフレーバーティーにしてみた。 喜んで飲んでくれた。 昼を挟んで飲んでもらったのだけれど これが夜の睡眠に大きく影響。 眠そうにしているので ベッドに入ってもらうけれど 直ぐに眼を覚ます。 1時間半近く ベッドで目覚めていた。 テレビをつけたまま離れたら テレビを見て笑っていた。
お茶は 時間と量に気をつけないと…。 判っているのだけれど ついついである。 母の興奮を招くのは お茶だけではない。チョコレートなども影響がある。 だから かなり注意深くなる。 でも食べたり飲んだりは 楽しみでもあるので 此方が受け止める覚悟をしてから 食べさせるようにしている。
病気になる前の母にそういう傾向があったようなことないのだが 年を重ねるに従って出てきたような気がしている。 病気との関連あるのかなぁ。
2010年02月23日(火) |
どっちが好みかといえば… |
昨日 足が上がらず傾斜気味だった歩行だが 今朝は快調だった。 比較的温かな朝で なんとなくゆったり気分。 デイの支度をすませて迎えのバスを待った。
送り出す前に「ギュッ」と抱きしめて「大事な〇ちゃん!」と耳もとで語りかけた。途端に眼をウルウルさせてしまった母。 「デイに出かけるよ」と静かに頷く。 寂しそうな表情もなくデイの車に乗り込んで行った。
デイの職員から「デイサービスの計画書の確認をお願いします」と計画書を渡された。 相変わらず丁寧だと思った。施設から通っていたデイサービスである。 おまけに書くなら 今日は手作業の日で 雛祭りの吊るしものを手に帰ってきた。母はあくまでそばで見ているだけの筈。 「これデイで作ったのね」と言ったら 頷いていた。 「素敵ね」というと頷いていた。 直ぐに母の目に留まるところに飾ってみた。 すると「わぁ〜」と感嘆の声を上げた母。 それだけで 作業している雰囲気が伝わってくるみたいだった。 お客さんでしかないのだろうけれど…。
もう一方のデイは 排尿・水分摂取等細かく記載してある。 だが肝心の摂取量は書いていない。 先日書道をしたと持ち帰ってきた。 勿論 介助があったと記載されてた。 此方は 排尿間に合わず ズボンや下ズボンをお借りしてきた。
前の方では そういった事はない。 時間で対処しているからそうなのかもしれないし 注意深く手当てしているのかもしれない。 家では どうかといえば 下着を濡らすことは稀にはあるがデイほどはない。
どれが良いのかと言えないが 迎え方としては 前者の方が好みである。 家族の想いを汲んでくれるのも 前者のような気がする。 記載した事は 極僅かであるが 相対的に本人のことを考えてくれるような気がする。 此方のスタッフは若い。 送迎の姿勢も家族がどうあろうとも どのスタッフも最期まで関わろうとしてくださる。
今日もニコニコ笑顔で夕食を摂って その後も何かとおしゃべり。 歩行は快調。 でも時折円背が強くなる。今日は 眠くなった時に強くなった。 も少し 様子見だなぁ。
母を迎えに出向く。 利用料を支払って 母が下りてきた。 なみだ眼で うつろな表情。 前屈姿勢で車椅子に座っていた。
職員が離れた隙に座りなおして貰っていたら 相談員さんが見えて「そうやって立位して座りなおすのですね」と言われた。 座るって 始めにバランスよく腰を下ろせば ある程度姿勢保持はできると思うのだが その辺理解できてないみたい。 「もにゃもにゃ…」と言葉を濁してしまった。
ショート中の様子で4泊5日の間「大」が見られなかったと聞いた時 「前屈は それだ」と思った。 帰路 お天気も穏やかなので車椅子を押して帰ることにした。 今日は 施設側の送りの空きがないということだったので。
家に着くまでのうちに うつろな表情が和らいできていた。
家に着いて 直ぐにトイレ誘導(大・小排出) 水分補給。 徐々に笑顔が戻って うふふ うふふと笑い声も聞かれた。
しかし 腰の上がりや歩行状態は落ちていた。 そこで食後 居室で方向を繰り返し 椅子に座ったり起きたり…を繰り返す。
ショートの痛手はあるが こちらの予定をこなす事も必要で 非常に微妙な感じ。
今は ベッドでぐっすりと寝ている母。
今日は 遅くなってしまったので 次の機会に…。
若年認知症の家族会と支援者:全国つどいに出かけた。 考えていることがあって 参加することにしたのだが…。
皆さん忙しいので 出会った時に質問した方が相手に迷惑をお掛けしないだろうと思ったので…。 収穫はあり 少し見通しもたった。 協力者を得ながらボチボチと…。
明日は 母を迎えに行く。 送迎は出来ないので ずっしり荷物を抱えて帰る予定だ。
母には申し訳ないが…ショートの間のあれこれと出来た。 予定した事は 滞りなく。 これも とりあえず 母に特別大きな変化がないから出来たこと。 欲張り娘でごめん。
今日は 地域に認知症の理解を深めるための 講座に出かけた。 参加者の中には 介護中の方も見られた。
終わってから 介護中の方が走って見えた。 会に行きたいけれど 仕事しているので…と。
これまで 地域にはきっと就労している人もいる筈と 想像していたが ようやく出会えた。
実は 今年度後半から 会の案内をあちこちに置くようにした。 昨日 会員の方が「一昨日置いたばかりの案内がきれいさっぱり なくなっていて補充しなくちゃ」と話していた。 役所の窓口分はあまり減らない そして減らないうちに期間が過ぎて 処分されることもある。
でも一般の人が多く集うところでは 飛ぶように消えていく。 知りたくとも 関連の所まで問い合わせできない方が 潜在的に 多いのではないかと想像しているのだが…。 案内を手にした人 無事 どこかにつながっていると信じたい。
またまた恥さらしですが…。 昨日 役所の方にアポを取っていた訳だが…。 アポを取ったのは自分なのに! 当日朝 行く先は何処だっけ 担当者誰だっけと 1人焦ってしまった。
メモが見つからなかったのだ。 焦ると手にしたものさえ紙切れにしか見えない。 記憶を辿り メモした用紙が何だったかも思い出せた。 でも肝心の内容が思い出せない。 結局 紹介してくれた方の所に電話して事なきを得た。
ちょっと悔しくて わかった後もメモを探した。 そして直ぐに見つかった。 それも 探している間 幾度も手にしていたのだった。
焦ると見えなくなる。
きっと介護も同じなんだよね。 焦るとできていた事まで出来なくなる。
認知症の人だって同じ。 ほんとは出来るのに 失敗したくないと思って焦って 本来出来る筈の事まで出来なくなってしまう。
みんな根っこは同じなんだろうと思ってしまう。 病だからそうなることもあるが でもそのうちのいくつかは焦りから見えなくなることもあるんだよね。
と自分の整理下手を棚にあげて 自分をごまかす適当人間なのですわ♪
2010年02月19日(金) |
何を感じたのかなぁ。 |
町内会のことで役所へ相談。 今日 アポを取っていた。 ご近所の方と役所に出向いて 長い時間相談。
なるべく誰も傷つけずに打開できる方策をとるため。 会の規約を持参して 規約と睨めっこ。
決定的な打開策は生まれなかったが それでも解決の道筋が見えた。 役所の方もあれこれ下調べをしておいてくれていた。
それが済んでから 罹り付けの診療所に行った。 入浴中止とする母の血圧の数値を書面で確認したいというデイ側の要求があった。気持ちは判るけれど 家族の判断でいいんじゃないの?と思ってた。 でも 言われたのだから…。 これに対する意志の書面がユニーク。 公開したい所だけれど 許可も得ていないので無理。 「うふふふ」って感じ。
その後 介護者の会へ。 新しい方が2名参加。 女性は 会の案内のチラシをみて。 男性は 役所主催の会から 此方へ。 どちらも 「うん ここだ!」と思われた様子で「次も来ます」と帰られた。 特に男性は「自分も悪いのかもしれない」と。 「悪い」「いけない」なんて一言も言ってないけれど みんなの話から何かを感じられたみたい。
最初に出来た会よりも男性の参加者が増えそうな勢い。
朝 夫がパタパタして「雪が積もると支障が出るから早く出るわ」と。 窓を開けたらボタ雪で辺りが真っ白。
あちゃ 今日からショート。 送って その足で役所で打ち合わせ 午後には会議2本…。 ショートがなかったら 全てキャンセル。 役所の打ち合わせは 20日に行う行事の打ち合わせで これを逃すと…。 雪の中 車椅子を押していく訳にも行かないし…ドキドキしていた。
ショートの迎えの車が来る頃には 雪も上がって積もった白い物も消えかけてホッとした。
予定されていたことも無事終えて 交流会も含めて家に戻ったのは かなり遅かった。
母と向き合っている時と違う時間は 介護関連と言えども 結構気分転換にはなってると思う。
今日は 夜の会は それぞれの介護関連の仕事をしている人との交流会。 この横のつながりは時間をかけて育て上げられればいいなぁと思っている。 おそらく参加者している人たちみんながそういう想いを持っていると思う。
明日も早いので また機会があったらこのことは記してみたいと思う。
2010年02月17日(水) |
身振りや視線で意思表示 |
明けがたのトイレ誘導後 深く眠りに入ったようで軽い鼾をかいて寝ていた母。夫が家を出た後に 母を起こした。
お腹が空いているようなので 顔だけ拭いて着替えずに食事開始。 今日も元気にスタート。
午後に予定があるので 食後に外出着に着替えた。 それから 外出から帰って直ぐに食事できるように支度した。 母は椅子に座って 私が動くのをじっと見ている。 時に「おおい ここにいるよ」と言う風に手を振って存在を知らせてくる。
家に戻ってから「おかちゃぁ〜ん」と甘えるような呼びかけは消えてしまった。 トイレの合図も「おかちゃん!」ではなく テーブルや椅子等をとんとんとせわしなく叩くのだ。 それで通じてしまうので ますます言葉が減る。 判りすぎも良くないので あれこれ話しかけてみているのだが…。
母は 答えたくない時は 別の方に視線をやっているように感じる。 「ご不浄に行きますか?」と聞くと ゆっくりと顔を背ける。 そういう時は 用事がないか既に出てしまった後。 「ご飯食べる?」「お腹すいた?」と聞くと横を向いてしまう時もある。 こういう時は 大概「遅いよ」という時。 これにおまけが着くのがとんとんとんとんとせわしなくテーブルを叩く時にはかなり空腹。
そうなのだ 最近は言葉ではなくアクションで意志をあらわし始めている。 これも やはり進行ゆえのことだろうか?
昼食をゆっくり摂って 外出のためトイレ誘導したら…急行列車状態。 外出を強行すれば 周囲の方に臭いで迷惑をかけそうだし 母自身だって辛いだろうと思って急遽キャンセル。 仲間にメールと留守番電話に連絡。
その後一回ほど排出があったが 後はニコニコ笑顔。 ゆっくりのんびり 母のペースに合わせて過した。 時折テレビの力も借りた。 丁度オリンピックなので…。
3時ごろトントンが始まったので「お腹すいた?」と聞いてみたら頷くので「苺とカステラと飲み物」でおやつ。
夕食は 少し遅めになった。 3時のおやつが少し重たかったようでお腹が空かないようだった。
ころあいを見て 7時少し前に夕食。 結構早いペースで食べていた。
夕食後片付け終えてゆっくりしていたら じっと私を見つめるので「苺食べますか?」と聞いてみたら 頷いた。 苺一粒くらいいいかと思って食べてもらった。
9時過ぎに眠そうなので早目にお布団へ。直ぐにzzz。 こんな風に1日が過ぎた。
寒い朝だった。 まだ小雨もぱらついてた。 母をデイに送り出す時 うっかりと靴下を履いてサンダルをつっかけ介助してグラッとしてしまった。 いつもは すべらない様に裸足にサンダルだ。
そばにいた職員が「僕がします」と言ってくれた。 男性で専門職であっても 1人では困難なのは承知しているので お手伝いして門前に移動。
以前デイを利用していた頃は 母も自立していたのでデイの送迎に職員の手を借りる事もなかった。でも 車椅子利用の人だって 介助の必要のある人だって 決められた場所まで時間通リ出て行かないと駄目だった。 雨の日だって 車椅子を押していたし 介助しながら傘をさしていた。 それを思うとサービスの形は 大分介護者寄りになったなと思う。
洗剤やガーゼや食料の備蓄がないと不安な日々。 母を置いて出て行くことは 極力避けたい。 だから 何処かで脅迫めいた気持ちになって落ち着かない。 必要な物が駅近くで揃っていたが この所撤退する店が多く何かと不自由。
デイに送り出した後 今日は間に合うから家で作業しようと決めた。 食材もあるし…と思っていた。 がお昼を廻ってふと「明日の分は?」と思う。 明日は 母のデイはない。 外出の用事があるが 梯子して買い物は母の負担が強そう。 時計を見ながら 慌てて家を出た。
駅まで出てハッとした。 駅前のデパートやお店は年数回の休業日だった。 わかっていたのに 記憶から消えてしまっていた。
仕方なく電車で移動。買い物を済ませて家に戻りほどなく母が帰宅。 予定の送り時間より大分早かった。 危うい所だったな。
母 ちょっとむっつり気味。 下りて直ぐにトイレ誘導。 それから 夕食の支度をして 母のお腹に合わせた食事時間となった。 お腹が満たせると笑顔も戻りホッとした。
今日はオムツの配送があった。 ちょっと足りなくなって土曜日に買い足しておいた。 厳密には 娘に頼んで購入したのだが…。 留守の時には置いていってくれるので助かるが 届けてくれる日がイマイチはっきりしない時があるのでハラハラしてしまう。
そうそう 今朝 母を送り出して洗濯物を干す時鏡に映ったわが姿に吃驚。 あたまボサボサだった。 顔は洗ったけれど髪の毛梳かしていなかったのだ。 ひょえい!恥ずかしい!
昨日 利用者さんの親戚の方から電話があり 借りていた物をお返しに上がるということだった。 おとといご葬儀だったと言う事だった。
母をデイに送って暫くして親戚の方が見えた。 利用者さんから お子様のこと親戚の方のこと あれこれ伺っていたのでざっくりとした事情は理解できていたのだが かなり難しい状況になってしまったようだ。これまで よく1人で明るく過していらしたなぁと改めて思う。 戻ってきた時計を見ながら 話しかけている。 亡くなっても尚教えられている。
午後 社会福祉協議会のサロン活動をしている人たちの交流会があり 町内の方のご主人の車に乗せて戴き会場へ出向いた。 2時間ほどの交流会で 終了する直前にそそくさと会場を後にした。 帰り道 母の介護用品や食材を購入して 電車を乗り換えて家に戻った。
程なく母が戻った。 やけどのことで通院しておいた方が良さそうなのだが 生憎の雨降りでかなり迷った。 今週はショートもあるし明日は 気温も下がって雪と言う予報なので今日しかないかと思ってタクシーを呼んだ。 車椅子の母に傘を差して外で待っていたのだが 運転手さんドアを開けたきり下りてこない。トランクも開けない。 母を車椅子から立位介助してタクシーへ移動。 雨に濡れないように…転倒しないように…と焦って 中途半端な乗り込み方をさせてしまい右往左往。 運転席から「こういう時は介護タクシーの方が楽ですよ」と言われ さすがにムッときた。 それでも黙って黙々と座席に母を乗せられた。 雨の中に座り主のいない車椅子はビッショリ濡れてしまった。 怒りよりも哀しさが込み上げてきた。
母が座席についてから 運転手さんはトランクを空けて下りてきた。 車椅子をトランクに詰め込んでくれた。 車のドアを閉めて 急いで家に戻ってタオルと毛布を持ってきた。
この調子だと また 雨の中車から降りなければならないと想像できたから。
タクシーが走り出してから 母に詫びた。 「ごめんなさい。冷たかったでしょう。吃驚したでしょう。急いでしまったからね」 それを聞いていた運転手さん また「介護タクシー」と言いかけた。 「そうですね。でも 予約が必要で急な対応には使いにくいのですよ」と伝えた。「へぇ そういうものですか」と運転手さん。
「どちらまで?」と聞かれて「駅まで」と伝えると…。 「病院なら 職員が助けてくれるのですが 大変ですね」と運転手さん。 「病院はね 急な対応は無理なんですよ」 「へぇ そういうものですか」と運転手さん。
駅に着くと運転手さん 車椅子を出してくれ傘を差してくれた。 そこへ通リがかりの人も手伝いに来てくれた。 乗る時とは大違い。
晴れた日なら難なくできるのに…。 みんなに知って貰う事。みんなに助けて貰う事。 今日の収穫である。 以前なら かなりムッとして話すことさえも嫌になる場面。
これも母いればこその体験だわ。
やけどは心配は要らない様子だった。 けれど…。 手当てが終わる頃 母「ケフッ」とした。 「こういうことが 最近時折起きるんですけれど…」と医師に聞いてみた。 「唾液を溜めてしまうのでしょう」と医師。 医師は 母に向けて「もう少し 頑張るんだよ」と言った。 「?」と私。「誤嚥が起きると言う事ですか?」と私。 「いいや これが中から上がってくるとイロウと言われるよ だから 出来る限り頑張れよ」と医師。 「食べ過ぎてはいけないのですね」と私。 「そうだね。それと便秘させない」と医師。
見えてきました。 食べられなくなる事がきっかけではないのだなと悟った。 便秘に関しては 対応しているので今のところ心配していないけれど 一度に大量はやめておこうっと。
胃の手術をした人が 少量を何回かに分けて食事するのだから そう言う方法がベストだろう。 出来る限り口から食べられるますように…。
診察室を出てトイレ誘導。 「あちゃ 大?」 ここでは 手当て無理。ウォシュレットで数回洗い パットを替えた。
帰路のタクシーは気持ちよかった。 いつもならトランクに入りきらずにゴムのベルトを使うのが殆ど。 しっかり入ったので「トランクが大きいのですね」といったら「向きを考えれば ちゃんと入るよ」と運転手さん。 そうか 皆さん 車椅子を見ただけで気持ちが後退してしまって 入れられなくなるんだなぁ。 また1つ お勉強した。
家に戻って トイレ誘導。「大」 大仕事を済ませてから夕食。 大幅に遅れてしまった。でもしっかり食べてくれた。
ニコニコ笑顔も戻って しばし足をマッサージ。 いやはや 予定外の動きは 時間も押せ押せになってしまうなぁ。
何でも食べられそうな気がしてきて つい油断。 夕食のトン汁の肉を介助していたら 母 噛まないうちに肉を飲み込んでしまって強く噎せた。
これまで 危ないかなと思う食材の時には「よく噛んでね」と呼びかけていた。あまりにするする入るので 呼びかけを忘れたのである。
やはり 注意力を引き出しておかないと危険である。 油断大敵である。
朝 冬季五輪のテレビに見入ってた母。 上村愛子の滑り降りる姿だった。
こぶをまっすぐに滑る姿に「やっぱり凄いわ」と思う。 私 あのこぶが嫌いで スッテンスッテンよく転んだ。 だから こぶのあるゲレンデは避けていた。 画面で見ているとたいしたこともなさそうに見えるけれど 結構深くて大きい物。それもアイスバーンなので転ぶとかなり痛い。 上から滑って来る人の邪魔にならないようにしなくちゃいけないしねぇ。 とおいとおい昔のことを思い出した。
お天気だったので お散歩しようと思ったが気温が上がらないので中止。 散歩の代わりに チャッとシャワー浴。 何せ足のやけどで さらに不自由になっているので 濡れないようにするので入浴は難しい。 金曜のデイは 入浴中止だったので せめてササッと流してあげたかった。 通院も考えたが今日は休診日。
母にとっては 刺激のない物足りない一日だったかもしれない。 お日様のおかげで 洗濯物も少し乾いた。ちょっと助かった。
2010年02月13日(土) |
ピンチの時の一品は? |
朝から気温が上がらない。 予報通リの雪。 積もるほどではないけれど…。 洗濯は諦めた。
夫が早目に家を出ると言うので 母も早起き。 朝 排泄の手当てが済んでも いまひとつ機嫌が悪い時 食事をするとにっこり笑顔になる。 空腹を感じるのだから 元気と言う事だろう。
母に「頑張っているね」と話しかけると頷く。 だから 母自身 頑張っている意識があるのだろうと思う。
食後のトイレ誘導が済んで部屋の椅子に座った時 「ごめんなさい」と突然言って涙を零した。 特に怒った覚えもないし トラブルもない。 「世話をかける」という想いなのだろうか? だから「家の大事な〇ちゃん」とギュッと抱きしめた。 そのうち落ち着いてきたが…。
初期のうちは こういった言葉は子供扱いされるようで嫌がっていた。 だから 殆ど使っていない。 でも最近は違う。 急に不安そうな表情になった時には こういう言葉がストレートに伝わり笑顔を取り戻すように感じる。
これまで 噎せたら困ると思って 食材には気をつけていた。 ミンチもその1つ。 ロールキャベツやハンバーグでためして その後コロッケやフライの揚げ物のパン粉で様子をみた。 今日は ストレートにマーボ茄子。ロールキャベツやハンバーグと違い 結構 ミンチがぽろぽろしている。これも大丈夫だった。 昨日は 肉じゃがで薄切り肉も大丈夫。但し コンニャクだけは避けたが…。以前 白滝は 大丈夫だった。
だんだん 使える食材が広がってきている。 ただ水分は 噎せやすいので 大量に水分補給する時にはトロミ材を使う。でも 珈琲や紅茶は 少量をそろりそろりと飲んでもらっている。
人によって 状況が異なるので同じように出来る訳ではない。 あくまでも 母のペースをみながら ゆっくりと…である。
これまで ピンチの時には 出来合いの介護食ももう一品の時に使っているが 母はいまいち食いつきがよくない。 野菜カレーは ふりかけ代わりに使った。これは良かった。 介護食品には カロリーも栄養成分も記載されているのでピンチの補助食品としては良い。 そうそう もう1つのピンチの食材。 それは シーチキンとアボカドを和えて レモンを絞った物。 これは 母用に作ったのだが 私達でもいけた。 我が家の保存缶詰にシーチキンはないのだが 最近 シーチキンも購入するようにした。
母のおかげで ピンチの簡単レシピが増えそう。 ていうか 私の横着ぶりが横行する機会が増えるのかな?
夕方 ケアマネの訪問があった。 ケアプランの確認。 ハッピーマンデイが多い昨今 祝日お休みのデイはちょっと痛い。 そこで 月・火のデイの事業所をテレコにして貰うように希望した。 双方に空きがあれば…ということでよいとお願いした。
今のケアマネは「在宅に戻すなら何故施設に?」という疑問があったようで 今日はストレートに質問を受けた。 丁度 娘も帰宅していて あの頃の母の様子や我が家の状況 私自身の心理的状況等を話した。
もともと一時避難だった訳で それがついつい長くなっただけ。 だから在宅に戻しても私の中では「遅くなってしまったけれど…」と言う感じなのだが…。あまり例がないのかな?
母をデイに送る時は 玄関まで母を連れ出し車椅子に乗せるところまではこちらでやっている。
我が家の玄関のあがりかまちは27センチほど。 母に床に腰を下ろして貰い くるりと身体を90度廻して玄関に足を下ろして貰って外履きに替えて 立位して貰って玄関前の車椅子に移動する。 帰りは この逆。
この動作 母も要領を得てきたようで怖がらなくなった。 慣れるということは 学習出来ているということだろう。
母がデイに出かける前に町内の方から相談の電話があった。 デイに送り出してから再度電話していただいた。
介護する家族も高齢で過去に病気をしている。 認知症気味の親が骨折して入院中。 でも 病院の対応に不足を感じて認知症ケアのある施設に移そうかと考慮中。病院の対応に不満があるわけではない。 骨折は もう治療の必要はなく病院にいる必要性もないこともご存知。
親とは 少し離れていて面会に移動する時間と滞在する時間がほぼ同じなので 此方の施設に移動して貰おうと思うが何処が良いかということだった。
環境が変わって認知症が進んだと感じてもいる様だった。 あれこれと話して 受話器を置いた。
近いうちに此方の施設に移動なさるのだろう。 親の悲しそうな顔を見るのが辛いと話されていた。 そうなんだよね。
ふと外を見ると雪が舞っていた。 うわぁ 帰り大丈夫かぁと心配になったが 帰る頃には上がっていた。
最近 毎日新聞を広げる時間がなくて 数日分纏め読みが続いてる。 隅々まで目を通せなくて ちょっと物足りない。 そのうち 読めるようになるだろう。 まだまだ 時間の読みが甘い。
明日もはっきりしないお天気らしい。 洗濯物 乾かないまま どんどん室内干しが増えて行く…。
祝日はデイがお休み。 夫を送り出し ゆったりと食事介助していたら…。 「ピンポン!」 「だれ?お休みの日なのに こんなに早く?」 とモニターを見てびっくりした。
デイのお迎えの車が止まっている。 「お休みじゃないのですか?」 「いいえ 祝日もやっています」
一瞬迷ってから 「今 支度しますが待っていただけますか?」 「はい ゆっくりどうぞ」
と言う訳で 朝着替えた普段着のまま コートを着せ 食事も途中で母を送り出した。 母 にっこり笑顔なので ちょこっと救われた。
今日は とっ散らかった家の中を片付け 夫の誕生日の支度もしようと思っていた。 だから 正直助かった。 掃除機を掛けたり整理するには 母を見守りながらなので時間的にロスが出ていただろう。
母を送り出してから 朝食を摂ってお掃除。 冬は 埃がころころしているので歩くたびに目に付いていたのだ。 デイのある日は 利用者さん訪問や予定が詰まっていて お掃除は後回しとなっていたのだ。 それに浴室の掃除もそろそろだった。
と言う訳で 午前中はせっせとお掃除。 午後は ちょこっと買い物。
デイの帰りに間に合うように帰宅して 夕食の準備。 久々にプライベートモードの時間が作れた。
生憎の雨で夜には雪の予報。 鴨鍋の準備。 娘も夫のお祝いに来ると言うので お鍋を囲むのに丁度良い。
程なくして母帰宅。 もそもそしてたので 直ぐにトイレ誘導。「小」排出。 お腹も空いているだろうとバナナと水分補給。
夕食は遅らせるつもりだったが 母のお腹が待っていられない様子で母だけ食事開始。 そこに娘が来て 母の食事介助をしてくれた。 「わぁい いい顔しているね。ご飯もよく食べるね」と嬉しそう。
夫が帰宅して みんなでお祝い。 でも後半になると母は眠そう。 何とか踏ん張って貰って お祝いのテーブルで過して貰った。 家人が揃うって 最近少ないのでこんな時くらいは 賑やかにしたい。
娘 夫にチーズケーキを作ってきてくれた。 食後の母 食べすぎ注意で見て貰っただけ。
みんなでワイワイおしゃべりして 母の眠そうな様子にトイレ誘導して着替えてzzzz。
娘も明日の仕事のため自分の住まいへと帰って行った。
その後 もそもそ動く母をトイレ誘導「小」排出。 夕食後から 3度目のトイレ誘導。 大体 こんなペース。 昨夜は 午前零時ちょっとすぎた頃 もう一度トイレ誘導。
トイレに起きても直ぐにzzzなので助かっている。 初期の頃は 一度起きたら その後は目覚めてしまっている事が多くて 此方もお付き合いと言う日々だったのだ。 それを思えば 楽をさせて貰っているなぁ。
雨が雪に変わるのかなぁ。 結構寒いと思うのに 夫も娘も この冷え込みは雪が降るほどではないと言っているのだが…。
今日は町内のサロンが開かれる日。 昨夜 遅くまでモソモソしていた母で目覚めが遅かった。
サロンの会場準備は間に合わないと読んで 朝「遅れます」と一報を入れておいた。
母を連れて少し遅れて着いたら 利用者さんの思い出を語り合っている所だった。一緒にお話に入り最期にみんなで黙祷を捧げた。
母はまだ眠り足りないのか少しウトウト。 あまり機嫌がよろしくなかった。
サロンを終えて家に戻って昼食を摂り 少しリハビリ。
夜 会議があり 母にお付きあいして貰う予定だがお天気が怪しくなってきたので 遅れる旨を連絡した。 夕食後外を見ると小雨が振り出し 母と一緒は断念。
夕食の後片づけをしている間に 母ウトウトし始めた。 ベットのマットを畳みに下ろして トイレ誘導後横になって貰った。 すると其の儘zzz。 暖房を電気に切り替えて弱にして「ちょっとごめん」と言葉にせずに謝って そうっと家を出た。 2時間辛抱して貰った。
会議を終えて家に戻ったら 母は眠っていた。 でも 身体を丸めてたのできっと…。
遅い夕食を摂ってから「ごめんなさいね。悪かったね」と言葉にして母に謝り トイレ誘導。 マットをベッドに戻して 再度zzz。
次回の会議は 母のショートの間にして貰う事にした。 寝ているとは言っても やはり心配だし…。
ちょっといけない娘でした。
今日 デイの送迎の方が送って見えた時「家に戻って変わりましたね。こんなにも変わるものなのですね」と話され「今日は 両手引きでトイレへ歩きました。パットに出ていたのですが 残りをちゃんとトイレでできましたよ。立派に歩けますね」と言われた。 「食事中も眠る事はありませんよ」と。 施設に行っている時から通っていたデイなので 入所していた頃との比較が出来るのである。
施設からデイに出かける時は 車椅子から車椅子へ。 デイに出かけても傾眠しており 昼食時も眠って口を開かず水分補給も儘ならず ゼリーを購入して持たせていた。 それが 全く眠らないし言葉も出るようになったらしい。
あの頃 母も私も苦しかった。 あぁこのまま終末期に向かっていくのだなぁと感じたほどである。
これほどまでに変わるとは思っても見なかった。 噎せも見られたので ゆっくりと食べる量も減ってしまうのだろうと思った。 施設の生活ぶりは ケアマネを通じて伝わっているので刻み食にはなっているが 家の食事を見る限り刻みにする必要もないくらい。 今日 夕食に出した煮魚 誤って骨付きで食べさせてしまったようだった。 舌をもごもごさせているなぁと思ったら 舌で骨だけを押し出せた。 介助は気をつけなくちゃと思ったが 骨だけを舌で選別できる能力を持っていることに驚いた。
さて 今日は哀しいこともあった。 昨日「明日は 爪を切りましょうね。それに吸飲みも持ってきますね」と利用者さんと約束して帰ってきた。 家に戻って直ぐにバックの中に爪切りと吸飲みを入れておいた。
今日 病院に着いたら 利用者さんのベッドが空っぽ。 これまで幾度も病室が変わったので また変わったのだろうと病院の職員にお訪ねした。 なんとはなしに歯切れが悪い職員の対応に悪い予感がした。 看護師さんに変わって「亡くなりました」と。 「何時ですか?」とお聞きすると1度ナースステーションに戻って誰かと話し込んでから「昨夜です」と。「此方には もう居りません」とも。
個人情報が絡んでいるので難しいのだろう。 でも訪問する事は親戚の方も承知しており お願いの電話も親戚の方から戴いているのに…。 「忙しいのだろう」と想像はしたが 昨日利用者さんに「ご親戚の方 昨日見えました?」とお聞きしたら「いいえ 来てません。あの人たち此の頃 少し変なんです」と話されていた。
後で地域の民生委員さんに伺うと私の帰った後 民生委員さんも訪問なさったようでどなたもおいでではなかったようだ。
利用者さんは 最期まではっきりとお話できていた。 ただ 昨日一度だけ「私はこの人のいる時しか 頼めないのです」とうわ言のように厳しい言葉を吐いておられた。 珈琲のやり取りを看護師さんと交わした直後のことだ。 あんなに厳しい言葉は 初めてのことだった。
亡くなったという報せがないのは 困ったことだ。 事業所に連絡が行ってないかと確認したが何も連絡はないようだった。 利用者さんとの約束を果たせたのだからそれでよいと思うようにしている。
この様子だと ご葬儀の案内も来ないだろう。 落ち着いたころを見計らって 利用者さんの眠るお墓に出かけてみようと思っている。これまで幾度もお墓参りに出かけているので場所も知っているし…。
しかし 利用者さんの覚悟は学ぶべきことが多かった。 私に出来るか…と今も自分に問うている所である。
1日気持ちの落ち着かない日で その他の連絡ごとも多く家を空けられずに過してしまった。 母も 此方の気持ちを受け止めているのか 夜の寝つきも悪い。 気持ちを切り替えて 明日へ繋いでいかないと…利用者さんに「しっかりしなさい」と言われそうである。
2010年02月08日(月) |
優しいまなざしに感謝 |
先日 母が珍しい動きをしていた。 首を少し廻したり 肩を上げたり…という動作。
肩こりの強い私は一年中見られる動作だが 肩こり知らずの母は そういう動きをしたのを見たことがなかった。
その日は 介護者の会の研修会で6時間ほど外出。 見知らぬ人から 挨拶されたりしていたし 介助されたりだった。 特別疲れた表情もなく 機嫌も良好で心配ないように見えたのだが…。
あの日以来 そういった動きは全くしていない。 やっぱり緊張を強いたせいだったのだろう。
今日は 午前中 利用者さん訪問。 何時 ご親族から電話が入るかとドキドキしていたが 特に連絡もないので 待っておいでだろうと思って出かけた。
病室に入ると「はなさん 目薬お願いします」と言われた。 酸素吸入している訳で よい状態ではないのだが意識ははっきりしておいでだ。直ぐに目薬を点した。 口の中に白い物が見えたので 口腔ケアのブラシを使ってお掃除。 それから アロマオイルで手足をマッサージ。 持参したお湯でタオルを湿らせてオイルを垂らして 首や顔を拭いて差し上げる。残りのお湯を洗面台の中に入れて栓をしてオイルを垂らした。 「ん ほっとするわ♪」と言われた。
暫くすると「引き出しに入っているコーヒーを熱いお湯で入れてください」と言われた。「? 珈琲 何時買ったのだろう」と引き出しを見てみたが 見当たらなかった。 「珈琲を飲みたいのですか?」とお聞きすると頷かれた。 売店に走って温かな缶コーヒーを購入し戻った。
丁度 看護師さんがみえたので「珈琲を希望なさっているのですが希望を叶えて差し上げてよろしいでしょうか?」と伺った。 暫く沈黙。 「先ほど 口腔ケアをしたのですが 珈琲で口腔ケアって感じで差し上げてみて良いですか?」と駄目押し。 「いいですよ」と返答戴き希望を叶えて差し上げる事が出来た。
利用者さんは コップに入れて自分で飲みたかったのだが…ベッドを起こせば心拍数が上がるので無理は出来ない。 そこで 吸い飲みに30ccほど入れて差し上げ 水のみを渡した。 自分の手で持ち飲まれた。
暫くして 看護師さんが見えて 吸引。 珈琲は 食道に痞えていたという事だった。 「吸引は嫌ですよね」と看護師さん。 「私 吸引拒否の遺言を残したいくらい」と。 そこで「吸引に変わる良い方法を探せたらいいですね」と話題を替えた。 私も同じ気持ち でも終末期にはついてまわる。 父の時には 「痰が吸引されて気持ちよくなったでしょ」なんていったものだけれど 年月を経てそういう物ではないということにも気がついてきた。 「なかなか死ねないものですね」と利用者さんは言われるが 終末期は 当事者にも家族にも辛い時期だとつくずくと思う。 「私 いっぱい学ばせて戴いていますが もう少し 私に教えて戴きたいことがありますから まだ 頑張ってくださいね」と…。心底そう思っている。
活動を終えて 家に戻って夕食の準備。 デイ帰りの母を其の儘 罹りつけの医師の所へ通院。 低温やけどの処置である。 今朝見るとやけどの周囲が腫れてきてるようにみえたので…。
無事処置していただいて ビルのトイレへ立ち寄った。 母のトイレタイム。 多量の「小」排出。外出先なのに間に合って良かった。 トイレで母をみていた方が涙ぐまれていらした。 昨年 お母様を94歳で亡くして 母を見ていたら急に思い出して涙が零れたと話してくださった。 出会う人 出会う人 母を見て優しいまなざしを下さる。 そういう年月を経たのだと感じ入る。 これも街に連れ出しているからだろう。
家に戻ろうと思った時お粥のタイマーを入れるのを忘れてきたことに気が付いた。そこでパン屋さんに立ち寄って 食べやすいパンを購入。 母はお腹がぺこぺこだから炊き上がるまで待ってとは言えない。
家に戻って 大急ぎで食事を温めて夕食。 美味しそうにパンを食べてくれてホッとした。 冷凍しておいたハンバーグがあって良かったわ♪
食後も機嫌よくニコニコ。 9時を廻る頃には眠そうな目つきなので トイレ誘導後就寝。
夫も休日。 午前中 夫の用事で外出。 外出前にトイレ誘導し「大」「小」排出。 これで安心して外出できる。
母は夫と留守番。 夫は眠そうだったので「自分が眠りそうだったら 座っている椅子はベッドに向けてね」とお願いした。 出かける前には もうベッドに向けていた。母憮然としていた。 滑り落ちるよりいい。 ベッドに寝かせる手もあるが本格的に寝入ってしまう恐れがあるので ちょっと我慢して貰うしかない。
戻ってから昼食。 食欲少し落ちているのが気になった。 背中が丸くなっているので腹痛があるのかもしれない。
昼食だけでは足りないと思い 3時におやつで水分とカステラとバナナを補充。此方は よく食べたので安心していた。 夕食前には 苺を皿に載せていたら 手を伸ばして食べていた。
夕食も順調に食べ終えて 暫くしてトイレ誘導。 ここからトイレでの格闘が始まった。 やはり 1日腹痛が続いていたのだろう。 お腹がゴロゴロ キュルキュル。 「もう大丈夫」と思って立位したら腰が重かった。 直ぐに再度便座に座ってもらった。 またゆるゆる。
それから落ち着くまでトイレで過した。 洗浄用のお湯を足しにトイレを出る時「どさいぐの?」とはっきり聞かれた。「お湯を取りにね」と返事したら頷いていた。
少し落ち着くまで 水分補給のためのゼリーも食べて貰って パジャマに着替えて就寝。 軽い鼾をかいて直ぐに寝入った。 ヨーグルト多かったかなぁ。
一時は マグラックスを使ったり 乳製品を使ったり で便秘対策していたのが嘘みたいだ。 お腹ゴロゴロが苦手な母なので ちょっと可哀想。
お腹の調子がヨーグルトのせいと限定はしていないので 明日まで様子を見なくちゃね。
今日は 北風が強く吹く寒い1日だったなぁ。
デイが入っていない土日は 母と一緒。 今日は 夫の用事で車椅子を積んでちょこっと外出。
出かける準備をしながら「さ 街に遊びに行くぞ」と言ったら 母笑顔。 着替えていると「うふふ」と笑い声。 これがあるから 頑張れる。
用事が済んで美容院に出かけた。 が 今日もまたビル管理する事務所のシャッターが下りた儘だった。 母を担いで貰うのも気が引けて 取りやめた。
そこから車椅子を押して苺大福を買いに行った。 そこの店の店主は その昔「栄太郎」で菓子職人さんをしていた方で 地域に根を下ろして和菓子屋さんを開いている。 地域では 知る人ぞ知る美味しい和菓子屋さん。 そこから とっとこデパートのある駅前まで車椅子移動。 風が冷たいけれど 母も縮こまることなくきょときょと。
自分もそうだけれど母の髪の毛も伸び始めている。 美容院に行ってからひとつき半経過している。 出たついでだから別の美容院に入ることにした。
初めての所。 母はきょときょとするので少し扱い難そうだったが快く対応下さった。カットだけだけれど 綺麗になったのが判る母ニッコリ。
その後母と外食できないかとお店をくるくる見てみたが 昼時で混雑しているので諦めて 寿司折を購入して家に戻った。
母 寿司食べるのかなぁと内心ドキドキ。 いつも ご飯は お粥とご飯の半々。 デイでは刻み食である。
握りを3分割にして母の口に運んでみた。 なんとよく噛んで食べた。 昨日辺りから ちょこちょこ試しているのだ。 ちょっと固めの固形物はどうだろうと。 昨日は しょうが黒糖を口に運んでみたら口の中で ころころ転がしてそのうち噛んでいたのだ。 柔らかい物なら固形でも可能なのだが サービス提供事業所では誤嚥を恐れて刻みなのだ。 そこは割り切っているけれど 家では様子を見ながらチャレンジ。
これが 時折風船を上げて様子をみて そろりそろりと移行していくというやり方。 キャベツたっぷりのお好み焼きと握り寿司。食べている途中も食べ終えても全く噎せは見られなかったし 拒否もなくただただ嬉しそうだった。
これで普通食ゴーサインとする訳ではないが 不可能ではない。 こういうことは 施設にいると思い切って出来ないが 家だとできる。 時間もいつもと変わりなかった。
この所便秘気味。 お通じがないわけではないが 固め少量。 今朝も少量だったので ヨーグルトを少し食べてもらった。
結果 夕食後のトイレ誘導で「大」排出。これで一安心。 「大」の手当てをしていると必ず私の腕や頭を撫でてくれる。
おまけに今日は さっきベットでとんとんと布団を叩いている母だったのでトイレ誘導。 見事に「小」排出。 夫に「お布団叩いているからきっとトイレ合図よ」と言ったら「エッ!」と驚いていた。ベッドから起こしてトイレまでも両手引きで歩行するのをみて夫は思わず母の頭を撫でていた。「凄い事だな」と驚いてもいた。 こういう場面を夫は滅多に遭遇しないというか見ない。 就寝して2時間経過した時間。ぐっすり寝てたがやはり尿意を感じて目覚めるのである。
今日は そんなこんなで1日が終えた。 水分が食事以外で最低1000ミリリットルを基本にしているが それを越えるとパットに出てしまうことが多い。 尿の色も見ているが 透明でにおいもないので1000ミリリットルで母には良いように思うのだが もう少し様子を見ておこうと思う。 今は冬だから汗ばむ事もないからということで冬季限定なのだろうけれど。
暖房は強くする事もしない。だから 汗もかかない。 寒ければミニ毛布やひざ掛けを使う。 手が冷たければ ミニペットボトルにやけどしない程度のお湯を入れて持たせる。 手が冷たい時には 母は時折両手をこすっている。 それが 寒いサインでもある。 要らなくなれば ペットボトルから母の手も離れる。
これは 母だけのことだけかも知れないので 他の人にお勧めはしない。 本人の様子を見ながらが 1番。
今日はデイサービスの日。 送迎に間に合うように 排泄・洗面・着替え・朝食介助と順調に進み予定の30分前には お便りを書くだけになっていた。 ところが 暫くしてピンポン。 デイサービスの送迎車が家の前に止まっていた。
「!」と私。 「お便りに書いてあります」と職員。 お便り張はチェックしていたが何も書いていなかったのだ。 お便り張に挟んであった 2月のお便りに書いてあった。
ゆっくりと車椅子に移乗して送り出した。 「おたより張には 何も書いていないけれど いつも通りです」と口頭で伝えた。 送り出してふと見ると入れた筈のバスタオルがあり慌てて連絡した。
前回 ズボンを汚したとのことでデイのズボンで帰ってきたのでそれをバックに入れたのだが 帰宅したら其の儘入っていた。 連絡しておかない方が悪いんだね。
今日は深く反省の日だった。
母を送った後 ちょっとお出かけ。 電車で移動して 介護者の会のない地域で会を立ち上げたいという仲間のいる場所へ。 仲間と出逢って あれこれお話。
母のデイの送りには充分間に合う時間に帰れそうだった。 ところが 明日から2日間は母が家に居る日なので 利用者さん訪問が出来ない。それではあまりにも酷かなと思い 帰路電車を乗り換えて利用者さんのいる病院へ立ち寄った。 すると昨日親族の方が泊まるほど危機的状況になっていたようだった。 母のデイの送迎時間ぎりぎりまで病院にいて 家に滑り込んだ。
ちょこっと予定が入ると厳しい。 家に着いて洗濯物を取り込む時間が取れたので ま よしとしよう。
夜 夫が帰宅して 明日中の仕事を頼まれた。 デイがないので…といったら 暗雲立ち込めた。 しょうがない母を連れてあれこれやるしかないね。 これは なかなか厳しい。 月曜日で間に合うと思っていたのである。 私の聞き間違いという事にして夫にお詫び。
ふぅ!
そして菜園の申し込み。 電子申請しようと昨夜 取り組んでいたら受付がエラーになる。 メールで問い合わせして 今朝 返事が帰って来て 夜にようやく登録できた。が! 「電子申請は 午後5時で終了しました」だって!
ぎりぎりで申請する方が悪いのだけれど 登録に記号が使えるとあったのでそれを使ってやったらエラー。記号を使わないと受け付ける事もあると返信にあったので 記号を抜いて申請したら通ったのだ。 じゃ 最初から使える文字に記号が使えるなんて書かないでよね。 とここで イラッを解消。 つまり あんたはいっぱいいっぱいなんだから無理するなって警告と受け止める事にしようっと。 我が家の庭の隅っこにでも 野菜植えようかなぁ。 そういうことも起きるかと ちょこっと準備していたのだから丁度良かったのかなぁ。
立春の今日 冷え込みはきつかった。 母の寝室の暖房は 私が就寝する時に切る。 朝まで 母は湯たんぽもなく暖房もない。 私が起床する時に暖房を入れるだけ。
家が温かい環境にあるわけではない。 施設と比べたら格段寒い筈。 でも今のところ 問題はない。
今朝 母をデイに送り出して 打ち合わせがあるので出かけようとした時水道の検針に見えた方が「使用量が倍になっていますが何か心当たりはありますか?」と聞かれた。 「同居人が増えました」 「それなら 大丈夫ですね」と言われた。
母が居り 私も1日家にいて 洗濯物も幾度も廻すし…。 燃料費も同じく倍。
でも不思議な事に娘がいた頃と比べるとまだましなんだよね。 だから 気にしない事にした。 ちゃんと節約しながら出来ている筈。
打ち合わせを終えて 家に戻り鍵を開けようとしたらエンジン音が聞こえて母のデイの送迎車が見えた。 時間は 少し早め。
今回は 時間内に戻れると確信していたので「帰宅遅れるかも」という連絡を入れていなかった。 今度は気をつけないとなぁ。
明日もデイに送り出した後 出かける予定がある。 今日の場所より近いが電車での移動である。 送りも今日より50分遅いので大丈夫だろう。
デイから帰った母は いつもお腹ペコペコの様子。 バナナ一本と飲み物は夕食前に必須。 一時間もしないうちに夕食だが それまで待ちきれない位に空腹の様子。 だから 食事拒否なんてない。 この差は 何なのだろうな。
施設にいる時 木曜のデイから戻って食事介助の人を此方で依頼していたが その人 毎回毎回 かなり苦労していたのだ。
家に来て食べなかったら…とあれこれ小さな準備をしていたが 暫くは出番なしだろう。いい変化だから嬉しいのだけれど…。
昨夜 母のことをあれこれ考えた。 これまで 時折できることでまだできる力を持っていると思い あれこれと工夫をしてみた。 そう言ったことは 別の回路が出来たかのように感じたりしていた。 でもそうじゃなくて 介助の仕方が母に合った時に出来ていたのではないとか思えるようになった。 出来なくなったのではなく できるようにして上げられなかったのではないだろうか…と。
怒ったからできたのではなく その前に母に関わった時に無意識にした私の動作のせいではないかと思えてきた。 自分の介助の仕方を正しく覚えている訳ではないので確信はないのだが…。 指先に力を入れての介助ではなく 手のひらのくぼみでそうっと手を差し伸べるだけで介助できると言う事を知ってなおさらその意を強くしたのだ。
まだ「そうだ」という自信はない。 ひとつひとつ自分のアクションを考えてみようかと思う。
訪問リハビリの日だった。 母は途中からzzz。 其の儘 暫く寝入った。
夜 豆まきをした。 戴いた豆を開くと金平糖や干菓子が入っていた。 最初は干菓子。 次に用心深く観察しながら金平糖をあげた。 噎せることなくなめていた。 一度だけ噎せたので 心配顔で母を見たら 口を開けて「入っているよ」というように金平糖を見せてくれた。 金平糖で噎せた訳ではなく 干菓子の甘みででたツバで噎せたのだろう。 やっぱりね。 話しかける言葉も見守っている表情もちゃんと判断できている。 凄い事だっていうかこういったことに気がつけるアンテナを母は育ててくれたんだなぁ。ありがたいことである。
昨日 外に出ていたせいもあってお尻の洗浄にかける回数が少なかった。 水分摂取量もいつもより少なめ。 今日 お尻の洗浄をしていたら臀部が少し赤かった。 眠っている時間が多いわけじゃないし しいて言うなら 座っている時間が長かったかな。 施設では 臀部に疱瘡が出来ていたが家に戻って減った。 マットのせいかとも思ったが そればかりではないのだろう。 まめに洗浄することと水分摂取を心がけて行かなくてはなぁ。
ほんわりとやわらかな明るさで目覚めた。 雪景色を楽しむよりも「お昼までにとけるかな」と不安。
布団の中でグダグダしているとかつんこつんと雪を片付ける音が聴こえた。 夫は「早目に出る」と言うので夫優先に食事。 出掛けに ちょっとことづけを受け 慌てた。 朝食の準備より夫の依頼のことが優先。 パタパタと確認して OKの電話を入れた。
それから母の朝食を準備し 洗濯機を廻して トイレ誘導 朝食。 外からシャカッ カシャッとまたしても雪かきの音。 ドアを開けて「ありがとうございます。お手伝いできなくてすみません」とお詫びした。
母の食事介助を終えてから 自分の朝食。
洗濯物を干して外出着に着替えて貰う。
今日の準備をして 会場に向かった。
今日は介護者の会の日で動作介助研究会の方に講習していただく日。 昨年HCRで出会い感銘し 会に来ていただく事に決めたのである。 この方法を習得できれば 介助がかなり楽になる筈。
感動したのは 福祉用具の業者さんがベッド3台 車椅子6台?を無償で会場に運んで下さるのである。 今は 何でも料金の掛かる時代。 ガソリン代だって人件費だって馬鹿にならない。 景気の悪いこの時期に…である。
研究会の方は 母と出逢って優しく話しかけてくださった。 通リ一片ででない 親身な話しかけであった。
これまで いろんな講師と出会ったが 認知症の母にこれほどの向き合い方をしてくれた人はいない。 何が違うのか…。 例えば…。 「認知症の方はとても素直で 嫌な事不安な事に正直に反応してくださるので助かります」と言う言葉。 言い方1つだなぁ。お見事!と思った。
ま 長い時間講習を受け実習をしている間 会員の方たちの表情をみていると「あれ」「そうなんだ」と言う驚き。 実習してみて「ん 納得」という笑顔。 HCRで感動した私と同じ表情だった。
この研修会は 介護専門職の方にも知って戴きたいと思って地域包括や事業所にも告知した。 でも見えたのは 一箇所の事業所の方だけだった。 ここの事業所はその昔評判が良くなかった。でも最近 目覚しい変わりようなのだ。掲示板に貼り付けてあったので おずおず上司に申し出て了解を得て 参加者の集まり具合を見て外で待って 大丈夫と思った頃に入っていらしたのである。 この気配りには 感動だった。若い方である。 一生懸命学ばれて「職員を練習台にして 安全にできるようになったら実際に現場で活用します」と言ってくれた。
出会いはそれだけではない。 作業療法を学ばれている大学生も見えて感動していた。 研修会の方も喜ばれていた。
母を連れて参加するのは いろいろの制約が出来るが 外出時の母は楽しそうなのだ。家に戻った後も あはは うふふ と笑顔が多く 言葉も多くなる。
就寝もいつも通り。 酷く疲れた様子もなく満足そうな表情で眠りについた。
願いが実現できてホッとした。 この研修会を支えてくれたのは 介護の終えた方とボランティアの方。 この方達なくして会は成り立たないのである。
今日の参加者で男性は 6名である。 男性介護者もじわりと多くなってきている。
う〜ん 参ったなぁ。 明日は 会のイヴェント。
母を連れて行くのだけれど…。
今 外は真っ白。
車椅子で外出できるのか! 両手引きでも雪の上の歩行は危険。
明日の昼まで 雪溶けしてくれればいいのだけれど。
なるようにしかならない。 今 考えても仕方なし。
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