母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2010年03月31日(水) めでたく…


 今日は 母の誕生日。94歳となった。
90歳を越えてから 1年また1年と年を重ねる度に貴重な時間を共有させて貰っている感じがする。
母自身 80歳の頃から「そんなに長生きしているんだ」と言っていたのだから母自身「すごいな」って思っているに違いない。

誕生日とは言っても美味しい物を食べられる訳でもないので せめて…と小豆粥を炊いてお祝いをした。

今日は デイもなくリハビリも療法士さん風邪でお休みとなった。
お花見に連れ出そうと思ったが 気温が上がらないので わざわざ外出しなくともいいだろうと1日家で過した。
明日お天気が良ければ デイでお花見の予定だし これだけ気温が低ければお花見はまだできる日がある筈。

終日家にいて 母はニコニコ。
それは 夜まで続いて 10時過ぎまで起きていた。
夕方から就寝までほぼ2時間ごとにトイレ誘導だった。
誘導の度に「小」 日中は「大」2回。
まあまあって所。


2010年03月30日(火) 寒かったけれど 春爛漫♪


夫は早朝 仕事に出かけた。
母をいつもより早く起こして いつもの順番で介助。
デイへ出かける時 母は涙を零した。
判らないけれど 昨日のデイで少し懲りた事があったのだと思う。
昨日のデイと今日のデイは違うのだけれど…。
迎えに見えた職員が「どうかなさった?」と聞いてきたが ちょっと言えない。

昨日のデイが いつも対応が悪いという訳ではないから…。
きっと施設側に何らかの事情があったのだと感じるところがあるのだ。

「あのぉ 今日ちょっと出かけます。送りの時間に 間に合うように帰りますますが 万が一という事もありますので…」と伝えた。
職員は 送迎時間をチェックして何とかしてくれようとした。
別に延長して欲しいというつもりではなかったのだが…。

母を送り出して 洗濯物を干しにヴェランダに出ると西の山々が真っ白。
富士山も青空にくっきり。
寒いけれど 外出日和だ。
それから 急いで支度して家を出た。
仲間を誘って 活花展に出かけるのだ。
娘の友達がチケットを送ってくれた。
友人の展示のある日は動かせない用があって行けなかった。
今日が最終日。

おそらく会場のある公園は桜も見ごろの筈。
電車を下りてとっとこ会場に向うが 花見客と春休みになった子供連れの人で大混雑。人の波をかき分けて会場へ。

順繰りに活花を観賞。
好みもあるが やはり見事に活けてあるものはそう多くない。
けれど 心地よい空間であった。
私達は 活けた花を眺めるよりも水盤等花器に目が行く。
剣山か股木かをみていた。
師匠と思われる方は古木を使っていた。
これを自分で探して使っている人はどのくらいいるだろう?とか…。
そんな意地悪な観賞をしていた。
気が付くと70代半ばと思われる紳士も同じ歩調で観賞しており 同じように水盤や花器を覗き込んでいらした。
中には水盤に石を置いて剣山が見えないようにしてあるものもあった。

どう見ても判らなくて立ち止まって左右から見ていたら その紳士も同じように見ていて「アッ!」と同じ発見をしてお互い苦笑い。

意地悪な観賞をしたけれど でも気持ちがキリッとした。
お稽古で腕を磨いて真摯に向き合って花を活けられた心はじわりと伝わってきたのだった。

そうそう その流派に属する方々は あれこれ作品のことを話していた。

外に出て 人の波に流されながらお花見。
お目当てのドラ焼き屋さんでお買い物。
それから レストランで お腹を満たして…。

早目に帰路に着いた。

1時間以上の余裕を持って家に戻ったが…時間になっても母は戻ってこなかった。職員が気を利かせてくれて30分遅れて戻った。
「ありがとうございました。ご迷惑お掛けしましたね。おかげで戻ってから少し休息できました」とお礼を伝えた。

母もニコニコ笑顔。
とても気分が良さそうで…。
バナナから始まるいつもの順番で夕食介助まで順調。

夕食後は更に機嫌よく笑い 目もパッチリ。
暫くテレビを見たりして…トイレ誘導後 9時少し前に就寝。
今日も無事に1日を終えた。


2010年03月29日(月) ギョッ!


母をいつものようにデイに送り出して 家事をして。
PCで検索をして。午後 買い物に出た。
朝は それほどでもなかったのに 北風が強くなって…。
気温はよく見てないのでわからない。
ただ冬を思わせる北風に身を縮めた。

デイの帰りに間に合うように帰宅して ちょこっとお茶を飲もうと思った時チャイムが鳴った。
まさか!
予定の時間より20分早い。
「送迎の時間が今週から変わったのですか?」とお聞きすると「朝は決まっているけれど 送りは決まっていない」と言われた。
「?」何か聞き間違えたか?
ま 前回5分ほど待たせてしまったので 返す言葉もなかった。
「久しぶりに入浴介助させて戴きましたが 歩行しっかりしてきましたね。今日は 片手で大丈夫でしたよ」と話してくださった。
そして 母の誕生日を祝う色紙を戴いた。
「『94歳なんです』というと皆さん『エッ!』と驚いていましたよ」とはなしてくださった。
今日は トイレ誘導が遅れてズボンまで濡らしたとのことで デイのズボンを着用して戻った。
「大量に排尿があった」と思うことにした。

戻って何となくすっきりしない母。
トイレ誘導して「大」「小」排泄。
その後バナナを食べて貰ったが まだすっきりしない様子。
夕食の支度をしていると「ぱぱぱぱん」とテーブルをせわしく叩く。
水分補給してみたが治らない。
支度ができてご飯が始まったら だんだん落ち着いてきて食べ終えて笑顔。
お腹が空いて落ちつかなかったのだろう。

片づけをしてるとまた浮かない顔。
「つまらないの?遊ぶ?」と聞いたら頷く。
部屋を移動して 手遊び。笑顔戻り「うふふ」と。
テレビをつけたら 見入って「うふふ」
今日は ちっとも眠そうではなくて1時間以上テレビを見ていた。
9時過ぎたので トイレ誘導「小」排出。
パジャマに着替えてベッドへ入ってもらう。
暫く目をパッチリ開けていたが そのうちに寝入ってしまった。

それから 此方の夕食。
そこへ夫が帰宅して一緒に食事。

夫の話を聞きながら1時間余。
夫 就寝後 後片付けをしてようやく自分の時間。

明日は 外出の予定がるので準備しておこうと思ったがもう遅い時間となってしまったなぁ。


2010年03月28日(日) 反射神経


昨夜 母を娘に託す時 椅子に腰掛けさせて家を出た。
でも 何時に終わるのか判らないので 姿勢が崩れた時立て直せるように立位の方法だけ教えた。
おそらく不安になるのは 眠くなって座位が出来なくなる時だろうと思ったのである。

集まりが終わって家に戻ったら 母は ベッドに移動して眠っていた。
案外簡単に移動できたが ベッド上で足を上して貰うのに苦心したが 母が
自分で足を伸ばしてくれて助かったという事だった。
母は 自分から「ねむい」と言って 「寝る?」と聞いたら頷いたので寝かせることにしたそうだ。

素人の動作介助でもコツさえ飲みこれば1人で介助できるのである。
これが2.3人がかりで…というのは やはり介助の基本がきちんと出来ていないからではないかと思ったりした。
状況を見ていないので断定は出来ないけれど 家に戻って3ヶ月経過するが1人で悲鳴を上げそうになったのは 入浴時だけそれも1度だけ。
そんなに力んでいる訳ではない。

今朝は 家族はゆっくりモードなので 母のことを優先できた。
起床からトイレ介助。洗面。整髪。着替え。朝食。口腔けあまで 終わって暫くしてから夫が起き出した。
この順番が1番やりやすい。

夫を送り出してから 洗濯を済ませて母と向き合って朝食。
その時 母に風船を渡した。
母はテーブルの上で風船を抱えていた。
それが ちょっとした力のバランスが崩れて 風船が思いがけずふんわりと動い
た。すると母は 反射的に手をパッと動かして風船を捕まえた。
その後また 風船が動き床に落ちた。
すると床に手を伸ばして風船を捕まえようとした。
持っている感覚 反射的に捕まえようとするそういう感覚が残っているのだなと嬉しくなった。
ボールを投げても無反応。そんな状態だったので気になっていたけれど日に拠っては出来るんだね。諦めないで 遊んでみよう。

でも 風船を渡してその場を離れる事は危険なんだな。
洗濯物を干す時にその場を離れる事もあり そういう時に風船を持たせていたら転倒するかもね。

母 今日も「大」の排泄があり 便秘の心配は払拭できた。
食欲もまぁまぁなのだが 夕食前のバナナは デイの帰りには1本ぺろりと食べるが 家にいる時は半分で間に合うみたいだ。
刺激がないのでお腹も空かないかな?

夕食後暫くして 眠くなったようだった。
でも食後1時間は起きていて貰った。
8時頃 トイレ誘導後 パジャマに着替えてベッドへ。
そしてヤッパリ9時半ごろ トイレサイン。
誘導すると「小」排出。


2010年03月27日(土) 念願叶って…♪


昨夜 あれからトイレ誘導をした時何となく気配を感じてお腹をマッサージ。「大」「小」排出。
これで 便秘解消な筈。ホッとして布団にもぐった。
でも母 暫く パッチリした目で静かに横になっていた。

深夜目覚めていたこともあって 朝は 少し遅くまでぐっすり眠っていた。
遅くといっても いつもより30分程度だけれど…。

その間に夫を送り出して 母を起こして着替え。
食事介助。
洗濯は 今朝はタイマーで 済ませた。
乾ききらない洗濯物と新規のものとをヴェランダに干した。

寒いけれど厳寒期のような冷え込みでもないので 美容院に行く事にした。
お昼にかかるので 軽い飲みものと食事を持って…。

美容院では 階段の上り下りは お言葉に甘えて美容師さんに手伝って貰った。
美容院での2時間 ずっと母のよなりにいた。
結構頭を動かすのでちょこっと抑制。
でも美容院に行くと意思表示したのだから綺麗になりたいのだろうと判る。
シャンプー・ロットを巻く・洗い流す・カットの一連のサービスを受けている間一度も眠らなかった。

綺麗に仕上がって 母も満足そうだった。

夕食の支度をして 母に食事介助。
夜は 町内会の会議。
娘が助っ人に来てくれた 食後はお任せ。
会議は2時間ほどかかり 戻ってみたらもうベッドに移って眠っていた。

母が寝てから 娘の「誕生会」

今日は 眠くて…ここまで。



2010年03月26日(金) ご・め・ん・ね♪


6時ちょっとすぎた頃「あ〜っ!」と母が小さく叫んだ。
「小だ」と思った。
パットを使っているので漏れる事はない。「小」は一回分と判っている。
気が付いても「ご・め・ん あと30分だけ…」と布団を被ってしまった。
まったくしょうがない奴である。起きられない人を放置してしまった!

その後トイレ誘導して「ごめん」と謝る。
母だって つらい事だろう。面倒掛けると承知している筈。
何故って「〇ちゃん 悪くないんだよ。私が悪いのよ」というとグスッとしていた顔が落ち着くんだから…。

ちょっとしんどい事書いてしまったかな。

こんなちっちゃな葛藤は 時折起こる。
そこに留まっていると動けなくなってしまうので 出来る限り流してしまうんだけれど…。こういう時 施設の職員って 何を考えるのだろうなぁ。

母をデイに送り出してから 恒例の月末の作業と午後の集まりの資料を作った。

午後は会の運営のための集まりである。
今年度の反省と来年度の事を話し合った。

会議後 買い物を済ませて帰宅。
程なく デイから母が帰宅。

着替えされていたので また失敗したかなと思ったが そうではなかった。
朝 着替えるので 入浴時の着替えは必要ないと伝えてあるのだが どうも着替えさせてくれたようだ。
持参している着替えは 失敗した時の着替えなんだけれど…。

朝雨が降ってきて 外出もあるので洗濯を外に干さなかったので 目いっぱいのものが室内にある。
浴室を乾燥室に出来るのだけれど そこまでする必要も感じなくて…。

夕方 役所の担当の人から 移動の挨拶があった。
よく配慮できる方だったのでとても残念。
そろそろかと思っていたので…嫌な勘は的中。

家に戻って初めての便秘だったが デイから戻ってお通じがありホッとした。

そうそう 夕食前に母に何かを聞いた時
「まだ もういっかいでないがな」と言葉を発した。
何を数えていたか具体的なことは 判らないけれど 言葉としてこれほど長く表現できたことに驚いた。
だから「そうだったかね」と返事したら頷いていた。


2010年03月25日(木) 油断禁物


 母をデイに送り出す。
ちょっぴり気温が逆戻りしているので 厚着させてゴー!

その後 暖簾の如く室内に干してある洗濯物を見上げながら 更に洗濯。
明日でもいい筈なのに やっぱり溜めたくない。

買出しに行こうかと思っていたら 娘から電話。
どうやら 有給休暇を使って地元に帰ってきたらしい。
と言う訳で 近くの温泉まで出かけた。
久々に明るいうちに温泉に浸かった。

しかし平日の昼でも混雑しているのには驚いた。
高齢者同伴という方も結構多い。
休日は子供たちで賑やかなのに 平日は少ない。

母の送りの時間に間に合うように戻るつもりが ちょっと読みが甘くて5.6分遅れたらデイの車が待っていた。
遺憾ことです。
ただ デイの車 時に遅れたりするのでゆるく考えていた。
幸い 同乗している利用者さんもいなくてホッとした。

バナナから始まり夕食まで順調に進む。
食後も 眠そうな母を一時間余 起きていてもらって 就寝。

しかしなぁ。
夕食前(6時ごろ)食後(7時過ぎ)就寝前(8時過ぎ)就寝後2時間(10時ごろ)と母のサインでトイレ誘導。ばっちり「小」

結構短い間隔でトイレサインがある。
昼はそれほど短くない。
もともと遠いのだが…。
睡眠ちゃんと取れているのかと心配になるが 昼居眠りもないのでこんなところでよいのかな。
それとも気温が下がってきて冷えているのかも。

母のトイレサイン発信から一時間は待っている。
我慢しているのが見て取れる。

さて 右傾斜の強い母。
この所 ベッドに腰掛けて貰ってどれくらいの時間姿勢保持できるか観察している。ついでに傾いた時 自分の手を使って姿勢を立て直せるかも見ている。今のところ10分程度は保持できる。
10分経過したからといって 倒れてしまうわけではない。
手の置き場を変えたり座りなおせばまた座位も可能である。
レベルアップを狙っている訳ではないが 現状維持と課題を探している。
母が不安にならない程度に様子を見ているこのごろである。


2010年03月24日(水) あらら あられ?


食後一時間ほどすると咳きこんだり コホッとしたり…そんなことが時折起きるので気に掛けていた。
食材も注意を払っているつもりだけれど ちょっと噎せたりした時 口に運んだ量・テンポ等も振り返ってみている。
食欲はあるので 全体の量を控えることなく 口に運ぶ量を加減してみた。
そうすると時間がかかる。
でも何を大事にするかを良く考えて 対処していくしかないだろうとおもう。
それが出来るのが在宅の強みだから。

今日は いつもよりコホッの回数が減った。
でも 量だけが課題とは思えないので もう少し様子見。
熱も測ってみるけれど 特に問題はなかった。

美容院今日も諦めた。
無理を押していこうと思っていたのだが 雨が断続的に強く降ったりするので諦めたのだが…。夕方 パラパラとあられも落ちてきてヤッパリ無理しないでよかったと思う。
しかし 桜の花にあられかぁ。咲き時を間違えたかと吃驚している桜かなぁ。


2010年03月23日(火) 自然に任せて…


母をデイに送り出して 庭に出た。
家庭菜園から持ち帰った韮や三つ葉の苗を植えつけておきたかった。

ぶどう棚を壊した所が空いているので その部分の草を取り。
そこに土壌改良する土を混ぜて掘り起こした。
水を撒いて 苗を植えつけた。

その場所は 塀の前。
土を掘り起こしたら カチンとコンクリートに当たる音がした。
地震で塀が倒れないようにしっかり補強してあるのだった。
植えつける場所に更に土を持って 塀に1番近い所にセージを植えつけた。
次に韮を上 1番手前に三つ葉を植えた。
端っこに アスパラを植えつけた。
この場所に 野菜が育つか判らない…。
育ったら その土が野菜たちの気に入った場所と思うことにした。
えへへ かなり手抜き。

庭の南側にシンビジュームの鉢を放置している。
昨年は 花も咲かなかった。
昨秋 少しだけ手入れしてまた放置。
今日見たら 花芽を持っていた。
手入れした分くらいのひ弱な花芽である。
仕方がない。でも 一年中外で踏ん張ってくれている。
そうそう 踏ん張っていると言えば 暮れに戴いたシクラメンも今も外で咲き続けている。
ミニシクラメンも門前で花を咲かせてくれている。
針金状になったワイヤープランツも先日刈り込んでいたが 新芽を持ってた。
我が家の鉢植えたちは 悲惨な状況に耐えてよく踏ん張ってくれ季節になれば動き出してくれる。

南側の庭に戻って 空いているプランターの土を入れ替え 野菜の種を蒔いた。ルッコラ・春菊・空芯菜等。育つかなぁ。

もう少し手入れしたい所だが 買い物もあり途中で切り上げ 買い物にとっとことっとこ出かけた。
暖かなようで何となく肌寒く変な具合。

必要な物を購入して戻った。
デイの帰りまでには 少し時間があるので道路側の草取りを始めた。
ここの草は コンクリートの隙間に生える草である。
隙間用の草取りの小道具の助けを借りて…。

そこに近所の方が帰られて しばし立ち話。
「御宅のお母様 毎日デイにお出かけ?」と言われた。
週4回のデイ利用なのだが 目立つのか毎日と映るようだ。
確かにご近所の方は 週に2日位の利用のようなので 多いと感じるだろう。

でもこの4回のデイ利用のおかげで大分改善されている。
話し込むうちに ご近所さんの親戚の方が同じデイを利用されている事を知った。そのデイには 小規模多機能の施設もある。
母は 地域外なので小規模多機能は使えないが 親戚の方は 地域内にお住まいのようだった。
最近移られたばかりというので そんなことも含めてお話した。
話している途中でデイの車が見えて 立ち話も終了。

母はお腹を空かせているので いつものようにバナナを。
その後夕食。
定刻には 就寝した。

夜も更けて 雨音が聴こえる。
植え付け後の雨は 嬉しい。
でもこれからは 草との格闘も始まるんだよねぇ。

大変なことを考えても仕方ないだろう。
草との格闘は苗を育てるような楽しみはないけれど でも取り組んでいるうちに何か執念みたいなものが生まれてくるのだから…物は考えようかな。


2010年03月22日(月) ♪さくらぁ さくらぁ…♪


母をデイに送り出してから 支度して家を出た。
利用者さんが利用していた道順を辿った。
電車に乗って乗り換えて下車。
利用者さんは お花を買う店も決めていたのでそのお店に立ち寄り同じ値段の花を購入。
バスに乗ってお寺の前で下りた。
高名な女性作家の家と有名な神社に挟まれてお寺がある。
お彼岸の中日を外しているのだが お墓参りに見える方は結構いらした。

利用者さんのお墓には 日焼けしてない卒塔婆があり「召された」事を改めて感じた。
「わざわざ 来なくとも良かったのに…」と言っているような気がした。
利用者さんがいつもしているように 遠くに住んでいらして墓石もないお墓にも花を手向けさせて頂く。
「ね 放置したままだけど…いずれ来るんですって」といつも気に掛けていらした。

実は 亡くなった当初は ご近所の方も行きたいといっていた。
でも特に問い合わせもなく何となくトーンダウンしているので わざわざ伝える事もないだろうと思って1人で来た。
行きたいと言われた時に またご一緒すればいい事だから。

お寺を出て 娘と姪っ子の待つ場所へと移動した。
ロスから帰国中の姪っ子夫婦に会うために夫の実家近くに住む姪っ子が子供と一緒に出てきたのだ。
帰り道に待ち合わせしているというので合流させて頂いた。
数年ぶりで出逢う。
娘と年もあまり変わらない姪っ子だが 子供はもう小学4年生。
義姉曰く 我ままいっぱいの孫というけれど 私達にはちゃんとわきまえた話をしてくれる。

4人でお食事をして 姪っ子に買い物に専念してもらい 私達3人で街中をうろうろ。私は 母のデイ帰りに合わせて途中から離脱。

家に戻ったのとデイの車が来たのはタッチの差。
母は デイで「大」を排出したのこと。珍しい事である。
でも全て出来っていないようで トイレ誘導して残りを排出して貰った。
連絡帳をみるとデイで 歩行訓練をして頂いた様子だった。
30メートルほど歩いた様子でありがたい。

夕食前 バナナ一本と姪っ子のお土産のお菓子を少し食べてもらった。
食べ終えるとようやく笑顔。
母の笑顔は 本当に正直だなぁ。
夕食も順調。野菜が主流だがお刺身も少し。
食後のデザートは ゼリー。

電話が入っては話しているうちに母zzz。
急いで トイレ誘導して寝室へ移動。
また電話が来て 話しているうちにまたzzz。
電話後 パジャマに着替えて貰って 口腔けあを済ませてベッドへ移動。
直ぐにzzz。

ついさっき 母の所に行ったら「もにょもにょ」と平和そうな寝言が聞こえた。
穏やかな寝言にホッとした。

デイ帰りに「楽しかった?」と聞くと決まって深く頷いてくれる。
今朝は 出迎えの運転手さんに笑顔を返していた。
不安そうに私から目を離さないようだと心配になるけれど 笑顔を見せているようだとホッとする。

今日は 地域で一番先に咲くソメイヨシノが開花していた。
気象庁は 開花宣言を出したようだ。
気温が下がるという事だから 今年の桜は長持ちしそうだ。


2010年03月21日(日) お彼岸の中日


昨夜の強い風は 台風を思わせる強いものだった。
階下にいるので揺れは感じなかったが 2階にいた夫は「家が揺れたよ」と言っていた。

夫を門前で送り 足元をみると吹き飛ばされた葉っぱがいっぱい。
新芽を持った枝もいっぱい。
直ぐにも掃いてしまい所だけれど 母の食事を優先。

食事介助・洗濯・後片付けを済ませてから 外に出たら ご近所さんが綺麗に片付けてくれていた。
最近はいつもだなぁ。

時計を見れば 昼少し前。
今度は昼食の支度。
「今日は あったかだし 午後は美容院に連れて行こう」と思った。
昼食介助をして 入浴介助後 トイレ誘導したらパットに荷物が…。
朝 トイレ介助で「大」が出来たので油断していた。

昨日から かぼちゃピザ 大根・かぶのスープと繊維たっぷりの食事だったから
なんだなぁ。
手当てをしても また次また次と…でトイレに篭る事1時間。
ようやく 落ちついた。
これから出ると戻りは6時を廻りそう。
夫も6時過ぎには戻るって言っていたので 美容院行きは諦めた。

それから夕食の支度。
また母のお粥さんのスイッチ入れ忘れ 慌ててスイッチオン。
水分補給しながら 食事の支度をして 母の食事を始めたのは 6時半過ぎてしまった。
夫も帰宅してみんなで食事。

母には母の。夫には夫のペースがあり ちょこっとずれると予定はたちまちのうちに先送りとなる。
「美容院に行かなくとも死ぬ訳じゃないし…」と誰にともなく言い訳している。

夜になって 少し気温が下がって 暖房をいれた。
昼あんなに暖かだったのになぁ。

今日は お彼岸の中日。
おはぎの事などストンと抜けていた。だめやんねぇ。

明日は ハッピイマンデイ。
祝日はお休みのデイを休まないデイとテレコにしたので 明日はデイサービスがある。
亡くなった利用者さんのところにお花を添えてこようと思う。
お墓参りに同行していたのもなんかのご縁だろう。


2010年03月20日(土) ケアマネ訪問日


 午前中は ケアマネの訪問があるのだが 埃がコロンコロンしていても目を瞑る事にした。
母がデイに行っている間も動いているので 家事は手抜き。
でも「出ているから…」言い訳に過ぎないんだよね。
そうやっていても出来る人はきちんと取り組めているのだから…。

ケアマネとプランの話となる。
ケアマネもデイやショートに行き 様子は見ているらしいが それも問題の起きた時だろう。
母の事は 報告が上がっているものもあるようだが 特に支障がないのでデイで様子を見るくらいかな?
それも自分の事業所のデイ限定かな?
話していて そう感じた。

特に今 対処に困っている事はないし…。
だから 此方から「デイやショートから何か上がってきていますか?」と聞いてみた。「特に何もありません」との事だった。

実は 今 車椅子をレンタルしている。
介護保険を使ってレンタルしているのは車椅子のみ。
付随して背当てとずり落ち対策のクッションもレンタルしている。
でも それも殆ど使っていない。
使わなくとも間に合う。

車椅子は 外出用でレンタルしている。
それを デイでもショートでも室内で使っている。 
でもショート中には 不都合が出るらしい。ショートの時に質問を受けた。
「外出用にレンタルなので室内で使う事は想定していない。実際 家の中で車椅子を必要としていない。ショートのためにレンタルする必要がありますか?」と聞いてみた。
すると「いいえ」と言う返事だった。

でも 母のような状態の人は 施設側が言うようなものをレンタルしているのだろうかと少し気になった。
他者にあわせようなんて思わないけれど でも実際はどうなんだろう?

家でお世話になっている福祉用具の業者さんではないが「介護者も楽に介助出来るように用具を使ったほうがよい」と言われる。
確かにそうなんだけれど 今の母はこれで間に合っている。

最近 家に来た頃より介助が更に楽になっている。
母の力を借りることがうまくなってきたせいなのか?
それとも体重減なのか?
おそらく歩行がうまく行くようになってきている為と感じているのだが…。

不思議な事がある 母は ずりずりと歩行している時でもドアの所を通過する時には足を上げる。
ドアのところは敷居があるので段差がある。その場所に来ると条件反射のごとく足を上げる。
以前は「段があるからね」と言っていたが今は その必要性がなくなっている。つまり体感できると言うか 学習したかのように感じる。
力ずくでない介護のせいで 母は覚えたのかな?

「今だけ」という可能性も捨てきれないので 様子見なのだけれど…。

ケアマネさんとは デイやショート利用の確認だけで終了した。
悪くなっていないのだから いいんだけれど でももっと詳しく伝えて改善出来る点をお聞きすればよいのかなとも思う。

今朝 母のお粥さんのタイマーを入れ忘れてしまって 急遽パンに切り替えた。何とか間に合ってホッとした。
食欲も順調。
母は ヤッパリお腹いっぱいにになると笑顔になる。
笑顔にもいろいろの意味があるなぁとつくづく感じる。

夕方 トイレ誘導の時「いがね」と言った。
「いがね」とは「行かない」という意味である。
トイレ誘導を外出と勘違いしたのか?
この言葉のタイミングももう少し様子見しなければならないだろう。

夕食 いつもなら味噌汁だけれど 大根とかぶと玉葱をヒタヒタの水とバターで煮て 塩・胡椒で味付けしたスープにした。
これだとトロミ材を使わなくとも良い。
他にもジャガイモやさといものスープもトロミ材を使わないでも自然のトロミが出る。スープにパンを浸すのもトロミ材はいらない。
トロミ材を使えば 多少味が変化するので 出来れば使わない。
いずれ頼らなければならない時期も来るだろうけれど…その時までゆっくりのんびりで良いだろう。

今日も穏やかな表情で1日が過ぎた。
眠りも穏やかである。
南風が強くなって家の中も何となくざらざら。
明日は 掃除機かけようっと♪


2010年03月19日(金) 春眠…


 介護者の会のある日。
明日・明後日と母はデイのない日。
外出は お天気次第。
2日間 胃袋におさめる食材があるかを良く見て足りない物をメモして 午後の外出時に購入。

元気な者は さほど困りはしないが 母は なくてはならないものがあるので…。

家を出て 買い物を済ませて会へ出向く。
これまでは 会へ行った帰り道に購入して間に合ったが 今は 会の前に購入しておかないとデイの送りの時間に間に合わない。

前にも記したが デイから戻ると母はお腹ぺこぺこ。
先ずは バナナでお腹を満たし その後夕食となるのだ。
帰宅してずっと笑顔がなく反応も薄かった母に笑顔が戻ったのは 夕食後。
食べる事 出す事は介護の中では大事なことだとつくづく感じる。

今日は 眠いのでここまで。
春眠暁を覚えず…。
不眠で悩む方も多いが 布団にもぐればキューバタンの毎日。
これは 幸せなことといつも感じている。


2010年03月18日(木) 感謝 感謝!


デイに送り出す朝。
職員が「おはようございます。今日も笑顔でなによりですね」と。
「最近は 言葉も増え 手も良く伸びて 食事も全く問題なくて…以前のあれは 一体なんだったのでしょうね。みんなで 家族の力は偉大だって話しているのです」と言われた。
「施設の介護には限界があるということでしょう。ショートの時には 同じ事が起きますよ」
「そうですね。人員配置にも限界がありますからね」

この変化は 家族の力ではない。
週4回のデーサービス利用のおかげでもある。
1人で孤軍奮闘したとしてここまで出来たかどうか?

デイで 母に他所と違う特別なプログラムを組んでいる訳ではない。
デイの職員の対応もあるけれど まだお元気な方の会話や仕草も母には刺激になっていると思う。だから 人様のおかげでもある。
デイでは 職員や利用者さんの言葉のやり取りがある筈。
勿論 デイでは 母の状態を見ながら個に対応してくださってはいるので感謝しているのだけれど…。

門の前でそんなおしゃべりをしていると ゴミ回収車が廻ってきた。
ゴミは出していたのだが…。
回収のお兄ちゃん「オムツはないのですか?」と声を掛けてくださった。
「あります あります ありがとう 忘れていました♪」と急いで家に戻って無事廃棄できた。
よく 気が付いてくれたなぁ。
いつもオムツを出す時「回収くださる方 申し訳ない・ありがとう」と思っている
のだが ちゃんと覚えてくれていて 出てない事を気に掛けてくださっていることを知り とても嬉しくなった。

朝から とっても気分がいい。
良い変化が…と言われると 私は とても明るい気持ちになってくる。
支えの実感を感じた朝のひとこま。

母を送り出して 夕食の準備。
蕪のスープを作ったり 魚を焼いたり…。

それから 途中の買い物の時間もあるので ゆとりを持って会議のある場所へむかった。
あと3分で会場に着くところまで行ってから 昼食タイム。
入った店がまずかった。
ランチを頼んだら コースで出すお店だったのである。
昼食が予想以上にかかってしまって10分ほど遅刻してしまった。反省!

今日は 成年後見の話。
一昔前とは 様変わりしていることを知った。
また 成年後見人制度を使っての想わぬ利点も。
聞いておさらいと言う側面もあった。
介護者の立場でも 判りやすく 知りたい事をチョイスしてくださり 再度 学び返せた。

母の事はさておいて 今度は自分の事を考えなくてはならない時期になりつつある。

夜 友人から電話を貰った。
独り暮らしの親が認知症になり 今は遠距離介護中。
この遠距離介護が結構負担。
施設入所・呼び寄せ介護等も含めて今後の事を検討中ということだった。
当事者・家族に負担の少ない介護について あれこれと一緒に考えてみた。
選ぶのは当事者と友人である。
看取りのことも含めてどうやって介護していくかをざっくりと考えて置く事は 無駄にはならないと思う。
思った通りには出来なくても 大きく失望する事はないだろうと最近富に感じている。

そうそう 出先で桜の花をあちこちでみた。
早咲きのものだけれど…。
気が付けば もくれんの花も咲き始めていた。
普段 いかに季節のうつろいに目が行っていないかだなぁ。


2010年03月17日(水) 桜 菜の花 春の花


 今朝 トイレ誘導後 また寝入って 6時ちょっとすぎ「お腹空いた」と言う母の言葉が聞こえて驚いた。

「洗濯物干してくるからね」と一旦離れて 母の所に戻ったら「ごくろうさま」と言われた。

他にも ぽつんぽつんと言葉が出る出る。

役所の介護者の会に 車椅子を押して出て 久々にファミレスで昼食。
パンをスープに浸して ハンバーグランチ。
これで まだ外食も出来ると判った。

役所で介護仲間が母に挨拶してくださった。
すると手をあげて返事を返していた。
デイの休みの日だって 家族以外の方と接して貰えて母には良い刺激となっただろう。
介護者の会の後 反省会に出て遅くなった。
本当は 美容院にでかけようと思っていたのだが…取りやめた。

この所 桜のつぼみが緑を帯びてきた。
その事を日記に書いておこうと数日前から思っていたのだが いつも忘れていた。
それが 今日 早咲きの桜が満開だった。
また 畑には 菜の花が咲いていて 母と二人で春を満喫。
母も調子が良いので花をしっかり見て 深く頷いていた。

春の日差し・気温・日も長くなり 母を連れ出すのに良い季節となってきている。デイのお休みは お天気さえ良ければ 積極的に出てみようと思う。

家に戻った時 車椅子で段を上る時 お隣の方がお手伝いしてくれた。
1人でも出来るけれど 手助けはありがたくお借りする事にしようと思っている。


2010年03月16日(火) おぅ!言葉が出たよ!


昨夜 ぐっすり眠った母。
気になったのは 尿量が少ない。色も濃い。

起床時から せっせと水分摂取。
昨日 ショートのあれこれ書いたけれど 頼んだ事がきちんとできていた事もある。
ショート前 爪を切っておくのを忘れた。
ショートの間に延びて危険な状態になるほどではないけれど 普段ならきる時期だったので 出来たら爪きりを…とお願いした。
爪は 綺麗に切ってくださっていた。

朝は まだ 立位時の腰が重かったので その旨デイの連絡張に記しておいた。水分の事もお願いした。

母は元気にデイに出かけて 午前中は地域のサロン活動へ。
今日は 用があってお休みの人もいたけれど 新しい方も見えた。
持ち寄った手作りの食べ物も加えて みんなでワイワイ。

デイから帰った母。
送ってくれた運転手さんが「さよなら」と母に言ったら「さよ。。」と返してた。
これには びっくりしてしまった。
話しかけられたことに 的確な返しができている。
オウム返しの言葉だったとしても それすら出なくなっていたのだから…。
運転手さんも「確かに聞きましたよ♪」と言っていらした。

それより更に驚いたのは バナナを出した時「ありがとう」と言ったのである。
最近は 頭を下げる事で感謝の意志を表すだけだった。
でも今日は 言葉が出た。

在宅とデイの効果だろう。
デイの連絡張を読むと トイレ誘導完璧でパットが一度も濡れなかったようだった。これも努力して貰ってのことだろう。

昨日 就寝してから涎が多かった。
おそらく 夕食の摂取量が多すぎたようである。母も苦痛だったろう。
確かに昨日は ショート帰りということもあってあれこれと種類が多くしてしまった。ショートでも 充分摂取できているのだが 何となく好きな物を食べさせたいと言う想いが此方にあった。
今日の夕食は 昨日より少し控えめにした。
朝なら 多少多くなってもいいが 夜間は 良質の睡眠を得る為には 気持ち少なめの方が良さそうだ。

やはり 今日は 夜間の涎はない。
涎が多ければ それで咳き込む事もある。
食べ物の種類や量を調整できるのも在宅ゆえにできる事だろう。
別に量を控えても 消化の良い物で高カロリーの食品を使えば問題はないだろうと想像している。

食後 ちょこっとデザートを上げようとしたら 首を横に振った。
だから デザートは取りやめ。
食後 1時間半ほど経つと眠そうな目つき。

トイレ誘導して寝室に移動。
それから少し風船遊びをして 再度トイレ誘導してパジャマに着替えて就寝したのは9時少し前。
ベッドに横になったら 直ぐにzzzz。

今さっき トイレまで誘導。「小」排出。
直ぐまたzzz。

施設から在宅に戻した頃は 夜 キョトキョトして何時までも起きていたけれど 最近は ベッドに入ったら 直ぐに寝入る。
家にも慣れたということかな?


2010年03月15日(月) ソフト食


午前中 大急ぎで掃除機をかけて ちょこっと整理整頓。
母を迎えに行くまでに 家のことをしようと思っていたけれど デイの家族介護教室の参加者が少ないので…とSOS発信をキャッチして出かけることにした。
仲間も誘って…。

今日は ソフト食のレシピやメーカーさんを呼んでの教室だった。
行ってみて ピンチの時に使っているメーカーだった。
古くからある大手のメーカーではない。
私は 母に使えそうな食品はないかと探していて デパートで見つけて試しに使ってみて 母がにっこり笑顔を見せるので これはOKだろうと思い いつも冷凍庫に切らさないようにしている。
勿論 私も味を確かめ これくらいの味を好むのだなと味付けの物差しに使っている。

実は あれこれと大手メーカーの介護食を時折使ってみているが 母は喜ばないので 戴いたものが一向に減らない。
当然ながら 私も試食している。
これを使う出番がないのである。
つまり 副食やメーンのおかずは 家で作っているのでメーカーの介護食と重なってしまうことも使わない理由でもある。
家で作った方が 美味しいのは仕方がない。

今日のメーカーの一品しか使っていないが 実は これを黙って綺麗に盛り付けて一品にし 元夫に出しても介護食なんて思わないだろうという代物である。

現に 一緒に出かけた介護仲間も試食して「エッ」と吃驚してた。
そして 私と同じように自分達のおかずとして出しても 誰も介護食とは思わないねと言っていた。

介護の終えた高齢の仲間が「歯のメンテで食べられない時に使える。友達にも教えよう」って言っていたし 家族にも「介護の時には これ使って」って頼んでおくわとも言ってた。

一品だけで 他の物を購入しなかったのは これは食べてみないと判らないし家で作る物で間に合うと思っていたから。
だから今日は 他の物も試食できて良かった。
他の物で使ってみようと思ったのは白身魚のムース等数点。
でも 何れ嚥下がきつくなったら 使えると思っている。

母に使っているのは 豚の角煮のムース。
家でも作るけれど 母に食べさせたくとも少し不安があった。
母が食べ難い物は 硬く仕上がったから揚げやフライ等。
物に拠っては 食べられるけれど仕上げが荒いとやっぱり躊躇してしまう。
そんな時 お豆腐と角煮のムースにすると結構たんぱく質の所定の量を補える。それも 全て仕上がって「今日は 無理かな」と思った時 レンジでチンして一分で食卓に運べるのである。
毎日使う訳じゃないから…。

実は これを外出時にも使えるのではないかと密かに考えているのだ。
元気な者は 何でも食べられるけれど母はそうは行かないので 食事の時間を挟む外出は 最近出来る限り外すようにしているのである。

ショートのお迎えがあるので 教室が終了しないうちに会場を出る事になったので メーカーさんにご挨拶。
おそらく介護のイヴェントにお誘いしてみる事になるだろう。
メーカーさんも乗り気。やったぁ!

母を迎えに行ったら 今日は拘束してなかった。
今回は 拘束なしで様子をみて何事も起きなかったそうだ。
良かった良かった。

それで また 新たなことを聞かれた。
昨日 3人介助でも大変だったというのである。

私は 毎日1人で介助しており 夜間だって立位でトイレ誘導しており特に大きな問題になった事はない。
人の手を借りたくなるのは 入浴の時だが それでも何とか出来ている。
デイでも 両手引きで歩行で大変だったという話は聞いていない。
と 伝えた。
ただ お世話をかけた事には違いはないので 家やデイの様子を客観的に伝えて それでも大勢の方を見ておいでなので 取り組めない事が生じるのは仕方ないですねと伝え ショートでも同様に…なんて言いませんから…と。
他にも何点か言われたが 在宅やデイでは起きないけれど施設では起きると
入所していた施設の様子も伝えた。

デイ利用していることで 介護している素人の家族だけの話に終わらないで住むので ちょっと強みになる。
また 施設ではどうだったかも判るので 非難というか腹が立つということもない。母は ちょっと可哀想だけれど…。ほんの数日だし…。
命に関わる事でもないし…。
でも この施設に…とも思わないけれど…。

費用負担が高めでも安心して託すところがベストと聞くけれど…。
何処まで出来るか…。
先日 生活困難者だとデイにきている時だけ 1日1回の食事の保障がありデイも毎日と言えない世帯が現実にあると現場の人から聞いたばかり。

結局 こういう方が在宅で暮らせなくなった時 受け容れてくれる施設は少ないのだ。さりとて 放置する事も出来ない役所は入れる場所を探す。
今回のグループホーム火災の入所者の中にもそういう方もいた筈。
介護負担を払いきれる人はいいのだが それが出来ない人は存在する。
費用のない人は 高い利用料の支払いは無理。

確かに施設の落ち度は明白だけれど 日中・夜間共の人員配置を考えると
難しいだろう事も 想像できる。
厚労症の人員配置を守っていても 尚無理があるだろう事も想像できる。

人の命を守るために 認知症の人が安心して 活き活き暮らせるために何が必要なのかをもっと考えて欲しい。
施設を責めるだけでは 改善の道は開かないと個人的には思っている。

これで 設置基準がまた厳しくなって それが出来なければ建設を許可しないとなったら 家で孤独に亡くなってしまう人も増えそうな気がするのだ。

もっと言いたい事はあるけれど 今日はここまで。
母のトイレ誘導も済んだので そろそろ私も…。


2010年03月14日(日) 今日もまた…


午前中 町内会の招集がかかっていたので参加。
今年度の任期は あと半月ほどであるが 初の集まりである。
20年度の会計決算報告の監査の報告が 書面もない略式で報告を受けて承認。
結局 町内会の当番と言っても 総会も持たず一年が過ぎてしまいそう。

「町内会は不要じゃないの」と言う声も飛び出した。
停滞して何事も起きなかったのだからそれはそれで良かった。
でも無くなってよいかというとそうでもないだろう。

私は 用があるので1時間という予定時間が過ぎる時に退席させて頂いた。
召集がかかる前から予定されていたことがあるので 仕方ない。

今日は 昨日と違う隣街に出かけた。
昨日は 電車とバスを使っての移動だが 今日はバスでも移動できる場所。

予定された時間をオーバーして あれこれとおしゃべりとなった。
お互いに率直なお話が出来たと思う。

自分の住んでいない地域に出かけると 認知症に対する行政の姿勢の違いが見える。長短それぞれ。
でも 何とかしたいという地域に住んでいる方の想いは 熱い。
そういう想いを持ってくださる方が増える事は嬉しい。

認知症サポーター養成講座を受けて オレンジリングを手にしてもそれを身に着けている人はどのくらいいるんだろう。
認知症当事者と共に外出して 自分のトイレの用だったりすると個室にすら安心して入れない。異性の当事者だと更に困る。
オレンジリングを身につけている人がいたなら ちょこっとお願いできるではないか。そんなことも 一般の方にお願いした。

介護者も発信していかないと…理解は深まっていかないような気がしてならない。

帰り道 親しくさせて頂いている 自分の地域の専門職の方とティータイム。
地域の施設の状況についてあれこれ話した。

家に戻ったら 町内会の話合いの結果がポストに入っていた。
今月末に 再召集がかかっているようだった。
その日のために母のショートを取るには難しいだろうし…。
たまたま 娘から電話が入り その日の都合を聞いたら見守りOKということで出席できることになった。

無理をして任務を遂行しようなんて考えてもいない。
私1人欠けても どうってことないと思う。
でも ちょっと気になる事があり それをフォローをしておきたいと思っているから…。


2010年03月13日(土) 隣の街で…


今日は 隣の街に行って介護者の方と出会ってきた。
この街には 介護者の会は自主的に運営されている会がないと言う事だった。

前回 医師が認知症のお話をしてくださったのだ。
おさらいの意味で 前回の中核症状と周辺症状の事判別できるようになりましたか?とお聞きしたら皆さん「?」
特別区別できたから偉いなんてものではないけれど 知っておくと言う事は大事だと思う。
そこで あれこれ具体例を挙げて説明したら 皆さん実際に経験しており それなら判ると話しておられた。

さて その隣の街の方から うちの街に住む友人が どうも認知症みたいで非常に気になっているので何とかできないだろうかと相談を受けた。
優しいその方の心配を 何とかして差し上げられるように 今 地域包括支援センターの手を借りて動いてみる。
勿論 プライベーとなことなのでそこには充分配慮して…。



2010年03月12日(金) ショートステイへ


昨夜は ちょっと気が緩んでいた。
だから 明けがたの母の様子に目覚めなかった。

6時少し前 ベッドをみるとかけ布団を半分剥いでいた。
半分眠っている状態で 布団を直したが「そうじゃないだろう」と自分に話しかけた。

寝返りは打てないけれど 手は動かせる。
動くと言う事は 排泄。

直ぐにトイレ誘導した。
パットがぐっしょりだった。夜間 ここまでの量が出る事は滅多にない。
気持ち悪かった事だろう。

そういえば デイで日中排尿がなかったので 水分補給をかなり多めにしたと言っていた。

母が 夜間眠れないほどだとそれも困るのだな。

今日から 母はショートステイ。
デイの送迎よりはゆっくりめにショートのお迎えがくる。
のんびりと身支度を整え 朝食を摂って トイレ誘導して5分前に玄関へと移動し迎えを待った。
車の音がしたので ドアを開けて 車椅子移動。
同じ車に乗り込んで ショートの手続きを済ませて 1人家に戻る。

帰り道で近所の介護仲間とぱったり出会う。
聞けば 同じ施設でショート中とのこと。
気が合うというか 結構ショートでのバッティングする。
同じ施設なので 状況が見える。
そこで あれこれ話した。
気になっているのだが…。
いつ どういうタイミングで言い出すかってことだ。

私もその方もオブラートに包んで伝えてはいる。
それが どの程度現場に還元されているのか…。
そういうことが話の種。
仲間の方は 家より深刻だ。
家族も訪看も往診の医師もちゃんと気が付いているんだよね。

きっと拾い上げれば もっと集まるだろう。
昨日 事業所の方と用があって話したが…その時「ケアマネの意識がある人はどんどんレベルアップして行く。だから ケアマネの差が広がっていくんだよね」って言っていた。
本来 ショートのことは ケアマネにも伝えるべきなのだが…同じ事業所だと…。

今回は 施設の相談員さんが 拘束は出来る限り排除する方向で…と言ってくれた。その時言われたことは「環境が変わると 状況にも影響しますから」と言われた。
それも間違っていない。けど 環境だけなのかなぁ。
でも在宅に戻って 家という環境に変わった。デイサービスも新規に変わった。でも車椅子に拘束なんてないし 転倒もない。
それは何故?
母には悪いけれど「人手のこともあるでしょうから…難しいと思ったら そちらの判断にお任せしますよ」とだけ伝えた。

夜は 会議。
6月のイヴェントの会議である。
遅れていた骨組みがようやく出来 みんなほっとした。
今年は 実行委員の数がいつもの半分以下。
イヴェントもシンプルになった。
でも これまであれもこれもと盛りだくさん過ぎた。
目玉に掛ける費用もたっぷりとなって 集客率もきっとたかまると踏んでいる。それに 他との連携・コラボでいろいろな作業も削減できそうな気配。

まだ 途中だからなんとも言えないけれど…。
母のショート中には こんな具合で過ぎて行く…。


2010年03月11日(木) いつものパターンに。


昨夜は 幾度もトイレタイム。
私が寝入ったのは 午前3時の時報を聞いてから それから2時間半位はぐっすりだったので 母が何時呼んでいたのか判らない。
5時半 トイレ誘導してパットを替えて少しの「小」。
起床は7時10分前 その時もトイレ誘導。パットを替えて音を立てて「小」。
昨夜は何となく温かに思えて 早目に暖房を切ったので寒かったのかなぁ。

デイに出かける時は「行ってきます」風に目を合わせて 頷いて 送迎バスに乗り込んで行った。

午後予定があると勘違いして パタパタと動き回って確認の電話を入れたら「今日じゃなくて。。」と言われた。
カレンダーをみると確かに 空白。
何を間違えたかというと 気持ちは来週になっていたのだ。
「時間がない」「時間がない」と焦っていると とんでもない過ちを起こす。 いや そろそろ脳細胞を活性化させないと危ないかも。

予定がないと判った途端に気が緩んだ。
でも良く考えれば 母の手当てに必要な物が使い切りそうだった事を思いだして メモを取って買い物へ出た。
ついで美容院に立ち寄った。
ドアを開けるとオーナーが目の前にいた。
ちょっと吃驚した表情だった。
昨年のクリスマス依頼だそうだ。
シャンプーしてドライヤーを当てオイルで広がる髪の毛を落ち着かせて お化粧もして出たのだけれど 生憎の風でとんでもないことになっていたようだ。

カットして貰って ドライヤーを当てる前にシュッシュッとなにやらスプレーを吹き付けられた。
「それは なんですか?」と聞くと「オイルでつやだしみたいなもの」と言う。
「何もつけないのですか?」と聞かれて「いや ちゃんとつけて出てきたのだけれど…」と苦笑いしてしまった。
考えれば どんどん自分に構わなくなってきているようで…恥ずかしい事だわ。

帰路 買い物してとっとこ家に戻って母を迎えた。
送りの職員が 「今日は排尿ありませんでした」と言われて一瞬ぎょっとした。
朝 400cc近い量の水分を食事以外にとっているのだ。
「昨夜 かなりの量が出たせいかしら?」と応えたら「それなら心配ないですね」と言われたけれど でも内心は「何か起きているのか」と不安になった。

トイレサインもあり直ぐにトイレ誘導。
以前にもこのデイで同じ事言われたことあったな。その時は トレーニングパンツとパットが凄く重かったな。

やっぱり 以前同様 パンツもパットもそれぞれずっしり。
2回あったとしても少量ではない。
その上「小」も排出できてホッとした。
パットから溢れたものではないので 気が付かなかったのだろう。
それにしても 座っているとは言っても気持ち悪かった事だろう。

夕食前にバナナを一本。
するとニコニコ笑顔が戻ってきた。
夕食も冗談交じりの顔を見せてくれた。
寝室に移って 母は椅子でテレビを見て 傍らで洗濯物を畳む。
そのうちに こっくりこっくり始めた母。

再度トイレ誘導し「小」排出後パジャマに着替えてベッドへ。
程なくzzzz。
今日も寝入るのが早かったな。八時チョイ過ぎた頃だった。

今さっき トイレ誘導。
眠っている風でも身体を起こすとしゃきっと目覚める。
トイレまで ゆっくり移動して お見事!「小」排出。

これが いつものパターンである。
良かった。良かった。

次の作業もボチボチと…。


2010年03月10日(水) やっと仕上がったわ♪


デイのない1日。
午前中 入浴介助で洗髪。
午後 訪問リハビリ。
療法士さん 能力測定する機材を持ってきてくれたが 母は指示通リに動く事は無理で断念。
介護についてあれこれ話された。
数年前に亡くなったお母様だが 若し生きていて介護する身だったら 自分はどうしているだろうと考えられた様子だった。

できる事は 人それぞれ異なる。
様々な介護の形態があって当たり前だし…どれが1番なんてこともないだろう。

今さっき 依頼された事を仕上がった。
やっぱり デイのお休みには 母から目が離せないので 作業は無理だな。
ふぁ 明日も早いし…。

母が就寝してから 3度トイレ誘導。
尿意を感じると身体を動かすのでトイレ誘導できる。
寝返りは出来ないので ベッドから落ちる事はないけれど…。

 


2010年03月09日(火) 外は…雪


昨晩は 咳も出ず熱も上がらず 今朝 食欲もあり元気。
連絡帳には 入浴希望するが 判断はそちらに任せると記入しデイに送り出した。今日は 3月生まれの誕生会の予定。

デイから戻った母の連絡帳をみると 薬服用しているので入浴中止にしましたと記してあった。
それはそれで致し方ない。私が職員でもそういう対処をすると思う。

ただ さすがに母頭が痒そう。
久々に 頭をぼりぼりとかく母だった。
明日は デイがお休みなので家で何とかしよう。
昨日は 通院だったのでさすがにできなかったけれど 明日は デイがお休みなので家で何とかしよう。

今月末で94歳になる母。
90歳になった時から 誕生日を迎えるたびに「すごいな」と思う。

夫も娘も同様である。
音信のない弟達だって きっと同じ想いがあるだろう。
母は父より先に亡くなるとみんな思っていた筈。
入退院を繰り返し 虚弱体質だったのだから。

虚弱体質の母は 人一倍健康を気遣い 長生きできているのだろう。
そして何より 食べる事が好き。
そして「頑張る」

母に1日に数回は「頑張って偉いね」と伝える。
すると母は深く頷く。
母も頑張っているという意識があると思うのだ。
健康な者からは さしたる努力もないように感じるが母にしてみれば 娘の課題はきついに違いない。
それでも踏ん張ってくれている。
それだけでもありがたい。

薬を服用しているので 食後とても眠そう。
一時間は踏ん張って貰い トイレ誘導で「大」「小」排出し 暫くテレビをみて 8時前にはzzz。

その後またトイレ誘導「小」排出。
直ぐにzzz。

そろそろ最終のトイレ誘導の時間。
こちらも昨日の1日母につきあったので 依頼されている作業が遅れているのでもう少し踏ん張らねばならない。

外は 雪で真っ白。
暖房を入れていても背中が寒いと感じる。
明日の朝 障子を開けた時の母の顔をみるのが楽しみであるが 耳を澄ませば 雨音になっているような気もする。
さて どうなりますか?




2010年03月08日(月) 通院後も元気


昨夜 母は咳1つなしで ぐっすり眠っていた。
だが やはり痰の絡んだ咳が気になっていた。
起き抜けに検温しても熱はなく 動きも悪くないし食欲もあった。

薬は必要最小限と考えていても やはり変化を乗り切るには93歳という年齢がひっかかるのだ。
悪くなるのは急激で 治った時はレベルダウンは母にも私にも辛い。

そしてデイにお休みを伝えて 通院。
通常の検診とやけどの治療と風邪の診察。

行きも帰りもタクシー利用。
お天気も曇り空ながら 雨風がなくて良かった。

家に戻った時 母はよほどお腹が空いていたのだろう ものすごい速さで食べた。介助するのに ちょっと待ってねと一息つきながらゆっくりペースを守った。

薬を服用しているので日中もボーッとしている。
でも話しかけるとしゃんとして返事する。

風船で遊んだり 手遊びをしたり…1日過した。
明日は デイサービスに送り出そうと思っている。

もう少し書き足したいこともあるが 今日はココまで。


2010年03月07日(日) 不安と安心の間

 明けがた 幾度か咳き込んでた母。
疑念は 誤嚥性肺炎。
食べている時噎せはない。食後も噎せはない。
と順繰りに検証してみる。
熱はなし。

起床してから 様子を見た。
食欲あり。噎せないし。笑顔多い。
夫が母に面白い顔をして見せたら ケラケラと笑い出し止まらないほど。
検温も特に変わりなし。
咳も出なかった。

が 夕食の少し前 咳が出た。
元気だけれど 念のため検温。
7度。う〜ん 微妙。
夕食直前に検温。
7度2分。
咳をした後 痰が絡んで咳払いで痰を切っていた。
「お 痰を切れるんだ」と思った。
おそらく誤嚥ではなく風邪だろう。
私の風邪がうつったな。

夕食後風邪薬を服用して貰った。

「待てよ。明日予定が入っているぞ。デイも確か外出予定だったな。具合によっては デイに出せないこともあるかもしれない」
「週末には ショート予定。 ショート中に2つ依頼されている事がある。相手に迷惑は掛けられない」
慌てて 仲間に「明日 動きが取れないかも…」とメールを送った。
明日の予定も 急ぎで日程調整して決めたものだから動かす事は無理だろう。幸い 同行する仲間が2名いるので 1人抜けても何とかなる。

薬を服用したこともあって母は いつもより気持ち早めに就寝。
ついさっき トイレ誘導。
ばっちりタイミングがあって多量の「小」を排出できた。
トイレへは ちゃんと歩いて行き戻ったのにベッドに戻るやまた爆睡。

さてと 明日どうなるかなぁ。
デイの行事は不参加も出来る。


2010年03月06日(土) 春が来る?


今日は啓蟄。
昨日 お隣のサロンに出かけて行く道で ヨトウ虫が一匹 アスファルトの上でころころしてたのを見つけた。
「わっ もう啓蟄になるんじゃないかな。庭の手入れしなくちゃ」と思った。家に戻ってカレンダーをみて「やっぱりそうか」と。
でも いくら啓蟄と言っても ヨトウ虫が出るって 少し早くないか?
昨日は とてもあったかだったせいだろうか?

母は 昔から24節季で季節の話をしていた。
でも愚かな娘は「ふうん」と軽く聞き流していたなぁ。

今日・明日はデイもなく家で過す。
雨降りなので外出もなく のんびりのんびりとした1日。
今日から冷えるという予想だったが 冷え込みは酷くなくて 暖房も弱で充分だった。

午後歯科に通う娘が立ち寄り一緒に昼食。

今日は ご近所さんがピンポンと見えた。
高齢者世帯で連れ合いが認知症で介護人が癌。
時折お手紙をポストに入れて行く方。
数日前も「再来月 入院予定。ショート先で認知症対応のまずさが見られたので ショート先を替える」というお便りを頂いた。
介護人の病のこと そしてショートのことに触れたお返事を差し上げたばかり。昨日 ご近所さんと立ち話していたので会釈だけして家に戻ったのだが…。
今日見えたのは「病気のことを詳しく話していなくて はなさんなら信頼できると思って伝えているのです」ということを伝えに見えたようだった。
つまりは「周囲には黙っていろ」という事だろう。
娘が「何処かで漏れたら 言いふらしたって言われるんじゃない」と。
ま そういうこともあるのかもしれない。
でもそんなに疑心暗鬼にならなくともいいかなと思う。
自分が誰にも言わなければ それでよい事だ。

その後 またピンポン。
出てみると町内会の会長さんのご家族だった。
この一年 全く動かなかった町内会。
14日に召集がかかった。
ようやく動き出す気配だ。
先日 極秘に相談し出た結果と同じ行程だ。
これから 動こうと思っていたので これは相談先の人が一手先に調整してくれたのだと思う。
そうでなければ 最近ご家族との接触のある方が一計を案じてくれたのかな?ことを荒立てないでうまく移行できるならそれが1番良いと思う。
町内会にも春が来るかな?


2010年03月05日(金) 居眠りがなくなったのは 何故?


明けがたトイレ誘導してからまたしっかり眠った母。
夫が仕事に出た後 ゆっくりと起こした。
深い眠りだったようで とんとんしても目覚めず ベッドに横になった状態で足を床に下ろし上履きを履かせてから状態を起こした。
するとパッと目を開いてにっこり。

それから上衣を着替えてからトイレ誘導。
ここで腰からしっかり洗い流す。ベビー石鹸を薄めた液体で洗い その後お湯で流す。乾いたタオルでそうっと拭いて終了。
一連のことをしているうちに母は更に覚醒していく。
そこでズボンの着替え。

家に戻った頃は トイレ誘導後ベッドの上でだったが 母も私も大分慣れてきたのでベッド上でなくとも出来るようになった。

今日は「大」も排出。気分もすっきりしたように見える。
デイに行って我慢しないで済むだろうから。
下痢だったらそんなことも言っていられないけれど…。

それから テーブルについて洗面・整髪し朝食介助。
にこにこ笑顔で食欲もあった。
が「大」の手当てが少し時間がかかり 水分予定量に少し不足気味。
連絡帳にその旨を記して 水分摂取多少多めに…とお願いのお便りを追記した。

今日は 4回利用するデイで1番ゆっくりの送迎時間なので 起床が多少遅れても慌てずに済む。
他の日は 8時台の迎えである。

隣の町内のサロンに招かれているので出向いた。
季節でお雛様を飾り サロンの時に作ったつるし雛も飾られているという。
このサロン 持ち主が亡くなり地域に家を丸ごと提供してくださったそうだ。
その管理を地域の方がしており そこでサロンも実施しているそうだ。

そこで隣同士のサロン交流の提案を受けた。
こちらもお互いの境界にあるグループホームの方をサロンに呼んでみないかと提案。グループホームの入所者の地域交流が出来れば 病に対する理解も広がるのではないかと思ってのこと。
幸いお隣の地域にはグループホームのオーナーさんと介護士さんが住んでおいでのようなのだ。
此方は 施設長と知り合いで提案しやすい環境にある。
具体的には サロン参加者の方とよく相談してみての事だが…。

その後サロンの登録と今年分の報告書を社会福祉協議会に運んだ。
サロン活動での私の役目は こうした書類の提出の部分である。
みんなでできる事を少しずつで 役割分担してのサロン活動である。

デイから母が戻った。
眠そうな顔をしていたが今日も眠らなかったそうだ。
「ほんとに不思議ですねぇ」と職員が話してた。

毎日毎日 居眠りを決め込んでいた日がなかったように思えてくる。
食事中だって こっくりこっくりしてしまい 覚醒させるのにあれこれ工夫してたのになぁ。

刺激のある日々だからろうか?
施設と比べるとベッドで眠っている時間は 数時間少ない筈なのだ。
ただ 実際の睡眠時間は きっと同じなのではないかと想像しているのだ。
自力でできない事は施設と変わりない。
違う事は 話掛けられる回数やひとりぼっちの時間は 大幅に減っていることだろうと思う。
支える人の存在は 気力を取り戻せる力となってるのではないだろうか?
認知症暦20年近い母であっても支えは重要なことなんだろう。

ちょっと今 夜間のトイレ誘導。
「小」の後 今日2回目の「大」
ゆるめではないので 心配ない。
下剤等使っていないが…お野菜多かったかな?
詰まってしまうよりもよい。
下痢と違って腹痛も無いようだし…。


2010年03月04日(木) 味 判るんだね

気温が上がったり下がったりの日々。
母のデイサービスへ出かける服の加減が忙しい。
デイサービスは 空調で温かくなっているので薄着でも良いのだろう。
でも 自分で脱ぎ着出来ないので ほどよい服装にしてあげないと…。

この所 デイに行く時見送る私に「行ってきます」という風に手を上げ 目でも挨拶する母。今日は 帰宅のバスから降りたとき「ただいま」という視線。言葉は出ないが ある程度判っているみたい。

母がデイに出かけてから 通院。
ちょこっと風邪の症状あり。
インフルエンザではないことは確信できるけれど こじらせるとダイレクトに母に移ってしまうので先手を打つ事にした。
母が家にいなかったら 通院しないで直す所だが…。

買い物を済ませて家に戻る。
母がデイから戻り いつも通りバナナを1本。
今日は 自力で食べる事はなかった。

夕食に鰊の塩焼き。
今年は 鰊が豊漁と聞いている。
細い骨を取り除いて食べさせたのだが 少し残っていたようで自力で口の中
から骨を選別して出していた。
鰊を口にすると笑顔が出る。
味 まだ判っているんだね。

夕食後 テーブルを挟んで ちょこちょこ作業しているうちに母こっくりこっくり。
7時ちょっと過ぎたばかり…でも眠そうなので トイレ誘導してパジャマに着替えてお布団に入ってもらった。
直ぐにzzzz。
様子をみに行ってみるが ぐっすり眠っている。


2010年03月03日(水) 今 思えば…


 介護仲間と話す時「今思えば…」という話になることがある。
それは「あの時医師から聴いた言葉は そういうことだったのだな」とか。
「あの時 目を離さずにいたら…」とか。
「あの時 熱が出ていたのは きっとこうだったんだな」

昨日 ご家族を見送られた方のお話。
1度救急搬送した病院で 医師が病状の説明をしてくださり 翌日には別の病院へ転院。そこでも 長くはいられず 次の病院へ。

医師は 何処でもきちんと病状を適切に説明してくれたが 聞いているつもりでもきちんと受け止め切れなかったようだ。
今になって思えば 最初の病院で「いのち そう長くないですよ」と伝えたかったのだなと思えるそうだ。

その次の医師も同じ。
そして最期の病院で終末を迎える訳だが そこの医師は丁寧に当事者や家族に接してくださり 思う通りの医療の選択が出来たということだった。

命の火が消えそうな時 家族は深く悩む。
在宅で看取った仲間は 今でもあの時のことを思い出すと話される。
人の命を預かるという事は 本当に重たい事だ。

いろいろの説明を受けても受け止め切れないことが多いだろうと思う。
「今思えば…」と振り返って思い出せるということは 医師の説明も誠意あるものだったのだろうと想像できた。

介護仲間のお話は その人の心の整理する意味もあったと思うし 聞いていた仲間もそれぞれ受け止められたようだ。

さて 今日は 1日母と過ごした。
熱はないけれど 何となく風邪気味の様子なので家でゆっくり過した。
おかげで 夕食の五目散らしの支度も順調に進んだ。
母の夕食もお粥さんながら 当然五目散らし。
菜花のみどり 薄焼き卵の黄色 さくらでんぶを上に飾ってテーブルに載せたら「うわぁ」と感激の声が聴こえた。
朝から「今日は お節句。ひな祭り」と幾度も伝えていたが 最期の一声。
「お節句よ。おひな祭りよ」と母に伝えた。
ゆっくり頷いていた。
パクリパクリとよく食べてくれたわ♪

そうそう 今日は トイレ誘導空振りなしでトイレで用を足せた。
最近タイミングが合わなくて…母にはかわいそうだったけれど 今日は喜んで貰えたのではないかな?



 


2010年03月02日(火) 介護者の会


介護者の会の日である。
洗濯はしたものの すっきりしない毎日でもう干す所も…。
結局 干さないで明日また洗濯しなおすことにした。

風邪をひいているから会を休みますと電話が入った。
いずれもおそらくデイ利用の折に感染して 家族が貰ってしまったらしい。
熱こそ出ないというけれど風邪声で苦しそうだった。
介護負担が重い方なので なんともお気の毒。

高齢者世帯の方たちである。
悪循環だなぁ。

仲間が新聞の切抜きを持ってきてくださった。
介護保険も税控除ありという2月13日の朝日新聞の切抜きだった。
すっかり見落としてしまっている。
おそらく 纏め読みしていた時期だ。
来年度は しっかりメモを残しておこうと思う。
全て税理士さんにお任せで ちょっと良くないかも。

母は デイサービスに出かけた。
帰宅後も特別変わりなく過す。
きょうも食事して1時間経過した頃から眠そうな表情。
注意力欠如の自覚があるので 介助の時には充分注意するように意識している。

親を見送られた方が医療の事について貴重な想いを聞かせてくださった。
明日の日記で触れてみようと思う。


2010年03月01日(月) 風船あそび


 朝 デイの迎えの職員が「最近言葉が多くなりましたね」と言われた。
「そうですね」とこたえながら 母と握手したら母泣き出した。
「お風呂に入ると『おかちゃん』って…」と言われたので「泣きながらですね」というと職員は 笑いながら「やんだぁ」とか「先日は 足にシャワーをした途端『なにすんだぁ』って」
あ〜 よくひとつひとつ母の言葉を拾って記憶していてくれんだなぁと嬉しくなった。この言葉は 家でもたまに口にするのでその場面を想像できた。

母を送った後 ふらっと外出。
母を迎え 利用者さんの訪問もあって私用の時間が減っていた。
今日は 久々にフリーで出かけた。
モノレールに乗って…。
何の目的もない外出 
何かに行き詰ってしまった訳でもない。
たまには こんな日もあっていいではないか。

デイの帰宅時間に余裕を持って帰った。
送りのデイの職員から「大」排出があったが 綺麗に始末できていないかもしれないのでよく見てくださいと伝言を受けた。

直ぐにトイレ誘導し 残りの「大」排出。
夕食前までの時間 テーブルにバナナを皿に載せて置いてみた。
一口目は 口に運んであげたが その場を離れたら 母は手を伸ばして食べていた。この間は 一口だったが 今日は半分は自分で食べた。
半分食べて食べ零していた物もあった。
母の視線 目の前はなかなか目に入らないようである。

その後夕食。
順調に食べ終えて 食後風船で遊んだ。
心もとないが キャッチできた。
風船遊びは 15分ほど続いた。
キャッチしきれない時は「しまった」という表情はない。
だから どの程度意識できているかは判らないが それでも反射的に受け止めようとするようだ。
こちらは「やった やった」と喜ぶものだから母も嬉しそうな表情だった。

だんだん眠くなってきたようで 部屋を移動してトイレに立ち寄り着替えて就寝。直ぐにzzzz。

母の眠った後 戴いたメールに返信。
その中には 介護仲間からの命の火が消えたと言うメールもあった。
親の介護中だった。
余命いくばくもないと聞いたのは 昨年の暮れだった。


はな |MAILHomePage

My追加