母のタイムスリップ日記
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2009年05月31日(日) やれやれ♪


何時も通りの1日の筈だった。
でも朝方 ふっと衣類の買い足ししたいなとふと思った。
1日1日の時間が細切れ状態で 衣類の買い物をしていない。
今着用しているものは 娘が気に掛けて購入してくれたり下げてくれたりしたものが殆どで数年着用している。
夫の物も間に合わせ的になってしまっている。
「今日は ちょっと買い物に出かける」と夫に宣言し 夫の服のサイズや母に必要なもの自分に必要なものをメモしていった。
が どうも体調が…。
それなら 買い物はやめて母の所に行こうと思ったが万が一細菌性のものだったらよくないと思い留まった。
トイレに通うこと通うこと…。お腹がペッタンコになってしまった。
「用事が出来たので面会には行けませんのでよろしくお願いします」と施設に電話した。
「施設長が居眠りばっかりで ふたり掛りで介助しています」との言葉を聴いて困ったなと思った。
「ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします」と受話器を置いたが 今度はソファーに座って居眠り姿を想像し 不安が過ぎる。
「いいのか!」と自虐的な自問自答。
介護者なら 思い当たる方も多いだろう。

それでも 万が一を思い 家に留まった。
家から出ない覚悟を決めたら やるべきことは山のようにある。
抜き差しならない状態の依頼されてることを仕上げることにした。
毎日 少しずつ纏めていたのだが 全体の流れが 繋がらなくて苦戦していた。締め切りも近くなっているのだ。
家に篭ってパソコンの前で1日過した。
削っては足して 移動させての繰り返しで粗方の所は仕上がった。
これが手書きだったら…書いたり消したり消しゴムのかすが山の用に出来たことだろう。素人仕事なので致し方ない。

衣類の買い足しは出来なかったけれど 気になっていた作業の目安がついて肩の荷が下りた。
何より 調子の悪さは一過性だったようで人心地つけるようになったのでやれやれと言った所である。
明日からは 6月だなぁ〜。もう既に入梅しているんじゃないのかな?


2009年05月30日(土) 元気を貰った


「ありがとう♪」「頑張っていますね♪」「偉いですね♪」

母が言葉を発することが激減した頃から こちらの気持ちを短い言葉で伝えたいと思い この三つの言葉を意識して使うようになった。

時折 お元気な方にも伝える時があるが…。
今日 ベットで過されている方で 母よりももっと重症期に入っておられる方の耳元で囁いた。
同時に 指から手首と順繰りに撫でて差し上げた。
すると だんだんに表情が緩み固まっている指が開いて力が抜けていった。力ずくで開こうとしても開くものではない状態。
ほんの5分ほどの時間だけれど その変化を見せて頂き嬉しかった。
言葉を発することもないのだが でも「話したい事があったらお話してね。ちゃんと判るからね」と伝えさせて貰った。
一瞬 口角がキュッとあがった。視線もしっかりこちらに向けて…。
「伝わっている!!」
スキンシップと視線を合わせることと話しかける事はどういう状態でも大事なんだなぁ〜。
母の面会の合間の短い時間だけれど…教えられる事が多い。
本当に感謝である。

母の所には 昼食に少し遅れて到着。
もう目線で追ってきた。
職員は 母ともう1人の方の2人を介助なさっている。
バトンタッチして母の介助に入った。
今日はスローペースだが ゆっくりと噛んで居眠りはなかった。
笑顔も見せ 話しかければ頷いて返事してくれた。
食事は80分くらいで全量摂取。お茶を飲むのに手間取ったが それでも水分も含めて全量摂取できた。

それから 家から持参した黒糖生姜を作った。
昨日はペットボトルに入れて職員に託したが 冷蔵庫に手付かずで残っていた。
それは 廃棄して 保温ポットにお湯を入れて持ってきたのでそれで作ったのだ。勿論 とろみ剤も持参。
母はおいしそうに飲み始め 自力でコップを持って飲み始めた。
お茶には拒否が多かったが こちらは積極的に飲んでくれた。

その後 トイレ誘導。
「小」を排出している時に 職員がトイレ介助に見えたのでバトンタッチ。おそらく「大」が出ると感じたのだが 職員には そこまで察知できない。
ふき取りで始めて気がつかれた。
こういう時 家族はじっと待っていられるが 職員は手当ての時間が決まっている。
「後は任せてください」とお願いして こちらで対応。
職員は お部屋の掃除をしたり 時折様子を見に来てくれたが 時間内に終わるものではないので「終わったら知らせる」ことにした。

ガスも出てほそ〜い形状なのでどうも腹痛を伴い始めた様子だったのでお腹にアロマオイルを塗った。
30分以上の時間をトイレで過してしまったが 全て排出できたようだった。母との面会は 最近トイレ誘導と食事介助が主体となってしまっている。何だかねぇ〜。

おやつの時間となって 黒糖生姜湯と持参した和菓子を食べて貰った。施設のおやつは 他の方に分けて差し上げた。
食事の時には 歯でがっちりガードされるのがしばしばなのだが 和菓子は 即通過を許してもらえる。
次に 運んでみても同様。
本能なんだろうなぁ〜。
本能を見せてくれるだけでも 家族は嬉しい。

今日もたっぷりと心を洗って貰った。
身体に疲労感は溜まるのだが…それでも 安心した表情と笑顔に救われる日々である。


2009年05月29日(金) 地域作りのシンポジューム


 午前中は 母の所に出かけた。
ソファーで眠っていたが 声を掛けるとぼんやりと私を見つめていた。
こういう時は「誰やったかな?」と言う感じ。
「知っている人だなぁ〜」って感じでもある。
はっきりとするのは 立位の体制に入る時 きっと特徴を覚えているのだろうと思う。感覚で呼び起こされるものがあるように感じている。

歩き出せば 笑顔も見えてくる。
トイレ誘導が始まるとちゃんと思い出すようで…。「そうだ。判ってくれている」と言う表情が読み取れる。
このお互いの阿吽の呼吸は 18.9年の中で培われたのだろうと思う。

今日は 母にお礼を伝えた。
母と共に歩む道のりの中で 私ができた事への感謝である。
母が認知症にならなかったら一生出会う事もなかった人達が大勢いる。
介護があったからの道のりは 得がたい道のりでもあったとつくずく感じる。だから「お世話になっている…なんて思わないでいいのだからね」と手を握って伝えた。
もっと具体的なお話をしたのだが…。
母はじっと耳を澄まして聞いていた。そして頷いてくれた。
元気なら もっともっと驚き喜んでくれたのだろうと思う。
母の元気な頃だって 同様の経験はあった筈で…そういう意味で ようやく母に肩を並べられたということなのではないかと思う。
母は仕事をしていて…。私は主婦としてという立場の違いはあるけれど…。

認知症になってからの道のりは 母に軍配が上がるだろう。
母のように踏ん張れるかは いささか自信がない。

言葉が無くなっても こんなにいっぱいの事が理解して貰えるなんて考えもしなかった。
いろんな支援を必要とはするけれど 心は豊かであることに本当に感動の連続である。

昼食介助。
午後にシンポジュームを聞きに出かけるので できる所まで介助してバトンタッチしたい旨を職員に伝えた。
残り3分の1に差し掛かる頃から居眠りが始まってきた。
今日は スタートは非常に順調で 笑顔を見せて余裕だったので楽勝と思ったのだが そうは問屋が卸さなかった。
面倒なところに差し掛かってバトンタッチする事に申し訳ないと感じつつ 職員にゆだねて駅へと向かった。

介護仲間と待ち合わせて電車に飛び乗って会場へ向かった。
地域作りの成果のシンポジューム。
2つのモデル地区の役所の発表。
一つは 役所の縦割りの体制を断ち切って横軸で連携と言う事で地域に食い込む。
もう一つは 地域住民を巻き込んで地域を作り上げる。
どっちが良いのかといえば 両方取り入れるのがベスト。
他に小規模多機能施設 グループホーム 特養 等のモデル事業。
現場に近くなるほど 納得の出来るお話となって…。
丁度 後ろの席に座った 地域のデイの事業所や地域包括の職員が「努力すればああいうことも出来るのよね。羨ましかったでしょ」と話しかけてきた。しきりに頷いていたのでばればれになってしまった。
よく知っている方なので 隠す必要もないのだけれど…。
余談だけれど 知り合いのデイや地域包括の職員は 休暇を取ってこの場に見えたと言う。
今日は 他の所でもシンポジュームがあり そちらも同様に職員が休暇を取って参加していると言う。
残された現場の方も「行きたい」と言う方が多いと話されてた。
それだけでも その事業所の意気込みが見えてくる。

ところが 一番最後の質問コーナーで「お金も時間もなく 職員も辞めて行くのにどうやって行けばよいのか…」と疑問を投じた介護職の方がいらした。
確かにモデル事業は お金を得て取り組めたものだ。
でも 成果を作り上げるためにお金では見えない相当の努力をなさった筈だと言う事は 聞いているだけでも理解できたのだけれど…。

お金がなくとも できる事を少しずつ取り組めるヒントがいっぱいあった筈なのになぁ〜とちょっと残念に感じた。

地域作りは 一ヶ所だけ踏ん張っても仕方がない。
思いを持った人達が 連携しその輪を広げていくこと。失敗にもめげないことなんだろうと この所 痛感している。


2009年05月28日(木) リフレッシュ!


 デイケア利用の日なので 今日は母の所には行かない日。
今朝 思いの他気温が上がらず 寒くないかなと気がかり…。
冬ではないのだから大丈夫と思うけれど…。
職員が以前にも増して忙しそうにしているのをみているので 電話をするのも憚れて…。
「誰の見方しているんかい?」と言う感じもする。

今日は 会報送付のため応援を頼んで作業。
新規の方も増えて まだパソコンに入力していない分は手書きなので…。
必要な人には 手書きのメッセージも加える。
郵便局に行ったら 綺麗なぼたんの花の切手があって「これがいいね」と切手を購入して一枚ずつ貼り付けた。
忙しい時には「スタンプで」とお願いするが 余裕がある時は綺麗な切手で届ける。
以前 局員さんが「切手を貼りましょう」と言ってくださった時もあった。

切手を貼っている間中 便りを手にする介護者の顔が思い浮かんできて…楽しい作業となった。

投函が終わってから ちょっと離れた街に遅い食事に出かけた。
作業を手伝ってくださったのは 80歳のご婦人。
おしゃれも気配りもある方である。
行動力も抜群。いろんな事に興味を持ち参加なさる。
法事にちょっと…日帰りで九州まで飛んで行くバイタリティーにとんだ方。
簡単に出来そうで 出来ないことだ。
上手に年を重ねるヒントを学ばせて戴いている。

今日は ちょっとリフレッシュ!


2009年05月27日(水) 気をまぎらす所作


ある会議に出かけて 会議の始まる5分ほどの間 一年のサイクルが年を重ねるほど早くなると言う話題になった。
その上 作業効率が悪くなっていろんな事に時間がかかってしまうと言う話にも飛んだ。
日々感じている事なので 先輩諸氏の話にうんうんと聞き入ってしまった。

会議は夜。
それも延びてしまって…ちょっと閉口。
仕方のない事だけれど…。

食事の支度をして出かけたのだけれど 戻ってみると夫ぷんぷん。
たった30分オーバーしただけなのだけれど…。
それも帰宅時間はものの数分の違い。タッチの差位。
おそらく夫の虫の居所が悪かったんだわね。

朝は 早めに母の所にでかけた。
眠っていたけれど 名前を呼んだら直ぐに目覚めた。
機嫌は悪くなくて 腰の上がりも良好。
トイレ誘導して「大」「小」排出。
その前にも「大」があったらしい。

それから昼食。
今日はお弁当を持参しているので 介助しながら食事。
一時間ほどで食べ終えた。
リハビリぎりぎりの時間。
口腔ケアをしてリハの体制で待つ。

リハが始まって暫くすると寝入ってしまった。
今日は さほど痛い所もないらしく機嫌も悪くないのでそれでよし。

暫く眠っている間(ほんの10分位)に ボランティアの方の記入に目を通して 書き込みをして 明日のデイサービスの書き込みをした。
デイ通所の衣類を揃えて入浴後の着替えもバックに仕舞った。

母のトイレ介助に職員が見えた。
横になっている状態から起こすのは一人では難しい様子だったので
こちらで起こした。
「そういう風になさるのですね」と感心されてしまった。
職員は 大概の場合二人対処しているみたい。
皆さん 腰にベルトを着けて腰痛対策をなさっている。
事故がおきてはならないので きっと二人体勢が望ましいのだろう。
でも二人で取り組むと母の自力の力を引き出す事はなくなってしまう。自力の力を引き出す事は 母の意識レベルが高くなり腰の上がりが良くなる。
家族だから出来ることでもあるんだろうな。
誘導で「小」が見られた。

それから居室の椅子に座って貰いとろみ剤をいれたレモンティーで水分補給。
そこへ職員がおやつを運んできてくれた。
お茶と焼き菓子。ちょっとぱさつくので 冷蔵庫からプリンを取り出して食べて貰った。お茶は全量摂取。
その後で トイレ誘導。「小」が出た。

夜の会議前に食事の支度があるので ホールに移動してソファーに座って貰った。
その一連の行動で母は何かを感じて涙をいっぱい溜めて訴える。
ソファーに座れば 私が帰る時間。若しくは暫く放置される時間。
そんな流が ぼんやりと見えるのだろう。
毎日繰り返していれば 何となくわかるよね。
職員の介助記録にも時折「ご家族が帰られた後泣き出す」って記録を見かけるから…。

気まずくて広告のチラシを丸めて筒にして母に手渡した。
暫くは これで気が紛らせるだろう。
離れる者として後ろめたさを薄めておく意味もある。


2009年05月26日(火) 活動日


 昨日 母を連れてベットで寝ている方の部屋を訪ねた。
丁度 両手引きでホールを歩いている時噎せっている所だったので せめて手を握って差し上げようと思ったのだ。

話しかけている時母の様子を見ることはなかったので どんな風に見ていたのかは判らない。
話し終えて母をみたら 涙をいっぱい溜めていた。

話した事は「えへん」ってしてみて。
「今日は 外は天気が良くて気持ち良い日よ」と手を握って話しかけていたのだが…。

母は その方の状態を把握できていたのだろう。
それをみて感じた事があったのだろう。
「気の毒」と思ったのか?それとも「自分にも訪れる…」と思ったのか?

認知症と言えども 状況を感じ取ることは出来るのだとあらためて感じた。

吸引は 私がすることではないので 職員に伝えて手当てして頂いた。

ベットの上でうつらうつらしていても 心は生きている。
訪問者があれば 喜んでくれて「元気よ」と精一杯の返事を返してくれる。
「嬉しいよ」とも言ってくれる。

先日ご家族が「『食べないと死んじゃうから』と言っていたのよ。判るのよね」と話されていた。
言葉は 予想以上に伝わっているのだとつくずくと感じる。

今日は 利用者さん訪問。
利用者さんの施設で朝 心臓発作で救急搬送された方がいて 朝食が遅れて施設を出るのが遅れたと話されていた。

入所者の変化で 施設内の生活は時折影響を受けるのは致し方ない。

利用者さんと庭の草取りや伸びた枝の剪定等をした。
梅の木にアブラムシがびっしりついていて 剪定する度にアブラムシが降ってきた。天道虫もみかけた。
理科の学びをする子たちがみればよい勉強になったのだと思う。

広い庭なので全部を綺麗にすることは出来なかったが…。
外からみて留守宅に見えないように門前から玄関まではとりあえず終了。


2009年05月25日(月) 「?」な日


利用者さん訪問の日の筈だった。
支度をして伺うと門に鍵が掛かっていた。
家に戻って 電話を差し上げた。
「明日でしたよ。25日といってから26日に変更なさったのですよ」と言われた。
「なんでもきっちりのはなさんが 間違う事もあるのですね。いや 親しみが更に増しました」と笑っておられた。
その時は 私が間違えたのだと思って恐縮して電話を置いた。

でも よくよく考えるとそんなことはなくて 最初26日火曜日と言った筈。けれど 25日月曜日の方が母の所にボランティアの方が入るので 月曜日の方がベストと思い直したのだった。
「違いますよ!」と押し切られたらムッとしただろう。
相手の受け取り方で 同じ間違いでも気分が違ってくるんだな。

気を取り直して 母の所に出かけて 職員には明日の昼食介助をお願いした。
母はトイレ介助が終わったばかりと言う事だった。
熟睡してしまって二人がかりで介助なさったとも話されていた。
確かに母は 頭を下げて顔をあげようとしなかった。
それでも「立つよ」と数回声を掛けて 立位ができ ホール内を歩行。その足でトイレ誘導したらパットが濡れていて更に「大」も少し。

タイミングが合わなかったのだろう。
職員が誘導後に更に誘導するのは 気が引けるのだが…。
時間で誘導するという制約があるので 非難するのとは訳が違うのだから勘弁して貰うしかない。
基本的に 出ても出なくても 訪問介助は取れるのだから…それでよいと言う事なんだものね。
在宅者を訪ねるヘルパーさんも基本は そういうことだそうだから…。

今日は 有料老人ホームの職員配置がないのでおやつはないと言う事だった。
これも気の引ける事だが 昨日差し入れたプリンがあることを思い出して 冷蔵庫から出して ホールにいる入所者にプリンを差し上げた。勿論 後片付けもした。
母以外の人は 自分で召し上がれる方なので…。

施設の体型として 致し方ないという。つまり 違法ではないと言う事。有料の職員配置は あくまでおまけのサービスと言う事だ。
住宅型有料老人ホームとは そういうところのようである。

職員は 出来る限りの対応をなさっている筈。
きっと職員も苦労が多くなっているのだろう。


2009年05月24日(日) 重い言葉…


書きたくとも書けないことがあるのは 立ち寄って下さる方ならご承知かと…。 今日も そんな出来事がありました。
母の事ではありません。

物言えぬ人の代弁をどうやったら出来るか…。
守秘義務もありますし…。

拾い上げたお話を重く受け止め 何とか改善できれば…と思いつつ 最良の策が思いつきません。
似たようなお話は 入所ご家族の悩みでもお聞きしたことがあります。
自分にできる事を探っていく事に…。

施設に着いた時 母は視線を合わせてくれなかった。
顔をみて視線を逸らすのだった。
「お前は いつもいなくなる!」と言われているような気がした。

昼食前のトイレ誘導。立位して居室に入った時 目がウルウルしてきていた。寂しかったのかな?
トイレに座ったら「小」が…。我慢していたのだと判った。
ごめん ごめんと詫びた。

食事の滑り出しは いつもと同じ。最初は やはり噛まない。
感情の表現は出来ていたのだから覚醒の問題ではないだろう。

それでも 長いもの摩り下ろしを少量スプーンの背につけて介助を始めたらようやく口をもごもご。
今日は 割と早目に噛み始めた。エンジンがかかれば しっかり噛んで飲み込めるのだけれどなぁ〜。

食後 口腔ケアとトイレ誘導。トイレは空振りだった。
その後の職員のトイレ介助で「小」があったようだ。

職員が入ってくれた間 ドラックストアまで走った。
明日用の飲み物を購入してきた。

母はホールのソファーに座っていた。
夫が3時には戻ると言っていたので 今日はそこそこに施設を後にした。
玄関に移動した時「おかちゃん」と呼ぶ声が響いてきた。
暫くホールに一人ぼっちになるのだなぁと切なかった。

夜間は もっともっともっと長い間1人なのだ…。
排泄の意識はあるのだから…その時の辛さや寂しさや悔しさを思う時 キューンとなってしまうのだけれど…。


2009年05月23日(土) 気になる事

昼に間に合うようにと出かけたが スローテンポで向かったので 昼食が始まっていた。
母は 特に機嫌が悪い様子ではないが 頭をうなだれ 口を開かない様子で職員が苦戦していた。

悪い時は「本格的に食べ始めるまで20分ちょっとかかるのですよ。気にしないで下さい」と伝えた。
母を見ていて「おしもの問題だな」と感じた。
さすがに食べ始めているので「ちょっと我慢してね。ごめんね」と何回か謝った。
「長いもの摩り下ろし」を職員に頼むと「ちょうど出した所」と準備して頂けた。
スプーンの背にちょこっと塗るように下だけでも口を開き噛んでくれるのである。油代わりというか なんというか。
食べはじめのきっかけ作り…みたいなものかな。
それからは 順調に食べ始める。
笑顔も出た。
職員は「さすが娘さんですね」とは言うけれど それだけではないと思うのだ。
タイミングというか 慌てないというか 焦らないというか…。
そう「ど〜ん」として待っていればいいことのような気がしてきている。
食べ始めれば ハンバーグの一切れが多少大きくともよく噛める。
最初の一歩は「噛んで」の声すら「?」という感じ。
でも噛み始めると「よく噛んでね」で深く頷いてよく噛むのである。
こう思える時は 気持ちにゆとりのある時なんだけれど…。

昼食が済んで直ぐにトイレ誘導。
立ち上がった時に「ヤッパリ」という感じ。
すでにパットが「大」で…。
それでもトイレで更に「大」
どうも腹痛が起きて辛い様子だった。
その時は 全く気が付かなかったのだが 昨日夕食にも蕨を食べて貰ったと聞いて合点が行った。
なにせ 「大」が柔らかめだと新型インフルが気になってくるのだった。
でも原因が判れば安心できる。熱もないし…。

その後 フルーツジュースで水分摂取。
昨日 クラッシュゼリーをストローで吸えたので気をよくして 紙パックのジュースをストローで。
250ccちゃんとストローで飲めた。
この方が 自分で飲める量を調整できるので辛くないかもしれないのだ。残存機能はしっかり使っておかないと…。

その後 職員が見えて排泄介助。
でも 30分以上トイレで踏ん張っていたので そこは勘弁していただき トイレ掃除や母との時間に使って頂く。

そうこうしているうちに 三時近くなった。
今日は 新茶と急須を持ってきた。
湯冷ましを掛けて 新茶を淹れて飲んで戴いた。
母も勿論。とろみ剤は使わずに…。

おやつも摂って トイレ誘導も済ませてソファーに座って貰い大相撲のテレビ観戦。
けれど条件反射というのか ソファーに座るってことは1人になる時間とぼんやり記憶されるようで…母は泣き出した。

お天気もだんだん怪しくなってきて…帰りの足も心配。
そうっと施設を後にした。
1時間足らずのうちには夕食も始まるのだから…。

さて 今日介護仲間のところで油を売って昼食に少し遅れた訳だが…。実はこれから先のデイ利用者に降って来そうな事態の話をしていた。
マイケアの方たちの中にも ぽつぽつ上がってきているらしい。
地域の介護仲間の話を聞いて「こりゃ 危ないかも…」と先日話したばかりだったのである。

でも もう数年前からそういったことが気になっていた。
だから 注意深く様子見をして 役所の人にも重症になった人のデイの確保をお願いしていた。
お願いしたとしても 何の保障もないのだけれどでも問題をあらわしておかないと…気が付かないままになってしまう。

前置きが長くなったが 重症になった人のデイやショート利用が「本人がお疲れになるのでは…」という理由でそれとなく外されていくのである。また施設入所を勧められて行く。
これが やはり現実味を帯びてきている。
介護仲間と「この改善要請を何処にもって行けば1番効果的か」という話をしていたのだ。

軽い人を軽視する訳ではない。
ただ 在宅で重症の人の介護は 介護者負担が重くなっていく。
まして 就労している介護者 高齢者世帯。

家の地域では あれよあれよと言う間に有料老人ホームがどんどん開設されている。
ピンキリではあるが…。
負担額はかなりのもの。

ある大きな介護者の会の人と話した時入居金を大きな額払って高い利用料であっても それに介護の質が比例するとは限らないと話されていた。実際 相談も受けているので 現実の話。

半歩譲って 高い利用料で質の良い介護を受けられるとして…。
その負担を出来る人って 一定の費用を賄える経済状態ということでもある。

実際 母の施設を利用しようとすると「払いきれないから無理」という方が多い。

格差社会は介護のある生活に深く影を落とし始めている。
国家予算が窮し始めているのだから…と言うけれど お金のない人は ますます追い詰められて行ってしまうのではないかと気になっている。

追記
読み返して「?」
在宅で…と願って介護している人は デイやショートを利用して何とかぎりぎりまで踏ん張ってみようと思っている。
共に同じ場所で…という思いが強い。
けれど そういった人がデイ・ショートの回数が減らされてくると困難な状況が生まれる。さりとてデイ・ショート分をヘルパーで補おうとすると介護保険の点数をオーバーしてしまう。
また やむなく施設を選択しようとしても 医療行為が必要になれば特養入所は無理。有料老人ホームを選択すると利用料負担が賄いきれないという現状で…ということなのです。


2009年05月22日(金) やればできる?


夫は早朝 仕事でお泊り出張。
送り出して 家の北側の草取り。

昼食に間に合うように母の所に出向いた。
食事前だったので トイレ誘導。
お見事「大」「小」

その後 昼食介助。
家を出る前に弟から蕨が届いた。
昼食に出していただく。
口に運んであげると思わずにっこり。
本当に不思議。
他のものがまずいと言うわけではないのだが 季節のものや好みのものが入るとストレートに表情が変わる。
今日は 60分で完食。
蕨の分だけ余計だったのだけれど…それでも残さず食べた。

食後 トイレ誘導。「小」
ちょっと離れた洗面台で作業をして戻ったら「いぐは」(行くよ)。
きっと家に行くという意味だ。
「どさ?」と聞いたら 返事に困っていた。

その後 職員のトイレ介助プラス歩行介助。
それが済んでから 久々にお散歩に出た。

出る前に幾度も聞いたが 反応はイマイチ。
歩きたくないのか・歩くのが不安なのかと思った。
それでも 日々腰が重たくなって来ているように思えて…。
ちょっと無理してもらおうとだめもとで出てみた。

外に出た時は 「やっぱり無理かな」と思ったけれど 暫くして「歩ける」と聞いたら頷いてくれた。
何でも首を縦に振るので もう1歩踏み込んで「やめようか?」と聞いてみた。するとしっかり首を横に振った。

無理と思いつつ 公園の草むらにも踏み込んだ。
草丈が20センチほどで歩き難いのだが 母はしっかり踏み込んでいた。

桜の木の下で休息。
ゼリー状の飲み物をストローで飲んで貰った。
吸えるのかと思ったが 自分のペースでゆっくり吸ってくれた。
「できるねぇ。偉いね」と言っていたら「偉いなんてぇ〜」と泣き出してしまった。褒められる事は殆どないから …。
「泣かないでよ。あのねもう93歳なんだよ。それだけでも凄いのに 歩けて ストローも使えるなんてワンダフル。偉いのよ。ありがとう♪」と偉いことの補足をした。
母は妙に納得していた。

戻る道も立ち止まってしまったらどうしようと不安がいっぱいだったのだが 途中ベンチで休息して戻れた。
足腰がピンシャンした。
「駄目かもしれない」とめげるのは 私の悪い癖かも。
頑張り屋で楽しみを見つけられる母に今日も支えて貰った。

夕食前には戻ってきた。
それから エイコラと菜園に出た。
手抜きの作業ぶりに 介護仲間が痺れを切らせて手入れしてくれていた。
草取りをして 天地返しをして…。
気が付けば 日の落ちる寸前。

家族のために食事を作らなくて良いとなると どうにか出来る作業だ。今日は ちょこっと名誉挽回。


2009年05月21日(木) マスク


母はデイだし ちょっと気分転換で山に登ってみようと思ったけれど
この時期の外出は憚れて…。
結局 家の中の整理をボツボツと。

夕方 買い物にトコトコ歩いて出てみた。
マスクをしている人 多い。
お店でも 店員さんマスク着用していた。
駅員さんもそう。

観察してみると 高校生がマスク率高い。
お母さんがマスクしてベビーカーのお子さんがしていないかった。
子供は マスク着用嫌がるから大変だろうなぁ〜。

娘とも連絡を取り合い お互い無事を確認している。
娘いわく マスク売り切れ。在庫なしが多いという。

我が家のそばのコンビニに「マスクあります」と張り紙があった。
このお店 いつも地域の住民のニーズを考えて備えをしてくれるんだよね。


2009年05月20日(水) 慌てず騒がず 予防かな?


詰めの甘いプレゼンとなって ちょっと反省。
でも資料には たっぷりと盛り込んでおり 励ましのお言葉等も戴いたので まいいかぁ〜。

折角「認知症理解のためにこの援助金に申し込んでみたら…」と案内くださった担当部所の課長さんには 申し訳なかったと思う。
でも これまでになく前向きに取り組んで下さるので こちらも負担する雑務が増えるのを覚悟で踏ん張っていかなければと思う。

結果が決まるのは 秋。
気の長い話だけれど 信じて待つ事に…。

プレゼンが終わった足で母の所に直行。
昼食が配膳されていたが ちょこっとトイレ誘導。
立ち上がりの動作で「出てるな」と感じた。
食事を始めている方もいらしたが 仕方ない。
そういえば 椅子に座っているときもちょっとずれる感じだったので母も意識があったのだろう。
トイレでちょこっと始末して 手洗いをして「ご飯よ」と誘導。
昨日と違って 今日は直ぐに噛み始めた。
今朝も 気が付いたらスープを自力で飲んでいたという。
久々に画期的なことだった。

ところが 食べ進むうちに 瞼が仲良くなってしまう瞬間があって 肩をとんとんして夢の世界に入らないように注意を払った。
辛うじて全量摂取できた。

療法士さんが見える前にトイレ誘導。
ここでも パットに付着していたしするすると細い形状のものを排出できた。勿論 昼食前・後の「小」も。

療法士さんが見えて リハに入ったが直ぐにzzz。
昼食時の眠そうな表情を思えば当たり前のこと。
リハが済んでもzzz。
今日は ほぼマッサージのみとなった。

リハ後 トイレ介助で訪介が入るのだが あまりに気持ち良さそうなのでちょっと先延ばし。
他の仕事を見つけてくださった。

眠っているのをいいことに 母の耳の掃除をしてみた。
1番嫌がる事である。
眠りながら 私の腕を払う仕草が続いた。
危険のないように注意を払いながら。全部とは行かないが ちょこっとだけ。
そのうちに目覚めて…母の声が届いたらしく職員が着てくださった。
無理に起こして貰ったわね…と恐縮していた。

誘導した時にまた「大」がポロリ。
時間なので介助はこちらでバトンタッチさせて頂いた。

手洗い 口腔ケアをして 家から持っていったフルーツトマトを食べて貰った。水分補給にレモンティー。
トマトを美味しそうに食べてくれた。
「大」も緩みがちなので 水分補給も多めにした。

お腹が不安定になって 母の気分も落ち込み始めた。
幾度もギュッと抱きしめた。
母の気持ちを安定させる手段は 今はそれしか見たらない。

おやつを摂り 明日のデイの支度を整え そうっと施設を後にした。

夜になって 関東近県に新型インフルエンザの患者が数名とのニュース。予防に努めるしかない。


2009年05月19日(火) 新型インフルエンザ対策?


明日 役所に資金援助のプレゼンに行くため 朝から仲間と打ち合わせ。
その時に 地域の診療所で 熱発・咳の患者さんの診療拒否していたという情報をキャッチ。
数日前 ある診療所で同様の張り紙を見た。
まだ 地域で新型インフルエンザの発症報告はない。
こういう対処は 先に「うちは見ませんよ」という事を告知しているのだから良いとするのかな?
先日 国技館に相撲を見に行った時 入場者にアルコール消毒が実施された。
でも 潜伏期間の人もいる訳で だとしたら帰る時にも消毒実施が必要と思われるが 会場を出る時にはその施設は撤去されていた。よくよく考えれば 入場者に対しての感染予防ではなく 相撲関係者に対しての感染予防ということだったのかな?
そういう目線で見てみると それぞれの対策の仕方でいろんな事が見えてくる。

打ち合わせが済んで 母の所に出かけた。
施設に入る前・後の消毒は 季節性インフルエンザやノロ対策としてある。
その上で 今回 更に職員・介護者に検温を義務ずけるかも…と言っていた。職員には 既に実施しているということだった。

さて母の食事介助。
前半は 口は開くけれど 介助しても全く噛まない。
暫くして ようやく噛み始めて全量摂取。
食事前 眠っていたので覚醒してなかったかな?
でも 食前のトイレ誘導の時には 笑顔も見せてくれ 歩行もしっかり出来ていたので 覚醒と関連があるのかは疑問。
「覚醒していない」という事で結論を出せない微妙な感じだと思う。

食後 口腔ケアとトイレ介助。
今日は 入浴日なので着替え一式を準備して そうっと家に戻り
明日の準備。


2009年05月18日(月) ふぅ♪


夫が早朝出勤のため 送りだして直ぐに庭に出て草取り。
いやはや 草が伸び放題。
これまで ここまで放置したことはない。
草は 小さいうちに抜き取るのが 草を増やさないコツと心得ていたのだ。
しかし 小まめに時間が取れなくなってしまって 全てが押せ押せ状態となっている。
気ぜわしいことに腰がなかなか上がらなくて…。
1時間ほど 作業してゴミとして纏めてゴミ収集に間に合わせた。

プレゼンの資料をチェックして ついでメールチェック。
介護者の会のボランティアさんからメールが入る予定だったのだ。
手違いでうまく機能しながったが ようやく繋がった。
この助け手は大事に育てたいので…。

その後 洗濯物を干して…。
昼食を摂ってから母の所に出かけた。

母は にこやかにソファーに座っていたが 顔をみると半べそ。
やはり 面会時間が少なくなっている事を感じ取っているように思えた。職員が チョィ間違えて早目に訪問介護に入ったと言っていた。
ほんのちょっとの時間だった見たいだけれど…。

母の前でちょこっと花の手入れ。
枯れた花を抜き取って まとめ水をやった。

母をトイレ誘導し ギュッと抱きしめた。
母が背中にしがみつくようにしてきた。
不安なのだろうし ひょっとしたら…と待っていたら「小」「大」排出できた。
そこへ 職員が見えて 訪問介護。
残りの時間で排泄の手当てをして頂いた。
その後も トイレで暫く様子見。
出し切ったと思えたので 手洗いうがいをして居室の椅子に座ってもらった。
母の爪 先週のうちに誰かがきってくれたみたい。
でも施設なのか デイなのか 判らない…。

水分補給のため 持参した飲み物を飲んでもらった。
おやつのお茶も飲んでもらった。
その間に 衣類の整理。
うすでのコート類や厚手の衣類をしまった。

誰かの衣類に紛れ込んでいたのだろう 半そでTシャツが入ってた。
まだ半そでの類は出していないのだ。

今日のうちに済ませて置きたい作業があるので 早目に帰ることにした。きょうは ボランティアさんが入ってくれる日なので 施設には出向かない予定の日なのだが 気になって出かけたのだった。


2009年05月17日(日) 娘のプレゼント


今日は 家族揃って 両国まで出かけた。
娘の招待で国技館で相撲観戦。

入場する時には 入り口で手の消毒。
大勢の人が集まる場所なので 予防対策。

勿論 合間にせっせと手洗い励行した。
新型のインフルエンザは 高齢者に感染しないという情報もある。
若い人の方が感染する確立が高いと言われている。
日本では 違うのかな?
それでも予防に越した事はない。

母の所に行ってから出かけようと思っていたのだが…朝早く出勤した夫が戻る時間が昼前なので そうも行かなくなってしまった。
施設には その旨連絡した。
一年に1度あるかないかの家族の外出なので 母には勘弁。

帰り 夕食を考えてくれていたようだが 何しろお腹いっぱいで食べる気力もなくて かっぱ橋近くにあるとある喫茶店に連れて行ってくれた。
美味しい珈琲とほうじ茶ゼリーと小豆のアイスクリームと白玉の乗っているデザートを戴く。
これは 母に作ってあげたらきっと良いと思ってのことだ。
水分補給と楽しみが一緒に楽しめそうなもので アイデア戴き。
上手に出来るかは 今後の試作にかかっている。

肝心の相撲。
テレビでは 行司の声がよく通ると印象だったが 国技館内では人の声にかき消されてしまってよく聞こえなかった。
持参したラジオをつけて 呼び出しは聞いていた。
中日で満員御礼も出ていた。
1度は見ておきたいと思っていたので 嬉しい記念となった。


2009年05月16日(土) 今日のお天気の如く


今日は 利用者さんのお墓参りに同行。
母の介助のある日は出来る限り避けて 活動日にしているのだが 利用者さんの都合で 土曜日に変更となった。
でも この日が雨だと延期となる。

90歳を越える方の都合は 出来る限り優先して差し上げたい。

今日は 幸い曇り日。
それでも気になるので 電話を差し上げた。
「今 支度しています」と言う事で こちらも急いで支度をした。

電車とバスで40分以上かかる所にあるお墓に行かれるのだ。
明日が お施餓鬼の日だが 混むので早めて行きたいとのご希望だった。

土曜日で電車もいつもより人が多い。
寺にも ちらほらとお参りの方が見えていた。
皆さん 二人連れ。
ご夫婦もあれば 兄弟姉妹という方も。
年齢も おそらく75歳以上 90歳未満と言う所。
若い人の姿は見当たらなかった。
お盆なら もう少し若い世代の方も居られるのだろうけれど…。

お寺の周囲には 外国の方の姿もちらほら。
日本的情緒を感じられる様子でデジカメを使って写真を撮っていらした。

相変わらず 階段の上り下りは 手すりを使いながらタッタカと歩かれていた。
今日は バスを下りる時一つ手前で降りられた。
どうやら勘違いをなさったらしい。
「歩かせてしまって…」としきりに恐縮していらしたが こちらはむしろ嬉しい間違い。それより利用者さんがお疲れになるのではないかと心配になった。

地元に戻って 一緒に昼食を摂った。 
別れ際 パスモにお金を入れて差し上げた。
来週には 熱海までお出かけだそうだ。
パスモを使うと切符購入の手間がなくて助かると言われてた。
目も見え難いので…ボタンを押すのも苦労なさるのだそうだ。

利用者さんと別れて 母の所に向かった。
母は笑顔を見せていたが 口の中には食べかすがいっぱい。
直ぐにトイレ誘導して「大」「小」排出。
途中で職員が見えたので バトンタッチして後始末をして頂く。
本当は こちらでしてしまいたいところだが 訪問介助の料金の関係でバトンタッチするのである。

それからおやつを摂って 口腔ケア。
その後 久しぶりにお散歩に出た。
ケアマネが ケアプランのことで待っていらしたが ちょっと待っていただいた。

母は歩く意思はあるが この所歩いていないので疲れる様子だ。
いろいろ考えさせられる。
それでも ちょっと腰を下ろしただけで 直ぐ回復するので…。

施設の周りを30分ほどかけて一回りした。

施設に戻って ケアマネと面談。
母は隣に座ってもらう。
母は自分の事を話されていると言う事だけは理解できているようだった。だから ちょっと機嫌が悪くなった。

ケアプランについては こちらの思いは出さないで どういった事を言うのだろうと黙って耳を傾けた。
エアマットの導入の話がでた。
もうふた月前に考えてた。
エアマットを使えば 介護保険枠をオーバーするので きっと訪問介護が削られる。それは 困るのである。
だから 介護保険枠以外でどうすればよいのかをずっと考えてきていた。
素人の私にだって あれこれ案が浮かんでいた。
が 施設側は エアマット使用以外の提案はなかった。 
こちらから 家にある低反発マットを使用して見ましょうかと提示。それはそれで受け容れて戴けた。
でも 他にも案はあるのだ。
施設側は それ以上の具体案はなかった。

今日の事でも疑問は残っている。
やはり もう少し 問い合わせをして確認したほうが良さそうである。
裏づけを取らないと言い出し難い。
施設側も困っている面もあるというし…。

母のトイレ誘導をして「小」排出後に ちょっと重苦しい気分で施設を後にした。
今でも満たされない思いの母にどうしてあげるのが一番良いのか 半分は結論が出ているのだが 周囲にいろいろ心配されて考えあぐねているのである。介護模様も曇り日だなぁ〜。


2009年05月15日(金) 介護者への手助け


 今朝 携帯のメールチェックしようとして機能していないことに気が付き「故障?」と少し慌てた。
携帯は持ちたくないと思っていたけれど 自分の生活に深く入り込んでいるのだと気が付いた。
結果的に 何かの拍子に機能停止されてしまったようだった。
故障でなくてホッとした。

今日は 別の場所で開かれる介護者の会開催日。
午前中母の所に出向いて トイレ誘導 食事介助。
いつも通りの時間を要した訳で 会には遅れて到着となった。

別の場所の会は 新しく出来たばかりなので暫く 会の仲間と共にお手伝いに出向く予定である。
「来月は来れないかも…」と話されていた方が ケアマネさんに参加したいのでデイ利用できないかと頼んだら 都合をつけてくださり今日も足を運ぶ事が出来たと笑顔でお見えになった。
今は役所の担当の方も見えており 介護者の変化を目の当たりにしている。
こういう現場を見ていただくことは これからの介護者支援の必要性をじかに知って戴けるので嬉しい。

地域の民生委員さんも足を運んでくださり 認知症の理解を深めたいと自主勉強。
忙しい中 前向きに参加して下さり心強い。
強制ではなく自主参加してくださるのである。

こんな風な 小さなつながりを増やしていく事で地域作りが出来ればいいなと思う。
地域の人のお手伝いでは もう1人お見えになった。
これは ボランティア募集を社会福祉協議会の広報誌に載せていただいたら 早速応募してくださった方。
全て 役所を巻き込んでのネットワーク作りから広がり始めている。

ボランティアは誰にも出来そうで 案外できない事だということは これまでの経過から学んでいる。
自慢じゃないけれど 会はお金持ちではないので 全て手弁当。
会場に出向く事だって 自前の交通費は当たり前。
そして 人のために動くので…。
だから 1人でも出向いてくださる方がいたと言う事に感激している。

夜 介護仲間から電話があった。
昨日 徘徊で行方が判らなくなり捜索して頂き 数時間で保護していただいたと言う事だった。警察の協力姿勢に感謝していらした。
でも 徘徊後の顛末をお聞きしてため息。
介護者の会は 中立の立場で話をしてくれるのでホッとすると言われた。
それぞれの立場から案じての助言があるのだろうけれど 選ぶのは本人及び介護者であり 助言する時には 背景も含めて選択できる余地を残して欲しいなと感じた。


2009年05月14日(木) 仲間の存在


母は木曜日デイ利用の日なので 自分の用に使える。
午前中 役所に出向いて書類を提出。
「昨夜は徹夜になりませんでしたか」と心配くださっていた。
今日が締め切りの日だった。
介護者の会の運営に関わることなので…。
担当の部所に出向くと 同じように手続きに見えているグループがあった。同行した仲間が知っている方だったので判ったのだ。

5月20日にプレゼン。
それまで 仲間と試行錯誤して備えなければならない。

手続きを済ませて その足で訪問介護のお話を聞きに仲間と連れ立って出かけた。
この春まで 会議で一緒だった方のお話である。
収穫もあった。

その後仲間と別れて 企画中のことの詰めと認知症介護についてあれこれと意見交換。
これも 今後のことを踏まえての学びとなった。
1人の方は 1人で親を介護中の方。
デイから帰ったらヘルパーさんに依頼しておいでだ。
「出来ないよ」と言いながら 協力体制を取って下さる貴重な人物である。

そうそう 今日の訪問介護のお話を聞きに出かけた仲間の1人に80歳になられた方がいる。
先日の火曜日の介護者の会の時に「明日 九州で法事なのでお先に 帰りますが 14日はご一緒させてください」といわれていた。
家に戻ってから「九州の法事は聞き間違いだったんだな」と思った。
が 水曜日に九州まで日帰りで出かけられて 今日はちゃんと約束の場所にお見えになった。
その精神力・行動力に脱帽。
さすがに 認知症の義父母を看取られて 認知症のご主人も看取られた方だなと思った。

そんな仲間達と支えあいながら いろいろ取り組めるので恵まれているとつくづく感じる。

途中 夫から電話があったのに気付かずにいて 失敗。
「電話持たなくともいいんじゃない」と。
自分の時は「忙しいから」と言い訳するが 妻には厳しい!
ま 至らぬ妻であるから 夫の怒りごもっとも。
無駄な言い訳はせずに「すみません」と謝った。


2009年05月13日(水) 迷い


 リハビリの日である。
昼食に間に合うように母の所に出向いた。
母は 回転椅子に座って笑顔を見せていた。
職員の話によると母は その椅子に座りたいと言うそぶりを示したと言う事だった。

トイレ誘導するとパットに「大」付着。
付着状態だったのでトイレで排出できた。
昨日から アロエエキスを止めて貰っているので 更に明日まで止めて貰う事にした。
排出後腹痛があるようで「ここ痛い」とゆっくり はっきり訴えた。
これも久々である。

昼食は 母のペースに合わせて食べて貰った。
全量摂取できた。
三色丼のミンチが時折ひっかかるので 長いもの摩り下ろしたものを利用して工夫。

トイレ誘導し「小」排出。
それから 療法士さんが見えるのを待った。
リハ中幾度か 状態を起こした。不安があるように感じた。
が途中から寝入った。
リハが済んで まだ寝入っているので 食事に出た。
戻ってみると「1度起きたけれど とんとんしたら又眠りました。可愛いですよね」と職員。
でも 母はもそもそ動く。
おそらくトイレと思い起こし誘導。
トイレでわぁと泣き出すのを見た職員は「?」
母がモソモソする時は トイレサインなのだが 職員はこのタイミングは把握していないかも…。。リハの立会いは 殆どの場合 私1人だから…。

責めるつもりはないのだが 職員は何か感じるのだろう。
こういう時 どういって説明してよいのか判らない。
言い方一つで気分を害してしまわないかと気になっって迷うのである。

トイレ誘導後 ソファーに移動して貰い そうっと施設を後にし 役所に向かった。
面会時間が この所通常より短いので 母の不安も増してきていると感じている。が今週は いろいろあって 致し方ない。

役所では いろいろアドバイスを受けて 書類の下書きを進めた。
会の役員で聴いてあれこれ決めた。
数時間の作業となった。
これまでになく 役所は協力してくれており有り難い。

家に持ち帰り ついさっきまで記入していた。
作業を進めている時に夫が帰宅して一時中断。
明日が締め切りなので 早く完成させたい所だが…そうも行かなくて…。

夫の話が切り上がったところで再開。

明日 午前中に再度役員で書類を点検して 役所に申請に行く。
その足で まっすぐ訪問介護のお話を聴きに出かける予定。

他にも 締めの作業があって順次仕上げた。
明日は 他にも用事があり その事の準備もして…。
作業の進行にどうしても時間がかかる。この所 富に能率が上がらないので長引いてしまうなぁ〜。
ここでも 記し方に迷いが生じるのだ。


2009年05月12日(火) 介護者の会


朝 菜園に出向いて苗を植えた。
ちょこちょこと草取りをして直ぐ家に戻った。
それから 洗濯物を干して お弁当作り。

今日は地域の介護者の会の日で 母を連れて行く予定。
母を外に連れ出す時には 体調等もあるので母の顔を見て判断するしかない。また お天気のこともあるし…。
今日は 介護者の会が終わった後 少し地域の介護者の事を話し合う予定もある。
そこまでかかると 施設の夕食には間に合わない。
つまり食事介助の訪問介護が消えてしまう。
こちらには 何の不都合もないのだけれど…。

いろんな事を考えながら お弁当を作って 後片付けの時間もなく家を飛び出した。
施設について 母をトイレ誘導。「大」「小」排出。
「良かったね」といったら 深く頷いてにっこり。
でも その後少しお腹が不快な様子で塞ぎ込んだ。
ホールでは 食事が始まっているのだろう「し〜ん」と静まっている。

母の手を撫でていると頭がぷんとにおった。
暑い日もあり湿度も高いので汗ばむからだろう。
今日は 入浴日なので外したくないとおもい 外出は諦めた。

持参したお弁当を母に食べて貰い 施設の分は私が食べる事にした。今日は サンドイッチとフルーツ2種。オクラとトマトとクリームチーズのサラダ。とろみのレモンティー。

何とか食べ終えて トイレ誘導し「小」を排出後 そうっと施設を後にした。

会にはぎりぎりセーフ。
とある劇団の方が先月お見えになった。
認知症の演劇をなさるそうで 介護者の思いを知りたいので見学させてくださいということでお見えになった。
参加してみて 仲間にも見学して欲しくて再度今月も見えることになった。
その方自身 会の様子に感動して涙を零され 介護者の会の必要性を感じられたそうだ。
そこで劇場で会のチラシをまいて下さると電話くださったのだが…。
地域で介護している人が劇場に出向くことは 難しいので 都内の介護者の会の案内の新聞とイヴェントのチラシをまいて戴くことにした。とっても重たいのに…手分けして持ち帰られた。
今日新たに参加くださった方も「愛ですね」と声を詰まらせて感想を述べてくださった。

迷いもあり苦しんでいる方のお話もあったのだが それらを含めても
何かを感じ取ってくださったようである。

介護に縁のない方もそうやって思いを汲んでいただけることに励まされた。

会の済んだ後 話しこんでようやく提言が決まった。
明日 再度役所との話し合いがもたれる。


2009年05月11日(月) 妙な納得!


今日の朝日新聞夕刊の窓を読んで「オッ!」と思った。
渋川市の「静養ホームたまゆら」の火災から四十九日に 現地でささやかな法要が営まれたと記してあった。
中抜きして…
受け容れる住宅や施設が足りない東京では 低所得者のお年寄りが 住み慣れた街で安心して暮らすこともかなわない。それは 自分たち都民の責任でもあるのではないかー。
「立ち止まって考える事で 亡くなった人と縁を結ぶことはできる」と自立生活サポートセンター・もやいの稲葉さん。…

口幅ったくて書けなかったけれど 火災のニュースを知った時に直ぐに感じたことである。
あれから 自分は何をすべきかと探っている。
大げさな事はできないが できる事をちょこっと…と思う。

さて日曜日の午前10時 TBSラジオの日曜天国のコーナーで…。
夜間公園に集って 騒ぐ若者を低周波を使って追い払うということの「低周波」について 実験をやって見せてくれた。
この低周波は 若い人だけが感じる不快な音なのだそうだ。
スタジオで 30代のアナウンサー2名と20歳の若者が低周波を聴いてみる。
30代のアナ様には全く聴こえなくて 若者にだけ聴こえた。

「低周波は中高年には聴こえない」と言う話は 以前から聞いてはいた。が この「中高年とは 何歳から?」とか くだらぬ事を考えていた。「聴こえたなら若いってこと」なんてもね。

アナさまが「全く聴こえない!」と言った時に「30代でも聴こえぬなら 自分が聴こえなくともしょうがない」なんて妙な納得をしてしまった。


2009年05月10日(日) 母の日


 この日に間に合うように…と母へのプレゼントを考えていた。
とはいっても 実用優先のプレゼントになってしまう。

パジャマ 帽子 ブラウス パンツ 靴 夏に向けて必要になるものを時間の隙間をみつけては あれこれ探していた。
「母に使って欲しいな」「これをみればにっこりするだろうな」と笑顔を想像しながら見て廻って楽しんだ。
でも そういうものに限ってお値段が張り 次の機会に…と引き延ばした。

ある日 入所ご家族も「母の日が近くなってお店には いいものが沢山並んでいるけれどお高いまんねん」 と嘆いていらした。
「母の日が過ぎてからにしようかと…」とも話されていた。

私の見ていたものは 母の日が過ぎて値下がりするとも思えないのだけれど…でも当日でなくてもいいかなという思いになった。
それで プレゼントはまだ購入していない。

施設では 毎年母の日のイヴェントが行われていた。
連休には こいのぼりが室内に飾られた。
でも 今年は 何もない。
行事が消えてしまった。
お誕生会だってない。
なんだかねぇ〜。納得はしてないけれど…しょうがないなぁ〜って諦め気味。そんなことが結構増えてきた。

「家族がそんなんでどうする!」と思うけれど…。
本当に萎えてしまっている。
せめて家族が関わる時間だけは フリーであればいいのになぁ〜。
いや 「好きになさっていいですよ」と言われてはいる。
それでも プレッシャーがあって…。

母の日の話のつもりだったけれど とんだ愚痴になってしまった。

昼食介助は 今日は早めに済んだ。
うどんだったのだけれど おかずもトマトとかも足して他にもあったのだが良いペースで食べてたな。
食後 トイレ誘導して「大」「小」

口腔ケア後居室で休んで それからホール内を手引き歩行。
一周目の時に玄関前のマットに足を引っ掛け マットを完全にめくった。二周目の時 マットの前で「足を引っ掛けないようにしっかりあげてね」と言ったら 片膝をたかぁ〜く上げてマットに踏み込めた。
丁度通りかかった職員が「まぁ上手」と褒めてくださった程。

言葉を掛けては見たものの できるとは 全く思わなかった。
でもきちんと聴こえて 指示通り動かせたのである。
これには 甚く感動した。

毎日がこういう状態ではないけれど でもやっぱり言葉は届いているんだなと感じた。

居室で休息中に
「今日は 母の日。
〇ちゃんは お母さんのサダさんに『ありがとう』という日。
私は 〇ちゃんに『ありがとう。本当にありがとう♪』と伝えた。
母は 祖母の名前にかすかに反応し頷いた。

家に戻ったら 娘から鉢植えの花が届いていた。


2009年05月09日(土) せんたくものは…


 雨が上がって 湿った洗濯物を風に当てて乾かし お次は洗濯した物を干して…。
ベランダは洗濯物でいっぱい。

施設の昼食に滑り込みセーフって感じ。
職員が介助を始めていてくれた。
直前まで深く眠っていたとの事で口の開きが今1歩。
途中眠りだすのでは…と職員は心配なさっていた。

バトンタッチして介助。
やっぱり噛むことが難しそう。
みると鼻水が出てきて 目もウルウルしている。
「わるいな」と思いつつ 母をトイレ誘導。
パットが湿っていて 更に「小」排出。
それから 居室の椅子で休息して「ご飯食べるよ」と食卓へ誘導。
左傾斜が強く 今日はテーブルに向かないで 右に座している私と向き合う形で介助。
母の目を見ながら 笑顔を向けて介助。
最近の母は 殆ど箸を持たなくなってしまった。

アイコンタクトは言葉よりもストレートに入るように感じる。
食べようと言葉と目で伝えると母も静かに頷く。
未だの時は 首を振る。
ちゃんと視線を合わせるので伝わっている事は感じる。

「困っているの?」と聞いて見た。
静かに頷く。
「大丈夫よ」と声をかけるとモグモグと噛み始めた。
「嬉しいわ!偉いわ!ありがとう!」と言えば 静かに頷いて更にモグモグ。
今日は 忘れずに長いもを持参したのでそれも使う。
それよりも トマト中1個を小さめにカットして持ってきたのだが それは無条件で口を開いた。
面白い現象だった。
他のものでは口を開くのに時間が掛かるのに トマトは大きく口を開いてくれるのだった。
結局1時間ちょっとで 通常の食事にトマト1個と長いもをプラスした食事量。
今日は ミルクプリンがデザートだったが これは半量のみ残。
「わぁい よく食べたね」と言うと笑っていた。
向き合っての介助では眠そうにならずに笑顔をみせ 時に笑いながらの食事となった。
食べるリズムが出来てくると介助もぐんと楽になる。

食後口腔ケアをしてトイレ誘導。
笑顔を見せながら「大」を排出できた。
今 便通のための薬は特別服用していない ただアロエエキスを朝夕に復活して貰っている。

その後居室で手足のマッサージ。
血液の流れの悪そうな所は 丁寧にマッサージ。
職員のトイレ誘導があり「小」を排出。

それからホールでおやつ。
おやつタイムには職員はつかない。
母は ひとりでおやつは無理なことが多い。
そこで おやつ介助。
持参したとろみ付きのレモンティーと施設が準備したお茶の半分。
半分とは言っても大きなコップなので150cc位は飲めただろう。
昼食分と持参したものとお茶と夕食分で必要量を満たせると思う。

ちょっと離れてほかの方の所に行って母の所に戻ったら居眠りを始めていた。
眠気覚ましに ちょこっとかんきつ類をむいて少し食べて貰った。
それから意識して起きているようなので そうっと施設を後にした。
やはり刺激が今ひとつ不足気味なんだなぁ〜。


2009年05月08日(金) あ〜した天気になぁれ♪


早朝に夫を送り出して 雨音を楽しみながら新聞に目を通してラジオに耳を傾けていた。

玄関のチャイムが聞こえない部屋で聞いていて 洗濯どうしようと思いながら移動したらトイレに誰か入っている。
「!」
夫が戻ってきていたのだった。
「チャイム鳴らしたのに…」と夫。
無用心だわね。

それから ゆっくり1人朝食を摂り 片付けながら施設に運ぶものも準備した。
自分のお弁当も作った。

生協の荷受をしてから 母の所に向かった。
薄日が差してチャリで行けるかなと期待していたら「雨は上がってきていますが 油断は禁物で直ぐに 雨が戻ってきます」とラジオから気象予報士さんの声が聴こえた。
自転車は諦めてテクテク。

施設では 昼食前のゆったりした時間だった。
母をトイレ誘導した。
母が 2回ほどはっきりしない言葉を繰り返した。
「もう 駄目なんだ」みたいな感じの哀しそうな言葉だった。
なぜそういう言葉が飛び出したのかは判らない。
でも内側から発する思いの言葉と感じた。
「小」2回に分けて。

母に「大丈夫よ。いっぱい勉強させて貰っているからね。教えてくれて嬉しいし 有難いよ」と伝えた。
母の目に涙がいっぱい溜まり始めた。
「泣かないでよ」と言っても涙を拭く事もしない。

立位して貰って 居室の椅子に座って貰い頭を撫でてギュッ!
私をみつめながら「お か ちゃん」となだらかな調子で呼んで安心していた。
「ご飯だってよ。お腹空いた?」「ご飯食べに行こうかね」と言うと静かに頷いたので ホールに移動。
昼食開始。
一口目はうまく口に入ったけれど噛まない。
じっくりゆっくり待ちながら噛み出すのを確認できてから次のもの。
食べ始めた時に長いもを摩り下ろし小分けしたものを家に置き忘れてきた事に気がついた。また 失敗である。
冷蔵庫に戻していたか気が気でなかった。
家に戻った時に冷蔵庫に入っていたのでホッとしたのだが…。

60分ちょっとで全量摂取できた。

食後 トイレ誘導して「小」「大」少量。
口腔ケアを済ませて 水分補給。

午後一で役所の担当の方と今年度の打ち合わせが予定されているので 待ち合わせの場所に移動した。
介護仲間のメンバー数人と役所の方で数時間打ち合わせしたが結論に到達出来なかった。
会に持ち帰り検討する時間を戴く事になった。

雨降りだったので 今日は洗濯はお休み。
乾かない洗濯物もあって…明日こそ晴れて欲しい。


2009年05月07日(木) 備えが足らない!


お便りをプリントアウトしたらインク切れ。
警告があって インクを買わなければと思っていたのだが忘れてばかり。
今日 仕上げないと間に合わない。

午前中 買い物に出てインクを購入してプリントアウトできた。
が封筒に入れ始めたら 今度はセロハンテープが切れた。
カラーテープが見つかりなんとか間に合った。

郵便局の閉まる前に走って行って投函できた。

家に戻って 夕食の支度。
ひとり急いで食べて また トットコトットコ会議へ。
前回町内会と重なって休んだので 今日は出かけないと…。
イヴェントのコーナーの予算が削られる…なんて言われているのだ。
緊縮財政なので…。
それに 委員の方の1人のご主人様が亡くなったばかり。

ひとつきちょっと前 少しおかしいと救急搬送。
手術も出来ない場所で 退院後の事を考えなくては…と話されてた。
それが この連休中に亡くなってしまわれた。
昨日気になって電話を差し上げて知ったのだ。
独り暮らしになる彼女。
先輩の未亡人から「鬱にならないように…」と言われたといっていらした。

介護仲間も同じ。
だから 時折会食したり お茶を飲んだりしてお話をする。
涙を零そうが 怒り出そうが…そのまんまでいいのだ。
あるがままで過して…時に気分転換。

街でばったり出会ったら お茶でもしましょう♪


2009年05月06日(水) 体調 よくもわるくもないのかな?


 雨降りでちと肌寒い。
連休に家に連れて来ようと思っていたのだが とうとう実現せず。
反省しきりである。
言い訳や愚痴もあるけれど 連れて来ようと思えば出来た筈だからなぁ〜。

今日もいつも通り 昼食介助。
ほぼ同じペースで完食。但し フルーツのヨーグルト和えだけは 手を付けないでおいた。
乳製品は母にはきつい時があるのだ。
調理室には張り紙もあるんだけれど…。

今月胃腸薬が変わったせいなのだろうか 便通が良い。
アロエエキス お休みが続いている。

外出が減っているせいだろうか 今日は母の膝がカクンとした。
一時的なものであって欲しい。
歩行や足の屈伸 もう少し時間を掛けたほうがよいのかなぁ〜。

デイの支度をした。
気温が予報通りであって欲しいなぁ〜。
臀部と腰の境あたりの赤くなった所 ラップ療法が始まる。
赤くなるのは 一晩でも 治るのには時間がかかるなぁ〜。


2009年05月05日(火) 生憎の雨


久々にお天気に恵まれた連休。
今日は気温が下がると言う予報通り ちょっと肌寒い気温。
けれど 上着を羽織ればなんとなく暑くてコントロールの難しい日だった。

昨日から 手土産を持って帰宅中の娘。
お昼をめがけて一緒に母の所へ出かけた。
食事介助は 娘がしてくれた。

今日は 母が私を産んでくれた日なので 感謝の言葉を伝えた。
母の笑顔と出会う。

夫や娘から あれこれとお祝いのもの 言葉を戴き感謝。
これまで歩んできた道 これから歩む道に大きな変化はないと思うけれど 一つ年を重ねることが 数日気が重かった。
でも 今日は気持ちも変わって 1日が無事に過ぎる事に感謝しながら歩んでいこうと思う。

今日は生憎の雨降り。
でも菜園の野菜たちには 嬉しい雨のはず。


2009年05月04日(月) 不用意なひとこと

月曜日は 原則母の所には行かないでも良い日としている。
訪問活動が入ったりする日だから。

今朝「お昼介助に行くんでしょ」と夫。
押されるように 送迎付きの通い介護となった。

今日は 昼食前にボランティアさんに入って戴いている。
施設に着くとボランティアさんがトイレ誘導してくださっていた。
その方が「今日は熟睡なさっていて 目覚めるまで時間が掛かったのです。あんなに熟睡することあるのですね」と驚かれていた。
トイレ誘導で活動は終わり バトンタッチ。

その後昼食となって なりゆきで介助を始めた。
行ってしまえば やはり介助するのは当たり前という思いが湧くのでしないほうが 自分にとっては不自然なのだ。

配膳された食事をぼんやりと眺めて「わぁ〜い 今日は食べやすそうな献立ですね」と言った後でふと思った。
葉物が細かく刻んである。ふろふき大根が刻んである。
「あれれ 今日の野菜は何でしょう。刻んであるから判らない」と他の方のをみると皆さん刻みかミキサー食で本来の献立が見えなかった。他意はなかったのだが…。
職員が慌ててキッチンに行って刻んでいない煮びたしを運んできてくれた。「あれ 間違って配膳してしまったのですね」と詫びられた。
そうか 責めを感じてしまわれたのか…。
いやはや そういうつもりはなかったのだけれど…職員にしたらそう思って当たり前かぁ〜。
不用意な一言になってしまったなと反省しきり。

母の食事の様子を見ながら1度は刻みで様子をみることも必要かもしれないと感じていたので 丁度良かったのだ。

結果は時間的にたいした変化はなかった。
むしろ噛む回数が多少減るように感じた。
あくまで家族として感じるのだが…。

食後水分をたっぷり補給した。
その後 トイレ誘導。
母はわぁ〜んと数回に分けて泣いた。
「大」少しと「小」たっぷり。
ふと気がついた。
昨日は 綺麗だった所が赤くなっていて水泡がつぶれたように見えた。一晩でこんなに変化するのかと愕然とした。
一応 職員に伝えて確認を取ってもらって 看護士さんにチェックして貰って手当てしてくださるとのことだったので 早々に引き上げた。
久しぶりにわぁわぁと泣いた事と関連あるのかな?


2009年05月03日(日) 何故だろう?


憲法記念日。
改憲の話も出ているけれど…はんたぁ〜い!
先ずは それだけアピール。

朝 義姉から荷物が届いた。
一足先に誕生日のお祝いだった。
いつもの事ながら 暖かな心配りに感謝。
母への気遣いまで…。
「おいおい 息子さんよ♪ もうじき母の日だけれど…」なんて考えない訳ではないけれど…。
夫からは「御宅の素敵な弟さんたちに 連休休暇戴いたら…」と言われるしねぇ〜。
近くにいるものからの「ちっとは やすめよ」とのお言葉と受け止めているけれど…。
「すみません」と謝るしかないのよね。
距離をとって辛うじて今のバランスを保っているのだけれど…夫にはもう少し違って見えるみたい。
「兄弟だから許している…」ってね。
私にとっては 自己防衛のための手段なんだけれど…。
こういうの面倒!
でも こういう思いをしている人って結構いるんだと思う。
生きているってことの証と受け止めて 凌ぐしかないんだよね♪

と夫への愚痴をそれとなく書いたけれど…。
夫だって 何かしらの役に立たなければ…とも思っているようで…。
「行くんだろう。ご飯食べさせに 何時に出るんだ」と。
この言葉は「送っていくよ」の意味がある。
お言葉に甘えて「少し早目に行きたい。ありがとう♪」と。

夫は施設には入らない。
「忘れ物をした」と家に戻って行った。
「帰りは?」 「1時かなぁ」
夫が迎えに来てくれるのはいいけれど 毎日 その時間で済んでいる訳ではないのだ。
1時と縛ってしまった事をちょっと後悔。

今日の施設の昼食は 春を満喫のお弁当だった。
さわらにたっぷりの木の芽味噌。
たらの芽の天麩羅。たけのこの煮付け。人参のくるみ和え。
グリンピースご飯に メロンのデザート。

行事食なのだろう。こんな日にデイサービスに出かけた人はお気の毒なことだなぁなんてひとり呟いてしまった。
気に掛けて貰えるなら せめてみんなが戻った夕食にして頂けたらいいのになぁ〜。

母には「春の味よねぇ〜」「大好きな まめごはんよ」とか話しかけながら介助。
相変わらず 食事始めは口の開きが小さい。
介助が始まった頃には 食べ物をみると大きく口を開けてくれていたので助かっていたけれど…。
現実は 緩やかに下り坂。

それでも 60分ちょっとで食べ終えた。
今日は 不思議に苛立ちはない。

今朝のラジオのせいかもしれない。
TBSラジオの安住紳一郎の日曜天国だ。
番組始めの長トーク。
安住くんらしいなぁと苦笑しながら耳を傾けている。
別にファンではない。
が何となく引きつられて聴いてしまうのだが…。
「いや 気持ちのよい日が続きますね。連休で皆さん気持ち良さそうです。でも僕は 自分の嫌なところを感じてしまうのですよね」
「判る わかる」とおっとりした中澤さん。
そんな話を聴いているうちに「そうか 連休を休めない…」なんていうことから感じているんじゃないんだなとちょっと安心したのだ。
この感覚が 真実かどうかが大事じゃなくて そういう気持ちになる人がいるというだけでなぜかホッとしたのだった。
「たまには 好い事いうじゃん。ありがとう♪」なんて思ったりした。

今日は 施設に晩疳を持っていった。
食事前に テーブルで皮を剥いた。
香りを立てて食事に入ればどうかなぁ〜なんて思ったのだ。
職員が慌てて「はなさん 今日は 美味しいお弁当だから…」と言われた。食前に食べさせると思ったようだ。
「いえいえ 食べる前に剥いておこうと思ってね。いい香りでしょう」といったら「ほんと。ね皮頂戴ね」と。
ほのかな柑橘類の香りに包まれて昼食を始めたのだった。
正直に言えば ほんの一口 食べても大丈夫な人の口に放り込んだのだけれど…。
あとで見えた職員も「わいい香り…」と。
不思議だけれど こういったことでちょっとした気分転換ができるんだもの…。

食後に再度 身を取り出してラップをかけて冷蔵庫へ。
その後母をトイレ誘導。
気がつけば もう 1時を廻っていた。
夫に電話をしたら もう施設の駐車場に車を止めて 中華料理屋さんで食べているとの事だった。

食事前のトイレ誘導が済んだ時「あれ?気のせい?」と思う事があった。でもやっぱりだった。
柔らかな大がパットに出た後だった。気持ち悪かっただろうに…すまないと思った。
それから 後始末。
簡単に終わるはずもなくて…夫を待たせている事も気が気でなかった。やっぱ 1人の方が気が楽だわ。

何とか綺麗にして 数日前に再開したアロエエキスを中止のお願いをして 母をソファーに誘導し そうっと施設を後にした。

お腹を満たした夫の機嫌は悪くなくてホッとした。

買い物を済ませて 家に戻ってひとり昼食を摂り 菜園へ。
ちょっとだけ手入れして 夫もあとから出てきて…。
気乗りのしない夫に「もういいだろう」と言われて「しょうがないな」と引き上げた。


2009年05月02日(土) 迷路


きのう 施設からの帰り道介護仲間とばったり出会った。
病院へ面会に行かれた帰り道だった。

先日 湿疹ができて「どうしたのだろう」と気に掛けていらした。 
服用している薬を知り ネットで調べて副作用ではないかと質問なさり 薬の服用が中止されたと話されていた。
母と同世代大正一桁生まれの仲間である。

若し 私が同じ世代の介護者だったとしてそこまで出来るかな?と思う。

忍耐強さと優しさを持ち合わせた立派な方だと尊敬している。

世間では ゴールデンウィーク。
グニャとした心持である。
気持ちの何処かにひがみも感じているのかな。
母の所に行くにも何処かスローモーション。
施設に着くと食事開始時間なのに配膳はまだだった。
これ幸いとトイレ誘導してからテーブルに着いた。
ソファーで眠っていたので 目覚めも悪く何時又眠りだすかとひやひやとした。

口の中に物が溜まってしまいイラッとする。
困っているのは母のほうなのに ついついである。
時折 こちらの思い通りにならないとそういう感情が起きる。
母の介護が嫌なのではなくて 自分の中の苛立ちなのだと思う。
自分に腹が立つのである。

特別母に八つ当たりするようなことはしないけれど 気持ちの処理がイマイチ。
できる事を少しずつというのは 母のことだけではない。
自分の事だって できる事を少しずつ…と内側に語りかける。
少しずつ 少しずつ…そのうちに。

夕方 ある方から電話が入った。
不満炸裂の電話だった。
おそらく弱っていく親の事で気持ちが落ちつかないのだろうと思う。
周囲への不信感でいっぱいになっておられた。
話をして少し落ち着かれた様子だったが不信感を取り除くまでにはいかなかった。

間に入ろうかとも思ったが もう少し静観しておいた方がよいかと思った。もうすこし時間を経れば 不満も整理されるだろうし…。
自分も含めて 介護者は迷路に入り込むからなぁ〜。


2009年05月01日(金) 自己管理


少し遅れ気味に母の所に出かけた。

昨夜から 歯が痛くて…。
ちょっとハードに過すと時折やってくる。
最悪な状態は 過去に経験している。
この数ヶ月 危なさを感じながら凌いできた。
でももうどうにもならない寸前まで来ていると感じた。
介護者は 結構こういったことが起きる。
ストレスだと医師には言われている。
身体を休める事と気持ちの切り替えを心がけてきたのだけれど…。

予約とって…と思いながら伸ばし伸ばし来てしまった。
かみ合わせも悪くなってきている。
自己管理が悪いなぁ〜。

連休前なので 放置して面倒なことになっても困るので通院しておこうと決めた。

朝食は何とか摂ったけれど 昼食を母のところで食べるには面倒なのでお昼を飛ばした。

母は割合機嫌が良く 笑顔を見せてくれた。
でも左傾斜が強く 手引きしても左に比重がかかって不安定。
トイレ誘導したら「小」を2回分。
それから 昼食介助。
機嫌は悪くないけれど 口の中の送りが悪く長いもを使いながら介助した。噛む時に目を瞑ると其のまま寝入ってしまいそうで 時折ぽんぽんと肩を叩いて意識してもらった。
「口に食べ物が入っていると喉に詰まらせてしまうから 頑張ってね」と励ましながらである。
それでも60分ほどで終了。

それから テーブルを囲んで 他の家族や職員と話したりしていた。
母も笑顔を見せて話の輪の中にいた。

その後トイレ誘導。
程なく職員が介助に入り 後半は両手引きして室内歩行してくださった。
暫くして おやつ。
差し入れのドラ焼きを戴いた。
美味しいのだが それほど進まない。
おやつ後 トイレ誘導「大・小」排出。

昨日のデイの荷物を整理して 取り替えた肌着等を纏めて袋に詰め込んだ。家で洗濯。

今日も母は時折泣いた。
みんなと一緒の時には泣かないのだが 居室にいると…。
それも 陽が傾いてくると…。
これは もう仕方がないのでギュッと抱きしめるしかないのだ。

ホールに移動して母の隣に座してテレビを観たりして落ち着くのを待った。テレビに見入るようになったので そうっと施設を後にした。

予定ではもう少し早めに歯科医を尋ねる予定だったのだが…遅れた。1時間待ちくらい…と言われたが 30分ほどで順番が来た。
とりあえずの応急処置をして頂いて 後は連休後と言う事になり お薬を貰った。
これで 連休中は安心できる。
痛みの起きた歯以外にもメンテの必要な歯があるのだ。
医師はその事には触れなかったが…次の通院の時は言われるだろうと思う。
暫く 歯科通院が続くだろう。
これで 母の入れ歯のメンテも繋げていこうと思う。

昨日眠れなかった分 今日は断続的に睡魔に襲われた。


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