母のタイムスリップ日記
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2009年04月30日(木) 忘れてた♪


クリーニング出して 仕上がり日に受け取りに行けなくて のびのびになっていると気がついた。
菜園の賃貸料金の支払期限 今日だった。
母のオムツの支払いも…。
ついでだから美容院にも行ってこよう。
それなら 菜園に蒔く枝豆の種も…。

そんな用事を思い出して お昼前に自転車で外出。
一番先に銀行。
それから美容院へ。束ねられる程に伸びてしまっていた。
夏場のことも考えるとパーマの方が良いかと思ったけれど時間が勿体無いからカットのみ。
あれこれ言わずとも 長年の付き合いなので好みを外さない程度にカットしてくれるので助かる。

クリーニングを受け取って 一つ先の駅にある銀行へ立ち寄り それからもう一つ先の駅の農協まで自転車を飛ばした。

今日は日差しが強くて汗をかいた。
午後だったので 種以外の収穫はなし。
そういえば ここまで来なくとも野菜なら地元の農家の市の立つ日だったと気がついた。

帰り道は川べりの道を遠回りして戻った。
大きな道路を横切らず 車を気にせず景色を楽しみながら…。
川べりのアカシアの木に真っ白な花の房が下がっていて甘い香りが漂っていた。
抜けるような青空と言うよりは 白っぽい青空で初夏の装いだった。

家に着く頃にはクタクタ。
探し物もあり ついでにあちこちのお店に行ったけれど 見つからなかった。家に戻って ネット検索したら見つかった。
先に調べておくんだったわ♪


2009年04月29日(水) よいこらしょとお散歩


連休初日。
母の所に向かう。
昨日みつけた「こいのぼり」風もなくてクシュンとした。
そうか 昨日は風があって「ここにいますよ」って主張してたんだな。
今日は 風もないので自転車を漕ぎ出すと汗が出た。
ちょっとの違いなのだけれど 昨日のような天気の方がすっきりと感じるものだ。

施設に着くと母は ソファーで居眠り。
結構深く寝入っていて 立ち上がりも困難だった。
見かねて職員が介助を手伝ってくださった。
一旦 ソファーに座って それから再度立ち上がった。
チークダンスの距離でようやく歩ける状態である。
トイレ誘導したら 目覚めて「大・小」を排出。

その後昼食介助。
今日も噛む力が弱く 1時間半かかった。残量もご飯二口程度のみ。居眠りも始まりそうな気配で少し慌てた。

母の空腹感て どのくらいなんだろうな。
空腹感に合わせれば 多少は変化するのかなぁ〜。

昼食後口腔ケアを済ませて 水分補給しながら居室で遊ぶ。
ごくりと飲み込むまで少し時間が掛かるので 明日のデイの支度をしながら…。
着替えとトレーニングパンツとパット2枚。
連絡帳に書き込む。
前回持ち帰った作品があった。
でも母が作ったものではない筈だ。
母は手作業はもう無理。
指示の言葉は脳まで届いても 指示通りの動作はできない事の方がずっとずっと多い。
仲間の作業の傍らに身を置いて 皆の姿を見ているだけでも楽しそうな表情を見せてくれるのが救いである。
作品のお礼と 居室に飾ったとの報告を連絡帳に書き込んだ。

それから 上着を着こんでお散歩に出た。
今日は 母の腰がとても重く ポールに掴まって腰を上げることもようやっとの状態。
それで散歩に出るのはどうかなという迷いもあった。
でも折角心地よい季節 外の風に身を置くことも良いのではないかと思った。
母の意志を確認すると弱い意思表示だった。
でも拒否はなかったので…。
きっと今日は足(膝?)が痛いんだわ。
前屈気味だったが それでもゆっくりとしたペースで外に出て歩けた。
子供の姿をみて喜んでいた。
以前ならチャチャッと歩けた距離だが 今日はやけに時間が掛かった。時折バランスを崩しそうになって…慌てて強く支えた。
公園で暫くお日様に当たって 水分補給し施設に戻った。
エレベーターに乗った途端 泣き出し自分のフロアで降りてもグズグズと泣いていた。
職員がそばにきてくれても 横を向いてしまう。
母は家に帰るモードになっていたのかもしれない。

戻ってから トイレ誘導し「小」を排出。
それから ホールのテレビの前のソファーに座って貰った。
そして 切れてしまうアロエエキスを購入するために出かけると告げ
ドラックストアに走った。
その間 母はぬいぐるみを撫でながら起きていた。
食前や食後のうつらうつらモードは 解消されていたのだった。
お日様の力は偉大。

それからちょっと安心して 施設を後にした。
何処にも寄らずに家に向かった。


2009年04月28日(火) 抜け出せたかも…


 ひんやりとした風と真っ青な空 自転車を飛ばしながら♪甍の波と雲の波
……高く泳げや鯉のぼり♪と小さな声で唄ってみた。
これまでご近所で鯉のぼりは見かけなかったが…。
新築の家のお庭に泳いでいました。ピカピカの鯉のぼり。
初節句かなぁなんて感じて…。
更にヒートアップして 大きな口パクで「こいのぼり」を唄った。
人気のないことを確認しながら…。

考えて見ると久しぶりの爽快感。
気温とお日様と青空だけでも充分だったのだが 鯉のぼりまで泳いでいて条件が揃ったということ。

施設に着いて母をトイレ誘導。
少し後ろに比重が掛かっていたが ちょいと持ち上げて 着地足を直してまっすぐ立位。それから 歩行開始。
「大・小」を排出。
ちょこっと椅子に座ってもらって後片付けを済ませて テーブルに着いて食事開始。

昼食は 思いの外苦労があったが 1時間半かけて一口のご飯を残して終了。
一時 肉を喉に詰まらせてしまって 冷や汗をかいた。
母自身も「あ〜吃驚した」と言っていたくらいだから。
そんなに大きな肉切れではなかったのだけれど 油断は禁物。
やはり噛むことに問題があるんだろう。
連休があけたら 歯科通院を考えなくてはいけないなぁ〜。
でも指示通り噛めない母にどれほどのことができるかなぁ〜。

家で作ったモズク酢。酢の物が好きな母は嬉しそうだった。

食後 口腔ケアとトイレ誘導。「小」排出。
それから ちょこっと水分補給してもらいながら 入浴の支度で着替えを準備した。

入浴まで テレビの前に座って 教育テレビの講談を見ていた。
が 入浴の時間が来てしまって 母に見せる事は出来なくなった。
他の入所者の方が テレビに見入っていた。

今日中に仕上げたいことがあるので そうっと施設を後にした。
作業は 何とか終了。
後は 再度点検して…。半年前の事を纏めながら 我ながら未熟だなぁと感じた。


2009年04月27日(月) テレビの前に座って…


TBSの番組替えで 楽しみが半減している。
テレビは 殆ど見ないので影響は少ないがラジオは…。

聞き慣れていたからということも多少はあるかも知れないが 聴いて見たいという気になれない。
ちょこっと聴いてみてもしっくり来なくて…おそらく好みの問題だろうと思う。

昨日の ネットニュースで 視聴率が下がったとあったので 同じような想いをを抱いている人も多いのだろうか?

ダイヤルは1日中954だったが 最近 違う周波数に合わせる事も度々である。

先日帰宅した娘が DVDを持ってきた。
海外の作品である。
実在する 平均年齢80歳のロックンロールコーラス隊のストーリー。
ゆっくりとした展開だが じわりと沁みてきてもう一回観てもいいかなという気持ちになった。
夫は 退屈に感じて途中退散だった。
いい感じだねとは言っていたのだが…。
久々に テレビの前に腰を据えた。


2009年04月26日(日) 娘の手土産


締め切り僅かになってきた 依頼されている作業。
気になりながらなかなか手を付けられずにいた。
今日 ようやく 自分の資料を取り出して どんな風に纏めようかと検討を始めた。
3日で終了しなければならない。
お尻に火がつかないと行動に移せない…困ったものだ。

母の昼食介助に出かけた。
ソファーで居眠りを始めていたけれど 割合浅かったようで 直ぐに目覚めてくれた。

トイレ誘導 口腔ケアを済ませた。
「大」「小」が 排出できた。

今日は 時折泣いていた。感情失禁と言う事だろうが…。
満たされないものを感じてるのだろう。
施設に託している身には 申し訳なさでいっぱいとなってしまう。
母は 泣く事で気持ちを吐露でき 私は 受け止めてあげるしか 今は出来ないのだ。

昼食は 昨日よりは早いペースで進められた。
相変わらず 食べ始めは スローペース。
今日は 途中から長いもの摩り下ろしたものを使った。
使い始めたら 母に笑顔が出てきた。
母にとっても そうの方が良かったのだろう。
食べ物を喉まで送り込む機能が 少しずつ衰えてきていると言う事を本人も自覚できているのかな?

昼食後は トイレ誘導と口腔ケア。
それから 居室で手足のマッサージ。
手遊び。
そうこうするうちに 職員の排泄誘導が行われた。
便座に座っている間は 出なくて時間切れ。
其のまま 職員からバトンタッチ。
途端に「小」排出できた。
職員は 申し訳なさそうに離れたけれど こればかりは 職員のせいではないのだ。
生理現象であり 時間での対応には無理があるので仕方ない。

私のいる間は 任せて戴ければいいのだが 訪問介護というシフトなので介護保険上で支障がでる。
いや 介護保険上で実際に介護に入らなければ保険請求できない仕組みの問題である。
母にも 職員にも 家族にも いろいろ面倒なことだ。
なんだかなぁ〜って感じである。

今日も 介助してくださる職員の頭を撫でたり 腕を撫でたりして感謝の意を表していた母。
職員もそれを受け止めてくださり ありがたいと感じた。

2時を廻って 家に戻った。
それから 遅い昼食である。

昨日は 娘が手作りの肉じゃがとおかず味噌を手土産に帰宅。
家では 全く家事に関わらなかったが 1人の生活を始めて調理・洗濯・掃除を確実にこなしているみたいだ。
生活を楽しんでいると言う感覚が伝わってくる。
手土産のおかずは 手探りながら 天晴れな味。

高山なおみファンなので 以前から買い集めていた本を手にあれこれチャレンジしているみたい。
午前零時に戻っても 食事は作っているとのことだ。
食材を購入するのに時間の制約があり 生協を使おうかなとも言ってた。

味噌やしょうゆ等の調味料 米の選び方等 我が家の基礎の部分の問い合わせも時折ある。
今回は 黒米・玄米・米を少量持ち帰らせた。
これをベースに 自分のお財布と好みで選んで行けばよいと思う。

友人・知人・仲間も訪れることもあるようで 程ほどの賑わいもあるらしい。

今朝 自分の住まいに戻っていった。


2009年04月25日(土) めぐみの雨


最近は 昼食介助の少し前に施設に向かって トイレ誘導するようにしている。今日も そのペース。
母は ソファーで 入れ歯を外して居眠りしていた。
トイレでは 3回に分けて「小」を排出。
これまでは2回に分けて出ることはあったのだが…。
1回の量が普通の1回分という感触である。

食事は 結構 時間が掛かった。
噛む事を忘れたようにはならなかったが かなりゆっくりペースだった。
母のペースに合わせてゆっくりのんびり。
1時間半を要した。

それから 居室で爪切り。
居室を出たり入ったりする度に「…も行く」という言葉を発し 時折泣いていた。
昨日 通院したりで母だけに向き合う時間が長かったので 1人の時寂しく感じたのかもしれない。
腰周りの赤くなる程度の疱瘡前の状態も 大分改善されてきてホッとしている。

油断は禁物だろうけれど 歩行が出来て 普通食を普通に食べる事が出来てもそういったことは起きると言う事は 頭に叩き込んでおこう。

今日は 2時過ぎには施設を後にした。
雨降りで…洗濯物が鬱陶しい。
先日 種を蒔いた菜園には 恵みの雨。


2009年04月24日(金) 久々に会話成立


昼食に間に合うように 施設に滑り込んだ。
お弁当を広げながら 昼食介助。
ゆっくりペースだけれど 順調に食べてくれた。
途中 昼休みの職員と話していたら…母のまぶたがくっつきそうになり
慌てて 介助に専念した。

今日は かかりつけの医師の所に通院予定なので職員に伝えた。
訪問介護の時間とすり合わせて 通院前に訪問介護に入って戴くことになった。

昼食後のトイレ誘導は 職員に任せて 通院の準備をした。
母のバックにパットや飲み物を入れて 寒くない服を準備した。
なかなか 散歩に連れ出せなくなっているので 通院の道のりのどちらかは 車は使わないと決めていた。

職員の誘導で「小」を排出。その後 ちょこっと水分補給。
暫く置いて 再度トイレ誘導し「大」を排出。

着替えを済ませて 車椅子移乗して外に出た。

「寒い」と言うほどではないのだが ひんやりとした風。
10分ほど車椅子を押した。
母はその間「おかちゃん おかちゃん」と呼んでいた。
その度に車椅子を止めて 母と顔を合わせた。
緩やかな上り坂を上りきってから「歩く?」と聞くと頷きながら「あるく」と言う返事。
車椅子から降りてもらって 一緒に空の車椅子を押した。
さすがに横断歩道を渡る時には 車椅子に座って貰った。
渡りきったところで 再度 車椅子を一緒に押した。

暫く歩いてから 車椅子に乗って貰い 水分補給。
喉が渇いていたようで すんなりと飲んでくれた。

それからは とっとこ1人で車椅子を押した。
歩いている時は とても嬉しそうだった。
幾度か「車椅子に乗る?」と聞いてみたが 首を横に振るばかりだった。

施設を出て 4.50分でようやく診療所に着いた。
ビルの中では 再度車椅子を二人で押してエッチラオッチラ。

待合室で暫く待って 医師が「〇さん」と母のそばに見えて 両手引きで診察室に入った。
不思議と医師の顔をみて安堵している母だった。
血圧やや高め。
「歩きたがるんですよ。車椅子を一緒に押すと 機嫌が良くなるのですよ」と伝えると「ほう 偉いなぁ〜」と。

特別の変わりもなく 今日の診察は終了。
その後 トイレ誘導で「小」

それから お店をくるりと回ってから タクシーに乗って施設に戻った。
施設に着いて トイレ誘導で「小」
着替えを済ませて 夕食のテーブルについた。
「お腹空いた?」と聞くと「そんなでもない」と答えた。
これは 会話としてばっちりだった。

行きの道で 八重桜の花を見上げた。
「桜ですね。八重の桜ですね」と言ったら しみじみと見上げて「そうですね」と答えた母。
会話になったのは 久々で とってもとっても嬉しい一こまだった。
他にも何回か 何かをしゃべろうとして「あのね。わたしの…」と言いかけてた。いずれも最後までは語りきれなかったけれど 話したいことがいっぱいあったのだろう。
話せない不自由さを知る度に つ〜んとしてしまう。

今日は外出にも関わらず トイレ誘導のタイミングはばっちり。
職員の話では 朝食後から ずっとトイレで用が足せていると言ってたし 外出中もそうで 日中の空振りはゼロ。


2009年04月23日(木) こんな時 どんな時


「イヴェントのコーナーの広報の原稿をチェックを…」と先日欠席した会議からメールが入った。
広報を担当する方の労力は 並大抵なことではないと思うので早々に担当者に返信。

企画の広報って 結構思い入れが 強くあれこれと訂正を加える人も多い。それも大切な事だ。
でも 無償で行う作業では 気の毒という思いが先にたってしまう。
企画に対しての想いが希薄なのかなぁ〜。

気力が下降気味である。
この時期特有のものなのかもしれない。
こんな時もある♪


2009年04月22日(水) 1日だけ


お昼に間に合うように母の所に向かう。
母はテレビの前のソファーに座っていた。
目を覚ましているので荷物を居室に置いて母の所に戻ると今にも眠ってしまいそうだった。
慌てて 母を起こして居室に入りトイレ誘導。
笑顔を取り戻していた。
職員から 今朝「大」多量と教えていただいた。
昨日 ラブレを飲んで貰ったのだ。「こりゃ いい感じ」
けれど トイレで緩めの「大」。効き過ぎたかな?

その後 昼食のテーブルに着いた。
程々のペースで食べてくれた。
でも後半居眠りが始まりそうな気配で注意を促しながら何とか完食できた。

食後トイレ誘導し 口腔ケアをして椅子に座ってもらった。
程なく 療法士さんが見えてリハ開始。
「大分良くなってきましたね」と療法士さん。
そのうちに母はzzzz。

その間にチョコチョコと整理をした。
リハが済んだ後もzzzなので その間に 明日のデイサービスの準備をした。トレパンやパット。入浴後の下着等。
そして朝着替えのものも準備。
暖かくなってきているので 気温に合わせて…。
連絡帳も記入した。

母が目覚めたので 椅子に座って貰った。
ふと目に留まったのが耳。 「ちょっと耳掃除かな」と綿棒を取り出し お掃除開始。
母の耳は特殊だし 耳掃除を嫌がるので医師任せなのだが 診療所は2階でこの所遠ざかっている。
ちょこっと右の耳を掃除した。ほんの入り口のみ。
いい感じだったので 図に乗って「あとちょっと」とチャレンジ。
が 母は入れ歯をフガフガさせて怒った。
危ないので入れ歯を外して左耳にチャレンジ。
少し怒ったけれど 何とか入り口のみお掃除できた。
きっと 奥のほうには固まった耳垢が溜まっているんだろうな。
さて 何処の耳鼻科に行こうかなぁ〜。

それから水分補給。
最初は嫌がったが 何とか定量は飲んでくれた。
施設のおやつも出て お茶とクッキー。

さて 職員のお話では 今日はいつもと違う介護シフトらしい。
訪問介護ではなく 従来の介護シフトなんだそうだ。
31日ある月 一日のみこんな日になるかもということだった。
先に教えて戴ければ 外出の予定も遠慮なく立てられたのにと思う。
結局 四時近くまで施設で過ごして 帰路に着いた。

帰る前に何となく熱っぽいので 検温。37度ジャスト。
職員に伝えた。心配はないと思うけれど 要注意状態かな?
気温が上がってきた昨今だけれど 高齢者にとっては まだ微妙な時期である。皆さんの手に触れると冷たい人の方が多い。
この時期の服装って 難しい。

今日 いつもベットで横になっている方がホールに見えていた。
以前は 母よりずっと多弁だったのだが 今は全く話さない。
賢い方だから 物を言える立場にないと思っておいでなのでは…と思うのだ。
その方の手を取ってほほずりして 顔を撫でて差し上げたら 硬い表情が僅かに緩んだ。
母と同時期からの入所で あちこちに出かける時も一緒だった方なので構えることもなく受け容れて戴けた。
体温の伝わる距離…想いの伝わる距離はそれぞれ違うのだが 受け容れて戴けることって嬉しい事だなぁ〜。 


2009年04月21日(火) 町内会


お弁当を作って母の所に出かけた。
昨夜 母の事を意識して小なすを素揚げしてからガンモと煮びたしにした。水分を含んだほうが母が食べやすいと思ったから。

施設に着くと母はソファーに座ってテレビを見ていた。
昨日入って下さったボランティアさんの記録をみると昨日も起きていたようだ。

最初は ぼんやりと私を見ていたが「立ちますよ」でスイッチが入ったようで笑顔を取り戻して居室までスタスタ。
トイレでは「大」を排出。
それから ギュギュッと抱きしめてから ホールに出て昼食介助。
家からのものも含めて全量摂取できた。

その後排泄誘導し「小」。口腔ケアの後 水分摂取しその後はボールで遊んだ。椅子に座った儘だが 見事にキャッチしてくれる。

暫くして 入浴時間となった。着替えを準備して 後は職員にお任せし 買い物に出た。
ドラックストアで ティッシュを購入した。
戻ってみたら まだ入浴中で 入所者とボール遊びした。

お風呂から出た母に フルーツゼリーと水分を摂取して貰った。
それから 足の爪切りをして 手足のマッサージ。

おやつは夕食に響きそうなので 中止してお茶のみ摂取。

夜 町内会の初回の集まりがあるので 帰宅する事にした。

夕食を準備して腹ごしらえをして集会所へ。
今年は町内会の当番。
出てみて驚いた。役職についている人は高齢者だが 班長さんは若い人が多かった。
顔見知りもいるし…。
あれこれ動議が出た。好い方に向かって改善されて行きそうな気配を感じた。


2009年04月20日(月) どうしようかなぁ〜


利用者さん訪問の日。
お元気で 自宅に戻られて草取りやお掃除をなさっていらした。
これまでは 草取りは趣味みたいなもので…と話されていたが 5月からは「草取りのお手伝いをして頂きたい」とお願いを受けた。
「90歳を越えて いよいよ疲れを覚えるようになってきて…」と言われたが施設に入所なさって 生活の緊張が揺るんだのかもしれないと感じた。
でもまだまだお元気で 連休後は3泊4日で 電車利用してお出かけの予定があった。

活動は お掃除だが生活なさっていないので 汚れも少なくて30分早く終了。それから おしゃべりをして時間となった。

5月には お決まりの学生時代の仲間との集まりがある。
大勢で集まることを苦手とする友人。
今年もワンちゃんのお世話を口実に欠席ということだ。
それを「そんなワンちゃん捨てて参加しなさい」と友人が冗談交じりに言ったらしい。
そう言われた友人も特段腹を立てることもないのだが…。

今年の参加 どうしようかなぁ〜。
夫は 母を連れて出かけてみたら…というけれど 体力はどうかが気がかりである。


2009年04月19日(日) あっ!!


施設に着くと母はソファーに座って前のめりに熟睡してた。
名前を呼んでも 肩をとんとんしても目覚めない。
顔をあげて 誰か見定めようとするが直ぐ眠ってしまう。

昨日とは違うお天気模様。
それでも 立位介助で立ち上がって貰って居室に移動しトイレ誘導し「大」「小」。
それからは 中くらいの笑顔。
言葉も少ない。
こちらの言葉も理解し難そうだ。

ホールに戻って食事介助。
今日は 口の開きが小さいし噛む力も弱い。
ゆっくりペースにあわせてのんびりを決め込んで介助。

30分ほど介助して「あれ?」と思って口腔内を確認。
下の入れ歯がない。「たべちゃった!?」冷や汗が出そうだった。
ふと思い当たり 熟睡していたソファーに視線を移したら「あった〜!!」少し遅れ気味だったので 母への注意力が足りなかった。
「ごめん 堪忍」と母に謝って 昼食再チャレンジ。

口腔内のおくりがうまく行かない日なので 慌てても仕方がないとのんびりのんびり食事介助。1時間半掛けて4分の1残量で終了。
水分だけは 全量摂取。

職員のトイレ介助があるので先に歯磨きをした。
それから 職員に託した。「小」を排出していた。

今日は 自分のお弁当を持ってきていないので お隣のお店にお出かけ。外出の支度を始めると母もそわそわ。
トコトコ歩いて外に出た。
お隣のお店でおなじみのワンタン麺を注文。
店主は小鉢も準備してくれた。
そこへワンタンと汁を入れて 母の口へ運んだ。
これが まだ冷め切っていなかったのでフガフガと入れ歯ごと。
出ると判ったのでサッと小鉢を口元に持っていってセーフ。
施設ならありふれた光景だが…幸い客もなくて助かった。

昼食の残量4分の1分を埋め合わせる量とおやつの水分を補給できた。

お店を出て近くの公園に出かけ 暫く春風に吹かれた。
走り回る子供たちを目で追っている母だった。

程よいところで切り上げて 施設に戻った。
トイレ誘導して「小」
居室で少し遊んでから ホールに移動。
テレビに視線を移したのでそうっと施設を後にした。

家に戻ってから 考える事があって PCで記録表を作成してみた。


2009年04月18日(土) 「あべはぁ〜!」「どさ?」


 施設に着くと職員に両手介助して貰ってテーブルに着こうとしている所だった。「『こまった!』って今 話されたのですよ。何が困っているのでしょうね」と職員から聞かれた。
「何なのでしょうね?」と答えてから 介助の手を職員とバトンタッチしてトイレ誘導。
歩き始めたら「あべはぁ〜!」(行こう)と母。「どさ?」(何処に)と聞き返した。
暫く考えているようだった。
「〇×?」とふるさとの名を言ってみた。無反応。
暫くして 母の実家の番地を口にしていたところをみると「ふるさとに 何かが起きて帰りたいと思ったのかもしれない」
「お母さんに怒られるから早く帰らなければ…」と初期の頃はさわさわしていた。その場面が思い起こされた。

トイレで「小」を排出後は笑顔を取り戻し 食事も良く噛んでいた。
60分弱で食事が済んだ。
その後 トイレ誘導し口腔ケアをして水分摂取。
それから 手足のマッサージ。
左足をマッサージした時つま先を痛がった。
血の巡りが悪いのだろうと感じた。
マッサージが終わるたびに頷いていたので気持ちよかったのだろうと思う。
仕上げに首筋にアロマを施して終了。
そうそう居室にもアロマを焚いた。

落ち着いているし 訪問介護が入るというので そうっと施設を後にした。
さて 母は本当は何処に行きたかったのかな?


2009年04月17日(金) 久しぶりの快挙?


生協の荷受をして 母の所に向かった。
今日も居眠りせずにソファーに座っていた。
私を見つけて「やぁ〜」という視線を送ってきた。
久しぶりの表情だった。
にこやかで なにやらおしゃべりも多い。
険しい感じのおしゃべりではない。

「立つよ」と言葉をかけたら深く頷いた。
でも立位の意志はあっても 腰が重かった。
立位した時は左傾斜が強かったが もう一度着地する足を立て直したら 歩行も可能だった。
トイレ誘導して「大」を排出。
トイレにいる間中もわはは おほほよく笑っていた。
時に冗談ぽい反応を返す時もあった。
ちと笑いすぎで 気にはなったが涙を零すより良いかと思い直した。

昼食もよく口を動かして噛んでいた。
今日は 長いもやオクラなしでも充分食べられた。
ご飯はやや少なめだが それでも私たちが食べる一膳分はあった。
それを1時間弱で食べきった。
久しぶりの快挙だった。

気温が下がった今日は母の手足は冷たかった。
そこで厚手のブラウスを一枚羽織って貰った。
食事中もあはは おほほとよく笑っていた。

食後 居室に戻ってトイレ誘導「小」を排出。
その後口腔ケアをして 持参した飲み物を飲んで貰った。
最近は 噎せることもあるので時折 とろみ剤を入れて調整する事もある。ドロッというよりもサラッに近いとろみである。
食事の汁物には とろみ剤はまだ使っていない。
まだ 大丈夫。

暫く居室で遊んだ後 ホールのソファーに移動して貰った。

午後地域で2ヶ所目の介護者の会の初会がある。
昨日 施設で役所の方とお会いして「今年度の事を話し合いたい」という事だったので打ち合わせもあって出かけた。
2ヶ所目の地域に住まわれている方は心待ちなさっていた。
これまで電話だけで会にはお見えになれなかった方が初参加。
これには 驚いてしまった。
私は遅れて着いたのだが その方 到着するなり堰を切ったようにお話なさったそうだ。
やはり 出かけたくとも出かけられない環境にあったのだ。
こういう方が もっとおいでなのだろう。

役所から「本人参加の場に…」と希望を伝えられた。
役所の協力を引き出しながら 実現できるようにと思う。
介護している者にとって厳しい運営となるかも知れないが 介護卒業した方や地域の方の協力を引き出しながら 根を張って行く事になるのだろう。

会が終わって 仲間と二人トコトコとおしゃべりしながら家に戻った。


2009年04月16日(木) 雑記


今日は 工事日。
何の工事かというと光通信に替える日。

実は 少し前から電話が通信中に切れるということが起きていた。
電話機メーカーさんに電話したらタワーの劣化が原因だろうと言われた。

そこに 連日のように「光に替えませんか」と電話が入っていた。
それで 思い切って替えることにしたのだ。

工事を勧めてくれた会社の方が「質問があったらいつでもどうぞ。コマーシャルでご存知かと思いますが…」と電話番号を教えてくれた。
が テレビを観ない私めは「?!」
普段あまり不便を感じないが こういう時情報が入っていないのだなと知る事になる。

工事している間 溜まった書類を整理した。
2年分の資料2種類を順繰りに纏めた。
これを 捨てるか残すか 悩ましいところである。

途中で 母の利用しているデイサービスに 伝える事があって電話をした。用件は了解を得た。
その時に「おかあさま 笑顔が増えて 今朝もニコニコなさっています」と様子を伝えてくださった。
デイでも落ち着き始めていると知り嬉しかった。
1月末から暫く 泣いたり不安げな表情で「何が起きているのか」と心配だった。
この所 笑顔が連続して見られるようになってきて 暮れの頃までの状態に戻っている。

認知症で言葉を失っても なにもかも判らなくなる訳ではないと母から学ばせて貰っている。

光に替えても パソコンはまだ重たい。
業者さんと話して 重たい原因のひとつもやっぱりと思うことがあった。
勿論 根本は容量いっぱいのせいにある訳だけれど…。


2009年04月15日(水) 桜の花の色は…


気が付けば 木々の緑が賑やかな彩りを見せている。
紅葉とは違う楽しみ。

此の頃 母と私について様々な感想を聞くことが多い。
「大切に思えばこそですね」という言葉はこそばゆい。
いつも書いているが 親孝行から発しているのではない。
認知症という病に接しているうちに 考えさせられたのである。

もし私が認知症になったらどうなるかなといういうとこから発しているのである。

母は1番そばにいて 何が起きているか遠慮なく聞け見守りが出来るから随分多くの事を学ばせて貰った。

だから 母というよりも認知症になってどういうところで困るのかを検証させて貰っているというのが本音かもしれない。

それでも いつの間にか母と歩む道が楽しくなってきたのも事実。
下降気味の今は ちょっと辛い事も起きるけれど 笑顔を取り戻せた時はやったぁって感じになる。

さて今日の母 朝はなかなか目覚めなかったそうで二人掛りでようやく起床したそうだ。
施設に着いたときは 深く寝入っていたが 起こしたら笑顔の連続で快調だった。

リハビリも済んで少し眠った後 目覚めてニコニコ。
気温が下がったせいなのか 職員も水分補給を意識してくれたからか 順調に「小」を排出できまずまずといったところ。

夕方は施設にお任せして 明日の準備にあれこれと。
明日は 〇から△に替える工事日。 その手続きに手間取った。

さて TBSラジオのスタンバイで桜の色の続編が話された。
桜の色をデータ化できないので 真実はまだ確定されていないのだそうだ。
白内障で白っぽく見えることも真実。
つぼみの頃と花が開ききった頃には 赤みを帯びて見えるのも真実。
だから つぼみが膨らんで咲き始めた後 気温が下がった儘で 直ぐ満開になった今年の桜は 結構赤く見えたという説も真実に近いらしい。
だから 今年ピンクに見えたのは「目は元気」というアピールのために見えたのではないと判っただけでちょっとホッとした。
この分野に関しては 研究の余地があるそうだ。



2009年04月14日(火) 慣れ親しんだ味


昼食前に着いたら 母は久々に目覚めていた。
荷物を置いて母の所に戻ったら 居眠りを始めそうな気配。

立位介助して トイレ誘導。
肩を抱いて安定を図って 腰を上げようとする母の自発の力を引き出しながら立位してもらう。
この時 椅子に浅く腰掛けなおして 母の身体を前に引くように起こすと母自身の力が誘発されるように思う。
床に着いた足を良く見てから 両手介助に切り替える。
安定しない時やこちらの体勢が整わない時は すぐ行動に移さないようにして双方の安定を探る。

そういった事を教えてくださったのは 療法士さん。
其のまま行っているわけではなく 母の力の入り具合に合わせながらである。

そこまで踏ん張っても 左傾斜が強い時は どうしてもこちらのバランスも欠きやすい。
左わきの下に肘まで腕を回して背中を支える。
そうすると 母の左傾斜が改善される事が多い。

母自身が 傾斜を直す事は難しい状況である。

食べる事も 歩く事も 大変な時期に差し掛かっている。
まだ 母に立ち上がる意志や歩行の意志があると感じている。
出来る限り意志は尊重してあげたい。

食事介助の時 私のお弁当に筑前煮の中にゴボウがあった。
かなり柔らかく煮たので母も食べられるだろうと思った。
でも一度目は 噛まなかった。
2度目の時 少し歯で噛めた。
「ゴボウのような黒い顔の〇ちゃん?」と聞くと首を横に振った。
「豆腐のような白い顔の〇ちゃん?」と聞くと頷いた。
ふふふ こちらの質問判っているんだわ♪
こんな風に 母の意思表示の返って来るのを頼りにしながら 母の意思を確かめている。

食事は 順調に進んだ。
少し 時間は掛かるのだがマイペースでゆったりと普通食で…。
今日は ふるさとの味。ウルイとニシンの煮びたしを持っていった。
ニシンはちょっと危ないので避けたが ウルイの煮びたしを食べた時の母は 嬉しそうだった。
一度だけなら偶然とも考えられるが 口に運ぶたびに嬉しそうな顔を見せてくれた。
味もまだ感じられていると伝わってきた。

歩行出来なくなって 直ぐに寝たきりになる訳ではないし 車椅子での生活にも活路はあるだろう。出来る限り起こしてあげる工夫を凝らせると思う。
食べる事もいずれ刻みになったり ミキサーになったりすると思う。
それだって 母の意思を見ながら…だろう。

母の言葉は確実に消えつつある。
でも たまたま居室を離れて戻った時「どこさ 行ってたの?」と母は言えた。母の言葉は 今日はこの一回だけ。
質問に言葉で答えることは難しくなっているけれど 自発の言葉は時折発せられる。ありがたいことである。

長い時間が残されている訳ではないだろう。
できる範囲で母の意思を汲み取りながら行くしかないのだよね。


2009年04月13日(月) しまった!!


 昨夜「忘れた!」と思い出した。
ひとつは 母の排泄の伝達。
もうひとつは 水分補給の準備。

忘れたからといっても重大なことが起きるわけではないのだが…。
それでも 職員は 排泄の有無で心配するだろうし 水分も職員に手間をかけてしまうだろうし…。

今日は ようやく家の事ができると思っていたのだが そうは問屋が卸さないことになってしまった。
考えれば ボランティアの方には 食事介助から排泄誘導等の介助に替えるので いろいろ説明をしておいたほうがベスト。

幸い 夫が早目に出勤していったので 庭の後片付けを済ませることができた。
それから あれこれ家事(お掃除)に取り組んだ。

仕事をしながら いつもと同じ時間配分で施設に向かうのに 今日はやけにちゃんちゃんと家事が進むなと感じた。
これまで怠けていたのかな?と思った。
でも どうも 違う。
母に心からの笑顔が戻って 時間の余裕が生まれてきていることで気持ちが軽くなってきているのだ。
気の持ちようとは思うけれど やっぱり不安があると生活全般のすべりに影響して行くのだなぁ〜。

ボランティアさんが入る時間に何とか滑り込んだ。
先に入っておいでで 施設長にある程度の事を聞いておられた。
それから 介助のお願いをあれこれ説明した。
説明した後 入る方のやりやすい形でいいですよとも補足した。
前向きに母に接してくださるので安心できる。

ボランティアさんが 帰られたあと 昼食介助に入った。
1時間たっぷり母に対応して戴いたおかげと母の機嫌も良かったので昼食は久々にスムーズに進んだ。
とは言っても1時間近くは必要なのだけれど…。

食後 トイレ誘導で「大」「小」排出。
その後 水分も補給して…。
後は 職員にお任せして家に戻った。

昼食を摂って 少し休息してから菜園に出た。
種まきをしていたら 介護仲間が助っ人に来てくださった。
天地返しがしてあったので いよいよ始めるかと察してくださったみたいだった。

夕方まで作業して 家に戻った。
まだ 予定していた事は終えていないけれど…。
でも ようやく気持ちが上を向き始めたみたい。

明け方 不安でいたたまれない気持ちになることも大分緩和された。


2009年04月12日(日) 4者で話し合い


昨夜 娘が帰宅した。
今朝 母の所に立ち寄ってから自分の住処に戻っていった。

母はご機嫌で ニコニコ笑顔を見せてくれた。
トイレ誘導では 「大」「小」。

昼食介助もよくも悪くもない。いや 下り坂には違いないけれど…。
食後 持参したメロンと水分摂取。

午後 ケアマネと施設長と職員と4人で4月の訪問介護のお話。
これまでで初めて 判りやすい説明と前向きな案が提示された。
こちらも状況が だんだん判ってきた事もあるだろう。
でも考えれば まだ不明のところはあるのだった。
近いうち ボランティアの方も含めて話し合いを持ちたいと話されてた。

訪問介護で出来る調整をした。
NPOの事業所に入って貰って 月曜日の昼食前の介助に入って貰う事で月曜日は 私のほうに余裕ができそう。
これで 多少は家の中のことが出来そうでホッとした。
木曜日は デイ利用の日で社協のボランティアの方に入って貰う。
木曜日は 会議が入りやすいし 月曜日は訪問活動が入ることが多いので…。

介護保険改正によって これまで少しだけ余裕があったが4月からは少しオーバーするようだ。

ケアマネと住宅型有料老人ホームについて率直に話せた。
現場としても窮屈だそうだ。
問題は 移動に関するところだそうだ。

介護事業に取り組んだ一般の会社の撤退が 多くなってきていると聞いている。
うまみがないこともあるだろうが 縛り?も影響していることはないのだろうか?
良かれと思って基準を改善するたびに いろんな制限が生じて利用者にとってもマイナス面になることもあるような気がする。
介護保険を食い物にしてしまうようでは困るが…。

母の介護形態について改善が見られたけれど 言ったもの勝ちになっていないかと気になっている。

夕食介助は 施設にお任せして家に戻った。
それから菜園にでて 作業。
遅れたけれどジャガイモの植え付けと残っている土の天地返し。
終わって家に戻ったのが6時過ぎ。

それから 庭の方付けをして夕食の支度。
収穫した野菜を使って調理。
アスパラは 先日全部刈り取ったのに 次の目がぐ〜んと伸びていた。成長の早さに驚いた。
ていうか なかなか手が回っていないという証拠なんだけれど。
種も蒔く予定だったが 種を忘れてしまった。
明日はちゃんとしよう。

わわわわ 明日はやることいっぱいだわ。


2009年04月11日(土) 水分


昼食前に滑り込んだ。
トイレ介助で「小」「大」
昼食介助は「肉うどん」
適量で ゆっくりだが全量摂取。
相変わらず 食べ始めは噛み方を忘れているような感じ。
食べ進むうちに ちゃんと食べられる。
おかずも全て食べられた。

その後居室で水分補給。
トイレ誘導したが 空振り。
その後 職員も介助してくれたが その時も空振り。
水分 足りてない?

一時家に戻って 家事をして再度施設へ。
食事前にトイレ介助をして パットは濡れていなくて「小」排出。
やはり水分足りないかな?

配膳された食事の水分をみるとお汁とお茶で トータルしても200cc行かない量だった。
そこで 持参している水分を100ccほどコップに注いで先に飲んでもらった。湯飲みにも水を足して…。
夕食介助が入るので そこで全部飲ませて戴ければいいのだが…。
念のため 帰る時に「尿量がすくない事 尿の色が濃いことを伝え 水分補給よろしく」とお願いした。

1日 母は機嫌よく なにやらおしゃべりも多く 笑顔も多かった。
カメラにおさまった母は 穏やかないい表情をしていた。


2009年04月10日(金) 手探り…


生協の配送を受け取ってから 母の所に向かったので少し出遅れてしまった。
それでも昼食前のトイレ誘導はできた。

母はソファーで眠っていたが 直ぐに目覚めてくれた。
だが眠っていたので 立位介助しても左傾斜が強くバランスが悪かった。母自身もバランスが取れないことを自覚しているようだ。
「93歳で歩けるということ自体 健康な方でもなかなかいませんよ」と療法士さんから言われている。
「それもそうかな」とおもうように努めている。
何とか トイレまで介助して「小」「大」排出。

それから食事介助。
最初はゆっくり。
噛む事も本当にゆっくりである。時に何時噛むのを辞めてしまうかと思うことすらある。
でも今日も 後半 ぴっちが上がって全量摂取できた。
昨日は デイの後ボランティアの方に頼んで食事介助して頂いた。
職員の話では ボランティアの方が 食事介助済んだ時「疲れたな」と母が一言発したと驚いていたと伝えてくれた。
それもそうだなと思う。

食後 トイレ誘導するとパットが濡れていたが 更に「小」「大」排出。
それから 居室で爪を切ったり 足を拭いたり…。
窓辺に立って 桜を眺めながら唄って見たりしてすごした。
水分補給も。
その後おやつ。これも全量摂取。
2時前に排泄誘導にみえたが 空振り。綺麗に洗浄して戴く。
その間に他の入所者を訪問していたら 母は泣いていた。
職員が「いるから大丈夫よ」と話しかけてくれていた。

暫く遊んだ後トイレ誘導したら「小」
今日は 水分補給はうまくいっているという事だろう。
コンビニに走ってアイスを購入して半分食べて貰った。
更に水分補給。

家のことで気になることがあって 今日は夕食介助はお任せして帰宅した。留守宅には ファクシミリも入っていて…。
折り返し電話をした。
それから 電話で少し話しこむ。
かなり今の状態にカリカリなさっていた。
同意できる事もたくさんあって 申し入れや質問してみても何も変わりはしないけれど でもそうせずにいられない…と。

何をどうしていけば良いのか いまだ見えないことも多いけれど 今自分に出来る事は何か探り続けるしかないなぁ〜。


2009年04月09日(木) どうしようかなぁ〜


 介護は介護のみに留まらない要素が絡んでくる。
家族の関わり方である。

我が家の場合 紆余曲折を経て兄弟がようやく少しずつ向き合うようになって来た。
介護の片腕になるような関わり方とは ほど遠いのだけれど…。

夫もそれぞれが出来るスタンスで親と向き合えばそれでよいと割りきれるようになってきていたのだが…。

最近 夫の不満がくすぶり始めた。
「なぜ 家だけ…」という思いがある。
夫の兄弟たちは「後悔のないように 本人を支えて…」と応援してくれているのだが…。

最近 頻繁に施設に通うのでその辺りに不満が生まれてきているのだろう。
先日の弟が来た時 私のいない所で それを言ったらしい。

これから 母に関わる場面が多くなる。
夫の理解を得ながら…という事までの気配りは だんだん難しくなってくるだろう。
夫だって 母の状態は理解しているけれど それとこれとは別なのだ。
またひとつ 課題が増えそうだなぁ〜。


2009年04月08日(水) 苦笑したこと


今朝のTBSラジオの森本毅朗のスタンバイで 思わず苦笑してしまった。

先日 森本氏が「最近の桜 白っぽくない?」と言った時 天気予報士の森田さんが「それは 年のせいです」とすっぱり言った。

それから 連日桜を「今年の桜はピンクが濃いな」と見上げていた。
夕暮れ時は 特にそう感じて デジカメを持つようにしていた。
生憎 パタパタしてシャッターを切る時はなかったのだが…。

今朝「今年は ピンクにみえるのです」といい出して 遠藤泰子さんまでもが「そう」と。
そのうちに「赤いんです」とまで言い出した。
ま 冗談も入ってきていたのだが…。

おやおや 私も意識的に「年じゃないぞ」という目でみてしまっていたかなとひとり苦笑してしまったのだ。

もっとも「今年はピンク」という声は 他にもあるようで 次回までに森田さんが調べてくるとの事だった。

さて どうなりますか?
興味深深である。

昼前に母の所に出かけた。
ソファーで居眠りしていた母。
居眠りを想定して クッションや毛布を準備されていた。

直ぐに目覚めた母に立位して貰って トイレ誘導。
出ました2回分の「小」そして「大」
夕食前の時も同様で 誘導を待っている風である。
これだけ 判るならやはり トイレで用が足させるようにしてあげたいのは 家族の情。

昼食は 普通食を全量摂取できた。所要時間は 60分強。

夕食介助は 職員に任せて 明日のデイの準備をした。

先日 母を連れて外出し戻ってトイレ誘導した。
急いでいたので 便器の中まで確認しなかった。
が「小」の後 ギョッとしてしまった。
便器の中に 母のぷーさんのぬいぐるみが見えたのだ。
「若しかして トレパンにぬいぐるみを入れて装着してしまったのか?」と思ったりした。
冷静に考えれば そういうことはなくて…。
入所者の方が 室内を徘徊してそういう事態となったのだろう。

母の居室は 出来る限りオープンにしていたいのでクレームを入れるつもりは全くない。
むしろ そのことで本人が咎められたりすることを避けたいので スーパーの袋に詰め込んで家に持ち帰り それを洗濯して乾かした。

午後の面会の時に 乾いた洗濯物と一緒にそうっと戻しておいた。
本人は 何らかの理由があってなさる訳で本人に責任はないのだから…。
でも どういう理由でそうなさったのか知りたいなとは思う。

おそらく 気がついている人は誰もいない筈だ。
全て解決して ひとり苦笑してしまった。


2009年04月07日(火) 連れ出しては見たけれど…

今朝は 夫が早朝出勤だったので 母の昼食を作った。
今日は 介護者の会があり 外出もしやすい時期なので母を連れ出してみようと思っていた。

母に逢ってみないと判断もつかないのだが…。
外食している時間はないので 出るにしても出ないにしても準備がなければ始まらない。

ケアプランを戴いてないので入浴が何時なのか判らない。
でも これまで火曜日だったので4月もそうなんだろうと勝手に思った。

母は ソファーに座って低反発のクッションを当てて 毛布を使って眠りこけていた。
立位もかなり困難だった。
それでも トイレ誘導すると「大」「小」排出できた。
その後は 笑顔も出て 着替えを始めると更に笑顔が増えた。
「これなら大丈夫」と職員に入浴の確認をして 実施日と判ったので外出するので中止してよいかを確認した。
代替え日は取れませんということだった。
それも致し方ないので 了解した。

それから 施設の車椅子を借りてトットコ外出。
川べりを移動「黄色」と突然母が言った。
目の前に黄色の花が咲いていた。
「そうだね」といったら にっこりしていた。

30分ほど車椅子を押して会場に着いた。
これから60分掛けて昼食介助。
昼食は 冷めても美味しく食べられるようなものにしたが やはり冷めすぎだった。
それでも40分掛けて 予定のものを食べた。
水分も補給しながら…。

トイレ誘導の時間はなくて 其のまま 会が始まった。
会には 見学のためのお客様が5名。そのうち1名は 地域の議員さん。新しい参加者が4名見えた。
それぞれの介護に向き合う風景を語られ 皆さんが反応なさっていた。デイの送迎に間に合うように帰宅なさる方には 早目にお話していただく。

いつもより 長い時間掛かった。
母のトイレ誘導もありお客様とゆっくりお話しする時間はなかったが 皆さん それぞれ受け止めてくださったと思う。
活発なお話に 驚かれていた事だけは確か。

母は 少し退屈な時間となってしまったと思う。
これにミニデイでもあれば も少し良かったんだけれど…。

会場を出て急いでタクシーに乗り込む。
本当は 早目に終えて車椅子を押して戻る予定だったが とてもそんな時間に戻れそうもないほど押してしまった。
施設には「5時までには戻って夕食戴きます」と伝えてあったのだ。

家に泊めることも考えたのだが 夜7時から会議が予定されており外す訳には行かなかった。
母を夜の9時までお付き合いさせる訳には行かなかった。

施設に5分遅れで戻って 其のまま夕食介助していただく。
私は そうっと施設を後にして家に戻って 洗濯物を取り込みちょこっとご飯をかきこんで 会議に出向いた。

会議は介護関連ではないので なかなか辛らつである。
思いが強い人が多く 進行なさる方の苦労を思った。

予定をオーバーして 会議を終え スーパーで買い物して大急ぎで家に戻った。
程なく夫が帰宅して 軽く副菜だけ食べて 後片付けしたら10時半を廻ってしまった。

母には悪い事をしたと思う。
きっと二人きりの時間を過ごしたかっただろうになぁ〜。
隣に座した母に水分補給をしながら 膝を撫でてスキンシップを計るのがやっとだった。

結構ハードな1日だったが 疲労がそれほどでないのは 精神的に楽だったという事だろうと思う。
介護者と集う場所には ゆったりとした気分になれるのだなぁ〜。


2009年04月06日(月) 車椅子で繰り出した


利用者さん訪問日。
先月末 母の通院でお休みさせて戴いたので 今日は 衣類運びのお手伝いの筈である。

利用者さんは 門前のお掃除をなさっていた。
「この間のお墓参り お疲れになりませんでしたか?私は 戻って一眠りしましたよ」と利用者さん。
「まだ 若い分 疲れは出ませんでしたよ」と伝えた。

とはいっても あれから2度ほど箱根までお出かけになられたそうだ。
それも 前回頼まれて作って差し上げた 私鉄もJRも使えるカードを使ったそうだ。お蔭様で 切符を購入する手間を掛けずに出かけられましたよと話されてた。
それも 強羅からタクシーを使わず バス利用なさったようだ。
一度は日帰りである。
「タクシーなら 3.4千円掛かるところを400円で済みましたよ」と涼しいお顔で話してくださった。

荷物を纏めて タクシーに乗り込み 施設まで。

帰りは 1人でトットコトットコ歩いて家まで戻った。
桜の花はほぼ満開。
木々も 萌える春の装い。

家に戻って 昼食を摂って母のところへ。
朝 施設には昼食介助行けない旨は連絡して 母の様子もお聞きしている。

母は みんなの間でじっくりとテレビを見ていた。
先に見えていたご家族は お花見に繰り出してきたと話された。
今日なら みんな揃っているのでお散歩に連れ出して上げられると思っていたが 職員同行でないと駄目という事だったそう。
今日は 職員も少ないのでお散歩は駄目だそうだ。
職員とのお花見の様子を先日 窓辺より眺めていたが 公園までトットコ車椅子を押して Uターンして戻ってくるという味気ない風景だった。

みんなを連れて出られないなら 母とゆっくりお花見をしてこようと思って 車椅子を借りて繰り出した。
果物と飲み物は準備してきているのだ。

着替えをしている間に 母の表情に期待感が広がっていくのが感じ取れた。
外の風に吹かれると 気持ち良さそう。
桜を見上げて考え深げだった。
公園に着いて ベンチに座って果物を食べ 水分も補給。
それから 車椅子を押して歩いた。
だんだん意識が花に向いて「ほら」「あれ」といった調子の表情で目線は桜の枝と青空に向けられた。

公園には 八重桜もあるのでつぼみの具合をみがてら 足を延ばし またベンチで休息。

更に足を延ばして ずうっと遠回りをして1時間半ほど外出を楽しんだ。戻って直ぐにトイレ誘導したら ぴったりのタイミングだった。

着替えをして 手洗いをしてホールに移動して夕食介助を少し。
後は バトンタッチして 施設を後にした。

今年もゆっくりお花見に繰り出せた。
車椅子利用だったけれど まだ 少しは歩ける。 


2009年04月05日(日) ふぅ〜!


 施設に着くとソファーに座った儘深く寝入っていた。
職員の話では 朝からこんな調子だったと話された。

昼食前なので 声を掛けて立位 居室のトイレへ誘導した。
眠っていたので腰もふにゃとしている。
抱え込むようにトイレへ。
パットは濡れていたが 更に「大」「小」
トイレを出て窓辺に立って外の景色を眺めた。

それから母の耳元で賛美歌を唄った。
そして椅子に座ってもらった。

職員に居室で食事する事を伝え 食事を居室に運んだ。
最初は 2.3回噛んであとはお休みという具合。
先週の日曜日と同じパターン。

今日は 手弁当持参した。
たけのこご飯。
野菜から水分が出て 少し柔らかめとなっているので 施設の白いご飯とトレードした。
「よく噛んで モグモグ」と声を掛けながら介助しているうちに 意識して噛むようになり笑顔も見えてきた。
60分掛けて 全量摂取できた。

それから お茶を飲みながら 地域の和菓子屋さんで購入した三色団子を食べて貰った。
直径2.5ほどの大きさの団子だが 一口でがぶり。
家から持参したお茶を飲みながら食べて貰った。
団子には興味を示して ちゃんと口を大きく開ける母。
多少 甘いものには口に合うのかな?

それから 職員がトイレ誘導してくださり 残りも全て食べ終えた。
少し ホール内を手引き歩行。
前屈・左傾斜が 多少あるので姿勢を立て直すと歩行できる。
職員は なかなか難しいと感じるようだった。

一旦家に戻って 菜園に出向いて野菜を引き抜いた。

夕食前のトイレ誘導のため施設に走った。
母はまたソファーでぐっすり眠っていたが 起こすと目覚めてトイレ誘導。これが待ってましたとばかりに2回分の「小」
「待っていたのだな」と判った。
何とか 食事前にきちんと覚醒して欲しくて 足の屈伸をしたり窓辺でお花見の人を眺めたり...。
「人がいる」というふうに外を見ていた。
また ホール内を手引き歩行。
早い人は 夕食が始まっている。

予定時間より少し早目に夕食介助。
途中から職員にバトンタッチ。
またなかなか口をあけなかった。
私を視線で追っているのが見える。
それでも後ろに回って 母の目に留まらぬように施設を後にした。

買い物をして家に戻り 菜園に走って 掘り起こし。
朝 ジャガイモを切り 切り口に草木灰を塗って干した。
玄関先の鉢植えもちょこっと手入れ。
家の仕事が追いつかない。
でも何とか やりくりしないとなぁ〜。

夕食の支度をして食べ始めたのは 8時少し前。
それから 取り立ての野菜を洗って根を取りのぞいて…。

終わる頃には もう目がしょぼしょぼ。
でもイヴェントの準備もあるので パソコンを立ち上げ書類と睨めっこしながら ようやく仕上げた。
今日は ここまでだわ♪


2009年04月04日(土) 危機一髪


朝 山椒やウコギの新芽を摘んだ。
ここ数日 早くしないと硬くなってしまうなと思っていた。

山椒の新芽は しょうゆ漬けと冷凍。
ウコギは サッと茹でておひたし。

ウコギは 少量母の所へも運ぶ事にした。
ふるさとの春の味だから...。

出かける前に たけのこご飯の準備。
小松菜も サッと下茹でしておいた。
ここまで準備できていれば 気分的に楽。

ジャガイモの植え付けも気になっているが 明日くらいに出来ればいいのかな。

母の所に昼食介助に出かけた。
今日は 超ご機嫌。にこにこ笑顔。
手のひらを合わせると あはははと右の手 左の手と両方でぱちんと何回もあわせた。

それからトイレ誘導して「大」「小」
今日のトイレ誘導も3回ばっちりあった。

昼食時 大き目のお肉を口に運んだ。
ちょっと大きいかなと思ったのだが「薄切りだしいいかぁ〜」と。
暫くして 「ゴボッ ウォッ」と慌てて背中を叩いた。
入れ歯が外れてきたので さっさと取り出したが...。
それでもなお苦しそう。
「ゴッ ンッフォン」という咳と共に肉片が飛んだ。
後一回 「ゴッ ンッフォン」で何とか吐き出せた。
隣にいた施設長と顔を見合わせてしまった。
危なかったぁ!

それからは 注意して少しずつ運んで全量摂取。

その後口腔ケアをして タンカンを食べて貰った。
お茶も飲んでもらって 1度家に戻った。

夕刻早目に 施設に向かった。
ちょっぴり浮かぬ表情の母を急いでトイレ誘導。
これもぴったりだった。2回分の「小」がトイレで排出できた。

今日の職員のトイレ誘導は 9時半の後 2時少し前。後は6時過ぎだろう。
母には 足りない。だから 補足する必要がある。

夕食介助は 今日も施設の職員。
でも 今日もおやつのお茶は 放置されていた。
だから 昨日と同じく 珈琲とお茶(家から持参)で補った。

排泄も出来ているし 水分も補給しているので心配は要らないので後は 職員にお任せして帰路に着いた。

食事介助は 確実になされる案を戴けたので 少し不安が溶けた。
でも 訪問介護というシステムに後期の認知症介護は馴染まないように思えて 不足分はまだ調整の必要を感じている。
月ごとに替わるというので 掴みきれないのが現実。


2009年04月03日(金) 焦るな自分!冷静に!


夕方の食介助に出かけた時のこと。
入所している家族が「いやはや税金を収めるって楽じゃないですね」と話したのを受けて「本当ですよね」と職員が対応していた。
隣にいる入所者の前で「ここにいる人たちは そういった心配も要らないし幸せですよね」と話されてた。

ご家族は それには答えなかった。
私も聴こえぬ振りをした。

母の食事介助をしていたら 途中で「替わります」と言われた。
食事介助するために 1度帰宅してから戻ってきた訳だけれど...。
この介助も 訪問介護?
今月のケアプランを戴いていないので 判らないのでバトンタッチした。

その間に 他の入所者と新聞を読んだり折り紙したり...。
言葉の数は少ないがとても丁寧なものいいをなさるご婦人がいる。
その方に 新聞をお持ちしたら 声に出して読み始めた。
「あら 読めるのね」と驚かれていた。
私は 読めるかどうかを確かめていなかったことに驚いてしまった。
折り紙をしながら 随分いろいろ話せた。
私は食事の時くらいしか接する事もないので 少しずつ知るわけだけれど...。

母は 昨日の疲れが残っているように見えた。
1日2回の食事介助の合間に 家に戻って家事をしたり用事を足したりする必要があるから お散歩や遊びの部分が足りない。
体力維持には もう少し遊び等で関わってあげないとなぁ〜。

夕食介助のために施設に着いた時 母はソファーに座っていた。
おやつの時間 放置気味だったのか 食べかすがズボンに付着していた。その前も クッキーの食べかすが落ちていることが数回。
お茶も半分以上残ったまま テーブルに残っていた。

トイレ誘導しながら 残りのお茶を飲んでもらって 更に淹れてきたコーヒーで水分補給。

職員の夕食介助の時に汁物が半分残っていたが下膳。
見ぬふりをしたけれど...。
他の職員が「お茶でも入れましょうか」と話されてたのに「もう食べ終えたからいいのよ」と言われていた。
黙って 入れ歯を外して投薬して それから珈琲を飲んでもらった。
それでも足らないと感じたので 珈琲を更に薄めて水分補給。

きっと 職員は目いっぱいの取り組みをなさっているという自負があるんだろうなぁ〜。
焦るな自分!冷静に!


2009年04月02日(木) 安全第一で...


「認知症のみで 要介護4 93歳で 嚥下力を調べられる病院はあるでしょうか?」とお聞きしたつもりだったが「嚥下力を調べる」が一人歩きしてしまった。
その事に気がついていたが この先の事を考える上で何らかのヒントに出会えるかもしれないと思って 今日の通院となった。

あの時は 母も大変な状態で「何がおきているの?」という不安でいっぱいだった。

結局のところ 今は問題はないという事で落ち着いた。
認知症になれば 飲み込み方を忘れること歩く注意力がなくなり転倒も起きますという説明だった。

「検査は 指示通りの動きが出来る事が条件になります」という説明も最もな話。
入れ歯も 噛みあわせを見られないとぴったりの入れ歯を作ることは難しいのと一緒である。
「噛んで下さい」といわれて噛めない人は 難しい。

気長に取り組んでくれる医師があれば出来る事だろう。

つまりは 認知症後期になると介護者が様子を見ながら対処して支えるという事になるのだろう。

通院のため 早目に施設を出た。
昼食は 近くのファミレスで摂った。
春休みで 子供連れが多く 賑やかだった。
最初は緊張していた母が 子供の声や動き回る姿に笑顔を取り戻した。2時間近くゆっくりとすごしたが ずっと笑顔だった。
夫が行きの道は 連れて行ってくれるというので 甘えさせて貰った。
夫の車が着いた時「ほら」と車の中の夫の事に気がついたようだ。

病院で診察を受けて 帰り道 電車で戻ることにした。
タクシーを呼んで駅まで向かって トイレ誘導して...。
そうそう 今日はファミレスと病院と駅とで勢いのある「小」が間に合った。施設を出る前にも「大」「小」ともしっかりタイミングがあった。
ついでにいうなら 施設に戻ってもタイミングがばっちりだった。

さて 駅でエレベーターを使ってホームに下りた。
ここまでは 順調だった。
が 電車が入ってきた時 車体とホームの段差が 通常使う駅段差が倍以上あって 母はその段差に躊躇した。
丁度通り掛かった 職員にお願いして介助して戴いた。
その時に 助けに来てくれた方がいた。
無事乗車できた事を見届けて 離れた場所に移動なさった。
ちょっと若めのお兄ちゃんだった。

降車する時 人がみんな降りてからゆっくりと降りようとしたら さっきのお兄ちゃんが 何処からかスッと現れて「お手伝いします」と。
この見守りに頭が下がる思い。

今時 こういう青年もいるのだなぁ〜。
ひょっとして施設の職員かなぁ〜。
エレベーターの場所まで教えてくれた。
勿論 勝手知ったる場所で判っていたけれど「ありがとうございました」とお礼を伝えた。

こうして無事改札を出て 両手引きでとことこ歩き出して 空いているすし屋さんに入った。
「夕食を食べてから戻ります」と施設には伝えてある。

昼・夕の食事を外で摂る事で 追い込まれずにゆったりとした時間をすごすことができた。
やはり 時間の制約を感じながらの食事は 味気ないものだとつくづく感じる。

一時間ほど掛けて 食事をしてお店を出て タクシー乗り場まで歩いた。母も大分疲れたみたいだった。
それでも お腹も満たされて落ち着いて車に乗れた。

施設に戻って 着替えをして口腔ケアを済ませて 投薬。
後は 職員にお任せして 施設を後にした。

外出時間は 先日より長いが 先日のような酷い疲れはなかった。
お天気がよければ お花見もしたいところだったが 北風が強いので諦めた。

そうだ。前回と今回の大きな違いは 私のバック。
前回は トートバックだったが 今日はリュックにしたのだった。
背中に自分の荷物。肩に母用のショルダー。
これも良かったのだろうと思う。
母と一緒の時には しゃれてなんていられない。
安全第一で ちょっぴり無理しなくちゃね♪


2009年04月01日(水) いろいろあるけれど…笑顔に救い


母の髪をカットしてくださる方と知り合い 入所家族も希望なさっていたので 来て頂いた。

美容院でカット・パーマが1番の希望だけれど 頼んだ頃はとてもそういう希望が叶いそうもない時期だった。
伸びた髪の毛を見るたびに「どうしよう」と思い悩んでた。

手際よくカットしてくださり おまけに眉もそろえてくださりとても嬉しかった。勿論 母も私も。
実は 母の居室でカットしたのだが 次の方を呼びに居室を離れた時に 母は 「ありがとうございます」とお礼を言ったそうだ。
カットしてくださった方も感激なさっていた。

昼食の時間となって 食事介助。
今日は ニコニコと笑顔でしっかり食べた。
今朝は 眠くて眠くて食事どころではなかったそうで食後の薬すら服用できていなかった。
今日は 自分もお弁当持参。
聖護院蕪とサトイモの煮物を入れていたので 母にも食べて貰った。
おだしをたっぷり吸った大根は 口の中のもごもごに適度の水分となったようで口の中の運びも良かった。

ぎりぎりの時間で 療法士さんが見えて リハ開始。
穏やかなのが療法士さんにも見えたようだ。
母は 途中でzzzz。

リハが済んで 程なくしてトイレ誘導に見えた。
眠っていると判ると「もう少し後にきます」といってくれたが その時モソモソと動いたので 母を起こしてトイレ誘導し 職員にバトンタッチ。
直ぐには 出なかったけれど確実にでると確信できたのでトイレで待ってもらった。
すると2回に分けて「小」を排出。
誘導の感覚が長いと大概 時間差で2回分の「小」を排出するのは最近気がついていたのだ。
だから 職員にもそう伝えた。
職員に拠っては たかが排泄であるが されど排泄で 母にとっては大事なこと。

職員の介助が済んでから 母に更に水分摂取。
トイレ誘導(大少量)
それから みんなのいるホールに移動。
持参した果物をみんなで食べて 更に入所家族が購入してくれたロールケーキを戴く。

その後 ケアプラン実施後の認めを押して 4月のケアプランの実際を教えていただく。
まだ ケアプランそのものを戴いてはいない。
ただ ケアプラン+有料老人ホームの職員の配置も伺えた。
大体のところは 判った。
がまだまだ 細かいところが判らないので様子見。

あしたは また相談通院。
これからの食に関しての相談。
介護の方向性を探るため。
母と同行で 昼・夕食は 外食と決め 施設に報告した。
訪問介護との絡みで いろいろ面倒。


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