母のタイムスリップ日記
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2006年09月30日(土) どちらを優先


 母の洗髪時に軽く抑制(ちょっと身体を押える)をする。
それは 怪我を防ぐためだが…。
これって 虐待?

 医者に出かけて 検査を受ける。
嫌がった時は抑制(これも身体を軽く押さえ込む)する。
これは 虐待?

本人の気持ちを尊重して 嫌がる時は 待つ姿勢は大切。
でも 富に押さえつけられる事を嫌がる母。 痛い事を嫌がる母。

そういう場面で「勘弁ね♪」と謝っているし 終われば「悪かったね♪」と謝り母に赦して貰うけれど…。

施設では 最近 〇さんが母の靴を履く。
職員が それをとても気になさる。
確かに瞬間「!」となるけれど「認知症なのだから気にしないですから…」と伝える。
少し前 母の外履きを上履きにしていらした〇さん。
ようやく職員の手で履き替えられ母の元に戻ってきた靴。
でも 昨日 外出から戻ると母の上履きが見当たらない。

〇さん ご家族との面会で外出。
それまで履かれていた上履きが靴箱に入っていた。
職員と一緒に探したが見つからない。
上履きなので 布製で底も薄い。「ご家族との外出だから間違う筈もない」と職員は言っていた。靴箱の前で右往左往している所に〇さんが帰宅。
足元をみると母の上履き。
「お散歩に行かれたのですね。楽しかったですか?さぁ 上履きに替えましょう」と〇さんの上履きを出した。
何の問題もなく 靴を履き替えられ「どうも 丁寧に準備してくださってありがとう」と〇さんにお礼を言われた。

職員は あまりに簡単に履き替えたので驚いていた。
認知症の介護は タイミングを計る事がスムースに行くコツと感じる。

外出前にも〇さんが ピンク色の袋を持たれていた。
見かけない物なので 職員は何処から出してきた物か気にしていたが 手を出せないでいた。判断を誤ると強烈な反発にあうのだ。

母の居室に見えた〇さんに「あら 素敵な包みですね。良かったら見せて頂けますか?」と聞いたらすんなり渡してくださった。
「中を見せて戴いていいですか?」と聞くと「はい」と言う返事。
袋の中には〇さんの靴下が入っていた。
「ありがとうございました♪」と言うとニッコリの〇さん。

職員に「〇さんの持ち物だったので心配ないですよ」と伝えた。
職員 あまりの速さに驚いていた。これもタイミングである。

〇さんは 幾度も他人の部屋に入るのでそれを心配している職員。

でも 〇さんは 結構判っているように感じる。
戸を開けても 他人の部屋とわかると閉じられる事が多い。
「またか」と言う思いが職員にはあるかもしれない。
でもセーブしたり居室をロックするよりも 開けていた方が良いような気がする。

さて 最初に入浴の抑制について書いたのは 〇さん 相変わらず入浴拒否が続いているのだ。
そろそろ 何か方策を考える時に来ているのかも知れないし 無理やりの入浴を避けた方が良いのか…虐待と身体の衛生とどちらを優先しましょうね。

母も私に気兼ねして「貴女の良いように…」という時があった。
初期の頃は あまり気にしていなかったが 最近 いろんな事が気になってくるのだ。


2006年09月29日(金) 眼科へ


 利用者さん訪問。
出掛けの電話で出遅れて 汗いっぱいになって走って滑り込みセーフ。
「昨日 ヘルパーさん15分遅刻して『この分の時間調整のため15分延長します』と言われて…。作ってくれた金平はかたくて食べれられないので 煮直しました」とブツブツの利用者さん。
煮キンピラは 味付けし直したせいなのか 凄い濃い味となっていた。
塩分過多は心臓に良くないと思うけれど…。

「今日は妹が来るから…昼食をデパートでチョイスしたい」という事で 開店時間を見計らって買い物に出た。
妹さんの見えるといけないので ドアに貼り紙。

買い物を終えて 利用者さんには戻ってもらって 後は必需品を購入して戻った。

それから 野菜を茹でたり 残り野菜でサラダを2種 煮物を作る。
全ていつもより薄味にした。
利用者さんは 私の訪問時にテレビを見る事はなかったのだが…珍しくテレビを見られていた。

そこへ妹さん到着。
利用者さんは妹さんとあれこれお話なさっていた。
キッチンで後片付けをしながら 聞かれた事に返事した。

今日はゴミが少ない。
昨日から今朝にかけて何を召し上がったのかが見えなかった。
でも お惣菜を購入なさった形跡はなかったので あるものを召し上がったという事なんだろう。

活動を終えて家に戻ってから 母の所に向かった。
気になるのは 母の目。
未だ少し赤いので 眼科に通院する事にした。
施設内風邪をひいている人が多いせいか 入浴の形跡がない。
母の頭 かなりにおう。
でも 気温も下がって 水で洗髪と言う訳にも行かないし…。
頭皮マッサージをしてから 整髪した。
鏡をみて嬉しそうな表情の母。
外出着に着替えて帽子を被ってバス停へ。

バスが来て乗ったはいいけれど 母が席に着かない内にバスは発車してしまった。危ないので母を腕で囲むようにして手すりに掴まった。
「席に着いて下さい」と運転手さん。
ムッとしてしまった。
「はい そこで信号停止したら席に着きます」と返した。
当然と言わんばかりの視線に「二コッ」と笑い返した。

さすがに終点に着いた時は「気をつけてゆっくり下りてください」と言ってはくれたけれど…ちょっとプンプン。

眼科に向かいながら 以前「目が見えない」といった時に通院して嫌な思いをした事を思い出した。
今日行く所は 違う所だけれど「大丈夫かな?」と心配になった。
この所「嫌」と感じたらとことん嫌がる母だから。

受付で初診の手続きをして書類に「認知症のため触れられる事が嫌がる場合があります」と特記した。
先に視力検査。
でも 母は機械の前で顎をのせるのを嫌がり検査は不発。
無理はしないでくれたので助かった。
視力は本や新聞を読むくらいは出来るので 良しとしておこう。

続いて診察。
医師の前で母に説明。
「これから 目の検査をして貰うから 暫く我慢ね」
ところが 言葉を理解できない。
「目を見てもらうよ」「動かないで」と短い単語でゆっくり言いなおした。
医師も待ってくれて まぶたをひっくり返して見てくださった。
「物貰いみたいですね」と言われホッとした。
結膜炎を起してないかちょっと気になっていたのだった。
点眼薬と軟膏を貰って終了。

見た目には変わりないけれど 検査の時ちょっと抑えたので気分宜しくないかも…と想像した。
トイレに誘導した時は ちょっと怒り気味で「何するの!」と大きな声を出した。お店のトイレで他にも人がいてヒヤリとした。
「ごめんごめん」と謝って握手。
何とか大事にならずに済んだ。

その後 アイスクリームのお店に入った。
母はおいしそうに食べていた。お水もたっぷり飲んだ。

施設に戻れば 夕食である。今日もまた 食事介助する事に。
メカブを差し入れて 夕食介助で全量摂取。
歯磨き 洗面をしてホールのソファーに移し そうっと帰宅した。


2006年09月28日(木) タラタラ


気持ちがとんがる時は 大概 疲労している時という自分の物差しがある。
取り立てて 大きな変化はなかったのだったけれど…。
些細な事での躓きが重なっているかもしれない。
ちょっと気分転換が必要かな?

「それっ!」と飛び出す気力もなくて 1日家に篭もってしまった。
夕方畑に出向いた。
種まき後の間もないので 収穫は少し。

気持ちを起すきっかけが掴めず タラタラ。

そんなこんなの一日だった。


2006年09月27日(水) 何とはなしにイライラ


 おべんとを持って母の所に出向いた。
入り口に缶と靴が置いてあり「アッそうか」と思う。
今日は 業者さんが入って床を清掃する日だった。

母のフロアには別のフロアの方も見えていて賑やかだった。
母はソファーでお食事。
いつもなら隣でお弁当を広げるのだが 今日は無理。
母の食事介助をした。 時間はかかって職員の後片付けに迷惑をかける結果となったが 全量摂取。

母の顔をみるとまぶたが気持ち腫れていて目の端が赤くなっていた。
泣いて目を擦ったのかな?

職員は「涙や目やにでそうなる事がある」と言っていた。
けれど 合点が行かない。
これまで こういった事はなかったからである。
相当擦ったのだろうか?

みんなに遅れて食事を始めた方が母を指して「この人大嫌い。寝なくて強情で 五月蝿いから」と私に言ってきた。
感情が昂ぶっているので 余計にそうなのだろう事は想像が付いたが おそらくこの人のトラブルが有ったのだろう事は何となく感じた。
これだけではなく 他の事でもそれとなく察せられた。

この件に関して 職員に個別に話を聞いて「たいした事はなく 迷惑を掛けているという事も有りません」と言われたが…。

母は攻撃に弱い。勿論 病のせいでいう事を拒否してしまう事はある。
でも人から言葉でも視線ででも攻撃されると たちまちの内に泣いてしまう。困ってしまっても泣く。泣き虫である。
汚れた手で擦っていたら…。

今日はリハビリであり眼科もお休みなので 薬局に走って薬を見たが変な薬をつけても悪いので 日を改めて通院する事にした。

リハビリは静かに受けていた。
リハビリ後 持参したメカブを食べて貰った。便秘薬の代わりである。

その後 トイレに連れて行きお散歩に出た。
玄関で椅子に座っている時 ふざけて「バイバイ」と手を振ったら「嫌だ!」と言った。
今日は 私が離れたり荷物を持つとしきりに気にする。
ニコニコ笑顔なのだけれど…そういう事には非常に敏感。

連れ立って外に出ると 公園の入り口で「こっちに行く」と言い出す。
公園の草は少し伸びていて さっきまで雨が降っていた事もあってかなり濡れている。
靴がぬれズボンの裾も濡れると思ったが 母の気持ちに沿って公園に入った。母は小山に向かって歩きたがるので 気持ちのままに小山に上った。
上りきって向きを変えて「上ったねぇ〜」というとニッコリ。

それから坂を下って お花屋さんへ。
店先で暫く花を眺めてから ファミレスに入った。
夕方にケアマネとの面談があるので それまではたっぷり時間がある。
お店に入ると暫くは 周囲を気にして落ち着かなかった。
バナナチョコパフェとアイス珈琲を飲んでいるうちに落ち着いて来た。
ポテトとウィンナーのチーズ焼きも食べた。
この時 夕食までの時間を意識していた。
5時半位の夕食と思い込んでいた。

ファミレスを出て 更に歩いて施設に戻ったがお掃除は未だ済んでいなかったので違うフロアに入った。
トイレはファミレスを出る前に済ませていたので助かった。
他のフロアでトイレは使えないし誘導もない。

そこで暫く過ごしてから母のフロアに戻れた。
トイレ誘導してから ソファーで過ごす。

ケアマネが見えて 施設長と3人でケアプランの説明と体系の変わる施設の契約書を受け取る。
「毎月プランを立てるのですね」と確認。
「ケアカンファレンスはどうなりますか?」「それは職員とケアマネとでです」という事だった。
つまり 施設と言う立場上 そうなるという事だった。
「ケアマネの料金がかかります」と言うので 「利用料はどうなりますか?」と聞くとこれまでと同額という事だった。
「施設ですから 介護保険枠全部使うという事で残っている枠はないのですよね」というと「そうです」と言う答えだった。
それでも「福祉機器を使っている人もいます」と言う。
一案と二案と両方有りますが…と言って一案の方を見せていただいた。
ただ 母のケアプランではなかった。
何となく 在宅時のケアプランとは様子が違う感じ。
同じ介護保険を使ってのケアプランなんだけれど。
まだ 私自身 この変化について行けていない。
もう少し詳しく調べる必要がありそうだ。

話し合いの後 母の所に戻った。
夕食が始まっていた。5時前である。
母は外で甘いものを食べてきているので 介助しなければ食べ残すだろうと思い 食事介助した。全量摂取。
食後 トイレ誘導し 歯磨きをして そろそろと帰宅した。


2006年09月26日(火) 移動時の知恵


昨日 母の洗濯物を纏めて袋に詰めて玄関に置いて それっきり。
荷物を見るとちょっと心が痛みます。
今日 用事の前に立ち寄って…と思っていたのだが 雨が降ってきて諦めました。

施設でのケアプランを立てるための話し合いが明日夕方に決定。
昼はリハがあるので明日は きっと昼前から夕食の続まで施設に留まる事になるだろうと思う。
だから 母には赦して貰う事にした。

家で 月末の仕事の続きの作業。
これが なかなかうまく行かなくて悶絶。
そういえば 資料も作らなくてはならなかった。

午後 打ち合わせの会場へ出向く。
下見やら 会議やら 話し合いやら…で終わって家に着いたら7時を廻っていた。

先日 友人からの電話で知った事。
車椅子は JRに備えてあるという。
だから 歩行不安のある人は前もって連絡を入れておけば改札で車椅子を借りられるという。車椅子は駅員さんが乗車する車両まで車椅子介助をしてくれるそうだ。使ったのは友人で 押し方も手馴れていて上手という事だった。予定の電車より早まったりしてもきちんと対応してくれるそうだ。
到着駅では 駅員さんが待機してくれていて改札まで 介助してくれるという事だった。
改札から車両までの移動が負担に思えたが 電車の移動も良いような気がして来た。

歩行が不安で認知症の軽い人なら 遠く離れた場所への移動も駅まで送ってあげれば一人でもできるという事だった。
友人の知り合いの人は 親に付き添っていけないのでそういうサービスを利用していると言っていた。

でも 今回の母の故郷への旅の時 JRの窓口でエレベーターの有無を聞いた時の駅員の対応は 不親切だった。
全体で理解しているというより 対応窓口を使えばうまく行くという事なのかも知れない。
今度は その窓口を探し当てて置かねば…。 


2006年09月25日(月) 目がショボショボ


 利用者さん訪問。
朝食の後片付けをなさっていた。
「涼しくなって 気持ちよく晴れて…良い日ですね」とご挨拶くださった。

先週の土曜日ご家族が 勘違いなさって今日はヘルパーさん来る日だよ」といわれたらしい。
いつも 間違いを責められる利用者さんは「ざまあみろ」と思ったそうだ。
こういう言葉を使った所を見た事がなかったので いつも悔しい思いをしているのに「世話になるから…」と押えておいでだったのだろうと感じた。

この土曜日は 祝日のためデイはお休みで久々にゆっくりお過ごしだったようだった。刺し子にチャレンジなさった様子で見せてくださった。

薬が増えて 足の浮腫みが引いてきたようで ズボンをあげて見せてくれた。ほんとに腫れが引いていた。
排尿トラブルがあったという事は通院前に聞いていたので医師に伝えたが…。ほんとは 浮腫みの強いその時期に教えて貰えればもっと早く対処できたのに…。やはり 排泄の事を伝えるって勇気が要るかもしれない。

「あれを貰って これを買って…。さて 今日は何を買い物しましょうね」と利用者さん。
冷蔵庫をみると 作り置きの物はないので お野菜を中心にお買い物する事にした。それに キッチンタオル。

買い物同行して戻り調理しゴミを纏めた。
ゴミの中にまた お薬が捨てられていた。
先週 今月で金曜日の活動をヘルパーさんと変わると知らせたが 利用者さんに影響に出始めている。
何となく気を使っているのが伝わってくる。
だから 今回も「今朝 薬服用なさりましたか?」とやんわり聞くだけに留めた。薬の管理体勢 何とかしなくちゃだわ。
「お昼にデイで…」と言う訳には行かないかな?
カレンダー式の薬管理袋があるのだけれど…プライドもあって嫌な御様子だから難しいのだ。

活動を終えて家に戻ってから 施設に電話。
ケアマネとのケアプランの事での打ち合わせ日を決めた。
母は薬を飲まなくても落ち着いているという事だった。

事業所からも活動に入るヘルパーさんとの引継ぎの日の調整の連絡があった。

パソコンに向かって作業していたので 目がしょぼついてしまった。
毎度の事ながら月末の風景で 追い込まれている。


2006年09月24日(日) まだ イマイチ?


 施設は 丁度昼食中だった。
3色のおはぎとほうれん草の煮びたしとほうとう風の味噌汁だった。
今年は 我が家でおはぎ作らなかったなぁ〜。
何だか手抜きが続いている。反省!

おはぎは小さく切ってあった。
でも母はおはぎなら お箸で切り分けらると思うのだが…。
小さく切ってあるおはぎを煉瓦のように積み重ね始めたりもしていた。
時間もかかるだろうか?
小さく切ってあるおはぎを箸で持って私にくれようともした。
「ありがとう。でも大丈夫。 おなかいっぱいだから…」と伝えて母に返した。その後 職員が お皿におはぎを載せてお茶と一緒に運んで来てくれた。「硬い」と言っていたけれど そうでもなかった。
これよりもっと硬い物が献立に乗る時だってあるのになぁ〜。

食後 居室に誘導。
頭をヘアトニックでドライシャンプーしている時おしっこの匂いがした。
ズボンが濡れている。
手を洗った時に濡れたのだろう…と思っていたのだが…。

トイレに誘導したら パットから溢れてズボンまで濡れていたのだった。
これじゃ おはぎも美味しくなかっただろうに…な。
もっと早くに気が付いてあげれば良かった。
それから 大きい方も…。

タイミング的に成功したけれど 食事前に出来ていたらもっと良かっただろうなぁ〜。

排泄後もお腹が痛むようで(酷く痛むのではないようだが…)元気がない。
お薬のせいなのか それとも牛乳入りのコーヒーでも飲んだのか?
「お散歩しない?」と言っても外出したい様子はなかった。
爪も伸びていて 生憎爪切りを持参していないので ひとりドラックストアにに向かう。

ついでに足を拭くためのガーゼも購入した。

居室に入って 手足をアルコールで拭き爪を切った。
ついでに顔もアルコールで拭いた。
ガーゼなので少し肌触りが悪かったみたいだ。
使い古しのガーゼの方が良かったみたい。

職員がおやつを運んできてくれた。
梨は1人で食べていた。それだけでは足りない様子だったのでチョコを少しとお茶ももう少し飲ませた。

トイレに行くたびに大で少し汚れている。
腹痛の原因は これなのだろう。

昨日薬を服用していないと聞いていたのだが 解熱剤を使っていないという事だったようだったので 便が緩いので風邪薬は中止してもらう。
服用のタイミングが難しい。

食欲はあるので 心配ないと思うのだが…こればかりは 判らない。
私の推測では だるそうにしていたのは風邪ではなく お腹の調子がイマイチだったからと思うのだが…。

様子見状態は 未だ続きそう。
最終トイレ誘導を済ませて 施設を後にした。


2006年09月23日(土) 秋だねぇ〜

 
 施設に電話して母の様子を伺う。
特に変化はなく 昨日のようにだるそうな様子は見られないという事だったのでちょっと安心。

昨日 母に痛い所はないか尋ねた。
時間を置きながら 質問の形式をいろいろ変えて聞いていった。
その結果お腹から腰にかけて重だるい感じがあるようだと感じた。
それと足首の辺りに痛みを感じているようだった。

違う問いかけをして 複数回重なっている答えから想像するしかないのだ。
それも 言葉で返してくれる訳ではなく アクションからである。
こちらの言葉掛けも理解できない時もあるので 手探り感は否めない。

それでも 大概当たっていると思う。
今回は 風邪と言う言葉に惑わされてしまって感がある。

認知症後期の体調の変化は 読み取りが難しい。

少し安心して 昼食後畑に出向いた。
ほんとは 買い物に出かけたかったのだが 放置している畑が気になり始めていた。

畑に出たら 時間が経つのが早い。
草取り後 二がウリやトマトを処分した。
紫蘇は 少し刈り取って赤紫蘇 青紫蘇と別に袋に入れて種取り用に家に持ち帰る事にした。
その後 畑を耕して石灰をまいた。
前に石灰をまいた所には 鶏糞をまいて耕しなおした。
そこまで済んでいる場所には 種まき。
種は レタスとルッコラとほうれん草。
どれも以前に蒔いたのだが 影も形もなくなってしまっていたのだ。
水菜は込み入っていたので間引き。小さい方が柔らかいのでサラダに出来そうだ。

気温が下がってきたので 草の生え方も夏ほどの勢いはない。
という事は 種を蒔いても簡単には大きくならないという事だろう。
今年も秋冬物は きっと出遅れているんだろうなぁ〜。
これからブロッコリー等を家で育てて定植する形かなぁ〜。

でも 何処まで出来るだろう?
これから日の暮れるのも早くなるし 暫く忙しくなりそうで…ちゃんとできるかが心配。
「出来る事を少しずつ」がモットーなので ボチボチと行くしかない。
出来た事を感謝しながら…マイペースだわ。

お彼岸まで来ると さすがに蝉の声は聴かれない。
畑を掘り起こしている時に こおろぎがピョンピヨン飛んだ。
キンモクセイに青い蕾が付いたなと思っていたら 一週間もしない内にオレンジ色の花を咲かせていた。
秋色に染まっていくのも 間もなくなのだろうな。


2006年09月22日(金) せかせか

利用者さん訪問。
通院予定が2件とお買い物と調理が利用者さんの希望。
2時間で終わりそうもないと覚悟を決めた。

先日のケアカンファレンスで内科の通院は ヘルパー委託となり他の通院は家族がするという確認がなされたのだが…。
訪問してみたら ひとつの所は薬が切れているという事だった。
放置する訳には行かない。
とりあえず診察券だけでも出して置こうと思った。

内科に通院同行。
昨日の様子と今朝の様子の経過を利用者さんがきちんと話されるかが不確かなので窓口で経過を伝え医師に伝達を頼んだ。
ここの医師は特養の医師も勤めている為 伝えれば何等かの方策を取ってくれると先日聞いたばかりだったのでそのようにした。
待合室には数人が診察を待っていたので 急いで別の診療所に走った。

受付で処方箋が出るまでの時間を伺うと数分と言うので戴いて帰る事にした。利用者さんの歩行が今日は危うい。
少しの傾斜でバランスを失う。杖を持つ手に力が入らないと訴えがあった。
1人での通院は 心配。
程なくして処方箋が出来た。
「この薬って 何処の調剤薬局でも貰えますか?」と受付の人に聞いてみた。調剤薬局は近くの診療所で処方される物はあるが 離れているとない場合があるのは 経験上知っていたので聞いてみた。
「いつも何処で薬を購入されるか知りませんが 何処でもあります」
「それでは 〇△薬局でも大丈夫ですか?」「はい」

それを信じて内科の近くの薬局で2ケ所の薬を戴く事にした。
利用者さん診察を終えているかも…と思ったら未だ診察が済んでいなかった。程なく診察を終えて出ていらした。
「話しして頂いて助かったわ。これが家族だったらまたあれこれ言われるし…」と利用者さん。
様子を伝えた事で 慎重に見て頂けた様子で薬が一錠追加されていた。
ちょっとは役に立ったみたいだ。
薬局に出向いて処方箋を出すと「こちらは今ありませんのでお届けします」と言われた。
瞬間「いつもと違うので大丈夫かな?」と心配になったが きちんと伝えれば大丈夫と思いお願いした。

買い物をして戻って調理。
先週の月曜日に「ぬた」を希望なさっていたので葱を購入したが 其の儘になっていた。早速作った。
他にも野菜中心におかずを数品作った。
活動時間は 1時間オーバー。
しかし 10月から金曜日はヘルパーさんに移行するので その事をゆっくり伝える必要があったので その話もゆっくり伝えて了解を得たので これでよかったのだと思う。

急いで家に戻って母の施設に電話をして母の様子を聞いた。
「熱はないけれど だるそう」と言うので急遽通院する事にした。
確かに母はだるそうでソファーにもたれかかっていた。
熱もないので 何が原因しているか不明。
それでも 最悪風邪だったら…初期治療が大切と思い(現に施設内には数人風邪で長引いている人がいるので)通院。

「風邪が流行っていて 熱もないのですがだるそうで…」と伝えて診察を受ける。でも医師が喉を見ようとしても口を空けない母。
こちらも急いでいるので あまり時間がかけられない。
ちょっと手抜きだが 施設内の患者の症状を伝えてそれに合う薬を処方して貰った。

施設に戻ってお薬を渡して 家に向かった。

夕方から頼まれている事があってちょっと離れた所まで行かなければならないのだ。家にいる時間は25分くらい。
パタパタと準備して電車に飛び乗った。
「ギリギリセーフになると思う」と電話で伝えた。

他の地域で虐待予防のために家族からのお話があるのだ。
夕食を作って出るはずだったが 時間がずれ込んでお米を研いでタイマーセットするのが精一杯だった。

会場には何とか間に合った。
それからの話しは次回へ。


2006年09月21日(木) やれやれ


 ヒェィ!
書き上げる直前まで来て 操作ミスで全部消してしまったわ!
今日の一日を象徴しているみたいだわ。

今月の振込み未だだったと気がついて銀行に走った。
途中利用者さんとばったり出会った。
母の所も出向く予定で気が気ではないのだが 利用者さんの事も気になっていたのだ。

訪問活動が先週の金曜はデイの敬老会に臨時参加なさると言うのでお休み。
今週の月曜日は祝日で活動お休み。
途中事業所 利用者さんがかなり不安定だと連絡があった。

丁度信号待ちで立ち話。
ゴミ出し 買い物等出来ない事実に直面して かなり落ち込んでいた。
「もう年ですから…」と哀しそうな表情。
ここで逢うのも 何か役目があるのだろうと思いマンション入り口まで送っていくことにした。
道路を渡り始めて歩く早さが異常に遅いと感じた。
「足の浮腫み出ていますか?」と聞いて見ると「今日は大分良いのです」と言われた。が道路の真ん中で信号が点滅して赤に変わってしまった。
調子の良くないことが手に取るように伝わってきた。
かなり切迫して困っているだろう事は様子で判ったが でも 母のところにも行く予定があり「明日うかがいます。気を付けてお家まで帰られてくださいね」と伝えマンションに入っていくのを見送った。

母の所に行くと 母もご機嫌が下向きの様子。
職員の話によると昨日は あれから少し熱が出たそうだ。
アイスノンで冷やして 今朝は平熱という事だった。
けれど ご機嫌低下が気になり 検温。
いくら計っても5度8分。何となくわきの下の体感に熱を感じて納得できなかった。職員が見えて再々検温。6度8分となった。
その程度なら…と母を散歩に誘う。
母は外出を希望したので レッツラゴー。

道路を渡り歩き出すと彼岸花が群れて咲いていた。
近くまで行くと 開ききった花 咲きかけの花 蕾…といっぱい。
今年は花の咲き方がいつもより賑やかだと感じた。

母に「この花の名前言える?」と聞くと考え込む。
「ひ・が・ん・ば・な」と言うと「ひがんばな」と言う。
「もうひとつの名前は?」「ほこちゃ〇×♪」
「ま・ん・じゅ・しゃ・げ」母は頷いて「まんじゅしゃげ」

野菜スタンドでミニトマトを購入。
その時「あれは 何?」とニガウリを指し聞いてきた。
「ニガウリ 名前の通り苦いよ」と言うとニコニコしていた。

さらに歩きコンビニでアイスとお茶を購入し公園のベンチで食べてもらう。
美味しそうに食べていた。「もう辞める?」と聞いても「食べる」と言うので小さなカップ一個全量とお茶を250cc。

施設に戻ると夕食が始まっていた。
そんなに遅くなった訳でもないのに もう食べ終える人もいて驚いた。
そして「しまった!」と思う。「甘いアイスは アイスは不味かったかも」
この頃から私の頭は帰宅のタイミングを計っていた。
今日に限って米を研いでないし 買い物も済ませていないのだ。

野菜スタンドで購入したミニトマトを職員に洗ってもらってテーブルに出してもらう。
母は思ったよりスムースに食べ始めたのだが…。
途中でお隣の人にトマトの皮を剥いて食べさせたり食事介助をして要るうちに母の機嫌が悪くなって来た。
口を貝のように結んで拒否も始まる。
「ごめん」と謝って 何とか口を開いて貰ってお隣の人も母も全量摂取。
ヤレヤレと思ったら 母の機嫌は最高に悪くなっていた。
危ないなと感じて居室に誘導。
ドアを自分で閉めた母は 私の手を振り切るようにして歩こうとした。
こういう時は転倒の危険が多いので 両手をもって歌を唄う。
ご機嫌が少し戻った所で トイレ誘導。
その後歯磨きしようとしたら又口を貝のように閉じてブツブツ。
ありゃありゃ…もう時計と睨めっこ。
頭を撫でたり ほほを撫でたりして 自分と母の気持ちをリセット。
何とか入れ歯を取り出して 歯を磨いて 「ブクブクペッ」
ところが母は「ブクブクゴックン」まっいいかぁ〜。

ほんとに焦る心の内を見透かされているようだ。

それから ホールに移動ソファーに座ってもらい 母の視線がテレビを向いたので そうっと施設を後にした。

家に着いて米を研いでいたら…夫が帰宅。
幸い 夕方お客さんと軽く食べたのでお腹が空いてないという事で時間が稼げて 夕食つくりも何とかなった。ヤレヤレ。

昨日 昨年の今頃は…と日記を遡ってみていたら 風邪を引いて熱を出していた時期だった。
いやぁ〜 風邪を引いている人が多いと言っていたので…機嫌の悪さがちょっと気になるところです。


2006年09月20日(水) いきむタイミング


昼前に慌てて家を飛び出した。
リハビリの日であり 昨日の続きも気になるし 午後リハと重なるように地域の介護予防と認知症の出張ミニ講和があるのだ。

お弁当持参どころではなくて 母にメカブを運ぶだけとなった。

施設では 昼食が始まっていた。
みんなニコニコ顔。
職員に「出たかしら?」と聞くと「まだ」
職員の話によると 食欲もあって夕食も変わりなく食べたそうだ。
「す すごいわ」と思う。
けれど 夕食後 早々とコックリが始まって 昨夜は熟睡という事だった。

先ずは 食事介助。
これも結構スルスルと入った。メカブも…。

療法士さんが見えるまで1時間。私が施設にいられる時間は30分。
歯磨きをしてトイレ誘導。
10分もしない内に出ました。
牛乳を飲ませると前後の腹痛が起きてしまうし肛門が切れて出血と言う事態も起きるが 自然排便だとするりである。

母の場合 肛門近くまで下りてくるといきむ事が出来る。(早すぎるといきまない)
とても微妙な観察がいるが ほぼ間違いない。
便秘薬は メカブや芋(じゃが芋や山芋や里芋)オクラ等である。
メカブは小鉢いっぱい。オクラは 4.5本だろうか? 山芋も小鉢いっぱい強である。
これらをいろいろ組み合わせて食べてもらう。
今回は昨日のチビットを除けば 11日目だ。紙要らずだった。
トイレから出ても腹痛もなくて 笑顔笑顔。

施設にいたのは1時間ちょっとと超短時間。
無事お役目を果たせてホッとした。

施設を出て駅に向かう。
昼食すっ飛ばしも良くないのでうどんを食べた。
ほんとは 酢橘おろしうどんを食べたかったが季節商品らしくなくなっており ざるうどん。
娘が教えてくれた 酢橘おろしうどんはここで食べて以来 この夏 我が家の昼食に幾度か出た。
冷凍うどんと大根おろしと酢橘と濃い目のだし汁。
家で食べる時は おろしをたっぷり使えるので お店よりずっと良い。
お店では消えてしまったけれど 我が家では もう少し食べられそうだ。

お腹に詰めて バスに乗って会場まで移動。
ギリギリだったが間に合った。

会場には 6.70代の人が多かった。
以前にも記したけれど 介護予防をうたうなら もう少し年齢層を下げたほうが良いような気がする。
席の両隣は 70歳代の方のようだった。

保健士さんが 寸劇をしてくださった。演技力満点。
認知症初期の方を演じられた。過度の演技ではなく 好感が持てた。
ご近所の方の声掛けやスーパーでの風景。。。

その後包括の紹介 精神科医のお話 質問コーナー。

今回は 高齢福祉と健康課との合同の行事。
介護に関っている人は多くなかった。

休息時間にお隣さんとおしゃべり。
70代の男性は「認知症になって重たくなったら施設で暮らせば良い」と話されていた。
「施設には定員があるのですんなりは入れないのですよねぇ〜」と話したら
「作ってもらえば良い」と言われる。
「これから数年施設は新設はないのです」と話すと…。
「選挙で施設を建てるような人を選べばよい」と言われた。
「あまり重い人を見るのは この年齢になると重たいからね」と両隣の方が口を揃えて言われた。
世の中的には 今 この辺とまりなのだ。

実はボランティア活動でも そういう傾向が出てきているそうだ。
若い人は ボランティアに入ってから 介護を仕事とするようになるそうだ。これまでボランティアを続けて来た人は 卒業したいらしい。
協力する人が利用者を上廻る傾向にあるようだ。
介護保険枠からはみ出た 認知症に差し掛かった人を支えるには介護保険外のボランティアが必要なのに…。

現実とのギャップがあるような気がする。

折角地域を廻るなら もう少し 認知症になっても暮らせる町に踏み込んだ形のお話もして欲しかったなぁ〜。

帰路 デパートの介護用品のコーナーに立ち寄った。
母の入浴の時用に 回転する浴用の椅子を見たかったのだ。
出かけてみて 介護用品が減っているように感じた。
きっと介護保険でレンタル出来る物が増えたせいかもしれない。
介護用品売り場としては お寒い状態。
特に売り場の人に尋ねたりもせずに来たが…。
こうなるとやっぱりネットでの購入の方が良いのかな?
先日見た健康グッズの所にも見当たらなかった。

地域には他にも介護用品を扱っている所もあるので 時間を見て何処の店が品揃えが豊富かを調べてみるのも良いかも知れないなぁ〜。


2006年09月19日(火) 奮闘!


母の所に行く。
玄関ドアに鍵がかかっていて 入り口に〇さんが立っていた。
「上の鍵を開けてもらえますか?」とゼスチャーで御願いすると ちゃんと開けて下さった。
大概 オープンになっているのだが 〇さんが閉じてしまわれたのだろう。
〇さんは いつも玄関の下駄箱の整理をしてくれる。
とても丁寧に整理してくださるが 名前と履物が一致しない。
だから 面会に行くたびに自分の上履きを探すし 出かける時は母の靴を探す。職員が気にしていたが「こちらは 探す楽しみがあるから気にしないで下さい」と伝えてある。
〇さん 徘徊が心配だった。
毎朝 おうちの周りをクルクルしていらしたのだ。時折遠くまで出かけて戻れなくなる事も有ったのだ。
でも 今 貼り紙が消えても 〇さん 外には出ない。
目の周りの筋肉がピクピクと痙攣させていたのも いつの間にか消えて 穏やかにお過ごしである。
帰宅願望が消えた訳ではないが ご主人と1日おきにお散歩に出かける。
とても 楽しそうだ。
ご主人が施設を後にする時も 追いかけたりもしない。
ご主人は「ちょっと病院に行ってきます」と伝えるとそれを信じて「気をつけて…」と見送られる。

さて 母は悲しそうな顔をしてテーブルに向かって座っていた。
私をみて「良く来てくれた」と言う表情。
荷物を置いてから 母を居室に誘導。
部屋に入ると「ウォ〜」と泣く。おそらく腹痛。便秘更新中。

そこは見越していたので 持参した物を食べて貰う。
包みを広げると箸を持って食べ始めた。
次々と入る。食後そう時間は経過していないんだが…。
昨夜作った物だが 1日置いたほうが美味しい母の好物ばかりである。
ご飯を抜いてほぼ一食分のおかずをしっかり食べた。
メカブも入っている。

それでも 未だの様子なのでお散歩に出た。
今日は1キロ強離れたスーパーまで歩いてみた。
骨折以来初めて。 これが 足取りが軽い。
言葉もはっきりしてなかったのに 外に出たらしっかり喋る。
道の途中で彼岸花を見つけた母は いとおしそうに花を撫でる仕草をした。
この仕草も 骨折以来初めてだ。
唄い出せば 歌詞も出てくるしリズムも取っていた。

言葉は元通りと言う訳ではないが「良くぞここまで」の感がした。

途中休息を取る予定だったが 一気にスーパーまで歩けた。
スーパーで パイナップルとアイスと寒天ヨーグルトを購入してお店のベンチに腰掛けて食べ始める。
これもしっかり食べた。
身障者用のトイレに入って頑張ってもらう。コロンと音が…。

無理は禁物で 今度は施設に向かってゴー。
バスを使う事も出来るのだが ここはもうひとがんばりだ。
帰路は2度の休息。水分補給。
施設近くになったら ホッとした表情になった。
疲労のため 前屈や左傾きが強くなってきていた。
「頑張ったねぇ〜」と言うと頷いていた。

往復で2キロちょっと。ほんとに良く頑張ってくれた母だった。

居室に入り もうひとがんばり。

「下がってきた」とお腹を押えて 今度もポロリ。
今日はここまで。明日に希望を繋なぐ。

職員には 食べた量と排泄の量を伝えて 夕食は副菜は省いても穀類とフルーツだけは食べさせてくださいと御願いし 帰宅。




2006年09月18日(月) そうなのかなぁ〜


 ちょっと時間を経た話しだが…。
先週の金曜日のTBSラジオの金曜日のスタンバイで小澤遼子氏が話していた。
小澤氏が読んだ本(誰の発言か忘れたが…)で第二次世界大戦に突入していく時 それを盛り上げたのは女性達だったと書いてあったと言う。
そして 今 総理候補として上がっている安倍氏は 女性達が指示に廻っている…これが 戦争突入のきっかけになって行かないか…と話していた。

第二次世界大戦をそんな風に読んでいる人もいるって知らなかった。
確かに 安倍氏は女性の人気が高いというし…。
安倍さんは タカ派だし…。
そういえば 小泉人気と言うのも女性が盛り上げていたなぁ〜。

知り合いの女性が言ってたけれど…。
小泉さんって 離婚した奥様と暮らしている息子さんには逢わないって…人として信頼しきれないのに 何故 女性人気があるんだろうと憤慨していた。 こういう考えって きっと少数なんだろうな。

この所 いろんな事件が起きる度に 必要以上のバッシングが起きる。
みんな同じ考えでないと駄目みたいな勢いに圧倒される時がある。

そんな事をぼんやり考えていて 小澤氏のお話が妙に心に引っかかっている。

「国民に負担を…」と言われ続けてきたこの数年。
世の中の制度からはみ出る人に優しくない改正がいっぱいだ。
在宅での介護が出来る環境にある人 また地元の施設利用できる人は 未だ恵まれている。
制度からはみ出た人は 施設を転々とするしかない。
まるで邪魔者のような扱いに感じてしまう。
きっと 少数なんだと思うけれど そういう人の事を思う時 とても気持ちが重たくなる。

あらら 横道に逸れてしまった。
でも 今の流れがとても気持ちが悪いし 現実に私の周囲に そういう方がいるので とても気になってしまっているのです。







2006年09月17日(日) お祝いの会

 施設の家族説明会。
この夏の特養の不祥事に触れて いろいろ話されていた。
関係する人たちからの情報が入ってきており その人達の話しと合致していた。

職員の愚行は赦されないけれど でもこの施設に限った事ではないだろう。
何処でも起き得る事だと日ごろから感じていた。
(でも だから特養は嫌なんだと思うわけではない)
病院だって 学校だって 保育園だって 幼稚園だって 障害者の施設だって…絶対ないとは 言いきれないから。
人が接するって そういう側面はどうしても付いて廻るような気がする。
それが 家族介護であっても…。自分がそうだったように…。

あれ話がずれてしまったわ。
この問題は 社会全体で考えていくべき物であり 私の知る限り特養の抱える問題として 個々の施設でいろいろの取組みが始まっていると思う。
そう動いている所が 良心的な施設とも感じている。

介護保険改正後の施設の経営が大変になってきているという話しも本当の事だろうと思う。
この事で 介護に悪い影響が及ぼさないように…と思う。

家族の説明会は 一時間半で終了し その後 お祝いの会である。
お祝いの会は それぞれのフロアで行う。
職員が献立を作り 家族がお手伝い。
母のフロアは 天麩羅と酢の物とおすましとフルーツの盛り合わせが今日作る物。
日ごろ台所に立つ 主婦の知恵が集まる。
こういう場所では 職員とのよき交流の場所となる。
介護以外の事で あれこれおしゃべりする事は お互いを理解する上の潤滑油となる。

天麩羅を作る事は 家族も知っており 美味しく食べられるようにとだし汁を作って来てくれた家族がいた。 おかげで家で食べるような味が出ていた。またいつものように南瓜の煮付けも。
私もあれこれ考えてはいたのだが 今回はもう身体を運ぶのが精一杯の状態で忘れ物多数。
自分が服用すべき薬を忘れてしまい 送ってくれた娘に再度届けてもらった位。

母の機嫌はそう悪くなかったのだが お腹が空いたのと少し厚着させたので機嫌が悪くなって いざお祝いの膳を囲む頃にはピーク。
トイレ誘導し気分を変えて貰って 隣に座ってゆっくりと食事介助。
お腹が満たされると笑顔が戻ってきた。

お祝いの会の案内板は〇さんが筆で書いてくださっていた。
入所者のお1人は入院なさっていた。
この方の笑顔が見られないので 非常に寂しかった。

お祝いの会が終わって 落ち着いてからみんなでビーチボールでキャッチボール。今日は 片麻痺になられた方も加わってもらって出来た。
他のご家族は この方の笑顔に出会っていなかったので とても驚いていた。この方は 私とだけキャッチボールしても飛びっきりの笑顔にはならない。入所者の人と一緒の時が1番良い笑顔となる。

暫く遊んで ミスが多くなった所で今日は終了。

小雨が降り始めたので 施設を後にした。


2006年09月16日(土) われも行く


 母の所に出向く。
機嫌は 良くもなく悪くもないといった所。
「こんにちは」といつもより深く御辞儀をしたら「まぁ〜丁寧な御辞儀だこと」と入所者の1人が言ってくれた。
窓際にいた〇さんが声を聞きつけ とびっきりの笑顔で迎えてくれた。
〇さん 最近 笑顔が減った。
入所者のかたからいろいろ忠告されているからだ。
入所者同士って難しい事もある。

母を居室に誘導し 洗面台で洗髪し着替えた。
洗髪はほぼうまく行った。つまり拒否されなかった。
連続して会議で 面会に来れず 明日は敬老の日で午前中施設の家族説明会午後はお祝い会で外出は無理。
そんな訳で 外出する事にした。

「出かけるからね」といってバックを持ったら「われも行く」と久々に母の言葉を聞いた。
帰省以来 言葉が少し戻ってきているのだ。
「一緒にいこうね」と言うと自力で立とうとしたが無理だった。

外に出て バスに乗り込む時 ステップを上がってカクンと膝を付いてしまった。後ろから乗り込む人が心配そうに「手伝いましょう」と言ってくれた。「ありがとうございます。何とかなります」と言いながら介助で立ち上がってもうひとつのステップを上がる。
運悪く ノンステップバスではなかったのだ。
膝をつく時は 私が整理券を取る時が多い。ヒヤリハット気をつけなくては…。

久しぶりにデパートに入った。
今日の母は 洋服を見るのが楽しそう。
敬老日でもあるし…と好みそうなものを見て行く。
今日は 気に入らない時はウンと言わなかった。
一番最後にみた茶色のシルクウールだけは どうやらお気にに召した様子だった。
購入しようか迷ったが もう一度良く見てから決める事にした。

デパートで和風のお菓子やさんに入った。
それから 自分の通院する診療所に診察券を出して 母を送っていった。
バスも難なく乗れて 良かった。

施設では 明日の敬老会の準備で職員が忙しそうになさっていた。


2006年09月15日(金) 休息で鋭気を得られる?


会議に出かけた。
その後 ある研究機関のヒヤリングを受けた。
介護者がどんな場面で困るのかを具体的に話す。

自分の経験や介護仲間のお話をした。
その場に 実際にケアマネをなさっている方もおいでだ。
語る側とは 全く関係のない地域の現職のベテランケアマネ。
あくまでも聞き手である。

個人的な事を言えば 母が施設の御世話になっている今も 最初からのケアマネさんとは交流している。
プライベートな部分での交流ではない。
あくまで 介護者と専門職の関係で…。
道で出会っても「お母さん どう?」って聞いてもらえるし こちらも「訪問 気をつけてね」と声を掛ける。

そんなお話をしたら「わぁ〜!」と言われてしまった。
そういう事は 少ないという事らしい。

ここまで書いた時 電話が鳴った。

介護仲間だった。
自宅介護が難しくなって 病院か老健入所を希望されていた方が「ようやく入院できました」との報告だった。
いろいろお話した。
考えさせられた。
おそらく 介護仲間は認知症をよく理解できないまま介護なさって 初期の頃は 大分苦労なさったのだと思う。
デイへの通所が始まる頃 家族会に通い出されたのだ。
会に出た時は 優しい気持ちになれるけれど 現実に戻ると疲れて怒りたくなるって言われていた。
未だ 元気でいた頃の事の比較が出来る時期なので苦しいのだろうなぁ〜。
暫く 離れて鋭気が生まれればいいなぁ〜。







2006年09月14日(木) 涼しくなりすぎて…


 夕食の下ごしらえを済ませて外出の準備。
急に気温が下がって 着る物を選ぶのに右往左往。
母の衣類は 抜かりのないようにカーディガン等を準備しているが 我が家のは未だ。

鼻の下にかゆみを覚えて鏡に向かうとヘルペスらしきもの発見。
以前 医師から初期対応が肝心と言われていた事を思い出して 使い残していた薬を服用し薬を塗った。
戻ってから 気持ち調子が良くないと感じていたのは これだったかと思う。

友人から電話があった。
「何だか 達観しちゃったみたいで 遠くに行ってしまいそうだわ」と言われた。 
そんなに意識していないが 細かい事に拘らなくなってきた。
全て身の丈に合うように…と意識してきた。
求めすぎると自分の神経まで磨耗してしまう。
母の介護で学んだ事だろうと思う。
別に達観した訳ではないし 迷いもあるけれど出来る事を少しずつの精神がようやく定着してきたのかもしれない。
それと抜けるのが早くなったかも知れない。これは 年を重ねたせいかな?

夕刻が近くなり 急いで会議に出かけた。
会議を終え 家に戻ったのが 8時近く。
また 通勤帰りの電車にもまれた。
席の確保は うまく出来た。
回を重ねると 感覚を取り戻せるみたいだ。

明日も会議。
利用者さんは敬老会に参加するため 臨時のお休みで活動もないので助かる。先日のケアカンファレンスのおかげで これから少しゆとりが出てくる筈だが ポツポツと他の事で忙しさが増していきそうだ。

今日くらいの気温になると虫の音も聴こえない。
急激な気温の低下に虫たちも吃驚しているのかな?


2006年09月13日(水) 想像通りの言葉


 昨晩 娘から呼ばれて部屋に行った。
Macにカメラが繋がれて 留学中の師匠とお話していた。

師匠のルームメイトは少し年上の方とは 聞いていたが…。
な なんと 同郷でお互いの実家が50メートルと離れていない事が判明したそうだ。

師匠は ほんとに 稀な事に遭遇する事が多い。
海外にいても そういう事が起きるなんてびっくりしてしまった。

留学以来 メールよりもメッセンジャーを使う事が多く また 昨晩のように映像つきで会話できたりと海外にいるという感覚が薄れてしまう。

今日はリハビリの日なのでお弁当を作って施設に向かった。
入所者に風邪をひいている人が数人 体調の悪い人もおり 個別対応が多くなっていると昨日感じた。
今日もそういう感じて 職員がパタパタしている。

いつもなら昼食が始まっているのに 今日は遅れ気味。
配膳を手伝い 入所者をテーブルに誘導 食事介助…。
多いときは 職員3人くらいはテーブルにつくが 今日は 誰もいない。

母の隣に座して みんなと一緒に食事をした。
母の食事とお弁当をトレードした。
お弁当は 長いもの素揚げ チーズポテト 筑前煮 トマト 牛バラの焼肉
である。量もかなり多めである。
施設の食事でほうれん草の白和えと肉じゃがは母の口へ。
今日の施設の食事は 食べやすかった。
ほうれん草も柔らかい 肉じゃがも甘みがあって肉も柔らかだった。鱈のフライだったがこれも衣もふわり 身もパサ付いていなかった。

そういえば 食事中に入所者の1人が「娘さんが食べさせると良く食べるよ。職員が介助するとぷいと横向いて食べないよ」と言われていた。
私が食べさせる時だって駄目な時は駄目なんだけれど…。
母の好み 食べやすい物を選んで食べさせるのと施設の食事とはちょっと違う筈だけれど…職員にも そんな風に見えるのかな?

療法士さんが見えてリハビリが始まった。
筋肉を解し始めて「歩かれた割に 筋肉が柔らかいですね」と言われた。
「帰省3日目には 腰が上がらなくて肩を抱えて椅子から立ち上がらせるほどだったのですが 戻ったらもう普通に戻っていました」と言うと驚かれた。

今日の母は とても饒舌。
入所者のご家族が面会に見えて 母のおしゃべりに驚かれた。
偶然の要素が強いが それでもタイミングよく話したり 的外れな話しでも間合いが実にぴったりしていた。
「私も母を何処かに連れて行こうっと!」と言われていらした。

行動が良い変化を齎すと 停滞していた気持ちに風が入り込むようだ。
母自身も何か心持が違ってきているのだろうと感じる。

秋の長雨が始まったのだろうか?
帰省から戻って雨降りばかりだ。
洗濯物がいっぱいで これが乾かない。
湿った匂いが鼻についてしまい もう一度洗った。
夫に「洗濯物が乾かなくて…」と零したら「コインランドリーに行ってあげるよ」と優しいお言葉。
母の所から戻ったら乾いた洗濯物が玄関においてあった。

夫が帰宅したので「ありがとう」と言ったら…。
「乾いた物を無造作に詰め込むわけにも行かず たたむのに30分も掛ってしまって…」と不機嫌だった。
想像通りのお言葉をありがたく受けました。


2006年09月12日(火) ケアカンファレンス

 
 今日は利用者さんのケアカンファレンスが組まれていた。
気持ち早めに出かけて 母が御世話になっていたデイサービスの職員に帰省の写真を見ていただいた。
「わぁ〜 若いわ!」
帰省した折の写真は 普段の母と大きく異なっているのが判る。

弟たちに これが普段の母と思われる事がちょっと癪に障るように思ったのだが 変な拘りを捨て母が活き活きとしたことだけ喜んでいればいれば良いと思いなおしたのだった。

カンファレンスは ご家族とデイサービスの職員 包括 担当ケアマネ ヘルパーの事業所から2名 ボランティアの事業所の保健士と私。
本来 利用者さんもここに入るのだが 精神的状況を考慮して知らせなかった。

1時間の予定が ちょっとオーバーした。
これからの具体的なかかわり方を 今の生活状況と今後の推移を踏まえて考えた。

カンファレンス後ご家族は帰られたが 他の人は 利用者さんのデイでの御様子を見守られた。
利用者さんは 知ってる人が見えたのでニコニコなさっていらした。

私は今月いっぱいで金曜日の訪問を終える。
母の事を含め 手一杯の毎日でヘルパーさんに徐々にバトンタッチ。
私のほうから ゆっくりと利用者さんに伝えていく事になっている。
利用者さんのショックがないように…。

午後は 母の所に出向いた。
帰省の疲労も見えず 落ち着いているという事だった。
母はニコニコしていた。
写真を見ていただきながら 帰省の出来事を職員に伝えた。
張りのある表情に職員も喜んでくださった。

職員の中には「自分も思い切って認知症のお母様と故郷への旅をしてみようかな…」と言う方もおいでだった。

職員と話しこんでいると 母は帰省の事を思い出したかのようにいろんな言葉を突っ込んできた。「行くんだ」「お父さん」「待っている」その他いろいろ…。この所「…〇☆◇!…△」てな調子だったのに…。

おやつの後 居室に入って母と過ごした。
「雨が降っているので駄目だね」と珍しく話した。
おそらく これも帰省の効果なのだろう。

毎日平穏に過ぎて行く中 こちらの思い込みで接していたのではないかと言う思いを強くした。
時折 いつもと違う楽しみ方を考えなくてはいけないのだろうかなぁ〜。

そうだ ケアカンファレンスの時にヘルパーの事業所の方が親の介護に専念する…といわれていた。
これまでの主たる介護者の疲れを緩和するために 定期的に呼び寄せて介護なさるのだと言われていた。
「移動が気になるのですよね。それと介護に関る事で良い方に変化した場合 主たる介護者をしていた方にプレッシャーが掛らないかと心配で…」と言われていた。
「環境の変化は 悪影響と言われているが 人によると思う。母の場合 程よい刺激で良かったと思いますよ」と伝えたら「これで 安心しました」と言われていた。

介護疲れで倒れる前に協力関係が出来れば それが一番良いと思う。


2006年09月11日(月) 通常に戻る


 利用者さん訪問
金曜日ご家族が通院に立ち会うという事だったがお1人で出かけられた様子。
私のお休みは 母に何かが起きたのだと思われ心配なさっていらした。
法事でお休みさせていただきまして 御迷惑お掛けしましたと詫びた。

昨日は 利用者さんもお子様が敬老のお祝いをしてくださったとの事で水入らずの時間を過ごされたという事だった。

冷蔵庫はからから。
買い物を済ませて調理して いつも通りの活動をして終了。


2006年09月10日(日) 甦った記憶


 早朝 排尿で目覚めた母。
起してトイレ誘導。足が痛いと訴えた。
もう 母の限界を越えて歩いたり階段を上ったり下りたり…なのだ。
昨日も中国土産の白花油を足に付けたが 今日は更にふくらはぎにもしっかりつけた。
布団に寝かせるよりは…とリビングのソファーに座らせると眠たそうに横になった。タオルケットをかけて 隣で夫にこちらの様子の報告メールを打ち
新聞を読み帰りの荷物の整理をした。

ふるさとに戻った時は 足の浮腫みが強く出て 水分摂取と足のマッサージを繰り返した。
おかげで 浮腫みも緩和され一息つけた。
岐路の乗り換え大丈夫かと不安になる。
終電まではかなりの時間が有るし 最悪駄目だったら娘に電話して車で迎えに来てもらおうと決めた。

朝食後 母に着替えてもらい教会に行く支度をした。
幸い 末弟が送ってくれる。
支度していると長男がやってきて末弟に仕事を頼んでいた。

長男とは 昨日 法事帰りに別れたきりだ。
母に労いの言葉もかけていない。
一昨日の晩ちょこっと立ち寄り 昨日もお寺で法要を営む間とお食事の時間だけは一緒だったが 母の介助をする訳でなかった。
そもそも 法事に母を参列する事等頭になかったのだ。

何故 私が母を引き取っていたかと言う現実を改めて知ることとなった。
母を無視している訳ではないし 怒っている訳ではないのは分る。
でも いとおしい存在でもないのだ。

話が逸れてしまったが…。
長男が来た時に 離婚届を出していない事に伝えて これだけは兄弟の揃っている時にきちんとしておきましょうと伝えた。
話し合いの結果 離婚届が出されて長男が届ける事になった。
これで 5月以来からの離婚がようやく成立する事になった。
これからの事は 嫁さんが自分で動いてどうしても出来ない事があったら 具体的に「ここが困る」と伝えて ご実家なりまたは私の所に相談して欲しいと伝えた。
こうする事が 彼女の為に1番よい事だと思うのだ。

母の前で話す事はためらいも有ったが 母は聴こえてないかのようにじっと目を瞑って座っていた。
末弟が仕事に出て教会に行く時には戻ってきてくれた。

教会で礼拝を守り 久しぶりの来訪者数人が紹介された。
母の事を伝えた時 みんなが「お〜っと振り返った」
礼拝が済むとそれぞれ 寄って来てくださった。
とても懐かしい方々だった。
皆 手を取り「〇さん お元気でよく来てくださいました。嬉しいです」と握手。母はじっと見つめてからポロポロ涙を零した。
同僚の方や教え子のお母様 古くからの教会員 おそらく20名を越える方が次々と母の傍にきて握手。
母の涙は止まらなくなり 傍にいる人も貰い涙。
ふるさとに帰って2番目に熱くなった日となった。
午後敬老のお祝いがあるのだが そこには参加できない旨を告げると名残惜しそうに母の周りに人だかりができた。
ふるさとを離れて暮らす母に思い出して貰おうとして写真を見せたり 思い出を話しても母の記憶はもう霧の中で思い出す事はなかった。
けれど こうして皆さんの熱く優しい思いや声そして温もりで 母の記憶は甦ったのだ。
どうやって感謝してよいやら…こちらも涙が零れるばかりだった。
勿論 母は言葉は出ない。
言葉なんかなくても思いは伝わるものだと感じ入った。

時間がきて 弟が迎えに来てくれ駅まで送ってくれた。
他に家族の見送りはない。

家族の中で唯一母の手をとってあれこれしてくれたのは末弟のみ。
もともとそういう事は1番手がけてくれる弟だった。

母と二人新幹線に乗り込んで「良かったね」と言うと母は深く頷いた。
未だ 教会での再会の場面は記憶にあるようだった。

新幹線を降りてから障害者用のトイレを探したが見当たらなかった。
ほんとに障害者用のトイレ探しは苦労の連続。

この電車にさえ乗れば 我が家のある駅まで行けると言う所まできて 母のストライキ。
新幹線の車内は暑く 冷たい珈琲を購入したけれどひっくり返してしまうと言うアクシデントが起きて 母は疲労と暑さと足の痛みで限界。
構内にあるお店に入って アイスクリームを食べさせた。
満足げな表情になった母をみて一安心。
休息を取って ようやく最後の電車に乗り込んだ。

駅に娘が迎えに来てくれて施設に向かい 施設の下にある割烹で母の夕食を頼んだ。冷たく冷やしたトマト お豆腐 そしてお寿司。
施設に戻ると母もホッとした様子。

着替えさせて トイレを済ませて洗面歯磨きをして 施設を後にした。
ふるさとへの旅もこれでようやく終了。

娘が夕食を作ってくれており 冷たいお茶まで準備してくれていてありがたかった。





2006年09月09日(土) 父の眠る墓へ


 実は 父の法事には 末弟と長男家族と母と私が行くと聞いていた。
以前の日記に記した通り 末弟は離婚の手続きを済ませたと思っていたが 実は届出を済ませて居ないと判明した。
そしてお嫁さんも家にいるのである。

昨日もお嫁さんも一緒に食事している。
とても奇妙な状態。末弟に昨晩も離婚する気があるのかを確認したが「ある」と言う返事。
けれど父の法事の前にゴタゴタも嫌なので 何も言わずにいた。
こちらから話す事は何もないので 話し掛けることも全くないまま。
私を憎んでいるのは 承知しているので…。

我が家のお寺は 家から車で2時間はかかる所にある。
法事に行く前に親戚の家に立ち寄る事も昨日のうちに決めていた。
出かけようとしたら 「お嫁さん シャンプーしているから…」と弟が言うので「!!?行くの?」「うん」
出掛けにもめるのも嫌なので黙って黙認。
私が何も言わないので 同行しても大丈夫と思ったのだろうか?
それにしても 母を連れて帰ったのに母には一言の言葉も掛けないのに お墓には行くって…私には全く理解不能。
父が大切にしていた母は無視して 父の墓参りって何なんだろう?
亡き父を愚弄していないかと思うが言葉にはせず。

車から見える景色を見て 何かを思い出していると感じた。
以前 母の帰りたかった所は 母の生家。
でも ここがふるさとであり 以前幾度も出かけた道と気が付いている様子に見えた。
この様子を見ただけでも 私は連れて来て良かったと思った。
寺に着いても見覚えのある場所として振舞っていた。

法事を終えて 皆でお食事。
ところが 入ったお店は 急な石階段を上らないと入れない。
ここでも母への配慮を感じられなかった。
メニューは蕎麦だけのお店。
入って 蕎麦を食べ始める頃に「おばあちゃんて 蕎麦は好きじゃなかったよね」と長男のお嫁さん。
「いや 父は好きだったから供養になるんじゃない。それに 好き嫌いはもう言わなくなっているから…」と伝えた。
母は そこそこ食べていた。

行く道すがら親戚に立ち寄り 対面。
「ねいちゃん 良く来てくれた。変わらなく元気で嬉しい」と喜んでくれた。母は ちょっとぽかん。
喜んでくれた叔父夫婦の方が 随分老け込んでしまっている。
「元気出して 又来るから。今日は玄関先でごめんなさい」と失礼をした。
「人の事は もう無理かな」と諦めかけていた。
が帰路 父の親友の家の近くを通ると判り 弟に御願いして立ち寄ってもらう事にした。
この方の奥様は 幾度か母をこちらまで訪問してくださっている。
父の親友が体調を崩されていると伺っていたので 是非とも寄らせて貰いたかった。
家の前に来ても 母は判らなかったのであまり期待できないと思ったが…。
息子さんに手を引かれて玄関までおいでくださった時 笑顔になった。
二人で硬い握手。
私も息子さんもデジカメを出してパチリ。
母はきちんと思い出せて…。
奥様は お出かけ中だった。夜に「会えなくて悔しい。写真見てなお悔しい。だから 今日の内に電話して声だけ聞きたかった」と言ってくれた。
母は話せないので わたしと思い出話を語った。

法事の済んだ夕方 買い物に出た。
そこは 母の通う教会の傍。
買い物を終えた後 何かを思い出すように考え込んでいた。
「判る?」と聞くと頷く。
「そうだね 買い物に来た物ね」
「こんなに判るなら 教会にも寄っていこう」と弟が言い立ち寄った。
牧師夫妻が 牧師館より飛んできてくださった。
母は頭を下げていた。やっぱり判っている。
「明日帰るので 母の状態を見ないと日曜礼拝に寄れるかが判らないので 今日 寄らせていただきました」と伝えると一緒にお祈りして下さり「明日教会の敬老会を予定していますので 是非」と言ってくださった。

家に戻った後 母は深く考えていてとても不安そうだった。
おそらく 凄い勢いで人に会い 何が何だか判らなくて思い出そうとしても思い出せないで不安なのだと感じた。
「思い出せなくて 心配?」と聞くと頷く。
一日の場面場面を伝えるとその場面を思い出せるようで頷く。
「大丈夫 また ゆっくり話してあげるから 心配な事はいらないから…」と言うと落ち着いてきて笑顔が戻った。

母は今日 目を瞑っている事がほんとに多かった。
現実が何が何だか理解出来ていないと言う不安なのだろう。

今日も入浴して…風呂から上がったらピクリともせずに寝入った。
夜間トイレにおこそうと思ったが立ち上がる事は不可能で寝たままパット交換。


2006年09月08日(金) 母と故郷へ


 午前中は 2回分のお弁当を作り 荷物を準備した。
施設に電話を入れて 薬の準備のみを御願いし 母には 出かける事は言わないで下さいと頼んだ。

娘は 検査の為に病院に出かけてた。1年ごとに検査が必要と言われていた。
娘は「少し悪く変化しているような気がする」と気にしていたので気がかりだった。
時間もギリギリとなって「出かける」とメールを打って直ぐ「大丈夫だった」と電話がきて 安心して母の所に向かった。
途中駅のコインロッカーに大きな荷物を預けた。

洗面 整髪 トイレ そして着替え…準備をして行くと母がお出かけと判ったようでニコニコ。
でも私の心は 無事に駅まで辿り着けるだろうかと不安でいっぱいだった。

最初から駅で躓いた。
駅のホームまでのエレベーターが動かなかったのだ。
仕方なく大荷物で母とエスカレーターを使った。
上りなので何とか助かった。

各駅のホーム内のエレベーターの場所は ネットで全て確認していた。
しかしJRの分は改札があちこちにあって 入る場所によってはエレベータのない所もあり構内をウロウロしてしまった。
また エレベータがホームの端っこにあって 移動するのも結構歩いた。

母は順調に歩けて 新幹線の駅にようやくたどり着けた。
新幹線のトイレは 母の状況のよかった時でも かなり大変だった。
だから 乗り込む前に障害者用のトイレで用を済ませた。

新幹線移動中に 母はおべんとを食べながら移り行く車窓の景色を眺めていた。電車に乗り込む時に文字を読んで行き先を知った母である。
ふるさとが近くなるにつれ 思い出の地が近くなっている事がわかるようだった。

故郷の駅に末弟が迎えに来てくれた。
外は暗いので 景色は見えず自宅前に下りても「知らない家」と言った。
けれど家の中に入ると 何かを思い出すようにキョトキョト。
見慣れた道具類に目をやっていた。
夕食は 末弟が作ってくれていた。
みんなで夕食と言うか夜食を取った。
食べ終えた頃 長男が来た。つい今しがた 母が来ている事を知ったのだ。
長男をみて 母がニコニコと笑顔を見せた。
「こういう顔が毎日だといいんだけれど…」と零す。
もう この数年来母とゆっくり過ごす事なかったのだし 理解しろと言うのも無理なのだろうが…。
初期の頃の母ではないという事に気が付かないのである。
ただ 母を連れてくるのにどんなに大変だったか その他にもあれこれあって「重ね重ね すまないです。世話ばかり掛けて…」珍しく労いの言葉を言っていた。
そこへ長男の嫁さんと娘も着てくれた。
娘は 外国から帰国したばかりだった。

ふるさとに帰ったこと 見慣れた顔に囲まれた事で母は心地よく興奮したみたいだ。

皆が帰った後で 末弟が「体流そうか」と母に言ったが無反応。
大変な事は予想できていたので「困ったら助けて」と弟に頼んで入浴。
慣れた場所という事もあり 母は嫌がらずに浴室に入った。
その隙に急いでシャンプーこれで爆発。
それでも「すまない事です」と謝り「良く我慢してくれましたありがとう」とお礼を言いながら 何とか入浴を済ませられた。
其の儘 就寝。
おとなしく布団に入ったものの 母は寝付かれずに「おかちゃん」を連発しながらちょこっと寝ては目覚めての繰り返し。
これが 一晩中続いた。
私の睡眠は2時間くらいだろうか?
もう 覚悟していたので苦ではなかった。


2006年09月07日(木) 袋小路


 昨夜 末弟と電話で話した。
結構長い電話となった。
気持ちはあるのだが 後一歩の行動力がなぁ〜。

今日は 会議のため 外出。

利用者さんのケース会議決定。
明日は ご家族が通院介助なさるのでお休みできそうだ。

今度は 我が家でのハードルが…。

物事がうまく行かない時は 動くなって事かな?
明日なんだけれど…。

出た結果が その答えになるんだわ…。






2006年09月06日(水) お風呂の続き

 午後には雨と言う予報。
でも 朝からポツリポツリと降り始めていた。
季節は 秋に向かって動き始めている。
蝉の声が弱まって 虫の音が聴こえる。
あついあついと思った夏だけれど 考えてみたら 今年の夏は夜中まで蝉が鳴いている事はなかった。
ここ数年は 夜中の蝉の声は当たり前だったのに…。
蝉が少ないとも感じない。いつもと同じように賑やかだったと思う。
そういえば 昨日 門前を掃いていたらお隣の軒でクマゼミが鳴いていた。

おべんと持って 母の所に向かう。
今日はリハビリの日。
この所 母の座る位置が変わった。
これまで 端に座っていたので人の間に腰掛ける事をせずに済んでいた。
が今は 母の両隣に入所が座っている。
おそらく 食事介助の必要がある人をコーナーに移したのだと思う。

仕方がないので ソファーに移って食事。
移動の時 母は手を持っただけで 理解してスッと腰を上げてくれた。
普段は 声をかけても理解できなくて「良いコラショ」と引っぱりながら立って貰う事が多い。
昨日は職員と一緒にバランスを崩して スッテンコロリンとなったそうだ。
今日は 自力でバランスが取れていた。

昼食はパンだった。
おにぎりを渡すと上手に食べ始めた。
前回は 最初のひと口は運んであげたが 今日は持っただけで自力で食べ始め おにぎりに関しては介助なしだった。
なめこをお醤油で煮て「水の珠」のお浸しと和えたものを食べさせたら 水の珠を食べられない物と反応して口から出した。
水の珠と言うのは みずと言う山菜の根だと思う。
ちょっとぬめりがある。
全部を出すのでなく より分けて出していた。
今日は 食べ物と感知しない日なのだろうと受け止め 無理に押し込める事は避けた。
大根おろしは喜んで食べた。トマトや枝豆も食べた。
なめこと大根おろしだけにしておけばよかったなぁ〜。
パンも一個は食べた。

リハビリはとても静かに受けていた。
寝ている訳ではない。リハが済んだ時「立つ?」と聞いたら即座に「うん」
でも若しかしたら「寝てる?」と聞いても「うん」といった可能性は高い。
今日は そこまで確かめていなかったから…。

リハの後 入所者2人と母と私でビーチボールのキャッチボール。
今日は キャッチしながら数を数えた。
この所めっきり言葉が少なくなった方が 数を数えてくれた。
最初は25 次が36 その次は156 長く続くとみんなとても注意深くなって来る。みんなが意識している事が良く伝わってきて嬉しかった。
けれど 母は途中誰にボールを渡すのかすら判らなくなり 窓の方に渡そうとしたりする。
疲れが出たと思い「今日はここまでにしようか?」と言うとみんなホッとした様子だった。
緊張も程ほどに…なんだなぁ〜。

その後 近くのドラックストアまでお散歩。
パンのコーナーで「欲しいのある?」と聞いたが「ない」と言う。
でもアイスのショーケースの前で「欲しいのある?」と聞いたら「ある」といった。でも どれが希望かわからないし気温が下がってきているので購入はしなかった。
こんな会話をしながら 母の様子を探り言葉を引き出すリハビリになれば…と思う日々である。

散歩後おやつ。
尿量が少ない。
水分補給でちょっと増えた。

事業所との連絡がうまく取れなかった。
こちらは 移動するし時間によっては電話できない。
すれ違いが何回かあった。
利用者さんのケース会議の日にちの調整。
金曜日お休みできるかは ケアマネさんと調整してみるとの事だった。

これまで 長く活動してきたが お休みが取れない(家族を含めて代わる人がいない)という事は初めて。

そうだ 昨日の続きで 入浴の事。
浴槽からようやく出して 脱衣室へも何とか移動させて…。
それまで石のように動かなかったのに 脱衣室に移動してちょっと経たら 自分でひょいと立ってスタスタ歩き出したそうだ。
そういう事って ほんとにある。
歩けないのではない。ほんとに脳の回路が瞬間切れたような感じ。
数分前 石のようで痣を作るような大変な介護状態だった事が夢の中だったように感じてしまう…。
認知症も後期になってくると出てくるんだよねぇ。


2006年09月05日(火) わぁ〜い!


 今日は 家族会。
バックアップしてくださっている精神科医の紹介で新しい参加者が増えた。
久しくお休みなさっていた方が 見えた。
イロウを宣告をやんわり拒否して 食事介助に通われていた方から 自立で食事できるようになりつつあるとの報告があった。
介護者がご夫婦でダウン 介護を受ける方も体調の変化で「もう駄目かも」と医師から言われてたのに…皆さん復活なさった。
高齢者世帯で ピンチに襲われ 介護仲間にSOS発信。介護仲間が飛んで行き助かったと言う報告。
介護仲間も 時折電話を入れながら「困ったら言ってね」と言葉掛けして支えになっているようだ。

わぁ〜い わぁ〜い。

実は 昨晩 1人の介護仲間から電話を頂いた。
若年性認知症のご主人の介護をなさっておいでだ。
長い時間 お話を聞かせて戴いた。
介護に向き合うことが苦しいという悩みだった。
正論をかざしても苦しい気持ちは消えて行かない。
虐待やネグレクトはない。
でもギリギリの状態なのだろうなと感じた。
先月の状態から 深刻さを感じていたので 包括に知らせて調整を図ってもらっていた。介護仲間の話では 包括もケアマネもデイも親身に動き始めている様子だった。
後は 介護仲間と包括 ケアマネ デイでの調整にお任せしている。

介護者の中には 自分の苦しみをうまく伝えられない人もいる。
また ケアマネの中にも 辛い話しを「認知症だから受容して…」と考える人もいる。
でも 家族の介護受容度は それぞれ違う。
家族の困窮度を同じ物差しで測っていると 虐待やネグレクトが生まれると思う。

今日の家族会で 笑いながら入浴の時の困難さをお話くださった方がいた。
実は昨日まで入浴できたのに 突然浴槽から出られなくなるという事が認知症には起きる事がある。
これまでも 介護者からそういったお話を幾例も伺ってきた。

浴槽で溺れそうになった時「『風呂で溺死させる…』とマスコミの餌食になってしまう」と瞬間思って踏ん張ったそうだ。
何とかかんとか 浴槽からは出せたけれど…あちこちに痣が出来たという。
それは 介護するほうもされる方も…。
「デイに行ったら『それどうしたの?』と聞かれ虐待なんて騒がれないだろうか?」と心配になったそうだ。
80歳の高齢者の介護をなさっている奥様である。
ケアマネさんは デイの日に立ち寄ってくださり助け舟を出してくださっている。良く家族の困窮度を理解してくださるケアマネもおいでだ。

ケアマネから もう限界だから入浴はデイと決めた方が良い時期でしょうと言われ そうなさる事に決めたという事だった。

今日は笑ってお話くださったけれど…その瞬間は 苦しく辛かった事だろうと思った。

わぁ〜いが満載で 同じ建物で同じ時間に ボランティアで所属している事業所の会員交流会に「ちょこっと顔を出しますから…お話はその時に…」と言っていたのに すっかり忘れて欠席してしまった。


2006年09月04日(月) ぼうっとして…


 利用者さん訪問。
今日の利用者さんはいつもより言葉が出なかった。
母と比べたら 話したい事をちゃんと話せているのだけれど 言葉が思い浮かばなくて焦っておいでだった。
表情もいつもより険しかった。
「何か 心配な事ありますか」とお聞きしたが「心配な事はないです」と言われた。でもいろいろ話されていた。

買い物同行。
利用さんにお聞きしてメモを取って それに沿って買い物。
戻って調理。
今日は 天麩羅にした。

ギリギリの時間で活動終了。

家に戻ってから母の所に出向く。
母はニコニコしていた。
排便があったようだ。良かった。
便秘が気になるので オクラとトマトを運んだ。
他にみかんと飲み物。
運んだものは全て食べた。

それから 足の屈伸 前後左右に足を伸ばしたりのリハビリ。
言葉では伝わらないが 動作を真似して動かしていた。
家にいる時もこうやって 動作を見ながら体操して楽しんでいた。
動く範囲は 大分狭くなってきたけれど…それでも懸命に頑張っていた。
「ありがとう」と言ったら「ありがとう」と返って来た。

法事の事を 今考え中だと伝えた。
施設長も見えて「出来る事は協力します」と言って 母のふるさと行きに知恵を絞ってくれた。
結局は 私が決める事なのだ。

利用者さん訪問が前後にあって これが休めないのが最大のネック。
他にもあるのだけれど…。
今度の金曜日は 通院日に当たっているので…。

飛行機も活動後だと間に合わない。
ターミナル駅の構内案内をネットで調べてエレベターの場所を探した。
乗換えと階段の上り下りも気になる事だ。

日にちも少ないので焦ってしまう。
とりあえず2.3日中には決めたいな。

今朝 夜間の口から出ている蒸気で火傷をしてしまった。
瞬間は 大したこともないと思っていたが 水ぶくれとなってしまった。
右腕なので 動かす度に擦れてしまって皮も破れ 更に擦れて 痛い。
ボーッとしているからだな。気をつけなくちゃ。


2006年09月03日(日) 夏日だったわ。


 午前中ようやくやりかけの仕事を仕上げた。
やっと肩の荷が下りた。

洗濯日和で 次々と洗濯機を廻した。
母の物も洗濯。
昨日 施設で母のズボンを見たら 新しいズボンにシミを見つけた。
洗濯した形跡があるのに…。
新しいとはいえ 何回か着用しているのだし 食べ零しもするだろうし…だから仕方ない事だ。
でも だめもとで家で洗う事にした。
シミなので取れないと思い 手洗いに廻した。
石鹸を付けてゴシゴシ…。アッと言う間にシミと思われた汚れは取れた。
良かった 良かった!

シャツやパジャマも時折汚れの取れない儘の時がある。
そういう時は 家で粉の漂白剤に漬けてから洗う。
すると綺麗にシミは取れる。
色の抜けるものは 染み抜きを使う。
出来る限り 汚れのない衣類を身につけて欲しいと願う。

母は 新しい洋服を着ると嬉しそうな表情をする。
昨日もお祝いの席にお出かけなので ワンピースと七分袖ブレザーのアンサンブルスーツで外出。
いつもは ズボンばかりでスカートを履く事はない。
母は おしゃれしていると判って鏡をのぞいて頭髪を整えていた。
しかし櫛を使う知恵はない。
頭髪を湿らせてヘアエッセンスをつけた。
仕上がった時「ありがとう」と言っていた。

おしゃれして嬉しいと感じるなら シミだって判るだろう。
自分の腕に出来ているシミを消そうと手で擦ってしまう位だ。

出来る範囲で身なりを綺麗にしてあげようと思う。

午後 畑に出向く。
またまた やぶ蚊の襲来。
熟れたトマトを捥ごうとしたら 大小のカメムシがくっついていて思わず腕を引っ込めてしまった。
なすにはてんとう虫が…。
きゅうりや空心菜にも虫がいた。
枝から払って 虫食いの葉を鋏で取り除いた。

先日蒔いた種が それぞれ芽を出していた。
これから順繰りに間引きしなくちゃ。
でも 今週も予定で埋まり始めて…畑に出向けるか?

いや このままで夏が終わる筈もないとは思っていたけれど…暑い一日だったわ。


2006年09月02日(土) 師匠 行ってらっしゃい!


朝 電車に乗ってチケットを届けに行く。
友人と家との中間地点で落ちあい無事渡せた。

戻って 直ぐに母の施設に向かった。
着替えは昨日のうちに届けてあり着替えた後だった。
でも会場の冷房がかかる事を想定し 下着を長めの物を足し ひざ掛けを持参。やっぱり 大正解だった。

役所主催の敬老会である。
コンサートだった。
施設単位の席が準備されている。

昨年もそうだったが コンサートは会場のライトが暗めになる。
自然の流れの中でそうなってもあまり気にならない様子の母だが 1度トイレに立って戻った時 会場が暗くなっていて 入るのを渋った。
1度 外に出て 楽しそうな音に合わせて 歌を唄ってから「入ってみようか?」と再度挑戦 何とか再入場できた。

ステージ前の席が空いていた儘だった。
母には そちらの席の方が良かったと思う。
歌い手が母の数メートル先に来た時には じっと見入っていた。
視界に余計な物が入ると興味はあちこちに行ってしまうのだ。
ちょっと残念だった。

会場で介護仲間と会った。
ご主人を介護タクシーを使っていらした様子。
お初にお目に掛かるご主人様 しっかりなさっていた。
介護仲間は「見たところはね…良いでしょ」と言われていたが やはりパーキン レヴィ であっても ここまでしっかりなさって居られる姿を出会うと介護ぶりに頭が下がる。
いつも高齢世帯で介護者一人…。
デイやショートをうまく使い頑張って居られると感じた。
普段の愚痴は家族会でお聞きする事にして ご主人様には「奥様 頼りがいがありますね」と声を掛けたらお顔が緩んだ。
まだまだ表情が豊かである。

会が済んで 入所しているご家族と我が家とでちょっと寄り道した。
イタリアンレストランに…。
母は小皿に取り分けると自発的に食べ始めた。
野菜を中心に介助した。野菜の中でもオクラとトマト。
水分も多めに摂取してもらう。
おかげでトイレ誘導も上出来。トイレタイムの感覚が長い時は 失敗したがそれも結構ずしりと重かった。

ゆっくりと施設に戻り 直ぐに夕食。
この時も介助して全量摂取。
これだけ食べれば きっと大丈夫。

明日は 私のパソコンの師匠が海外留学に旅立つ。
寂しくなる。でも 沢山学んで 無事帰国されるように…と祈る。


2006年09月01日(金) 残念ながら…


利用者さん訪問
利用者さんが ヘルパーさんの愚痴を零した。
副菜の味付けの事がひとつ。金銭の事がふたつ。

一通りお聞きしてから 味付けの事は「好みを伝えて加減してもらった方が良いですよ」とこれまで通りの事を伝えた。
ヘルパーさん 味の好みを聞いてから作ればいいのになぁ〜。
味付けの事は これまで何回か言われている筈なんだけれど…。
答える時「訪問していて 甘いのがお好きな方が多いので…」と言われたそうだが…。その答え方は どうなのだろう?
1度言われたら 次の時は味見をして貰って 確認すれば良いのに…。
とは利用者さんにも言えないし ヘルパーさんにも伝えられない 私の呟きである。

金銭に絡む事は
美容院に行かれた利用者さんに「おいくらでしたか?」と唐突に聞かれた事。もうひとつは 帰り際に「百円両替して貰えますか?」と言われた事だそうだ。
私にも 真意が判らないので「利用さんを良く知り 良いお手伝いができればと思われてお聞きになったのでは ないでしょうか?」と伝えた。
今朝 私も利用者さんが 美容院に行かれた事に気が付いたので「素敵な頭になりましたね」と声をかけたのだが…お金の事なんて考えもしなかった。
百円両替も 普通に考えれば不思議な事だ。
直ぐ傍に銀行やお店がある。
バスに乗るため…らしかったけれど バスには両替機が付いているのだ。
通常では考えられないので お金の管理がどの程度できるかの確認をしたかったのかな?とも感じた。
でも 認知症の始まっている人だし 1人暮らしなので お金の事を立て続けに聞かれたら 身構えてしまわれるだろう。
これで 物取られ妄想が始まったら大変だわ…。

今日は 利用者さんが先にお買い物リストを作られていたので 直ぐに行動に移った。
サンダルを選ばれている間にトイレ掃除の物を篭に入れたり 出来る限り時間節約した。
食品売り場でも 棚を見てお好きなものを選ばれていた。
買い物終了後 食事の支度。
今朝 ご飯を炊かれていらしたので こちらで米を研がずに済んだ。

活動を終えて家に戻ったら 事業所から電話が来た。
訪問活動の調整を御願いした。
やはり 今の状態で活動を続けると私以外の人が入ると大変になりそうな気がして来た。家族がもう少し介入してくれるかと思ったが 任せきりになりつつある。
気になる点を伝えて ケアマネと調整してくださる事になった。
少し難しい人なので ケアマネと直接話をしてきたが もうケアマネを信頼し始めているので 正規の形に戻しても良い頃だろうと思ったからである。

電話を切って母の所に向かった。
通院日だ。
母は私の顔を見ると 涙を溜めて「ありがとう」と言った。
職員は「今朝から曇っています」と言っていた。
こういう日は 居室に入ってもドアの方を矢鱈に気にして落ち着きがない。

オムツはぐっしょり 口の中にはご飯が入っていた。
もう直ぐおやつと言う時間である。
歯磨きをして顔を洗って髪を梳かして着替えをして外出。

外に出ると言葉はしっかりしている。
具体的な言葉を忘れてしまったが とにかくしっかり話していた。

診療所に着いて 順番が直ぐ来て診察室に入ると「何だかおっかない所だね」と言った。
医師は 母の気持ちが落ち着くまで 母と向き合いおしゃべりをして母に笑顔が出て来て 初めて診察なさった。 ありがたいことである。

診察を終えたのに 去りがたい雰囲気の母に苦笑してしまった。

途中で 持参したおやつとお茶を飲んで 施設に戻った。
それからは 割りに落ち着いていたので施設を後にした。

明日は敬老会でまた施設に行く。

娘が「東京ジャズ」のチケットを持ってきてくれた。残念ながら 明日は付き添いのため行けない。
一階席のとてもよい席だったのに…残念!
娘が母に付き添うと言ってくれたが そういうわけにも行かない。
友人に行ってもらう事にした。

ジャズが好きで 1人でも行動のできる人って そうそう居ないのだと知った。


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