母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2006年10月31日(火) 地域性?


大阪帰りのお土産定番 カンテグランデの豆パン。ほうらいやの豚まん。
夏は ほうらいやのアイスや水茄子だった。
季節が変わったんだなぁ〜。

お土産話も…。
ホテルを出て直ぐに 娘の目の前を歩いていたオバちゃんが 20センチほどの段差に気がつかずに 転倒したそうだ。
それも かなりの勢いで 直後は息も出来ないような転び方だったらしい。
通りがかり上「大丈夫ですか」と声をかけようと思った時 2・30メートル離れた所にいた オバちゃん集団がはたはたと駆け寄ってきて「頭は打っていなかったみたいだけれど…直ぐに動いちゃ駄目だよ」と忠告。
「えらいこっちゃ…あんた(娘に) わてら バスの時間が有るから傍に居て上げられんから 落ち着く所に連れっててや」と御願いして その場を立ち去ったそうだ。
「いやぁ こっちだったら こうは行かないよ。みんな知らんふりが多いよ…」と地域差を感じた様子だった。

昨日 職員から2日の食事の指示を下さいと言われた。
いつも 医師からは「普通食でよい」と言われる。
「最初は 柔らかなものから…ですが」と言われるのだ。
こういう場合 私は 最初の1.2回は柔らかな物で 後は普通食に戻す。

でも 施設は慎重。

と言う訳で 2日の検査後の食事を考えた。
考えながら…若し 何か見つかったらどうしようかな なんて考えてしまった。出たとこ勝負だわと思うけれど… 悪いループに入り込んで気が晴れない1日だった。 


2006年10月30日(月) 反撃?


昼食が始まっていた。
母はお粥とご飯と半々で先にご飯を食べて お粥だけはすすんで食べようとはしなかった。
途中 自分の為におこわを購入。
それを広げて 入所者や職員にも分けた。
お粥のすすまない母にも 少し分けてみた。
やはり おこわの方に箸が動く。
「ま いいや。後で外出するからお粥おしまい」と片付けた。

食後 トイレ誘導し着替えをして外出。
それまで あまり喋らなかった母が 外に出るとはっきり話し始めた。

横断歩道を渡る時少し急ぎ足になったら「もう少しゆっくり」と言えた。

バスに乗り込む時も 縁石から少し離れて停車したバスのステップに大きく足を出して乗り込んだ。
バスを降りてテクテク。
「こっちじゃない」と言う母に「こっちの方がいいよ」と言うと素直に向きを変えてくれた。
行き先は 美容院。

ちょっと伸びすぎた髪なのでシャンプーカット。
シャンプーを始める時は 頭を起して手こずった。
でも「綺麗になるからね」と声をかけるとじっとし始めた。
美容院の洗髪は 耳や顔にお湯がかからないので嫌がらない。
洗髪が終えて 私と目の合った母が「た・す・け・て」と声を出す。
美容士さんと顔を合わせて笑ってしまった。
別に嫌がっていなかったのに…。
「ありがとうございますだよ」というとぺこりと頭を下げた。
鏡に向かった母はオーナーから カットしてもらう。
ここから 大分落ち着いてきた。
襟足に電動バリカン(小さな物)をあてた時「モニャモニャ」と何か言っていたが 問題はなかったみたい。
綺麗に仕上がったら「綺麗になりました」と頭を下げ「ありがとうございました」と自発的に言えた。
オーナーは「今日は機嫌よいですね」と言う。
でもね さっき「たすけて」って言ったのにぃ〜。

美容院を出て すし屋さんにテクテク。
お目当てのすし屋さんは 臨時休業で 別のすし屋に入る。
「すし食べる?」と聞いた時「少しなら食べたい」と言っていたのだ。
母の為にちょこっと頼む。ついでに茶碗蒸しも頼んだ。
ご機嫌で食べていた。
すし屋さんも気を利かせてくれて「しめさばが好きなんですよ」というと出してくれた。真っ先に食べていた。
どうやら誕生日と思ったらしい。

この所 母は食べるのに用心深い。
ちょっと 残ってる歯が痛いのかもしれない。
それと 気になるのは 首の後ろが痛いと言っていた事。
検査の為に バファリンを止めているので 気がかりである。

朝 相変わらず歯を入れたがらないみたいだ。
入れ歯の調整が必要かもしれない。
歯の痛みは 仕方ないんだなぁ〜 自然に抜けるのを待つばかりなんだもの。治療済みの歯で抜くしかない事は 数年前から判っているんだもの。
よくぞ ここまで持ってくれたと感謝なんだ。

今日 あれっと思う事があった。
認知症でないが麻痺のある人がいる。
この方 結構裏表があって 私達家族や職員には 愛想がいい。
でもひとたび誰も居なくなると言葉の攻撃が始まる。
認知症を馬鹿にするのである。

昼食後 1人の方がフロアをウロウロしていた時 麻痺のある方が握手を求めた。求められた入所者は 険しい顔をして無視した。
そして 私の前を笑顔でウロウロ。
その時 意識しての無視とは感じなかった。
この人に反撃する意思は消えていると感じていた。

が 母との外出から戻った時 今度は 麻痺の在る方が母に握手を求めた。
母も 同じように無視した。
「握手だって」と伝えたのに 聴こえないふりを通していた。
少し前 「握手だって」といった時は 二人とも素直に握手していたのだ。

今日は 二人揃って無視。


もうひとつ気になるのは 〇さんが結構影響を受け始めている様子。
〇さんは これまで 気持ち優しく見守っていてくれた。
が 煽られた形のようだ。
〇さんも 言葉の攻撃を受けていた。
ウロウロしていると「五月蝿い」とか「駄目」とか…。

〇さんは 時折 麻痺のある方をご主人と思う時がある。
麻痺のある方は 女性なのだが…。
どうしてそうなるか 私には理解できないが…。
ちゃんと「うちの人」と言うのだ。
そういった事も影響しているのだろうか?

強い方とタッグを組む事は これまでもあった。
また そういう雰囲気になるんだろうか?

どうすると こういった事がなくなるんだろう?
認知症の人のゴタゴタは家族が思うほど入所者は感じてないと以前 理事が言っていたけれど…。
嫌とか反撃したりができないだけで 態度で目いっぱい抗議していると感じた。

午前中 事業所から電話がきた。
利用者さんの様子を伝えてくれた。
医師から 麻痺が残るかも…と宣告されているという事だった。
がんばって欲しいと思う。


2006年10月29日(日) 出張先から…


日ごろ 夫の会社の仕事を手伝う事はない。
でも 今日はちょこっとだけお手伝い。

後は1日 パソコンの作業。
おかげで目がショボショボ。
やっつけ仕事で 何とか片付いた。

人に言わせれば「ホラ 言わんこっちゃない。そんなもんやめて置けばいい」という作業である。
でも 一方で 助かっている人もいるし 自分の学びにもなる。
悩ましい作業である。
グズグズ者の私には 簡単に結論は出ない。

パソコン作業で 肩が凝りまくる。
数日前 娘が言っていた。
娘の肩こりの原因は 姿勢にあると言われたそうだ。
テーブルに肘を突いたりがその要因とかで 肩が内側に入り込んでいるのだそうだ。
マッサージの先生が調整してくれて 戻してもらったらしい。
見ると 肩がピンと広がっていた。
「朝になったら元に戻るだろう」と就寝したが 起床時もまだピンとしていた。マッサージ 侮るなかれである。
娘曰く「一段落したら 連れてって上げるよ」だって。

そういえば 先日娘のDSで頭の体操なるものを経験。
少し繰り返す事で慣れて来て 反応は早くなるのは確かだが…。
能力アップと言うよりも気分転換と言う所かな?

でも 私にとっての気分転換は やっぱり歩く事かな?

ついさっき 娘が出張先から電話してきた。
パソコンを使えなくて物足りないらしい。
それで「TBSTVの情熱大陸を見て」と言う。
テレビの前で居眠りしながら番をしている夫。
ちょこっとチャネルを変える。
若年性認知症の越智さんの番組だった。
後半しか見てないが…。
講演で「奥様を忘れない」と話されていた。
「忘れるかも知れないが 心に覚えていると思う」と言葉を詰まらせて話されて グッときた。
母の言葉が重なったのである。
母はとうの昔に 私が娘だった事は忘れている。
でも「私は誰?」の問いに「私の一番大事な人」と言ってくれた。
私に十分すぎる答えだった。

テレビが終わって再度娘から電話。
やはり 同じところでグッときたらしい。
母の言葉を思い出したのも同じだった。

認知症になっても 大事な思いは形を変えても記憶に留まっている事を学べている事は母のおかげ。
娘にも きちんと伝わっている事は 母に感謝である。
 


2006年10月28日(土) 偉かったね♪


 母の所に行った。
母は ここっ!と言わんばかりにサインを送ってきた。
職員は午前中から不穏で 入れ歯も入れさせてくれなくて 時間を置いて上の入れ歯をようやく入れて昼食だった事 そのため 摂取量が少ないとも話された。

母の傍に行き「荷物置いてくるね」と言うと 立ち上がってついて来ようとした。危ないので「直ぐ来るから 待ってて」と言葉をかけた。
荷物を置いて戻ると母が立ち上がリかけていた。

何かを強く訴える様子。
居室に入ると目と全身で何かを訴える。
意味はわからないが とにかく頻繁に言葉を発した。
「大丈夫か?」と言う意味のように感じた。
また 嘔吐?と緊張が走る。

取り合えず トイレ誘導。
座った瞬間に下着からポロンと落ちた。
「排便かも知れないな」と3.4回お腹をマッサージしていきんで貰って…。
出ました。
ホッと安心できる見事な量でした。
最初の方は固いので 苦しかったと思う。
でもそれはほんの一部で 殆どが普通状態。
これでは 不穏にもなるだろう…。
ちゃんと判って偉いぞと頭を撫でた。
嘔吐でなくて ホッとした。

排泄があった後は 椅子に座って貰っていた。
身体も冷えているようなので ショールを肩にかけた。
そして 目の前で箪笥の整理。衣替えである。
母は 私の動作を見ながら 手に触れている洋服を「いいね」と言う。
「〇チャンのだもの…」と言うと「〇ちゃんの?」と聞き返す。
落ち着いてきたようで 会話もかみ合ってくる。

時折 ユメルちゃんや木製の人形を手にして遊んでいた。

片付け終えて 荷物を上に上げる時は…
「危ないよ」と声をかけてきた。
人の危険を察知できるという事は 大分落ち着いてきたという事だろう。
「ありがとうさん さん チャチャちゃん」とお礼を言うとケタケタ笑い出す。もう 安心。
そこに職員がおやつを持ってやってきた。

母の笑顔を見て「あ〜良かった。ご機嫌になって。トイレに誘導しても出ないし…機嫌は良くないし…。だから 手を繋いで室内散歩してたんです」と言われた。
「あらら じゃ ご心配かけましただねぇ〜 お礼言わなきゃ」と母と一緒にぺこりと頭を下げた。
「いや 手を引くと歩いてくれるから…。助かるのです」と職員。

相当の抵抗にあったのだろう…。
押したり引いたりのテクとじっと待ってあげるテクがあれば 解決できるのだが…きっと 人出が足らなくて ひとりひとりに関っていられないのだろうなぁ〜。

おやつ後 着替えてお散歩に出た。
母も待っていたようだった。
足取りも軽い。前のめりは相変わらず。
歌を唄っていると 手でリズムをとる。
歌詞が出ないので 途中で唄うのをやめると 私の変わりにちゃんと歌い出す。
2キロ弱 歩いて疲れが酷くならないうちに施設に戻った。

足取りは 最後までしっかりしていた。







2006年10月27日(金) 介護あれこれ


午前中 所属事業所に出向く。
我が家は地域の東外れにあり 事業所は西の外れにある。
事業所は交通の便も悪くて…。

利用者さんの報告とチラシ配りのふたつの用事。
職員と顔をあわせると直ぐに母の様子を聞かれた。
それから 利用者さんの事 新規の施設情報 母の施設情報…。
ひとしきり話し終えて帰ろうとしたら 後見人担当の方が挨拶に見え 介護仲間が見えて 対処した旨のお話を受けた。
介護仲間に ここの場所を伝えたので はなの紹介で知りましたと訪ねたらしかった。
更に話し込む事になる。

午後は 離れた場所で準備作業があるので電車に乗る。
事業所からの最寄り駅は いつもと違う沿線にあり 乗り換えも3回。
到着したら 仲間が作業を始めていた。

仲間たちと作業の合間合間で介護の話となる。
この話は また別の機会に。

作業を終えて 家路に着く。

家に戻ると 留守電チカチカ。
母のことなら 携帯の筈。
電話番号から事業所と判った。
「さて?今日の件かな?」と聞いてみたら…。
「利用者さん 本日 脳梗塞を起こし救急搬送。暫く 活動休止」と言う内容だった。
訪問したヘルパーさんが 異常を感じて救急搬送となったみたい。

浮腫みが通常を越える状態で やはり…と言う感じ。
この気配を予感できていたのは デイの保健婦さんと私。
ご家族もこちら以上に利用者さんと会われているが…。
こちらとしても 一定の所までは言えるけれど ご家族に踏み込んで行けないので対策を考えていた所だった。
ご家族だって 利用者さんとは 私達以上に会っているんだし…。
脳梗塞の程度がきちんと判らないので 軽い物でありますように…と願っている。

夕食の支度をしていると介護仲間から電話。
遠距離介護のお母様のケアプランを事業所に提示してもらったら 2枚のケアプランしかないという事だった。
これまで長く関ってきた事業所であるから…2枚という事は有り得ない。
介護保険の請求はどうやってしているんだろう?
これを行政はどうやってチェックしているのだろう…という話しになった。
これから役所からの回答があるので 更に調べていくと言っていた。

1人暮らしのお母様の敷地にある家に 住みこんでいたヘルパーさんも これから出て行くそうだ。
いろんな経緯もあったのだろうけれど…。
それでも 利用者の家に住みこんでしまうって どう考えてもおかしなお話である。
この話は また折りある時に 書き込む事にします。

事業所に出かけた時 保健婦さんから 最近 在宅で若年性認知症の奥様を見送られた方のお話を伺った。
おそらく 私もお会いした事のある方だと思った。
まだお子様が在学中で ご主人も会社勤めをなさっていて 親戚からは見放され 相当にご苦労なさった方だった。
私がお会いしたのは 家族会が立ち上がる前だったと記憶している。
その時に お子様も1人は結婚なさって子育ても終わって 定年退職なさって奥様の介護に専念なさっていたと記憶している。
その方に経験談をお聞きしたいと伝えたら 事業所も「ご本人に聞いて見ます」と言ってくださった。


2006年10月26日(木) ドキドキ


 故郷の友人から果物が届いた。
お礼の電話を入れ 暫く話しこむ。

彼女は 私とも同じ職場にいた事もあり 父とも同じ職場にいた事もある。
父と私の共通の知り合い。

仕事に向き合う姿勢に いつも学ばせて頂いた。
責任感が強く正義感も強い人で中途半端な取組みを嫌った人。

彼女の長年の友人が 今 認知症初期のお母様の介護中だという。
介護で家の中に篭もりがちなので 時折誘いをかけて外に連れ出している様子だった。
「仕事で放置してきたから…今がお返しをする時」と頑張っている友人だと言っていた。
その友人の唯一の出かける先は 介護者の会のようだとも言っていた。

母がふるさとに住んでいた頃は 家族の会は1ヶ所だけだった。
町から離れた場所なので 足を運ぶ事はなかった。
今は いくつ位出来ているのだろう?

介護保険の事や介護の周辺の話題となった。
変わりつつある制度…ほんとに良い制度に変化しているのだろうか?

午後 母の所に出向く。
ニコニコ笑顔で気持ち良さそうな母だった。
トイレ誘導後「お散歩行く?」と聞くと「行く」と言う返事。
早速 散歩に出た。足取りは軽いが 時折ふらつく事が多く 介助の手は 自然緊張の連続。
でも母は心地良さそうだった。それでも 前のめりは強い。
美容院で洗髪して貰おうと思ったら 予約でいっぱい。
花屋に行きたいと言うので行ってみると お休み。
無理をしないで施設に戻った。

その後 洗髪させて貰った。
少し 大変だったが…何とか洗ってあげることができた。

がその後 母は少し不機嫌。
へそを曲げたり 戻ったり。お腹を押えたり。
お腹を押える事は これまでもあったのだが…あれ以来 やはりこちらも神経質になってしまう。

嘔吐の気配はないけれど…。
「心配?」と聞くと「心配」
「何処が?」と聞くと お腹を擦る。
気になるので 母の耳の後ろにアロマのロールオンを塗った。
瞬間嫌がった。
ハンカチにもアロマを塗って 母の鼻に近づけたり…。

暫くすると 落ち着いてきた。
アロマのせいかは はっきりしない。
でも家にいる時も アロマで対応していた。

ひょとすると母よりも こちら側の不安を解消しているような気もする。

今日は 夕食介助せずに帰宅した。
職員には 夕食後暫くは椅子に座らせて落ち着いてから横にさせてくださいと御願いしてきた。
家に戻ってから 施設から電話が来るのじゃないかと冷や冷やだった。

ラジオで日本シリーズを聴いていて 8回の表辺りからテレビの前へ。
特に日ハムのファンと言う訳ではないが 新庄の引退…という事で 少し気になったりもしていた。

日ハム優勝って事で…「おめでとう♪」


2006年10月25日(水) タッチの差


ちょっとボンヤリしていると急激に睡魔に襲われる。
疲労の信号である。

朝 施設に電話して母の様子を聞いた。
とてもご機嫌で 運んだ食べ物もなくなり 昼から普通食に戻してみようと思っているという事だった。

我が家にいた時の食事の戻し方もメモにして渡していたので…前回より速いペースで普通食に戻っているのかと思う。

様子を聞いてから 今日のリハの立会いを職員にお任せしたい旨を伝えた。

これから 来月3日まで わが身も大事にしなくてはいけない。
母の検査日が2日なので それを含めていろいろ動かなければならないから。

今日も夕方から会議だ。
会議の前に チラシを近くの包括に運んだ。
役所の担当と包括の方にチラシを渡して欲しいと御願いした。
「立ってるものは親でも…という事で 家族会の用なら ついでに動けるのだからいつでも使って…」と言って貰っているので助けてもらう。

早めに夕食の支度をして 会議のため電車で移動。
途中の乗り継ぎ…長いエスカレーターを下りて ホームに入った電車に反射的に飛び乗った。乗車した途端ドアが閉まった。
「いつも1本待つのに 今日はうまく行った」とにんまりしたら…。
電車は反対方向に動き出した。
「あちゃ やっちゃった!」
おかげで会議遅刻(汗)

予想していたよりも早めに会議も済んで 家に戻れた。
家に着くと夫がタッチの差で夫が帰宅していて…不機嫌。
「あちゃ やっちゃった!」
夫より早く戻れると思って会議のこと言ってなかった。

急いで 夕食を出して何とか機嫌が戻った。
お腹が空いていれば 機嫌も悪くなるよね。


2006年10月24日(火) おっとどっこい!


 土曜日に急ぎのメールが入っていたが 返信せずにいた。
昨日 返信したつもりが 届いてない事が今朝判った。
急遽 今日打ち合わせとなる。

「母に変化がない限り 時間決めの予定はないです」と伝えてしまってからある家族会からのお誘いに応じて「伺います」と言ってたことが「今日」だった事に気が付いた。

お昼をすっ飛ばして電車に乗り その場所に出向いた。
今日を外すと 次は来月となってしまう。
配りたいチラシもあった。今日を外す訳には行かないのだった。

今回は辛うじて思い出せてセーフ。

会は既に始まっていた。
こちらの会とは赴きも違う。保健士さんのお話を伺っているうちに首筋や肩がコリコリとしている事に気がつく。
保健士さんが 介護者のリラックス方法について語られていたので聞き入る。後半でストレッチ体操となった。
首筋を伸ばしてみる。が 改善は難しそう。

そうだった。
ストレッチしたり気分転換したり…をすっかり忘れていた。
これでも 途中娘が肩こり等の緊張を解くハーブを作ってくれていたっけ。
「あたしゃ 大丈夫よ。元気よ」なんて言ってしまったけれど…。
やっぱり 寄る年波にゃ 勝てないわ!

会の最後まで残っている事は出来なくて 非礼を詫び「次回は必ずゆっくり足を運ばせて戴きます」と挨拶して会場を出た。
それから 電車に飛び乗って約束の場所へ。
こちらは 少し送れてしまった。

細かい打ち合わせをして それから別の場所へ行き 確認事項をチェック。

全て終わったのは 夕方の6時過ぎ。
電車に乗って我が家へ。

一昨日 介護仲間から相談の電話が入っていた。
離れた場所で一人暮らしをしているお母さんの所に入っているヘルパーさんの事だった。
酷い状態である事は以前聞いていた。
ただ お義母様の介護もあり認知症のないお母様の事は 距離を置くより他なかったというのも事実である。
ふるさとでかなり感情的になって対応してしまったが…と言われていた。
介護者は 介護をしている時は普通の状態ではいられない事が多い。
だから無理のない話しだ。
電話で 相談先を包括と役所の一般窓口と介護保険課と3ヶ所に申し入れするように伝えた。福祉オンブズマンの窓口の確認も勧めた。
その他 ケアプランのコピーを貰って置く事も。
(ケアプランと利用明細書が見当たらないというのだ)
他にもいろいろ話した。

家に戻ると また その人からの着信履歴が残っていたので 電話を掛けなおし また 話しこんだ。

26日ふるさとに行って いろいろ話してくると言ってた。
良い解決策が見つかるように…と思う。

午前中は 母の事の報告を近くの包括に電話で伝えた。
今回の事でお知恵を拝借したから。

ついで 利用者さんの事の話にもなった。
やはり デイでも認知症の進行が気になっていたようだ。
デイ側の方からもケアマネに連絡すると言っていた。
利用者さんの把握は デイと一致していた。
やはり 直接接している者の把握と月1でのケアプラン作成でお会いするケアマネとは 認識のズレを感じる。
いや ケアマネの責任と言うのではない。
このズレを上手に調整する事が利用者さんの為になると思うのだ。

とこんな調子で1日が過ぎた。

明日は リハの日であり 夕方から会議。
溜まっている仕事もある。

施設から連絡があるかと冷や冷やで携帯や家電ばかり見つめていた。
どうやら 何事もない様子でホッとしている。


2006年10月23日(月) 腐ってみてもしょうがない…


 策を練っているつもりでいるのだが もうひとつ詰めが甘い私。
全く 駄目娘である…。

今日は 利用者さん訪問の日である。
土曜日に 施設にお願いしてきた事がある。
それは「月曜日は訪問活動の日で 一人暮らしの認知症初期の方なので 急なお休みは混乱のもとになるため 活動時間の間は 施設に預かって欲しい」と言う事。
了解を得ていたので 朝 施設に母を送っていった。
一方 娘は 病院に母の診察券を出しに行ってくれた。その足で 私を施設まで迎えに来てくれた。

そこで はたと考えた。
出来る限り早く活動を終える必要がある。
幸い利用者さんは 早い訪問は問題がない。(遅れるとヤキモキとなさるのだが…)
そこで 家に戻らず近くのパン屋さんで娘と朝食。
家には 食事の支度がしてあるので無駄になるが母優先なので仕方がない。
娘からは「自分は臨機応変対応が出来ない性格だから 前もって案を練っておいてね」と注意を受ける。 …すまんこってす。詰めが甘い親で…
娘と別れるとき 雨が降ってきた。
傘の準備がなくて 娘が車に積んである傘を出してくれ その上「寒くなりそうだからと上着を着なさい」と自分の着ている物を脱いで貸してくれた。

利用者さんを訪問すると…。
利用者さん 足がパンパン。
薬を点検すると飲み忘れが4日ほど。
その上 眼科通院を希望。
眼科通院はご家族がすると了承を得ていたのだが…。
利用者さんがしたくしている間に 途中まで調理。
利用者さんを眼科まで送る。
足の浮腫みがあって ご本人も歩行に不安がある様子。
とりあえず送ってから 戻って調理(4品)の続きとお掃除をした。

もう時間オーバーで 利用者さんを家まで連れ戻るのは不可能。
そこで 事業者に電話して ご家族に連絡を取ってもらい この状態を伝えてもらうことにした。

電話を切ってから 直ぐ鍵を渡すため眼科へ。
走りながら考えた。
「若し ご家族が留守だったら…」
眼科に着くと診察の終えた利用者さんとばったり。
其の儘 薬局に向かった。
そこで 苦肉の策。
薬局の方に薬が出たら 車の手配を御願いし 道路を横切らないで帰れるようにした。勿論 利用者さんの了解を得てだ。

これで 安心して 母の所に走った。
ふと気がつくと 利用者さん宅にブラウスを置き忘れしてしまった。
結果的には これが幸いしたのだが…。

施設では 昼食が始まっていた。
母は 朝もきっと食事風景を眺め 昼もそうなりかかっていた。
「自分のは?」と聞いたらしい。そう不機嫌にはならなかったようだが…。
私の為に ほんとに悪いなと思い「勘弁ね」といったら「大丈夫」と言ってくれた。
施設の車に乗って病院に向かった。

程なく診察。
が「ガ〜ン」
この病院もまた 今日の検査は無理と言うのだ。
医師は 別の病院の事も考えてくれたが…。今更 と言う時間である。
朝1番に診察できたなら それも可能だったのに…。

何故出来ないかに関しては 詳しく説明してくれた。
納得は出来ないが 理解は出来た。

困った顔をしていたら 看護士さんがグッドアイデアを出してくれた。
この病院の医師だった方が 近くに開院していて検査可能と言われたのだ。
ここでの血液検査の結果を持っていけば また採血しないで済むだろうという事だった。
電話番号を伺い 電話した。

が「ガ〜ン」
この開業医は11月12日まで予約でいっぱい。キャンセル待ちなら可能という事だ。しかし 毎日ご飯を食べないで待つわけには行かないので 取りやめた。

再度看護室に戻って事情を報告して 血液検査の結果表だけ頂き 後はこの病院の検査と診断結果を聞く日を予約した。

一連の事は施設にその都度連絡し 今日は施設に戻る事にした。
私は朝 とりあえず朝食を摂ったが母は水すら摂ってない。

途中で 買い物をして取り合えず口に運べる物を購入し施設に戻った。
プリンとワッフルとふかし芋を少しづつとお茶でお腹をこさえて貰った。

母は通院の間も買い物の時もご機嫌なのである。
頭もしっかりしている。

医師とのやり取りの間じっと聞き入っていた母。
その後 二人だけになった時に聞いて見た。
「検査のため胃カメラを飲む事になるけれど どうする?検査受ける?受けない?」と聞くと「受ける」と言う返事。
きっと検査を受ける段になれば 嫌がったり拒否も出るだろうけれど 前もっての質問にはそう答えてくれた。

また 買い物途中で 花屋さんの店先でハロウィンの飾りをみて「可愛い」と言い「買いたい?」と聞くと「買いたい」と言うのだった。
幾度か質問を変えて聞いてみたが やっぱり「買いたい」という意思は変わらなかった。 余程気に入ったのだろう。
でも 選ぶのに時間がかかりそうで 一刻も早く施設に戻って食べ物飲み物を口にさせたいので「後でにしようね」と通り過ぎてしまった。

施設に戻り 医師とのやり取り看護士さんのお話を施設長に伝えて 今後の事を再検討。

結局 経過観察を重視するという事で 今日通院した病院で検査を受ける方向で動く事にした。
土曜日に通院した病院の検査予約はパスするつもりだが 直前までは予約は取り消さないで置く事に。
まだ 様子見は続くだろうから。

医師との話しの中で何故検査できないかと言う事が見えてきた。
・病院としては中規模で内科医が少ないという事。
・C型肝炎の検査が必要という事。
(これは 肝炎キャリアとは使う器具を分けているためらしい。大きな病院 は 器具も多いので直ぐの対応も出来ると言う事だった。
 ただ 個人医院の検査は 開いていれば直ぐにできる所もあるので個人医 院の方が早いと言い方もしていた)
・母は バファリンを使っているので 5日ほど服用を取りやめる必要がある
 という事。これは 土曜日に通院した医師も同じ見解
 血液をサラサラにする薬は 傷ができた時出血が止まり難いから検査の時
 万が一傷ついたら困るという説明だった。
これらの事も大量の吐血と言う事態になったら救急体制だが そうでない状態の時は やはり 慎重に…と言う姿勢らしい。
ただ 昨年12月通院した病院は 救急で受付けて即検査してくれた。
ここは 判断の分かれるところだ。

勿論 そういった事はボンヤリとは知っていた。
また 最初の時には 検査はしないと伝えてもいたので 少しはこちら側にも責任があると感じている。

言い訳するなら 急場の時なら…と言う思いがあった。
家族としては やはり こんなに早く繰り返すという見通しがなかった。
在宅なら 覚悟を決めて此の儘受け容れていくつもりだが 託している身なので 原因も判らず繰り返されたら困るのは施設だろうという思いもあるのだ。

私が 今 受けている事を全部断れば 在宅も可能だが…。
「危篤なら そうも言っていられないけれど…」という思いは やっぱり 医師の立場と同じ感じ…非常に微妙…。
空いている時間だけならいくらでも見るけれど 今の今 母を引き受ける体制にないと言う現状なのだ。

おそらく 私の読みでは急激な変化はないだろうと思っている。
血液検査の結果から貧血も見られない。
でも 万が一という事は心の隅に置いている。
万が一は 在宅においても同じで…。
そういう意味で 爆弾は抱えた儘。

90歳で認知症と言う微妙な身体。
命を軽んじるとか介護が面倒と言う考えではない。
母にとってより良き道を模索しなければならない。
母が「生きていて楽しい」と思える時間を維持しながら過ごせるように…と願う。
今日だって 帰路の買い物は 楽しそうだった。支えがあれば歩ける。
この生活を続けさせてあげたいのだ…。
迷いながら 悩みながら 歩んでいくしかないみたい。
母に不出来な娘である事を詫びながら…。

施設からの帰り 忘れ物を取りに利用者さん宅に立ち寄った。
通院のお話もあるだろうし…と利用者さんの望みに従って上がらせて貰う。
あれからタクシー移動で整形に行き 注射を打ってもらい痛み止めの薬を頂いた様子だった。
慌てて 薬を見せてもらい 誤服用を避けるため 薬を小分けして間違いのないように詰めなおした。
今日 再度 薬の管理の件も事業所を通してケアマネに伝えて貰ったばかりなのだ。
利用者さんには「痛み止めは出来る限り控えて…」と伝えた。
が注射の件は伝えていない。
注射もあまり良い方策ではない事は 想像が付いているのだが…。
「動ける生活を続ける事」を優先は 母と同じである。
1人暮らしを大事にしたいと思っている利用者さんだから…。
整形の医師だってリスクは承知している筈だし…長年 御世話になっているのだから気持ちは同じだろう。

「戻ってきたら しっかりおかずも作ってあったので ご飯も食べられました」と言われた。おそらく 次のヘルパーさんの時までは 間に合う筈。

利用者さんには 母の事は言っていない。
話せば また 私の訪問がなくなる…と不安がるだろうから。

駄目な時は一気に。
そしてヘルパーさんと気心が知れて次の人に変わっても大丈夫になる時まで母にもがんばって貰わねば…。

家に戻って夕食の支度をしながら 薬の事を伝えるのを忘れた事に思い当たり急いで施設に電話した。
検査日まで バフャリン中止。ヤレヤレ。


2006年10月22日(日) 千里眼?

 昨日の日記を読み返しながら 誤字の多いのに呆れてしまった。

 昨晩は何事もなく過ぎた。
夜間のオムツ換え4回。就寝時足の浮腫みが強くなっていたので これだけ排尿があれば 安心だわ。
5時頃 何となく気持ち悪そうな様子だったので ミントを枕元に置いた。
何事も無く 暫くすると 再度熟睡。
7時ごろには 隣でぬいぐるみと遊んで独り言。楽しそうである。
こちらは眠い筈だけれど 母の機嫌の良さにスカッと目覚めた。

お粥さんから 順繰り普通食へ…。
購入して以来 殆ど使う事の無かった「お粥のこがま」。
今回は大活躍。

昨夕作った 茶碗蒸し だし汁は冷蔵庫保存したので 今朝 再度茶碗蒸しにした。大きな器で作り 家族みんなで食べた。
朝から茶碗蒸しなんて 我が家では特例である。

家族に出したつもりの沢庵…。
母がサッと一切れ箸で取った。
「あ〜っ」と思うけれど「ま いいかぁ〜」
朝食も美味しそうに食べていた。

お昼まで テーブルのがまくんとかえるちゃんの人形を使って一人遊び。
ティッシュペパーのしわを伸ばしてがまくんに包んでいた。
楽しそうだった。

昼食からは普通食に戻す。
でも白菜の煮びたしはクタクタに煮た。

午後は時折不穏に。
切り替え切り替え対応。

おやつの時間近くに 突然「うまい柿なんか出さないでちょうだいな」と言う。今 家の中に柿はたった1個残っているが 母の目に留まるような所にはない。「柿食べますか?」と聞いたら「うん」と言うので急いで柿を剥いて更に乗せて出した。
何という千里眼だぁ〜。

娘と時折話題になる 母のタイミングの良さと勘の強さ。

夕食までの時間は 少し不機嫌。
勝手に不機嫌になってちょっとした言葉掛けで直る。
1.2回は立ち上がる事もトイレに行く時も完全拒否。
時間差で対応して 誘導。
怒っても もう長続きしないので スッと流せば もう次の場面。

今日も夕食は母のみ 先に食べた。
明日 検査受けるとしたら早めに食べ終えておかないとならないからだ。
豚肉を片栗粉を叩いて湯引き…。大根おろしに巣立ちを絞ってだし汁をかける。これが 母にヒットした様子で一番先に手をつけていたし美味しそうに食べていた。
夕食は 量はやや控えながら普通食にした。

母を見ていると食事前不機嫌になって食べ始めるとニコニコしてくる。
以前はこんな事無かったと思うのだが…。

夕食を食べ終えた頃家族も戻って食事。
でも母は さすがに「食べる」とは言わず食事の輪の中に入って眺めていた。

母に「気持ち悪くない?」と聞いたら「何とか中におさまった」と言う返事が返ってきた。
言いたくても言葉が出なくて幾度も諦める場面が繰り返された。
この言葉は 瞬間にピタッとする言葉と思って発したのだろう。
以前なら
「気持ち悪くない?」と聞けば「大丈夫」「少し気持ち悪い」と言う返事が母の定番だった。

調子を聞きだすのに苦労している。
認知症の難しい所だ。





2006年10月21日(土) 空振り


昨夜 施設に向かい駅で娘とばったり 其の儘娘の車で施設に向かった。
着いて暫くは まだ治まっていなかったが 序々に落ち着いてきた。
暫くして 顔色もよくなって寝息を立てて眠り始めた。
その後 職員と経過やこれからの話をした。

先日の病院に通院する事にしたのだった。
そこは24時間体制の救急病院。

通院履歴もあり 現在治療中なので受け容れて貰えると思ってた。
24時間と言っても早朝では悪いかなと8:00まで待って電話した。
すると「当直医が入院している人の対応に追われているので9:00過ぎに電話してください」と言われる。
9:00に再度かけなおす。
朝受け付けた人とは別の人で「ドクターはまだ 対応があって手が放せません」と言っていたが「あちょっと待ってください。連絡取れそうです」というので暫く待った。
見て貰えそうになった時「実は ファイバー検査する必要があるかも知れないのですが 今日は検査技師が居ないので出来ませんので…」と言われた。
それでつい「あ 良いんです。認知症で難しいと思いますので無理にするつもりはありません。薬を戴きたいですし…」と言ってしまった。
すると 再度ドクターに聞きに行き「検査の必要がありそうですので 病院の案内を致しますのでそちらに問い合わせてください」と言って電話番号を告げられた。案内先は 119だった。
言葉を変えす気持ちにもならないで電話を切った。

すぐさま 罹り付けの医師に電話して相談。
2ケ所の病院なら繋げると言われた。しかし遠いのだ。
それで 近所の病院はどうだろうかと相談してみた。
「検査は確かと思うけれど 入院になったらべらぼう高いよ。入院を断ったら こちらでは責任を負いかねると言われる可能性大だよ」と言う。

そこで施設に電話して相談。
今日の通院は 検査のみにして 後は様子を見るという事にして良いだろうか?」「ご家族の希望がそうなら それでよいですよ」という事になり 診察の受付を済ませて施設に向かった。
母は気持ち良さそうに寝ていた。
ゆっくりと着替えて施設の車で病院に向かった。

診察の順番は直ぐ廻ってきた。
「検査をします」という事だったが 話し振りから胃カメラの検査は今日ではない様子に感じた。
レントゲン検査を受けて採血して…。
「胃カメラの検査の予約をしてください」と言われた。
「空いている日で1番早いのは 31日です」
…ギョエイ… 
「此の儘 31日まで待つのですか?」
「はい。胃カメラ検査と今日のレントゲン検査の結果を踏まえて医師から説明がありますので 何時が良いですか?」
「えっ?今日はこれでおしまいですか?医師の話しは聞けないのですか?」
「はい」
「お薬は?」
「無いそうです」
「…」

会計を済ませて外に出て 施設に電話した。
事の顛末を伝え このままだと職員も不安でしょうし 私も心配なので2日間は家で見ます。ただ 月曜日活動日なので 朝から活動が終わるまで預かってください。その足で通院します」と伝えた。

と言う訳で 其の儘家に連れて戻った。
お昼はとうに過ぎていた。
豆腐を温め お粥を作り 後は葡萄を刻んで少量だけ食べてもらい様子見。

落ち着いていたので 夕食は 茶碗蒸しとじゃが芋をマッシュしカマンベールチーズを乗せてオーブンで焼いた。お粥を炊いて味噌汁を作って…。
テーブルに出すと母の嬉しそうな顔。
いつもの3分の1の量を1時間かけて食べた。
介助もしたが自力で食べる部分もあった。

食後 人参を摩り下ろして蜂蜜とレモンをかけ食べさせた。
人参の繊維で噎せたので 後半は汁だけに留めた。

食後も笑顔が続く。
9時半近くになり 眠そうなので顔を洗って歯磨きをしてお布団へ。
後はzzzz。
今も落ち着いて寝ている。

医療体制について 沸々とした気持ちが湧いてくるが…これは後日に回す事に…。
爆弾を抱えた儘である。

これからの事を御世話になっているケアマネに電話で相談してみた。
次の道は やはり 10月6日に通院した病院で診察を受ける事に決めた。
今日の通院は無駄になるが 仕方ない。
 



2006年10月20日(金) お散歩できたのにぃ


 夕食介助して戻って 家の夕食の支度をしていたら 施設から電話。
また 嘔吐です。
薬も服用しているのにぃ〜。

様子見に施設に出向きます♪


2006年10月19日(木) 再確認


 みんなと打ち合わせの場所で 喧々諤々している時 ふと「こんな経験あったな」と考える。
学生時代の大学祭だわと思い当たる。

あの頃は 大学側と執行部とのせめぎあい。
予算は ある程度 準備されていた。

今は資金調達から 運営まで自力でひねり出す。

あの頃は 背負っているものはなかった。
でも今は それぞれに背負っている物がある。

時間の制約もあの頃とは比べ物にならないほど多い。

そうか…私は その昔 そんなこともしていたんだなと思った。

自ら望んで身を置いた訳でもないのも昔と同じかぁ〜。
打ち合わせの場所で 相変わらずの自分なんだなと再確認。


2006年10月18日(水) どうなるでしょう?


 歩いて数分のグループホーム 内覧会には 母を連れて行けなかった。
昨日 帰りの道すがらホームに灯りが点いていて「1人の入所者が入る日だった」と気が付いた。

今朝 その施設に電話して 母と見学させて頂けるかと聞いて見た。
快諾して頂いたので 早速見学させて貰う事にした。

母の状態を知っているもう1人の人を誘った。
その人は 今の施設の施設長。

ほんとは今日は休日だったのだが 調整して頂いた。
施設長も新らしい施設を見学したいと言われてもいた。

午後 母を迎えに施設に出向いた。
母はご機嫌状態。
トイレを済ませて 着替えをして準備完了。
そこへ昨日「寒い」と言ってきた入所者が また訪問。
トイレに入ったと思ったらエプロンを手に出てきた。
「トイレに御用?」と聞くとどうやら図星。
「じゃ お使いください」と誘導。
昨日 ズボンを下げる時ちょっと拒否があったので 今日は後ろの方からズボンを下ろした。
「お見事でした」音を立てて排尿。
この方は 母と違いまだ自力で立ち上がって時にトイレも自立もある。

暫くして 施設長が見えて一緒に見学に向かった。
母がどんな表情をするかが気になっていた。
玄関を入って 職員と出会っても 私と施設長に挟まれた形なので母に大きな変化は起きなかった。
ニコニコ笑顔の礼儀正しい優等生。
全てを捉えているような…そんな感じ。

施設長と私のサンドイッチと言う状態の他に 施設内がとても落ち着いた明るさがある事も不快にならなかったのだろうとは思う。
面白かったのは 浴室。
昨日の今日で 浴室は母の頭にインプットされていたのかように動きが止まった。
施設長と顔を見合わせてしまったほど。
お部屋を見て回る時だって「わぁ〜」と言う感じだった。

施設内を一回りして デイサービスに予定されている所でお茶を頂く。
職員をまじえて 地域交流。
「施設間で交流できればいいですね」なんてお話まで出た。
母は その間もとてもにこやか。
「明るく おとなしい方ですね」と言われた。

では 母の入所はどうなるか?
そこは 申し込み後 職員で話し合って考えるそうだ。
10人面接して3人くらいの方の入所と言う感じが 今のところの読みのようだ。施設で無理という事もあれば家族が断るという事もあるようである。
母は要介護4。後は見ての判断。
「近いという事は 最大のメリットですね」と双方の職員が言ってくれた。
見学先の職員は 地域交流の役目も担っているので 近隣の人の入所は必要なのですと言っていた。


2006年10月17日(火) 殊の他嬉しい

 午前中 あれこれと家で仕事。
午後 ようやく母の所に出かけた。
母の所に行くと2.3時間経過してしまう。

母は最初「あら?」と言う顔をした。
荷物を居室に置いて戻ってみるとテーブルに突っ伏していた。

居室に誘導して椅子に腰掛けてかけ 暫く時を置いて「トイレ行かない?」と声をかけると「行ってあげてもいいよ」と言う。
珍しく「うん」でないな それも私のトイレに付き合うと言う感じだなと思った。
トイレに座った時
「嫌って言わない」突然喋った。
私に「嫌って言わないでね」と言ったのかと思って「うん 言わないよ」と返事した。
排尿が済んだので拭き取ろうとしたら肛門が固い。
「あれ 出るの?」「うん」
そうか お腹のマッサージを嫌って言わないという意味だったと始めて判った。一昨日に出たので今日はないと思っていて油断したんだなぁ〜。
それからトイレで奮闘。
程なくして コロコロが纏まって排出された。母と握手し「ありがとうね」と伝えた。
でもまだ続きがありそうなので 更に奮闘。
それからが長かった。もう一息ななんだけれど…。
20分近く奮闘して諦めた。

ようやくトイレから開放されて椅子に座って貰ったら…。
1人の入所者が母の居室に入ってきた。
「いらっしゃいませ」と言うとニコニコ。
母に「判る?」と聞くとコックリ。
「あのね 寒いの」
「上が寒いの?下のほうが寒いの?」と聞くと
「下のほうが寒いの」
「じゃ 下ズボンはいてみようか」
「うん」
母の下ズボンを出したが これは本人の物のほうが良いだろうと思い職員に御願いした。
職員が持ってきてくれたので 母のトイレにふたをして座ってもらって着替え。ズボンを脱ぐ時ちょっと嫌そうだった。
「ズボンを脱いで下ズボンはきましょ」と言うと理解してくれ 成功。
少し難しい人だが 難なく出来て良かった。

認知症の人は 自分の困った事を伝えるってなかなか出来ない。
この方も 自分から笑いかける事もなければ 話しかける事も殆どない。
独り言や意味が理解できない話しはするのだけれど…。
でも最近富に思う。
意味がわからず理解できないのは こちら側からのイメージであって 本人にとっては きっと意味が有るのだと感じるのである。
その事をどれくらい出来るか…これが介護者の抱える課題なのだろう。

ほんのちょっと 話せたその時に傍に居て上げられ 願いをかなえて上げる役目を果たせた事が嬉しかった。

さて 母のことに戻る。
母の洗髪は 嘔吐する直前の日だった。その翌日に入浴できて以来入浴はしてなかった。おそらく13日目。
職員に御願いして シャンプー台を使わせてもらう事にした。

洋服を着てるので 濡れないように大きなバスタオルと小さ目のバスタオル2枚。足元には古いバスタオルを敷いた。
最初にトニックでヘアマッサージをして その間にお湯を貯めた。
後は少し塗らした髪の毛にシャンプーをつけて顔を上げたままゴシゴシ。
「強くしないでね」と言う母の言葉を受けて 強すぎないように配慮しながら泡立てた。
顔に垂れていかないようにするテクも随分身についてきた。

うまく滑り出していたら 施設長が見えて「あら入浴すれば良かったのに」という事で 急遽入浴することになった。
実は シャンプー前 おやつの時間となっていて母の分も準備してもらった。水分補給は 夕食前でンシャンプー後に…と思って居室に置いていた。
ちょっと考えたが 此の儘入浴することにした。
1人で入浴させることに全く不安はないのだが 施設長が浴槽までの誘導を手伝ってくれた。
浴槽で身体を洗う事になった。
でも浴槽内で洗うと洗い落しがあるので 施設長が居なくなってから浴槽より上げて椅子で丁寧に洗ってあげた。
それこそ 納得できるまで時間をかけて綺麗に…。

母の気持ちに沿いながら出来たので 暴れることなく出来た。
母に洋服を着せて 浴槽と浴室の掃除をした。
予定外の入浴で職員の手を煩わせて 他の方に影響しては申し訳ないから。

フロアからは 夕食の音が聞こえてきた。
それだけで時間が読めた。
シャンプーも含めて1時間40分かかった計算である。

もう汗びっしょり。
それを見た母が 私の顔を手で拭いてくれた。

風呂を上がってから 居室でドライヤーをかけて頭を乾かす。
其れから 母をテーブルに誘導。
家の夕食の支度があるなと思うけれど…。
遅れて取る夕食なので また職員の手を煩わせる事になるので 介助するしかない。

母の隣に座して食事介助。
ついでに隣の方の食事も介助。
お隣の方は さっき「寒い」と訴えた方。
席を立って 右側から介助したらほっぺたを寄せてきた。
お互いのほっぺをスリスリ。
こんな事も初めて。母より7.8才年下の女性である。
お嬢さんとならこういう事も有るだろうけれど…。
更についでに もう1人の方の食事介助もさせてもらう。
職員は パタパタとしてその場を離れる事があり 放置するに忍びなかったのだ。

そんなこんなで完食と言う所までお付き合いして 施設を後にした。
バスに乗ったら 電話の着信履歴がいっぱい。
入浴から食事まで電話は バックにしまいこんでいたので気がつかないのだった。やれやれ。でもよく有るんだわ…こういう事が。

バスを降りて連絡を取って 買い物をして家に戻ると7時半。
夕食になったのは10時少し前となった。

今日は 北海道の友人から宅配便が届いた。
箱の中には 道の駅を巡って得てきた 珍しい物がいっぱい詰まっていた。
箱の中身は また明日にでも紹介…かな。

今日は 母の事 施設のお仲間の事 友人からの荷物…と嬉しい事がいっぱいの一日となった。




 


2006年10月16日(月) 久しぶりの訪問


 金曜日の訪問をヘルパーさんにバトンタッチして 母の事でお休みさせて頂き 祝日があって 久しぶりの訪問である。

一番の気掛かりは 薬の服用。
その後の法事の後の足の浮腫み。
ヘルパーさんへの引継ぎがうまく行ったか?

薬は やはり飲み忘れが2日分あった。
「法事の時は遠出するので足が浮腫む」とご家族が言われていたので気になっていたが 浮腫みは出なかった様子。
やはり 浮腫みは他に原因が有るのだと感じた。
ヘルパーさんは これまでと違ってスピーデーで戸惑っている様子だった。
やはり 通院の時は時間的に無理があって大変そう。
薬は 薬局で服薬する薬を1日分に纏めてもらうようにした方が良いと思うとケアマネさんに提案し ケアマネさんが事業所に伝えてくださったようでやんと包装されてあった。良かったわ!
利用者さんは ヘルパーさんがやってくれたと思っているようである。
そんな事は 誰がやったことになったっていいのだ。
薬を間違って服用しない事が1番だから。

利用者さんは眼科通院したいと言われた。
ご親戚で緑内障になって苦しまれている方のお話を伺い不安を増幅なされた様子だった。
「9月に通院して検査を受け 心配する程進行してないので半年に1度検査して行きましょうって事でしたよね」と伝えると安心なさった様子で通院を取りやめられた。

「後は お買い物に出て 運動した方が良いわね」と言われ お散歩がてらお買い物に出た。
保存食も含めてトイレットペーパー等山のようなお買い物となった。
ヘルパーさんの生活援助の時間が短くなって 活動がずっしりと活動が重たくなってきているような気がする。
ヘルパーさんだけ利用している人は 困っていないのだろうか?と気になってきた。

必要以上の活動をする事はないと思うけれど…。
介護保険改正の余波って 実態はどうなんだろう?

買い物後 3品作って活動終了。
25分前に訪問してちょこっとオーバー…。




2006年10月15日(日) 空高く…秋


 チンタラ掃除機を使いおろししていたら 昼食に間に合わない時間となってしまい 夕食を一緒に…と思いでかけた。

施設に着くと母の姿がない「出そうで出ないんですよ」と職員。
母はトイレで格闘中だった。
新人さんが話しかけていた。

洗浄が済んだので「後はこちらでやります」とバトンタッチ。
始末した筈なのに 出掛かっていたので再度チャレンジ。

「おかちゃん 来なくて…」と母はべそをかく。
2日連続で面会していなかった事が判るようだ。
「ごめんごめん」と謝って「さぁ〜 もう一息頑張って!」とお腹をマッサージした。
琲便痛があるようで 半泣き状態。
先日のレントゲンで硬い便がある事は判っていた。
緩やかにツボを押して「イチニのサン!」とイキミを促す。
母は 痛みが先でいきめない。
断続的にお腹を押して コトンと落ちた。
でも まだ出そう。
「あと少し がんばれ」
「がんばれって…。がんばれって…」と母。
母は嫌がっていたが でもあと一息で楽になるので 更にお腹をマッサージ。イキミも少し…。
ようやく ポロンと出た。
2回できちんと出たようだ。「ありがとう 握手」と母と固い握手をした。

それから 身支度を整えて駐車場で待つ娘の所へ。
先に夫の会社に出向いて荷物を渡して 大きな公園に行く事にした。

公園の駐車場に車を止めて 公園に階段を使って上がった。
母は二人に支えられて…。
お散歩が足りないせいか 足元が危うい。
注意深く歩行。

公園には 人がいっぱい。
池の周りのベンチは全て埋まっているので 池の端に座った。

澄み切った青い空に鱗雲があって とても高い空だった。
デジカメを取り出して写す。
娘はカメラを持ってこなかったことを悔いていたので デジカメを貸した。

母は少し寒いようで ご機嫌が今ひとつ。
寒いばかりではない 人の様子も気になるようだし 排便の後という事もあったのだろう。
お茶を飲んでもらう。おやつも少し。塩味よりもチョコの方が良かったみたいだ。

近くにお花の咲いてるところがあるので エッチラオッチラ 歩いた。
肩には 小さな毛布をかけて…。

今日は お花にもあまり興味を示さなかった。

早めに建物に入って 夕食。
あまり 良い店はなくて 蕎麦屋に入った。
母は天麩羅が好きなので 天セイロにした。
ゆっくりと食事。小1時間かけて食べ終えてから 白玉汁粉を食べてもらう。お腹が満たされてくるとようやく笑顔が出てきた。
お腹が空いていたのかなぁ〜。

それからクルクル回って ベンチで一休みして娘を待った。
その間も終始ニコニコ。

とっぷりと日が暮れて施設に戻った。
ご機嫌も悪くないので トイレ誘導後歯磨き シャツを重ね着させて ソファーに掛けて貰った。

その間にお布団を敷いて…。
そうっと施設を後にした。

帰路 写真を引き伸ばした。
やはり 一番最後に撮った写真が一番良い笑顔だった。


2006年10月14日(土) あれれれ…


 掃除機の吸い込みの部分のブラシが壊れてしまって 万能型の物で代用していた。

娘は ずっと前から「買おうよ」と勧めるメーカーの物が有ったが 収納が大変そうで「嫌だ」と逃げてきた。
評判がいい事は知っていたが…。

集塵袋が要らないと判ってから 時折 見ては「買おうか?」と迷っていた。でも 安くなる時が有る事も判っていたので 値段の底値の時を狙おうという事になった。

先週 ようやく一番の底値になる期間が来ると知り 今日 買い物に出た。

ネットでもいろいろ調べて 製品の欠点の情報も得た。
再度使い勝手を見てから…とお店に出かけた。

商品の前で いろんな人が触れている。
いざ わが手にと思った瞬間 割り込んだ子供が手にした。
その子は 退屈しのぎに手を触れたのは判っていたので ちょっと待ってから「替わってね」と掃除機を手にした。

自分の番が来て 収納の仕方と欠点部分を試してみた。
確かに 欠点はあるが我慢出来そう。収納もできそう。
という事で 購入を決めた。

購入を考え始めてから2年経過してようやく手にした。

ついでにちょっとだけお店をクルクル。
バーベキューの台が安くなっていた。
「オッ良いねぇ」と眺めていたら…さっきの子供と親も眺めていた。
「これいいなぁ」とご主人。
「1年に 何回バーべキューするのよ」と奥様。
更に「バーベキューセットを置けるくらいの庭のある家を買いなさいよ」と追い討ちをかけられていた。
丸型でちょっと替わったスタイルのセットで1万ちょっとの代物。

私達も 良いとは思っても購入しようとは思わなかったが…。
そのご夫婦のやり取りに 時に我が家でも交わす会話かなと苦笑してしまった。

帰路 ジーパン用のフリーサイズのベルトを購入。
ところが 代金を払って品物を受け取らないで店を出た。
気が付いたのは 数時間後。

それも娘から「お母さんベルトは?」と聞かれて…。
「さっきまでバックに入ってたと思ったけれど落しちゃったかな?」なんて調子だった。
バックをひっくり返して調べてもなくて…。

探しに行こうと思ったその時「ちょっと待って」と娘。
娘がジーパンを買って裾直しをして貰った袋をチェック。

「有りました」

娘は ジーパンを購入し裾揚げをして貰った。
裾揚げする時間に 他の店を見て廻った。
その後 ジーパンを受け取ったのだった。

お店の人が 親子連れだと確信して入れてくれたのだろう…。

ベルトをバックに入れたという記憶は「小さいからバックに入るな」と思っただけだったのだ。あ〜 またしても失敗!
店員さんの配慮に感謝です。 


2006年10月13日(金) 戻ってきた!


 昨日 帰路に着く前に 母が疲れた様子だったので お店のベンチで腰掛けて休息した。
その時に 小銭入れを開いてバスに乗るための小銭があるか確認した。

丁度下りのエレベーターが来たので 母の手を引いて乗り込んだ。

バスに乗り 小銭を取り出そうとしたら 小銭入れが見当たらなかった。
バックの中にはポケットがいっぱい有り 見つからないのだろうと単純に思ってバスカードを購入した。

家に戻ってから バックをひっくり返して探したが出てこなかった。
落とした場所は特定できるが 小銭だし戻ってこないだろうと諦めた。
小さな小銭入れでたいした額も入っていないので戻らないだろうと思った。

以前 同じタイプの物をタクシーに置き忘れて戻って来なかった事がある。
お気に入りのものだったので 同じ物を購入したのだ。
自分の不注意でまた同じ失敗をしてしまった。
この小銭要れ 2個で一組になっているので また購入するしかないか…と
帰宅して ブツブツ娘に愚痴っていたら…
「届いているかも知れないから 問い合わせしてみたら?」と言われた。

用事で出かけるついでに デパートの総合案内に立ち寄ったら それらしきものがあると判った。

「〇〇の小銭入れですか?」「そうです そうです」
「中味は どれくらいの額?」「五百円玉が2枚と百円玉が3枚と五十円玉と十円が数個入っていると思います」

という事で遺失物の受付に出向いて無事戻った。
きっとベンチに腰掛けていた方が届けてくれたのだろう。
ベンチに腰を下ろそうとした時 わざわざ席を詰めて下さった方だ。

何処のどなたか判らないけれど…「ありがとう♪」


2006年10月12日(木) 再通院


 また すっぽ抜けてしまった。
昨日 介護仲間に母の通院があるので予定された集いに行けないと告げ 会の案内を夜の内に届けておきますと言っていたのに…。
抜けてしまった。

昨夜 ある所からの紹介で介護の相談の電話が入って あれこれ話しているうちに 遅くなり 朝には母の事の通院モードですっかり抜け落ちてしまっていたのだ。

気の緩みなんだろうな。反省ばっかりだ。

朝 診察券を出しに 病院に向かう。
それから 家に戻って洗濯物を干して 母の所に出かけた。

施設で 昨日の相談を受けた人の事を伝え 施設見学予定されている事を伝えた。施設長も一緒に考えてくれた。他所に住んでいる方なので 住んでいる地域で暮らせるように情報を集めてくれると言ってくれた。
勿論 こちらでもネットワークを使って調べてもらう予定である。

母の身支度を整えて 施設を出た。
バスに乗って…。バスを降りる時オムツとお茶を入れたバックがないことに気が付いて 慌ててバスに忘れ物がないかと探して貰ったが なかった。
施設の玄関に置き忘れてしまったのだろう。
施設に電話してバックを片付けて貰った。
大事なものは入ってないが バックの中に飴やお茶が入っていて万が一入所者が取り出して事故でも起きたら 大変だから…。

更にバスに乗って病院へ。
病院に入ると 母がだんだん静かになって行き 暗い表所になって行くのを感じた。
お腹が痛いのだろう…と想像していたのだが…。
医師の診察が終えて 今日も腹部レントゲン。
前回の通院以来 排便がない。
食べるのが柔らかい物で量も少ないので止む無い状況なのだ。
医師は「それは丁度良い 経過を見る上でもレントゲンを撮りましょう」という事になったのだ。

レントゲン技師は 最悪だった。
前回は 指示通りに出来ない母とわかった時「被爆しますがついて貰えますか?」と聞いて 被爆しないように遮断する物をつけてくれた。
今回も指示通りに出来ないと判った時「言葉理解できない人ね」と母の前で言った。そして「私が付きます」と言ったらガードも出さないで「被爆しますよ」と言ってレントゲン室を出て行った。
この病院には 精神科があるのに…。
これまで 幾度かレントゲン検診をしているが 医療機関によって対応は様々。
あからさまに言う人は 初めてだった。

検査の結果 心配要らないという事だった。
腸に疾患はないという事だ。
「異常はないって」と伝えると母は医師に深々と御辞儀して「ありがとうございました」と言っていた。

病院を出たら 母はニコニコ笑顔を見せた。

母の表情が曇っていったのは 腹痛でなく病院にいるのが心配だったのだと知った。

バスに乗って駅に戻って遅い昼食。
入ったレストランはビュッフェ形式のところで お皿に少しずつ料理を載せて運んだら 母の笑顔は更に多くなった。
これ以上楽しい事はないと言わんばかりの笑顔だった。

連日の病人食でその上病院に出かけたので 健康ってことを実感したのかもしれない。
程よい量を食べて満足そうな母の表情にホッと一息ついた。


2006年10月11日(水) もうひとつの道


 リハはお休みなんだけれど 食事の様子を見ておきたかった。
コンブ水を作り 取り出した根昆布を身欠きにしんと一緒に煮た。
コンブ水と昆布の煮物を持って出かけた。

昼食より少し早めで 他の人の様子を見ながら過ごした。
母はニコニコの笑顔。
母と手を繋いでいると「親子っていいわね」と〇さん。
〇さんの記憶に 母の子供と言う認識が出来て 職員との違うという事がインプットされているようだ。
直ぐ前の事は 綺麗さっぱり忘れてしまう〇さんなんだけれど 関係なんかは記憶に残る様子だ。
そこが 認知症の不思議な所だ。
人の事は ほんとに良く覚えている。
母もそうだ。
時折 この記憶も怪しくなるが それでも体験した事の記憶より 人の方がきちんと把握されるものだと感じる。

感情的な事が何時までも残る…という事と関係あるのだろうなぁ〜。

〇さんが 何気なく唄った歌に母が続いて唄えた。
それも はっきりと。
〇さん 「良かったですね」とニッコリ。
人を思いやる心は 豊かである。

居室に入ってトイレ誘導。
その後 整髪した。
それから 全身清浄液で耳の後ろや首筋を拭いてあげた。
気持ち良さそうにジッとしていた。
最後に歯磨きをした。

程なくして昼食。
今日もお粥さんだった。肉は刻みで解禁。
途中で 職員がおにぎりを作って下さったので 刻みである事以外は普通食に戻れた。
自力で食べる部分も出てきてほぼ復帰と思われるが…時折げっぷが上がるとひやりとしてしまう。
嘔吐する前なら 何も気にしなかったのに…やはり神経質になっているんだと思った。
心の内側は もっと早い時期に普通食でよいのに…と思っているのだが…。
気持ちがシーソーゲームしているという事なのだろう。
でも 前向きに当たっていくしかない。

時間はかかったが 全量摂取。
暫く休息してから お散歩に出ることにした。

外の景色が母に語りかける。
バラの花が 蕾だったり 開いていたりを眺めて「どちらも それぞれ綺麗だよね」と話した母。
手の届かない風景よりも 目の前の草花が言葉を引き出してくれる。

休息を入れて 30分ほど歩いて施設に戻った。

一昨日ほどの疲れはない様子だった。

コンブ水を飲んで貰う。
初物の母の反応は「飲みたくない」風。
コンブ水に 砂糖とレモンを入れたのだが…。

今回は トロトロコンブ水にならなかった。
だから 今夜 根昆布を別のものに変えて再チャレンジ。
ほんとは メカブを食べさせたい所だけれど これこそ消化が良くないのでやめておいた。

明日は 再通院。
もう 凄い緊迫感は消えており 普通なら様子見をしても大丈夫だろうと今日感じた。
ただ 経過観察を報告して再診して貰う事で 次回何か起きた時に対応して貰う為の道作りの準備見たいなもの。
昨年の暮れ近くと今回の嘔吐とを考えると そうしておいた方が安心できそうな気がするのだ。

今日は 介護仲間と約束していたのに 忘れてしまっていた。
出かけには 覚えていて電話番号をチェックしていたのに…。
母の所で過ごしているうちに抜け落ちてしまった(ため息)


2006年10月10日(火) お日様の力


朝 菜園に出かけた。
この連休はみんなきっと畑の手入れに励んだ筈。
でも 我が家の畑は放置状態。
種まきをしないと 秋冬野菜が間に合わなくなってくる。

9月に蒔いた種で辛うじて育っているのは 水菜位。
他の物は 双葉の芽が出ている万能菜 小さなさやを付けているインゲン。
ほうれん草やルッコラを蒔いたつもりだったが 形すらない。
今年は無理かな?

空いている所に 再度水菜と小松菜と白菜の種まき。
インゲンには肥料を施した。

春と比べると 発芽まで それから育つまで倍以上の時間がかかるように感じる。日照不足も影響しているのかも知れない。

お隣の方が 水遣りに見えた。
「遅いけれど…白菜蒔いてみない?」と聞くと「じゃ 赤カブと中国大根蒔いてみて」と種を物々交換となった。

草も夏の勢いはないので それほど増えていなかった。

気持ちはもう少し畑仕事と思うが 出来る事を少しづつの精神で 畑を後にした。

家に戻って 乾いた洗濯物やお布団を取り入れてから 施設に電話した。
今朝は 自分で箸を持って食べたといっており 夜間も落ち着いていたという事だった。これなら 今日は 面会お休みも大丈夫と判断した。

午後は 会議に出かける。
電車に飛び乗り ちょっと遅刻。
みんな それぞれに抱えている事があるので 予定通りには集まれない。
母のピンチでどうなる事かと思ったが 何とか出向く事が出来た。

会議は トータルで5時間ほど。
最終局面にきているので あれこれ取りこぼしのないように話し合う。


さて 昨年も案内をしたのだが…。
 市民発「介護なんでも文化祭」の案内
 詳しくは アラジンのホームページへ

 http://www12.ocn.ne.jp/~arajin/etc/2006bunkasai.html

介護のヒントが盛りだくさんと思います。
昨年は 若年性認知症の方の音楽ステージで勇気を貰いました。


2006年10月09日(月) 突然にまともな質問

 昼食に間に合うように施設に向かう。
途中 胡麻豆腐2種と豆腐を購入した。

施設の昼食は サンドイッチとハンバーグ 野菜スープ 果物。
母には パン粥だった。ハンバーグはない。
昨日運んだ芋煮と胡麻豆腐。
それでも 途中で職員が卵サンドを2切れ運んで来てくれた。
母はサンドイッチを手にして自分で食べていた。
芋煮の里芋を口に運んであげると「?」と言う表情をする。
昨日もそうだった。
それが怖いのである。
固形物を食べなくなってしまいそうで…。
認知症は思わぬ所に落とし穴があるから…。
それでも 全量摂取できた。

食後「薬の投与御願いできますか?」と言われたので「はい」と受けた。
最初は 薬のパックそのままを渡されそうになった。
「錠剤のままですか?」と聞くと「混ぜてきます」と粉にして持ってきてくれた。
「胃腸薬が独特で飲み込んでくれないので…」と昨日 砂糖を混ぜて服薬させてくれていたのだ。それでも ペッと出してしまうと言われていた。

職員によって その配慮は様々なのだと思った。

少し時間を置いてから 別の職員にお砂糖を貰い小さな器も貸して頂く。
器で混ぜて 服用させた。
食事の方針と服薬とのギャップを感じた。

ソファーに腰を下ろしていると〇さんが傍にいらした。
顔面が白っぽくなっている。
「お風呂に入らないせいかな。でもこれまでこんな事なかったな」と考えているうちに 練り歯磨きの臭いを感じた。一瞬 歯磨きなさったのだなと思ったけれど ハッとした。
洗面台に向かいファンデーション変わりに歯磨きチューブを絞ったのだのだろう。
幸い その事をおかしがるような入所者は居なかったので 職員に告げた。
職員は 洗面台に行って 歯磨きチューブを確認し 〇さんを誘導して顔を洗って貰ったようだ。
そういえば 今日は首に木のビーズのネックレスをかけておめかししていた。〇さん おしゃれモードの日だったのだろう。
ひょっとしたら フャンデーションや口紅を渡したらきっとお化粧できるのじゃないのかなと職員と話題になった。
そこから入浴に導入できないかな?

他愛もない騒ぎの後 母を連れてちょこっと散歩に出ようと支度した。
お散歩は 数日振り。
「オイッチ ニィ サン シィ♪ オイッチ ニィ サン シィ♪」
と歩き始めると 膝を上げてしっかり歩きはじめた。
「オイッチ ニィ サン ゴォ〜」と母。それも笑いながらである。
今日は一本取られた。この手の冗談は久々である。

疲れると悪いので「戻ろうか」と言うと「まだ」と言うのでまた歩き出した。大通りを走る車を指して「あれ いくらかな」と言う。
突然のまともな質問に絶句。
「う〜ん 180万位かな?」「ほう〜そんなに」と目を丸くした。
車の値段を聞くなんて これまで1度たりともなかったのに…不思議だった。
それも その後の返答からも明らかに値段を聞いたと判ったし「180万」という金額も理解していたと感じた。

お店に入りたそうにしていたので ドラックストアに入ってテッシュボックスを購入してお店を出た。
通り向こうで稲刈りをしていたので見につれて行こうかと思ったが 疲れが見えたので施設へ戻る事にした。

大分疲れた様子であり 結構暑かったので ストックしてあるポカリをコップ1杯で水分補給。

同じフロアのご家族が面会に見えているようで声が聴こえた。
ちょっとだけお話して 今日は先に帰る事にした。

通院時に頂いたお薬が まだ有るという事だったので もう一度お薬を貰う事を確認して帰宅。

帰路 買い物に寄った店で 母に秋用の薄手のジャンバーとウールのセーターを購入。
また 娘から「自分の物買いなさい」って言われるかなぁ〜。




2006年10月08日(日) こんな時我慢しなくとも良いのにな。


朝 「芋煮が食べたいな」という家人のリクエストに 母にも届けようと仕込みを始めた。
施設に電話して 特に変わらないと聞いて お掃除も…。

汚れって 気になリ始めると頭から離れなくて「今日もやらなかった」と悔いてばかりだ。かといって エイヤー!と掛声だけで全て片付く訳ではなくて…。

今日は 寒くなるとなかなか出来ない浴室掃除をした。
タイルの目地を洗剤なしでブラッシング。
浴室の小物たちを集めている台もブラッシング。
蛇口もすのこもふたもブラッシング。
手桶や洗面器も洗った。
浴室のガラス戸やレールもブラシをかけた。

そういえば…とキッチンに入って 収納棚と扉をお掃除した。

使い終えれば 軽くお掃除はしているが…ついついササッとしてしまっているんだなと反省。

気が付けば 陽が傾きかけていた。
洗濯物やオムツ それに芋煮を持って エッチラオッチラ出かけた。
駅まで後5分の所に差し掛かった時娘から電話。
車で出向いてくれるとの事で待つ事にした。
すると信号を渡って夫がやってきた。
「そんなに荷物持って何処行くの?」
「母の所に夕食介助に行ってくるわ」
「ご苦労様 一足先に帰っているよ」
程なくして 娘の車が来て乗り込んだ。

娘共に施設に入ると4時半で既に夕食が始まっていた。
慌てて 芋煮を器にあけて貰った。
でも肉はまだ駄目という事だった。
薄切りなので少しだけと御願いして入れてもらう。
お粥さんと一部ミキサー食で 無理をするつもりはないが なるべく早く噛む食事へ移行させたい気持ちがある。
1度ミキサーになるとガタガタと落ちていきそうで少し不安でもある。

芋煮を一口運ぶと母の笑顔が見られた。
「判ったよ」という気持ちを目で訴えてくる。
娘もそれを感じて「良かった」と言う表情。

ゆっくりと介助した。
途中幾度か口を閉じた。
気分が悪いのか 単なる拒否なのか…。
それでも 何とか全量食べ終えた。
いつもより少な目の盛りだ。

それでも お腹いっぱいの様子だった。
ちょっとした時にクッと揚げっぽい様子で目に涙。
慌ててティッシュと洗面器を運んだら「構わないでいい」と目で訴える。
それでも気になって ティッシュを口に運ぶと「いらない」と言う。
しばし様子を見ていたが 治まったようだった。

やはり 調子はまだイマイチなんだなと感じた。

母の困った所は 嘔吐しそうになったり 嘔吐し始めても迷惑をかけてはいけないかのようにグッと我慢して 飲み込んでしまうのだ。
おそらくはかなり酸が強い筈で気持ちの良い物ではない筈なのに…。
「出して良いのよ」と声掛けするのだが 堪えてしまうのである。
見ていてとても切ない場面である。
まるで これ以上世話を掛けてはいけないと思っているように見えるのだ。
病んでいるんだからそんなに我慢しないで良いのに…と思ってしまう。

母の嘔吐の件は故郷の弟たちにも伝えてあった。
が その後の問い合わせの電話がなかった。
こちらとしては 1度伝えたのでそれ以上の事はしていなかった。
今さっき 弟から「今更なんだけれど…その後どうか?」と電話が来た。
経過説明をして まだイマイチ状態と伝えた。

問い合わせが来ただけ良いとしなくちゃならないだろう。
それにしても 問い合わせが 3日後の夜ってなぁ〜。
緊急時は 当てにならないという事だろうな。


2006年10月07日(土) そろり そろりと…


昨日の嵐から一転 抜けるような青空が広がった朝だった。
窓を開けると金木犀の香りが家の中に入り込んでくる。
 金木犀って 2度咲きます?
家のは 最初数厘で消えてしまっていた。
通り道のは 1度賑やかに咲いてアッという間に散ってしまった。
それでおしまいと思っていたら 先週から枝に緑色の蕾が出来たと思ったらパーッとオレンジの花が一斉に咲いたのだった。
終わりと思っていただけに嬉しかったのだが…。
でもいつもこんな風には咲かないと思うのだけれど…私の観察不足なのかも知れない。

洗濯機を廻す。
室内に干して湿ったにおいの付いた洗濯のものも 洗いなおした。
今日のお天気なら 大丈夫。

昼食めがけて施設に出かけた。
娘が送ってくれた。施設の駐車場に着いた時「ここまで来たのだから逢って行くわ」と一緒に施設に入った。

母はニコニコ笑顔。
私をみて「久しぶりじゃないの」と言う。
「ほんとね 久しぶり」と言うとまたニコニコ。

この笑顔 昨日は全くなかった。
嘔吐の時はさすがに苦しそうだったが 冴えない表情と言う一日だった。
勿論顔色も悪かった。
朝までぐっすりだったそうだ。
職員が揃ってからゆっくり白湯を飲み お粥を少し食べさせて貰ったそうだ。白湯を飲む時 さすがに喉が渇いていたようでいきなり飲もうとしたので一口づつ飲ませてくれたそうだ。

昨夜 施設長から「明日も点滴を打って水分補給するようになるでしょうね」と言われていたが…。どうやら 点滴は免れそうな気配でホッとした。

朝 急いで大根と生姜を下ろして 蜂蜜と酢橘と蜂蜜を器にいれ 他に枝豆をすり鉢にあててズンダを作って運んだ。
それをおやつの時にでも与えてくださいと御願いした。
昨夜 下の割烹店から 湯豆腐を上げて貰った。
昨夜は 食べられなかったが…今日のお昼として食べさせると湯豆腐を火にかけてくださっていた。

母の様子をみて安心し 今日の約束の場所に向かった。
ほんとは 母を連れて家から徒歩で3.4分の所に出来るグループホームの内覧会を見学する予定だった。
家族会の仲間も一緒に見学する事で約束していた。
母の体調悪化で 止む無く断念し介護仲間と見学。

介護仲間と内覧会に行く。
鉄筋3f建屋上ありの施設だ。
母が在宅の頃は 毎日お散歩したコースで 当時そこは空き地だった。
綺麗な桃の花や栗の木がある場所だったが…気が付けば そこに桃の木も栗の木も消えていた。
グループホームが建設される事は 昨年から知っていたが…何時木が伐採されたか全く気付かなかった。

玄関を入ると 職員が迎えに出てくださった。
実は この事業所のケアマネが利用者さんのケアマネなのだ。
ケアマネは別部門なので この場所にはいなかったが…。
介護仲間の1人はこの事業所でヘルパー登録し活動していたベテランである。
おそらく職員は誰も知らない。知っているのは この事業所の経営者である。その方も見えていて 介護仲間は「〇さん こんにちは」と挨拶していた。職員は 少し驚いていた。
一番先に デイのフロア 次にデイの浴室を見せていただく。
浴室は 家庭用浴槽と大きな浴槽があり 大きな方はスロープと手すりが付いていた。
介護仲間と「車椅子で入浴?」と顔を見合わせた。

次の場所はグループホームのフロア。
1フロア9人で2フロアだった。トイレは3人で共用。
押入れも1間。洗面所付き。
4畳半位のスペースだ。

いろいろ細かい事を聞いている内に最初に案内してくれた人がいなくなり別の人に代わり 気が付けば3人くらい案内人が代わった。

話しているうちに気が付いたが…ちょっと案内しにくかったのかもしれない。私とヘルパー経験者の質問がちと鋭すぎたのかも知れない。
悪意はなく 責めるつもりもなくて 単純に気になるところをどうするのかと質問していたのだが…。
建物管理の事もある程度判っているし…。

4人の内 私を含む3人は入所希望である。
話しているうちに 矛盾も見えてきた。
入所に関しては いろいろ有るだろう事は想像が付くし 新規で入所者も居ないのだから…仕方ないと思っている。
だから矛盾を突く事は言わなかった。
でも 職員は 少し構えて話していた。

いろいろ 有ったけれど それは又機会のある時に…。

それぞれ 入所のために記入する書類を頂き 施設を出た。
外に出てから「母の施設を見学してみない?」と誘った。
今の見学は 誰も居ないところ。でも人が入ればどんな感じになるかを見ておけば…と思ったのだ。

施設に付くと 〇さんがご主人とお散歩に出るところだった。
みんな〇さんのご主人とは 家族会でお会いしていてご存知である。
「こんにちは」と挨拶。
玄関に入る前まで それぞれのご主人が「認知症と見られなくて でもバリバリ認知症なのに…」と零していたのに…。
〇さんと出遭ったら「あら お元気でしっかりなさって…」と感心なさる。
「あらら 今言われたばかりでしょ。普通の人ってみられるって…。〇さんも同じよ」と言うと「あっ そうだわね。この間 苦労話聞いたばかりだったわ」と笑っていた。
認知症とは そういう風になってしまい易い。

室内を見学して 母とも対面。
「この方とふるさとまで…」と驚かれた。
「お元気そうで…髪の毛も真っ黒でふさふさ 90才ですか」とも。

見学後 私は母の見守りのため残り 他の方は帰られた。

母の経過を聞き 順調に口に食べ物を運び安定している事がわかった。
その後 みんなと夕食。
お粥梅干入り ズンダ 大根おろし メダイの焼き物 実のない味噌汁 おから ピーナツ豆腐を半丁をゆっくり食べてもらう。
嫌がることなく 全量摂取。
勿論 量は通常より少なめ。
ズンダは母の好物でほんとは 茹でなすと和えるつもりだったが…量が増えるのでズンダだけにした。ズンダは母が喜んだ。

と言う訳で どうやら落ち着きを取り戻しつつあるような感じだ。
今日の夕食は お粥は母の為に職員が作ってくれた物。
ズンダと大根おろしとピーナツ豆腐は こちらが運んだ物。

他に明日の朝食用に 胡麻豆腐2種(白胡麻と黒胡麻)を託した。

食後のお茶も飲み干したので 施設を後にした。

職員が 尿量を気にしていたので オムツに出た量とトイレでの排尿とで結構な量になっていると思うと伝えた。

昨日・今日と職員も懸命に対処してくださった。
早めに食事をさせてくれた事も助かった。
これを数日様子見になってしまうとレベルダウンは避けられないのだ。
適切な対処に感謝である。


2006年10月06日(金) スワッ!!!


 今日は活動日。
昨日 引継ぎをして今日が金曜日の最終活動日となる。
「混乱していないだろうか?」と気になりながら支度をしていると電話が鳴った。

施設からだった。
この時間の電話は「何か起きたな」と思った。
朝から断続的に嘔吐しており だんだん茶褐色になってきているという事だった。

電話を受けながら 自分がどう動けば良いかを考えていた。
利用者さんも外せない。

「利用者さん宅に寄って お休みを伝えてから急いで向かいます」と伝えた。
直ぐに 事業所に電話して ご家族とケアマネに活動を休む旨の伝言を依頼し 朝利用者さんには 直接 お休みを伝えて行くことを告げた。

それから利用者さんに電話して「少し遅くなるかもしれません」とだけ連絡した。

そして 急の時に使おうと思っている病院にタクシーで走り 受付を通した。
昨年の12月に医師を通して救急をお願いした時 受付を断られた経緯があり
一般受付なら断れない事を学習済みなのだ。

病院から 利用者さん宅に着いた時 いつもの訪問時間を3分過ぎた所だった。 遅くなった事をお詫びしてから 利用者さんのお話に耳を傾けた。
20分ほど向き合ってお話を伺い それから薬を1週間分小袋に分けて日にちを書き入れた。
昨日の今日で飲み残し2錠あった。
やはり 薬の管理は難しくなっていると感じた。
それから おもむろに 母の具合が良くないので 今日は活動をお休みさせて欲しいと告げた。
母の容態は 心配するほどでなく念のためだとも伝えた。
深刻な話をしてしまうと「もう 訪問してくれないのでは…」と不安になる事は容易に想像できるので…慎重に。

それから 急いで母の所に向かった。
母は布団に横になっていた。かなり寒そうで冷たかった。
職員から 嘔吐した時間やその後の経過を伺った。
血圧は200近くに上がって 体温は34度だったそうだ。
嘔吐物を見せて貰った。
母の顔色は非常に悪かった。
職員は これでも唇に赤みを帯びてきていると言っていた。

それから 施設の車で病院まで送って頂いた。
真っ直ぐ 内科へ。
直ぐに診察。
胸部 腹部のレントゲン 血液検査 心電図の検査を受ける。
朝食を摂ってないこと 嘔吐した事から 点滴を受ける事になった。
500ccの点滴を3時間でと言う医師の指示があったらしく ゆったりペースで始まった。
その間に検査結果の説明を受けた。
検査結果からは特に問題となるような事は見当たらない。
「こういう場合 普通は 胃カメラで潰瘍の有無を調べるのですが…ご家族のお考えは?」と聞かれた。
「胃カメラは 避けたいです」と伝えた。
それでは 点滴をして終わります。
「これからの食事はどうしていきましょうか?」
「あ 普通でいいですよ。気持ち柔らかなもので…。普通食と理解して良いのですか?」
「そうです」
という事で 診察の報告を受けた。

母の所に行くと看護士さんが見えた。
「点滴が終わったら終了と言われましたが 薬はないのでしょうかね。吐き気止めのようなものとか…」
「そうですね。医師に聞いて参ります」
程なくして「ナウゼリンと胃腸薬の処方箋を出してもらいました」と処方箋を持ってきてくれた。
「点滴は見守れますから 会計や薬局に行って大丈夫ですよ」と看護士さんが言葉をかけてくれたので 直ぐに行動に移った。
雨脚が強く 母を連れて出るのは困難だから助かった。

薬を貰って戻ると看護士さんが「お母様 何歳ですか?」と聞いてきた。
「90歳です」
「お若いですね」と言われた。
90には見えないという事だ。
「娘さんがいない間 廊下の方をみて姿を探されていましたよ」と教えてくれた。
看護士さん どうやら母を可愛いと思ってくれたみたいだった。

点滴が済んで帰る前にトイレに寄ると大きなものを背負っていた。
点滴の合間にそれを予感させる仕草があったのだ。
やはり 読みは間違っていなかった。

病院の食堂に寄って 薬を服用させてアイスクリームをちょっと与えた。
暫く休息してタクシーに乗って施設に戻った。

タクシーが施設の横に付いて会計を済ませている時 母の気配に持っていた小さめのタオルケットを急いで取り出し口元に当てた。
「しまった!アイスと薬やめておけば良かった!」と思うけれど後の祭りだ。

直ぐ上には職員がいるんだけれど 嘔吐の処理に両手を使っているので電話も手に出来ない。オタオタしている私に 運転手さんの視線は「早く出てくれ」と言わんばかり。
判っていても どうにも出来ない。
「すみません。この割烹に行って職員を呼んでくださいと伝えていただけませんか?」とやっとの思いで言うと運転手さんは すぐさま外に出て割烹に飛び込んでくれた。
が「?」という感じで板さんが出てきた。
「〇〇さんを呼んでください」と伝え 嘔吐の治まった母を外に下ろした。
「あいすみませんでした。車内は汚してないと思いますがみてください」と言うとサッとみて「はい」と運転手さん。
「お世話を掛けました。ありがとうございました」とお礼を述べた。

直ぐに職員が下りてきて 助けてくださり施設に戻った。
夕食は「お豆腐とお粥にしましょうかね」と相談した。
薬の話しもして「どうして ナウゼリンは座薬じゃなかったでしょうね」と職員。医師は 最初は薬もいらないという事だったのですよと伝えた。

病院での結果を報告して様子見をしているうちにまた嘔吐。
食事は無理と判断。
落ち着くまでソファーで過ごす。
そのうち横になりたそうな様子だったので パジャマに着替えさせて 顔を拭き 入れ歯を外して寝かせた。

少し 身体も汗ばんできた様子なので「熱が出ないか」少し心配。

後はお任せして 家に戻った。

夜 施設にファクシミリを入れた。(職員が対処中だと困ると思ったので)
折り返し電話が入り「落ち着いている」という事だった。
「気になる変化が有ったら 遠慮なしに自宅に連絡ください」と伝えた。

娘が帰宅したので 娘の友人に電話してもらった。
友人のお母さんが 今日通院した病院でお仕事をなさっているので 確認してもらう事があったから。

今日の学習。
以前 嘔吐で通院した時は 抗生剤等を処方してもらったので その事を医師に告げれば良かった。
吐き気止め…ばかりに気を取られていた。それに嘔吐するのだから やはり座薬に変えてもらう事も考えなければならなかった。
でも以前も 嘔吐があっても飲み薬対応だったな。

こうやって 少しずつ学習して行くのだな。
でもできる事なら こういう経験は少ない方がいいなぁ〜。 


2006年10月05日(木) プロとアマの視点の違い?

金曜日のボランティア活動を辞める事にした。
直接的な理由は 暫く忙しい日々になるからである。

これまでは 通院に時間が取られても少しのオーバーで済んで来たが 最近は時間オーバーが2時間という事が増えてきた。
もともと金曜日は1時間と言う約束で入った。
が 利用者さんの体調が良くなかった事もあり2時間に変更となる。

病は少しずつ変化してきている事もオーバーする要因である。

もともと1時間の枠ならと引き受けたので 延長は母との時間 自分の時間が削られてしまっていた。

元に戻す事は 私は助かるが 利用者さんに取っては不安材料となる。
混乱を避けるために ご家族も含め関係者でソフトランディングすると決めた。

これまで 利用者さんには 私から金曜日はヘルパーさんに代わる事を伝え了解して頂いた。

今日は 引継ぎのため事業所の責任者と担当になるヘルパーさん ケアマネ
私の所属する事業所の保健士とコーディネーターと私が利用者さん宅に集った。
この引継ぎは ほんとは利用者さん宅でない方が良いと思ったのだが 利用者さんの前で話せない事は別の場所で…と言う事にして頂いた。

この引継ぎでいろんな事が見えてきた。
私は事前に活動の留意点を書き出し 参加する人の人数分をプリントアウトしたのだが…。

話しは 活動時間の計算から始まった。
それも利用者さんを前にして…。
私はドギマギしてしまった。
利用者さんの耳はダンボ状態なのだ。
忙しいので時間がないので活動時間を短くしたいという事なのだ。
人に迷惑をかけていて 自分が情けないと感じている利用者さんなので もう気が気ではなかった。
ただでさえ 変化に弱い利用者さんなのになぁ〜とジリジリしていたら うちの事業所の保健士さんが気が付いて 利用者さんの傍に行って いろんな話を振って 話しこんでくれた。

ケアマネさんも事業所の責任者もヘルパーさんも 訪問時には利用者さんを見ておいでだったが 引継ぎが始まると利用者さんを見る事はなかった。

引継ぐべき事は 活動内容である。
利用者さんを含めてそこを確認するための訪問引継ぎだと思うのだが…。
ボランティアと職業人の差なのだろうか?

これまでの活動で慎重に関ってきた事が その人たちの前では馬鹿馬鹿しい事だったみたいな錯角に陥ってしまうほどだった。

認知症初期の人に対すつ配慮は必要と認知症の母を介護して感じるのだが…。これも プロとアマの差かな?

始めに私が話し始めた時「うちのベテランヘルパーですから 大丈夫です」と言い切った事業所の責任者の言葉も結構痛かった。
人が相手の仕事で 認知症だってそれぞれ違うのに…。
その上 そこの事業所のヘルパーさんが 木曜日に入っているのだ。
そことの連携で得た情報の話しはないのかなぁ?

引継ぎの話が終わる頃に「何でもできるのですね」と言う言葉がヘルパーから出た時に どの程度の認知症かも理解していなかったのだと感じた。

とにかく不思議な感じがした。

活動時間が短縮されたこと。
また これまで利用料を取っていなかった件でも利用料を貰うようになったということ。
これらが 改正に拠る変化。

通院時には 利用者さんを1人にさせないこと。(途中抜け出して買い物はしてはいけないそうだ)
薬を小分けにする事は ヘルパーがやってはいけない事。
と言う制限もあった。

実は利用者さん 月曜に小分けして服用日も書き記したのに…。
間違って服用していた。
たった3日しか経過していない。
やはり変化に弱いのだと感じたので 薬の件はこれから 薬局で小分けにして貰うようにしたほうがベストみたい。

ヘルパーさんや事業所の方は 出来ない事は「制約があってできません」と言うけれどそこをどうカバーしていくかを考え出す事はなかった。

ヘルパーさんに引き継ぐと言う経験は これまで経験した事がないし 母の介護でもヘルパーさんを利用した事はなかった。
今回 視点のズレを感じた。

ヘルパーさんや専門職の方の研修の場に立ち会った事もあるが ズレを感じた事はなかったが ひとつの事例を前に語っていなかったから あまり感じなかったのかな?

もう少し 整理して再度考えて見なくちゃ。
そういう意味で 良い経験だった思う。 


2006年10月04日(水) 洗髪


お弁当を作って母の所に行く。
母は 何処か調子悪そう。すごく調子悪いと言う訳でもないのだが 顔を見ても笑顔がなかった。

いつもなら昼食が始まる時間だが 今日はまだ支度中だった。

結婚のため9月で二人の職員が退職されて いつも通りと言う訳には行かないのかもしれない。

リハビリもあるので 母と居室で食事をさせて貰う事にした。
食事前にトイレ誘導。
待っていたかのように排尿。
おそらく 昨日か一昨日に排便があったのだろうと思われる形跡が居室やトイレにあったので お掃除をした。

手洗いをしてから 食事を始めた。
おにぎり2個を持参したので母に1個渡す。
おかずは 昨日の残りのレンコンと大根と蒟蒻を築根の煮物。
それと 果物はメロンとパイナップル。
おにぎりはシャケが入っている。

施設の食事はマメ入りのスープとシャケのソテーとパン。
パンの半分は 私が貰う事にした。

母はレンコンが好きだが 今日のは少し大きめに切っていた事もあってか食べ難そうで 箸で小さくした。
そろそろ 入れ歯のメンテが必要かも…。

自力での食事は無理で おにぎりだけは母が手で食べる。
けれど 半分まで食べたら おにぎりをつぶし出す。
パンもそうだけれど どういうわけかペッタンコにつぶそうとする。
仕方ないので後半は 母にフォークを持たせて煮物の大根を自力で食べてもらう事にしておにぎりはこちらで介助する事にした。

何とか全量を食べ終えて後片付け。
リハの準備ができた頃に 療法士さんがお見えになる。
今日の母は 結構動いており眠る事はなかった。

リハが済んでから 母の頭皮マッサージ。
でも洗髪した方が良いと思い 職員に御願いしてシャンプー台を使わせて貰う事にした。
シャンプー台の前に立った時突然に「嫌な事は長くしないで」と母は言った。思わず目をパチクリ。
「はい 判りました」「嫌な事は少しだけします。〇ちゃんは その少しだけを我慢してください」と伝えた。
この言葉が 母に伝わったようだ。
溜めたお湯は 母が幾度も手を入れて 温度を確かめていた。
その度に「熱くないでしょ」と言葉掛けをした。

さすがにシャワーでお湯を掛ける時は 嫌がり洗面台を離れようとした。
右側に立っていると左に逃げ 左に立つと右に逃げる。
でも右側にいる時の方が 言葉を受け止め少し我慢してくれる。

途中休息し頭にタオルを巻いている姿を鏡で見てもらう。
母は 嫌な嫌な事をされていると言う気持ちが強くなってくるので 鏡を見て今何をしているかを確認してもらった。

シャンプー後 濯ぎ3回でリンスをして更に漱いで 終了できた。
「はい 終わったよ」と言うと「ありがとう」と返してくれた。
「こちらこそ ありがとう」とお礼を言った。
母の協力なしには 洗髪は出来ないのだから…。

洗面台を磨いて 床を拭いて居室に戻った。
居室でドライヤーをかけた。
仕上がった頭を見てニッコリして「綺麗になった」と言ってた。

その後 みんなでおやつ。

おやつ後お散歩。
母は外に出るとスタスタ歩き出す。(勿論介助ありだが…)
バイク屋さんの前は いつも素通りなんだけれど 今日は「ここに入ろうか?」と言い出す。
何屋かは わからないけれど お店って判るんだなぁ〜と妙に感心してしまった。
「ここは バイクを売る店。バイクみたい?」これには無反応だったので 「じゃ 別の店に行きましょう」と歩き出した。
お花屋さんの店先で 暫くお花を眺めてから折り返しコース。
公園では 小山を上って下りて 施設に戻った。

今日は トイレ誘導時に脱肛を見つけた。
小さかったので 様子見を御願いした。
1年に一回位 こんな風になることが有るみたい…。


2006年10月03日(火) 優しさを享受できればいいな


 今日は 認知症の介護に取り組んでいる介護者(家族)の会の定例会だった。
この会を後ろから支えて下さる方がいる。
会員で介護を終えた方が残ってくださり 会の準備や後片付けをして下さる。勿論 時間にゆとりのある人も残って一緒に片付けはするのですが…。

後片付けの時の雑談で結構貴重なお話が出てきたりもする。
介護を終えて 振り返りながらのお話もある。

介護者の会は ミニデイ形式でご本人も含めた形に出来れば良いのだが まだそこまでには到っていなくて 介護者(家族)のみの会であるが…。

今日もいろんな お話が出た。
今年の初春 「主人が重い病となったので 暫く お休みします」と言われていた方が久しぶりにお見えになった。
この方は ご夫婦で力を合わせてお義母様の介護をなさっていた。
お義母様は 特養や老健を転々となさっていた。
もう 歩行困難と言う状態でベットでの生活が始まった頃 その方がお義母様を引き取られたのだ。
最初は とても恨めしかったと以前お話くださった。
が引き取って間もなく 歩行可能となり介護の力を感じられた様子だった。

家族会での情報を得ながら 適度の距離を模索して程よい介護を取り組んでおいでだった。
立てなくなったお義母様のために ご夫婦で知恵を絞られ 空き缶を利用し低いコタツに足を作って椅子でも温まるコタツへと改造なさったりもなさっていた。

「ご主人のお具合は?」とお聞きすると「亡くなりました」の言葉に絶句してしまった。
その後の言葉に心が震えた。
「主人が亡くなって哀しいし心寂しいのだけれど お母さんの介護で救われているんです。空虚さを埋めてくれるのです」と。
1人でお義母様の介護をなさっている。
お義母様には 息子が亡くなった事は知らせていないそうだ。
 
介護を始めた時 兄弟たちから押し付けられるような形だと聞いていたし お義母様も 病ゆえいろんな言葉を吐かれたのだ。
それなのに ある意味感謝されて介護なさっている様子に いろんな事を教えられた。

ご主人が旅立たれてから もう数ヶ月が過ぎていた。
この間に お便りも幾度か書いたのだが お返事もなかったので お忙しく過ごされている…と信じていたのだが…。

お気持ちが いつも柔らかな方なのだがひとつの信念が通っている。
この方の何分の一かの優しさを享受できれば いいなぁ〜。


2006年10月02日(月) ふう〜っ!と「お知らせ」


利用者さん宅に入ると靴箱の上に鍵が置いてあった。
これまで こういう事はなかったので 何か有るのだろうとピンときた。

利用者さん 身支度を整えて外出なさる御様子。
「足の浮腫みが強くて これから整形外科に出かけたいのです」という事だった。
浮腫みが強くなったのは 土曜日からという事。
膝や腰の痛みが有ると訴えられた。

浮腫みの具合を見て 背中や頭の痛みはないか 手の痺れはないか等を伺うが特に酷くないという事だった。

この浮腫みの根本は 内科なので整形外科よりかかりつけの医師の所に行った方が良いのではないかと進言する。
しかし 利用者さんは 先週通院して利尿剤を貰って服用したが改善されないので整形に行くと言いわれた。
ちょっと下がって「1度内科で見て頂いてから整形に行ってみませんか?その方が安心かと思います。整形は混むので先に診察券を出してきますから」と伝え 了解を得た。

整形に走り診察券を出して 戻ってから内科に同行。
今日は 診察室にも一緒に入った。
利用者さんは 浮腫みを訴える。
が 医師は「これは 仕方ないのです。運動が足りないのですよね」と言われる。
結局 浮腫みをとるため通常の薬の他に 利尿剤を更に増やす事になった。

でも 利用者さん「痛い時は動かない」と言われて 整形までは タクシーを使う。歩けば5分足らずの所だ(利用者さんはもう少しかかるのだが…)

整形では 医師の診察を受けレントゲンもとった。
ここでも 運動不足を指摘された。
ゴタゴタしている間に医師に「痛くとも運動が優先と伝えて下さい」と御願いした。
整形での処置は 痛みに対するもので ステロイドの注射と電気をかける事となる。

利用者さんには ここで処置して戴く事にして急いで利用者さん宅に戻った。この時既に時間切れ状態。
でも放置しては帰れないので 買い物と調理を済ませた。
買い物の時レジでマンションの管理人さんと出会う。
「今日は?」「はい 今 利用者さん 通院で遅くなっています」と伝えた。先にレジを済まされた管理人さん。
マンション入り口でばったり出会う。
「いやぁ〜早いですね」と感心されてしまった。
こちらは 時間超過しているので気が気でないのだ。

調理の済んだ頃 利用者さんが戻られた。
はぁ〜 薬貰って着てない!
「お薬は?」と聞くと「あ そうでしたね」と利用者さん。
急いで処方箋を持って調剤薬局に走りお薬を戴いてきた。

薬が増えているので間違えるといけないので 小さな袋に朝食後の薬を一括しマジックで日にちを入れた。
更に夕方の分を 紙に日にちを書いてホッチキスで留めた。
その説明を済ませて 時間は2時間ちょっと超過である。

先日のケアカンファレンスで通院時の超過分は追加して記載するようになったので活動記録に記入し 今日の活動を終えた。

今日は 母の通院日である。
家に帰ったら 遅くなるので 途中で遅い昼食をして 母の所に走った。

母は 午後お散歩に出たという事だった。
トイレ誘導して 通院。
時間がないので タクシーを拾った。
検診を受けて薬を貰ったのが5時少し前。
予想通りの時間である。
施設を出るとき 夕食時までに戻れないと判っていたので 食事は断ってきた。バスに乗って駅まで出て そこで夕食を摂った。
少し不機嫌になりかけの母だったが お腹が満たされる頃には機嫌も戻っていた。

施設に母を送り届けて 歯磨き洗面を済ませて帰路に着いた。

今日の母は いろいろ興味深い言葉を発した。
また トイレ誘導の度に大で少し汚れていて…外出時の対処が厳しかった。
排尿に関しては 失敗はゼロなのだが…。
この事は 後でまた書き足す事に…。

ふう〜っ!!

この所 掲示板上で いたちごっこが続きました。
ちょっと疲れましたので…。 
娘に御願いして掲示板を お引越しする事にしました。
これで 少しは 気が楽になりそうです。
また よろしく御願いいたします♪




2006年10月01日(日) ウォーキング


夫が久々にお休みで「歩きに行こうか?」と言うお誘いで 久々にウォーキング。
少し歩くと小学校の方から賑やかな音楽が聞こえてきた。
「運動会だね」
通りから見るグランドには 敷物を引いて応援している家族がいっぱい。
とても賑やかでした。
辛うじて雨のない運動会で良かったね。

河原に出て河川敷を上流に向かって歩く。
ススキの穂が広がっている。彼岸花も咲いている。
紅葉前の初秋の景色を楽しむ。

河原を跨ぐように張ってある送電線に カワウが数十派止まっていた。
「カワウの重さで弛んでしまったかしら?」と言うと 夫は笑いながら「送電線はわざわざ垂らして置くんだよ」と…。

河川敷を集団になって歩いている。
「何してんだろう?」と夫。
「ほら 双眼鏡持っているからバードウォッチングよ」
「へぇ〜」
「あれれ 真っ白な鳥が川に浮かんでいるね」
「サギだろ」
「サギだったら 水に浮かばないでしょうに…」
ほんとは 水辺まで下りて見たかったけれど夫と一緒なので我慢。
あ〜双眼鏡持ってくるんだったわ♪

3キロほど歩いたら夫は汗ばんできたようで「ちょっと休息」
ベンチに腰掛けて「ここだけは風景が変わらないね」と言うと「通りに面していないので家が建てられないんだろう…」
ここに来るまでの景色は グランドが消えて沢山の戸建が立っていたり ちょっとのスペースに新規に家が立っていたり…築浅だった建物が壊されて更地になっていたり…と行った具合だったのだ。

更に歩いて河原から住宅地に入り 終着地点に着いた。
昼食を摂って戻り道。

帰路は二駅は電車に乗って移動。
後は 我が家まで登り道を歩いた。
雨がパラパラ降ってきたので 持参している折り畳み傘を広げた。
が夫は傘は要らないという。
でも 想像してみてください。
二人並んで歩いているのに 私だけ傘をさして夫は濡れているというのもおかしな風景でしょ。
土砂降りにならないうちに我が家に到着で良かったわ。

そんな訳で 母の所には行かなかった。
久しぶりのウォーキングだから 赦してもらおう。


はな |MAILHomePage

My追加