母のタイムスリップ日記
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2004年07月31日(土) 心を洗ってくれた人

 母の所に向かいバスを乗り換えた時にその人と出会った。
おそらく 何回か見かけた事も有るし 言葉も交わしている筈である。
名前も住まいも知らないその人。
前の時は 母も一緒で「お姉さん お母さんと一緒でいいね」と声を掛けて来た筈だ。
年齢は 30を少し越えた女性である。
バスターミナルで「○○に行くバスはここでいいの?」と聞いてきた。
「ここでいいのですよ」と言うと「ありがとう」とお礼を言われた。
程なくバスが来て 同じバスに乗り込んだ。
バスが発車する前に携帯電話を出して「バス乗ったよ。家に帰ったらアイス食べて良い?そして それから歯医者さんに行くから」と話していた。
とても微笑ましい場面だった。
 
この方は おそらく障害者だ。
時折 出会うので 母の施設に向かうバスの路線に住まわれているのだろう。出会う度に とても素直な感じが伝わってくる。


ふいに「お姉さん 家に帰るの?」と聞かれた。
なんて答えればよいだろう…と迷い「家じゃないよ」と言うと「お家は何処?」と聞かれた。また詰まってしまった。
バスには他の乗客も居り 自分の住まいを言うのは何となく憚れた。
「少し遠いのよ」と言うと「ふ〜ん」と聞いていた。
「何処で降りるの?」と質問は続いた。
「○△」と言うと「ふ〜ん」と。ようやく質問も終わってほっとしていたら…。

途中「○○は 今日 お祭りなの 知ってる?」と聞かれた。
「へぇ〜 そうなんだ」と言うと「そうだよ」とニコニコ。

「○△」のバス停が近くなった。
すると「お姉さん ○△だよ」と言ってくれた。
しかし私はバス停を言ったのではなくて 住所を言ったので私の降りる場所ではないので次の次なのよ」と訂正。
「何と言うところ?」「×○△」と答えると…。
近くまで来たら「お姉さん ×○△だよ」と教えてくれ チャイムを押してくれた。
降りる時「有難う」と言うと「にこっ」として手を振ってくれた。

疑う事もせず 嫌味な事も言わず ひたすら聞き続ける姿に 心洗われる思いがした。
ご両親が 大事に大事に守っていらっしゃるだろう事が容易に想像できた。

この所 トゲトゲしい話に晒されていたので 素直さに打たれてしまった。

母も私に対しては 殆ど疑う事がない。
まるの儘 である。
今日の母は、とても状態が良くて 着替えなどにも 言葉がけ等なくとも自発的に手が動いた。
お散歩も出来た。
あせも出た。
長く歩く事を望まなかったのは きっと 心が安定しているからだろう。

午前中は 利用者さん訪問。
地域の助け合いの輪に手ごたえを感じた。
利用者さんが「私に出来る事 手伝わせてください」と言ってくれた。
動く事は無理でも 出来る事がある筈…と考えてくださった。
やはり 利用者対協力者…この関係は やっぱり対等で…この地域の利用者さん訪問をお受けしてよかったと思った。


2004年07月30日(金) 動き出すと…


地域の事で 動き始めたばかり…。
下準備が済むまで こんな日記の更新になるかも知れません。

昨日は 介護ネットの仲間から尾道の安らぎ支援「荒神堂サロン」の活動を教えてもらってきました。

その折 新規の病院立ち上げには 痴呆者のための病床を確保して…と地道に活動なさって居る地域の話も聞かせて戴きました。

介護に追われて 社会とのかかわりも思うように出来ない現状ですが…。
出来る事を少しずつ…動き出しておかないと「財源がない」という官僚・政府・自治体の大合唱に 流されてしまいそうです。
財源がない事も認識したうえで 何が大切か・何が必要か…判っているのは
今 介護している方々です。
先を見ながら 出来る事に少しずつ 声を出して行く事が大切かも…。


2004年07月29日(木) 書ききれません…


 ふぅ〜!
また ため息から始まります。
今日 福祉部長さんとのお会いする日だった。
母のリハビリの立会いを取りやめて…。これは 療法士さんにも母にも悪い事をしてしまった。

いろんな事を考えさせられた。
ただひとつ 言える事は…母と過ごす時間がまた減るかも知れないという事。

話し合いの中で 部長から言葉尻を取られて何回も威嚇された。
本筋でない話で時間をとられる事は困るので 直ぐ訂正して方向を変えた。
おばさんというか 一般住民は 変なプライドはない。
何が大切か 何を訴えたいか…それが優先である。
おそらく 部長のその行為がみんなの結束を高めた。

それにしても 住民の税金で生活が保障されている人が 住民を威嚇するって どういう事だろう…。とても不思議な感じがした。
怒りなんて感じない…。
保身に回った話し振りに 哀れさを感じてしまった。
おそらく世代的には 同じくらいだろう。

それにしても…。
おばさんたちの怒りは すごかった。
後ろにいる筈の私が 今までの流れと現実を話した事が 煽ってしまったかも知れない。煽るつもりは毛頭なくて…淡々と話したつもりだったのだけれど…。
そして 福祉部長よりも前から関って来て感じてきた事を話したので 彼を焦らせてしまったかも知れない。
今 何を話してきたか…何処が焦らせてしまったのか…と思い返している。
残念ながら まだ 何処という特定は出来ない。
キーワードは 何だったのだろう。
それが判れば もう少し迫って行けそうな気がするのだが…。

何れにしても素人小集団…。誰一人 こんな行動に出た事のない人ばかりなのに…。
この素人小集団の感覚は すごい。
議員さんにお願いしようか…とも言っていたが…。
どの議員さんも「直接票に結びつかない人の話は聞いてくれても動いてくれない」という事を知っていた。
いや、話し合いを前に議員さんに もう相談を持ちかけている人ばかりだったのだ。
そのフットワークの軽さにも驚いた。
私なんて そんな暇すらない急な話だったのに…。

もっと過激なのは 新聞社に持ちかけようかしら…だって。
その事に関しては 肯定も否定もしないで置いた。
マスコミ利用は 良く出る時もあるけれど…煽られて終わる…という事だってあるから…。

あ〜。やっぱり書ききれない。
これから 少しずつ…書き足して行く事にしよう。

話し合いを終えて ちょっとこれからの事を話した。
その時 傘をさしても濡れてしまう程の土砂降りとなった。
母の所に行くにも 膝から下が雨水が滴れて…冷房に当たるともう身体が冷え切ってしまうほどだった。

急ぎ家に戻って 着替えて母の所に向かった。
母は今日のお天気のような表情だった。
居室に入ったら…わんわんと泣き出した。
ホールにいた職員にも泣く声が聞こえたようで 心配そうに来てくださった。ここでも 母のいろいろの思いがあったけれど…長くなってしまうのでここまで…。勿論 施設を後にする頃には いつもの母に戻れましたから…良かったんですが…。








2004年07月28日(水) 窓口で長い押し問答


 利用者さん訪問。
今日は 人形ケースの組み立てのお手伝い。
ケースのガラスをお掃除したら…1人で元に戻せなくなったとの事だった。
これは 私にも経験があり 1人での作業はかなり大変。
ガラスなので割れたりしたら 最悪となる。
 
利用者さんと二人で知恵を出し合いながら ようやく組み立てた。
「主人とだったらこうは行かない」と言った利用者さんの言葉 理解できた。して欲しいと思う作業が伝わらないのである。
これって 女性同士だから出来たのかなとも思う。

利用者さんのご主人が 何もしない人ではない。
お掃除したり 食事の支度や後片付けもエプロンをかけてにこやかに取り組まれる方である。

でも ちょっとした事は なかなか…だろうなぁ〜と思う。
夫を見ていても そういう事はチョクチョクあって 1人でやったほうが増しだったという事もある。

ケースを組み立て後に 掃除機だけさっとかけて終了。
明日 掃除専門業者さんが入るので それで良いという事だった。

その後 母の預貯金先を替え様と思い 銀行に出向いた。
アチコチだと時間がかかり面倒になったから。

が 窓口で押し問答となった。
今日は 母と一緒でない。本人確認が出来ないと駄目だと言われたのだった。日を改めればいいかとも思ったけれど…立て込んでいる用もあり今日の内に片付けたかった。

実は 母の口座を作ったのは 私である。
その時に母が痴呆である事も告げてある。途中母の預貯金を増える形に変えたのも私である。定期を組み直したり解約して弟の所に送金したりも私である。私のお金ではないという事を告げた上で 常識的に金銭を扱ってきた。
が 今回はきつく本人確認の法律が出来ましたので…の一点張り。
この10年余の書類は 全て私の文字でして…といくら言っても取り合ってもらえない。

銀行の心配はこうだった。
・若しお母様が良くなられた時 私のお金はどうしたの?と言われた時に困る。
・他のお子様からの財産を勝手に使って…と言われるのも困る。
という事だった。

言っても始まらない…と思ったけれど…ついつい 家の事情を話す羽目に。
何の証拠もないのだから…銀行だって困るだろう事はよ〜く判っている。

 口座を作った経緯や運用。また 弟たちはこの何倍ものお金を母から借りれたばかりで 母の年金でまかなえない所は 我が家で負担している事。弟たちは 担保物件を自発的に置いて行った事。
こんな話を成年後見制度の話も交えながら話した。

で 疑問に思って 口座を作る時から「母は痴呆です」と告げていたのに…制度が変わりますと言う案内や警告をどうして個々に知らせないのか?と聞いてみた。
すると「こちらはやってます。個々に出なく 新聞で告知しました」と言うのだった。

でもねぇ〜。定期の更新の通知等は郵送しているのだから…そこに一行書き込んだって良いじゃないの。
長い押し問答の末 一筆書かされて…今回は受けて貰えた。
「何処の銀行も同じですよ。法律でそうなりましたから…」

でも スルーできる方法はあった。
おかしくない?
「ここがおかしい」と言うとまた改正されたり悪用されても困るから…書かないけれど…。

いや、判るんです。子供の財産争いや親のお金を勝手に使ってしまう人、子供のふりをして預貯金を引き出す人…こういう事が多くて 高齢者を守る為の手段だと。
でも 理不尽と思うのは 何回も言うけれど…。
痴呆を告知し 10年余 預貯金の管理をして来たと言う事…それをどうして無視するのか…。そこが理解できない。

気が付けば 私の後ろには 待たされた人がくたびれたように椅子に座っていた。迷惑をかけてしまったお客様…ごめんなさい。
こういう時は 別扱いしてくれれば良いのに…ブツブツ…。
でも もう2度と同じ目には合わない。


2004年07月27日(火) エキサイトしちゃったぁ〜


 さっきまである会に出かけてました。
まず先に 予定の日記からです。

我が家に母が来てから 家のトイレが変わった。
内装を変えたとかではない。
トイレ専用のスリッパをなくし ドアは開け放つのだ。

この事は 書かないで置こうと決めていたのだが…。
でも 利用者さんを訪問して 同じような家だったので心強く感じた。
そこのお宅は 痴呆の人など居ない。
でも スリッパもなくドアも開け放っている。
だらしない生活をしているのではない。
むしろ きちんとなさって居られる家である。

どういう経過で そうなさったのかは まだ伺っていない。
機会があれば 是非とも聞いてみたいと思っている。

家の場合 来客のある場合はトイレ用のスリッパは出しておく。
家のやり方に「嫌だな」と思う方も居られるだろうから強制はしない。
だから 我が家のトイレはかなり神経を使って掃除しているのだが…。

何故 そうしたか…。
トイレをギリギリまで我慢して入り スリッパを履きかえる間に出てしまうと言う事が度々あった。
「早くしないから…」とイラッとする事も多くなり 両方のストレスを少なくスためにやり始めたのだった。
今では 割りにすんなりトイレには入れるようになった。

また「トイレに放置しない」事も決めてある。
これは 子育ての途中 オムツはずしの経験がある人なら理解できると思う。トイレで用を足せる様に時間を決めてトイレ誘導。
嫌にならないように 手遊びをしたり唄ったり…で排泄の時を待つ。
子供は トイレでの排泄を「快」と感じ 排泄の自立を促す…という意図である。
母の場合…出来る限りトイレができるようにと言う意図である。

今日もトイレで遊んだ。
「おかめ・ひょっとこ」面相ごっこ。
「おかめ・ひょっとこ」といってその顔を真似するのである。
母は 私の顔を見て笑い出す。
その内 母も おかめ・ひょっとこの顔を作るようになり トイレで大笑いをする。ちょっと不謹慎でしょうかねぇ〜。
でも 腹痛で顔を歪ませている母の顔が変わるんですよ。

トイレの後 散歩に出た。
外で偶然夫と出会った。「熱中症になるぞぉ〜」と言われた。
でも 母自身が外に出たいのだから…。
半分ほど歩いた所で「暑いよ」「風がモヤモヤとして気持ち悪い」と言い出した。「帰る?」と聞くと「帰りたくない」とはっきり拒否。
母の気持ちが帰りたくなるまで日陰を選び コンビニに逃げ込みながら歩いた。施設が近くなったころ「帰る」と言い出したので施設に戻った。

居室に戻り 全部着替えて 身体をタオルで拭いた。

おやつを食べていたら 急に…。
「私しゃべらない」とぽつんと言った。
「どうして?」と聞くと「話していると忘れるから…」と言う。
正確に言うなら
「話が…話が…。しゃべれなくて…。忘れてしまって…」と言った調子の話し方だった。
母自身も 気になっているんだ。
「忘れるっていう事は 忘れて良いくらいの事だったんだよ。気にしないで行こうよ」と返したら「うん」と頷いた。
ちょっと ドキドキの対応だった。

さて 夕方から 会があり…出かけた。
同じように活動に参加なされてきた今70歳代の方と「今の行政は未来を向いていない…時代に逆行している…」とまくし立ててしまった。
他の地域でも この話合いは開かれており エキサイトした人が「○日に役所ロビーに集合 福祉部長さんに申し入れをする。約束は取った」という事が伝わった。
これに載らない訳には行かない。
言うべき事をきちんと伝えなければならない…今がその時なのだろう。
と言う訳で…無力の壁にぶつかってしまうかも知れないけれど…やらないより増しかな…と。

家に帰って 久々にみんな揃った所で経過を報告したら「ヤレヤレッ」と全員(夫と娘)揃ってエールを送ってくれた。
これだけ一致するって我が家では珍しい事。


2004年07月26日(月) 朝の雷


 今朝 雷がなって雨がざぁ〜と降ってきた。
昨夜は そう暑いと騒ぐほどでなかったけれど…それでも降り出した後は涼しくなって…久々にすがすがしい気分になれた。

洗濯物を室内に干して 利用者さん宅に伺った。
利用者さんも「涼しくていいわぁ〜」と喜んでおられた。
「今日は煮物お願いします」と言う。
お鍋には 小さくした昆布が入っていた。それと削り節が今日のだし。
後は 里芋 大根 人参を煮た。オクラをさっと茹でて青みにした。
冷蔵庫の中身で作るので…。

煮物をしながら キッチンの床を掃除した。
以前に「時間のゆとりのある時にしましょう」と約束してあったからである。キッチンの床は クッションフロアなので 古い歯ブラシとスポンジと雑巾を使って掃除した。
少し黒ずんでいた所が綺麗になった。

ベランダの植物も水遣りしながら 枯れかけた葉を取り除いた。
ちょっと乾燥して葉ダニが付き始めたのを気にして 消毒液を作ったと言う利用者さんだった。
「薄める割合は これで良いのよねぇ〜」と言われて液体は…。
「ハイポニック」だった。
「これは 栄養剤なんですよ」と言うと「あそぅ〜」と驚かれていた。

「そうそう ○○さんがいるうちに聞いておこう」と冷蔵庫の前に行き扉を開けて「中のランプが付かない時があるのよ」という事だった。
どうも接触が悪いのかも知れなかった。
「付かない時は ちょっとランプスイッチにあたるボッチを押してみて 様子を見ましょう」と伝えた。

ちょっとした事だけれど1人暮らしだと「何故?」という事の解決が大変だなぁ〜とつくずく感じた。

先日の家族とのトラブルは 大分改善されたようであった。
いろいろ ストレートに伝えられない事もご家族にはあるのだろうし…。
ちょこっと聞かされた高齢者は 心配してしまうのだろう。
他のご家族のフォローもあり マイペースで行こうと気持ちをおさめられたようでほっとした。

雲が多く 午後にも雨がパラ付いて 今日は一息つけた。
明日は 母の所へ…。同じフロアの方が「ナス漬けを食べたい」と言っている…とご家族が言っていたので 作ってお持ちすると約束していた。
何とかうまく漬かったのでお持ちしよう。


2004年07月25日(日) 元気が一番

 昨夜 12時頃に 母をトイレに起こす。
布団から立ち上がって貰うのに ちょっとした力仕事になる。
母は まだ 布団を使って寝ている。
同じフロアで 布団に寝るのは母1人になっている筈である。
立ち上がりの介助は大変だけれど…母自身結構 足腰 腹筋等使っているのが見えて ベットにしてしまったら この筋トレが出来なくなりそうな気がいている。
出来る能力、使える筋力は やっぱり現状維持に努めるようにしたいと思っている。

ベットを使った方が母自身も楽だろうし介助する側も労力が軽減されるのはわかっているけれど…。

トイレから布団に戻って直ぐにまた寝入ってしまったのだけれど…。
1時半頃 何となく気配を感じて母の所に行くと…。
常夜灯の中 布団に入ったまま ぬいぐるみとお話していた。
目はパッチリとして…。
「キャー このまま眠らなかったら…」と少し不安に襲われた。
再度トイレに誘導して 暫くそばで様子を見守っていたら…いつの間にかまた静かに寝入った。

在宅の頃 幾度も目を覚まして「お家に帰る」と言い出して 眠い目を擦りながら「今は夜中。寝る時間よ」とヒステリックな声を出して母を更に不穏を煽った悪夢様な時が幾度となく繰り返された。
それと比べると 何と平和な事だろう。

それから6時まではぐっすりだった。
夫の仕事で早く出るので 早々に起きてもらい 朝食を摂った。
母は またもやおかわりをした。
いつもより3時間は早い朝食の筈だ。
食器を洗ってもらい 新聞を読んでもらっている間に洗濯。

 暑くなる前に 散歩に連れ出した。
足取りも軽く むくみもない。
ふと気が付いたのだが…やっぱり言葉が少なくなってきている。
家の周りの散歩でも 以前はもっと賑やかだったのになぁ〜。
人や車が通ると「誰か来た」「何か来た」とは言うけれど…自発的な言葉がかなり少なくなってきているのだ。
ただ 母自身 さほど不自由そうに見えないし 哀しそうでもないのが救いである。

家に戻るともう汗びっしょりだった。
汗を良く拭き 手紙を書いて貰った。
いつも教会から お便りを戴いているがお返事をなかなか書けないでいたから。下書きの文を渡すと さらさらと書き出した。
前と比べるとかなり文字に力がなくなって来ているけれど…朝と言うせいだろうか…ほんとにさらさら書いていた。
前回書いた時は 幾度もやり直し…多少の間違いも放置しなければならないほどだったのだが…。

それから 無難なテレビを見せる為 テレビのある部屋に移動。

実は 昨夜の事…
「嫌だなと思ったけれど…殺そうなって思わないのに…。死んじゃうよと言うの」と妙な事を話していた母だった。

心当たりと言えば…施設で良くテレビの前にいる事。
それと 食欲が落ちている方が多く 食べるように言われる事が多いのではないか…と。

おそらくテレビではないかとは思ってはいるのだが…。
と言うのも テレビを観ていると現実との区別が付かなくなり…ドラマでもニュースでも怖い場面になると 急に不穏になる事が多かった。
だから 家ではテレビを見るのをなくしたのだった。

施設に入ってもテレビに見入る事は殆どないようだったが…最近テレビの前にいる事が多く また見入ってもいるのだ。

だから せめて家では 無難なテレビを選んで視聴してもらうようにしている。でもテレビを観る時間等 殆どないのだけれど…。

昼少し前 お腹が空き始めたようだったので 早めに昼食を摂ってもらった。休息してから入浴した。

2時を少し回ってから 施設に戻った。

戻って職員が母の手に触れた時「熱いね」と言われ「熱があるかな」と心配なされた。
確かに昨夜も母の手が熱いなと感じていた。
でも 食欲もあるし元気なので「暑いからだろう」と気にも留めなかった。
職員に言われて「しまったかな?」と思った。
でも 検温しても熱はなかったのでほっとした。

今フロアの人たちは 元気がなく室内で過ごされている。
その人たちの手は とてもひんやりとしている。
母の手の熱さは 当たり前の状況なのだけれど…周囲との比較で驚かれたのだろう。
「○○さん(母の名)一番元気だもの…」の話となる。
そう 今は 一番元気な母なのだ。
判らない事いっぱいで お話も出来ない…訳の判らない行動も多い母だけれど…元気だもの…それが一番だ。

戻って 畑に出向く。
日没まで草取り 水遣り…だった。ほへっ 疲れた。


2004年07月24日(土) スヤスヤ…


 午前中 利用者さん 訪問。
今日は 聞き取りの為 ケアマネさんが来訪。
昨日 家に戻ったら留守電がチカチカしていた。「?」と思って聞いてみるとケアマネさんで…。「はてさて 何の用だろうなぁ〜」と思った。
前日 別の支援センターのケアマネさんから 家族の会の紹介文が欲しいと言われてファクシミリで送信した。地域の支援センターの人たちが別立てのキャラバンを組み お話会に持参し会を紹介してくださるという事だった。
そちらの関係かな?等と思ったりもした。

しかし 朝 再度電話を頂き「利用者さんを訪問するので 疲れないためのサポートを…」と言うお願いだった。

少し早めに訪問し 先に少し掃除に取り掛かった。
と言うのも 娘は残業で朝帰りで12時には ご飯を食べてまた仕事に出かけるので…起こしてあげる事、食事を出してあげる事、顔色点検…するのでどうしても遅くならないようにしなければならなかった。

程なくしてケアマネさんが見えて 聞き取りが始まり そばでお掃除をしてた。無事聞き取りも終了。
ケマネさんが帰られた後「つかれたぁ〜」と直ぐ横になられた。
やはり 短時間で 座ってのお話でもかなり疲れるようでグッタリなさっていた。お元気そうに見えるけれど…体力が付いてない御様子であった。
私の活動も時間通りに終了できた。

娘を起こして 一緒に食事 そして送り出してから 母の所に出向いた。
今日は 母を家に泊めるつもりである。
早々に支度をして 家に向かった。
でも 途中デパートに立ち寄って ぶらぶらした。
母は、アチコチ興味を示すので立ち止まってみていると必ず店員さんがやってきた。「あれぇ〜買いたいオーラを放っているかなぁ〜」とわが身を振り返ってみるけれど…心当たりも無くて…。
暫く歩いているうちに 原因がわかった。
母が呼び寄せているのである。
店の商品に興味を示すのも瞬間で 私はその商品を見ているのだけれど…。
母は 商品から直ぐ人に視線を移してしまっていた。
人というのが店員さんで…母は ニコニコする物だから用があるのだと思って近寄ってくるのだった。
そのつど「いえ 見ているだけなんですぅ〜」と説明に回り…ちょっと罰が悪かった。
食料品を調達する頃には「もう 帰ろう」とせっつかれた。
暑いから 涼んでもいた訳で…。
あれもこれもと思ったら ずっしりと荷物が重くなってしまい タクシーを利用しての帰宅となった。
家では 縫い物をして貰った。
フェルトの布に花を描いて そこを刺し子のように縫って貰った。
「下手だねぇ〜」「出来ないなぁ〜」「これじゃ びりだよ」と独り言の連発。キッチンで食事の支度をしながら その度に「うまいじゃん」「よっ!天才だね」と声をかけた。
「そんな事ないよぉ〜」と照れる母。

食事前に 門前を二人でお掃除し 打ち水をした。
ささやかな花達にもお水をあげた。
母のお腹も程よく空腹になったようなので食事した。

食後は 食器洗いとスーパーの袋を畳んでもらった。
食事の時から「こんな時間だけれど 眠くなっちゃったぁ〜」と言ってた。
おそらく 施設ではお布団に入る頃だろう。
9時半まで頑張ってもらって 入浴。
「お風呂は毎日でも入りたい」と言っていた。

それから2階に上がって洗濯物を畳んでもらう。
もうひところの丁寧さは無くて どうやって畳んでいいのかと考え込む事しきりの母だった。
お布団を敷くと「もう 眠ってもいい?」と言い 転がるように布団に寝転び 寝息を立てて夢の世界へ…。
エアコンを入れてあるので ふすまは開けておいた。
閉じてしまうと冷えすぎてしまうのである。
寒くもなく 暑くもなく 汗もかくこともなく気持ち良さそうに寝入っている。


 


2004年07月23日(金) ふむふむ


昼前 弟から電話がきた。
先日送ったもののお礼だったのかな?
…いいんだけど…送ってから何日経たんだろう?
仕事の愚痴等に加えて…
「そっち 暑いんだって…。お袋は?」
「暑いけれど 冷房使わなくとも 家の中なら何とかなる…。あの暑い日はさすがに外に連れ出せなかったけれど…昨日は 畑まで出たよ」
「畑?」
「うん 借りているの」
「ふ〜ん。いや、悪いね。大変な思いさせて…」
こんな調子だった。

会社を引っぱって行く事は 何処にいても大変な事で…。
甘える 甘えないでも随分違っていて…。
「あんたはんがた ちと 甘えすぎでないんかい…」と。
最後の言葉だけは グッと飲み込んだ。

何となくすっきりしない気分だが気持ちを切り替えて利用者さん訪問。
所が…。
利用者さんも どうやら 家族の事でイライラ感が募っていらした。
出かける用があるのだけれど…話が止まらない。
同じ所をグルグル回っている風でもある。
話しながら涙を堪えているようでもあった。

今日は この後特に用も無いので聞き役に徹した。
年を取るという事は 必然的に誰かを頼らなければならなくなる。
「子供たちが 中途半端に関り 干渉し 突き放す」と感じるのは母だけじゃないんだなぁと感じた。
おそらく 大概 こういう事は有るんだろう。
私が老いて行く先にだって こういう場面は生じるんだろうなぁ〜。
若い世代とのすれ違い…何だろうなぁ〜。

感情が揺れた儘だと ストレスが溜まって眠剤に頼ったり 体調不良を起こしやすいのは母を見てきて承知しているので…とにかく話しに耳を傾けた。
そして 「家族にも波があり 思う通りには行かないし…悪く取ればきりがないから…忘れましょう。何とかなりますよ。波風立てずにそ〜っと行きましょう」と励ました。
それから ある手続きをするとの事で 役所まで同行した。

役所に着くと顔見知りのケアまねさんとパタパタと出会った。
「活動中ですので…」と言うと「あれっ」と言われた。
どうやら生きがいデイでの顔見知りらしかった。
共通の知り合いという事なのだ。
全く 不思議なものである。

帰路はタクシーを使われた。
活動時間 30分はオーバーだった。

「次からの金曜2回は 用が重なり時間をずらして貰えないだろうか?」とお願いしたら午前中への移動で了解が貰えた。

これから2週間 少しハードなスケジュールとなる。
娘も今週末は32時間勤務となるらしく 今週はぴりぴりしていた。
おそらく睡眠時間の保障は無いと思う。8月頭からは 1週間程出張らしい。
夫も ハードに追い込まれている。
暑い中 みんな 自分の健康管理だけは責任持ってよねぇ〜。

昨日の母の様子で気になる事もある。
「は〜っ」とひとつ大きなため息を残して…明日 また 頑張ろうっと。






2004年07月22日(木) 干した梅の摘み食い…


リハビリの立会いに滑り込んだ。いや、5分ほど遅刻だ。
母が横になってくれなくて療法士さんが見守っていた。
おそらく 母は 言葉が聞き取れないだろう。
「横になって」と私が言っても「お腹減ってない」と言う返事だったから。
枕を出して ゆっくり はっきり 大きな声で「横になって。筋肉を揉みほぐしてもらおう」と声をかけると「ほ〜。マッサージしてもらえるの?」とニコニコして横になった。

母との会話は いつもこんな風である。
理解力が無い日か?耳が遠いか?この判断は そばにいる者が気を付けなければならないのだ。

対処の仕方を考えなければならないので「どっちでもいい」という事は ない。

リハが始まった時「土用に入ってしまったから 施設の梅も干さなきゃ」と思い 母のそばを離れて職員に「梅を干します」と申し出た。
トレーを借りて 入所者数人と梅を取り出した。
フロア内に梅と紫蘇の香りが漂った。
ここで また 手伝ってくれた方の口に「梅」を一個運んだ。
ちょこっと 紫蘇をつまんで運ぶ人もいた。
外に干すと忙しい職員が忘れてしまいそうなので 室内に干した。

母の所に戻ると 丁度リハが終わる所だった。
中座した事を詫びると「いえ いえ。楽しそうでしたね」と。

母を連れて家に行こうと思ったのだが「畑のじゃが芋を施設の人と掘り出せるかな?」と思い職員に聞いてみた。
調整してもらって 母と他2人と職員とで出かけるようにして下さった。
畑をみて 入所者2人の目が輝いた。
「トマトがある」真っ先に目に入ったのがトマトだった。
でも我が家の畑にはトマトは無い。
我が家の畑までチョコチョコと歩いてもらった。
母と違い 歩くのは微妙に不安定である。

じゃが芋を植えた場所が少し狭くて…そこにかがんで貰うのは困難だった。
膝が痛い…と不安がった。
立ったまま じゃが芋の茎を引いてもらった。数個のじゃが芋が付いてきた。もう1人の方にも 同じようにして貰った。
そして 畑の隅に紙を敷いて座ってもらった。
この畑の隅は 母を連れてきても大丈夫なように一段深く掘り込んであるのだ。そうすれば平らな所よりも座りやすいと思ったからだ。
入所者の1人が その事に気が付いていた。
「段があるから座りやすい」と言っていた。
最後に母にじゃが芋をスコップで掘り出してもらった。
母は、狭くともかがんでいられるから…。
出てくるじゃが芋に母は「あっ」と声を出していた。

座っている入所者さんは「枝豆だぁ〜」「ささぎだぁ〜」と作物をみておしゃべりしていた。
入所者の1人は 私の知り合いであり もう1人は ふるさとが母と同じなのだ。冷たいジュースを飲んでワイワイ言っていた。
少し離れた所の畑の主が興味深そうにニコニコしながらそばに寄ってきたそうにしていたが距離を置いた所で止まっていた。
人参と枝豆を少し引き抜いて「これは お土産」と渡した。
「ささぎ」もちょこっと渡した。
来れなかった人に 人参やら枝豆を見てもらえば…いつもと違った話題が出来るだろうと思ったから。
施設内での限られた空間では 会話が決まってしまう事が多いし 下手をすると会話すらしなくなってしまう事が多くなる。

暑いし 昼食前でもあり 職員も用があるので 畑を後にした。
車に乗り込もうとしたら 畑で作業してご夫婦の奥様の方がツカツカとやってきて「これ 無農薬だから…」とトマトを差し出してくださった。
嬉しかった。
こういう場面が「地域に溶け込む。地域交流」と言う物である。
もう少し 時間が有れば もっといろんな場面やお話が出来ただろうなぁ〜。私だけ満足しても 職員がその有効性を見出せなければ仕方ない…。「作物を採る。外の風に吹かれる」これも立派な目的では あるけれど。

入所と職員は 施設に戻り 私と母は家に行った。
家で二人で昼食を摂った。母は おかわりするほどの食欲だった。

食後は食器洗いをしてもらった。
「洗ってもらえる?」と言うと「いいよ」と直ぐ反応した。すごいなぁ〜。

その後 折り紙とストローを使ってトンボを11匹作った。
母に鋏を渡して切って貰った。
ここ数年は 鋏を使う機会も少なくて…かなり能力が落ちているけれど…。
でも ちゃんと羽根型に上手に切れた。
ストローに羽を付けて ハート型の頭を付けて出来上がりである。
これは 施設へのお土産にした。
 入浴もした。
浴室に入ったら「あかすり貸して」と母は言った。
突然なので ビックリした。
母の生活暦の中で「垢すり」と言う単語は使ったことがない。「ナイロンタオル」の筈だ。という事は…施設で覚えたのかな?

「垢すり」に石鹸を付けて渡すと母は身体を洗い出した。背中は私が洗った。垢が一杯で出た。暑いから…無理も無いなぁ〜。
母は、きっと瞬間「気持ち悪いから洗いたいって」って思ったんだろうなぁ〜。やっぱり夏場は…。

施設に戻ったら 職員が「つまみ食いが多くて…別のフロアに梅移動させました」と言っていた。
他の家族もいらしていて「つまんでね 無くなってしまいそう」と言っていた。
干した梅をつまんで食べるのっておいしいんだよね〜。





2004年07月21日(水) お店が急に閉まる時


 今日のTBSラジオのストリームで小西かつやが番組最初に取り上げた。
「いや〜お店が急に閉まるのって 困るよね。予告もなくってさぁ〜」と。
その時「あっ きっとあれだな」と思った。
「青山ブックセンターの事だろう」って。

先週の金曜日に前触れもなく 急に店を閉じたのだった。
我が家で一番のショックを受けたのは娘だった。
前日にも青山ブックセンターで本を買ってきたばかりだったのだ。
娘 曰く
「もう 会社に行く楽しみ半減」
「本屋さんは 他にもあるけれど どんなに遅くなってもあそこに行けば本を買えた」
おそらく 会社帰り ブックセンターに立ち寄って ストレスを解消していたのだろう。「○×さん どうしているだろう」と適切な対応する職員さんの事まで心配していた。
諦め切れない娘は その後友人と共に書店まで行って来たらしい。
「ん〜。やっぱ 長テーブルが積み上げられていて…急だったなんだなと判ったよ」とがっくり来ていたのだった。

小西氏も松本さんも 同じような事を言っていた。
「本だけを買うならアマゾンもあるけれど…。買う人が見えないよね」
「本屋さんて 人間観察できる場所なんだよね。エッ あの人こんな本を読むんだ」という発見が出来る…社会勉強が出来るんだよ」
「ちょっと こじゃれていて 遅くまで空いていて重宝だったんだ」
とも。

そうだ…娘もアマゾン利用して そのパッケージに驚いていたいたっけなぁ。この梱包だとかなりコストがかかるだろうに…すごいな…と。

小西氏は「お店が急に閉まる」という事に関して 食べ物屋さんまで話を発展させていた。
確かに予告なくお店がなくなっていると 困惑してしまうのだ。
私にも経験があるので 気持ちが良く判った。

利用者さん訪問。
玄関を入るとカサブランカとベゴニアが大きなガラスの器に飾られ涼しげだった。「猛暑で水替えも大変でしょう」と言うと…。
これここに置いてから一度も水を替えてないのよ」と言われた。
こんなに暑い日なのに…いくらカサブランカが強くとも無理じゃないかな…と思ったら。
「器の中に竹炭を入れたの 竹炭は浄化作用があるのよ」と言う。
確かに家の庭の土も炭を細かく砕いて浄化をはかっているけれど…。
花器にも使えるんだなぁ〜と知った。

それにしても…これだけ暑いと水替えなど面倒と 切花は極力避けてしまっていたけれど…。だれてしまうこの時期、暑さでついイライラとしてしまうこの時期だからこそ お花を生けるって必要かも…と学んだ。
生活にゆとりと潤いが出た方がいいものねぇ〜。

明日は、母のリハビリだ。
ちょっとだけでいいから気温が下がってくれる事を願っているのだが…。


2004年07月20日(火) どうしちゃったの?


 昨日の暑さを残した儘 朝を迎えた。
当然の事ながら…気温はあっという間に38度を越えてしまったぁ〜。
周りの空気が体温より高いのでモワ〜ッとする。
きっと 外に出たら測定された気温より2.3度高いと思われ…母を外に連れ出せないなぁ〜とぼんやり考えた。

「何をしようかなぁ〜」と考えても もう名案も考えられない。行くという行為だけで一杯一杯の状態である。
 途中 駅前のスーパーで紙パック入りの飲料を6種類買った。それに冷凍枝豆も。よくよく考えたら 家の冷凍庫に家で茹でた枝豆があったのだった。もう 暑さのせいで思考力停止状態なんだろう…。
家から持ってきたのは 桃。
同じフロアの方たちは 食欲も低下して 食べ物に苦労なさって居られる様子だったので果物の缶詰2種とアロエの缶詰2缶お土産にした。

水分補給とカロリー摂取になれば…と思った。

施設に付いた時 母は目の前にあるソファーを指して「座りなさいよ」と言ったが…母を居室の方に呼び入れた。

畳みに座った方が 浮腫みが引くだろうと思ったからだ。
畳の中央にビニールを敷いて 冷凍枝豆を袋ごと置いた。
その上に紙パックの飲み物を置いた。
ひとつの飲み物をコップに空けて母に渡すと直ぐにゴクゴクッと飲み干した。母が飲みやすいように 少し甘みのあるものを3種ほど選んだから…。
次にフルーツジュースをコップに空けた。これは さっきよりゆっくりと飲み干した。これだけで500ccは飲んだ筈。

冷凍枝豆の袋を母の膝の上、腕と順にくっつけてみた。
「お〜冷たい」と母。「じゃ 首につけてみようか?」と言うと「勘弁勘弁」と母は逃げた。
枝豆を取り出して水の入ったコップの中に入れた。豆は直ぐに食べごろとなった。母は枝豆をつまんで食べ始めた。3分の1ほど食べた所で桃を渡した。
桃を食べる前にタオルを首からかけて ズボンの上にはハンカチを広げた。
少し皮を剥いた桃を ティッシュで包んで母に渡した。
母は果汁が零れないように注意しながら上手に食べていた。
また 枝豆をつまんで食べ始め 3回目の飲み物に手を付けた。
「おいしい」と食べていたのでほっとした。

そうの内「学校に行くんだ」と言い出す。
それも頻繁に言い出した。「学校に行かなくちゃ」「こんなに遅くなってしまって…怒られる」とだんだんエスカレートして行く。
「あんたは行かないの?」と聞いてきたので…「学校は何処にあるの?」と聞くと「出てまっすぐ行った所」と言う。
「今日は日曜」と言うと「あ そう」と落ち着くが また直ぐに「学校に行かないと怒られる…」と言い出す。
母の口から「学校に行かなきゃ」と聞くのは ほんとに久しぶりだった。

在宅の頃は 作業してもらっていると「宿題」と思い込んで「あ 出来ない怒られる」と泣き出したりもあったし デイのお休みの日は特に「学校に遅れる」と騒いだものだった。

でも今日は 何故 学校モードになってしまったのだろう。
暑くて 興奮し始めたのかなぁ〜。

切り替える為にトイレへ…。
勢い良く 排尿できた。これも久々である。水分がとれたからだろう。
ついでにいきんでもらった。
これも うまくいった。
その後 暫く腹痛に襲われた。
でも「お腹が痛い」と言えない。どう言って良いのか判らなくてオロオロしていた。暫くお腹を擦ってあげていたら…1人で横になった。
目を開いたり閉じたりを繰り返していたが…。
そのうち 軽い鼾をかき始めた。

部屋をゆっくり 片付けて 施設を後にした。
外は「ムッ」とする暑さ…気温が39度を超えたと知ってぎょっとしてしまった。

明日も暑いよねぇ〜。ふ〜っ。


2004年07月19日(月) 思いがけずの…


 「朝の海が見たい」と海の日にちなんだかのように言った娘は 昨晩友人と海辺へドライブ。
「海を見たら 混雑しないうちに直ぐ帰る」と言っていた。
早朝 電話のベルが鳴った。
…もう戻るんだなぁ〜…とうつらうつらと受話器をとると「事故でさぁ〜」と娘の声にぎょっとした。
怪我したのか…させたのか…とクルクル思い巡らす。
「オレオレ詐欺か」とも 思ったけれど間違いなく娘の声だ。

信号停止で止まった所に ナナハンが追突してきたと言う。
加害者にならなかった事にほっとした。
幸い ナナハンのライダーも救急車で搬送されたものの 怪我は軽かったようである。勿論 娘の友人も娘も傷ひとつ無い。

けれど 警察の人と救急隊の人の対応にかなり頭にきた様子だった。

幸い ライダーもいい人で「海をみていて追突しました。ごめんなさい」と言い 信号待ちしていた人6名が「あんたは 100パーセント悪くない。止まっていた所に突っ込んだんだ。何かあったら 何時でも証言してやる」と電話番号をメモして下さったそうだ。
そして 警察が来るまで 後方に立って 交通整理までしてくれバイクも横に移動させてくれたらしい。

こんな いい人達だったのに…
警察の人が2台のパトカーでやってきて「これくらいの事で呼ぶなよ」てな感じ。「あんたの車より 高いバイクだぜ」とか。
免許証を提示すると「何歳?」「で 仕事は?」とヤンキー相手に聞いてきたという。
「会社員です」というと「何処にあんの?」「○○です」と言うと「なんて会社?」と言う調子で…会社名を言ったら 手のひらを返すように言葉や態度が変わったと言うのだった。

救急車の隊員も「ほんとに停止してたのぉ〜」友人がライダーの人に「何処を打ちましたか?痛いところは何処ですか?」「道路の端に移動して静かに座っていてください」と声をかけてると「何してしてる訳?なんも判らないくせに…」と言われたそうである。
友人は 外科の看護士さんである。
「看護士です」というと態度が変わったそうである。

確かに 娘も友人も限りなく金髪に近い茶髪であり 車もヤンキーぽく見えるかも知れない。二人ともヤンキーになった事もないし…あこがれていた事も無い。言葉使いだって おかしな言葉を使う事はまず無い。
娘は 勤め先(学生バイト時代も含んで)若いのに 言葉遣いが ちゃんとしていると言う定評があるのだ。

警察も救急隊の人も見た目で 想像力を高めたのだろう。

いや、娘に対して失礼と言うのではないのだけれど。
たとえヤンキーであっても 事故を起こしたのでなければあくまで被害者であって…差別してはいけないだろうに…とプンプンなのだった。

おまけに 事故証明くださいと言ったにも関らず「ライダーの電話番号と住所のメモを渡しから…」と何もくれなかったらしいのだ。

何回かの娘の電話を受けて…「さ そろそろ 母の所に行こう」と支度を始めたらまた電話だった。
夫の兄からだった。
「今 インター降りる所…ちょっと寄らせて貰うね」
「ひぇ〜。誰もいなくなる前でよかったぁ〜」
と言う訳で「娘と夫に電話」
「直ぐ帰るから…待ってもらっていてね」とそれぞれ言う。
程なくして 兄夫婦が到着。
先日「焼き増ししてあげる」といった兄の写した写真をフレームに入れて持ってきてくれたのだった。他にも掘り立てのじゃが芋 トマト 桃等も。

夫も娘も戻って みんなで割烹でお食事をした。

我が家の畑にも行って「空芯菜」を掘り起こした。
畑に植えれば まだ充分 育つし…。
夏の野菜としては 筋張らず重宝するものなので…。

こんな調子で 母の所には行かなかった。
いつもなら 良心が咎めてしまうのだけれど…。

母は 元気な頃から 嫁いだ先の用事は優先しなさいと言っていた。
父の事で困っていても「向こうの用で…」と言うと「そちらが優先」といってくれたので…。
だから 今日 行けなくとも ちゃんと納得して貰えるだろう事は想像がついたからである。
いや、今の母が納得するかは 別としてだけれど…。

朝から 思いもかけないことが続いた一日だった。
兄たちとも事故の話では 警察や救急隊、保険屋さんの対応などで 喧々囂々の話題となった。


2004年07月18日(日) う〜っ 悔しい!


 今日 娘が「この間から 家の周囲で郭公の鳴く声を何回か聞いたよ。鶯もよく鳴いているねぇ〜」と。
「え〜っ」と私。鶯、ホトトギス、メジロ、オナガ等 沢山の野鳥の声を聞いているけれど…待っていた郭公の声は 未だ聞いていない。
いや 一度だけ 相当遠くで聞いたのだけれど…一回だけで空耳かも…と思っていたのに…。
どうやら 仕事帰りの早朝らしい…。
「起こすのも悪いと思って…」と言っていたけれど 起きて聞きたかったなぁ〜。きっと眠っていたろうし 家の中だから…余計 聞こえなかったんだろう。う〜っ悔しいなあ!

夏が始まったばかりだけれど…「もう いいやぁ〜。もう 沢山」と思うほどの猛暑に閉口してしまう。
昨夜 雨を期待していたのだけれど…一滴も落ちなかった。
こうなると 畑に水撒きに行かねばならない。

夕方 3日ぶりに畑に行った。
なすが 以外に元気になって 沢山生っていた。
嬉しいのは 水ナスが一番多かった。
早速もいだ。
いや 今日は娘と畑に出かけたので 娘に収穫してもらった。
「トキオになった気分」と言う。
「育てるのは人任せで 収穫だけ楽しむっていいねぇ」と…。
オクラ.きゅうり等も取って貰った。
水撒きは二人で交互に…。

私といえば 草取り。
短パンで出かけたので アッという間に蚋に刺されてしまった。
あまり虫も付かないのだが…今日はしっかりと刺された。
暑い盛りを外したにも関らず 汗がびっしょりだった。

夕食は 久々に3人揃って食べた。
夫は今日も仕事だったので帰宅を待ってテーブルを囲んだ。
やっぱり揃っての食事はいいなぁ〜。


2004年07月17日(土) 避難 避難の散歩

午前中 利用者さん訪問。
水曜に紹介した支援センターに直ぐにお電話なされたようだ。
もう、ケアマネさんの訪問を受けていらした。
さすがに対応が早い。お勧めして良かった。
認定調査は これからだけれど。
でも話では 週2回くらいはヘルパーさんを利用できそうみたいだった。

そんな話を聞いて「これで私の役目も終了かな」と思い「何時でも打ち切っていいですよ」と言ってみたら…。
「このまま継続したい…」という事だった。
無理をして活動を入れているので 母との面会時間が短くなっていて…本末転倒の日々なのだ。

未だ 認定前だから軽々しい事は言えないので 暫く様子見である。
ただ、事業所と良く話してみてヘルパーが入るようになったら活動を減らしてもらうように願い出ておこうと思う。
地域の助けあいも大切だけれど…母の事が優先だもの。

午後 母の所に行く。
玄関を入ると母の声がホール内に響いていた。
「読書の時間なのですよ」と職員が言った。
ホール内には母1人で、絵本を声を出して読んでいたのだった。
時折「面白いねぇ〜」等と独り言も出ていた。
楽しめる母を見るとほっとする。
私を見て「来たの?」と言い 手にしているトレーニングパンツの袋をみて「なぁ〜に?」と聞いてきた。でも「オムツ」とは言えなくて…。
「ふふふっ」で誤魔化してしまった。

暑いけれど 外出した。
外に出た途端「あっつ〜い」と母の声。
「そうだねぇ〜。出るのよす?」と聞くと「大丈夫」と頑張る母。
少し歩いてファミレスに避難。
便がつまり気味という事だったので野菜サラダとフルーツを頼んだ。
勿論 飲み物たっぷり。
すっかり 平らげた母は少しお腹がきつそうだった。
暑いけれど歩いてお腹を刺激した方が良さそうだったので テクテク歩いた。
一キロほど歩いてドラックストアに逃げ込んだ。
少し涼んで更に川べりを歩いた。

母は暑さで だんだん不機嫌になってきていた。
もう目一杯おだて上げた。
「すごいねぇ〜。頑張りやさんだねぇ〜。大丈夫?」
母は二コリともしないけれど…「大丈夫」と頑張ってくれた。
二人とも汗びっしょりだった。
家ならシャワーを浴びる所だけれど…施設ではそうも行かなくて…。
タオルを濡らして母の身体を拭いてあげた。
首筋の後ろに濡れたタオルを当てて エアコンの気温を下げて強い風にしてあげた。
暫く休息してトイレへ…。ねらい通りとなった。良かったぁ〜。

涼しくなってから 横になってもらい足を少し高くした。
そのうちに母はウトウトし始めた。
暑い中での散歩は 疲れるだろうなぁ〜。心地よく眠れるなら それもいい。

軽い寝息を立て始めたので 施設を後にした。


2004年07月16日(金) ヤレヤレ…


6月から ずっと身体の調子がイマイチだった。
わが身をかばいながら 日々やりくりしていた。
「動きたくない」と言う思いを振り切りながら…過ごしていた。

先週 買い物ついでに 本屋さんに寄ってみた。
料理の本のコーナーによってパラパラとみて一冊の雑誌を買った。
何が気に入ったかと言うと…。
「夏の元気をもらう食卓」という見出しに惹かれたのだった。

動きたくないので料理も手抜きとなり…悪循環を起こしていた。
食べる為の努力が減速して行ったのは 毎日 1人の食事という事。
作っても家族が食べないので 余り物の処理の日々…。

朝 夫は5時ごろに出る事が多かった。ササッと作って送り出すと自分が食べるタイミングを失う。娘のお弁当を作ったりしている内 何となく食べた気になってしまっていた。お昼もずれ込んで…簡略な食事。夕方もかなり遅くなり9時過ぎにひとりぽそぽそ食べていた。
気力がないと料理の微妙な加減が出来なくなっておいしくない…健康を害さないようにとギリギリのバランスで食べる…そんな日々だった。
就寝も12時から1時は相変わらずだった。

「何とかしなきゃ…」と思っても 抜け出せないでいた。

そして暑い日が始まり…更に気力を失って行った。

特に病気ではないし…。
「ちょっと調子悪いみたい」と言った所で家事代行してくれる人もなくて…。家人が 自分の事は自分でやってくれれば随分楽になれると思うけれど…依存体質の家族に育て上げてしまっているので ちっとやそっとでは改善はしない。
勿論 仕事が忙しいという事もあるだろうし…。

そんな時に 本屋に立ち寄ったのだった。
そして 雑誌をみて薬味を作った。
夏の香草である。
紫蘇、しょうが、茗荷、葱、貝割を細かく切って 氷水に20分晒す。
それから水を切って コンテナに入れて冷蔵庫保存。
これが 1週間持つと知った。
この薬味 おかずになる。

冷奴に。汁物に。そうめんに。トマトジュースに。ご飯に。トマトに。湯引きの肉や魚に…である。

これを食べ始めたら…少しずつ元気を取り戻せた。
やる気も出てきて 先日の煮物になった。

やっぱ こうでなくちゃ。
ようやく 努力なしに家事に取り組める所まできた。
ヤレヤレ。

利用者さん訪問日。
利用者さんから 枕のそば殻を探したいと月曜にお願いされていた。

この間 お店を見て回る事をしてなかったので若干の不安があったが…。
記憶を辿りながら 利用者さんと売り場を回った。
始めに行った所には無く 次の所で見つかった。ヤレヤレ 良かった。

次に細いゴムひも。これは、スーパーで見つけた。
更に洗濯物止めだ。
「百均」に行ってみると希望の品が見つかった。
いつもより広く歩いたせいで 時間内におさまってヤレヤレである。
利用者さんも 驚いていらした。

訪問を始めた頃は かなりスローペースでスーパーで買い物しただけでも一時間は直ぐに経過してしまっていたのに…。
足がかなり丈夫になったという事だろう。
利用者さんの頑張りの成果であろう。


2004年07月15日(木) 命を託する契約


 この2.3日 考えさせられる事が多い。

施設も病院も契約書を交わすけれど…この契約書って誰のために必要なものだろう…。命を託するものが契約不履行で訴えも起こす時があるだろうけれど…。実際のところ 情報の開示が曖昧で まして専門外の者にとって契約そのものを真に理解できているだろうか?

病人が執拗に聞いて行くと…「手術すれば治ります。悪い所を切り取ってしまうのですから…」という話になる。
術後「こんな調子が悪くて…ちょっと困った事が…どうしたらよいでしょう?」と聞いても「そんな筈はありません。治っています」とあしらわれてしまう事が多い。

術後は生活の質が落ちる。
患者は 何と良い方法が無いものかと考える。
医療のアフターフォローって 再発だけではなくて そういった生活の質の低下に対してのアドバイスが必須じゃないのかなぁ〜。

これは、病院だけでなく施設も同じだと思う。
入所してからのアフターフォローは ご家族の協力が必要ですと言うくらいの施設のほうが安心かなと思ったりする。

家族は 契約書なんか交さないで介護や看護をする。
もしも 母と私の間に契約書があったら 私は契約不履行で訴えられるかな?

冗談はさて置いて…

手術を受けた友人の電話を受けて 改めて考えさせられたのだった。

母の話。
「お母さん 元気だねぇ〜」と言う言葉をこの所頻繁に受ける。
「お蔭様で…」と返事している。
ある人が「入れ歯でも何でも 歯があるって事は活力の元だね。お母様 歯があるんでしょ」と言った。
「そうか 入れ歯の手入れ 早めの処置…大切なんだな」と思い知る。

ある人は「お母様 この間踊っていらして…その元気さにビックリした」と言われた。施設のみんなは この所気力を失っているように見える。
母の痴呆度は 他の入所者と比べても かなりのものなのだけれど…。
やっぱり 元気だ。
今日も家から施設に帰る道を駅まで歩いた。2キロ弱はあるが…普通の人とほぼ同じ速さで…。転倒が怖いから腕組みしてはいるけれど…。ほぼ自力歩行である。

忘れる事は天下逸品だけれど…。
見る力はあるし興味もある。
私のTシャツを見て 「友達の壁だぁ〜」と言った。
後ろの方のプリントを見て「そんなに いっぱい背負って 重たいねぇ」とも言った。
今日のTシャツは ユニクロのデザイナーTシャツと言う奴である。
前面は42人の人の顔がプリントされており 後にはその後ろ姿がやっぱり42人分プリントされているのである。

春先に買った物だけれど 今日初めて着用した。
母はそれを「下ろしたてだね」と言った。
自分の着る物すら定かでないのに…古い 新しいは判るのだ。

同じフロアの人が その話を聞いてから「面白いTシャツだね」と反応した。感じる力は 母のほうが早い。

施設を後にする時 同じフロアのご家族と駅までご一緒した。
少し遠い所から見えるその方は 今 元気の無いお母様を置いて帰るのがたまらなく辛い…と言われた。
「帰る時がねぇ〜」と。
その気持ちは 痛いほど判る。
良心の咎めと置いていく不安…。
母が脳出血を起こした時 いつもいつもその責めを感じていた。
父の病の時 故郷を後にしての車中での思い…。

「何か心配な事があったら 電話してください。出来る事はさせてもらうから…」と声をかけた。
私に出来る事は それくらいしかないのだ。









2004年07月14日(水) 暑いけれど…


昨日の暑さを思えば 今日の暑さなんて楽勝。
でも30度は越えているのに…。
やっぱり 風があって30度位じゃどうって事ないんだなぁ〜。

昔 暑いといっても35.6度日なんて数えるほどしかなかったように思う。温暖化現象なんだろうなぁ〜。
気象庁やマスコミは 異常気象なんていう表現するけれど…。
ほんとのところ モンスーン化しているのじゃないだろうかと思ったりする。

今日は 利用者さん訪問。
仕事は順調に片付いた。
活動報告書を記入している時 利用者さんから介護保険の申請について聞かれた。
「介護保険利用して リハビリを受けたいけれど…。高い保険料払っているんだし…。でも 役所まで出向く元気もないし、下手すると元気だから利用出来ませんよと言われそうで…」
こういう方って案外多いと思う。
利用者さんは 現在 病気療養中である。
訪問してみていても 掃除等はかなりの無理がある。

介護保険を利用できるように申請する事をお勧めした。
役所まで出向かなくとも 支援センターに電話すれば ケアマネさんの訪問を受けられて 申請して貰えると伝えた。
近くの支援センターが良いので 電話番号も伝えた。

どうも筋力が落ちて来ている様で不安だという事だった。
医療面から…と思うけれど 医師は病気の事はわかっても筋力低下の所は心配要らないと相手にしてくれないという事だった。
大きな病院なので 仕方ないのかなぁ〜。
利用者さん自身 病気との関連で何処までリハを受けたらよいか…と不安に思われていらした。
このあたりは ケアマネさんが考えて下さるだろうと思う。
近場の支援センターなら 充分 考慮してくれるだろうと思う。

今日は、煮物を食べたい気分。
昨日 こぶを途中まで煮てあった。それを更にトロトロ煮て甘辛く味を付けた。
それだけで 飽き足らず 切干大根も煮た。
これもトロトロ弱火で煮込んだ。
この所の暑さで キッチンで長い時間火を使う気になれなくて お浸しとか焼き魚、炒め物などで逃げていたのだった。

煮物をしている間 PCを開いたら フリーズしてしまった。
なかなか戻らなくて…ちょっと放棄したい気分になった。

それで 洗車してみようと思った。
でも日差しは強い。
夫が先日 畑用にとヴェトナム帽子を買ってきていた。
私がおばさんだからと言ってもヴェトナム帽子は ちと恥ずかしくてかぶる気になれなかった。
今日がそのチャンスと思いそれをかぶって洗車した。
でも 大きくてとっても邪魔だった。
掃除する時だってスリッパが邪魔くさくて脱いでしまうのだから…。

一仕事終えて PCに向かって見たら 何とか元に戻せてほっとした。

気が付けば 母の所に行くには遅い時間となってしまった。
明日は 朝からのリハビリなので 小半日は母と過ごす予定なので勘弁してもらう事にした。






2004年07月13日(火) 「梅雨明け」だそうだ


 しかし 今年の梅雨って…。
どうも 季節が前倒しになっているように感じる。
5月ごろ 雨が沢山降ったもの。
考えれば あれが梅雨だったような気がする。

専門家では ないから 根拠等ないけれど…そんな気がしてならない。

先週 ひぐらしの「カナカナカナカナ」と言う声を耳にした。
昨日は 「ミ〜ンミンミンミンミ〜ン」とミンミンゼミの声を聞いた。
アブラゼミは 未だ聞いてない。

家の庭では 毎年蝉が孵化している。
今年は どうだろうなぁ〜。

朝 ハーブを摘んでいると…。
1センチにも満たないショウリョウバッタがぴょんぴょんと跳ねていた。

花達に水遣りをすると鉢の底からヤモリが飛び出す。
いきなり水を被るので ビックリするのだろう。
毎日 水を被るのだから 住処を変えればいいのに…。
暑くなってくるとさすがに鉢の底に住み続ける事は出来ないだろうなぁ〜。

家でのんびり過ごしていたら 友人から電話があった。
「いたのぉ〜」と明るい声。「忙しかったら 何時でも切ってね」と。
きっと 居ないときに何回か電話下さったのだろう。
しばし 話し込んだ。
少し耳障りな話題なので 書く事は避けるけれど…。
共通の友人の話だった。
人って 常に変わっていくけれど…。自己中心的さが加速しているみたいだという。その人は最近「不幸な人と関ると自分まで不幸になるから…関らないようにする」と言い切った人である。

「幸せの尺度って 何だろうね」
人から「不幸ね」と思われても 本人は幸せかも知れないし…。
人から「幸せそう」と思われても 本人はそうじゃないかも知れないし…。

私は直接聞いていないので ほんとのところは判らない。
でも嘘をつく人ではないので…。
若し私に直接そういう話をしたら…「幸せの尺度ってなぁに?」と聞いてみようと思っている。

明日も暑そうだ。雨も降らないらしい…。グッスンである。
そろそろ 梅を干した方がいいかも知れない。
お天気のうちに…。夕立のないうちに…。






2004年07月12日(月) 気温が少し下がっただけだけれど…


 利用者さん訪問。
玄関でチャイムを押して「はぁ〜い」と言う可愛いお返事がなくて少しハラハラした。
程なくカシャと音がして「ご苦労様」の声を頂き ほっとした。

いろいろのお話を伺って 心の内側を想像した。
特にいやな事があった訳ではなくて…いろいろ考え出してちょっぴり暗くなったご様子だった。

キッチンには だし昆布がカットされて削り節と南瓜とインゲンが出ておりこれでお料理して欲しいと言われた。
まず 削り節でだしをとり昆布と南瓜を入れて炊き上げた。
次にインゲンを軽く茹で 半分は冷凍にして 後はだしを取り終えた削り節に水と醤油を少し入れて インゲンを煮た。
針生姜を作ってインゲンのおかか煮にのせた。

途中で「出来たぁ〜?」と様子伺いにキッチンまでいらした利用者さんだった。少し気持ちがほぐれたかな?

活動を終えて家に戻って昼食を摂り 母の所に出かけた。
母は、ソファーに座っていたけれど 私を見つけると少し笑顔で居室にやってきた。「学校終わったの?」「居ないのかと思った」とたて続けて聞いて顔が曇ってきた。
「外に行くよ。髪結いさんに行く?」と聞くと「お金がないと思うけれど…」と言い出した。「大丈夫よ」と言うと嬉しそうな顔に戻った。
でも考えれば通院だって今日のうちにしておかないとならない。

「ええい。動いてからだ。」と思い 先に通院した。
血圧は最近になく上々だった。
むくみの事もお話した。
診療所を出て時計を見ると夕食が限りなく近くなっていた。
いつもの美容院に行くと夕食に間に合わないので 近くの床屋さんに飛び込んだ。「髪を1センチくらい切ってください。洗髪は様子をみて…軽く流すくらいでいいですから」とお願いした。
初めて入ったお店で我儘なお願いをしてしまったが 快くやって貰えて助かった。

施設に戻って夕食に間に合った。

家に戻って 畑に向かって収穫。雨が降り出したけれど…たっぷりとは言えないので…水を撒いて収穫した。
それから夕食の支度。
涼しいと言えるほどじゃないけれど…先週の暑さを考えると動きがスピーディーになれたような気がする。



2004年07月11日(日) 投票行動

 投票率、選挙結果…が気になって久々に テレビに見入っている。
少し 動き出したようで…嬉しい。

でも、安心は出来ないし 安心はしていない。

投票後 少し遠くまでお買い物にでた。
お中元を頂き そのお返し…。
いろいろ 考えて…選んだ。

こんな思いって何処まで通じるか判らないし 喜んでいただけるかも判らない。でも選ぶ限りは…良く考えて…。

勿論 弟の所にも送った。
迷いは あるのだけれど…。戴いたらお返するのが当たり前と思うから。
立場上 貰いっぱなしでも良いようにも思えるけれど…。
それが出来ない。
これは 私の意地なのかも知れない。

久々に涼しい夜だ。




2004年07月10日(土) 何が悪かったかなぁ〜。

 昨日の日記に小袋と記したつもりが子袋になっていた。
ちゃんと直したつもりだったけれど…。甘いなぁ〜と反省。
 
利用者さん訪問。
一番に玄関のタイルの掃除を頼まれた。
今夏 我が家は未だやっていないが…レンガの目地をしっかり磨きワックスをかける。
利用者さん宅も同じようだった。
利用者さんは サッと流すだけでいいです。後は業者さんにお願いしますから…と言われた。
と言うのもとても私1人で短時間での処理は 大変という事で業者さんが入ることになっていた。所が業者さんが忙しくて直ぐに入れないので それまで少しずつ出来る事をすることになっていたのだ。
水を撒くとレンガタイルが水を撥ねた。かなり強くワックスがかかっているようだった。箒でちゃちゃっと流して終了した。

順番に掃除をしたが…始めの作業で予想以上に時間がかかった。
急ぎ 活動した。
庭先を見ると 風知草が水を欲しそうにぐったりしていた。
時間をオーバーしていた。

時間が迫ってきたので 避難(埃、カビ厳禁なのでお掃除中は別の部屋)していた利用者さんが出ていらした。
「朝 主人に水を撒いて貰ったのだけれど…漫然とした作業でね。ほら…。でも 主人にうるさくいえないでしょ」と言われた。

他人の私ですら気になったのだから 植物好きの利用者さんには 悲しいだろうなぁ〜と思い「私も気になっていました。お気持ち判ります。ちょこっとやって帰ります」と水撒きをスポットでやった。
父の看病に出かけると 決まって植物たちを枯らしてしまった事が何回もあるのでその気持ちが痛いほどわかる。

家に戻って昼食。
ここで失敗した。
と言うのも レンジでスパゲティーを茹でるという容器を使ってみたのだが…。うまく行かなかった。
仕上がったのは 「めっこご飯」ならぬ「めっこスパゲティー」だった。
冷製のトマトスパゲティーにしようと すでに準備していたのでおいしくないけれど食べる事にした。体調の優れない娘は 食べられる筈もなくて早々にギブアップしていた。
レンジでメンを茹でるってやっぱり無理があるのかな?それとも私のやり方が良くなかったかな?
時間?水の量?麺の量?何が悪かったのだろうなぁ〜

食後気持ちが萎えてしまったけれど…やっぱり母の事が気になって出かけた。落ち着いていて 私の姿も目に入らぬほどに塗り絵に熱中していた。
職員とも話していた。
サッと掃除をして 外に連れ出した。
いつもなら水分を摂らせるのにいろいろ工夫しなければならないのに…今日はグイグイと飲んでいた。ほんのちょっとの時間で一リットル近く飲んでいた。さすがに飲み終えて「お腹がグルグル動いている」と言っていた。

この所 母のフロアの人たちは横になっている事が多い。
体調も良くないのだろうけれど…。
七夕の短冊に「今年は良い年だから 早く天国に行きたい」というのがあった。胸がキュンとしてしまう。
みんなが希望を持って過ごせるようにならないものだろうか?
私も今は 母のことで目一杯で…定期的に何かをして差し上げる事は出来なくて…ちょっぴり辛い。


2004年07月09日(金) 涼しかったぁ〜


 午前中の内から30度を越えた。
「よし 今日は冷房を付けないぞ」
何もしなくとも汗が滲む。あまりに悔しいので拭き掃除にチャレンジ。
床、畳順繰りと拭いて見た。
窓を開けて置いたので雑巾が直ぐ黒くなった。悔しいから更に拭いた。
汗はもう止まらなくて…ポタポタと床に落ちていく。
そんな事をしていたら…暑さが苦ではなくなった。
むしろ ちょっとした時に吹く風の何と涼しい事。

昼食を摂って 利用者さん訪問。
利用者さんは 今日もお買い物希望。
どうやら 夏季伺いの品を送られるようだった。
「昔は お中元なんて…と思ったけれど。この年になると嬉しいのよね」と言われた。
元気だよと言う知らせを届ける意味もあるようだった。
「あまり相手に負担にならないような額で…貰っても困らないもの」という希望で 結局 子袋の佃煮に決まった。

そういえば…。
母が病になるスレスレの頃 同じように一人暮らしの方に送ろうとあれこれ考えていたっけ。その時も子袋の佃煮だったなぁ〜。
どうなんだろう?
戴くと食べるのかなぁ〜。

我が家は佃煮はあまり食べなくて…子袋でも使い切るのにかなりの時間がかかるのだが…。1人暮らしだとやっぱりいいのかなぁ〜。

利用者さんは 一仕事片付いてホッとなさって居られた。

こういう暑さだと外出も出来る限り日陰のコースを選ぶようになる。
今日は 風もあり日陰だと少し涼しい。

さて 家に戻ると後輩から便りが届いていた。
便りには「あつい。あつい。あつい。」と沢山書いてあり 彼女らしいなぁ〜と思った。
でも 便りを読んで「8時までは冷房を入れない」と決めた。
まず 草木に水遣りをして。
窓を全開して洗濯物を取り入れてたたみ 夕食の支度をして 夕刊を読んで
1人で夕食を摂った。

洗濯物をたたんでいる時の涼風…気持ちよかった。あの時だって30度を切っては居ない筈だ。
家の中での作業を終えて外に出てみた。
外の方がずっと涼しい。

8時過ぎに窓を閉め 雨戸を閉めて冷房を入れた。
家の中もモヤモヤしてるけれど 外はどうかなと思って出てみたら…。
もう外の方が暑く感じられた。

暑さなんてそんなものなのだろうなぁ〜。
さっきまで 外の方が涼しかったのになぁ〜。

一概に言い切れないけれど…。これは、きっと介護にも言えるかも知れないなぁ〜。


 


2004年07月08日(木) 考えれば…


 夏は 暑いのだ。
幼い頃 冷房なんて物は無かった。
扇風機だって 無い時期も有った。
勿論 冷蔵庫だってない。
そういう時代をすごして来た筈なのに…。

じゃ、どうやって夏をやり過ごして来たのだろう…。
蚊帳を吊って窓を明け払っていたような気がする。
暑い日は ところてんや冷たい豆腐(水で冷やしていたなぁ〜)
トマトだって冷たい時も有ったけれど…ほわ〜っとあったかい時だって有った。氷屋さんに走って大きな氷を買ってきて冷たいソーメンを食べてみたり冷たいお茶を飲んだり…。スイカを半分に切って中をくりぬき氷をいれて食べたような気がする。
風鈴だって鳴らない風のない暑い日だってあった。
そんな時は 幾度もお風呂に入ったような気がする。
風呂から上がれば涼しくなった。
お昼は 水風呂にだってキャッキャッと騒いで入ったような気がする。
水風呂は その時だけ涼しいけれど 直ぐに暑くなった。
熱めの風呂に入って上がった方が涼しかったような気がする。

暑くて疲れて ぐっすり寝てしまったような…。
でも寝付くまでお布団の上をゴロゴロしてせめても布団が暖まらないようにしていたような…気がする。
そうだ。団扇片手に寝ていたかも…。
時に親が扇いでくれた様な気もする。

冷蔵庫、扇風機、冷房…と涼しく過ごせる物が家の中に入ってきたけれど…。それだって 今ほどの力はなくて…。アイスクリームの溶ける冷蔵庫だったし 冷房だってそんなに効いていなかった。
気が付くと窓を開けたほうが涼しい風が入ってくる事だってあった。

ふ〜む。考えて見れば贅沢な生活になってしまったんだなぁ〜。
それでも「あ〜っつ〜っい〜っ」なんて騒ぐのは我儘かもしれない。
でも 暑い。
今日も流れる汗を体験。

施設の入所者は この所グッタリしているように見える。
腹は痛いけれど 元気なのは母だけのような…気さえする。
今日もリハが済んでから 外に出た。
施設内は冷房が効いていたので 外の暑さにギョッとした母だった。
「夏だもの」とやせ我慢的発言をすると「そうだね」と直ぐ同意した母が可愛かった。
バスに乗って逆方向へ。
「尿取りパット」を購入。
家に向かう前に お店に逃げ込んで昼食にした。
おそらく外の気温は36.7度はあったと思う。
水を沢山とって…食事も残す事なく食べた。
それから バスを乗り継いで家に向かった。
こんな暑い日に美容院まで歩くのは良くないと思ったからだ。

家では入浴した。
ぬるめのお湯にご機嫌の母だった。
おそらく 頭が汗臭くなかったので 昨日あたり入浴しているだろう。
それでも この暑さなので 洗髪やら身体を洗った。
やはり かなり汚れていた。

お昼を沢山摂ったので おやつには気が向かなかった。
それに少しお腹も痛そうだった。
トイレで踏ん張ってもらったけれど…別荘は冷房が入って居ないので長居ができなくて…ちょこっとで終了した。
具合悪そうな気配が漂い「困ったなぁ〜」と思った時 ひらめいた。

冷蔵庫からなすの漬物を取り出して熱いお茶を出してみた。
たった一本だけだけれど水ナスを植えている。
この所数本程 収穫出来たので漬けておいたのだった。
これが 母に元気を与えた。
「おいしいよ」とニッコリ。
お茶もしっかり飲めて…。朝見た時、リハの時は 浮腫みがあったけれど…。帰る頃にはむくみも大分引いていた。
歩く事 水分摂取 そしてなすの漬物…で元気を取り戻せたようである。

相変わらずの暑さだったけれど…。
汗を流す度に 暑さに慣れて来たような気がする。
でもでも 涼風…が欲しいなぁ〜。



2004年07月07日(水) 暑さになんて負けないぞう…


 病み上がりで体調不良の娘なのに 帰宅は今朝の5時近く。
ちょこっと眠って 何も食べずに会社に出かけた。
「休めないの?」と聞くと「会議だから…」と。
仕事だからなぁ〜。
以前の職場より勤務はずっと楽になっているけれど…。
こういう事が 時折ある。

仕事と言えば…先日 先生を生業としている義妹からの電話で帰宅が10時11時になるって言っていたなぁ〜。
昔は 受験時期とか卒業前とかならそんな事もあったけれど…。
教師という仕事も変わりつつあるのかな?
子供が学校と言う所と縁が無くなって久しいので 良くわかんないけれど…。

 さて 今朝は 暑さに負けまいと 訪問前に紫蘇ジュースを作った。
すっかり気を良くして利用者さん訪問。
1時間の活動予定だったけれど あれこれと有って30分延長となった。
例によって 頭から水を浴びたようにぐっしょりとなった。
いや、利用者さん宅に着くまでにすでに汗だくだった。
それから更に…である。
ここまで汗が出ると気持ちよいくらいだ。負け惜しみではない。
スキッとなって帰宅。
家で一休みして 母の所に行くつもりだったが…。
「今日のようなお天気には 熱中症に十分気をつけてください」とラジオからの声が聞こえたらヘナヘナとなってしまった。

それからと言うもの 家の中のアチコチをちょこっと拭いては休息の繰り返し。夕食の支度を済ませて 庭の花たちに水遣りをして…。
日の暮れる頃に畑に出向いて 草取りやら水遣りやら…。
気が付けば もう手元も見えなくなりそうな闇に包まれてしまった。
草取りを始めるときりが付かなくなってしまう。
そして また 汗びっしょり。。。

1人遅い夕食を済ませて 故郷の友人に電話をした。
ちょっと気になる事があったからだ。
でも 心配な事もなくてほっとした。
「今 庭はどうなっているかな?と思っていた」と友人は言った。
昨年 庭をみて行ったから…。
「ミント、レモンバーム、パイナップルミント、バジル、ローズマリー・・・がハーブかな?青紫蘇もあるよ。他にラズベリー、ワイルドストロベリー、ブルーベリーが実かな?ぶどうは今 はっぱに虫が付いて…駆除中」と言ったら「ハーブに虫は付かない?消毒は?」と聞かれた。
「虫は付くけれど…順次取り除き洗ってしまう。消毒は何も使ってない。でもぶどうだけは消毒しちゃった」と答えた。
すると友人は 「今年隣家のアメシロが酷くて この間消毒したらこっちにアメシロが移動してきてハーブに付いてしまったぁ〜」と泣き言。

実家が農家の彼女の方が 育てるのはうまい筈なのになぁ〜。
たまたま うまく育っただけで…特別の努力もしてないので あまり自慢は出来ない。
若し「アメシロ」が家の庭に出たら…即消毒だ。勿論椿等に付きやすいチャドクガ」も即消毒だ。
こればかりは 手で退治なんて無理だから…。

と言う訳で母のところには行ってない。
明日はリハビリの日だ。
明日はリハ終了後 何をしようかなぁ〜。暑いと散歩も無理だしなぁ〜。
そろそろ美容院に連れて行かないとなぁ〜。

 


2004年07月06日(火) 家族の会


 今日は自主グループ「家族の会」の集まりの日だった。
数日前に 精神病院の痴呆を受け持たれているケースワーカーさんが「見学させてください」と電話を下さった。
ここ2ヶ月 会場管理の人の手違い またそれぞれの用があって参加者が少なくて心細かった。
でも みんなこの会を楽しみにしていらっしゃる事も判っていたのだが…。

「今日 何人来られるだろうなぁ〜」と思いながら庭のハーブを摘んだ。
「今日はハーブティーで気持ちが休まればいいなぁ〜」と思いつつ…。

出かけてみると もう先に来ている人がいた。
間もなくすると他の方もポツポツと見えた。
お元気な姿に出会うとほっとした。
みんなも同じようでニコニコ笑顔となった。
もう これだけでもかなり良い効果が生まれている筈である。

お湯を沸かしてもらい ハーブティーを入れて戴く。
みんな生のハーブ?とビックリなさる。
紅茶とミントとレモンバームとレモングラスを急須にいれてちょこっと置けば おいしいハーブティーとなる。
湯飲みが個々に運ばれるとミントとレモンハーブの香りが立つ。
お砂糖なしでも十分楽しめる。

ケースワーカーさんもお見えになった。新しい方も二人加わった。
そこに保健所の保健婦さんも来て下さった。これは予告なし。
市役所でも保健所でも支援センターでも みんなこの場所でやっている事は判っているので飛び入り自由である。
ただ こちらの会は家族が主流なので…あまり大勢の専門家の参加は避けている。専門の人とのお話は 別の会があるのだ。

この会は みんなの会である。
会の登録をするために責任者がいるけれど…会はみんなが主役である。
介護の最初は 右往左往するけれど 介護が長くなるに連れてそれぞれの体験を元に話せるようになってくる。
個々の工夫も聞かせて貰える。
勿論情報も…。
 
今日はネット仲間の「痴呆の人の入院にヘルパーの付き添いを認めて欲しい」というメールが入っていたので 具体例を挙げてもらうつもりだったけれど…。
もう 介護の話で目一杯の会となってしまった。
進行するにするに従い 排泄と食事の事が重要となってくる。
夜間のトイレ体制 ポータブルが理解できなくなりつつある等深刻な悩みが聞かれた。対処方法などもそれぞれの経験を聞かせて貰った。
食事も嚥下困難というよりも 手の動きの問題 物が認識できずに吐き出してしまう問題 歯が無いけれど何とか租借させたい等々。
入浴や辱の事等も話題になった。
目一杯話して デイの送迎に間に合わなくなるから…と帰る方もいた。

会を終えて ケースワーカーさんや保健士さんに感想を伺った。
精神病院でもこういう家族会をやっているけれど ここまで家族が話す事はないと言って驚かれていた。
「やはり 家族だけの方が話しやすいのでしょうね」と言われていた。
精神病院から地域に戻ってからの家族の生活を案じられて居られて…この会を皆さんに紹介しますから…と言われた。

ケースワーカーさんの所属する精神病院は 前向きで家族のケアも考慮なさる所である。

以前にも触れた事があるかも知れないのだけれど…。
普通家族の会と言うと介護のイライラを目一杯話す会になる事が多いのだが…。家の会はそういう話が少なくて 工夫や情報交換。体験談が多い。
イライラを話して重荷を下ろす事もとても大切な事なのだが…。
人の体験に耳を傾けているうちに「自分よりもっと大変な人がいて…前向きにしていらっしゃる」と気が付いて心落ち着く人が多いのに驚く。
介護の先の不安が消える訳ではないけれど「何とかなるかも知れない」と感じられるようである。
誰が仕向けている訳ではないけれど…そんな会になっている。

今日は差し入れが多くて…おいしかったぁ〜。
差し入れは無い日だってあり それはそれで気にならないのだけれど…。

会が終わり みんなそれぞれの家に戻った。次の会まで…暫く辛抱の日となる筈。


2004年07月05日(月) あせ アセ 汗…


 利用者さん 訪問。
行くまでに汗びっしょり。気温はそう高くないのに…湿った風が吹くからだ。
チャイムを押すと「はぁ〜い」と弾んだ声が聞こえた。
「今日は きっと楽しいお話だな」と感じた。
ドアを開けると直ぐに「金曜日はごめんなさいね」と早速金曜日の出来事のお話をしてくださった。
利用者さんの妹さんや甥っ子さんご夫婦がお見えになったそうで ご馳走を作ってお家でゆっくりなさったそうである。
昔話や今のお話に花が咲いて とても賑やかだったという事だった。

お話は甥っ子さんの生い立ちにも触れて…お話が長くなりそうだったので取り敢えず洗濯機のスイッチを入れさせて貰った。
「座ってください」と言われ暫くお話を聞かせてもらった。
動かないとお話が途切れそうにも無かったのでチラッと時計に目をやったら「今日はお買い物をしたい」という事だった。
キッチンに目を移すとなにやら材料が出ていた。
煮物をひとつ…そのためにお買い物も必要と言われた。
キッチンには 他にチキンカツレツが有った。
「朝 作ったのですよ」と言われた。他にも野菜スープが有った。
野菜スープは 以前 「つかれたお野菜はベーコンの切れ端を加えて野菜スープにすればいいですよ」とのアドバイスを思い出して作られたと言われた。すごい。しっかり覚えていらっしゃるんだなぁ〜。

それにしても…嬉しい出来事があると ここまで気持ちに張りが生まれるんだなぁ〜。人の気力ってとても不思議だ。

買い物に出かける足取りも軽く 食べようとする意欲もすごい。

利用者さん 減量に成功しており 食事の大切さを痛感なさって居られるのである。甘いものや間食を極力避けて 食事もお野菜を中心になさっている。うまく行くと 全てが良い方に動き出すから不思議だ。

外はやっぱり暑くて…スーパーの冷房がありがたく感じた。

買い物を済ませて 煮物を鍋にかけてから 洗濯物を干し掃除機をかけた。
やっぱり 汗が出た。

煮物が仕上がった所で 時間となり帰宅。

家には 体調を崩した娘がいる。
昼食をとり 通院する娘の車に便乗して母のところへ。
これだけは 汗が出なくて助かった。

母は、パジャマのズボンを着用していた。
午前中 熱っぽかったので横になって貰ったと言っていた。
でも母は 私の顔を見るなり「外に行くの?」と言った。
外に出たいのだと直ぐわかった。
着替えて 持っていた紅茶を飲んで貰い外に出た。
「元気?」と聞くと「元気」と言う返事。
バスに乗って移動。
おいしいコーヒー豆屋があると聞いていたので そこまで出かけた。
アイスコーヒーを飲む。
母は、汗が一杯出ているせいだろう…お水もがぶがぶ飲んだ。
少し近所を歩いて…またバスに乗って施設に戻った。

施設に近くなると 不安な表情になっていくのを感じた。
トイレでもそうだったけれど…下の始末をしていると「有難う…」とか細い声でお礼を言った。排泄の不安があるのだなぁ〜と感じたがどうする事も出来ない。せめて居る時だけは しっかり手当てしてあげよう。

居室に入った途端 窓から外を眺めて「おかあちゃ〜ん。行かないでぇ〜」と言う。振り返って私がいるのがわかると「何だ。何処にも行ってないんだね」とニコニコした。
少し可哀想になり 身体を清拭し汗を拭いた。その後洗面台で洗髪した。
少しのおやつと残ってる紅茶を飲んでもらい歯磨きをした。
そして編み物を渡すと 母は鎖編みをはじめた。
湿度が高く 気分が悪くなりそうだったのでエアコンを入れてあげた。
気持ちも落ち着いたようなのでそっと施設を後にした。

外に出ると やっぱり暑くて汗が じわじわと滲んできた。
明日は 更に湿度も気温も高いって…。ぎゃ〜梅雨は何処に行っちゃったの?


 


2004年07月04日(日) なすの味噌汁


先日 義姉がぶどうにかける袋を送ってくれた。
家のぶどうをみて「未だ袋をかけてないなぁ〜」と思ったのだろう。
義姉の実家はぶどう農家で それを送ってくれたのだ。

お礼の電話を入れた時「これまでは忙しい時だけ手伝っていたけれど 仕事辞めて本格的に手伝う事にした。仕事辞めて手伝って欲しいなんて言われて無いけれど…。もう 無理だわ」と話していた。

そんな話を思い出しながら 今日はぶどうに袋かけをした。
脚立をかけたほうが楽なのに 面倒がって立ったまま 背伸びして腕を伸ばしてかけていたら 足がガクガクとしてきた。
首も痛くなった。
家のぶどう棚なんて小さいけれど 義姉の実家は ぶどうのみの農家である。疲れなんてこんな物でないだろう。ぶどう棚は傾斜になっているところが多いので それもきっと大変だ。

家のは手抜きできるけれど 義姉の実家はそうも行かないだろう。

我が家は 実ったぶどうを戴き 仕込んだワインを戴くだけだ。
時折作業する度に 義姉達の苦労を思う。

今年もぶどうに虫が付いた。
昨年もそうで はっぱにかなりの穴が開いた。
虫はあまり得意ではないので 今年は 広がらないうちにスプレイ薬を噴射した。ほんとは消毒は嫌だけれど かといって一匹一匹駆除する勇気も無い。
ついでに花の終わった紫陽花なども処理した。

今 万両の花が咲いている。
地味だけれど 良くみると白くて可愛い。
万両や山椒等は 放って置いてもあちこちに芽を出し 直ぐ大きくなってしまう。だから可哀想だけれど早めに抜いておく。
でも抜き忘れて 花を咲かせてしまうと抜くのが可哀想になってしまう。
今日は そういう万両を見つけて…そのうち鉢にでも移そうと其の儘にしてしまった。

買い物に出ないで夕食を作ったら 野菜は殆ど 畑で取れたものばかりになっていた。きゅうりを使って「バンバンジイ風」「なすとインゲンの味噌汁」「空芯菜の炒め物」後は冷奴とカサゴの干物。等々。
なすが嫌いな娘が 少しずつ変わってきた。揚げなすから始まりイタリアン風、漬物まで食べられるようになって来ていた。
今年は「なすの味噌汁」が 大丈夫となった。
突然に「汁の実のなすっておいしいねぇ〜」って言ったのだ。
だから 今年は なすの味噌汁の回数がグッと増えた。
薬味に茗荷を使いたいけれど…これは未だ無理みたい。
そのうちきっと好きになるでしょう。
私も茗荷嫌いだったけれど 今では大好きだから…。

何もしない娘だけれど…今日の昼 珍しくそうめんを茹でてくれた。
おいしかった。いつも そう願いたい所… … … …。


2004年07月03日(土) 思い出して貰いました


 朝 利用者さん訪問。
今日は一時間で切り上げさせて貰った。
たった一時間なのに…からりとしたお天気なのに…頭から汗が滝のように流れて めがねまで濡れた。勿論目にも汗が入った。
不思議と言うか 汗は頭だけ…。

家に戻って 急いで施設に電話した。
確認したい事があった。
それは「梅干作りをみんなでやっても良いか?」という事である。

先日の小梅の梅酢が上がっており 半分は紫蘇を入れてあるが それは家用である。後半分は小梅が欲しいと言っていた友人に送ろうと思っていたのだが…。友人は今年 半端なく大量に漬けたらしくて…今年は要らないという事だった。
家でも昨日 大きな梅を漬けたし…。

それなら 施設のみんなと紫蘇を入れる工程を体験して貰ったら良いかなと思ったのだった。
自分たちで漬けた梅を食べるのも良いんじゃないかな?と思った。
おそらく 暫く梅干なんて作って居ないと思うし 思い出だして貰えれば ひとつは目的達成だもの…。

ただ 持って行って「駄目です」と言われたら思い荷物をまた持ち帰らなければならない。だから先に電話で確認なのだ。
それとやる気のある時に動かないと 私の気力も萎えてしまいそうで…。
言ってしまえば動くしかないのだから…。

幸い職員からOKを戴けた。
お昼を食べて家を出た。
梅はあるけれど紫蘇は無いし 塩は昨日梅を漬けるのに全部使ってしまったので 途中買い物に寄った。
が…昨日まで有った「赤紫蘇」が無い。お店の人に聞くと「もう終わりです」と言う。
慌てて次の店へ…。
が…そこにも無かった。
消える時は一斉になんて…。もう「行く」と言ってしまったしなぁ〜。
思いつきで動くとこういう事になるんだなぁ〜と反省した時思い出した。
昨日自然食品屋さんに萎れ掛けたのが山積みだったと。
急ぎ3軒目に走った。
元気が無いけれど…ありました。勿論塩も忘れずに買った。
「やったぁ〜」と買い求めてバスに乗り込んだ。

施設では みんなで紫蘇の葉を一枚ずつ取った。
それを母と二人で洗った。
乾くまでの時間が惜しいので タオルで水分を吸い取って貰った。
時間が空いてしまうと集中力も消えてしまいそうという事もあったのだが…。
乾いた順に ボールに塩を入れてみんなに揉んで絞って貰った。
それから更に塩を加えてみんなに揉んで貰い 梅酢を入れた。

職員も手伝ってくれた。
「この梅はもう食べられるか?」と言うので「食べられるよ」とみんなの口に一個づつ入れた。ホール内は梅の香りと紫蘇の香りが広がった。

作業をしながらワイワイとおしゃべり…。
紫蘇だってちゃんと一枚ずつ取れる人もいれば 母みたいにできない人もいる。でも紫蘇に触れて作業している気分になっていた。

絞った紫蘇と赤い梅酢を梅漬けの容器に移して無事終了。
傷んだ紫蘇の葉も有り外したので ちょっと薄めだが…ピンク色には染まるだろう。

作業が終えた後 少しストレッチ体操をした。みんなでするつもりも無かったのだけれど…やっているうちにみんな動き出して…職員も補助に回ってくれた。

母の足に多少の浮腫みが見られたので お散歩に出た。
今日の母は 他の人と一緒でも怒る事は無く むしろ「ご苦労さん」と言った風だった。お腹に痛みがないせいだと感じた。
外で飲み物を摂って 小一時間で施設に戻った。
疲れた様子だったので横になってもらい 私は施設を後にした。

それから 畑に行き草取り。収穫。
紫蘇を揉んだり 草取りしたりで…手の爪が汚い。
洗っても洗っても 綺麗にならない…。仕方ないねぇ〜。


2004年07月02日(金) 直るかなぁ〜


 人の家のお掃除をしてばかり… 我が家を見れば「あ〜大変」
という事でお掃除開始。
寝室のブラインドや棚の埃を掃除機で吸い込み 拭き掃除…。
ついでに書棚の要らない書類の整理。

母の手紙が出てきた。まとめて置いた筈なのに 切手の所に混じっていた。
私と夫の誕生日にそれぞれ送って着た 平成3年の手紙だった。
プレゼントも品物ではなくて「商品券」「ビール券」
「遅くなり間に合わなくなるので金券にしました。ごめんなさい」と書いてあった。
母らしい 丁寧な文字だった。
でも 何故かひらがなが多かった。
おそらく少しずつ病が始まっていた頃だろう。
何処と無く母らしくないなと感じ始めていた頃である。まだ 痴呆の診断はしていない。

新聞の切り抜きもあった。
これは平成7年だった。上中下の3回にわたる記事。痴呆介護の体験が書かれていた。
読みながら少しうるうるとした。
あの頃に考えられていた痴呆と今捉える痴呆とは 随分様子が違っているなぁ〜と感じた。
この頃は 母の痴呆が判りどう対処して行こうか…と考えていた頃でデイにも勿論行ってなくて…。食べた物を書き出す日記を付けて貰ったり 家の仕事を一部母に任せていた頃でもある。

もうひとつの切り抜きは 利用者さんが載っていた物だった。
団地で暮らすお年寄り…日中1人という実態を書いたものである。
これは 日にちが定かでないが…似たような時期の筈である。
利用者さんは 99歳で5年前に亡くなっている。
その時に戴いたレインリリーが 今 家の庭に咲いている。
お花が咲くと利用者さんからパワーを戴いた日々が懐かしく思い出される。
昼にふと思い立ってご「家族にメールでも出そうかな?」とパソコンの前に座った。転居して居られるのでメールアドレスが変わったかも知れない…と思い下書き保存にした。
電話もおかしいので はがきでも書いてアドレス確認してから出そうと思う。

お掃除が夕方遅くにようやく終わった。
昨日 腕時計を修理に出した。電池を換えたばかりなのに止まってしまったのだった。携帯を持たないので 腕時計の無い生活は 不便である。
「そういえば 貰った時計があったなぁ〜」と出してみた。
ひとつは自動巻きの時計だった。
電池を入れる手間が省けると自動巻きを取り出した。
でも どうにも時計のバンドがいかめしい。
「いつも修理だけ出して悪いなぁ〜」と思い 買い物がてら出かけてバンドを替えて貰った。
他で買えばもっと安いけれど…。
正直に「修理代500円」と言う時計屋さんだもの…お礼を込めて買わせて貰った。
「時計はどうでしょうね」と聞くと「動き出したけどまた止まった。数日預かって様子を見ましょう」と言われた。
何年か前「これは もう部品が無いんだよ」と言われているので…覚悟している。でもおじさんの手で直して欲しい…。
これまで2度直してくれたのだもの…3度目の正直…。

先日夫が言っていた。「駅前に時計好き・修理好きのお店があるんだってな」そうなんだ やっぱり評判なんだなあのお店…。
古びた時計屋さんだけど…やっぱり腕が無くちゃねっ。




2004年07月01日(木) 家族の我儘な思い?


リハに立ち会うために施設に向かった。
10時少し前で食事中の人もいた。
母は 食べ終えた食器を重ねてテーブルに突っ伏していた。
職員が話しかけると不機嫌そうな表情をした。
後ろから頭をつんつんと突っついてみた。
すると職員の顔を見ながら「頭をつつく人がいる」とこれまた不機嫌な表情だった。そうっと顔を覘くと笑顔で「なぁ〜んだ」と笑顔になった。
職員は「わぁ〜判るんですねぇ〜良い笑顔」と言われた。
朝から不機嫌だったのかな?とふと気になった。

トイレに誘導すると他人行儀な話し方。
何となく切り替えが出来てないんだなと感じた。
顔を見て話しかけると笑顔になるのだが…。

療法士さんは 時間通りに見えた。
今日は 静かにリハを受けていた。途中眠ったりも…。
むくみも有ったが 先週ほどでなくリハを受けている間にむくみも薄れて行った。「今日は良いですね」と言われてほっとした。
1対1という事もあるだろうが こんな風に療法士さんとは母の事についてひとつひとつ話が出来る。
でも 職員とは 少し違うような気がする。

1人を見ているわけでないから…と言うのは判るけれど…1人をどれ程意識して見て貰っているだろうか…と思ったりもするのである。
そう望んでは いけないのだろうか?

リハを終えてから 排便があった。
緩めのような感じだったので職員に報告。
「この所毎日出ています」と言われた。
ヤクルト・人参ジュースが効いている様である。
でも 緩めだとそれはそれで心配なのだ。きっと排便前は お腹がゴロゴロ
として不快だろうと思う。
結構 神経質な母なので…言葉にしない分可哀想になってしまう。
元気な頃 そして病になってからと お腹の調子には本当に振り回された。
嫌になるくらいだったのだ。
その場面が焼きついているから 言葉に出来なくとも表情を見ていると判ってしまうのだ。
あれだけ振り回されて嫌だったけれど こうなってしまうと不憫に思ってしまう。
これは 家族の我儘な思いかなぁ〜。
 
家にいれば 状況を見て対応するけれど…。
あまり面倒な依頼も出来ない。
かといって毎日面会と言うのもちと辛いしなぁ〜。
やっぱ 家族の我儘な思いなんだろうなぁ〜。

リハを受けている間 タオルやTシャツを洗濯。
リハを終えて眠っている間は 洗面所 トイレ 床などを掃除する。
掃除機を使いたいところだけれど…トイレ掃除の洗剤も使いたい所だけれど…この所 ひたすら拭くだけにしている。
母は 他の人と違いベットは使っていない。
せめても埃だけは払って置きたいのだ。

11時少し回ったころに昼食がセットされた。
もうお昼なのだ…。
今日は 他に用もあるので一時間半ほどの超短い面会で切り上げた。


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