母のタイムスリップ日記
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2004年06月30日(水) お元気で良いですねぇ〜


 今朝 TBSラジオの大沢悠里のゆうゆうワイドのゲストが鎌田實氏だった。
うんうんと頷いたのは…
「これまでの医療は 救急医療と高度医療を追い続けてふれあい医療を失ってしまった」と言う所である。
勿論先端医療も延命医療も大切である。
でも 患者が「ふれあい医療」を望んでも選択できなくて「高度医療や延命医療」に引き込まれてしまう様では困る。
患者が選択できる医療環境が出来れば良いなぁ〜と切実に思った。

私の住む町でも 往診はあるけれど夜間・休日の緊急の対応は無理がある。
病院だと対応してくださる所もあるのだが…。
いろいろ問題もある…。
個人医院頼みとなるが…これが実に少ない。夜間・休日の充実…かぁ〜。

利用者さん訪問。
今日は希望に沿って活動開始。
カーテンに掃除機をかけ出したころ 事業所の方が二人で見えた。
初回の訪問は1人だった。それで状況報告して何から手を付ければ良いか…とお話したので来て下さったのだ。
様子を見て やはり一度業者さんに入って頂いた方が良いだろうという事になった。
別に汚いから…という理由ではない。
訪問時間内で1人で取り組むにはかなりの時間を要してしまう。
埃・カビ厳禁の病なので 急ぎ…業者利用という事である。

とりあえず 今日できる事に取り組んだ。
しかし 思ったほどに仕事が進まない。
一時間と予定したけれど たっぷり2時間半掃除となった。
今日は 私の時間が空いている事。 加えて 金曜日の利用者さんが用が出来てお出かけなので訪問休止となり 金曜が少し楽できそうなので…踏ん張る事にしたのだった。

今日の利用者さんは 痴呆ではない。
でも 少し動かれただけで息が上がってしまい横になられる。
そういう病だから 仕方ないのだ。
掃除している部屋は埃やカビが舞ってしまうので…席を外して戴く。
作業しながら 友人の事を思った。
「ゴロゴロする日々」と自重めいたファクシミリが続いている。
近くにいたら…この程度の事なら手伝えるのに…と。

近所のチームワーク…。
いろいろ難しい事も在るだろうけれど…せめて出来るもの同士だけで立ち上げる事が良さそう。
見ているとご近所さんでも60を越えると自分の家で目一杯と言う方が増える。でも…そこを打破しないと…。
ちょこっとの協力でかなり安心が生まれるのになぁ〜。

今日も言われた「お元気で良いですねぇ〜。何でも出来て…」
高齢の人に言われれば「はい。ちょっと若いですから…」と言えるけれど。

マッいいかぁ〜。
「元気だから動ける。動けるから元気」という事に感謝しようっと。



2004年06月29日(火) 生きているんだもん…

 
 午前中に 滑り込むように母の所に行く。
母は穏やかだが何をするでもなくテーブルに向かって座っていた。
洗濯物を片付けて職員に外出と昼食不要を伝えて外に出た。

「暑いしなぁ〜。温泉までは無理だから 健康ランドにでも行ってみようかな」と思った。
丁度 排便もあったと言うし…。
時間もたっぷり有るので ちょっと遠くの方へ寄り道してみようと思った。
家とは反対の方に向かうバスに乗った。
生憎 二つ揃って空いている席は無かったので母の傍に立つ事にした。
慣れないコースなので若し途中で立ち上がったら大変だから…。

バスを降りると母はキョロキョロとした。
何回か来ているのだけれど…もう記憶には無いだろうし…。
「どっちに行けば良いのか 判らない…」と母は言った。
「始めてくる所?」「うん」
「迷子にならないでね」「うん」
まずは 混みだす前にお腹に詰めなきゃね。
母は肉が大好きだし…と焼肉屋さんの門をくぐった。
注文するのに考え込んでしまった。
いつも行くお店と勝手が違い サラダとかスープとか単品が無いのである。
セットメニューだとサラダやスープが付くのに…。
まさか 出る訳にも行かずセットメニューとお肉を一品足して注文。
母は好物なので 半分以上を食べた。
お店を出て「何食べたの?」と聞くと「お肉。おいしかったぁ〜」と。

トイレに連れて行くと…。大が…。
下痢ではないけれど いきまなくとも出てくるタイプだった。
こりゃ お風呂は無理だわ。

と言う訳で お店を見て回る事にした。
フランフランに寄ると「きれい。可愛いい」と言う。
ガラス製品もあるので 気をつけながら店内を見て回った。
コースターなのだろう。
透明の強化ビニールの中に ハート型やアヒル等を型どった薄いプラスチックと少しの液体が入っていて 押したり動かしたりするとゆったりと動く物だった。色もきれいで母は見入っていた。
これならちょっとした退屈しのぎになりそう…と思って買い求めた。
コースターとしてではなく玩具として。

それから 洋服屋さん 靴屋さん等をゆっくり見て周った。
そしてスーパーへ入った。
野菜類が不足していると感じたから 野菜サラダ、カットフルーツを買った。お店の前にはテーブルと椅子があり そこに座っておやつ代わりに戴いた。勿論 暑いので水分もしっかり摂った。
それから 花と熱帯魚のお店に入った。

熱帯魚も色とりどりで…水族館気分。
母も興味を示して「大きいね」「「並んで泳いでいる」とはしゃいでいた。
以前来た時には ここまで興味を示さなかった。
「次に何が起きるか」「何処へ行くのか」と不安が先立っていたように思う。私は私で「折角連れてきたのに…」という思いで一杯になって居たような気がする。
今日は 二人とも良い感じ。

お店を出る前に再度トイレタイム。
やっぱり…だった。
今日は パットを数枚持ってきており濡れタオルも持参していたので替えの心配をしないで済んだ。
しかし…緩めなので替えるのには技術を要した。
この間までは 便秘だったのに…。
排泄の心配は 生きていればこそだ。
生きている限りついて回る事だもの…仕方ないよね。
出るって事は食べてる証拠だし…。

そうだ。今 施設にお願いをしてキャロットジュースと乳酸飲料をミックスして一日二回飲ませて貰っているんだった。
これが便秘解消になっているかな?
この方法は 以前訪問していた方が実行していたのだった。
ヤクルトににんじんの摩り下ろし汁を入れたのだった。
摩り下ろす仕事を職員にお願いは出来ないだろうから…とジュースにしたのだった。これで水分も取れるし…一石二兆と考えていた。

また バスに乗り施設に戻った。
バスを降りた時キョロキョロして腕をしっかり組んできた。
「何?」と言うと「何だか こうしていると安心できる」と言った。
またもやドキリとする。
施設近くに来た事を感じ もう直ぐ離れるという事を何となく感じるのだろう。すごい勘である。

施設に戻ってお茶を飲み買ってきた玩具で遊んでもらう。
その間に汚れた下着を洗い タオルを洗い…室内に干した。
遊びに夢中になり始めたのを機に施設を後にした。

そうそう 職員によれば 最近猫と遊んだ事はないそうである。
でも 猫ロボは 母の居室に居るので 母自身が一人考えたのかも知れない。一人の時間は案外多く あれこれ考えて居るだろうから。


2004年06月28日(月) 素敵なパッチワーク


 利用者さん訪問日。
昨日 お墓参りなさったという利用者さんは お元気だった。
家族と過ごされたという事 お墓に行けた事で自信が付いたかのかも知れない。
月曜は 食事作りも有るのだが 朝の内に下準備なさっていて作る方の用は無かった。

洗濯、掃除を済ませて利用者さんが希望するお買い物に同行した。
今日は「お花を増やしたい」と言われた。
前回 お勧めしたインパチェンスが気に入られたようでそれをもう一鉢という事だった。お花屋さんに行くと早速インパチェンスを決められた。
更にハイビスカスを2鉢。
前回もハイビスカスと言われたので 今回はお勧めした。
うまく 育つかなぁ〜。

他に食料を調達して戻った。
それでも時間はたっぷり残った。

すると「パッチワークを見てください」と言う。
出来ない訳では無いけれど…。人に教えるほどの技量は無くてドキドキ。
でも ほんとに見るだけで良かった。
利用者さんが縫われた所がうまく言ってないと感じておられるようだった。
けれど 大きく間違っている訳でなくて 縫い方は完璧でなくとも味がものを言うので「ちゃんと出来ていますよ」とアドバイス。

今朝 ラジオで「外国では 半生かけてパッチワークを仕上げる…そこがパッチワークの醍醐味…」と言う話を聞いたばかりだった。
外国のパッチワークは 布の選択が洗練されていてゆっくり取り組まれるとも言っていた。
確かに 幼い頃戴いた外国の方の作られた物は そうだったなと得心した。
だから 利用者さんにも その事を伝えてみた。
「そうね。何もする事が無くてぼーっとするのが嫌だから始めようと思ったのだものねぇ〜。焦らずゆっくり取り組むわ」と言ってくださった。
きっと素敵なパッチワークに仕上がるだろう。

家に戻って お掃除して一休み。
その間に 友人の電話を受け 更に友人に電話した。
手術なさって家に戻られ…まだ気持ちが落ち着かないご様子なのだ。
お医者さまは「大丈夫」と言われて居られる様なのだが…。
術後は なかなか 難しい。
少しずつ 生活を戻されるように…と思う。

日が暮れて 畑に出向いた。うす曇で日も暮れ始めているので程よい時間だったのに…。
2日ほどご無沙汰の畑…。草取りを済ませたばかりなのに…また新しい草が出ていた。座り込んで草取りを始めた。大きな動きなどしてない ただ手を動かしているだけなのに 汗がポタポタと流れてくる。
歩いていても流れないのに…。とても不思議。

夕食後 ようやく 赤紫蘇を洗い梅干に色を付ける下準備を済ませた。
日記更新が済んだら 赤紫蘇を塩もみして梅酢で色だしをする予定だ。


2004年06月27日(日) 猫に干物…


娘と共に母の所に出向き 外出。
今日は お抱え運転手付きで楽チン。
くたびれ果ててる姿にしょうがなく付き合ってくれたのだろう…。

お昼も娘の奢りだった。
入ったのは チェーンレストラン。
昨年 母がお絞りを口に運んだ…その店である。
私が離れた隙に今日も同じような事が起きたようだった。
娘が「これは 何?」と聞くと「判らない」と言ったそうだ。
「お手拭だよ」と言うとしっかり手を拭いていたそうである。
つまり「何か判らないけれど食べ物ではないか…」と思ったのだろう。

お店の人がメニューを運んでくれ 接客もパーフェクトだった。
その時に母が「この言葉は何語ですか?」と聞いた。
お店の人は 母が痴呆なんて判らないからきちんと説明を始めた。
でも説明を聞いても判る筈もないのだ。
母が知りたいのは「何語?」と言うひとつだけなのだ。
「さぁ〜何語でしょうね」で事は済むのに…。
フユフユと雰囲気の後に…。
「判らないですねぇ〜。きちんと調べておきます」と見事に決められた。

母は どうも胃腸の調子がイマイチの様子だったが それでも私たちと同量程度は食べた。
ひとつ困った事があった。
小さくカットされたメロンに皮が付いていた。
当然皮は残すだろうと思っていたら…食べた直後はちゃんと皮を残していたのに…。皮だけになったら何か判らなくなってしまったようで皮も口に運んでいた。口をあけてもらって皮を取り出した。
それからは 皮を外してお皿に置いた。

レストランを出て 知り合いの電気屋さんに寄って ようやくファクシミリを手にした。母も車から降りたのだが…降りる時ちゃんとドアノブに手をかけて自分で開けた。
こういう感覚は まだ残っているんだなぁ〜。

家に着いて ファクシミリをセットしている時 何の脈絡も無いのに 母が猫の話を始めた。
「猫は干物を食べるだろうか?」「はて?」と思って聞いていると…
「猫に干物を食べさせたいのに…干物を食べない…」
娘と顔を見合わせた。
そう きっと「猫ロボ」だ。
「干物を食べる猫飼いたいの?」と聞くと「買いたくない」(ここが難解)
「猫 怖くないの?」「怖くないよぉ〜」(本物の猫だと後ずさりするのになぁ〜)
質問を変えて
「猫ちゃんの名前は?」と娘が聞いた。「んと…んと… 忘れたなぁ〜」
「白ちゃん?」「ん〜 しろいねぇ〜。なんて呼んでいたかなぁ〜」
「飴やお菓子は好きかしら?」「それも食べないよぉ〜」
やっぱり猫ロボだ。
「2匹の猫とも食べないんだぁ〜」
施設の別のフロアには 本物の猫もいる。
時折 母の居るフロアにも連れてきて猫ロボと2匹になる時もある。

急な話にちょっとびっくりしたけれど…きっとここ数日の間にそういう経験がありその場面を思い出したのだろう。
「猫に干物かぁ〜」何から連想したんだろうなぁ〜。

話は変わるが…。念願の普通紙ファクシミリとなった。
いろいろ探したけれど… 結局 夫が買ってくれた。
だから こちらの希望の物ではないのだが…それでも 悪くなかった。  娘が「珍しく センス良いねぇ〜」と夫をからかっていた。
メール機能まで付いている。お料理の作り方までも…。
電話帳に登録しなければならないが…文字の打ち込みが面倒。
これじゃ 携帯でメールなんてとても出来そうに無い。
ゆっくりと登録する事にした。

早速 友人に送信。
ファクシミリは受け専門になっていたので送信はほんとに久しぶりだった。
「メールだと打ち込みが面倒で…やっと書いて話せる様になってよかった。これでグンと距離が縮まったよ」と喜んでくれた。
実は 私も嬉しい。
生の文字…直接感覚が伝わってくるのだもの…。


2004年06月26日(土) 誘惑…


 慣れない事や初が付くような事をすると 疲労度が高まる。
気候が良ければ まだ良いけれど…。
梅雨、真夏日まで加わると ストレスもかなりのものとなってしまう。

昨夜 3時半頃気配で目が覚めた。娘が帰宅したのだが…「朝7時前には立会いがあるので出向かなければならない。寝てしまうと起きられ無いので このまままた出かける」と言って 仕事に出かけた。
程なく 夫が起きた。
食事の支度…と思いながらも なかなか起きられない。
ようやく起きて食事を作り 夫を送り出した。

家の中の仕事を済ませて 先日依頼された利用者さん宅に出向いた。
娘さんがお子様連れで 泊まっておいでだった。
利用者さんが小さな声で呟かれた。
「娘が来ても子連れで…」
そうなのだ。私にも思い当たる事があった。
父の介護のために帰省しても私自身が母親であり 子供を見放す訳には行かないのである。父も母も見ながら 子供にも気配りせねばならないのである。それに兄弟の連れ合い等が居るとそこにも気配りが必要になる。
父はあまり愚痴らなかったけれど…母は時に不機嫌そうな表情を見せた。
孫が来て嬉しいのだけれど…それでも母の満足する手助けは出来なくなる。

両方の思いが痛いほど判った。
今日は どんな手順でこれから活動に入っていくかと使うものが何処に収容されているか等を伺い 少しだけ掃除して終了した。

利用者さんは 訪問を受けるのでお嬢さんに頼んで少しお掃除なさっていた。ありがちだけれど…これは不要である。
「困っているからこそ活動を依頼なさるのですから、前もっての掃除は必要ないですから」と念を押した。
入院3ヶ月 入院なさる前だって調子が悪かった筈で 汚くて当たり前なのである。そのためのお手伝いなのである。
良くなれば 自分で出来るようになるかも知れないし 徐々に動ける範囲も広がる筈で…そうなるまで持っていければ良いのだから…。

家に戻って 母の所に行く準備をしていたら 娘から「これから帰るよ」と言う電話が入った。
「疲れたよぉ〜」と言われたので「私も何だか疲れたよぉ〜」と返した。
すると「今日は ゆっくり身体休めたら〜」と誘惑の言葉…。
「そうも言ってられないよ」と言っては見たが 頭と身体は別物で…。
タラタラとしていたら…時間がどんどん過ぎてしまった。

「いいかぁ〜 明日にしよう…」と思い切れたのは 5時近くになってからだった。こういう状況は良くないなぁ〜。
「行かない」って決めて切り替える…これがストレスをためないコツなのになぁ〜。


2004年06月25日(金) 歯噛み

  
 利用者さん訪問。
訪問前にスポーツジムに行かれた利用者さん。
それでも 直ぐに散歩を希望されて外出。
コースもご自分で決められていた。
お散歩しながら いろいろのお話を伺う。
例のお墓参りは ご家族が行って下さる事になった。
それが一番だと思うので良かった。

訪問を終えて 其の儘電車に乗り移動。
少しお勉強した。
今日は ワードの使い方。
家に戻ってPCを開き復習してみたが…。
家のPCと違っていた。
いやXPは一緒なのだけれど…。
やってみようと思っていた事が出来なかった。

会を終えた後 話し込んでしまった。

痴呆になった人の周囲には 連れ合いであったり兄弟であったり子供であったりと立場の違う人がそれぞれいる。

介護の取り組み方に対する思いも当然違う。
このあたりが介護を複雑にしてしまう。

介護経験者なら 病の進行具合もある程度予測できる事もある。
相談をされれば 助言も出来るが…。

軽々しく口出ししても介護の責任を追える訳でもないので…。
それでも 介護の仕方で痴呆の進行を抑える方法も有るのに…と思ってしまう。

そういうお話を伺った。
状況が理解できるし 気持ちも判る。
その方の歯噛みする思いが想像できた。

周囲の思いを聞いていて 年上の立場で考えるようになっている自分がいた。
私の立場に置き換えるなら 弟が病となり介護を弟の子供がしていて…その介護のあり方を考えさせられる…という事だろう。
弟との関係は 良いとは言えないので現実には起こりえないだろうけれど…
 
でも先の事は判らない。




2004年06月24日(木) 介護仲間とのお話


 母のリハの日である。
今日は 施設に出向いて頂いた。こちらも時間に合わせて出かけてリハに立ち会った。
母の足は靴下を履いていてもかなり浮腫んでいると判った。
何が原因なのだろう?
心臓の肥大が最大の原因だろうけれど…。
それにしても良い日と悪い日との差が極端である。
次の診察の時に聞いてみよう。

療法士さんも 少しビックリなさり「週2位の方が良いのかな?」と言われた。暑くなっており散歩の時間も減っている事もあるかな?
もう少し 様子を見なければ…。

リハを受けている間 母は幾度も「有難うございました。お疲れになるでしょうから もう良いですよ」と言った。
療法士さんが代わったので 多少の違いを感じるのだろうか?

リハが済んでから散歩に出た。
近くの薬局に入り買い物をして外に出たら「あら なんて暑いの」と言いながら顔の周りの空気をかき混ぜるような仕草をした。
あまりにおかしいので「周りだけ暑いのでなくて 全部が暑いのよぉ〜」と言ったら 母も可笑しい事に気が付いた様で笑い出した。

炎天下の散歩は少なめにして 施設に戻った。
施設では昼食が始まっていた。
食事をしてる間に施設を後にした。

今日は介護仲間とある方を訪問した。
生憎 お留守だった。
訪問する時 いつも悩む。先に連絡すべきかと。
でも 予定がある時足止めしてしまっては…と思ってしまうのである。
居ない時は「ちょっと訪ねてみました」というメモのみを残すようにしている。いや それも様子見で 判らなくとも良い場合はメモも残さないようにしているのだが…。

帰路介護仲間とちょっとお茶をした。冷たいコーヒーを奢って貰ってしまった。「トイレまで移動させてから中に入って貰うまでがいかに大変か」と言う話で盛り上がった。
母もそうだけれど壁や手すりにしっかり掴まえて放さないので 身体をうまく動かせないのである。ようやく片方放したと思うと別の方の手が別の所を掴んでいたり…。
トイレの前からトイレまでの遠い事…。

夜 お留守だった方から電話を戴いた。
その方の話で…。
「痴呆者の心の内側って 介護してしている者に対していつも感謝の気持ちがあるよねぇ〜。例え暴言を吐いたとしても 言葉で表現できなくなったとしても…」という話となった。
彼女は それをみんなに伝えたい…と言っていた。
彼女も病の家族が見せるちょっとした喜びの表情 有難うのあり…まで聞こえたら有頂天になったと言っていた。
そこは 私も同じでお互い「そうそう…」と頷きあった。
彼女の方が ずっと偉いのは お父様とご主人の介護を在宅でそれも殆どお一人でなさっていたのだ。
身体だけは大切にして欲しい…それだけを祈っている。


2004年06月23日(水) 冷や汗が…

 この所 打ち間違いが多い。
アップして一日置いて読み返すと「あれれれ…」と言う具合である。
直す気力も無くて…放置してしまう。
全く 無責任極まりないし だらしないなぁ〜と反省しきりである。

友人は 「間違ったんだな」と読んでくれるけれど…皆さんごめんなさい。
これから 気を付けて参ります。

昨夜 メールに画像を添付して送信。
画像を添付するのだって今の私には大変な作業なのに…動画等まで添付しようとした物だから…まぁ〜チグハグメールを届けてしまった。
慣れぬ事にチャレンジ中ですのでお許し願う事に。
それにしても…PC操作 覚えては忘れの繰り返しである。

先日 ある会でその話になった。
立派な会報を出されて居られるので「頑張りますね」と言ったら「いえ、全て開く所を決めて順番にやって カットや図は切り張りで…」と言われた。
という事は「コピーか?」と思ったが 仕上がりは薄くならないのだ。
不思議に思って聞いてみると印刷機を使われているという事だった。
そうかぁ〜。切り張り印刷は 小学校や中学校のPTAの時に良くやったなぁ〜。PCが使えても 細かい所まではやっぱりできない人いるんだと安心したり…だった。
覚えては忘れの繰り返しの私だけれど…マイペースで取り組むしかないみたいだ。

今日はオフ日。
夕方 畑に出たくらいで外出しなかった。
キッチンの要らないものを整理。ついでに冷蔵庫の中も整理して消毒。
梅雨時なので気をつけないと…。
ついつい 使い忘れの物の始末を飛ばしてしまう。ちょっとの零し汚れとか…。要は 普段の手入れが足りないという事だが…。

悩ましい事も一つ増えた。
事業所からの電話で 活動依頼があったのだ。
母の介護もあり 他にも用があるので活動は週一でとお願いしてある。
今現在 週2の訪問であり 手一杯状態。
先日も時間移動でお話した時も それを告げていた。

それでも 活動依頼があるという事は 他に見付からないという事だろう。
話を伺うと徒歩数分と言う同じ町内の方だった。
時間もこちらの都合の良い時で…という事で 曜日や時間の変更もありうるという事をOKして貰ったので引き受けさせてもらう事にした。
それと言うのも 町内の助け合いが確立されないので 何とか町内の様子を探ってみたいと言う気持ちもあったからである。
これもまた 自分の未来の為である。

それでも 手一杯は否めない。
出来るのかな?とも思うけれど…。
仕事をして介護もなさって居られる方からみたら、また 在宅で介護なさって居られる方からみたら 楽な方なのだから…。
ちょっと踏ん張ってみようっと。


2004年06月22日(火) フェルトを使って…


 さっきまで姓名判断のサイトを親子で見ていた。
本気で見ていた訳でない。
いや、何処かで本気かな?
自分のが当たっているような居ないような…で友人たちの名前を次々入れてみて当たっているか判断した私。
娘は いろいろの人の判断を見ていた。
親子して馬鹿な事 やってます。

今日は暑くて 母の所に出向く気になれなくてウダウダとしていた。
午後一には 思い直して「どっこいしょ〜」と弾みをつけて出かけた。
 
着いて間もなく職員が布を持っていらして そのたたみ方を母とFさんに頼んでいた。

ある程度済んだ所で 母に小さめのフェルトに花の略画を描いて針と糸を渡して刺し子風に縫ってもらった。
Fさんもいらしたので Fさんにも同じ物を渡してチャレンジして貰った。
二人とも少しだけ頑張った。
フェルトは 違う事に使う予定で買っておいたものだけれど、あまり難しい事は出来なくなっているので使い方を替える事にしたのだった。

母は途中から入浴。
お風呂には言っている間 Fさんとストレッチを始めたら職員も乗ってきて3人でチャレンジ。その後Sさんも加わった。
普段 母としている事を簡略しながらやってみた。
みんな 割りに乗って動いてくれた。
あまり急激に沢山の事をやると筋肉にも良くないので程よい所でやめた。

入浴の済んだ母を外に連れ出して 遊んだ。
あまりに暑いのでファミレスで休息をとり水分補給。

こんな日に限って「ぽか」をやってしまった。
朝 バックからハンカチを取り出して洗濯。
バックに入れるべきハンカチをテーブルに載せた儘 家を出てしまった。
流れるような汗に困った。普段汗をかくほうでないのに…。今日に限って汗が良く出た。
仕方ないので 母の所にあるハンカチを借りてしまった。


2004年06月21日(月) 痴呆にならない保障がないなら…。


 利用者さん訪問。
利用者さんは 先週の出来事をいろいろ話してくれた。
私が訪問していたのに気が付かなかった事があった。
少し気になっていたのだけれど…。

と言うのも歯茎が炎症を起こしていて 食べ物を制限なさって居られたのだった。
利用者さんが言うには「キュウイの種が入れ歯と歯茎の間に挟まってしまい…」と言われた。
キュウイの種がそうなる…という事は 随分前におばから聞いていて知っていた。ただ 炎症を起こすとは…。
おそらく 歯磨きの仕方も関係しているのではないかと思った。
利用者さんも気が付いて居られるようで 歯磨きをして やわらかい物を食べて良くなるのを待ったそうである。

やはり「おかしいかな?」と感じた時は何か有るのだなと改めて思った。
具体的な苦痛の訴えは無かった。
でも ゴミの種類を見た時「食欲が無いのでは?」と漠然と感じたのだった。週に2回の訪問なので 次の時まで様子を見られるから…と思っていた事もある。

幸い 利用者さんの工夫で良くなられたので 良かった。
あまり先走って 利用者さんの判断力 工夫する機会を奪ってしまってもいけないし…難しい所である。

午後 家族の会の「痴呆を介護する方のミニ相談会」に出かけた。
始め 精神科医の講和があった。
この話で興味深い部分が…。
と言うのも私自身も何となく「そうじゃないかな?」と感じていた事を先生も感じられていらしたのだった。
この先の話は確実なものではない。
いろいろのデータから読み取れる事をお話くださったのであるが…。

特にアルハイマーに関して…。
・高脂血症があるとアルツになりやすい。
・興奮が多いとアルツには良くない
また 呆ける為の準備
・家庭外の人に対してオープンな方
・人間関係を良好に保てる人の方が介護しやすい
という事だった。

興奮と言うのは 怒りっぽいという事だけでなく泣いたり嘆いたりの感情の起伏…という事であるという。

後の部分での呆ける為の準備。
誰にも 痴呆にならないと言う保障はない。
今 痴呆の人だってなりたくてなった訳ではない。
痴呆にならないという保証が無いなら「いかに迷惑をかけないで済むか」が課題だろうとぼんやり考えていた。

よく「在宅でなく施設に…」と言うけれど。
結局は 誰かに介護してもらうのである。
家族であろうが 専門職であろうが 大変さに変わりはない。
同じお世話になるなら…介護しやすい人でいたほうがよいかな?と思うようになった。
そのためにどうすれば良いかと…と母や利用者さんと過ごしながら考えていた。その考えが精神科医が感じている事と一致した。



2004年06月20日(日) マイナスイオン発する子


腹を抱えて笑って涙した。
ラジオでこんなに腹を抱えて笑ったのは 久しぶりかな?
日曜午後はTBSラジオ 伊集院の「日曜日の秘密基地」
今日は、「おバ歌謡」CD発売記念で 「おバ歌謡」のランキング20。

「おバ歌謡って?」
ん〜。何でこんな歌があるの?ほんとに発売されたの?と思われる歌である

「良くぞ探した。良くぞ覚えているな」とほとほと感心した。

昨日 娘が友人の子と落ち合い 娘の友人も加えてルミネthe吉本に出かけた。ルミネthe吉本は 知っていても娘は行った事はない。
娘は もう少し捻ったお笑いの方が趣味だから…。

でも友人の子達は ただ今吉本に夢中。
それを知って 戴いたチケットを友人の子にあげたのだった。

久々に会って「やっぱ若いわぁ〜。大きくなったなぁ〜」とひたすらおばさん気分に浸ったようである。
1991年生まれ 平成生まれかぁ〜…と大騒ぎ。
…あんただって まだ若いのに…

今朝 娘の友人が その若い子たちの事を「…癒してくれたのは、平成の風。 あの姉妹は何億ものマイナスイオンを発していたに違いない」と書き込みをしていたと言う。

確かに ぴったりな表現だと思った。
そして その感性を受け止められる人も偉いなと思った。
今の世の中 小じゃれっ子が多い。
でも 友人の子たちの感性は 今時珍しい。
家に来ても 台所に入りお手伝いをしてくれるし、母とも遊んでくれるのだ。大きな声で唄ってくれたり…折り紙したり…。

何事にもまっすぐで…打算がない。
20を越えた子二人と高校生、中学生…。
その子達は まだ本気で母親が怖いと言うのだ。
身体だって もう立派に母親を越えて 母親を十分サポートできているのに…。

でも でも 今朝 友人がファクシミリで 言う事にゃ…。
「あたしゃ 何も知らんかったぁ〜」とおかんむり。
娘さんたちは 母親の前でお話していたらしいけれど 聞こえてなかったみたいで…。
そんな 素直な話し方をする友人が 好きなんですが…。


2004年06月19日(土) 汽車賃 いくらだったかなぁ〜


 母と話したり職員から母の様子などを聞く時「あれっ」と思う事がある。
それは 母自身に残っている能力を自覚しているような気がするのである。

例えば 先日の刺し子はどうやら少し縫ったようである。
今朝も少し縫って「もう嫌になったからやめます」と言ったらしい。

家で絵を描いてもらう時もある程度まで描いて どうも思うように描けてないと「描けないなぁ〜」と言う。

「家に帰りたい」と言うけれど その家が「実家」ではなく「私の家」を意識している時がこの所多い。
ひところは「生家」一点張りだったのに…。
時に弟の住んでいる(自分が住んでいた)家のある地名の頭の地名を言いかけたりがある。
そして それを繋げるかのように考える。

外で食事して 食べた物を言える時がある。
こんな事 久しくなくなっていたのに…。

断片的であっても 確実にそういった事が増えているような気がしてならない。

何よりも「忘れてしまう事が多くて…」「訳がわからなくて…」「すっかり判らなくなってね」等という事が母の口から出るのである。

以前デイで建物の中を徘徊して回っている方が「止まらないんだよ…」と泣きそうに言っていたと言う話を聞いたが それはその一瞬の事である。

でも 母はこの ひとつき近くの間 繰り返し言うのだ。
全部が繋がっている訳では ないのだけれど…。

そんな事が判る時の母って 誰かが傍にいて欲しいだろうなぁ〜。

今日も「家に帰りたいけれど…電車賃っていくらだっけ?」と聞いてきた。
「一万円位かな」と言うと 暫く考えて「ないなぁ〜。でも何とかしなくちゃ」と言ったのだ。
このやり取りは 母の病が始まった初期のころのやり取りと良く似ている。
違うのは そういった事が持続しないで 数時間の内に消えてしまうのだ。いや、消えるのではなくて 気持ちを他の事に向けさせて話題を反らせてしまっているだけで…母の気持ちは「家」に向かっているのだろう。
思い出して聞きたくなっても 傍に聞ける人が居ないので諦めてしまうか 哀しくなって泣いてしまうのだろうなぁ〜。

そんな母なので 最近は「家で暮らそう」と気軽に言えなくなっている。
そう言い出すのは きちんと母を家に迎え入れるようになったら…と思う。

そういう事が判っていながら…母の所に向かう時に腰が重くなってしまう。
母と話すのが面倒と言うよりも 自分の身体・気力優先…といった所なのだ。








2004年06月18日(金) ちょっと思い出した事


 利用者さんを訪問する前に 用があって寄り道をした。
時間のゆとりもありゆっくりと歩いていたら誰かに呼ばれた。
振り返ると 利用者さんだった。
スポーツジムからの帰り道とかち合ったのだった。

「ロッカーの鍵が見つからなくて…一騒ぎしてきたの…」一連の話をしてくださった。利用者さん宅に着いて 荷物を広げて見たらロッカーの鍵が出てきた。「これですかぁ〜」とおたずねすると「そう。何度も見たんだけれど…」と言われた。
「時間のゆとりがなくて焦っていらしたからでしょう。恥ずかしながら 私もやりますよぉ〜」とお話しする。

私の探す物は 決まっている。「小銭入れ」と「鍵」
急いで買い物を済ませてバスに乗ると小銭入れが定位置に収まってなくて…小物類の下にあったりする。バックの中が黒、小銭入れも黒と言うせいも有るだろうが…。焦れば焦るほど見つけにくい。
鍵も然りだ。急いで家を出ると無造作にバックに鍵を入れてしまう。
それもまた なかなか見つからなくて 玄関先でバックの中を広げる事となる。鍵に関しては 娘から貰った赤い洋服方のキーホルダーに変えてから 慌てる事は無くなったが…。

だから 利用者さんの失態はけして笑う事は出来ない。

そんな訳で 買い物がてら鍵を返しにジムに寄って全て解決。
買い物は、先日のパッチーワークの時に使う針。それにアートフラワー。靴。順番に 売り場を回った。
全て回ると時間オーバーする事は目に見えていた。
でも こちらの都合で時間変更して貰っているので 目を瞑る事にした。
時間変更しなければ スポーツジムでの失敗は無い筈なのだから…。

買い物先では 殆ど後ろに下がっている。
困られた時のみ お手伝いをする。
店員の方との受け答えで 利用者さんの希望をうまく伝える事も…ある。
選ぶ楽しみも大切だから。
受動的になりすぎてもいけないし…。
好み等母と共通する所もあるので お手伝いはしやすい。

おかしな事だけれど…娘さんに先立たれた方は 娘さんと私をダブらせてみる事が多い。
「娘が生きていたら…」とか「娘がいつもこうだった」とかのお話が多い。
不思議な事に私の方も 母とダブらせてみてしまう事がある。
母が元気だったら こうだろうなと。
不思議な関係となる。

きっと これも何かの縁なのだろう。
「とても面倒…」と言われた人も結構うまく行った。
役所に苦情の連発 お嫁さんにも…。と言う方もある程度 落ち着くから不思議だ。おそらく 話を聞いて欲しい…そこの部分が解決するからだろうと思う。

娘さんがいても「娘が増えたようだ」と喜ぶ方も多い。
役得かも知れない…。
そうやって いろんな事を学ばせて貰って来た。
殆どの場合 利用者さんが亡くなる寸前まで 訪問する事が多かった。

訪問は やはり多少オーバーして終了。
これは ルール違反なのだけれど…ずるずると引き延ばしているわけでなく
オーバーの部分の請求もしないから…。利用者さんもしっかりそこは踏まえていらっしゃるので…良い事にする。
このあたりの事は 良く話題になるが…。
お互い しっかりわきまえている場合…許されると思う。

年のあまり変わらないおばに久しぶりに電話をした。
驚いた事に アメリカ留学中の娘さん(うちの子より5歳くらい上かな)が卒業と同時に結婚したって。結婚式のためアメリカまで入って来たそうだ。
更に驚いたのは これから大学院に行くのだそうだ。
今 流行のパラサイトではない。親の援助は受けてないのだ。
一時帰国中の娘さんがが再び旅立つのは 7月初めと言う。
その前に ひょっとすると その娘さん 我が家に寄ってくれるかも知れない。ちょっと楽しみでもある。
彼女が 中学生か高校生の頃に会ったきりである。


2004年06月17日(木) 奮ってますねぇ〜


 母を迎えに行き バス停までの道のり…。
歩道の植え込みにゴミが目立った。
母は、いつもこのゴミが気になるのだ。
今日も「ゴミがいっぱいだね」と言う。
「ねぇ〜 汚いから拾って行く?」と聞いてみた。
少し間をおいて
「百円札だったらね どんどん拾うのだけれど…」と笑った。
「そうかぁ〜 そうだよね。あははは…」とつられて笑ってしまった。
へぇ〜。1銭、1円、5円、10円、百円。千円はちと縁遠いかな?
お札の中でも 値の張るお札をご指名出来るんだと驚いた。
妙に現実感があって 一日 思いだし笑いをしてしまった。

家の前まで来ると もう療法士さんは見えていた。
おそらく出勤前の娘が足止めとなっているだろう。
フレックスタイムで良かった。
来る時間を言っていたんだから…早めに出ればかち合う事も無い筈で…これは母のせいばかりではないだろう。
娘は ご丁寧にお茶など支度していた。
「有難う。ごめん。行ってらっしゃい」と娘を送り出した。
母のお尻が汚れているのは判っていたけれど…急いで来てしまった。
療法士さんには、不調法を詫びて 母には少し我慢してもらって…リハに入った。朝なので 心地よく眠るという事も無くリハを受けていた。
終わったら「有難うございました」とお礼も言えた。

急いでトイレ誘導。お詫びをしながらお尻を拭く。
母は「こっちこそ…」と恐縮している。
今度は 其の儘 お風呂直行。
今日はお湯を張り替える時間が無くて…西洋風に湯船の中で身体を洗い 洗髪をした。
所が こんな経験は母にも私にも経験が無いので アタフタとしてしまった。母も嫌そうだった。
やっぱり 慣れぬ事はするもんじゃないと深〜く反省。

その後 お散歩。
外の風は 誠に心地よくて…足取りも軽やかである。
また 羽目を外して多めに歩いた。
勿論幾度も「疲れない?」「足 痛くない?」と聞いていた。
その度に「大丈夫」と言う返事が返ってきていた。
家が近くなった頃に「疲れない?」と聞くと…。
「疲れても 疲れたと言いたくない…」と言った。
あ〜 またしても1本取られてしまった!
気持ちも判るので母の頑張りを素直に認めた。

お昼を食べて 少し休息している時に本を読んでいた。
「私にもこういう時がある」と言って 本を広げたまま私の前に持ってきた。
ゆっくりと声を出して読んでみた。
母は、頷きながら聞いている。
「どういう時かな」と母の思いを探ってみた。
「眠れない晩もある」と言う所で「これかな?」と思って「眠れない晩もあるの?」と聞くと「うん」と頷き「一晩中というわけではないけれど…」と涙ぐむ。でも かなり長い時間なのだろう事は想像できた。
母の不安定さはそういう所にも有りそうだと感じて「寂しい?」と聞いてみた。「そういう時もあるけれど…寂しくないよ」
今は 私と一緒だから…かな?

母の思いを探るという事は なかなか難しくなってきている。
でも今日のように 判る時もある。
母もなかなか大変な事だろう。


2004年06月16日(水) 聞いてよかった

 
 弟の娘の事が 気になっていた。
でも、立ち入ってはいけないとセーブしていた。
いとこから「何故 聞いてあげないのか?」と言われてもいた。
弟からも話はちょこっと聞いていたけれど…。

要らぬお節介で痛い目に有っているし こちらから聞かれるのも嫌なものだろうと思っていた。

それでも 姪っ子である。
一人っ子である。
いくら うまく言ってない関係であっても心配しないでなんて要られない。
「大丈夫だろうか?」と胸がキュンとしていた。
おそらく 姪っ子にもお嫁さんにも通じまい。

だから、心配するだけで何もしていない。
いや、しようにも何も出来ない状態でも有った。

「6月には帰国するらしい…」という話をいとこから聞かされて 何処かでホッとしていた。
勿論 こちらに連絡無いだろう事は 想像が付いていたけれど…。

6月も半分まで来た。
そろそろ 聞いても良いだろうと思い 弟の携帯に電話をした。
弟が家に戻る前で 尚且つ会社が終わる頃の時間を見計らった。
電話口の弟は会社の事をいろいろ説明を始めた。
「いや、○子ちゃん 6月に帰るって聞いたから…。聞いて余計に心配させても悪いから…今まで待ったのだけれど…」と弟の話を遮った。
すると…。
「あ〜悪かったね。○子は帰ってから1ケ月程立っているよ。今は家にいる」という事だった。
聞いて胸をなでおろした。
でも 今まで心配していたのは何だったのだろう。

やっぱり こちらは何も心配していないと思っていたんだろうなぁ〜。
ま 勝手に心配した訳だからなぁ〜。

姪っ子の心配は 全て解決した訳ではない。
でも これ以上は突っ込むまいと思う。
帰国した事だけ判れば それで十分である。

治安の悪い地域のニュースの度にドキッとしていたから…。
その心配をしないで良いだけでほっとする。

夕方TBSラジオのデイキャッチの時事川柳を聞いていた時 思わず「ぷっ」と吹き出してしまった。
ゲストは 自民党の野中さん。
で川柳は…。
「リコールで 回収してよ 小泉さん」
「凝りもせず また支持する人の太っ腹」
今日の大賞は、別の句だったけれど…。
私は、この二つが妙に気に入ってしまった。
考える人もうまいなぁ〜。厳しいなぁ〜。

でも 気分的にすかっとした。
参院選は おそらく また 自民党が勝つのだろう。
確かに変わる政党が無いのも事実だけれど…でもブレーキをかけておかないと…。

明日は 母のリハビリの日。
療法士さんの都合で変更となったのだ。
それも朝 早い。
母の朝食終えているだろうか?
きっと忙しい朝になる筈だ。










2004年06月15日(火) 梅雨の中休み…


 ヒェ〜 疲れた。
でも、心地よい疲れ。

昨夜は 何の問題も無く安眠。今朝の目覚めも上々。食欲も最高。其の上、5日近く本格的便通も無かったのに…今朝無事にお通じあり。
昨夜の温めた牛乳を呑んだ効果が出たのだ。
母の検査結果に問題がないと判って 浮かれ気分となった。
気温は高いけれど からりとしたお天気が浮かれ気分を更に加速させた。

診療所を出てから 時間はたっぷり有るから電車に乗って外出しようと思った。

電車に乗って 山里に向かった。
駅の前を流れる川で 久々に鰍蛙の声を耳にした。
故郷の景色を思い出した。
母にも味わって欲しくて 川の傍に腰を下ろして「ほら、聞こえない?」と聞いてみたけれど…残念ながら 母の耳には届かなかった。
「ご飯?お蕎麦?」と聞くと「冷たい蕎麦が…」と言うのでお蕎麦屋さんに入った。
昼食後「ケーブルカーに乗ってみない?」と誘ったけれど「乗らなくともいい」と言うので再度川べりを散策した。
疲れた様子なので 電車に乗って帰路につく。
一駅手前で降りて紫陽花を見た。

一番綺麗に見える場所に連れて行くと「いいねぇ〜」とため息。
傍まで行くと花に触れない位の所で花を撫でるようにして「綺麗だねぇ〜」と幾度も言った。
さっきの疲れは 何処へやら…といった所。
少し休息して バスに乗ってホームへと戻った。

戻ると直ぐに横になって休息。
それでも15分ほどすると起き出した。
ホールに出て 利用者さんのご家族の持って来られた刺し子をさせて戴く。

朝 家を出る時外出の予定をしていなかったので 布団を干しっぱなしだった事を思い出して…後を職員に託して家に戻った。

家に着いたら ど〜っと疲れが出てきた。
若し これが在宅だったら 疲れたからと言っても母のフォローはしなければならないだろう。
こんな無理が出来るのも 施設に託しているからだと思った。

何か いい事ばかりのようだけれど…。
問題は いろいろ起きた。
ひとつだけ書き記すなら…。
電車に乗った時「あの人が 私を見て睨んでいる」と言い出した。
少し離れた所にいる人だった。睨んでいたわけでもなく隣の人と談笑なさっていらしたのに…。
私が視線を移そうとすると「みるな」と強く言った。
外に視線を移して「葉の緑が良いねぇ〜」と話題を変えたら すんなり応じてくれた。
電車が走り出すと「何で急に走るんだ」と怒り出す。
母には発車の合図が聞こえないようだった。
「ここは始発だから…」答えにもならない答え方をしたら 納得した。
こんな風に 母の心の起伏は一日に幾度と無く変わった。
母の風向きを時に交し 時に応じて…過ごした。

在宅の頃も一日のうちに風向きが幾度も変わる事があった。
あの頃 その対応に苦慮して疲れた。

今 そういった事に全く腹が立たない。
母の状態がただただ平坦になりつつあり 起伏が見えることがとても嬉しいのである。
そればかりでは ないだろう。
母を託しているので 我慢ばかり強いられる状況でないからという事もあるだろう。

日記を記しながら、母は落ち着いて眠っているだろうか?興奮して無いだろうか?と気になってくる。
心地よい疲れで眠っていてくれますように…。


2004年06月14日(月) 大声で 泣いたんだって


 利用者さん訪問日。
先週の月曜に「レンジフードをお掃除したいので洗剤準備してください」とお願いしていた。
レンジフードがベトベトしてきていて…これを利用者さんが掃除するのは無理だと判断したからである。

テーブルの上に洗剤が2個あった。
利用者さんが笑いながら「ヘルパーさんに買って貰ったら 同じ物があると気が付いたのよ」という事だった。
先週 伺ったのだけれど…「無い」という事だったのだが…。
こちらももう少しよく探せばよかったなぁ〜。

掃除は結局レンジフードとレンジ周囲、水周り、まな板等までやった。
梅雨時で 衛生的にしておかなければ…と思った。
利用者さんは 時折ご自分で掃除なさっているので 作業はそう大変でもなかった。ひょっとすると我が家のキッチンの方が汚れているかな?

午後 母を迎えに行った。
と言うのも明日は 婦人科に検査結果を聞きに行くからである。
「朝一の方が 空いている」と先週教えていただいた。
婦人科のある所が バス便は無いしタクシーをつかうほどの距離でもないから…。そこに行くのに バスを乗り継いで迎えに行って通院は結構きついと思った。

職員が「昨日の朝 号泣なさいました」と「部屋からも出ない。『かえる』とかなり不安定でした」という事だった。
「今日は昨日の事が嘘のように安定している」とも。
原因はわからないそうである。
ひょっとして…と思う。
今 婦人科から戴いた薬を1日3回塗布して頂いている。
それが気持ちの上でとても負担になっているのではないかと思った。

家に戻った時も ソワソワと落ち着きが無かった。
ここが何処であるか なかなか理解できない日のようである。
それでも 夕食の支度を始めて お豆腐をテーブルに載せたら…。
「これはお醤油だけで食べるのか?」と聞いてきた。
「他に何かけたいの?」と聞き返すと「んと。んと」と考える。
「駄目だ。出てこないよ」と直ぐ諦めた母。
「葱?しょうが?紫蘇の葉?」と聞くと「そうだ。そうだった」と言う。
台所とテーブルの間を行ったりきたりの母だった。
少しうるさくはあるけれど…それでも自分の仕事を探しているのだから…何もしないより良いかなと思った。

いつもと変わりなく食べて…。食器洗いもいつものごとく。
それから昨日買った「蜜蝋ねんど」で遊んだ。
細く伸ばしたり、丸めたり…。
30分ほど遊んで お風呂に入った。
下半身を洗おうとした時「自分で出来るから…」と言った。
やっぱりか…。
頻繁に人に処置して貰うためらいがあるのだなぁ〜。

明日の通院 少し不安になった。
ま、仕方ないねぇ〜。

眠る時も 多少不安げで…目をあけては私の存在を確かめていた。
洗濯物をゆっくりとたたみ 母の寝息が安定した時そっとはなれた。
10時を少し回ったあたりで眠った。

あれから、目が覚めることも無い様である。


2004年06月13日(日) 認定通知書 届く

 介護保険更新の認定結果の通知が届いた。
介護度は要介護4と変わらずだった。
こちらが想定したのと同じだったので ほっとした。

母の場合 歩けるし食事も自立なので地域によっては微妙な所だろう。
私の住む町での痴呆の認知は割りに適切と思うが…やはり答え方によって微妙に違うのは 現状ではやむを得ない。
本来 そうあってはいけないとは思うけれど…。

今日 出かけた会…。
残念ながら あまり収穫はなかった。
昨年とは違う表題だけど…中身はどうも同じような気がした。

介護に関する集まりは いろいろの考えの方が居るのでそこを吸い上げると言うのは大変だという事は十分理解できる。そして立ち上げからまだ日が浅いので手探り状態という事も理解できる。
だから、辛らつな批判等できない。
でも やはり物足りなさを覚えた。
一番考えているなと感じたのは 厚生労働省のお役人だったような気もしないでない。割りに柔軟な話し方をされていた。
ま、「場を踏む」と言う点では そうなっても仕方ないのかな?
全体的に 一般と少し乖離しているような気がした。

ただ、自分がいる立場(施設に託すと言う意味で)から「そうだね」と同意できた事もある。
それは 施設入所した後はセルフでのケアプランは出来ないという現状…これは変えて行くべきという部分である。

これには 問題も沢山ある。
要するに施設が一番問題にするのは「事故が起きたの場合の責任」である。
時に施設側の逃げの口実にも利用される時もあるので…困るのだが…。
この部分をきちんと解決していけないものかと…。
勿論 施設側だけでなく 利用する側にもそこをきちんと認識しなくてはいけないのだが…。
施設と利用者との信頼関係が大切になってくるのだろう。
折り合うことが両者にあるだろう。

現状の施設は 利用者の個別の対応が後回しとなっているように思う。
託している者が施設にうまく思いを伝える…のも結構しんどいものがある。
こちらの方は 別の会でまたフォーラムが予定されている。
私の興味は 今 其のフォーラムに移っている。

どうしたって、高齢化していく社会で 施設に託す事例は増えていくだろうし…。施設に入所できない状況も生まれる筈である。
地域の拠点…これは 早期に検討に入らないと間に合わなくなるのでないかと…とっても気になる。

みんなに平等な 受け皿とサービス…これが切実な問題と思う。






2004年06月12日(土) 繋がったり 繋がらなかったりの回路

ここ2回ほど 母の居室のぬいぐるみたちはタオルやら等の掛け物をかけて貰っている。
大きなぬいぐるみが小さなぬいぐるみを抱っこしている事もある。
そして 母の座る椅子にもぬいぐるみが座っている。
全て 母のした事だろう。

ぬいぐるみを総動員して有効に使っているなぁ〜とほっとする。
母は、ぬいぐるみ等に興味を示す人ではなかった。
初期の頃 抱き枕で安定すれば…と置いてみたけれど「何でこんなものと一緒に寝るの?」と怒り出したので 直ぐに引っ込めた。
私が子供の頃だって おねだりしても買ってくれなかった。
あの「ダッコちゃん」すら…。
流行りものは シャットアウトだった。

それでも 母の病の進行と共にぬいぐるみに興味を示してくれるようになった。哀しいけれど、でも楽しみを見つけられるのだから…嬉しい。

ついこの間まで 気にする事もなくなってきたので「引き上げ時かな…」と考えたけれど もう少し 置いていても良さそうである。

母を連れて我が家へ。正しく言うと 娘の車で…。

洗髪と下半身浴をした。

休息している時 タオルたたみをお願いした。
4隅を指先でしっかり合わせて しわを伸ばして2回 たたんでいた。
が 数枚たたんだら 縦長に織り込み始めた。
「何をするのだろう?」と見ていると 三つ折絎けするように更に折り込んだ。そして手で長さを測り出した。今度はそこを折りこむ様にして印付け。
そのうち何をしてよいのか分からなくなったようで大きなため息をついた。

そこで私はタオルを受け取り細く折たたんだタオルでねじり鉢巻風にして頭に巻いて見せた。
ちょっと自信を失くしかけた母がケタケタと笑い出した。
ついでにタオルを広げて頭にかけて 「ウ・ラ・メ・シ・ヤァ〜」と手を前に下げて見た。すると「いやだぁ〜」と反応。
今度は エプロン風に首の前に下げてみたら「今度は良い」と反応。
興味が出れば 前の動作も思い出せるのかな?

たたむ作業の事は忘れてくれた。
しかし 目の前には一緒にたたんだタオルが7枚ほどたたまれてあるけれど…全く思い出せないようである。
少しショックだった。
「飽きた」のではなく明らかに忘れたように見えた。
数秒前までちゃんと出来ていたのに 急に忘れてしまったのであった。

作業療法士さんが見えて リハを受ける。
今日もグーグーと眠った。
先週は GHに出向いてもらい私は立ち会ってなかった。
そういう時 寝かせるのに苦労したと前に伺った。
横になって貰おうとすると…「私眠くないんです」と言うらしい。
先週は 血圧計を出してみたそうだ。
すると「横になったほうが良いですかね」と言って横になったそうである。
療法士さんと「血圧計って理解できるんですね」とビックリした。
家にいる時は 無条件に横になるのだけれど…。不思議だ。

そうだ 不思議と言えば…。
母が車に乗る時は こちらがドアの開け閉めをしているのだが。
この所 時折自分で開け閉めをするようになった。
今日も降りる時 何処で開けるのかとあちこち探していた。
が 途中で何をしようとしたか忘れた風だった。
娘が「ドア開けて」と声をかけたら すっとドアを空けられた。
瞬間 思い出す動作…。
これも不思議現象だった。


2004年06月11日(金) ♪でっきるっかな?♪


 自分の用で今月は金曜の利用者さん訪問の時間を早めに変更して頂く。
ちゃんと在宅なさっているかな?と少し不安だったけれど…。
スポーツジムでスイミングをなさって家に戻られていらしたのでほっとした。

其の上 今日の予定を楽しみに待っていらした。
今日は 寸法直しが仕上がっているので取りに行くのである。
また 特別頒布の器も購入したいと言われていた。

他にも 手芸をしたいと言うので手芸屋さんに 寄ってみる事にした。

寸法直しは ぴったりに仕上がり 特別頒布の器もしっかりゲットなさって利用者さんはニコニコ。

手芸店には 一度ご自分で寄られたようだけれど…「何もなかった」と言われた。おそらく探しきれなかったのだろうと思い 今日 立ち寄ってみた。
利用者さんは 店頭をチラッと見ただけで諦めていらしたようである。
これは 母にも有った事なので一緒に中に入り 希望している物を探した。
「あるわぁ〜」と感激なさった利用者さんだった。
何が希望かと言うと「パッチワークのキット」である。
店先で更にお話を伺うと「ミニクッションのキット」だった。
好みそうな柄のキットを取り出すと「これこれ」と喜ばれた。

これで、目的達成と安心していたら…。
利用者さんの思わぬ一言に「う〜ん」となってしまった。
「判らなくなったら 教えてね。○○さん(私)がいるから安心」
自慢じゃないけれど 人に教えるという事が大の苦手。
料理だって 手芸だって全て自己流だし…。
とオタオタしてしまった。

でも、でもですね。
折り紙だって、歌だって 知らない事いっぱいだったけれど…母に能力開発して貰った訳で…。
刺し子なんてした事もないのに 母の潜在している能力を引き出せたんだもの…。難しく考えるのはやめようって考え直した。
難しく考えると胃がシクシクしてしまうもの…。

利用者さんは 自分からパッチワークと言われた。きっと経験があるのだろうだから 引き出せば良いのだろう。
もし 判らなくなったら この手芸屋さんに来れば良いんだよね。
念のため 確認を取った。
空いていれば 対応してくださると言われて本当にほっとした。

でも少し不安。
得意だから…という人は 先にして見せてくれるので意欲がそがれる事もある。母の相手をしてくれた方は とても上手で母の意欲が萎えてしまった事がある。それに完全を求めすぎて 嫌になってしまう事も…。
何だか 出来ない方が良いと自慢しているかな?

訪問を終えて 自分の用のため電車に飛び乗った。
ちょこっと新たなお勉強だ。
2時間近く教えていただいて…随分整理できたかなと思った。
家に戻って おさらいしてみると…半分は忘れていた。
やっぱり受身の習い事は…右から左に抜けてしまうなぁ〜。

出来るようになるか…先行きに暗雲が立ち込めている。


2004年06月10日(木) 暑かったり…寒かったり


 自分の用のために母をあちこち引っぱりまわした。
バスに乗ったり 電車に乗ったり。銀行2件回って 郵便局に行き…。
 
最後は エスカレーターに乗る時にふらつくほど…。
いえ、二人とも…なんです。
母を支えるつもりが こちらまでふらついて冷や汗が出てしまった。
全く 年には勝てないかな?いや、弱音を吐くには未だちょっと…。

湿度の高いのは 参ってしまうなぁ〜。

お昼は 母の好きなお肉。外食です。
ステーキ丼。タコとセロリのサラダ。デザートはケーキ。しっかり全部食べました。ステーキはお刺身のように切ってあり、他にもナスやズッキーニ等載っていて…。私のレタスのサラダだって食べていた。
食べ終えて お腹いっぱいになり おやつを欲しがる事はなかった。
食事をしっかり摂れるって…やっぱり素敵だ。

気になっていた かゆみ…。
綺麗に洗浄し 薬を塗布しているからか気になる仕草はなかった。
通院した後も なかったし…。
やはり医師の言うように「高齢になると時折 こういう事が起きるからあまり気にしなくても良いのではないか…」という事かな?
検査結果が出て来るまでは断定は出来ないけれど…ちょっと安心。

郵便局で用を足している時 母を椅子に座らせていた。
局員が母に笑顔を向けたら 自分の順が来たと思い立ち上がった。
慌てて「私が受けるから大丈夫よ」と声をかけて座ってもらった。

バスを待っていると車(どんな車でも)自分を乗せる車だと思って手を振る母。「大きい車だから…」と言ったらトラックが来た。「あれ違うからね」と慌てた。

建物を出たり入ったり、乗り物に乗ったり降りたり…。
其の度に 帽子を被ったり脱いだり 上着を羽織ったり脱いだり…。
私は平気だけれど…母は そうも行かない。冷房が気持ちよいと思っても母の身体は冷たくなってしまう。
これからの季節…外出にはこういう事に十分配慮しないとなぁ〜。

この間から 母の爪が伸びて気になっていた。
母自身もとても気にしていた。
今日、ようやく 切って上げた。
公園のベンチに座って切った。
やっと ほっとした。
多分 気になり始めてから2週間近く経てしまった筈。
今日は 右手の2本の指だけ 母が一人で切った。
もっと切って欲しかったけれど…2本で飽きてしまったのだった。

施設に戻ると 顔を洗い トイレの用を足して すぐさま横になっていた。
母も疲れたことだろう。


2004年06月09日(水) オフにした日

 
 あれこれ用事もあったけれど…家に篭る事にした。
ちょこっと知り合いの所に出かけて 日曜の打ち合わせ。
片麻痺の其の方を迎えに行き 出かけるから。
電車での移動は 麻痺してから初めてだと言われていた。
電車の時間と乗り継ぎ方を説明し 借りていた物を返して介護の本を戴いてきた。

ついでに畑の草取り。
雨が降り 作物も良く育つけれど 同じように草も良く育つ。

いろんな草があるけれど…刈らなかった草もある。
ふるさとでは これを取り土を払って陰干しして食べるのだ。
ふるさとでは「赤ひょう」って言うけれど…。
ほんとの名前は 度忘れして今書けない。

赤い茎で地を這うように生えてくる草。何処にでもあるものだ。
義姉達に「これ食べられるのよ」と言ったら驚かれたものだ。
義兄は「○○の田舎じゃ 何でも食っちまうんだな」と笑われた。
だって アケビの新芽だって食べるし…。ぎぼうしだって食べるのだもの。
へへへっ。
でも おいしいんだよぉ〜。

折角畑に這い出したヒョウだから…もう少し待ってみよう。

そうそう。
門前のクランベリーも色が付いて来たので赤いのだけ 摘み取った。
ワイルドストロベリー同様 赤くなったのから順に摘み取り冷凍して溜まった所でジャムにする。
しかし何故 冷凍って今まで気が付かなかったんだろうなぁ〜。
赤くなるのがばらばらで 其のつど生で食べるしかなかったのだった。
何時になったらジャムが作れるほど収穫出来るかと思っていた。

友人からメールで今年の梅は 青か黄かどっちを希望する?と言うメールが入った。毎年おくってくれる。それに甘えている。
梅ジュースは 青くなくても良いと判ったので 黄を希望した。
熟した梅で やわらかい梅干を作ろう。

梅干で思い出した事があった。
家で作る梅干は漬けた当初はしその良い香りがするのだけれど…一年経つ頃には香りが大分飛んでしまう。
でも 買い足す梅干は時間が経ってもしその香りがする。
先日 それを出して義姉達に「どうしてだろう?」と聞いてみた。
義姉たちは もう少し前に気が付いた様で…。
どうも最近のちりめんしそは良くなくて、昔からあるしそが香りが残るのだそうだ。下の義姉が今栽培を始めたそうで…でもまだ沢山は出来ないと言っていた。
成るほどなぁ〜。昔は梅干を出す度にしその香りが立ったものねぇ〜。
品種改良って 生産性を重視して 其のよさをなくすという事も多いんだねと思った。
今年は そういう紫蘇 拘って探してみようと思う。

とオフの日にした日は こんな風に過ぎていった。


2004年06月08日(火) 通院のはしご…

昨日の日記を読み返して あれっと思った。
書き直ししている内に「殴ったけれど娘は悪くなかった」みたいになってしまっていた。
そういう事を書こうとした訳でなかったのに…。
いや、書くってやっぱり難しいなぁ〜。

娘が良い子であろうとなかろうと そういう事は問題でなくて…。
過渡期にある娘が 吸い取り紙が水を吸うように育った訳でない。
マニュアルで追いついて行かない…。そんな時期を親として迷い迷って接した。

実は 娘が先に殴ったのではなくて 相手から殴られて殴り返し泣かせたのだ。
夫は娘の幼い頃から「自分より弱い子は絶対に殴ってはいけない」と教えていた。私は「暴力はいけない」と言っていた。
娘は 自分より強いと思われたから殴り返した。
が、殴ってみてほんとは弱かったという事にも気が付いた。

殴った事実は消えない。
おそらく そういう行為は あの1回限りだと思う。

あの頃、他にも力に訴えない子が 力で返した。(男の同士)
其の事を担任は驚きを持って見ていた。
いや、見ていただけでなくて 実に上手に関ってくれた。

其の先生は 現場が大好きで昇進試験など受けず むしろ他の先生が避けたがる障害児を受け容れたりしていた。
今も 教職の傍ら 大学に通い心理学を学んで居られる。
そういう恵まれた環境の中で娘は過ごす事が出来た。
娘も親も 先生には感謝である。
私たち親子だけが そうなのではない。
誰もが尊敬してやまない先生だった。

娘が殴り返した男の子は 頭も良くてスポーツも出来て良い子だった。
ただ、彼の家の中が不安定であることは 親同士での(噂でなく直接)会話で知っていた。だから、家の中の事には触れずに「きっと 訳があるのだから…」と娘には言っていた。
でも娘には理解できる筈もなくて…。

子供を飛び越えて謝りに行こうと思ったり 苦情を言おうと思ったり…が幾度か有った。でも グッと堪えていた。
あの頃が 親として一番苦しい時だったし親として成長した時期でもあったと思う。

もう すっかり大人になった今は 出来る限り対等に接しているが…。
一人っ子と言う事情で 過干渉、甘えさせすぎ…は否めない。

今日は 母を婦人科と内科に通院した。
実は ちょっと前からかゆみがあるのではないかと思われる行為が続いていた。施設に様子を見て欲しい…とお願いをしていた。
その結果 通院をした方が良いだろうという事になった。
かゆみらしい事以外の症状は 見られていなかったのが…。
母に「痒い?」と聞いても「うん」と言ったり「ううん」と言ったりだった。

通院の前に 婦人科に先に出向いて母の様子を説明しておいた。
勿論痴呆である事も。
と言うのも母を婦人科に連れて行くのは 初めてだったから。
通院してから母の説明は極力避けたいと思った。
おそらく母に理解できないだろうけれど…万が一のため。

母には診察室に入った時に 何故診察すかを説明した。
診察台に乗るまでは スムースに行った。
内診が始まって 耳鼻科の時と同じ状態になった。
「ちょっと我慢」「ちょっと我慢」と耳元でささやいた。
其の度に収まるけれど…。仕方ないので口に手を当てた。
高齢の女医さんだった。でも 母の状態を良く理解してくださり対応も丁寧だった。ありがたかった。

母も診察室を出る時「有難うございました」と言えた。

次にかかりつけの医師の所に通院した。
血圧もそう高くなくてほっとした。
ただ、婦人科検診の事がぼんやりと残っているようで 不安がった。

内科の通院を終えて 家に向かった。
ちょっとの休息をして 娘の運転でミニドライブ。買い物がてら外食。

おやつの時間が終わる頃に施設に戻った。
母もかなり疲れたようで横になっていた。

婦人科の検査結果は 1週間後である。






2004年06月07日(月) 大人になれば判ると思う…


最近娘から「あの時に言われた事が 判るようになった」と言われている。
「大人になれば判るよ」と逃げた言葉をかけた時の事だ。

難しい年齢の時 あれこれと話しこんだ…。「自分が正しい」と信じて話が平行線状態になった時「今はわからないかも知れないけれど…大人になれば判ると思うよ」と敢えて結論を出さなかった。

長崎の事件が痛ましい。
被害者も加害者も…其の周囲にいる親たちも。
マスコミがあれこれコメントするけれど…。
どうなのだろう?

どうにも痛々しすぎる。
情報をシャットアウトしてはいけないけれど…もう少し整理されてから報道できない物だろうか?

飛躍するけれど 今の世の中の流れに付いていけない。
ボランティアの人質事件、北朝鮮の家族会への批判、小泉自民党を支持する事…。歪んでいるのは 大人社会じゃないのか?

最近♪何でだろう 何でだろう♪と思う事が多い。
「お〜い日本、そんなに急いで何処に行く」と言うフレーズがあったけれど…。事件に対して 結論を性急に求めすぎては居ないだろうか?
政治に対して 性急な結論を出すべき所を のんびり流しすぎて居ないだろうか?

どうにも理解できない自分がいる。

娘の話に戻るけれど…。
娘が小学生の頃 小学生が連続して殺された。
あの時 親としてとても不安になったことを覚えている。
気が付けば 娘に近ずく青年たちがみな危険人物に思えた。
娘には 「みんなが危険と言う訳でないのよ」と言ったような気がしている。でも 「注意する事は必要」とも言ったと記憶している。

小学生の頃 娘が男の子を殴った事がある。
親として全く気が付かなかった。
あれほど沢山話していたのに…。知らなかった。
保護者会で先生が「思わぬ子が反撃している」と言っても娘がそうだとは全く考えなかった。
周囲で「近頃の女の子は強いから…」と言われても自分の子の事とは思わなかった。
大分たって 殴られた子の親から話を聞いて 先生に状況をうかがった。
どうやら 娘は悪くなくて殴られた男の子が謝る形で決着したようであった。思い出すだけでひやりとする。

以後 娘の武勇伝は 中学まで持ち込まれて他校から来た男子にまで広がっていた。言われた男の子も不名誉な話をされて嫌だったかも知れない。
でも 娘も大分 嫌がっていた。

娘も今は あの頃の状況がわかっている。

娘は 大人になった。でも まだ「ここまで来ないとわからない事がある」と言う思いはある。
何時まで経っても親は親であり 子は子だ。
でも 私と母の関係って…どうなんだ?
私にとって親だけれど…母にとっては?
母も思っているだろうか?
「病になってみないとわからない事があるんだよ」って。

利用者さん訪問。
お墓参りは 家族が出来る限り同行する方向で動く事になった。
土曜、日曜にかけてご家族と話された様子だった。
家族が同行出来ない時に お手伝いする事に。





2004年06月06日(日) からかったつもりが…


 一昨日 義姉に「小梅があったら1キロ程頂戴」と厚かましいお願いをした。義姉は「手捥ぎしていくよ」と言ってくださった。
約束通り小梅を持ってきてくださった。それも4キロ近くだ。
大変な厚かましさだったと深く反省。
ありがたく漬けさせて貰った。
カリカリ梅を漬けるには 新鮮さが命なので…。
軸の所は、夫の共同作業で…。
梅漬けが大好きなので…こればかりは手伝ってくれる。勿論時間が許せば…という条件付だけれど…。

今 キッチンは梅の香りが漂っている。
おりしも今日から梅雨に入った。

4日ぶりに母と会った。
風邪が抜けなくて…昨日は行かなかったのだった。告別式の後 間に合うか判らなかったので「リハは直接GHで…」とお願いしていたのだった。
行こうと思えば行けたのだが…。
おかげで 今日は大分楽になった。

母はソファーに突っ伏していた。何かを拾おうとしているのだと思ったが違っていた。どうにもならない気持ちだったのだろう…べそをかいていた。
「どうしたの?」と聞くと「訳があったんだけれど…忘れてしまった」という事だった。
居室に入り「家に行こうね」と言うと「何処にも行かない。何もないもの…」と持ち物がない事を訴えた。
クローゼットを開けると途端に表情が変わり「あるんだぁ〜」と言う。
着替えしてもらって 居室の整理。
母の小さな巾着袋に実に沢山の物が詰め込まれていた。
色鉛筆 小皿、折り紙 タオル等…。
「あ〜帰ろうとしたんだなぁ〜」という事が一目瞭然だった。
空白の日々の母の思いを考えると胸が痛む。
けれど どうにもならない日もある。

外に出ても 家に着いてもあまり楽しそうでない様子だったが…。
昼食を家族みんなと摂って 過ごしているうちにだんだん気持ちが落ち着いてきた様子だった。武久夢二のカレンダーの絵をみて「この間と同じ絵だね。あれはぶどうか?」と聞いてきた。
「いや、藤の花だよ」というと「ひとつ、二つ…」と花の数を数え始めていた」休息を入れて入浴洗髪。

髪を乾かした後 母に質問してみた。
「ねぇ。鉄1貫目と綿1貫目とどっちが重たいかねぇ〜」
「重さでしょ。そりゃ 同じ重さだ物…」と引っかかる事もなかった。
「ひゃ〜。やっぱ 頭良いわぁ〜」と言うと。
「そりゃ こっちに住んでいる内に 頭良くなったんだわぁ〜」とニヤニヤしている。
からかったつもりが、からかわれていたのだった。

帰宅頃には すっかり落ち着いた母になっていた。
 
昼食の支度は「うどん茹で」を手伝ってもらった。
最初は不安げだったし、私もお鍋をひっくり返したら…とドキドキしていた。でも ちゃんと出来た。勿論 隣で作業しながら母の手元からは目を放さずにいたけれど…。その後 しょうがを摩り下ろしてもらった。これも合格。おろし金の始末も器に移すのも合格だった。


2004年06月05日(土) 遅かりし…


 昨年 介護仲間が自宅の庭でスズメバチに刺されて 大変な思いをなさったと聞いていた。
「他人事ではないぞ」とぐるりと点検したのは昨年秋の事。

昨日 外出前に 洗濯物をしっかり止めている時 右腕がチクッと痛んだ。
瞬間「やられたぁ〜」と思った。
蜂の姿は見えなかったのになぁ〜。

慌てた時の心理状態って 常識を飛び越えてしまうのだなぁ〜。
刺されて直ぐ患部をゴシゴシと擦ってしまった。
「変だ」と気が付き患部の毒を吸ってみたけれど…手遅れだった。

薬を探したけれど「アンモニア」なんてある筈もなくて…。少し冷やしてから物干し場に戻ってみた。
小さな蜂の巣があった。
スズメバチ、アシナガバチではないのでほっとした。
しかし、毎日 あの場所で作業しているのに…気が付かないなんて…。

丁度蜂の巣の前で洗濯物を止めようと動いたので蜂も防衛本能で向かってきたのだろう。私は 訪問に遅れないように…とかなりパタパタしていたし…。

薬局によって薬を買い処置してから 訪問したのだが…。
其の時には 腕は熱を持ち腫れ始めていた。
たかが蜂…と思っていたけれど…馬鹿に出来ない物だなぁ〜。

蜂に刺されたのは 子供の頃に1度だけある。
でも 遠い過去の事でここまで腫れたかどうか…記憶にはない。
刺された痛みだけは 記憶に残っているのだけれど…。

油断だったなぁ〜。
明日あたり 家の周囲を良く点検して 小さいうちに撤去しておかないといけないなぁ〜。


2004年06月04日(金) 写真…


 利用者さん訪問。
今日は お買い物の付き添いと言う約束だった。
お通夜に出かけるので 少し早めに訪問。
訪ねると お洋服が3点ほどソファーに出してあり これらに合わせたい…と言われた。
デパートまで出向いて 希望に沿った洋服を選んだ。今回も接客しようとする店員さんをそっとよけながら…。
2点選び 袖が少し長いので詰めて貰う為 補正に出した。
利用者さんはご満足で ほっとした。

この夏 お墓参りの介助を頼まれている。事業所に連絡OKをえている。
ケアマネの方もOKが出ている。
後は、利用者さんとご家族の話し合いで了解となれば 都合の付く日に同行させて戴く事となる。

急ぎ家に向かった。
夫は仕事を切り上げて もう家にいた。
着替えて 斎場に向かった。
義兄たちも到着しており…少し立ち話…頃合をみて中に入った。

通夜の後 家に直行。
車の運転があったので アルコールは飲んで居ないのですぐに支度。
お姉さん達には お食事。
零時ごろまでワイワイとお話をして 眠りに付かれた。
下の義兄はこの所写真に凝っていて…見事な写真を見せてくれた。
好きなのを引き伸ばしてくれる…というので夫の実家の近くの風景の写真を戴く事に…。
義兄は もっと色 構図…などに気配りした上級の写真を選んでもらえると思ったらしく少しがっかりなさった様子だった。
でも、ふるさとの風景が 一番しっくりする。

明日は早いので…。


2004年06月03日(木) 明日は…。


 突然 訃報が入った。
義父の弟の奥様だ。
明日 お通夜という。
夫の兄たちに知らせた。明日はお通夜が済んだら我が家に泊り。翌日告別式に向かう事になった。
2組の兄夫婦と会える。
こちらも この所出かけてないので…1年ちょっとぶりかなぁ〜。
こういう事がないと会えないのは 残念。

亡くなったおばさんは ある事で我が家に迷惑をかけたといつもみかん等を送ってくれた。「気にしないで下さい。それより 息抜きに遊びにいらしてください」と幾度も言ったのに…。
とうとう一度も来られなかった。
ここ数年は「体力に自信がなくなった」と話されていらした。
でも、お孫さんの顔も見られて…良かったなと勝手に思っている。

母を通院させようと思っていたけれど…ちょっと無理そうである。
月曜午後か火曜に泊めて 2ヶ所通院しようか…。
来週も予定が入っており…ちょこっとハードな週になりそうである。
しておかねばならない事も2.3有って…。

畑の枝豆…無事だった。
植えた苗…また鳥さんのえさになってないかとドキドキだった。
でも、以前 はっぱだけぐんぐん伸びて 実が付かないという経験があるだけに…油断は出来ない。何分 植え付けが遅れてしまっているので…。
落花生も元気である。

今年は きゅうり、ニガウリ、オクラ、南瓜等 軒並み育ちが悪いらしい。
家の場合 きゅうりは もう 4本程収穫出来 今もまた 2.3本収穫出来そう。きゅうりの緑色が鮮やかである。これは 嬉しい。
南瓜は 虫が付いていて…元気がなくなってきていた。昨日 行ったら茎が折れていた。もう 駄目かも知れない。実が3個付いていたけれど…どうなるだろう。南瓜は簡単と思っていたけれど…。



2004年06月02日(水) えへっ いい事ずくめ

 
 昨日は、どうにもこうにも 頭がパニック状態となっていた。
午前零時ごろには、頭がクラクラとしてきて 早々と就寝した。
ある事をしようと思うのだけれど そのための下準備と言う物をどうやって行けばよいのかさっぱり見当が付かなくて…。
サポートしてもらうにも 物事の決まりすらも判らず 何処から手を付ければ良いのか…。ただただ悶々とするばかりだった。

初めての経験は 勉強にもなるけれど…。疲労度も高いなぁ〜。

朝の目覚めは 昨日を引きずってさわやかとは言えなかった。
でも、第一歩の電話でスーッと頭が軽くなって来るのが判った。
ひとつ道が開けたから…。全く単純である。

母の所に出向こうとした時 郵便が届いた。GHの利用料の領収書だった。
普段は出掛けに開封しないけれど…今日は何の気なしに開封。
すると 初めて領収書に明細が記されていた。
とても嬉しかった。私から見ると明細なんて簡単だろうと思うけれど(役所の人に言わせるとこちらには出ていますから…聞けば直ぐわかります)と言われていたけれど…。そんなに簡単な事ならチョコッと書けるだろうに…。
書けないという事は、面倒な事があるからだろう…と思って ずっと様子を見てきたのだった。
ほんとは もう少し詳しい明細が欲しい所だけれど…ないよりずっと納得できるから…。
こういうところで 利用家族は穿って見てしまうのです…。
いや、私だけかな?
と言う訳で ここでも気が晴れた。

母を連れて施設の外へ出た。
「ねぇ〜。動物と花と絵のなかでどれを一番見たい?」と母に聞いてみた。
母は、3つの単語をしっかり反芻して考えた。
「へぇ〜。ちゃんと記憶できてるなぁ〜」と久しぶりに驚いた。
そして「花がいいな」と答えた。
これで決まり。
少し離れた「植物園」に直行。

行きの道は少し不安げだった。
でも植物園の前に付くと目がきらきらとしてきた。
ここの植物園は 車椅子もある。トイレも身障者用があり 園内あちこちにトイレがあるしベンチも多い。
数年前に来た時は 歩いたけれど回っているうちに疲れて花どころではなくなった事があったので車椅子を借りた。
車椅子に乗った儘いたわけではない。歩きたくなった時は降りてもらい車椅子を押してもらった。勿論こちらも補助して暴走しないように配慮した。
時として「あんたも乗りなさい」と私に言った。
「はい 有難う」と乗らせてもらった。私を乗せて車椅子を押す母…。
ちゃんと動いたけれど…でもやっぱり恥ずかしいので 直ぐ降りた。

花を見つめる母のまなざしはとても柔和になった。
特に険しい顔をしている事等ないのだけれど…。それでもとてもよい表情になった。
花の場所だけではない。大きな木々の下でも 野草などのある鬱蒼とした場所でも…とても良い表情だった。
自然の力って偉大だなぁ〜。

いつも施設から連れ出す事でいっぱいいっぱい…他の人よりずっと外気に触れているし…なんて思っていたけれど…。
考えてみれば 施設に入ってからこうやってゆっくりお出かけと言うのは本当に減ってしまっていたなぁ〜。
在宅の頃は こういう表情だったんだなぁ〜。
自分の感覚が麻痺って来ているという事だろう。反省だな。

夕方になると混雑してしまうので 早めに帰路についた。
施設近くまで来ると「疲れたなぁ〜」と言っていた。
居室に入り横になって貰った。
程よい刺激になっただろう。

気が付けば…私自身もかなり気分転換できたようで やる気が生まれてきた。
急ぎ家に戻って 家のスチロールの箱で育った枝豆を植えつけるため畑に出向いた。
植え付けを済ませて…畑を離れる時に青空の残る空に白い雲が赤く染まって…久々に「きれい」と叫びたくなるような夕焼けに出会った。
何だかスキップしたい気分になる。
野良仕事帰りの農家の人になった気分…。いや、ちっちゃな畑でちょこっとの仕事でこんな事言ってはいけないんだけれど…。

何だか 一日とてもよい気分だった。


2004年06月01日(火) 罪な話


 調べたい事があって あちこち検索をかける日々だ。
今日 日経ネットの「いきいき健康」と言う場所で はっとした。
それは これまで母の安定を願って多少の嘘をついていたのだが…。
これは 母のためと言うのは口実で面倒を避ける為の私自身の言い訳に過ぎないと思い知った。
何処かで判っていても 認めたくない私がいて…。
でも、最近 何かわかっているのでは…と思う場面に出会っていて ザワザワとした思いをしていたのだった。

以下 少し抜粋
「バリデーション」とは本来、「確認」「承認」「批准」という意味。ナオミさんは「本人(痴呆症高齢者)の言うことや行動を否定しないで、ありのままを認めて受け入れること」という意味に使う。

 「痴呆症の人は、一見、わけの分からないことを話したり、とんでもない行動をしているように見えていても、実は、それなりの理由があるので、まずじっくり耳を傾けてあげることが肝心です」

これ以上の詳しい事は、日経ネットでごらんになってください。

母に伝えたのは「家で暮らそう…」と言った事である。
これは、嘘ではない。
いずれ在宅に戻そうと機会を探っている所である。
ただ、聞いた母はどう受け止めただろうか?
「直ぐに帰れる」と思っていたのではないか?
母自身 具体的な言葉の記憶はないにしても…「家に帰る」という思いが膨らんでしまっているのではないだろうか?
罪な事を言ってしまったと後悔する。

今日は家族の会だった。
家族の介護協力について話題になった。
介護は お嫁さんの立場、娘の立場、息子の立場、連れ合いとしての立場、孫としての立場…どれぞれ違ってくるのだけれど…。
究極の所 介護者は一人であり 介護者は「人として生きる」と言う部分に到達して介護に関っていくのかなぁ〜と…。
「誰かに手伝って欲しい」と思っては見ても 状況的(心理的側面も含めて)に無理だねぇ〜とも…。
上手に介護を分担できている方のコツって何だろうなぁ〜。




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