2016年11月29日(火) |
岸見一郎『幸せになる勇気』★★★★☆ |
岸見一郎『幸せになる勇気』
「嫌われる勇気」を実践してみたものの、困難にぶちあたった青年と先生との対話。 読み進めることで、よりアドラー心理学が理解できる仕組み。
心に残ったところ。
「自分を変えるとは、『それまでの自分』に見切りをつけ、『それまでの自分』を否定し、『それまでの自分』が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。そこまでやってようやく、『あたらしい自分』として生まれ変わるのですから。では、いくら現状に不満があるとはいえ、『死』を選ぶことはできるのか。底の見えない闇に身を投げることができるのか。……これは、そう簡単な話ではありません。 だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも『このままでいいんだ』と思いたい。そして現状を肯定するための、『このままでいい』材料を探しながら生きることになるのです。」(p63)
「われわれの世界には、ほんとうの意味での『過去』など存在しません。十人十色の『いま』によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。」(p65)
トラウマについて。 「これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。」(p69)
三角柱には「かわいそうなわたし」「悪いあの人」「これからどうするか」
「存在を無視されるくらいなら、叱られるほうがずっといい。たとえ叱られるというかたちであっても、存在を認め、特別な地位に置いてほしい。それが彼らの願いです。」(p94)
「あなたは、生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として、未熟な、また愚かな態度なのです。」(p114)
冷静に叱っているのだ、に対して 「いわば実弾の装填されていない、空包の銃だとおっしゃるのでしょう。しかし、生徒たちにしてみれば、銃口を向けられている事実は同じなのです。」(p115)
「いまあなたが守るべきは法でも秩序でもなく『目の前の子ども』、問題行動を起こした子どもです。」(p116)
「暴力行為への恐怖とは別に、『この人は未熟な人間なのだ』という洞察が、無意識のうちに働きます。 これは、大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を『尊敬』することができますか?(略)怒りや暴力を伴うコミュニケーションはには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。」(p116)
「幸福の本質は『貢献感』なのだと。」(p123)
「子どもたちが失敗したとき、たしかにあなたは責任を問われるでしょう。(略)ほんとうの意味で責任をとらされるのは、本人だけです。だからこそ『課題の分離』という発想が生まれます。つまり、『その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か』という発想が。」(p124)
「子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは『自分の人生は、自分で選ぶことができる』という事実を学んでくれるでしょう。」(p124-125)
「ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで『もっとほめられること』を求めます。その人は『依存』の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。」(p152)
「『人と違うこと』に価値を置くのではなく、『わたしであること』に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。」(p153)
「他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に『メサイヤ・コンプレックス』と呼ばれています。」(p162)
「不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、誰ひとりとして幸せにしません。(略)まずは、あなたが自らの手で幸せを獲得すること。」(p163)
「教育の入口は尊敬である。そして尊敬とは、信頼である。さらに、信頼に基づく関係とは、交友の関係である。」(p197)
「アドラーの『大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである』という言葉を思い出してください。どんな相手であっても、『尊敬』を寄せ、『信じる』ことはできます。それは環境や対象に左右されるものではなく、あなたの決心ひとつによるものなのですから。」(p199)
「自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。」(p209)
「世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と仲間になる。そうした日々の、ちいさな信頼の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。」(p215)
「いいも悪いも、そこからはじめるしかないのです。世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない。」(p215-216)
「人間にとっての試練、そして決断とは、受験や就職、結婚といったしんぼりっくなライフイベントのときにだけ訪れるのではありません。われわれにとっては、なんでもない日々が試練であり、『いま、ここ』の日常に、大きな決断を求められているのです。その試練を避けて通る人に、ほんとうの幸せは獲得できないでしょう。」(p216)
「与えるからこそ、与えられる。『与えてもらうこと』を待ってはならない。心の物乞いになってはならない。」(p219)
「利己的に『わたしの幸せ』と求めるのではなく、利他的に『あなたの幸せ』を願うのでもなく、不可分なる『わたしたちの幸せ』と築き上げること。それが愛なのです。」(p239) 「現実としてわれわれば、別れるために出会うのです。(略) だとすれば、われわれにできることはひとつでしょう。すべての出会いとすべての対人関係にといて、ただひたすら『最良の別れ』に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。」(p277)
岸見一郎『幸せになる勇気』
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