2014年06月10日(火) |
斎藤茂太『老いへの「身辺整理」』★★★☆☆ |
斎藤茂太『老いへの「身辺整理」』
「モノには思いが詰まっている。その思いは死んだ当人だけのものであることが多い。 この思いを生前に整理することが、未練を少なくするコツとなるのだと思う。」(p26)
「現代人はモノで自分の存在感を感じることがある。たとえば気に入った車を持つことがその日とのアイデンティティになっていることがある。 モノにアイデンティティが不着していたら、とても整理などできないし、また、このモノの行く末が心配で死ぬに死ねないということもある。」(p26-27)
「いくらモノがあっても、それを眺めて、いい人生だったと感じることはないが、たくさんの思い出を残せば、いい人生だったと納得することができる。」(p27)
「これは冷たいことではないと思う。子どもに残していくのは、基本的には教育と思い出が中心となっていいはずだ。」(p31)
「モノをあげたりもらったりする喜びは、気持ちをあげたりもらったりする喜びなのだ。」(p45)
「モノといっしょに気持ちを伝えようとすれば、これはもうどうあっても生きているうちにしてしまわなくてはならない。」(p46)
「貸し借りという濃い関係から、差し上げたり、いただいたりというさらりとした関係にしていくのが、人生の未練を少なくするコツではないだろうか。」(p54)
「機会をつくって写真に写る。どんなきかっけで撮るにしろ、一年に一回はひそかに遺影写真を心がける。」(p59)
人生をリュックをしょって歩いて行くと考える。
「リュックの中身は、財産だったり、地位だったり、プライドだったりする。そんな重いものを背負っていては、ヒョイヒョイとどこかに走っていくことはとてもできない。それにプラスして体力の衰えということがある。 しかし、どうも多くの人は、背負っているリュックの中身には頓着せず、体力の衰えばかりを気にかける。そんな気がしてならないのだ。 もちろん、長い時間をかけて、時にはいやな思いをして蓄えてきたリュックの中身だから、大切なものが詰まっているはずだ。しかし、全部が全部、大切なものなのかどうか。」(p68)
「たくさんの雪を載せて歩くことが大切なのではなくて、歩き続けることが大切なのである。」(p69)
かわいげのある老人になる。
「かわいげのある笑いとは、かわいげのある人生から生まれてくるものだろう。ならば、かわいげのある人生とはどういう人生なのだろうか。 これは、生かされていることに感謝する生き方ということに尽きるだろう。」(p170)
斎藤茂太『老いへの「身辺整理」』
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