2006年12月27日(水) |
板垣 康子『「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない』★★★☆☆ |
『「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない』 板垣 康子 主婦の友社
捨てたいのに、捨てられないのは、「心の整理」がついていないから。
捨てられるようになるための、そのふんぎりのつけ方を伝授する、という本です。
手順は、まずモノの要不要を見極める。つぎにふんぎりをつけるためのノウハウを身につけ、ふんぎりがついたら納得のいく方法でいさぎよく捨てる、と。
心に残ったところ。
『一人の人が一生の間にふれ合うモノの数なんて、たかが知れている。だからこそできるだけたくさんのモノとつきあいたいではないか。』(p11)
できるだけ、たくさんの、というよりできるだけ自分が好きと思える、あると嬉しい、心地いい、便利で必要なモノと。 たくさんじゃなくていいから、そういうモノと、心地よく暮らしたい。 この頃そう思います。
「モノはなんでもそうだが、ある目的を達成するための手段である、(略)いまは違う。モノを持つことそのものが目的になっている。」(p32-33)
自分の基準というのをきちんと持つこと。 自分にとってそれが本当に必要かどうか、考えること。
「片づけは一言でいうなら、次に使うときにすぐ取り出せるように納めることである。しかし、この簡単な原則がわからない。だから手当りしだいにモノを置く。(略) こんな具合だから、モノが多くなれば、重なり、くずれ、見えなくなり、存在が不明になる。」
要不要以前に、モノときちんと向き合っているかどうか。 どこに何があるか把握できているか。 捨てる前に、まずはそこから始めないといけないのだな、と思います。
「片づけや掃除にかける時間は少ないほど、仕事や楽しみの時間がとれるのである。それなら、片づけることが最小限ですむような暮らし方を考えるべきではないのか。数を減らすことの意味はここにある。」(p85)
「モノを大切にするということは、『大切に使う』ことで全うされるべきである。逆説的な言い方をすれば、使わないことは大切には思っていないことである。」(p86)
「捨てることはたいへんな行為である。痛みも感じず簡単になんでも捨てられることがいいのではない。痛みをたくさん感じた人が、これからはきっといいモノ選びができるのである。」(p87)
「『捨てる』という行為は、その物理的行動が大事なのではない。悩みながら、せつない思いを抱きながら捨てていくことで、『自分にとって必要なモノ』の姿がはっきりしてくるから、価値があるのだ。」(p188)
このフレーズ、絶対どっかで見た!どこかで書き写した!と思ったら、ありました。 同じ著者の『モノを大事にする人は捨て方がうまい』に。そちらはですます調になってましたが。
同じ箇所でひっかかったということは、やはり私はまだこれが自分のものになってない、ということなのでしょう。 まだまだ痛みが足りない、必要なモノの姿がはっきり見えてない、ということ。 その通りだと思います。 まだまだ。まだまだ。 でもこれから、どんどんいい方向へいく予定。 きっと、大丈夫。
『「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない』
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