活字中毒のワタシの日記

2006年08月28日(月) リリー・フランキー『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』★☆☆☆☆

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
リリー・フランキー
扶桑社 (2005/06/28)

たいてい『大泣き!』ととりあげられてニュースになるような『名作』に、私が泣ける本はない。

世界の中心で、愛をさけぶ』しかり『孤宿の人』しかり。

果たして、この作品もそうだった。

泣きドコロ、わからん。
著者の大切な人(母)が亡くなるというのは悲しいことだけど、別れは必然。
これ読んで泣けるような人がほんとに多いなら、電車の中でpodcastで事故のニュース聞いて涙をこぼすひとがもっといたっていいんでは?

私にとっては、著者は母の死が悲しかったろうなぁと思うけれど、又聞きの又聞きのような印象しか覚えなかったので泣けなかったのだと思う。
自分自身や友人、身近な人の話だったら泣けてしまうと思うので、この作品の著者にどこまで感情移入できるかが、泣ける泣けないの分かれ目なのかも。

でも私は自分の生活でいっぱいいっぱいの母からの仕送りを使い込んで尚かつ借金整理してもらったりもしてないし。

感情移入は、ちょっとキツい。
意識的に感情移入しないと楽しめない文学作品というのもどうかと。

『親孝行 したい時には親はなし』

これを再認識するにはいい本かも。

とまぁ、けちょんけちょんだけど、心に残ったエピソードが一つあった。

オカンの姉妹で海外旅行に行くことになり、現地で食事をした際に、持参した割り箸を洗おうとしたオカンの姉を、その息子が「みっともないことするな!」と叱ったシーン。

そうせざるを得なかった彼女のこれまでの人生を思って悲しくなった。
胸が痛くなった。

そーいう姉と似たり寄ったりの生活を送っていたオカンから、金をせびってたんですよね、この息子(著者)は。

だからこそ、泣けるのか?もしかして。

そんな息子がいよいよ親孝行できるようになったと思ったら、あああっって。

もっと気持ちよく泣きたい方には、『塩狩峠』あたりどうぞ。
死なないことが悲しくて(!)、たまらなくなってみたい人は『天北原野』なんかも。

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~



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2006年08月26日(土) 上野 正彦『死体は語る』★★★☆☆

死体は語る
上野 正彦
文藝春秋 (2001/10)

きれいな死体になりたいな…。

この本を読んで、そう思った。

異状死体になって検死を受ける身にはなりたくないけど、こればかりは自分で選べないから、もしそうなった時に監察医に「相当自堕落な生活送ってた身体だねこりゃ」と思われないように。

(著者の名誉のために書いておくと、こんなことを思ったとは一言も書いてません。むしろ、死者の人権を重視し、畏敬の念を抱いてらっしゃいます)

この本を読んで知ったのだけど、死の取り扱いには3種類あるそうだ。
病死。犯罪死。その中間の異状死体。

病死は主治医が死亡診断書を発行する。
犯罪死は検事の指揮下で司法解剖。

異状死体になるケースは、医師にかかわらずに突然死したり、自殺、災害事故死、病気か犯罪に関係しているのか疑わしい場合。
こういう場合は、警察に届けられてから警察官立ち会いのもと、医師の検死を受ける。
これを制度化したものが監察医制度で、現在5都市で施行されている。
(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸)

この監察医制度は、死者の人権を擁護している制度だと著者は言う。

事故死とされたが、検死の結果、他殺とわかったケース。
自殺や心中に見せかけた殺人。
または殺人に見せかけた自殺。
そういった難しい状況を、死体の状態から推測し、調べ、真実を見つけ出す。

自殺のようなのに、首の紐の跡が並行になっている。吊った場合は、後頭部へかけて斜めになるはずだからそれはおかしい、他殺だ、だとか、いやそれは吊った後で暴れて外れかけたので圧力がなんとかだからやはり自殺だとか、監察医を悩ませる事件もいろいろあるようで、そんな話がとても読みやすい筆致で書かれている。

死亡推定時刻というのも、だいたいこの時間でこんな状況になる、というもんだと私は思っていたのだけど、日当たりや保存場所(大気中、水の中や土の中)や季節で全然違ってくるというのも驚きだった。
人間も野菜や肉と同じ(肉だもんね)だと思えばそれもあたりまえなんだけど。

私も死体は怖いと思ってしまうのだが(虫の死体もダメ)、著者は解剖や検死が気持ち悪くないかと聞かれると即座にこうこたえるそうだ。

「生きている人の方が恐ろしい」(p52)

理由がふるっている。

「生きている人は、痛いとかかゆいとか、すぐに文句を言う。そして何よりも死ぬ危険があるので、私にとっては、生きている人を診るよりは死体の方がはるかに気が楽なのである。」(p52)

生きた患者を診るのが嫌なのではなく、死んだ「患者」を診ることで、彼らの死の真実に迫り、その人権を擁護し、ひいては予防医学に貢献することができる。
そこにやりがいを見いだしている。

実際に、溺死や老人の自殺を多数検死してきた実績から、監察医でなければ見つけられない共通点を見いだし、発表した論文は社会的に役立っているそうだ。
(泳げる人が溺れてしまう理由や、独居老人の孤独による自殺が多いと思われていたが、実際は…など)

死を見つめることは、生を見つめることなのだなと思わされた。
いい死を迎えるためには、いい生を生きることが大切なのだ。

自分は死体となった時、何を語ろうか。

死体は語る



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2006年08月05日(土) 落合 美知子『いい家庭にはものがたりが生まれる―子どもたちのわらべうた・絵本・おはなしから』★★★☆☆

いい家庭にはものがたりが生まれる―子どもたちのわらべうた・絵本・おはなしから
落合 美知子
エイデル研究所 (1992/11)

センス・オブ・ワンダー。

雷に打たれたような気がした。

センス・オブ・ワンダー。

これだ、と思った。
大事なのは。
大事にしたいと思っているのは。
このために絵本を読み、こども劇場で観劇してるのだ。
そして各地で文庫にとりくんでいる方たちも、きっとそう。
プレーパークに取り組む人たちも、きっとそう。
「こども」を大切に考える人たちが大事にしていることは、きっとこれだ。

この本を読んだ日、一日中この言葉が頭に響いていた。

保育園の文庫にあった本で、先日借りた『子どもが育つ魔法の言葉』同様、ヒット。

娘4歳と息子6歳となり、自分の内的世界も広がりつつある。
その豊さには感心したり、驚いたり、笑ったり、ほんとうに面白い。

絵が好きな息子はお絵描き帳もクレヨンもあっという間に使い切る勢いで先生にも驚かれてる。
書きなぐったような塊がちゃんと象や猿や鶴やゴリラに見えるのがすごい!(親バカ)
母はイヌすらまともに描けなくなってる(描けるがウマかブタかイヌか見分けがつかない)というのに。

娘は先日粘土で何か作ったそうで、聞くと「あのね、おくすり」。
見たら、箱の中に小さく切り刻まれた塊がたんまり。
正露丸?
粘土でそんなもん作ろうと思うアンタってすごいよ…。

こども劇場に所属して、観劇やいろんな工作に取り組んだりしているのは、家族で楽しい思い出作りができればいいなというのもあるけれど、こどもたちの心の「土」を耕したい(豊かな土壌にしたい)と思うから。

これから生きていく上で大切なのは、土の部分、根っこの部分がしっかりしたものであることだと思うから。
まぁこども劇場だけがそれを育んでくれるとは思わないけど、それでも、ものすごくいい体験させてくれてる。それも子どもも、母も、父も。
だからこれからも続けたい。

その思いに、この本を読んで改めて気づかされた。

心に残った所。

レイチェル・カールソン著『センス・オブ・ワンダー』の中で著者が「私の気持ちにぴったりの言葉」として紹介されている箇所。

「『子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をおっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性』を授けてほしいとたのむでしょう。
そして『妖精の力にたよらないで、うまれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいつ必要があります』」(P90-91)

最近寝る前に読んでいる本が『星の王子さま』なんだけど、「センス・オブ・ワンダー」をもった王子さまと、失った大人たちの話。
次に読もうと思っている『モモ』もそうだね。
時間泥棒に時を奪われて気づかない、それでよしと雑事に追われ、潤いを失っていく大人たちを、「センス・オブ・ワンダー」を失っていないモモが戦い、救う。

「センス・オブ・ワンダー」があれば。

サンタクロースが存在できる。
てぶくろ』の中に入れる。
トトロ』に会える。
めっきらもっきらどおんどん』でしっかかもっかかたちに会える。
くまのコールテンくん』とともだちになれる。
ぐりとぐら』のケーキが食べられる。
おおきなかぶ』だって一緒に抜ける。
くだもの』が食べられちゃう。
ごめんねともだち』で蟻の上に涙が落ちるのが見える。
ラチとらいおん』のライオンをポケットに入れられる。

こども文庫を各地に根付かせてきて、多くの子どもたちに出会ってきた著者が、残念に感じたこと。
小学生になって 初めて『てぶくろ』を読んでもらった子がつぶやいた「こんな小さな手袋に何匹も入れるはずがない」。

これこれ!
と思った。そう、入れるわけないんだよ。
おじいさんが落とした手袋に、ねずみにうさぎにきつねにおおかみにいのししにくまが。

なのに入れてしまうとしたら、その感性、想像力、空想力、って素晴らしいものだと思うし、大事にしたいと思う。

この本のどこかに書いてあったと思うのだけど、一度サンタクロース(的なもの。)を信じられた子どもはサンタがいなくなった後も、その場所に別のなにかを住まわせることができるそうだ。
それが、生きていく上での力になる、気がする。

そういうものを、大事にしていきたい。
絵本との出会い、これまでもありがとう!なのだけど、これからもよろしくね!という気持ちをあらたにした一冊だった。

いい家庭にはものがたりが生まれる―子どもたちのわらべうた・絵本・おはなしから



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