2006年07月29日(土) |
五木 寛之編『うらやましい死にかた』★★☆☆☆ |
『うらやましい死にかた』 五木 寛之 文藝春秋 (2002/08)
市井の人々による身近な死について語られた投稿を五木寛之さんが編んだ40の「普通の死」。
私自身30年以上生きてきたけれど、身内の死は2回。 それが多いのか少ないのかわからないけど、これからは増える一方なんだろう。 考えないようにしていたことに、今気づいた。
死を考えることは、生きることを考えることなのにね。 大切なことなのに。
昨年、ママ仲間が一人亡くなり、彼女の死から教えられた「今を大切にすること」の意識は少しだけ高まったけれど、まだまだだ。 最近、子どもがお世話になっている保育園の職員の配偶者が亡くなった。 小さなこどもと妻を残して、どんなに心残りだったろう。 彼の亡くなった年齢まで、私は後2年。
残された時間が2年だったとしたら、どう生きるか。
そういうことを考えて、行動に生かしていくことは大事だと思う。
この本の中で心に残ったところ。
不自由な身体にも関わらず自立した書道教室を主宰していた叔母の死の準備。 葬儀は身内だけの密葬で。 そして親しくしていただいた方々には、死後に届くように自筆の挨拶状を用意。
『「□月□日、黄泉の国に無事到着いたしました。」』(p114)
私もこれ、やりたい! と思った。 残された人が、悲しみながらも口元をほころばせる、そんなことができたら素敵。
そして、長患いの介護の末に夫を看取った女性の言葉。
「(略)あとには悲しみよりも開放感の方が大きかった。 あの人も解放されたが、残る私のほうも解放された。涙より微笑みがのぼってきました。安堵と、自分で自分をほめてやりたいような満足の微笑みでした。」(p136)
この方、葛藤と戦いながら、手厚い介護を続けてきたんだろうなと思った。 私にできるか、かなりこころもとない。
よく死ぬために、よく生きなくちゃね。
『うらやましい死にかた』
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