活字中毒のワタシの日記

2006年09月26日(火) 山崎 房一 『ガミガミをやめれば子どもは伸びる』★★★☆☆

『ガミガミをやめれば子どもは伸びる』
山崎 房一
PHP研究所

母原病―母親が原因でふえる子どもの異常」なんて言われてた頃は、母親が悪い!母が変わらなければならない!変われ!みたいな本が多くて(だいたい著者は育児してない部外者)、その後、それでは説明がつかない、解決にならないということが増えてきて(変わりたい真面目な母親ほど思いつめてしまったり)、ようやく、母親のケアが必要だということが理解されるようになってきた、と思う。

この本は、「母親が原因、母親が変われ」側の本でありつつも(第一章)、多少「母親も大変なんだよね」というスタンス(第二章『そのままの自分自身に百点満点をつけましょう』)を持って書かれた本のよう。

自分自身、母親の立場で考えると、「おかーさんだって大変なんだよね!」と擁護してほしいし、アダルトチルドレンとしての立場で考えると、「親がこんなだと子どもは大変なんだよね!」と言ってほしい。

勝手なもんですが、割と心に残る言葉が見つかりました。

「ところが、多くのお母さんは、そうは考えません。『親子の愛』は、はじめからそこに存在しているものだから、自分では何もしなくてもよい、と考えてしまうのです。」(p42)

「しかし、多くのお母さんは、命令や強制あるいは禁止ばかりを連発し、朝から晩までガミガミをこわい顔をわが子に向けます。
そして「心の中には愛があるのよ」と、胸の中でつぶやくのです。
子どもたちはこう反発するでしょう。
『心の中の愛なんかいらないから、やさしいことばや思いやりのある態度が欲しい』」(p48)

「短絡をおそれずにいえば、問題のある子は、すべてに『自信』がなく、自分が『嫌い』という共通項をもっています。」(p86)

子どもに勇気をもって、自信を持って、自分を好きでいてほしい。

と親の立場からするとほんとうにそう思う。
自信を持てなくて、自分が嫌いだった過去の自分はもうやり直せないけど、自分のこどもに繰り返すことはしたくない。
それに必要なのは、次のモノだと著者は言う。

それでOKだよ、という好意的な「評価」
つらい時に励みになる「同情心」
いざという時に助けてもらえる「友情」

これがあれば、自分という船の船長として大海原にこぎ出していける、と。
逆にこれがなければ船長たりえず、航海にも出かけられない。
無理に出港させられれば、転覆するのはあきらか。

「好意的な評価」「同情心」「友情」をもって、自分は子どもに向かえているだろうか。

子どもは親の言うようにはしないが、するようにはする。

友だちを責める息子の口調は私そっくりで、とてもきつい。
あらためていかなくちゃなぁ。

勉強に関して。

「新しいことを知るということは、新しいことを知った自分を発見することでもある」(p121)

その喜びを、つぶさぬよう、邪魔しないよう、心がけたい。
私自身も、これからも知ることに貪欲でいたい。

2章の最後では、「自分に百点満点をつけよう」「過去に罪はない」と夜回り先生のようなことをおっしゃっていますが、前向きに生きるというのは、過去にとらわれすぎないことなのでしょう。

残念ながら絶版なのか、アマゾンで発見できませんでした。
同じ著者の同じテーマらしき本を御紹介します。
強い子伸びる子の育て方―ガミガミいわないでお母さん

今手元にあるベストセラー『子育てハッピーアドバイス』にもやっぱりそんなことが書かれてありました。

『子が宝なら、母親も宝』

私だって、こんなでも、100点。
今から、これから。



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2006年09月13日(水) きむら ゆういち『オオカミのひみつ』★★★★☆

オオカミのひみつ
オオカミのひみつ
きむら ゆういち 田島 征三
偕成社 (2003/05)

これまでで一番気に入ったオオカミ本かもしれないです。

ともだちや』のオオカミさんは、別格として。

森中の動物たちに恐れられているオオカミ。

そんなオオカミに、実はひとつだけ怖いものがあって…。

それは小ちゃなシャクトリムシ。

前方にいるだけで道を変えてしまうし、食べようとしたブタのお尻についていたら「まずそうなブタだぜ!」とかごまかして食べないし、よもや、それがオオカミの体を「オイッチ二、オイッチ二」とのぼってきたりしたら、パニック!
我を忘れて振り落とそうと森中を走り回り、その鬼気迫る様子に森の動物たちはまた怯える、という次第。

そんなある日、獲物を追って、オオカミは別の大きなオオカミの縄張りに入ってしまい、ケンカをふっかけられる。
森の動物たちが見守る中、負けるわけにはいかない戦いが始まるのだが…。

この数ページあとには、大爆笑が待っています。
読み聞かせをしていた私は笑いをこらえるのに必死。

今朝も保育園へ向かう車の中で、この話で盛り上がりました。
私「ぐごげぎゃぎょーだっけ?」
息子「ちがう、ぐ ぎゃ ぎょげ ぎょー」
私「ぐぎょげぎょよー?」
息子「ぐ ぎゃ ぎょげ ぎょー」
娘「ぐふふ。ぐぎょぎょぎょぎょー」

怪しい家族…。
でも楽しい♪

きむらゆういちさんの語りと、田島 征三さんの絵がぴったりとあっていて、コドモと一緒に世界に入り込んでしまいました。

オオカミとシャクトリムシの対決がまた見たいな。

オオカミのひみつ



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2006年09月10日(日) 波多野 ミキ『子どもの上手な叱り方・下手な叱り方―親が変われば、必ず子どもも変わります』★★★☆☆

子どもの上手な叱り方・下手な叱り方―親が変われば、必ず子どもも変わります
子どもの上手な叱り方・下手な叱り方―親が変われば、必ず子どもも変わります
波多野 ミキ
三笠書房 (2006/05)

相も変わらず、下手な叱り方ばーっかりの未熟なハハのワタシ。

めげないコドモに育ってくれて、感謝してる。

人の一生の中で、最も重要なのは幼児期であるということを痛感する筆者による、その時期のコドモへの接し方、叱り方について、豊富なカウンセラーの経験からのアドバイス。

ココロに沁み入りました。
ダメ母、いたく反省。

親の財布からお金を抜き取ったコドモ。
泣きながらもうしないと言ったのに、また同じことをした。
途方にくれる母親。

それに対する著者のアドバイスは三つ。
迫力を持って叱ること。
親自身がお金の管理をしっかりすること。
そして、他の生活習慣から改めるということ。

「お金を勝手に持ち出すような子は、何事においてもルーズな面があります。」(p102)

一時が万事。
それは本当にそうだと思う。
お金を勝手に持ち出すのは、そう育てたからなのだ。そのつもりがなかったとしても。
スジを通すこと、が育児においてとても大切。(あああ反省…)

「何か問題が起きた時、そのことだけを直そう、やめさせようとするだけでなく、生活全体を見直してください。そして、家族の中の人間関係も。親子のコミュニケーションがうまくいっているかどうかも、子どもの問題行動と深いかかわりをもっています。」(p103)

私は20歳過ぎてもずっと爪かみがやめられなかった。

やめたかったけど、嫌だったけど、やめられなかった。

それには理由があったから。
強く「やめなさい!」と言われなかったけど、気づいてほしかったんだろうなと思う。自分なりのSOSだったんじゃないかな。
私なりの、自傷行為。
もっと深刻な状況だったらリストカットが延長にあったのかな、とも思う。

だから、息子が一時期爪かみをしていた時はショックだった。
やめてほしかったけど、その行為自体をやめさせること、しないようにすることは無意味だとわかってた。彼のSOS。
彼が、教えてくれた問題、課題に向き合って変わらなきゃいけないと想った。
そして、いつのまにか治っていた。

その他、心に残ったところ。

「子どもの質問一つ一つに、ちゃんと応えるおとうさん、おかあさんのいる家庭を、『応答性のある環境』と言います。(略)
応答性のある環境で育てられた子どもは、小学生になっても、さまざまなことに好奇心をもちます。どうしてだろう、なぜだろうということを、常に考えています。
この好奇心をもつということが、ものごとを解決したり、新しいことを発見したり、発明したりすることの原動力となるのです。」(p152-153)

うちのコドモも「どうして冬は寒いの?」「どうして空は青いの?」「どうして夜は暗いの?」と科学のココロを育んでいる。
その時々で、「地球はね、太陽の周りを回っていてね…」だったり、「なんでだろうねー不思議だねーどうしてだと思う?」だったり、「おかあさん知らないのよ。今度図書館で調べてみよう」だったり。

「そんなの当たり前でしょ!」
「学校行ったら教えてもらえるわよ」
「うるさいな」
「知らんよ。聞かないで」

こういう言葉は。かけられたくなかったから、かけないように気をつけてる。
私自身、親をうんざりさせて「どうしてどうしてって言わないで」と言わせたコドモだったから。

伸びる芽なんだよね。摘んじゃいけないんだよね。

いつでもどんな時でも最良のことはしてあげられないけど、枯れるようなことはしちゃいけないよね(反省反省)。

それから、これも。

「受け身でいたのでは、親になるための教育を受ける機会はないのですから、いい親になりたい、子どもを立派に育てたいと思うなら、自分からすすんで学ぶ姿勢をもたなければならないということです。(略)
子どもは親を選ぶことができないということです。」(p161)

親に価しないような親の元に生まれた子どもが背負うハンデ。
私のコドモたちがそうでないとはいいきれない。
そうならないためには、学ぶこと、そして次のことを忘れないこと。

「昔から言われているように、『子どもは、親の言うとおりにはならないが、するとおりになる』のです。」(p162)

「親だって人間です。(略)
ただ大事なのは、親自身の価値観、生き方の問題です。どんな時に感動し、どんなことを喜ぶか、どんなことを大切にしているか。それは、毎日の生活の一つ一つのことに対する態度に自然にあらわれてくるのです。」(p162)

欠点だらけの親であっても、子どもと一緒に成長していくこと。
学ぶ姿を見せること。
人生を楽しむ喜びを教えること。
働く大切さを教えること。
他人に対して敬意をもって接することができること。

教えたいことであり、まだまだ自分自身が学ばないといけないこと。

そして、最終的にめざすのは、子どもの自立。
親離れ子離れをスムーズにできること。
それができない親子が増えているらしい。
私自身もそうかもしれない。

「子どもの出産と自分の結婚のどちらが喜びが大きかったか」というとある調査で、欧米では後者、日本では前者を選ぶ母親が圧倒的に多いそうだ。
私は欧米タイプだけど。
母子密着な日本だからさもありなん、と思う。
問題は、子どもが大きくなって離れて行くべき時期になってもそうできない母子。
母は自己満足かもしれないけれど、子どもは被害者だと思う。

経済的な自立。精神的な自立。そして、生活の自立。

一生一人で暮らすかもしれないわけだし、誰かと暮らしたって生活の雑務はあるわけだし、性別に関係なく、一社会人として自分の面倒がみられることは必要で、そこまでに育てるのが親の仕事だと思う。

と、自立と縁遠い育ちをしてしまった元ダメ子どもで、今ダメ母は痛感。

それでも、必要があれば助けを求められるようになったし、信じるココロも少し取り戻した。
そんな親からでも、生きていくのに必要なこと、大切なことを学んでいってくれればと思う。

そんなことを考えさせられた一冊。

子どもの上手な叱り方・下手な叱り方―親が変われば、必ず子どもも変わります



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