2006年04月23日(日) |
三崎 亜記『となり町戦争』★★★☆☆ |
『となり町戦争』 三崎 亜記 集英社 (2004/12)
静かな、戦争。
見えない戦争の形。実感のなさ。 平和ぼけといわれても、生まれてこのかた戦争の脅威にさらされた(と実感させられた)経験もなく、今も世界の各地で行われている戦争も、遠く、感じることが難しい。 本を読んでも、なんてむごい、大変な、と思ったところで自分の身にふりかかることはちら、とでも考えたことがなく。
だから驚いた。 読み終えて、初めはぴんとこなかった役場の職員香西さんの言葉が振り返ってみれば実感されることに。
「『戦争というものを、あなたの持つイメージだけで限定してしまうのは非常に危険なことです。戦争というものは、様々な形で私たちの生活の中に入り込んできます。あなたは確実に今、戦争に手を貸し、戦争に参加しているのです。どうぞその自覚をなくされないようにお願いいたします。』」(p39)
となり町との戦争が始まった。 それを広報で知った「僕」。
となり町を通り通勤する「僕」が最初に心配したのは、道路の閉鎖などで無事に会社に行けるかどうかだった。 どこで戦争が起きているのかわからないまま日常生活を送る「僕」が、実際に起きていることに気づかされたのは、それも広報によって。 町政概況の死亡者が「23人(うち戦死者12人)」とあったこと。
そして「僕」は役場から「戦時特別偵察業務従事者」に任命され、見えない戦争に参加らしきものをさせられていく。
すべてが役所仕事ですすめられていく戦争。 戦闘地域への地元説明会。 なぜ戦争をするのか、反対しないのか、といった意見を持つものはほとんどおらず、「もう決まったことはしょうがない」「もう始まっているのだから今からそれをいったところで」と切り捨てられ、全体が戦争肯定へ流れて行く。
いや、肯定ですらないのだ。
鎮守の森と同様に、それは「ある」ものとして受け入れられていく。
反対するものも、疑問に感じるものもゼロではない。 「総務課となり町戦争係」の香西さんの弟がそうだった。
そして「僕」も。
戦争を終えて感じた「僕」の言葉が重い。
「確かに僕は、誰かを意志を持って殺しはしなかった。しかし僕を助けるために、確実にこの戦争で、佐々木さんという一つの命がなくなっている。僕はもしかしたら、そのことを一生知らないままに、無自覚に、イノセンスに、生涯を終えたかもしれないのだ。 考えてみれば、日常というものは、そんなものではなかろうか。僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を気づいているのだ。」(P193)
架空のお話とは思い切れないリアルさと、現実ではありえなさそうな描写に、軽い酩酊感を覚える作品だった。
この話は架空でありながら、起きていることはリアル。 今も戦争はこの世のどこかで起きており、そしてそれをリアルに感じられないリアル。
何か、残るものがあるお話だった。
『となり町戦争』
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