2006年03月31日(金) |
群 ようこ『世間のドクダミ』★★★☆☆ |
『世間のドクダミ』 群 ようこ 筑摩書房 (2006/02)
「あーちょっと一息つこうか。お茶でも入れようかねぇ」なんて感じで「ちょっと読もうかねぇ」と時折読みたくなるのが、群ようこさんの本。
特に先日『屍鬼〈上〉』、『ホワイトアウト』を読んでどっと疲れた(疲れる本じゃなく、私があの手の本は疲れてしまう。が、好き)読んだので、ライトなものが欲しかった。
いつものように、さらっと読みこなすだけかと思ったら、この本は違った。 軽妙だけど骨がある。
うんうん、そうだよね。 わ、すみません。
と「おばさんの文句」にうなづきながら読んだ。ふせんまではさんで。
共感したところ。
「責任は他人にとってもらうよりも、自分が自分自身のために取らなくちゃならないほうが、ずっと多い。心も痛いし、あるときは財布も痛い。しかしそれをしっかりと受け止めなくてはいけない。」(p33「自分の尻は自分で……」)
「被害者にしたら、泣き寝入りはしたくないのだろうが、泣き寝いりの種を蒔いたのは誰なのだ。」(p33「自分の尻は自分で……」)
「しかし男の子と付き合う本を読むよりは、実際に付き合う方がいいだろうし、旅行の本を読むよりは、実際にその場所へ行ったほうがいいだろう。私にはその行動力が足りなかった。だから本を薦めるよりも、とにかく何でも体験したほうがいいのではと考えたからだった。 しかし最近は、考え方が違ってきた。今の人は経験から何も学ぼうとしない。ただ目の前を現象が通り過ぎるだけで、自分なりの考え方など何もない。」(P62「楽しいから本を読む」)
「新聞はとらない」では新聞社のふざけた態度、勝手言う読者からの怒りの手紙にお怒りで、「挨拶してますか」で挨拶は最低限の礼儀だと嘆く。
ぷんぷん怒ってばかりかというとそうでもなく、祖母のかわいいモモヨさんの話や、ブラでびっくり『うそ乳』の話は笑えていい。
当たり前のことだよね、でもできてない人は多く、怒りたくも嘆きたくもなるよね、と共感する一方で、「今の人は自分のことしか、今しか考えてない!」には、ちと反省してみたり。
群ようこのエッセイは面白い。 私もこれくらい文才があればなぁ。
『世間のドクダミ』
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