活字中毒のワタシの日記

2005年11月27日(日) ゲイル・カーソン・レヴィン『さよなら、「いい子」の魔法』★★★☆☆

さよなら、「いい子」の魔法
ゲイル・カーソン・レヴィン 三辺 律子 Gail Carson Levine
サンマーク出版 (2000/10)

タイトルからファンタジー仕立てのアダルトチルドレンものなのかなと思った。
それほど期待してなかったのだけど、「ニューベリー賞」受賞ということで、一体どんな本なのだろう好奇心で読みすすめたが…。

生まれたとたんに妖精に魔法をかけられてしまった少女エラ。

その魔法とは、「従順」。
すべてに従順であらねばならず、逆らうことはできない。
その苦しみと戦いながら自分の行きたい方へ、やりたい方へ、「選び取れる自分」を取り戻す旅が始まる…。

妖精がでてきたり、エルフが出てきたり、恐ろしい人食いオグルが出てきたり、王子様と友だちになったり、冒険したり。
私の頭の中では『指輪物語』のイメージがぶわーっと広がっって、読みながらとてもわくわくした。
映画の方よりも本から私がイメージした世界とぴったりあってた。(どちらも本で想像する私が同じ人間だから当たり前か)

ストーリーそのものも山あり谷ありで面白いのだけど、最後の最後に近づくにつれて、「あれ?これってアレみたい…あれ?えええ?これってあの話?」と誰もが知っているおとぎ話になちゃってそのどんでん返しが最高!

あのおとぎ話をこんなヘビーでかつ面白いものにしちゃう?
こりゃ賞もとるでしょう、秀作です。
お岩さんの怪談がラブストーリーになってしまった京極夏彦さんの『嗤う伊右衛門』と同じ、痛快爽快な読後感でした。

こどもだけに読ませるのはもったいない、大人だって楽しんじゃうファンタジー。

こころに響いたところ。

「わたしは生まれ変わった。
エラ。ただのエラ。奴隷のエラではない。皿洗いではない。レラでもない。エレノアでもない。エラ。わたし自身。かけがえのないわたし自身。」(p344)

「呪いのあとでは、ものごとを決めるのはこのうえない喜びとなった。『はい』と『いいえ』を自由に言えるのは最高だったし、特に断るときにはうれしくてしょうがなかった。」(p347)

「従順」という呪い。
ありのままでは受け入れてもらえないんじゃないかと思ってしまう呪い。
いい子じゃないとダメなんじゃないか。
避妊して、なんていったら嫌われるんじゃないか。(『夜回り先生』なんて読んだばかりだからそういうこと想像してしまいます)

この本のタイトル、『さよなら、「いい子」の魔法』じゃなくて、『さよなら、「いい子」の呪い』の方があっていたのかも。まぁおどろおどろしくなっちゃうけど。
それにしても、良質のファンタジーは本当に楽しませてくれるなぁ。

さよなら、「いい子」の魔法




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2005年11月26日(土) 矢内 真由美『なぜ、雲仙で死んだの。―夫31歳、カメラマン 火砕流に呑まれたあなたに捧げる鎮魂歌』★★★★☆

なぜ、雲仙で死んだの。―夫31歳、カメラマン 火砕流に呑まれたあなたに捧げる鎮魂歌(レクイエム)
矢内 真由美
ベストセラーズ (1991/10)

本を読んで泣いたのは久しぶりです。

読み終えて、息を殺して泣きました。
涙が止まらなかった。

雲仙で取材中、火砕流に呑まれて命を奪われたカメラマン。
その妻が、回復後に資料となればと書き綴ったメモを元にできあがったドキュメント。

読みすすめながら、私も病院の片隅で一部始終をただ無力に眺めながら共に過ごしている気持ちになりました。

哀しい結末がわかっていても、それでも、「御願い、どうか持ち直して。助かって」という思いでいっぱいになった。

カメラマン矢内さん。
彼にしかできないこと、彼だからできることがたくさんあった。
有能な取材者を失ったことも社会の損失だと思うけれど、何よりも一人の夫として父として本当に素晴らしく生きていけたはずの人だったと思いました。
妻真由美さんとの思い出の中のいくつものエピソードが教えてくれます。

だから、残念でならないのです。

ただの追悼本ではなく(それでもとても重いけれど)、彼女の問題提起には考えさせられました。
それは、取材者の安全よりも、お茶の間の欲求充足、しいては視聴率を優先するという現実。とどまることを知らない視聴者の欲望が矢内さん初め、多くの報道に携わる人を今も危険な現場のまっただ中に送り込んでいる。
改めなくてはいけないこと。
ひととして、想像力を持てばわかるであろうこと。

心に残ったところ。

夫の友人が寄せてくれた手紙の一部。

「困ったときは助けを求めて、すべてを背負わずに。」(p87)

そして妻から夫へのメッセージ。

「あなたが逝ってしまった悲しみより、
私が生きているということが悲しかった。」(P199)

「こんなにまで深く
愛することを教えてくれて
ありがとう、まきちゃん。」(p200)

心からご冥福とご遺族のご多幸をお祈りします。

なぜ、雲仙で死んだの。―夫31歳、カメラマン 火砕流に呑まれたあなたに捧げる鎮魂歌(レクイエム)



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2005年11月24日(木) 水谷 修『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』★★★☆☆

夜回り先生と夜眠れない子どもたち
夜回り先生と夜眠れない子どもたち
水谷 修
サンクチュアリ出版 (2004/10/10)

夜回り先生』に続けて読みました。

夜回り先生が出会った子どもたちが次々と登場します。

痛ましいです。

性的虐待を受け、精神病院に閉じ込められた少女。
盲目の母をとの恐ろしく貧しい暮らしに耐えながら(踏みつけられたパンで作ったフレンチトーストには涙が出ました)、いじめから非行に走り、あげく命を落とした少年。
親の情事の間、暗い戸外でブランコをこいで待つ少女。
アルコール中毒の母親に虐待を受けながら離れたくないと言う少年。

自分がものすごい幸せな環境にあることを感じないで生きてきたことが恥ずかしくなった。
親はワーカホリックで姑の嫁いじめがひどくて家庭に笑いがなくて頬にガラスが刺さって10センチほどの傷があっていじめられたりもした、くらいで悲劇のヒロイン気取っていた自分が恥ずかしい。

サバイバ−を自称していたし、こんな私でもサイトを読んでくださった救われました、とか言ってくださる人がまれにいるのでこれからも言うかもしれないけど、サバイバーにもいろいろある。
この本に出てくる少年少女は、本当にものすごい環境をサバイバルしている。
そして、中には叶わず命つきるものも。

世の中の、少数派ではあるだろうけど、けっして少数ではない。

私にできることはほんとうにわずかだけれども、この本を紹介することもその一つになれば嬉しい。

この本で一番共感したところ。
夜回り先生、水谷さんの願い。

「子どもの苦しみに気づいてあげる。
そしてほんの少しでもいいから、優しさを分けてあげる。
それだけで、日本中の子どもはもっと救われるだろう。」(p178)

子どもが自分を、そして周囲を大切にして生きていけるように。
私も願ってやまない。
努力を忘れないようにしたい。

夜回り先生と夜眠れない子どもたち



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2005年11月23日(水) 水谷 修『夜回り先生』★★★★☆

夜回り先生
夜回り先生
水谷 修
サンクチュアリ出版 (2004/02)

ごめんなさいと思った。


「何もしないくせに『子どもを救いたい』と言っている大人…。私はそういう大人たちが許せない。」(P213)

私はその一人だ。

夜の街で過ごす子どもたち。
たむろする彼らの横を、かかわり合いのないように通り過ぎる一人だ。

言うは易し行うは難しとはこのことだと思った。

いじめの被害者にしたら、いじめの加害者に「いいんだよ」というのは承服しかねるという意見もあり、それは私も気になる。

親がこうだから子どもがこうなってしまうのは無理もないだろうというケースも日々感じることが多々あり、親である私も反省することがたくさんある。

うまく伝えられないけど、胸に突き刺さる本でした。

心に残ったところなど。

「両親も、
生まれ育つ環境も、
容姿も、
能力も、
みずから選ぶことはできない。」(p102)

「寂しさに耐えきれず、私はいつも出会いを求め、自分を認めてくれる人を探していた。少しでも好かれようと、みんなの顔色をうかがった。必死に背伸びもした。でも不思議なことに、いい子にしようと思うほどどんどん孤独になる。自分が無理をすればするほど、人は避けていく。」(p104)

「比べれば比べるほど哀しくなるが、貧乏そのものは決して不要じゃなかった。
そのことに、子どもの頃から少しだけ気づいていた。

人はただ生まれ、生きていくしかない。
でもそこには多くの幸せがあると思う。」(p116)

「リストカットを習慣にしているほとんどの子どもは、別に自殺したいとは思っていない。『自分は生きているんだ』という存在を確認するために、手首を切り、血を眺め、痛みを感じようとする。死にたいんじゃない。むしろ生きたいがためのリストカットなのだ。」(p126)

水谷さんの後に続く大人はこれまでもいなかったし、これからもいないかもしれない。いないだろう、とさえ思う。

自分の子どもも、自分の子どもの友だちになるかもしれない同世代の子ども、自分の子どものパートナーになるかもしれない子ども、同世代を生きていく子ども。
どの子も大事だ。

自分が大事にされて、自分を大事にすることを覚え、他者も大事にして生きていくこと。

とても大切で、それができれば悲劇も防げるはずのこと。
私が夜回りをすることは自分の子どもがその中の一人にでもならなければないだろう。
私には私のできる範囲で。
少しでも世の中がよくなっていくように。

プレーコーナーやあちこちで乱暴働いたり順番待ちができない(ように親にされてしまっている)子どもをたしなめる、「ちと怖いおばさん」くらいしかなれないけど、何もしないよりはいいと思ってやっていきたいと思います。

水谷せんせい、どうぞお体を大切に。

夜回り先生



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