刑法奇行
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2006年02月20日(月) トリノといえば・・・

 トリノといえば、ロンブローゾを想起する。生来性犯罪人説を創唱した犯罪人類学者であり、犯罪原因論のパイオニ〜アである。本家本元D藤先生の「刑法紀行」の中に、トリノ大学の法医学研究所を訪問された様子が書かれてある。ロンブローゾの顔のアルコール漬けまであるのだから、まさに、彼自身が生来性学者だったのである。

 犯罪原因の追求はたしかに重要かもしれないが、結局「原因いろいろ」であり、犯罪が発生したら、その都度それを抑圧するという「モグラ叩き」論に行くか、関係再生というようにRJ論に行くかのどっちの料理ショウという状況のように思える。

 なかなかメダルが取れないようだが、生来的に実力がないのだろう。努力でカバーできる分野とできない分野があることは、あたり前田の何とかである。普通の野球選手がどんなにがんばっても、松井やイチローにはなれないのである。その意味で、生来性説には正しいものがある。「みんながんばれ」と激励する場合には、実現可能性を見定めてから言うべきである。したがって、凡人は、努力すれば何とかなる分野にできるだけいなければならないのである。おそらく、努力する性格かどうかという点は生来的に決定されているのかもしれない。

 しかし、コツコツ努力することが、あまり尊重されない時代であることは否定できない。努力したって所詮・・・というわけである。そこで、一攫千金をねらう者が登場してきて、そして、一気に崩壊するのである。アリとキリギリスのアリがいないことがアリアリと看取できるのである。しかし、人間は所詮アリであり、コツコツ努力して、結局、踏みつぶされて「はいそれまでよ」とくるわけである。エンプチーな努力をするしかないのである。しかし、そのエンプチーな努力に楽しみを見いだしているかどうかが分かれ道なのだろう。シジフォスの登場である。

 「人生は未遂犯である」というのが持論であり、既遂犯は死んだときである。しかし、人生が不能犯であったり、迷信犯であったりしたら、ちょっとばかり、問題視した方が良いかもしれない。もっとも、こちらは終始一貫して幻覚犯なのである。また、たのしからずや!

ジャスティス for 採点はいつ既遂になるのか?


norio

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