刑法奇行
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2006年03月27日(月)

 「桜の花びら散るたびに 届かぬ思いがまた一つ」(コブクロ)、いい歌だ・・・。奇行もずっとあいてしまった。ローの授業も間近であるので、早く書かねばと、もはや義務的になってきている。

 一番近いところでは、やはり、ゼミ謝恩会、研究室コンパ、学部卒業式と続いた青春の一ページである。4年生になると、ぐっと成長した姿になるから不思議である。みな、早稲田を去ることのさみしさを語っていた。涙ぐむ学生達、早稲田はほんとにいいところだと実感したようだ。在学中はそれが分からないのかもしれない。すべてのことは、それが失われてはじめて、その価値が分かるのである。そのとおり、早稲田は素晴らしいのである。早稲田のみならず、各大学はそれぞれ素晴らしいのであろうが、早稲田は(おっと、もちろん慶應もそうであるが)、とくに楽しい大学なのである。近時の受験生は、偏差値がどうのこうの、就職がどうのこうのとチマチマ計算しているようだが、大学は楽しいか楽しくないかという基準に尽きている。楽しくなければ大学ではないのである。しかし、楽しくするのは自分であり、楽しいと思っている学生が集合しているから、全体が楽しくなるのである。

 ところで、卒業式の夜に、野暮なことに法職課程教室答練の担当であった。150人もの受講生がいたが、これが最終講義であることを聞いて、愕然とした。法職絶滅である。時代の流れかもしれないが、現行受験生があまりにかわいそうである。この先どういうことになるのか。オモカツ先生はきっと涙されていることだろう。・・・。

 2月末から3月末まで、土曜日は、ほとんど研究会で埋め尽くされていたし、ある勉強会で修復的司法について話す機会もあった。修復的司法といえば、2回ほどテレビや新聞の取材を受けたが、没になったということがあった。いろんな事情があったのだろうが・・・。例のM村さんの事件の弁護人キャンセルについて、死刑廃止論から被害者保護を熱く語ったが、没であった(日曜日のT光さんとかE川が出る番組)。やはり、死刑存置でなければ大衆受けしないということであれば、マスコミの存在価値はどこにあるのか。それから、奈良県条例の少年補導についても没であったが、これはもっぱら紙面の都合だったようであるが、ある情報を載せるか載せないかの決定が、社会にどのような影響を与えるかを慎重に考えるべきだろう。様々な意見の持ち主が共存する共同体を形成しなければならない。

 それから、何と言っても、王ジャパンである。決定戦の時は、家族旅行で北海道にいたところ、M藤君から愛のメールである。電気店のテレビに群がる人々、力道山以来の光景である。この現象を全体主義などと揶揄してはならない。個人の自由、人権といって、「放っておいてもらいたい」と言い過ぎた結果が今の日本である。みんなでという発想を忌み嫌った結果である。たとえば、ニートなど、放っておいてもらいたいと言いつつ、みなの世話になっているのである。それなら、みなに何かプレゼントしたらどうなのか、と思う。もっとも、結局はバランス問題であり、個人と共同体のバランス問題なのである。日本はそのバランスをそこそこうまく保ってきたと思うのだが・・・。

ジャスティス for 君の中に咲くLove


norio

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