刑法奇行
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胆石もどうやらサイレントになったようだ。とにかく、石どころじゃない忙しさなのである。M澤先生の代行で、中京大のローで、何と「被害者学」を集中講義してきたのである。私自身が被害者か!
とにかく、被害者学の専門家ではないので、被害者論と広く捉え、修復的司法中心に行ったのである。マル2日やって、1日東京に帰り(ゼミ卒業生の結婚式のため)、また名古屋へというスケジュールであった。計3日間9時から18時までであり、体も頭も修復不可能状態である。もっとも、このおかげで、日曜日には関西部会にも出席でき(東京からS谷仙人、名古屋からI藤君も同行した。さらに、東京から、M原君、S野氏などなど)、法益論という興味深い共同研究を聞くことができたし(法益論の限界を改めて確認した)、久しぶりに多くの知り合いに会えることができたので、幸いであった。
中京大のロー生諸君は非常に熱心で、楽しく授業ができた。2年生30人程のうち22人も受講生がいたのである。質疑応答を繰り返しながらの授業であり、活発に発言してくれて、こちらもいろいろ勉強させられた。事務所の方々のご配慮も大変有り難かったし、ホテルも快適であった。八事マルベリーホテルであり、中京大まで3分という便利さである。
M城大のI藤君にも久しぶりに再会し、いろいろ付き合ってくれて楽しい時間を過ごせた。味噌煮込みうどんがこれほどうまいとは知らなかった。名古屋再発見である。I藤君には、寂しい名古屋泊まりを充実させてくれて感謝に堪えない。基本的に名古屋は静かすぎて、私には寂しいのである。やはり、がちゃがちゃしていなくては・・・ガチャポン!。
試験が終了し、「また逢う日まで、さようなら」と言うと、拍手が起こり、鳴りやまないのである。例によって「アンコールはないから」と言って、帰ったのである。事務所の人に別れを告げて、外に出たところ、「高橋先生!」と受講していない女子学生が追っかけてきたので誰かと思ったら、昨年早稲法を卒業したという見知らぬ学生であったが、私の刑法総論と刑法各論を受講し、名古屋の地元に帰って中京大のローで勉強しているということであった。奇遇である。みんな志が貫徹できることを祈るのみである。
味噌は日本人が生き返るものだと思う。体に染み渡る。毎朝味噌汁を飲まなくてはいけないのである。味噌汁は心を落ち着かせ、怒りを静め、修復的な人間に変えるのである。犯罪と非行の増加は、おそらく味噌汁を飲まなくなった日本人が多くなってきたことに原因があるようにも思える。味噌汁によって、修復的司法も実現するかもしれない。まさに、名古屋は、被害者論・修復的司法を集中講義するに相応しい場所かもしれない。
ジャスティス for MISO Suppe
2006年01月12日(木) |
サイレント・ストーンからローリング・ストーンへ |
正月早々、10数年前から共生している胆石が動き出し、一時は救急車かという状態になった。何とか、医者から薬をもらい、激痛は消滅したものの、何となく違和感がある。 10数年前には、尿管結石と腎臓結石を併発したが、船橋クリニックで体外から破壊して、何とか切り抜けた。しかし、胆石は破壊できないようだ。毎年、人間ドックで、胆嚢を取りましょうかと言われ続けてきたのだが・・・。 しかし、痛みが無くなると、まあ手術するほどでもないのではと思ってしまう。まあ、この決定は本当に難しいのである。
とにかく、石ができるのは、長年の食事に原因があるのだろう。焼き肉や天ぷらなどを貪り食い、子供の時からの好みが抜けきれない点に問題があるのかもしれない。すなわち、ハンバーグとか、マックとか、ケンタッキーとか、子供と真剣な競争をして食べてしまう。まさに石はできるべくしてできているのである。これは、石形成責任の問題であるのか、あるいは、石決定論なのか、永遠の課題である。
意思が弱いのに、石ができてしまう、という矛盾の解決策はないのかもしれない。何とか石と共生していくことも1つの道であるが、たとえば、ドイツにいる時に激痛が生じたらと思うと恐くなる。まず、胆石って、何シュタインって言うのかということから出発しなければならないのである。思わす、アインシュタインと言ってしまうかもしれないし、フランケンシュタインとも言いかねない。
思えば、たった1ミリか2ミリの石で激痛が走るとは、人間の体ってあまりにナイーブではなかろうか。本当に人間って弱い存在であることに、今更ながら気づくのである。
ジャスティス for サティスファクション
norio
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