刑法奇行
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2005年02月14日(月) Giftは贈り物(英語)か毒物(ドイツ語)か

 奇行もだいぶあいてしまったが、「いろいろあってね」としか言いようがない。おそらく、死に際にも、「いろいろあったなー」の一言だろう。島倉千代子の「人生いろいろ」というのは、究極の人生哲学かもしれない。

 今日は、バレンタインデーにちなんで、贈り物の話である。ヒントは、M川君による。この場を借りて、謝謝!

 ところで、修復的司法に対する被害者の反感は、「なぜ加害者を赦さなければならないのか」という誤解に基づく疑問にある。これは、誤解、6階、7階である。ゼアが言うように(『修復的司法とは何か』53頁参照)、「赦しは、神の贈り物」なのである。強制されるものではない。このことは、加害者の謝罪にも妥当する。

 「贈り物」といえば、論文も読者に対する贈り物であり、講義も学生に対する贈り物である。もちろん、試験の答案も先生に対する贈り物であるにもかかわらず、勝手に読みやがれみたいなものもあるから、嫌になる。もっとも、「ここまで読んでいただきありがとうございました」なんていうのもある。採点の雑感については、かつてここでも取りあげた。

 今日の贈り物は、チョコであるが、まあ、ほとんど関心がない。娘は、手作りチョコを男の子2人にあげたようだ。私ももらった。「伊東家の食卓」で貴理子が作ったという「1分でできる柔らかチョコ」であった。

 贈り物をするには、それなりに余裕がないとできないだろう。書きなぐった答案の学生は余裕がなく、記憶したことを一気に吐き出すことしかできなかったのだろう。そういう私も、学生時代、民訴とかその他いろいろ、内容をほとんど理解せず、ただ一夜漬けしたことを一気に吐き出したものだ。それでも何とか単位がきたから、のどかな早稲田だったのだろう。つまり、先生からの贈り物であったわけだ。

 贈り物は、別に物である必要はなく、気持ちだけで十分という場合もある。もっとも、物にこだわる物的違法論者も多いが・・・。物ということで形に現さないと気が済まない人もいる。物がなければ、心もないということか。物理的因果性と心理的因果性の連関は困難な問題である。昔の、Samsonの著書は良かったなあー。

ジャスティス for 僕の贈り物


norio

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