刑法奇行
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2004年11月30日(火) 視点・論点・沸騰点

 教育テレビの「視点・論点」に出演依頼され、原稿とフリップ用の図などを事前に送っておいて、今日、昼に収録し、その日の晩に放映という手順であった。最初、被害者政策の問題で頼まれたが、「修復的司法だったら引き受けます」と言ったら、それでいいということになった。

 NHKに行くのは、小学校以来であり、「車を用意しましょうか」というスタッフのご厚意にもかかわらず、「いや近いですから」とやせ我慢し、結局、どう行こうかと悩んだあげく、馬場からタクシーというのもさすがにもったいないから、代々木で降りてタクシーという合理的な(?)選択をした。

 12時30分にE藤ディレクターと正門受付で待ち合わせ、解説室という部署に行った。ニュース解説などを担当している所である。通りすがりに、見たことのある顔がちらほらである。応接室で、お茶を飲みながら、原稿とフリップの確認である。フリップはとてもきれいに仕上がっており、感動した。あれをもらってくれば良かったと思うが・・・残念。

 いよいよ録画室に入った。まずは、メイクである。床屋のように白い覆いをかぶって、メガネを外し、結構しつこく化粧する。メイク係の人に「ハイ終わりです」と言われて、「アレ別人と間違えられるかも」と言ったら、吹き出していた。何せ、眉毛まで眉墨でちょこっと修正である。眉墨ジュンは、どこへいったのか・・・。
 まるで、結婚式の際の写真室のような感じであったが、テレビで見る背景があった。机の真ん中に変な印があり、「それがおへその位置です」と、元気のいい女性ディレクターが言った。大きな字で書かれた原稿を手元に置き、それが、天井を通して、目の前のカメラ位置に字が出るのである。目の前の画面を見ながら、手元の原稿を1枚1枚めくっていく。アナウンサーになった気分である。今思えば、2枚めくったら大変だったと思う。話が飛んでイスタンブールになってしまうからだ。最初、1分間のテストを行い、すぐに本番である。ディレクターが、目の前で、合図をすることになっている。オープニングの音楽が流れた。音楽終了と同時にディレクターがパーを出した。これでチョキを出すわけには行かないので、話しはじめた。

 「ゆっくり」と「いそいで」という2つのカンペーが時々出る。9分から9分30秒の間で終わらせなければならない。どうにか、9分を過ぎたところで終わった。間違えて言ったり、時間が丁度でない場合には、何回か収録可能である。ディレクターが別のディレクターと無線連絡をしている。何か問題がありそうである。実は、何と私の空腹時の音が入ってしまったというのである(すなわち、グーを出してしまった)。何せ昼飯を食べていないので、これは「あたり前田のクラッカー」である。「家庭のテレビでは気がつかないのでは」などと議論している。録音係の若い人が、「議論している間に、もう1回収録した方が早いのでは」と言う。主任ディレクターが来て、「とにかく再生したものを聞いて下さい」と言うので、別室に行き、自分の放送を見はじめた。「先生には、どこで音がでるか言いません」などとクイズみたいなことになってしまった。しかし、見はじめると、自分の話の内容に気を取られ、空腹音などまったく忘れてしまったし、途中で、「化粧を落とします」と先ほどとは別のメイクの女性が来て、メガネを外して、ごしごしであるから、画面すら見えない状態になったのである。終了後、「先生気がつかなかったでしょう」と聞かれたので、「そうですね」と答えるしかなかったのであった。空腹音は、隠れたギャグとしておこう。

 まあ、何とか終わったのである。テレビ慣れしていないので、ドッと疲れた。まるで、人間ドックに入ったような気がする。このような仕事をしている人達は、本当にタフでなければやっていけないだろう。日常の世界に戻って一安心である。ホッと檸檬(梶井基次郎)。

ジャーニー to  次は紅白出場という声(M川君)はまったくない



2004年11月14日(日) 風のように

 9月の北京ダック奇行で連載したからまあいいかと油断していたら、とうとう11月になってしまった。「しまった。しまった。島倉千代子」である。中国から帰国した翌日にローの面接があり、授業がはじまり、研究会や会議、犯社学会などなど、川の流れに身を任せて、時の過ぎゆくままに今日に至るという、ただそれだけである。

 しかし、悲しい出来事はあった。10月15日に長島敦先生がお亡くなりになったのである。いろいろお世話になった先生である。豪徳寺にあった最高裁の官舎にもお邪魔したことがある。拙稿や拙著に対して、いつもあたたかい励ましのお返事を下さる。とくに、修復的司法については多大なご関心をお持ちだった。検察ご出身の先生にしてみれば、分かるような気がする。検察や警察主導のRJについては、反対論者も数多いが、私は、様々な方向からRJを展開させていくことが、現時点では重要だと考えている。つねに、チマチマしないことが大事である。

 例によって、成文堂の手帳を見ながら、振り返ってみると、土曜日がことごとく、研究会やその他の会議で埋まっていることに、今更ながら驚くのである。来年は、前期だけではあるが、土曜日の1限目にローの授業が入るというのだから、動揺(土曜)は隠せないのである。まあ、土曜の午後は、もともと埋まっているのだから、朝から出かけるにすぎないと考えれば大したことはないかもしれない。気の持ち様である。

 「気の持ち様」で解決する問題は数多い。客観的な幸福などないのである。なぜなら、青春真っ只中の諸君はおそらく分からないと思うが、すべて最後は落武者になるからである。だからといって、ニヒリズムではない。やはり、岩が必ず落下することが分かっていても、岩を頂上に押し上げるのである。シジフォスばっかり、という声が聞こえる。

 研究者の中にも、まるで宿題をするように義務的に、あるいは権力を志向するように目的的に研究しているような人が結構いる。しかし、研究それ自体の喜び、「なるほどね」「そうだったのか」と日々の主観的帰属こそ研究の生き甲斐なのである。これに対して、資格試験は日々苦しみで、合格後のバラ色を目指しているのだと言うかもしれないが、それは違うだろう。嫌いな科目もやらなくてはならないなどの「嫌気」はあるかもしれないが、誰だって、それはあるし、苦しんでいるようで、実は、日々楽しんでいることを自覚しないだけである。自己の主観を大事にしませう。

 最近楽しみにしていることは、毎週月曜日の深夜TBS「月曜組曲―風のように歌が流れていた―」という番組である。小田和正である。50半ばである。オフコース時代より声が伸びている。こちらも負けられないのである。前回のゲストは、「ムッシュかまやつ」であった。65歳である。「どうにかなるさ」でいきましょう。

ジャーニー to Off Course and Spiders


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