刑法奇行
INDEX過去未来


2004年05月30日(日) 広島風お好み焼き・おこぜ・あなご飯

 広島の学会から帰宅した後の1週間は地獄であった。法時の特集「責任」の原稿である。今日何とか書き上げた。良い企画だと自負しているのだが・・・。

 広島大は遠かったが、結構楽しめた。サタケホールは素晴らしいが、テーブルがないのが難点である。大隈講堂には、ボロだが一応付いている。すべて良い面もあれば悪い面もある。

 天才たぬきさんによれば、ワークショップの不作為犯は充実していたそうである。今度詳細をM原君にでも聞かないといけない。私は、カント・ヘーゲルに出たが、こちらも良かった。さらに、N倉さんも国際刑法は自ら良かったと言って、来年は分科会にせよとのお言葉である。論ずべきテーマが多いのは結構なことだが、何を分科会にするかは困難な決定である。来年担当だけに気が重い。いっそのこと、極端にマニアックなテーマはどうだろうか。構成要件論の展開とか、行為概念の諸様相とか・・・。

 しかし、刑法学の諸問題は何一つ解決していないことに時々驚くのである。以前、某助手の審査で、「方法の錯誤」の諸論文を審査対象にした際、教授会で隣にいた法思想史のS倉さんが、「学生時代に習ったけど、まだ解決していない問題なの?」と聞かれて、「まあ、マニアックな世界ですから」と思わず答えた記憶がある。
 マニアックな世界は重要であると思うが、LSによって過小評価されてきているようである。M原君がよく言うように、消えゆく伝統芸能を守る必要もあろう。と同時に、先端刑法学も必要だから、本当に大変な時代になった。

 それにしても、N倉さんとは広島でよく出くわしたものだ。月曜の朝、広島駅で会い、彼は少年院見学で、こちらはS仙人とS助手と共に宮島観光であり、それじゃあということで別れた。しかし、17時頃に空港の土産物屋に行ったら、黄色いリュックを背負ったビンラディン(麻原か?)がいるではないか。彼は19時の飛行機でこちらは18時の飛行機で、時間がなかったにもかかわらず、最後の締めとして、お好み焼きを食べようということになったが、なかなか来ない。急いでほおばって、じゃあということになった。

 よく会う人は必ずいるものであり、会わない人には本当に会わないものである。会う人とは縁があるのだろう。まあ、N倉さんとは、院時代からの長い付き合いであり、縁を切りたいくらいだが、ますます縁は強化されていることが縁の不条理性かもしれない。

ジャーニー to 来年は北大(6月のいつだよ?)

追伸
>フライブルクのK澤M理さん
フライブルクからの抜き刷りをありがとうございました。M藤君をよろしくお願いします。ドイツの土産話を期待しています。








 


2004年05月17日(月) S文堂の新人S崎君、そしてM藤君

 S文堂の変酋部に新人のS崎君が加わった。彼は、私の東洋の魔女大時代のゼミ生であり、その後、M藤君が引き継ぎ、修士課程で再び私の指導の下に、刑法学を学んだのである。修論は、緊急避難であったが、刑法と哲学に関心のある学徒である(その点で、わが研究室のS助手と共通するが)。彼は、当時から、コミュニケーション論とか、共同体論とかに関心があり、卒業後も、それに関する文献をせっせと読んでいたのである。大いに期待したいものだ。

 ところで、フライブルクのM藤君は、ズイーバー所長やイエシェック、エーザー、アルプレヒト、カイザーなどなど、さらに、町で偶然にもペロン君にも会ったということだ。彼にも、良き国際交流を期待したい。ペロン君と一緒にいたのが、ソウル大学のリーさんである。彼とは留学以来の友人である。ドイツと韓国における免責についての博士論文を書いた。彼の奥さんは、フランス語がペラペラであるが、彼自身は、あまりドイツ語も韓国語もしゃべらないのである(しゃべれないわけではない)。沈思黙考タイプである。

 そういえば、日本人とはあまり話さないが、ドイツ人となると、ハローとか言って、Zugの中でもどこでも、見知らぬ人に話しかける日本の学者が結構いることは面白い。たしかに、むこうでは、隣り合わせになると会話をすることは普通であり、話さない方が異様な場合もある。日本とは逆である。日本で隣の人にハローなんて話しかけたら異様であろう。

 しかし、こういう人は、ドイツ語を話したいということなのか、ドイツ人が好きなのかはよく分からない。日本語を話すドイツ人をあてがったらどういう態度にでるかが実証研究の課題となろう。

 留学中、メンザでかみさんと何かドイツについて批判的なことを(もちろん)日本語で話していたら、隣のドイツ学生が、「そうでしょうか」と突然話しかけてきたのには、驚き、桃の木、山椒の木であった。

ジャーニー to フライブルク



2004年05月08日(土) 官房長官グッドバイ

 もはや「官房長官ではありません」の一言が使用できなくなったのは、何とも痛い。以前この奇行で書いたように、たとえば、高校での模擬講義や市民向けの講演の際の冒頭で場の雰囲気を和ませるのに最適の一言だったのだが・・・。ゼミ掲示板でも学生達の嘆きが伺われる。一体これから、どう生きていけばいいのか、と哲学上の最大の難問にぶちあたるのである。

 まあ、いずれは辞めるのだから、時間の問題であることは間違いない。生きとし生ける物の生命と同じである。

 民法のO江さんから、斉藤金作にも似てると言われているが、一般性がなさすぎるし、そもそも、直接知らないし、写真で見ると、まあちょっとという感じである。斉藤先生については、もっぱら西原先生を通じて、間接的にその人物像を知るだけである。すごい人だったようである。講義のほとんどが人生論である。刑法の講義で夫婦和合の秘訣をとうとうと述べ、「異心別体が同心一体となるのが夫婦であり、これがまさに共同意思主体説である」と最後の5分で言うのだから、凄まじい。学生が帰宅した後、思わず刑法の本を開く気持ちにさせるのが講義であるというのである。

 これは今では通用しないだろう。そもそも、人生どう生きようと勝手じゃんという思想を否定することはできないからである。おそらく、ちゃんと刑法の講義をして下さいと文句がでること間違いない。あるいは、私の場合、基本的に人生論が好きであり、かりに、斉藤先生の授業にでていて、人生論を聞いて帰宅したら、「人生論ノート」とか、「三太郎の日記」とか、「出家とその弟子」とか読みふけり、刑法の本をきっと読まないだろう。

 まあ、今度は、前官房長官、元官房長官とか言うしかないが、かりに総理にでもなれば、「掃除大臣です」あるいは「アイムソーリ、ヒゲソーリ」とか言うこともできるのかどうか・・・。

ジャーニー to
こんなことを書いている暇はない。法セミ、法時の7月号の編集元締めなのだ。


norio

My追加