刑法奇行
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2003年03月27日(木) |
別れと出会い2003 |
ゼミ謝恩会、卒業式が無事終了し、一安心と思う間もなく、土曜日には新入生オリエンテーション、4月1日には入学式だ。春休みが存在しなかった状況であった。もっとも、これまでの原稿関係は一応仕上げたので、4月からは計画的に行こうと思う。
ゼミ謝恩会では、3年生の企画力にはいつものように脱帽である。何人かの卒業生が泣いていた。学部の4年間の想い出は、ずっと後になってから、「あの頃はよかったなー」と思うものである。永遠に戻ることのない4年間・・・青春の1ページを刻んだわけだ。
卒業式は、全体の式(政経・法・商)に出席するため、8時30分集合であった。ただただ眠かったが、ガウンを着て、フードをつけて、颯爽と登場である。「早稲田の栄光」が流れる。このメロディーは美しい。 学部卒業式は、いつもすさまじいが、今回はとくにすごかった。応援団の2人が、私の名前を出したのである。一人は、「高橋則夫先生のような親父ギャグじゃないけれど・・・」とか言って、法科大学院と放火罪とをかけた。もう一人は、刑法を4年間やって、「最後に則夫先生に救われました」とか言ったため、則夫コールが巻き起こった。「則夫、則夫、則夫・・・」と大合唱である。学部長に促され、大きく手を振った。
「紺碧の空」と校歌の大合唱である。いい歌である。早稲田の校歌ほど歌詞とメロディーが見事に調和しているものはないだろう。「進取の精神 学の独立」「集まり散じて 人は変われど 仰ぐは同じき 理想の光」である。
もっとも、この盛り上がりが、もう少し勉強の点にあればと思うのだが、まあいいか。背中にWの一文字を背負って生きていくのである。他大学の出身者は、群れたがる早稲田勢に嫌気がさすことだろう。この群は、開かれた構成要件でなくてはならない。閉ざされたコップの中の早稲田精神では駄目なのである。
まあ、時は駆け足でやってくる。別れがあり、そして、今度は出会いである。ゼミ謝恩会で、「別れても好きな人」をカラオケの好きなIさんとデュエットしたが、まさに、別れても、ゼミ仲間は「ずっと好きな人」同士でありたいものだ。しかし、これに論理的に対応させると、「出会っても嫌いな人」となるのであろう。 とにかく、「結婚しても嫌いな人」とならないように気をつけよう。
ジャーニー to それぞれの旅立ち
追伸
「別れても好きな人」に関連して、「結婚したら嫌いな人」のほうが正確であるとのご意見を頂戴した。DVをみればそうかもしれない。「結婚したら怖い人」となろう。DVDは、ドメスティック・バイオレンス・デラックスのことである。 もっとも、一番いいのは、「別れたら次の人」であろう。そういえば、以前カラオケでこう歌っている人がいたっけ・・・。
2003年03月19日(水) |
ひょっこりひょうたん島の春よ |
昨日は、久しぶりに、教務室ではなく、研究室に閉じこもって、判例回顧の仕上げをした。天才たぬき先生の後だけに、ちゃんとやらねばと思うのだが、判例をじっくり読んでしまってなかなかはかどらない。M藤君もできたのかいな。今年からは、毎月整理していこうと思う今日この頃でした。
帰宅すると、娘がひょっこりひょうたん島の歌と踊りをしていたのには驚いた。一緒に歌ったのであるが、モー娘の影響大である。 あれは中学時代だったのか、毎日見ていた。今から思えば、発想のラジカルな人形劇だったと思う。共同体の思想である。国家というしがらみのない自由さはすがすがしいものだった。 主題歌はもちろんいい。「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ笑っちゃおう すすめ〜」である。勇気づけられる応援歌である。 サンデー先生(声は楠トシ江)と子供達とくにペケが中心の歌もよかった。「勉強し〜ろ 勉強し〜ろ 大人は子供に命令するよ 勉強し〜ろ えらくなるために お金持ちになるために ああ そんなの聞きあきた」とぺケが歌い、それに対して、サンデー先生が答える。「いいえ 人間になるためよ 男らしい男 女らしい女 そうよ人間になるために 勉強なさい」と。そして、ペケが感動して、「みんなよく聞いたか 泣けてくる 勉強しろ」と歌うと、「ペケさんもね」とサンデー先生の一言で落ちがつくのである。
ジェンダー論者は、何だこの歌は、と批判するだろう。「男らしい男とか、女らしい女とか、それが、人間になるためとは」と。しかし、私はこれが好きである。「らしい」という基本があってこそ「らしくない」ことに意味があると思う。みんなが「らしくない」状態だったら、こんな住みにくい世界はないだろう。「らしくない」生き方を尊重すればいいわけで、「らしい」状態はやはり美しいと思う。タイタニックだって、デカプリオが死んでいくからいいのであり、赤頭巾ちゃん気をつけてだって、ちっちゃな女の子に足を踏まれるからいいのである。 もっと、シンプルな世界で生活すれば、息苦しくないのにと思うのだが・・・。くれぐれも念を押すが、そういうシンプルな世界で生活できない多くの人がいるわけで、そういう人について考えなくてはならないことは当然である。もっとも、そこには限界は付き物である。
シンプルに考えれば、戦争は好きくない、の一言に尽きる。戦うことが「男らしい男」だなんてことは、まったく間違っていると思う。前にも書いたが、「海のような、森のような男」にならなくてはならないのだ・・・。国連のゆくえはどうなるのかいな。大変な時代到来の予感がするのだが・・・。
ともかく、ドンガバチョは、藤村有弘しかいないのである。代替可能性のない人間、これを目指すべきだろう。これはあらゆる場面でそうなのであり、それはそれぞれの主観が決めるものである。「私にとってのあなた」からはじまって、ドンドン集合体化していくわけである。
「今日がだめなら 明日があるさ 明日がだめなら あさってがあるさ あさってがだめなら しあさってがあるさ どこまでいってもドンガバチョ ドンドンガバチョ ドンガバチョ」というわけである。
それにしてもよく覚えていることに、いまさらながら驚き桃の木である。
ジャーニー to もう謝恩会か
追記 今はドイツに出かけた笹倉さんから『丸山眞男の思想世界』(みすず書房)をいただいた。人間とは何か、学問とは何かなど、丸山を通じた、まさにジャーニーが展開され、大変おもしろい著作である。こういう研究をしている笹倉さんに嫉妬すら覚えた。なぜ、刑法学でこういう躍動的な研究ができないのか、みんなチマチマしている感がある。おそらく、関心範囲が極端に狭いのだろう。ヤコブスの「Norm・・・」のような研究を還暦めざしてやってみるか、と思う今日この頃でした。
昨日は、慶應の答練に行ってきた。何と、I田さんとT立大のK井さんが三田の新研で待ちかまえていたのには、びっくりした。答練はもう秋田県である。ローのせいかもしれない。しかし、当面合格を目指している受験生は真剣であるので、まあしょうがないか。ローと法職・・・どう両立させるかは難しい問題である。
先日は、新入生向けの企画である「外国語ガイダンス」にはじめて出た。第2外国語の選択のための説明会である。ピカピカの1年生が300人ほど来ていた。教務として一言、「法律を勉強するうえでも、語学は大事ですから、しっかり勉強するように」と。その後、各語学ごとに集まって、2〜3人の先生に質問である。まあいいかなと思い部屋に戻ると、職員の方から電話で、「法律の先生に伺いたいことがあるという学生がいますので来て下さい」ということで、戻ってみると、熱心な女子学生2人が待ち構えていた。「法律を勉強するうえで、どの外国語がいいのでしょうか」ときたのである。「それはドイツ語に決まっています」なんてことは言えないから、各法分野と外国語との関係を述べたが、刑法に力が入ったのがいけなかったかもしれないが、「やはりドイツ語ですか」と。「いやいやそんなことはないよ」と必死に否定しても、純粋惹起説の1年生であるから、修復不可能であった。このためか、あるいは私がパンフレットにドイツ語のすすめを書いたためか知らないが、外国語の先生宛のメールで「やはりドイツ語でしょうか」という質問が殺到しているということである。ボクのせいではありま千円!。
好きな語学をとればいいじゃんと言いたいのである。私は、フランス思想が好きだったので、フランス語を第1外国語にしたのである。無謀だったが、それによって、ロードー法のS田さんとも知り合えたのである。とりあえず、今の君の心情を大事にしようではないか。
最近の学生は本当にコースを大事にする。ベルトコンベアーに乗るために、最善の策を練るわけか・・・。落っこちたら、もはや這い上がれないだろう。それでは、何を獲得すれば、落っこちないかといえば、それは何もないのである。東大に受かれば、あとは順風満帆なんてことはないことは、多くの例が示している。ベルトコンベアーに乗ったり落ちたりの繰り返しなのであり、行き着く先は誰にもわからない。だから、志望校に合格したことは、とりあえず嬉しいと言ってくれる学生がいたら、私は、彼(彼女でもいいが)をヒシと抱きしめるだろう。
本当に、好きに選べばいいのである。ガイダンス・・・本当はいやだが、お仕事だからしょうがない。先生の言うことを鵜呑みにせず、批判的に検証することが必要である。そういえば、これまで先生に相談した記憶がないのである。そもそも、小学校から先生にあまり期待していなかったようである。目の前の先生より、伝記物の人物の方が偉いと思っていたし、中学・高校では、ポケットに入っていた漱石や太宰などなどの方がずっとすごいと思っていたからしょうがない。先生達には親しみをもっていただけかもしれない。人間として、いい人だなあ、というように・・・。
何でもガイダンスとなると、今度は、就職ガイダンス、そして結婚ガイダンスである。結婚するためには、「どの語学がいいのでしょうか」とくるかもしれない。そして、最後は、死へのガイダンスである。これが、順風満帆のデュープロセスというわけか・・・。
ガイダンスばかりで、本論に入らないままに終わってしまうかもしれない。これこそ、本末転倒である。まずは、現実にどっぷり浸かって、溺れてみて、その後ガイダンスに助けを借りても遅くはないし、それこそ実があると思う。パソコンの入門書をじっくり読んで、さあはじめるかというよりも、まずは、ガチャガチャ、パソコンと格闘する方がいいのである。 ガイダンスよりも、マイダンスである。
ジャーニー to ガイダンスにゴン
何とか学年末試験の採点を仕上げ、西村先生の古稀パーティーも無事終了したが、あと各所の答案練習会の問題作成、判例回顧、そして確定申告である。中谷傘寿は、まだ完成していないが、どうなっているのだろう。このままだと、未完成の危険性が大なのだが・・・。
西村パーティーで、何人かの弁護士が続々挨拶に来た。岡山の高原弁護士の軍団である。10月16日に松山で開かれる日弁連人権大会において、修復的司法が取りあげられる予定であり、パネリストを頼まれた。10月18日19日と、沖縄国際大学で犯罪社会学会があるから、松山経由沖縄行きということになるかもしれない。
昨年の奇行では、採点についての雑感をいろいろ述べたが、今年はその余裕はない。毎度のように、目の覚める答案もあれば、わけわかんなーい答案もある。不出来の弁解や授業の感想などもときどきある。これらを書いても、採点にまったく影響しないが、単調な作業の中の清涼剤的な面は確かにある。
ギャクの気に入ったものを挙げる学生もいる。何気なく言ってしまうギャグに深い感慨にふける学生がいることには驚いた。たとえば、「先生の親父ギャグは、実家の父を想い出します。」という女子学生のホロッとくるのもあった。また、共同正犯の一部実行全部責任の説明で、「2人で強盗をしようと計画し、僕は暴行・脅迫、君は財物奪取、2人あわせて強盗となる。まるで、ヤン坊とマー坊で2人あわせてヤンマーだ。君と僕とでヤンマーだ。」は人気があった。もっとも、ギャグのセンスをもっと磨いて下さい、という厳しいのもある。人気のないものは、中止犯の法的性格の刑事政策説について、黄金の橋を説明し、「これは、ゴールデンブリッジである。私の名は、ハイブリッジである。」 言った記憶のないものもある。「毒入りコーヒーで殺害する。まさに、ブラックコーヒーである、は良かったです。」と書いてある。これを言った覚えはないし、一体何が面白いのであろうか。もし、言ったことを忘れているのだとしたら、すでに、アルツハイマーかもしれない。重くならないうちに、刑法の教科書を執筆しなければ・・・。
ジャーニー to 『修復的司法の探求』は売れてんのかいな
norio
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