刑法奇行
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もう言葉にするのもいやになるくらい忙しい。何から手をつけていいのか分からないまま、ただ学部の仕事だけは、オートマティックに進んでいき、それに運ばれている自分がいる。他方で、締め切り原稿がボブサップのように立ちはだかる。奇行を書いている暇はないのだが・・・ここに不条理がある。 今日、またまた芳林堂で、大学院同期でいまだに司試を受けている、M本君に会った。元気そうだったが、髪が真っ白になっていた。また会う機会があるか分からないので、拙著『修復的司法の探求』を買って謹呈した。自分の本を定価で買うとは思わなかったが、まあしょうがない。あとで送ればよかったかもしれないが・・・ここに不条理がある。 思えば、昔からずっと、この世は不条理である、という命題が好きであり、カミュが特段好きだったことは、以前にも書いた(と思う)。さまざまな現象の原因を突き止めることは、必要なことではあり、因果関係は、あらゆる分野で重要なテーマとなっている。あるいは、すべての事象は必然であるということもできる。 しかし、韓国の地下鉄放火事件になぜ巻き込まれたか、なぜガンになったとか、さまざまな「なぜ」の究極は運命としかいいようがないのではないか・・・ここに不条理がある。 どうもがいても不条理であるならば、がんばってもしょうがないではないかというのが、若者の多くに見受けられる。しかし、これは違うと思う。楽しい人生を送るためには、がんばる必要があるのである。注意すべきは、がんばる対象は何でもいいということである。一元的な価値だけを押し付けるところに問題がある。がんばって、がんばって、休みたいとか、遊びたいとか・・・どっかで聞いたことがあるが、そのときは、死ぬ必要はないが、ケセラセラで行きましょう、というのがいいのである。 この時期は、青春の光と影が交錯する。希望と絶望の実在的競合である。今日希望に胸膨らんでも、明日には絶望がやってくるかもしれないし、今日絶望に打ちひしがれていても、明日には希望がやってくるかもしれない。それは誰にもわからない・・・ここに不条理がある。 明日という字は明るい日と書くではないか!
ジャーニー to 「孤独な散歩者の夢想」(ルソー)再読
2003年02月05日(水) |
忙殺罪の構成要件該当性 |
今日、修論の面接(D入面接も含む)を10時から15時半まで行った。力作、労作からD作までいろいろある。自分が面接を受けた時を思いだした。主査がN原先生、副査がU田先生とS々木先生であった。ついこの間だったような気がする。
さて、学年末試験の4年生以上の採点締切が7日である。ほんとにできんのかいな〜。狂務の仕事は一貫して存在する。2月は、まさに殺人的である。忙殺罪の構成要件に該当するのである。狂務の仕事は基本的にあわないようだ。S文堂店長のT中さんにそれを言ったら、学者なんだから、あわないのが普通なんだよ、と言われて、そりゃそうだと納得した。とにかく、孤高の奇行師でいたいのである。
もっとも、拙著『修復的司法の探求』がやっと刊行され、献呈した方々から、御礼のメールやお言葉を頂戴していることは、ありがたく、癒される。3色の緑の派手な装丁であるが、昔、みどりちゃんというかわいい子がいたからまあいいか。名前を聞いて誰かを連想することはよくあることである。 拙著がまだ店頭に並んでいないのは、帯を付けることになったからである。帯の効果はあるらしい。帯に短し、たすきに長しということもあるが・・・。 T大のY口さんからも、御礼のメールをいただき、この奇行に対する励ましもあったので、書く気になったのである。とにかく、疲れて書く気になれなかったのである。
昨年の武漢の日中シンポの『共犯理論と組織犯罪』も出た。末尾の紀行文の中で、私のが完全に浮いている。こんなの掲載してよかったのでしょうか、H郷さん!。
驚いたことに、来年私の研究室に留学希望の韓国の実務家の方から、この奇行を楽しく読んでいますとのメールがきた。何と、海を越えていることに気づいて愕然とした。ひょっとすると、ヤコブスやロクシンもおそらく読んでいるのだろう。もっとも、文字の存在は分かるが、国語学的意味が分からないから、故意はないことになる。 いずれにせよ、この奇行も国際化の渦に巻き込まれてきた。孤高の奇行師にはなれそうもない。
先週の小学校クラス会のカラオケでは、古い歌ばっかしである。ヒデとロザンナの「愛の奇跡」を2回も唄う人がいたことには驚いた。よほど深い想い出があるのだろう。いつも成績トップだったO田も来た。T大法卒で、今は、K首相の秘書官である。大変な仕事だ。彼と偶然にも、モンキーズのデイ・ドリーム・ビリーバーをデュエットしてしまった。ライバルも今や単なるおじさんであった。
ジャーニー to 花と小父さん
norio
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