刑法奇行
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8月も終わりだ。だからといって、夏休みはまだまだ終わらない。以前書いたように、7月1日から9月30日まで夏休みと勝手に位置づけているのである。「勝手にシンドバット」である。
それにしても暑い。仕事も終わらない。今日明日中に、例の母親と長男による強盗の共同正犯の判例評釈も書かなくてはならない。いくつかの仕事が同時進行している状態だから、カオスとなる。秋からは、狂務の仕事につくので、整理しようと思っているのだが・・・。このままだと、狂歌書は絶対不能となる。RJ関係も程々にしようと思うが、世界各地でどんどん進展しているので、休む暇もない。一方で、ドイツの若手による解釈論の浩瀚なモノグラフィーもどんどん出てくる。狂歌書を書くには、ここらで目をつぶるしかない。しかし、目をつぶれば世界がなくなるのか・・・懐かしい!。
毎年ドイツに行くという計画が今夏は破綻した。10月に武漢に行くからその他は駄目、という家族の指示命令である。意思抑圧され、道具的存在となってしまった。丸出駄目夫である。恩師にも、ドイツにはいつでも行けるのだから、いいじゃない、と言われてしまった。まあ、制約があるから、自由の素晴らしさが分かるのだから、まあいいか。
しかし、小学校時代から、9月になれば始業式という習慣にどっぷり浸かったためか、9月になると夏休みも終わるのでは、という恐怖感が出てくる。実は、夏の怪談話など屁の河童であり、夏休みが終わることこそが本当の恐怖なのであり、これはリングのように連鎖反応していくことだろう。
ジャーニー to ヤクルト優勝の恐怖
娘と2人だけで、再び中軽のD1放棄寮に行って来た。2人だけのはじめての旅行である。7月の時に比べて極端に寒く、ストーブが欲しいほどである。塩沢湖と千ヶ滝温泉、そして旧軽とおきまりのコースである。塩沢湖で、C葉大で民法を教えているK野君の家族に会った。彼は高校の後輩であり、S塚研究室の逸材といっていいだろう。塩沢湖では、かつて社学のO野先生ご夫妻にもお会いしたのである。きっと、みんな赤い糸で結ばれているのだろう。
千ヶ滝温泉では、娘が来年、合宿に行く予定のスケートセンターを見学したが、その隣に「ウサギの森」があり、多くのウサギが傾斜面で飼育されており、自由に中に入れるというので、娘は大はしゃぎであった。わざわざ、院合宿で行った浅間牧場まで行く必要はなかったので幸いだった。
ところで、宿では、娘が寝た後、一人で「北の国から」総集編前編を見て、またまた感動のアザラシであった。純が、旅立つトラックの中で、父五郎の手の泥が付いた万札を見て号泣するシーン・・・これは何度見ても泣けてくる。どうして感動するのかを考えてみたが、五郎の手に泥が付いていることが、人間のどろどろの本当の生活を見せつけるからであろう。
思えば、われわれ同業者は、手に泥を付けない仕事である。そして、さらに、手を汚さずに、いかにうまく切り抜けるかだけを考えているのである。そうはいかない場面はおそらく家族関係などしかない。だから、家族や恋人関係など密接な人間関係の維持は大変なのである。 しかし、手を汚すことが感動を惹起するのであれば、手を汚さないわれわれは、誰にも感動を与えることはできない。これもエンプチーなことであろう。少しは、手を汚すことを考えなくてはならないと思うのだが・・・。
W大は、恥をかいて成長し、K大(T大も同じか?)は、恥をかかないようにする、と昔からよくいわれている。後者は、恥をかいたとき立ち上がれないのである。大いに恥をかこうではないか。もっとも、恥の上塗りで、そのまま自滅するという可能性もあるが・・・。
ジャーニー to 純と蛍
2002年08月18日(日) |
alsa(アルサ)があるさ |
昨日は、アジア法学生協会(The Asian Law Students'Association=alsa)の学術交流で、1日中オリンピック記念青少年総合センターの中にいた。テーマは、「死刑制度を考える―刑罰の目的とは―」である。午前中は、私とアムネスティの寺中君が基調報告を行い、午後は、グループに分かれて、ディベートとディスカッションを行った、総勢50人ほどで、早稲田、中央、東海、東京国際の学生が参加した。9月に行われる、アジア諸国の学生とのフォーラムの事前学習会ということである。私と「てらまこ」君の2人とも死刑廃止論者だったが、学生の中に存置論者がいたので、まあ盛り上がった。こういうサークルがあるとは知らなかったが、みんなよくやっているのには感心した。今時の学生も捨てたものではない。何人か私の授業をとっていた(いる)学生もいた。終了後、新宿の魚民で打ち上げがあり、花束を抱えて帰宅したわけである。
午後の論点は、冤罪と終身刑の導入の2点に企画者が限定したが、予想通り、被害者問題が多く出てきた。存置論者は被害者の視点を根拠とするのである。私は、以前、被害者保護と死刑廃止論を結びつけた論文を書いたが、いまだに悩ましい問題である。やはり、修復的司法への道筋の重要性を実感したのである。論者の中に、修復的司法という言葉が自然に出てきて、その浸透力にも感動した。
死刑の問題は、結局、いかなる社会を構想するかに関わる問題である。破壊的社会から建設的社会へ、排除的社会から共生的社会への道を探ることが必要だろう。われわれ大人が夢をもたずして、若者が夢をもちえようか。
「少年たち3」をかみさんがビデオに撮っておいてくれたので、帰宅後見たが、加害者の修復の視点が見事に描かれている。次回以降が楽しみであるが、修復的司法は、被害者、加害者、コミュニティの修復を考えるものであることを何度も言っているのに、最狭義の家族集団会議だけを修復的司法と考える人が多くて困るのである。
会の最後に、秋に拙著『修復的司法の探求』が公刊されることを宣伝したら、拍手が起こったが、おそらく誰も買わないだろう。ひょっとしたら1人か2人は買ってくれるかもしれない。それでもいい。老人になって、古本屋でほこりにまみれた拙著がさりげなくおいてあるのを見つけたとき、ニヤッとほくそ笑むこと・・・これこそ最大の幸福かもしれない。
ジャーニー to サライの空
叔父が86歳で亡くなり、お通夜、告別式と忙しかった。夏の葬式での喪服はつらいが、死は予定できない。われわれは、いつ死ぬか分からないのである。明日かもしれないし、10年後、20年後、あるいは、大隈説によれば、125歳まで生きるかもしれない。こうした不安定な状態にもかかわらず、意外に呑気に生きていられるのはなぜか。全員が平等に死に直面しているにもかかわらず・・・。 収骨の際は、いつも愕然とする。人間のはかなさを実感する。親父が死んだとき、長男は小3だったが、それまでずっとケラケラしていたのに、収骨後、ポロポロポロポロ泣き出したのには参った。
まあ、いずれみんな死ぬんだから、生きている間、明るく楽しくいきましょうということしかないのかもしれない。そう思えば、わずらわしいことの何パーセントかは消滅するだろう。ほとんど気の持ちよう次第だとビートルズも歌っていたではないか。
早稲田出は、昔から、打たれ強いというのが通説・判例である。誰が何と言おうと、進取の精神で突き進むのである。最近では、打たれ弱いのが多くなったような気がする。ナイーブといえば感じがいいが・・・。もっとも、まったくナイーブさのない連中も(自分も含めて?)私の周りには多い。自分だけ一方的に喋って、聞く耳を持たないのである。誰とはいわないが、昨日のH口さんの歓送会でライオンで一緒だったM藤君と私の会話は、それぞれ一方的にしゃべりまくり、相互に相手の話を聞いていないという、おそろしい状態が現出する。彼は話しに夢中で、エーデルピルスを倒したのである。まあ、Nジーランドに行くというからうらやましい。修復的司法のワガワガ・モデルでも見てきてもらいたいが、純粋に旅行だそうである。まさに、彼らしく、ワガママ・モデルである。
いずれにせよ、打たれ強くなることが大事だと思う。転んでもただじゃ起きない、七転び八起きである。他人の評価を気にせず、自分が自分自身に下す評価を基本に据えることである。「自己批判・他者肯定」の立場を、一人でも多くの人がとってくれればと思うのだが・・・。
ジャーニー to ewige Seligkeit
昨日は、娘と家内と3人で(息子は野球)、T魔園に行った。いくつか乗り物に乗ったあと、流れるプール、波のプール、大プール、小プールとすべて行為支配した。日焼けで背中が痛いし、流れるプールでただ歩いているだけだったのに、足が若干つってしまった。明らかに歳である。
仕事がはかどらないのに、家族サービスも大変だ。もっとも、仕事をやっていると、違う関心が激しく出てくるのは、昔から変わらない。つまり、違う本を読み出してしまうのである。したがって、当面の仕事がどんどん遅くなるのは当然である。 柴田翔の『贈る言葉』の中にあった「現実と憧憬とのギャップ」をいまだに抱えているのかもしれない。目の前にある仕事は空しく感じられ、もっと大事なことがあるのでは、とつねに思ってしまうのである。むしろ、憧憬のほうが現実的である感覚である。 前にも書いたように、フリーの学者が夢である。好きなときに好きな本を読む。それも、ドイツで、フランスで、スイスで・・・。自分が「なーるほど」と思う日々が果てしなく続く。 しかし、外部に発表するということもわれわれの責務であるわけだから、自分だけ納得しているわけにはいかない。もっとも、本当に納得した後に発表するとなると、それは不能犯であるから、やはり、現時点でとりあえずとなる。永遠に不完全燃焼状態が続く。完全燃焼した「あしたのジョー」には決してなれないのである。
とにかく、若いカップルが多い中で、醜態を晒して、プールにいるのは苦痛である。娘と一緒だから、一応絵になるが、もし1人だったら、「怪しいおじさん」である。プールの監視人に注意されるかもしれない。しかし、こうしたおじさんたちが楽しく入れる日を作ったらどうかと思う。名前も、年増園(ここでは、男も含めての意味で使用する・・・念のため)なのだから・・・。
ジャーニー to プール・オン・ザ・ヒル
昨日、高校時代のクラスを中心としたメーリングリストによって、K君の訃報がとびこんできた。脳溢血で昨年倒れ、1年後の死亡である。徐々に、そういう年になってきたことに、今更ながら驚く。ご冥福を祈りたい。
大学の内外でいろいろ忙しくなってきそうである。健康には気をつけなくてならないと思うが、長年、各種臓器を使用しているのだから、ポンコツになっていくのは当然であり、新品であるわけがない。そもそも、生きていることが健康に悪いともいえる。したがって、限りある人生の中で、いかに充実した生活をするかが課題となる。しかし、充実させようとしても本当に充実するということは、これまた難しいことである。「なんだかんだ」と「どさくさ」して、生きていくしかないのかもしれない。昔の拓郎の歌「今日までそして明日から」を思い出す。「私は今日まで生きてみました。そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと。」
ところで、昨日は久しぶりに、S仙人と例の回転寿司に行った。以前、この奇行で取り上げたためか、混んでいたが、回転寿司だけに回転は速い。彼は、久しぶりに人としゃべるという。暑さのせいもあってか、引きこもりも激しくなってきたようである。相変わらず、食べるのは遅いが、お茶の入れ方は学習した。しかし、お茶のパックを探して、ガリの箱を開けていたことは特筆すべきことだろう。彼もいい年であり、蚊トンボのように細い体であるが、健康らしい。細いにも関わらず、大食であるから、彼のおなかには寄生虫がいるのではと、みんなで心配して大笑いしたことがある。 虫といえば、軽井沢の虫(いまだになんだか分からないが)はハームを与え続けている。徐々によくなっているが、完治はしていない。原稿の催促に対する正当化事由として援用しているが、催促する編集者も強力な虫のように侵害してくる。最後の手段として、虫ならば、無視するしかないのかもしれない。
ジャーニー to 雪の降る町
norio
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