刑法奇行
INDEX|過去|未来
浩瀚な書3冊いただいた。木村みっちゃんの刑法、平野やすさんの自由と安全、そして、島田そうちゃんの正犯・共犯論だ。まだ礼状を書いていない。この随筆で礼を言ってもおそらく読んでいないから、不能犯か。 みっちゃんの本は本当によく整理してあり、見事である。着実に研究している女性刑法学者の一人である。もっとも、学会で個人報告をしていないのは不思議だが、それはどうでもいい。論文で勝負だからだ。論文以外で勝負しようとする人が誰かは皆知っているのである。 やすさんは、澤下り、否、澤登先生のお弟子さんで、青木さんと同様、國學院の仏研究会で知り会った。静かでいい人だ。地道な研究がこんな大著となった。いろいろ苦労されたと思うが、完成を心からお祝いしたい。 そうちゃんは、恐るべき20代である。正犯・共犯論のジャングルの中に、素朴な問題意識から切り込んだレオかもしれない。個々の問題に対して私も対決しなければならないが、風に立つライオンではなく、風に退くウサギとしては、しんどいなーという感じである。最近の20代はいいねーと、K大のIさんとも話したところである。0代よ、がんばってくれー。
今日は午後から辰巳の答練である。斉藤誠先生、みっちゃん、奥村さんの続きである。辰巳のG藤所長とは、高校、大学が一緒である。高1の時同級であり、彼はバレーボールの選手だったが、胃潰瘍になり、入院し、1年遅れた。今は頑丈そのもので、やり手だ。商魂たくましく、ライオンの風貌がある。彼だったら、ロースクールになっても、確実に生きていけるだろう。それぞれ道は違うが、とにかく生きて行かねばならない。 「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(大江)。
ジャーニー to Dankbarkeit
大きな花束をいただいて、vielen Dank! 早速、食卓の上にかみさんが飾ってくれた。食卓だけど私の嘱託はない。 O前君、H田君、そしてI女史、これからもがんばって欲しい。学部生とは違って、皆、心の中で泣いていたと思う。「涙は心の汗だ」と昔の青春ドラマにあったと思うが・・・。 場所も、私の好きな芳林堂地下の文流であった。ここのランチはpreiswertだ。 H田君のウクレレには驚いた。レレレのレーである。 学部謝恩で言ったように、これから様々なことがあり、何が起きるか分からない。遠くをぼんやり見つめ、近くを近視眼的にならずに、一歩一歩進むことが大事だと思う。結局、人生は自分探しかもしれない。 金八は今後どうなるのかなー。
ところで、朝日の夕刊に「薫くんシリーズ」に触れた記事があった。「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、高校時代に、中央公論に掲載された時に読んだ。「ライ麦畑・・・」と似ていたが、思想は違う。庄司氏の「自己批判、他者肯定」の立場 はやはり忘れてはならないことだ。世の中を見渡すといかに「自己肯定、他者批判」が蔓延しているかが分かる。 とにかく、薫くんが最後にちっちゃな女の子と出会い、海のような男になろう、森のような男になろうと決意する箇所はいまだに脳裏に焼き付いている。 これは、ヤコブスのPersonかもしれない。自分も含めてそれになれない人間は野蛮人といわれても仕方ないのかもしれない。餌に食いつくハイエナのような個体が人間といえるのであろうか・・・。zoo zooという歌はいい。 「海や森のような人間になれ」これを贈る言葉としたい。森といっても、元総理でないことに注意。
まあ、これですぐ新学期だ。M1が5名入ってくる。既に飲み会とカラオケをやった。今日も締めはカラオケだった。H田君の「リンダリンダリンダ」が耳にこびり付く。まさに「こまっちゃうなー」と関係ないリンダが登場する。
ジャーニー to 花はどこへいった
トゥナイトが21年目にして終わった。思えば、11PMやその他の深夜番組全盛時代の承継的共犯としてよく頑張ったものだ。「カントク」という通称までできた。懐かしいシーンが想起される。
懐かしいといえば、判例セレクトが16年分を装いも新たにせず、単に1冊になった。もっとも、東洋大の専任講師時代に書いた騎士道事件(回し蹴り事件)は思い出深い。何せ、高裁の裁判長がS史朗先生で、弁護人がS藤君というわけだ。そして私が判例評釈担当で、3人で社会を動かした事件である(妄想は妄予想)。S藤君はフォーカスかなんかに出て嬉しそうだった記憶がある。彼とは、中学、大学、大学院と一緒である。院時代は、人に言えない恥ずかしきことがお互い多かったが・・・、まあそれも青春である。 とにかく、S先生喜寿の編集委員として論文を早く書けえー。 騎士道事件は、我々刑法学者にとって「待ってました」という事件である。理論的に興味深い事件が発生することを待っているというのも、嫌な職業かもしれないが・・・。 ドイツでは、ソフトになったとはいえ、「起訴法定主義」だから、興味深い判例が続々でる。日本では検察止まりで、つまらない。藤木さんはそこに目を付け、検察止まりの事例をたくさんフォローしたわけだ。
とにかく、トゥナイトが終わって、深夜族は何を見るのか。M藤君のようにワンギャルとか・・・。彼は、おそらく全員の名前をフォローしているだろう。昔おにゃん子全員の名前と会員番号を暗記していた驚愕マンである。 私も、夜型は一向に治りそうもない。今も、家族が寝た後、3時頃まで仕事をし、8時頃家族の騒音で起こされるのである。あまり寝ていないが、会議や研究室でよく寝ているから帳尻はあう。 そういえば、髭のN倉さんもほとんど昼間に寝ている。自分のゼミ中にも寝ている。夜寝ていないのであろうが、その時でも、S喜寿を書けないものであろうか。書けないところをみると、きっと、夜もしっかり寝ているのだろう。あとは、夢の中で論文執筆を頼むしかないかもしれない。
ジャーニー to トゥナイト3
昨日は、卒業式であった。毎年、法学部だけの式には出るようにしている。今年は今はなき?8号館301ではなく、10号館109であったが、とにかく狭すぎた。 8号館301で、当時学部長の西原先生が壇上から両腕を挙げてさようならと叫んでいたことが昨日のことのように思い出される。あの時も缶ビール1個で、この伝統は、今も受け継がれている。事務所の人によれば、法学部の卒業式は他学部とは異なり、面白いということだ。とにかく応援団はいいー。もっとも、応援団のギャグより、私のそれの方がレベルが高いことは確かだ。 「紺碧の空」を1年春の早慶戦で肩を組んで歌ったとき、ふるえるくらい感動した。「早稲田の栄光」も泣けてくる。もちろん、「都の西北」はいうまでもない。応援団が、今や国歌となっているというのは、言い過ぎだが、これほど有名な大学歌は他にないだろう。 しかし、早稲田出身者が集まると、必ず歌うということも、世間的に非難されている。「早稲田にあらずば人にあらず」と言わんばかりである。K大名誉のM先生によれば、「とかくメダカは群れたがる」ということである。 早大出身者の結婚披露宴でも必ず「都の西北」である。私の時もそうだった。出席者のほとんどが雛壇側にくるという滑稽状態であった。 しかし、卒業生の何人かは歌詞カードを見ながら歌っていた。その場で、単位を剥奪したい気分だった。「早稲田精神の危機」を嘆く刑政S先生の気持ちも分かる。しかし、「早稲田精神」は、所与のものとして存在しているのではなく、各自が追求すべき獲得目標だと思う。各自が信ずる道を邁進した結果として、事後的に、 あれが早稲田精神だったとのかと思うものである。早稲田精神に合わせようとした瞬間に、早稲田精神ではなくなるわけである。以前の愚徹問題と同じである。 とにかく、卒業式、入学式と美しい青春である。 「集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光」 この歌詞はいい!そして、バカだー、バカだーと果てしなく続いていくのである。
ジャーニー to Auf Wiedersehen
(既に)昨日は、3・4年ゼミの謝恩会であった。これまで、追コンはあったが、謝恩会ははじめてである(東洋大時代は毎年あった。幹離任さんの教唆による結果発生である)。新宿のパーティー専門のレストランを貸し切りで、舞台があった(何度のぼらされたであろうか)。ジャイアンツのユニホーム(高橋選手のである)を着せられて、巨人軍の歌とともに、お色直しで登場である。その後、皆が私のユニホームにマジックで色紙に書くように、一言書くのである。私は「まな板の鯉」状態であった(密室の恋ならよかったかも)。それが終わると、舞台で「なごり雪」を歌った。それから、大ビンゴ大会、スライド上映、プレゼント贈呈式、そして私の挨拶・・・。幹事の3人は本当にご苦労さんであった。とってもいい「感じ」だった。何人かの卒業生が泣いていた。私も花粉症で泣いていた。 8号館とともに卒業という節目だ。いろんな思い出を抱いて旅立つわけだ。しかし、思い出だけでは生きていけない(それは既に老成化した生き方である)。やはり、若者は、ファウストのごとく、「明日に向かって撃て」である。背中にWの一文字だ(まさに、サインはW)。 それにしても、私へのプレゼントもジャイアンツ一色である。ジャビット君がこれほど重いとは(わが家のラビットは軽い)。
思い起こせば、曽根ゼミ1期生として、当時謝恩会などしなかったなー。追コンはあったという記憶はある。あれから多くの時が流れ、本当に、「思えば遠くに来たもんだ」。 大学4年間は4年間の暇であると言ったのは、柴田練三郎だったと思うが、そのとおりである。二度と帰らない貴重な暇なのである。
なお、卒業生へのプレゼントには、もちろん、私の直筆の親父ギャグが記されている。旧態依然のものが多いが、「原因においてノリオな行為」と「業務上ノリオギャグ罪」は気に入っている。
まあ、とにかく、皆がんばってもらいたいと祈るだけである。「人生は困難だ。映画のようにはいかない。」と、ニューシネマパラダイスでのアルフレッドの言葉がしみる。
ジャーニー to the long journey
2002年03月19日(火) |
Bakada Universitaet |
昨日、タクシーに乗った途端に、運転手さんから「あれー、官房長官に似てらっしゃいますねー。」と言われた。「まあ、よく言われますよ。」すると、「あの人も東大ですかねー。」「いや早稲田ですよ。」「お父さん(福田赳夫・・筆者注)のように東大じゃなかったんですね。まあ、早稲田もすごいけど。」ときたのである。そのあと白けた空気が流れた(もちろん、純主観的に)。
早稲田は庶民の大学であることを再認識した。そういえば、バカボンのパパは、「バカだ大学」の出身である。「都の西北早稲田のとなり、バカだー、バカだー」と歌っていたなー。私も留学中、「Neben der Waseda Universitaet gibt es Bakada Universitaet.」とドイツ人に言っても、まったく受けなかったが、留学中の他の日本人には大受けであった。
研究室に、西原先生直筆の「愚徹」という色紙がある。我々はどうしても小利口に振る舞うことを戒め、愚に徹せよ、ということだ。しかし、本当に愚であり、自然に愚に徹してしまう人もいるが、ここでは、意識的に愚に徹しなければならない。そうなると、愚にならなければならないと自分を統制する必要がでてくるから、翻って、小利口に振る舞う結果となる。愚に徹しようと思った瞬間、小利口になってしまうのである。どう解決すべきだろうか。
いずれにせよ、庶民の大学ならば、庶民の側に立たなければならない。庶民は犯罪の被害者にも、加害者にもなりうる。少なくとも、権力の側には立たない。これは、まさに、修復的司法の思想そのものではないか。
しかし、うちのかみさんとS仙人は、私が官房長官似であることを断固として否定する。昔から知っている人はそう思うのかもしれない。顔にも歴史的展開があるのだろう。 もっとも、S仙人がミスターオクレ似であることは、おそらく生まれたときから変わらないのだろう。
ジャーニー to 天才バカボン
2002年03月17日(日) |
fan fun 不安 |
好きなタレントとか好きな作家とか、たとえば、前者であれば、天地真理(もちろん当時の、いまは詐欺である)、後者は、太宰とカミュである。なぜ、ファンになるのか、それは、自分を名宛人としていると感じるからであろう。太宰を読んだとき、これは自分に語っているのではと錯覚した。 刑法の教科書や論文の中にも、宙に向かって書いているものもあるが、自分に向けられて書かれていると思うものもある。そういうときは、とてもうれしい。しかし、考えてみると、そうであれば、自分が書いたものが一番自分に向けられているから、自分が喜ぶ論文を自分が書けばいいのだ。つまり、自分自身が自分のファンとなる。
昨日は、佐々木先生の特別刑研だった。言いたいことを言いあう貴重な研究会だ。飲み会で、若手研究者の将来の不安が少し話題となった。我々も皆そうだったことを忘れないで欲しいし、それでもいろいろ楽しかった。自分の考え方次第である。自分の研究そして論文作成・・・。それは実は、自分を楽しませるためでもある。
不安が、funとなって、自分が自分自身のfanとなるわけである。 もっとも、これは、他人のギャグは笑えず、自分のギャグしか笑えない私だから可能なのかもしれないが・・・。
とにかく、自分が喜ぶ論文を書けばいい。自分が喜ばずして、他人を喜ばせることはできない。ファン・ファン・ファンである。
ジャーニー to となりの真理ちゃん
一橋の青木人志さんから、上記の書をいただいた。ユニークな比較法研究書である。このような研究は、ロースクール時代にますます重要となるだろう。 彼とは、院生時代に、國學院ではじまったフランス刑法研究会(いまはやめてしまったが・・・)で一緒だった。福田平先生のお弟子さんである。福田先生は高校の先輩でもある。まあ、福田先生こそ天才といえる学者かもしれない。 青木さんは、不能犯の日仏比較を研究していて、学会でも報告された。これも面白い研究と思っていたが、閉塞状況の刑法学会にはあわなかったかもしれない。レヴィジオン刑法で天才M教授がとりあげていることはさすがである。 青木さんは、東洋大時代の同僚堀口勝さんつながりで関係もある。世間は狭いなー。 いすれにせよ、研究は地道にこつこつやっていれば、集大成するという当然のことを本書は実証している。また、院生時代にいろいろな外の研究会に参加することも重要であることがわかる(そうでなければ、彼とは知り合わなかったかも・・・)。 この随筆に涙し、感動して読んでいる若き研究者諸君も、できるだけ外に出るよう心がけて下さい。 「書を捨てないで、町に出よう」ということ。 「わかるかなー、わかんねーだろうなー」この漫談家はどこへ行ったのかなー。
ジャーニー to code penal
2002年03月13日(水) |
シュトラーテンヴェルトその2 |
天才M教授の生活に、シュトさんのことが書かれている。シュトさんについては、私も一言いわずにはいられない。なぜなら、彼の教科書第3版は、今は亡き中野次雄先生との長きに渡る講読書だったからである。今でも研究室にぼろぼろになった3版がある。懐かしい院生時代が蘇る。酒井、大塚、関、萩原、中空、洲見、信太、武藤などなど、週1回中野先生と9号館の共同資料室で講読をした日々が走馬燈のように蘇る。 中野先生は、類いまれな裁判官であったことはいうまでもない。講読の際、刑法上の問題について数え切れないヒントを得た。江戸っ子で気さくであり、終わると必ず、早稲高の前にあった、カフェ・ド・ジュネス(成文堂の元編集長藤井喜代子さんがママさんだった)でケーキとコーヒーである。そして、ヘビースモーカーの先生がタバコをくゆらせながら・・・。そして、必ず、ヴェルツェルと会ったときの話。先生が「目的的行為論は過失犯を説明できないのではないか。」と聞くと、「お前はできる」という答えが返ってきたという。4月からS大に移るS氏によれば、「100回聞きましたねー」。ということは、我々は計100回笑ったことになる。 ジュネスには何回も行った。思えば、長男が生まれた瞬間にも、いた(S仙人とA大のSさんもいたと思う)。いまだにかみさんに文句をいわれる。大事なときにいつもS仙人と一緒だと。 4版が出たとき、あわてて、ミュンヘンのシュヴァイツアー書店と国際書房の両方に注文してしまった。ど忘れ禁止法違反である。もっとも、1冊は、内田文先生に売りつけた。 とにかく、シュトは想い出の書であり、されどわれらが日々の書である。名もなく貧しく美しく(?)過ごした院生時代の仲間達のためにも是が非でもいっておかねばならないことなのである。
ジャーニー to 刑法総論概要
桐蔭横浜大の河合幹雄さん(隼雄さんの息子さん)から、ガラポン(ガチャポンではない)の『司法が活躍する民主主義』という訳書が送られてきた。貴重な書である。立法は正義であるという第一の道から、行政主体の第二の道を経て、司法主体の第三の道をガラポンは探る。司法の重要な役割を認識させる。 確かにその通りである。問題は、この司法に市民性を付与する方法と限界である。巻末に、著名事件を訳者が紹介してあり、配慮が行き届いている。 彼はユニークな学者であり、発想も面白い。目から鱗が落ちる発想をする一人だ。こういう人はなかなかいない。こういう発想をする人をまわりが潰してしまう危険性もあることに気をつけなければ・・・。
もう一冊、『レヴィジオン刑法2』もいただいた。今回は、鼎談形式になった。中山、浅田、松宮と3世代が一緒に議論できるフォーラムがあること自体素晴らしい。ざっと読んだが、いくつか面白い提言もある。 しかし、ドイツでこういう類の書がないのは何故か。ロクシン、ヤコブス、フリッシュの鼎談とか。もっとも、数多くのシンポジウムがあり、そこでの議論が一書になることは多い。しかし、それぞれ言いっぱなしの感がある。ある会議で、テュービンゲンのケルナー教授が、私に、ドイツの刑法学者はDiskussionをせず、Redeをしているだけだと言っていた。コミュニケーション時代にこれでは困ったものである。こまった、こまった、こまどり姉妹か。
まあ、この随筆も一方的で、コミュニケーション性がない。しかし、やめろといわれても(ヒデキ!)、どうにもとまらない(リンダ!)というわけである。 ところで、最後通牒を出した佐々木喜寿に反応がほとんどないのはどういうわけであろうか。
ジャーニー to みんな生きてますかー?
amazonから、さだまさしのアルバム『感動の素』がやっと届いた。例の「償い」が入っている。その他、北の国から、無縁坂、療養所、風に立つライオンなど懐かしい、感動的な曲が並んでいる。 なかでも「親父の一番長い日」を久しぶりに聞いて、不覚にも涙した。妹の誕生から結婚まで、兄から見た親父の姿が感動的に叙述されている。 「わかった娘はくれてやる その変わり一度でいい うばっていく君を 君を殴らせろ」 まさに、これが人生である、これがすべてだ、他のことはどうでもいいことなのだ・・・。
しかし、何回か曲に合わせて歌っていると、「うるさいからやめてよー」と娘の声、「うぜー歌だなー」と息子の声、一瞬にして現実に引き戻された。
「親父の一番短い日」だった。
ジャーニー to 風に退くウサギ
2002年03月10日(日) |
クリスティとクリスティーエ |
クリスティの『産業としての犯罪統制』が信山社から何と、クリスティーエ『司法改革への警鐘―刑務所がビジネスに―』という書名で発売された。内容は確かにそのように理解できるかもしれないが、それはやはりサブタイトルにすべきであろう。また、英語圏では、クリスティで通用しているのだから(クリスティーエってノルウェー語?)、クリスティにしてもらいたいものだ。クリスティの本の翻訳書だと気づくのに時間がかかったのである。クリスティの「財産としての紛争」はRJの先駆的作品である(田口先生が愛知学院時代に紹介している)が、訳者あとがきにその指摘もないとはいかなることか。驚愕である。 そういえば、ロクシンをロキシン、ヤコブスをヤーコプスと表記する人もいたが、ただただ疲れる。皆が使用する言葉に従属する必要もないが、あえてそう表記するにはそれ相当の根拠がなければと思う。現地で皆そう読んでいるとか。かといって、現地で呼ばれている語をそのまま表記することも疲れる。ロクシーンとか、ペロンはパロンとか・・・。 もっとも、訳語にはこだわるべきである。RJの訳語の多彩さを見よ。一人の春夫先生のいうように、関係修復正義とか。彼は、修復的司法の「的」と「司法」が気に入らない。確かに、Criminal Justiceを刑事的司法とは誰も言わない。「的」とはそんなようなものという軽い感じがするからだろう。中国語では「的」は「の」 だから、刑事の司法と修復の司法ということになろうか。これはいいかも。
ジャーニー to クリスティ
齊藤先生は、院生時代から、学会の際にいろいろと声をかけて下さった。「高橋さんねー」と独特の雰囲気である。学会での質問など楽しみだった。背中が勉強肩になっており、本当にドイツ刑法学に没頭した感がある。日本の学者がドイツ刑法学を正確に理解していないことをいつも嘆いておられた。 齊藤古稀には、ロクシン、ヤコブス、シューネマン、シュライバーの寄稿がある(奇行ではない)。ロクシンは相当性と客観的帰属、ヤコブスは刑法は何を保護するか(法益か規範妥当か)、シューネマンは、責任論の現状、シュライバーは患者の処分権限をテーマとしている。何か、齊藤先生がテーマをリクエストした感じもするが・・・。 ヤコブスらももう年である。次の世代はどうなるのか。ヴァイゲント、ペロン、フロイント、レッシュ、ズィーバー、プリットヴィッツ、ギュンター、ハイネ、グロップ、などなど、全員挙げられないのでゴメンゴメン。まさに群雄割拠である。先が見えない暗中模索の状況かもしれない。日本も同じである。若きパラダイム転換者が待望される。我々おじさんの刑法学はただ消え去るのみか。「老兵は死なず、消え去るのみ」とは良いことわざだ。 しかし、消える寸前まで、がんばるつもりである。少なくとも、オヤジギャグの一つぐらいは言うだろう。
ジャーニー to Festschrift
先日、判例体系の条文指定を佐々木先生と行った。条文指定の後、要旨やキーワードの作成をSTの会会長と行い、その後、3人で検討会をするというのが毎回の作業である。新判例を知る機会として意味がある。 HPの話題の際に、この随筆を第一法規の方に話したところ、みんなで見て大受けでした、というのである。その後、こりゃ大変なことをしたと思った。なぜなら、第一法規のビルの中に、団藤先生の研究室があり、ときどきいらっしゃるのである。私もそこでお会いしたことがある。名著『刑法紀行』の著者である。こちらは、刑法『奇行』である。この随筆も短命かもしれない。まさに、第一放棄である。 ところで、やっと齊藤誠二古稀のゲラが出た。遅〜い。そして校正が1回ですとは・・・。校正(更生)保護をしてもらいたいものだ。更生を更正と間違う人がいる。正しくさせるのではなく、生きていかせることに意味がある。いい言葉だ。 もっとも、大学は「ああせい、こうせい」と雑用を押しつける。更に生きていけるのだろうか。
ジャーニー to 立命館
採点締切の最後通牒だ。もっとも、大体先が見えてきた。一つまた疑問が解消した。授業で、ある理論の論理的帰結について、「あたり前田のクラッカー」と言ったら、いつになく受けた。今の若者がこの台詞を知っているわけがないにもかかわらず。変だと思っていたが、答案の中に、「あたり前園のクラッカー」は良かったです、とあったのである。驚愕である。『立ち尽くす明日』(柴田翔)であった。 ところで、今日の朝日に入江さんの「平和の文化」という小論があった。もっともだと思う反面、世界の平和、人類の平和とか迫られると、どうしても「人類は愛せても隣人は愛せない」というドストさんの言葉が彷彿としてくるのである。はじめに人類ありきではなく、はじめに家族とか友人とか同僚とか隣人とか・・・、そういう身の回りの具体的な顔の浮かぶ人との平和の延長線上に人類・世界の平和があるような気がする。電車の中で注意すると報復される社会、他人は敵だとして互いに憎悪しあう社会を変えて、その平和を国際社会の平和に結びつける方法はないかと思う。学校で人権論を熱く語る教師が児童買春を行う現実を直視すべきだろう。 しかし、ある事件があり、わが子は無事だったという場合、他人の不幸を本当に悲しめるのか・・・。個人的な幸福を世界的な幸福に広げることの最大の困難性がここにある。永遠の哲学的課題である。
ともかく、採点が長引いたのは、様々な特別入試の担当(明日は学士入試)で、義務の衝突が続いたからである。そういえば、呉にいる、義務衝突さんは元気なのかなー。彼もまた、監禁罪を研究しているのだろうか。
ジャーニー to かっちゃん
久しぶりに、S仙人講師が研究室に来たので、会議終了後、栄通りの回転寿司に行った。彼は、いまだに回転自体に慣れていない。皿を取ることが思うようにいかない。狙いを付けて、目で追っているが、手が追いつかないから、隣の人の方にいく寸前でようやく皿を獲得するのである。はじめて彼を連れていったとき、お茶の出し方が分からなかった。手でボタンを押すという暴挙に出たのである。そもそもシステムを知らなかった。さらに、食べる速度が遅い。わが家のウサギのような口でもぐもぐしている。私が5皿で彼が1皿の割合である。どんどんとったらと言うと、目の前に食べる予定の皿を集めただけとなる。回転しない皿が目の前にあるから、彼にとってここは回転寿司ではない。あるいは、自分で目の前の皿を回し出すかもしれない。あるいは、自分自身が回るかもしれない。いずれにせよ、何かが回転していれば、そこは彼にとって回転寿司と言えるかもしれない。 まあ、彼にまつわるエピソードは切りがないほどある。いずれ、彼をテーマに小説を書く予定である。芥川賞受賞は間違いないだろう。 帰宅後、西原先生から『21世紀のアジアと日本』という著書が届けられていた。春夫先生の話題を書いた直後だけにドキッとした。とにかく、構想がでかい。こういう人物はおそらくあと100年経たなければ出てこないかもしれない。
じゃーにー to アジアの純真
2002年03月05日(火) |
Changing Lenses |
ゼーアの翻訳作業は、カメのように遅いが、順調に進んでいる。完成も間近だ?。本書の題名は見事である。「レンズの交換」は、様々なことに当てはまる。一つのレンズでしか物を見ない人間にはなりたくない。かといって、レンズが多いとトンボのように眼がくるくる回ってしまう。いくつレンズがあればいいのか?。 みんなでやる翻訳作業は結構楽しい。言いたいことをいいながら・・・。「駄目リング論」には感動した。ある誤訳の多い翻訳書を評価したときに生まれたが、応用が効く。駄目さが輪のようにぐるぐる回るからであるが、久々の傑作か。 話は違うが、3月は、二人の春夫先生の誕生月だ。春だから春夫か。simpleこそベストである。 わが家の娘も3月生まれだが、名前は春子ではない。未来と書いて、「みく」と読む。息子が進だから。併せて、「進め未来へ」ととく。「進め青春」というドラマもあったなー。 しかし、未来に対して夢をもって進める時代なのか疑問である。何か、時代閉塞状況が満ちているような感じがする。もっとも、我々の時もそうだったから、別にガタガタ言うことはないのかもしれない。 やはり、夢がなくとも、今を生きるシジフォスの幸福論しかないと思うのだが・・・。 それにつけても(おやつはカール)、採点はいつ終わるのだろうか。
じゃーにー to ドリカム
今日は早刑研を失礼して、慶應の司法研究室の答練のため、三田に行った。早稲田とは違い、あまりの静かさに呆然とした。採点者の一人は、一昨年合格し、現在平教授のマスターで、共犯論を勉強中という有望な院生であった。 1問目は、前回の現代刑事法、2問目は、次回の現代刑事法の演習に掲載する予定の問題を出した。2問目は、挑発防衛を中心とするものであるが、ドイツの近時の判例で、挑発して殺すことを共謀した者の一人の実行者が、挑発にもかかわらず、正当防衛の成立が認められたが、違法な先行行為を理由に、過失致死それも過失の 共同正犯が肯定されたというものがあった。これは注目していい判例だと思う。ロクシンをはじめ何人かの学者が評釈をしている。いずれ論文にしようと思っている。K大のU女史もJuraに過失の共同正犯部分についてのみ評釈をしている。 実は、東京部会の際に本人からJuraそれ自体をいただいたのである。その時は気にとめていなかったが、ロクシンの評釈から、遡及してこの判例だったのかと驚いた。 まあ、勉強したいことは山ほどある。しかし、時間がやはりない(フリーの学者になるしかない)。ヘーゲル研究者の長谷川氏が羨ましい。「時よ止まれ。お前はかくも美しい」とファウストのように叫びたいが・・・。 それにしても、佐々木喜寿はどうなるのかなー。
じゃーにー to ひなまちゅり
途中風邪を通過して鼻炎に逆戻りしながら、採点を続行中、わが研究室の妄ちゃんじゃないけれど、いろいろ妄想もでてくる。前回、司法試験に通る程の答案に言及したが、たしかにそれは優になろう。しかし、教科書に書いてあることの再現にしか過ぎない答案がいい答案というのは、法律学の学習上しかたないことではあるが、何かエンプチーな感じがするのである。つまり、もっと勉強すれば、分からないことだらけになることが、それはやっかいなので、ある程度まででやめておくことが得策であるという勉強態度を強いているのではと思う。これでは予備校と同じである。しかし、授業で、1年間行為論だけをやるわけにはいかないのである。若き(?)「飢えてる」の悩みである。 もちろん、できてない答案は、まったく勉強していないことが明らかな学生である。しかし、いないと思うけど、徹底的に勉強している学生が、結局分かりませんと答えたら、私は何とそれに答えればいいのか・・・。 「本当に分かる」教科書はあり得るのか。「とりあえず、分かったことにしておこう」という教科書を私は書くつもりである。「はっきりしない」とか「あいまい」とか最近の学生を批判する我々も気をつけた方がいいかも。 それでは、自分はすべて理解しているのか。 日経に怒る哲学者・・氏が紹介されていた。竿竹売りにうるさいと怒鳴り喧嘩となったことを自慢してあったが、なぜその人と友達にならないのか、あるいはなれないのかを自分に問うことはないのか。これを問わない哲学とは無縁でありたい。 これも妄想刑法総論?。とうとう、妄ちゃん従属性になってしまった。これは、しまった、しまった、島倉千代子である。 はやく、鼻炎に起因する妄想から脱出しなければ。
じゃーにー to 幻想交響曲
norio
|