刑法奇行
INDEX未来


2002年02月28日(木) 採点その2

退屈な採点の中でも、明日にでも司法試験に受かるのではと思わせる答案に出くわすことは喜びである(1年生なのに)。また、ごく少数ではあるが、講義評価が追記されてるのもある。「みんな本当は喜んでいますから、うけなくてもがんばって下さい。」という激励もあれば、受けたものを挙げる人もいる。たとえば、「単位を落とすのは、君たちの不作為犯である。」とかである。
よく分からないものもある。「慶應で自分の携帯が鳴ったことから自殺の問題を説いたことはさすが」とかである。自治会の講義評価にはこっちが笑った。「福田官房長官の顔を覚えた」「早稲田周辺のラーメン屋を覚えた」「刑法なのに異常に出席率が高い」「小指の想い出が伊藤ゆかりで、園まり、中尾ミエの3人娘であったことは誰も知りませんよ」「自笑行為は結構好きです」・・・。
こういうギャグを思わずいってしまうのは、みんなのためではなく、自分が楽しいからであろう。事実、他人のギャグには笑えないのである。だから、K大の某先生とはいつも互いに疲れてしまうのである。おそらく、二人の近くにくると、あまりの寒さで凍えるだろう。現代刑事法の人たちはよく風邪をひかないものだ。

じゃーにー to ノリオハウス


2002年02月26日(火) 採点(公正としての正義?)

今週の金曜日が3年生以下の採点の締切日であるが、まだまだである。答案を階段から投げて、順番にという説もあったが、学生諸君の真剣な?答案に対してはこちらも真摯に答える義務があろう。公正なる正義の下に・・・。
採点といえば、ソルトレークで問題となったが、公正さはたしかに堅持されねばならないだろう。選手が可哀想である。しかし、そのことと勝ち負けにこだわることとは違う。何となく最近は、参加したって負けたら意味ないじゃん、という風潮が
強くなっているように感じるのである。参加できるだけでいいじゃんと言いたい。
また、この季節は受験の季節であり、美しい青春がなごり雪をBGMに過ぎ去るのであるが、勝ち組と負け組というトンデモナイ対概念がはびこっているようである。そういう感覚しかないことがすでに負け組であるし、そもそも人間であることが負け組と言っていいのかもしれない。必ず落ちぶれるし、絶対に死に至るわけだから。
両者が勝つ、勝ち勝ちの世界を求めるのが修復的司法である。それは夢じゃ夢じゃと言われるかもしれないが、私は、夢想花のように「飛んで飛んで・・・・・回って回って・・・回るー」と歌いたいのである。
また、古くなってしまった。

じゃーにー to ジャネット・リン


2002年02月24日(日) 償い

山室裁判長(井上正仁さんと共著もある)が、さだまさしの「償い」に言及した。まだ、全文を読んでいないが、償いの対象が被害者(遺族)であることを明言した修復的な判決といえよう。
RJ研究会でもじっくり検討したいが、加害者と被害者がそれぞれ再生していく長い旅は、まさに「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」である。坂上さんの『癒しと和解への旅』という感動的な著作を想起した。

ところで、修復的司法とはまったく関連はないが、カラオケで最近はテレサテンの「償い」を歌うことにしている。そういえば、去年の忘年会の2次会でO総長と一緒になり、「高橋もこんな歌を歌うのか」とか言ってたなー。総長は、ジョルジュ・ムスタキを歌っていた(水炊きではない)。誠に渋く、パリの香りがした。

ジャーニー to Camus


2002年02月23日(土) 監禁罪は換金財

21日22日と、法学部入試で監禁状態であった。
可能的自由も現実的自由も完全に侵害されてしまった。監禁の認識を要求する後者の説が妥当であろうが、ときどき居眠りをしたから、その間は監禁が成立しないというのもおかしい。やはり、眠らなければ帰宅の意思が続いているのだから監禁は成立しよう。潜在的意思と仮定的意思という平野論文には泣けてくる。もっとも、契約による正当化という奇抜な佐伯さんにも頭が下がる。いずれにせよ、『監禁罪の研究』という本を若いヤングの研究者が書けばいいのにと思う。住居侵入よりは売れるだろう。だから、監禁罪は換金財なのである。今度、若くはないSTの会の会長に言っておこう。彼は、自分自身を監禁しているから、自分のことを書けば論文になるだろう。きっと、続々まででるに違いない。
まあ、とにかく忙しい。慶應と辰巳の答練問題も作っていないし、今月締切の信山社の『先端法学入門』の原稿もヌルである。
今日は、ゼーア翻訳ワーキングだし、また、入試の監督で鼻炎になってしまった。まさに、トレビエンの正反対である。
じゃーにー to Fruehlingsrolle





2002年02月20日(水) ベースマン

昨日教授会後、長男と飯田橋にある野球用品店「ベースマン」に行って、グローブやスパイクなどを買わされた(結構高い!)。ベースマンとは顔の四角い渥美清のことではなくて、塁手のことである(1塁手・・・というのだろうが、これだと外野手は塁手といえないことになる)。まあ、野球選手と言っていいだろう。
ベースマンとはいい言葉である。自分の位置を基礎とし、自分の役割を果たし、それによってチーム全体に貢献する。一人だけ突出した選手がいても勝てるわけではない(天才江川を見よ)。昔、西原先生が「法律学者に天才はいらない」と言われたことを思い出した。みんなで住み良い社会をつくるのだという気持ちが大事である。学会でも「どうだすごいだろう」という報告もあるが、誠に息苦しい。皆、ベースマンであることを忘れているようだ。そもそも、天才だったら法律学など専攻しないだろう(ゲーテを見よ)。
もっとも、天災は忘れた頃にやってくるかもしれない。(ちなみに、天才Mさんのことを言っているのではもちろんない。彼とは親しい研究仲間であることを明らかにしておきたい。)


2002年02月19日(火) ジャスト・デザート

 今朝娘に「カップラーメンって何語でしょう」というクイズを出され、「3分後」と即座に答えたので、びっくりしていた。そういえば、「デザートは何語か」という古典的問いの正解は、「食後」である。
 ジャスト・デザート(just desert)は、このデザート(dessert)ではないが、訳しにくい用語である(発音は、ディザートだろう)。「公正な応報」という訳がいちばんいいかもしれないが、修復的司法が目の敵にする用語である。
 食後のデザートの綴りに「s」が1つ多いのは、いろんなデザートを食べたいという欲望に由来するのであろう。
 「s」がつくとすべて複数で訳す先生もいる。法命題が諸法命題とか。しかし、訴訟障害には参った。諸訴訟障害となるのである。これを、10回見事に言える人は金メダルものかもしれない。

じゃーにー to sweet dessert





2002年02月18日(月) 徒然なるままに

今日から私の晒しな日記を徒然なるままに書くこととなった。刑事法に関する話題からモー娘。を超えて身近な出来事に至るスケールの大きな(?)日記とするつもりである。
私の先輩のフランス哲学者のように、この日記を整序して出版することもありえよう(おそらく不能犯だろうが、成文堂であれば、危険の発生もあるかもしれない)。
とりあえず今晩は1年ゼミのコンパに行かねば・・・。

じゃーにー to されどわれらが日々


norio

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