hazy-mind

2006年01月01日(日) 『月緒は叫びたいと思っている。ツキオはきれいな世界が見たいと思っている』 短編



月緒は近ごろいつも叫びたいと思っている。
さけびたいと。


夜、月緒は外にでた。部屋の中から出たのは三日ぶりだった。

今日はすこし夏にしては涼しく、もう蝉の声もやんでいた。

自動販売機の前をとても小さな虫がたくさん飛んでいる。
光に集ってくるようで、それがなんていう虫か、月緒にはわからなかった。
手に持っていた120円を入れ、ミネラルウォーターのボタンを押した。
ボタンの周りにいた虫たちがすこし舞い、また自動販売機に止まった。
それを少しの間みつめてから、取り出し口からペットボトルを取り出した。
月緒はこのペットボトルをつかむ時のヒヤッとした感触がすこし好きだった。

自動販売機の近くに腰をかける場所があるので、そこに座って水を飲んだ。
夜風がすこし心地よくて、部屋の中にいるよりいい気がしたから。

すこしさがしたけれどどこにも月は見えなかった。


ふと、なんだかとてもタバコを吸いたくなった。
月緒は今までタバコを吸った事は無かったけれど、なぜだか、
とてもペットボトルを持っていないほうの手が寂しく見えて、
タバコを持たせて見たい気分になった。
でも、財布を持っていないことに気づき、
一度部屋に戻って金を持ってくるのは面倒くさかったので、
寂しい右手には携帯を持たせた。

それからメールを打ち始めた。



 最近世界がつまらない
 すこし つまらない

 そう思っている私は逃げているだけ。
 つまらない世界に甘えているだけ。

 私は今なにをしているのだろう
 私は今なにがしたいのだろう
 私は今なにをしたらいいのだろう
 私に今、何ができるのだろう
 生きることの意味ってなんだろう
 私は今なにをしているのだろう

 さけびたい、さけびたい、さけびたい。

 でもできない
 出来ない
 私にはそれをすることが出来ない

 私はとても大きな声でさけびたいのだけれど。
 私にはそれが出来ない。



長い文を打ち終えた月緒は、宛先に自分のメールアドレスを入れて、
送信した。

携帯が震え、メールが届いた。
月緒はそのメールをひらかずに削除して、携帯をしまった。
それから

 さけびたいな・・・

と、ひとり言をつぶやいた。

水をすこし飲みながら月緒はトンネルのことを思い出していた。
いつか通ったトンネルのことを。
そこで叫んでいた男のことを。

月緒はその時、後部座席に座っていた。
路側に立っていた男には、車内の全員が気づいたが、
男が叫んでいるのに気づいたのは月緒だけだった。

トンネルの中は車の音に占拠されていて、男の叫び声は聞こえなかった。

月緒はその時の男の顔を思い出していた。
それからまた、叫びたいなと、小さくつぶやいた。

しかしそれは、ひとり言にならなかった。

「さけんでみたら?」

そう誰かが言った。
ツキオだった。

月緒とツキオは同じ大学に通っていて、同じアパートに住んでいた。
たまに一方の部屋で二人で寝ることはあるけれど、恋人だったことはない。
ツキオはたまに別の世界に行ってしまう癖をもっていた。
ツキオはきれいな世界が見たいと思っている。

月緒はひとり言を聴かれたのがなんだかとても気まずくて
何も答えずにペットボトルのふたを開けて一口水を飲んだ。
ツキオは奥の自動販売機で何かを買っている。
ガタンと言う音がした。
月緒はツキオのほうをみないでぼーっと前にある道路の方を見ていた。
今日はやっぱりすこし涼しいなと、そんなことを思っていた。
それからすこし歩こうと思った。

月緒が立ち上がり、歩き出したのを見ると、ツキオは何もいわずに月緒についていった。


花屋と美容院のある道に入ったときに、
ツキオがもう一度「叫んでみたら?」と言った。
嫌だよ、と月緒は軽く笑いながら答えた。
「なんで?」

月緒は答えなかった。
ツキオもまるで自分の質問など無かったかのように話題を変えた。
「あそこにネコがいる。くろい。」
ツキオが指差した方を見てみたが、月緒にはなにも見えなかった。
ぼやけた夜があるだけだった。


 わかっているから・・・

ツキオの好きな定食屋(しかし月緒はこの店が開いているのを見たことが無い)の前まで来た時に、
月緒がぽつりと言った。
その時ツキオは昨日コンタクトをはずした時にすこしだけ見えた緑色の世界の事を考えていたので、
意識を現実に戻して「なにを?」と声を出すのにすこし時間がかかった。

 叫んでも なにもかわらない 
 たぶん なにも かわらないんだ
 さけんでもなにもかわらないんだよたぶん

月緒は少しだけ笑いながら言った。

 それに 叫ぶ勇気も無いよ 

少し泣きそうになっている自分に気づいて、月緒はまた、すこしわらった。
ツキオは月緒の横顔をみてそれに気づいたから、何も言わなかった。


大学の近くまで来ても、二人とも何もしゃべらなかった。
揺れる世界揺れる世界と心の中でつぶやきながら、ツキオは眠さでふらふらしていた。
月緒はたまに空を見上げ、月がなぜ見えないのかを考えていた。



 あ


そう、誰かがつぶやいたような気がしたので、ツキオがあたりを見回すと、
月緒が後ろで立ち止まっていた。
月緒は少し下を向いていた。
ツキオは早く現実に戻って月緒に声をかけようとしたけれど、
揺れる世界からなかなか抜けれず、だまって月緒をの方をみることしか出来なかった。


突然月緒は叫び始めた。

月緒にも理由はわからなかった。
でも叫んだ。叫んだ。叫んだ。
背中を少し丸めて、月緒は叫んだ。
なんどもなんどもなんども。

ツキオには叫んでいる月緒の姿が何かにすがりついているように見えた。
揺れる世界の中で月緒が夜を抱いているんだと思った。

しばらくたっても月緒は叫ぶのをやめなかった。
叫んだ。叫んだ。叫んだ。
できるだけ大きな声でできるだけつよく。
叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。

月緒が涙を流しているのに気づくまでツキオは戻ってこれなかった。

月緒は叫ぶのをやめるのが怖くなっていた。
ずっと叫びつづけていないと、叫び終わったら、
何かがもう、きえて、消えてしまうような気が、して。
すごく怖くて、怖くて、嫌で、嫌で、
終ってしまうのは嫌で、苦しいのは嫌で、
失ってしまうのが怖くて、
とても怖くて、悲しくて、怖くて、悲しくて、
涙が止まらなかった。

月緒はすぐ前にいるツキオにそれを伝えたくて、
息を吸う時に少しだけツキオの目をみたけれど、
すぐにまた目をつぶって叫び始めた。
背中を丸めて叫んだ。
叫んだ、叫んだ。
叫ぶ、叫ぶ。



   ドンッ

その音と、背中と頭が硬い物にぶつかった痛みで、
月緒は、一瞬叫ぶのを止め目を開けた。
ツキオが電柱に月緒の両肩を押しつけていた。


すぐにまた叫びだそうとした月緒の口を、ツキオは右手で押さえつけた。
左手は肩を押さえつけたままだった。
月緒はツキオの目をみた。
ツキオの目は少しだけ悲しそうに見えたが、
すこしだけ苛立ちを帯びているようにも見えた。
月緒の目は不安と涙であふれていた。


「もう、いいよ」

そう、言って、ツキオが手を離すと、月緒はゲホゲホッと2、3度、咳をした。
それから何も言わずにその場ですぐに崩れるように眠ってしまった。



ツキオは眠っている月緒をすこしのあいだ眺めていた。


月緒にキスしようか、それとも月を探そうか迷ったけれど、
結局どっちもせずに、明日の月緒の枯れた声を想像して、
ニヤニヤしながら月緒の隣で眠った。


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