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2004年03月16日(火) 『ピルケース』 短編

ぼくには双子の妹がいる。
双子といっても二卵性だけど・・・。
彼女は小さいときから重い離人症にかかっていて、
感情が表に出てくることはほとんどない。

時間がすぎるのとともに彼女はたくさんの感情を落としていく。
かなしみやよろこびやさみしさ、いろいろな感情をおとしていく。
ぼくはそれらのいろんな大きさの感情を拾い集めては、
小さなピルケースに入れている。

これは小さいときからのぼくの習慣、そう、習慣だ。
大学に入って妹と二人暮しをはじめても変わらない、習慣だ。

彼女と一緒にいるときは、その時の彼女の感情にふさわしい感情を
ピルケースから取り出して、彼女に飲ませる。
彼女は自分をロボットのように思っているので、自分では感情を選べない。
ぼくが『楽しい』を彼女に飲ませれば、彼女は友達と笑ってしゃべったりできるし、
彼女に嫌なことがあった日には、大き目の『悲しい』を飲ませて、彼女を泣かせてあげることもできる。水なんていらない。

彼女は『さみしい』を落とすことが多い。
感情が出せなくて孤独を感じるような場面が多いのだろう。
だからぼくのピルケースには『さみしい』が他のよりもとても多く入っている。

ぼくはたまにつまみ食いをする。
つまりピルケースの中身を彼女に内緒で勝手に服用しているのだ。
思いっきり楽しみたいときに『興奮』を飲んだり、
勉強をするときに『やる気』を飲んだり。
でも一番良く使うのは『さみしい』だ。
なぜならぼくは、少しさみしいくらいの状態が一番、
心のバランスがとれるからだ。
『さみしい』は役に立つ。
恋人に逢う前に飲んでいけばいつもより恋人が輝いて見える。
逢いたくない人に逢わなきゃいけないときもさみしかったら、何とか耐えられる。


感情を売ってしまうこともある。
ピルケースの感情はぼくと妹にしか見えないのだが、
どこでうわさを聴きつけたのか、
ある日、30前後の男がやってきて
『好き』という感情をできるだけ多く譲ってくれないかと言われた。
ぼくは『好き』と言う感情は妹にいい人が現れる時のためにとっておきたいと思ったが、
男の提示した金額に、つい、適当な量を売ってしまった。
その場で男に口をあけさせ、『好き』を流し込んだ。
しばらくすると、男はとても満足げな表情でさらに多くの金をぼくに渡し、
礼を言って去っていった。

この男はどうやら『好き』の感情が欠落しているらしく、
『好き』が切れると、またやってきて売ってくれと言う。
ぼくはそのたびに少しだけ『好き』を彼に流し込んで、大金をもらう。
ぼくは最近大学を辞めても、この取引さえあれば仕事なんてしないですみそうだ、
などと、不謹慎なことを考えている。


ある日妹が帰ってくると、ぼくにこう言った
「好きの感情をちょうだい」
ぼくは一瞬ドキッとしたけれどストックはまだまだあったので冷静を装って話を聴いた。
どうやら大学で恋人ができたらしい(その経緯については不明だが)
ぼくは素直に『好き』を何個かあげた。小さ目のやつにしといた。
今までこんなことなかったので、これが彼女の初恋と言うことになるのだろう。
たとえば相手が手をつないできたら、とか。
どういう場面で飲むといいよと、兄として少し複雑な心境だったけれど教えた。

妹がデートに行った次の日は、どこにいったかを聞きそのルートどおり行き、
所々に落ちている感情を拾った。
大きめな『好き』が落ちていると、本来の感情でも好きなんだということで少し安心し、次回のデートの前に少し大きめの『好き』を上げた。
しかしやがてデートした場所に行ってみると、
『退屈』や『つまらない』が落ちていることが多くなっていった。
そのことを妹に説明しても、妹は「好きをちょうだい」と言ってきた。
初恋の『好き』の楽しさに依存しているようだった。
本来の感情ではそんなに好きではない相手に、好きな感情を抱かせるのはおかしいので、嫌だと言った。
彼女は無理やりピルケースから『好き』を取り出そうとしたが、
ピルケースを使えるのはぼくだけなので、やがてあきらめた。

そのうちに彼女は恋人とわかれた。向こうから振られたらしい。

「さみしいをちょうだい」
そう妹が言ってきた。ぼくはもともと『さみしい』を上げるつもりだったので
少し多めに『さみしい』をあげた。
『さみしい』を飲んだ彼女はさみしそうな顔をしながら
「すごいたくさんのさみしいを飲んだらどうなるのかな?」
と言った。
ぼくは「すごくさみしくなるんじゃない?」と言って話を流した。

妹が精神科医に通うようになってから、少しずつ妹の離人症は良くなっていった。
妹が精神科医に通う気になったのは、あの初恋があったからみたいだった。
ちゃんとした感情で恋をしてみたらどうなるのかと思ったのだろう。
妹の離人症が良くなっていくと、
ピルケースに感情をためるのが難しくなっていった。
でもまぁ、いいことなのかもしれない。
彼女が本来の感情で生活できるようになるのが一番いい。


大学四年の秋。

ぼくは妹を失った。
交通事故だった。

あまりのあっけなさにぼくは茫然自失とした。
電話で聞いたときなぜかなにも感情が沸いてこなかった。

病院に行き、妹のもう動かない姿を見たとき。
なぜか怒りに似た衝動を覚えた。多分怒りだった。
何もかもぶち壊したくなった。
ぼくは病院から家まで走って帰り、自分の部屋に閉じこもった。
机の上のものを叩き壊したりして暴れた。
暴れつかれて床に倒れて横を見ると、ピルケースが落ちていた。
「…ピルケース」
そうつぶやいた。
このピルケースの中の感情の持ち主はもういない。
このピルケースの中の感情はどうなるのだろう。
あの『好き』を買いに来る男のように、欠落した人たちに売ろうか。
いや、そんなことはしたくない。
もう『好き』も売らないし、他の感情も売らない。
ぼくが全部飲んでやる。
妹が今までの人生の時間の中で落としていった感情全部。
ぼくが飲んでやる。

ぼくはピルケースから次々と感情をとりだし、
飲んでいった。
水なんていらない。
無我夢中でどの感情かなんて気にせずに飲んでいった。
そしてピルケースの中身全部を飲み終えた。


感情がオーバーロードした。

様々な感情がとても強く起こって混ざり合って、
ぼくは泣きながら笑ったり怒ったり悲しんだり、
とにかくもうめちゃくちゃになった。
そんなめちゃくちゃな状態の中
いつか妹が言った言葉を思い出していた。

「すごいたくさんのさみしいを飲んだらどうなるのかな?」

ピルケースの中には他の感情に比べ物にならないほどのさみしいが入っていたはずだ。
彼女が20年間感情を出せずにさみしい思いをしていた分の。

ぼくは涙は止まらなかったが急にさみしくなってきた。

とてもとてもとてもとてもとてもさみしい。
さみしくてたまらない。
今すぐに誰かに逢わないと、心が枯れてしまいそうだ。
さみしいさみしいさみしいさみしいさみしい。

その時、大泣きしているぼくの前に、妹の姿が見えた。

幻覚?

何でもいい、とにかく妹に触れたい、抱きしめたい。
頭がおかしくなりそうだ。
ぼくは目の前の妹を抱きしめた。

さみしさが身体から空中へと抜けていく感じがした。

意識もいっしょに宙へと消えていった。

---

「気がついた?だいじょうぶ?」

ぼくが目を覚ますと、恋人がぼくの頭をなでていた。
「ずっと寝てたんだよ、泣きながら」
ぼくは昨日飲んだ感情がすべて身体から抜けていることを確認した。
「妹さんのことで心配になって、来てみたらいきなり抱き着いてきて…」
「…ありがとう、もういいよ」

ぼくは彼女の言葉をさえぎった。それから、言った。
彼女に向かってではなくて、空中に並べるように。

「きてくれて、ありがとう」

ピルケースを見ると、ちいさな『さみしい』が一つだけ残っていた。
ぼくはそれを、ずっと取っておこうと決めた。

それでいいよね、ピルケース。



2004年03月15日(月) 『ぼくの心臓』 詩

誰かと誰かが手をつないで散歩している。
誰かと誰かが手をつないで歌をくちずさんでいる。
誰かと誰かが手をつなぎながら眠っている。

ぼくらは手をつないで何かから逃げている。見えないなにかから。
ぼくらはお互いに出口を探している。一生懸命に。
暗闇の中、不安や恐怖におびえながら。

でも
手をつなぎながら散歩している誰かよりも
歌をくちずさんでいる誰かよりも
夢を見て眠っている誰かよりも

ぼくらは強く。強く手をにぎりあっている。
出口が見つかるまではぐれないように。

ぼくらは何かから逃げている。
走ったりもがいたりして。
見えない何かから。
けして手を離さないように。
逃げている。
探している。
出口を。
けして手は離さない。

やがて、鼓動が聞こえてきた。
でもその鼓動は、心臓からきたものではなかった。

ぼくらのにぎりあった手から
トクン、トクン、と小さな鼓動が体に伝わってくる。

まるで、そうだ。そこに。
ぼくらの手の中に心臓が生まれたかのようだった。
自分の心臓の音よりも、ぼくらの手から生まれる鼓動のほうが強く響いた。


…ぼくの あたらしい しんぞう…


しばらくしてぼくらは立ち止まった。
ぼくは光を見つけた。
きっとあっちに、ぼくの出口がある。
彼女は別のほうを見つめ、たっている。
きっとそっちに、彼女の出口があるのだろう。

彼女は振り向いて言った。
こんな状況なのに、すこしわらいながら。
「見つかった?」

ぼくは答えた。
「まだだよ」
それからすこし、わらった。

ぼくらの心臓がトクンと動いた。


この心臓がぼくの身体に流しているものはなんだろう。



2004年03月12日(金) 『ぬくもり』 短編

恋人と公園に行った。
ベンチに座り話をしていた。
他に誰もいなかった。

と、彼女が向かい側のほうに何かを見つけた。
ダンボールが木の影に隠れるようにおいてあった。

「なにがはいっているんだろう?」
「見に行ってみようか?」
「うん」

猫の死骸とかだったら嫌だなと言いながら、
ダンボールの中をのぞいてみた。

すると、とてもかわいらしいウサギのような動物(きっとウサギの仲間だろう)が
一匹入っていた。

彼女はかわいい!と、喜んで、そのウサギをダンボールから出して抱いた。

「あなたも抱いてみる?ふさふさしててきもちいいよ」
「俺はいいよ」

そう彼女に笑いながら言って、ふとダンボールの中に目を落とすと、
メモのようなものがあることに気づいた。

「なんだか元気がないみたい…かわいそうに寂しかったんだね、もっと抱いてあげる」

そう後ろで彼女が言っている。
ぼくは折りたたまれているメモを拾い、広げてみた。
メモにはこう書かれていた。


 『ぬくもりを与えないでください。
  この子は病気です』


「どうしよう、うごかなくなっちゃった」

ぼくが急いで振り向いて彼女に声をかけようとしたとき、
彼女のとても焦った声が聞こえた。

「心臓が動いてないよ!…どうしよう!どうしよう!」

彼女が涙がかった声でそう言った。

ぼくは彼女に見つからないようにメモ用紙をポケットに突っ込んだ。


ウサギは死んでいた。


「君のせいじゃないよ、きっと前から弱っていたんだ」

ぼくはそう言って彼女をなだめた。
ぼくがウサギを埋めるための穴を掘っている間
彼女はずっとウサギを抱いていた。

ぼくはメモのことは彼女には言わないことにした。


 
  数日後



ぼくが彼女を抱いているときに、それは起きた。
彼女が急にぼくから離れた。

「ごめん、なんだかちょっと苦しくて…」
「そんなに強く抱きしめてないよ」
「うん、でも良くわからないんだけど苦しかった」
「だいじょうぶ?」
「おかしいな、何だろう、風邪かなぁ?」


ぼくは何故か数日前のウサギの事件のことを思い出していた。
あのメモに書かれていたことを。


 『ぬくもりを与えないでください。
  この子は病気です』


彼女が擦り寄ってくる。

「なに考え事してるの?わたしはもう楽になったよ」

彼女を軽く抱きしめると、彼女は少し苦しそうな顔をしながら、喜んだ。

「好きだよ」

ぼくはできるだけ冷たい声で答えた

「…あぁ、俺もだよ」
「なにその冷たい言い方?いつものやさしい声で言って」
「………好きだよ」



   けほっ

そう、彼女が小さなせきをした。




2004年03月10日(水) 『掌上の種』 短編

 われは手のうへに土を盛り、
 土のうへに種をまく、
 いま白きじょうろもて土に水をそそぎしに、
 水はせんせんとふりそそぎ、
 土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。
 ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
 われは手を日光のほとりにさしのべしが、
 さわやかなる風景の中にしあれば、
 皮膚はかぐはしくぬくもりきたり、
 手のうへの種はいとほしげにも呼吸づけり。 

               萩原朔太郎 『掌上の種』




   ぼくは信じている。



「何を読んでいるのリツ?」
「サクタロウ」
「サクタロウ?」
「・・・萩原」
「あぁ、萩原朔太郎か」
「うん」
「おもしろいの?」
「わからない」
「わからない?」
「うん、わからない」
「・・・ふーん」




リツがぼくのアパートにきて、ベットに寝転んで本を読んでいる。
ぼくは一人のときは大体ベットに寝転んでいるけれど、リツにとられてしまったので所在なく台所に立っている。
せっかく台所にいるのだからなにかつくればいいのだろうけれど、あいにく何も食材がない。
ぼくは冷蔵庫から水と良く冷えたアーモンドチョコを取り出して、食べるふりをしている。
リツの方を見ると、リツは天井のほうを眺めている。
手には本を持ったままで。

私にも水をちょうだいと、リツが天井のほうを眺めながら言う。
ぼくは水の入ったペットボトルをリツに渡す。

「ごめん、やっぱり、いらない」
「そう」
「・・・タバコ、まだあったっけ?」
「あるよ。賞味期限が近いけれど」
「もらうね」
「これはリツのタバコだよ。ぼくはすわないし」
「あぁ、そうだったね」

リツはぼくの家にくるたびに、一本だけ煙草を吸う。
リツはぼくの家に来たときにしか煙草は吸わない。
だからリツの煙草の箱はぼくの机の上にいつも置かれている。
リツに煙草と小さなマッチの箱を一箱わたす。
ぼくは飲食店などのレジにマッチが置かれていると、それを持ち帰ってくる癖がある。特に使い道もないのに。
まぁ、結局はこうしてリツの煙草に火をつけるのに役立っているのだから、無意味ではないのだと思う。



   ぼくはリツがそれを知っていると信じている。



リツは煙草を吸うときは必ずベランダにいく。
ぼくはリツがベランダで煙草を吸っている間、自分のものに戻ったベッドの上で煙草をくわえている。
火はつけない。
ぼくは煙草の味は好きではないけれど、装飾品としての煙草は好きだ。
そして煙草はリツにとってもよく似合う。

リツが煙草を吸い終わったかなと思って、ぼくはベランダに行く。
片足を手すりに乗せ、リツが手すりに座ってボーっとしている。
手にはまだ火のついた煙草を持っている。
手すりの上のジーンズと裸足。それが街頭の光によく似合っている。

「・・・駐車場」
「え?」
「ほら、あそこにある駐車場」
「あぁ、うん」
「さっきあそこでおじさんが変な風に踊っていたよ」

リツはそういうと、最後に一服してから、手すりから降りて、まだ火のついているタバコをベランダの床に置く。

リツはマッチ箱から何本かマッチを取り出して、横たわっている煙草の上に並べていく。
それから、残ったマッチを全部取り出して、空になったマッチの箱をタバコの上に並べたマッチの上に重ねる。
ぼくとリツはしばらく無言で、その小さな作品を眺めている。
やがて、煙草の火がマッチに引火して、火は一気にマッチ箱まで燃え広がる。
リツは火が消えそうになると、持っているマッチをひとつずつ置いていく。
ぼくもリツからマッチをもらって、火が消えないように、置いていく。
リツはぼくの家のベランダで煙草を吸うたびに、こうしてマッチを使って小さな焚き火をする。
煙草一本にマッチ一箱だけれど、ぼくの家にはマッチ箱がたくさんあるし、リツもたまにしかこないから、別にもったいないとは思わない。
なにより、マッチに火がついた時の炎のあがりかたは見ていて楽しい。



    ぼくは待っている。



「シャワー」火がまだ消えきらないうちに、リツが言う。火を見ながら。

「シャワー・・・借りるね」
「うん」

リツは煙草の匂いが嫌いだから、煙草をすった後は必ずシャワーを浴びる。
リツがシャワーを浴びている間、ぼくは最後のマッチを焚き火の中に入れてそれが消えるまで眺めている。
それから、ベランダから部屋に戻って、『the kills』のCD をかけて、明日の大学の準備をしてから、ベッドの上に乗る。
ベッドの上からぼくの部屋を見渡してみたら、思ったよりも散らかっている。
週末にでも片付けようと思う。

リツが風呂場から出てくる。少し長い髪をタオルでふきながら。

ねぇ、リツ。と、ぼくがリツに言う。
なに?と、リツが今日はじめてぼくのほうを向いて聞く。
なんでもないよ。と、ぼくがいう
そう?と、すこし笑ってリツがこたえる
そう。とぼくは言う。ぼくも少し笑う。

シャワーありがとう。そういう。リツが。

煙草の匂いが口の中に残っているのが嫌だから、リツは歯も磨いてくる。
いつものように。
歯磨きといっても液体で、口をゆすぐだけのやつだ。
めんどくさがり屋のリツにはぴったりだと思う。
ぼくは使わないけれど。

リツがぼくの横に寝転ぶ。タオルをかごに入れて。
手には本とベビースターラーメン。



    ぼくはリツが教えてくれるのを待っている。



リツが「サクタロウ」の本を読みながら、ベビースターラーメンを食べている。
ベッドの上で寝ころびながら。
ぼくはまた所在なく台所らへんをうろうろしている。
何だか煙草を吸いたい気分。
でも、シャワー浴びたり歯を磨いたりするのも面倒だと思い、やっぱりやめることにする。
また冷蔵庫から水とアーモンドチョコを取り出して食べようとする。
その時、ねぇ、とベッドのほうから声が聞こえて来る。

「ねぇ」
「なに?」
「ちょっとそれもってこっちに来て」
「それ?」
「チョコレートと水」

言われたとおりベッドの前まで行く。
少し濡れた髪と、化粧をしていないリツは、少し綺麗だと思う。
リツはベッドに座っている。
手にはベビースターラーメン。チキン味。
サクタロウの本は少し横においてある。

「片手、出して。右手でいいや」
「右手?」
「うん・・・こう、手のひらでお皿を作る感じで」
「こう?」
「・・・そう。そのままにしていて」

リツが持っていたベビースターラーメンをぼくの手の上にもる。
どさっと、もったので、少しベビースターラーメンがこぼれる。
ベビースターラーメンでできた山の上に、リツがアーモンドチョコを埋める。
一粒。
また少しベビースターラーメンがこぼれる。
リツはペットボトルを持ち上げて、その上に水をふりかけた。
トポトポ。手から水が少しこぼれる。つめたい。
ぼくはしばらくぼーぜんと自分の手のひらの上にあるものを見つめる。

「どう?」
「え?」
「どんな感じがする?」
「・・・少し冷たい」
「・・・手のうへの種はいとほしげにも呼吸づけり」
「え?なに?」
「そんな感じはしない?」

そうリツに言われてもぼくには良く何の事だかわからない。
ぼくはリツに言う。
「ねぇ、リツ」
リツはぼくの手のひらの上のものを見ながらこたえる。
「なに?」
「これ、食べてもいい?」
「・・・だめ」

そう言ってリツはぼくの右手の上にあるアーモンドチョコをぱくっと食べた。
こぼれるベビースターラーメンはぬれている。

リツはその後台所に行き、布巾を持ってきて床をふいている。
ぼくは右手についているベビースターラーメンを食べながらそんなリツを見ている。


ぼくは言う。

「ねぇ、リツ。たすけてよ」


リツがこたえる。すこし、笑っている。

「いやだよ」



それからぼくも、すこし、笑う。



    ぼくはリツがぼくの知りたいことを知っていると信じていて、
    リツがぼくにそれを教えてくれるのをずっと待っている。



2004年03月09日(火) 『ゼンマイ仕掛け』 短編

 ぼくは彼女が好きだ。

彼女の背中にはゼンマイがついている。
周りの人は誰も気づいていないみたいだけれど、
ぼくは前からとても気になっていた。
ゼンマイは回っていない。
ということは誰もゼンマイを巻いてないということだろう。
巻いてみたらどうなるのだろう。
なぜみんなあのゼンマイに気づかないのだろう。

思い切って彼女に聞いてみることにしよう。
ぼくは彼女を呼び出した。

 あのさ、前から気になってたんだけど、そのゼンマイ、なに

彼女は後ろを向いてこう言った。

 気になるなら、巻いてみれば 

言われたとおり、ゼンマイを巻いてみた。

   キリキリ キリキリ

ゼンマイはまるではじめて巻かれるかのような新鮮な音を出した。
ぼくはその音がとても気に入って、たくさん巻いた。

   キリキリ キリキリ・・・

巻けなくなるまで巻き終わると、彼女は振り向いて言った。

 好きだよ

彼女は笑顔だった。とても自然な笑顔で、好きだよといった。
ぼくは彼女自身のことも気になっていたので、少しおどろいたけれど、
そのまま恋人になった。

以来定期的に彼女のゼンマイを巻いている。
ゼンマイの回るスピードはとてもゆっくりだから、別にあせることはない。
それに彼女の様子を見ていれば、ゼンマイがどのくらいで回り終わるのかなんとなくわかった。
ある程度ゼンマイが回ると、すこし、ほんのすこしだけ、冷たくなるのだ。

 キスしようか

 気分じゃないよ

   キリキリ キリキリ

 ………いいよ


ぼくは彼女が好きだ。
好きだよ、と、彼女も言う。
これはいいことだ。いいことだ。いいことだ。
………


半年後

ゼンマイがある程度回っても彼女が冷たくなるようなことはなくなった。
それでもぼくは定期的にゼンマイを巻いていた。
なんとなく。そう、習慣だ。

 好きだよ

笑顔で彼女が言う。
ぼくも彼女のことが好きだ。

でも。でも………
ぼくの心の中に小さな疑問がわき始めた。
それはあっという間に心を支配した。
いや、その疑問は最初から心の中にあったのかもしれない。

(ゼンマイを巻かなかったらどうなるのだろう)
(あのゼンマイが回り終わったら、彼女はぼくになんというのだろう)

ある日ぼくは決意した。
彼女のゼンマイを巻かないでおいてみよう、と。
彼女に聞いてみる。

 ゼンマイが回り終わっても、なにもかわらないよね

彼女は笑顔で答えた
 
 さぁ。わからないよ。だいじょうぶなんじゃない

大丈夫だ。きっと大丈夫。
きっとゼンマイが回り終わっても彼女は、好きだよ、と言ってくれるはずだ。
その日からぼくは彼女のゼンマイにさわらないようにした。
最後にキリキリと終わりまで巻いてから。

何日か経つと、ゼンマイの回るスピードがだんだん遅くなってきた。
ぼくは聞いてみた。

 だいじょうぶ?
 
 なにが?

 なんでもないよ。好きだよ

 私も好きだよ

その日彼女は、ぼくの家に泊まった。

朝、目を覚ますと、彼女は横になってまだ寝ていた。
ゼンマイはかすかに動いていた。
もうそろそろ、回り終わりそうだ。
ぼくはじっと、ゼンマイを眺めていた。
何分も何分も。
もうすぐ、もう後少しで動きが止まりそうだ。
 

その時小さな声が聞こえた。

 ……がい

彼女の声だった。

 おねがい、巻いて、ゼンマイ

彼女は泣いていた。

 はやく、巻いて、おねがい、はやく!おねがい!

ぼくは反射的にゼンマイを巻いた。
いつもどおりのまるで初めて巻かれるような新鮮なキリキリという音がした。
ぼくは部屋の中の空間が歪んでいるような感じを感じながら。
心の中で(くそっ)と連呼しながら、力いっぱいゼンマイを巻いた。
やがてゼンマイは巻き終わり彼女は笑顔になって言った。
いつものあの、愛しい言い方で。


 好きだよ










ぼくは





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