あめが、
泣くことも忘れたさ。 そう思っていたけれど、どうやらもう死んでしまったひとのためなら泣けるらしい。 裏返せば、それ以外の何のためであっても泣いてはいけないような、微妙な制約。 浅い池の中に足首までを浸して立っているような感覚。 そこでは泳げもしないし、溺れられるはずもない。
だからぱらぱらと浅く降りだした雨の中を踊るように歩きながら、相変わらず泣けない胸の内は少しずつ、軽くなっていくようだと息をしている。 泣けもしないなら誰かが代わりに泣いてくれればいい。 濡れていく頬に救われている。 泣けないなら泣けないで、泣きたくないのならいいのに。 潔く。 救われた気持ちなんかしなければいいのに。
こころを、徐々に貶めていく。 この狂気のような執着はどうしたらいいのだろう。 濡れていくアスファルトと緑を増す樹々と、甘い香りの夜の空気。 過去は甦るはずもないのに、風景が情景をなぞれば感情だけが何度も自ら再生する。 過去の情景のまま。
ひとの名前は触れるだけで痛むのに、その名を脳裡に呼べば強く眩暈がする。 ひとを想う。 想えば感情がひきずられる。 こころが、貶めたはずのこころが息をしようと藻掻く。 息をしないでほしい。 そこにあると言わないでほしい。 こころを。 腐り崩れ落ちる前に凍り付かせる前に、もうそこにないものと信じようとしているのに。
書かなければならない手紙が、あるのだけど、
それはよくわかってる。 書かなければならないことはよくわかってる。 でなければ僕は嘘つきだ。
手紙、手紙。 たった一通の。 書き出しはわかっている。 「遅くなってゴメン」 書くべき内容も、なんとなく、わかってきている。
ただ僕はそこで見下ろす絶望が怖いのだ。
書けばまっくろな希望、書かなくてもはいいろの明日。
羽ばたいていく朝の空気と咲き零れるような時間。 恐れはもう諦念に近い。
たとえば、書かなければ、もしも、 ここで終わっていくような恋だったら、と 考えてみる。
まっくろな希望を選びたくないと思う僕は臆病だろうか。
ひとことで、 終わる、この恋の、
明日を惜しむ。
僕は汚い。(と思えるほどのざいあくかんは持ち合わせているということ)
ここに開く恋を、 恋と認めないあのひとへ、 書くことの何ひとつ綴ることのできる指先もなくて、
もう神様を責める言葉のひとつも見つからない。
あいされなくっても。
たとえば、指先だけできつく 自分を縛ってしまえるということ
春はどうあっても暴力的だ。 やわらかに穏やかに伸びていきながら、安息のはずの夜に息を止めに来る。 そしてこの街にはそこかしこに桜が、はかなげな容で夜に満開の花を開くから、見上げ見上げて僕の足はゆるやかにあのひとに近付く。 夢見心地のぬるい夜の空気。 見下ろす桜はしんと静かにもの問いたげに、白く満開の腕をさしのべて僕に触れんとする。 心臓が止まりそうだ。 高音を走るアリアが細く遠く聞こえる。
思考があのひとの名前にそっと触れる それだけで僕はただひそやかに痛む
桜の下で絶望は数秒ごとに訪れる。 心はもうその閃きに追いつかない。 数える絶望とプラスアルファの想念が、無限に螺旋のようにつながっていくのを開き続ける花を見つめるように後を辿っている。 心があのひとの欠片に触れる。 それだけで僕はどうしようもなく切ない。 たとえば、あのひとの痕跡をこの指先に置いてみる。そうすれば僕はもう一寸たりとも動くことはできない。 それが僕の意思ではなくても、それ以外の全てから心が褪せていくのがわかりすぎるほどわかってつらい。
2007年04月02日(月) |
ここにこころが、なければいいのにとおもうひばかり |
あぁなんだかいろいろあった、と思いながら昔好きだった言葉をのぞいている、
このこころがこわれたことをあのひとはしらない
どこかで、少しずつほろほろとこぼたれていく。
ほのぐらくみどりいろをしたやまのべのみち、をたどってゆく。
ところどころに山桜が立っている。誇らしげに花が散って雪のようだ。
だれかにこのこころのどくをうえつけたいというおそろしいきぼう
雲間におおきく銀盤の月。照らされて闇が舞台のように白い。
はなのもとにて、とうたった故人のようにここによこたわりたいという衝動。
花びらが散り落ちてくるのをくちびるに受ける、夜露にあまくほのかに花のかおり。
ここにこころが、なければいいのにとおもうひばかり
|