2006年06月27日(火) |
わかりすぎている (あるいは、エレベーターのこと) |
エレベーターのこと
ラブホのエレベーターは秘密めかしていて好きだ。 客が互いに鉢合わせしないように、なるべくちぐはぐに動くのだと聞いた。 ラブホの少しカムフラージュされた入口を入って、 部屋を選んで、 エレベーターに乗り込むまで、がとてもいやらしいことをしているような気分でいたたまれなくてどきどきする。 もちろん表面上にそんなどきどきを出したりはしない。
部屋のあるフロアはたいがい誰もいない。 もちろん部屋だって誰もいない。 だからエレベーターは誰かに侵食される可能性のあるスペースと、そうでない空間のちょうど中間に位置している。 もちろんエレベーターの中にはたぶん、監視カメラだって付いているしホテルの従業員の目はあるのだろうけど、それは比較的何も感じない、空気のようなものだ。
部屋の階に着くまでの間に触れるだけのキスをする。 それは秘密めかした暗がりで人目を盗んだキスのように暗く、情熱を押し殺して熱い。
人目を忍ぶひとと会っていると、少しずつ世界は危険で冒される。 心が少しずつ臆病になり、 ひとを護るつもりなのか隠すつもりなのか、 思いは混じりあいすぎて濁ってしまう。 こころがどんなに純粋でも、想いが少しずつ―――少しずつ歪んでゆくのを、やっぱり止めることはできない。
僕の通った高校は阪神大震災の被害に遭ったので、 校舎がひとつ、完全に建て替えられて、小さなエレベーターがついていた。 開くと正面に鏡がついていて、車椅子マークのボタンのあるアレだ。 3階建ての校舎で、身体を動かすことなんか全然苦にならない年頃で、使うことなんか多くはなかったけど、 上がったり、降りたり。 真っ白なエレベーターは校舎の真ん中を上へ下へと、切り取られた空間に浮揚した。 上がったり、降りたり。 情緒不安定な年頃の精神状態と同じように上へ下へと。
高校を卒業して別な所のエレベーターをよく使うようになって、それでも時々、乗ることも多くはなかったあのエレベーターを良く思い出す。 こころ、を。 閉ざすように閉まり、耐えきれぬように開いたあのゆるやかな清潔な白の扉を。 戸惑うように不安げに上り、もどかしさに焦がれるように降りた、小さな閉ざされた世界。 それを、 まだ僕は愛情とも憎しみともつかない侘しさで思い出す。
愛情がすこし、 隠された切り取られた世界に、落ちている。
―――about the elevator. 【お題をアリガトウ。】
狭い風呂の中で何故だか溺れようとしている。 たいへん無理のある姿勢なのでたぶん、実際に溺れたら助からないと思う。 息が苦しくなって、頭がぼうっとしてきて、 しばらくして我に返って目を開けたら夢から醒めたみたいに見えた。世界は、明るい。
最近何故だか長風呂だ。 万年貧血気味なので、風呂から上がるとふらふらしている。 だけど瞑想するにはいい場所だ。 顔を半分ほど湯の中に埋めながら、昔のことを考える。 こうしていると、昔、父親が話してくれたことを思い出す。 たぶん僕がまだ小学校低学年か幼稚園児の頃。 狭い小さな風呂で溺れ死んだ人の話。 (思い出すなよ、という以前に小さな子供にそんなこと話すなよ、と言いたい) そうして瞑想のあいだ、 僕の脳裡に薄くそのひとのことが漂っている。 無論ただの空想だけど、 そんな狭い風呂の中で溺れ死ぬためには、 あぁすっぽり嵌まっちゃったんだな、 たぶん横向きでだな、 水を飲んじゃったんだな、 きっと、 きっと、 たぶん、
息が、だんだん苦しくなってきて、 喉元の頚動脈を探るとびくびくと速く脈打っている。 薄く、目を開けると、 やわらかな白熱灯のおぼろげな世界がそこに待っていて、 水面近くから見上げると、この小さな世界はまるで聖堂のように厳かで。
まぁおかげさまでちゃんと生きてます。 ちゃんとって言葉はベンリだね。
今日はちょっと用事があって関空まで。 旅行に出かけるのならいいのに、と思う。 帰っていかなきゃいけない場所がなければいいのに、とか。
ずいぶん歩いて歩いて、足が痛くなって駅のホームでへたっていた。 海がおぼろげに濁って見えていた。 海面には陽炎がゆらゆらしていて、船の行った航路が波の名残に残っていた。 ひらひらと、黒い旗を揺らして進んでゆく小舟が見えた。乗る人もなく、いつ転覆してもおかしくないような。 なんだか僕にも、そうやってでも行きたい場所があるような気がした。 (あったらいいのに、とか)
最近よく、ねむれない。
あぁ6月だ、と思うのはやっぱり雨に降られて熱を出してぐるぐると走馬灯のように何か昔のことを思い出さざるを得なくなってる辺りかもしれない、 なんだかもう明日のことを諦めてしまいたくなってる。 うわー、相当だ。
愛情を少し数えてみる。 どうにもすぐに終わってしまう。両手の指なんか必要ないのかもしれない。 意識しない愛情が多いってことかな。 そういうポジティブシンキングがあんまり苦労せずに出てくるあたりが大人になったな、と思う。 何だかバカっぽいけど。
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僕の目は光に弱い
薄く差す日の明かりにどうにも この目は怯えて どこか暗いものを探すので 絶えず 暗い色の服はわずかにでも 逃げ場のない世界を切り取る 怯えは朝に始まり黄昏にようやくやわらぐので 世界は不思議のなか やがて光に溶ける
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昨日から、何故か もうずっと昔のことばかり思い出して
大声ではもう言えないこととか もう誰にも言えないこととか もう言葉にもできないこととか
そんなことばかり
思い出して
この胸の中はどうなってるんだろう。
祈ることとか、 泣くこととか、 明日を、思うことなんか どうやったって苦しくて押し殺す鼓動みたいな気持ちだけど
早く、 そう思うことは昔よりは少なくなったよ、 だけど どうしてだろう、 孤独はどこかもう 同質化したかなしみみたいな 同じものなのに違う、みたいな
やり過ごすことは簡単だ。 今日とか、 明日とか、 かなしいとか、 さびしいとか、 くるしいとか、 せつないとか、
どうして、 とか。
くるしい顔をすると鏡がゆがんだようでした
あなたからこぼれ落ちるものが見えないかと目を凝らしました
いきのこり、みたいだとおもう serviveしたひと、みたい 奇跡の生還とか。 そうやって わらう その横顔をばかみたいにぼんやりながめている僕
あれ、 また雨だ ね
だけどまたあなたは、 雨に濡れればまた僕の前に 思い出したくもない思い出を持ってくる、
やさしくもない、 こいびとのように。
2006年06月10日(土) |
愛したものはいつも6月に消えるという法則 |
やわらかく降っていた雨が急に重く強く変わった。
足取りを少し速めて、僕は顔を濡らす雨を拭う。 そこに、 足元を埋める雨粒の間に、 僕はあなたの血痕を見つける。
不意にたった一粒の、赤黒い血痕を見る。
雨は立ち止まる僕の上に重く強く降り、僕はそこから行き過ぎることができない。 どこへも、行けないのだ。 やはり僕は何処へも。 それは天の啓示のように明らかな定理で、ここに僕は立ち止まるしかできない。 この心がどんなに変形しても、 どんなに自分を騙しても、 季節が巡り夜が明け1の次には2が来るのと同じように。
僕は雨がどんなに激しく降ってもその血の跡が消えないのを知っている。 それと同時に、 自分がその血の跡を消さないためならこの地面の上に這い蹲ってでも雨の止むのを待つのを知っている。 そしてそこに、 血の跡は残り、
いつか僕はその血痕があることを忘れるだろう。
けれど聖骸布のように、 忘れることを赦さないようにその跡は不意に浮かび上がり僕は足を止める。 いつの いつの日にも、 僕はただ、立ち尽くすしかない。
その声は僕の声に似ている
まずは僕を長年にわたって温かく見守ってくれたO先生に、ありがとうを。
そしてどうか安らかにお眠りくださいと、心から。
かなしい、のは僕のエゴだとわかっている。 先生はそれを乗り越えて僕に会ってくださった。 こうやって先生のことを消化するように書いてしまうのも、僕のエゴだ。 だけど僕はそうやって、生きていくのだろうと思う。
僕たちに愛情をありがとう。 恩返しなんかとてもとてもできないくらいの多すぎる恩だけど、感謝だけは、ここに生き続けます。 考えてみればもう15年ばかりも前の話。
こんな不遜な人間ですが、生きてきてよかったとかあまり言えませんが、
あんまり大した人間になれなくてごめんなさいと。 そして楽しかったあの日々をありがとうございますと。
また会いましょう。 いつか。
また会いましょう。
あぁだけどなんで、
6月なんでしょうね。
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