こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2003年02月17日(月)  嘉手納基地に虹がかかった。

今日の日記は、昨日から続いています。まだの人は、昨日のから読んでください。


7時 目が覚める。ベッドの中でぐでぐでして、喜納昌吉&チャンプルーズの「レインボームーブメント」を聞く。「アリラン」「地球の涙に虹がかかるまで」。気合いを入れて出発をする。

 国際通りを歩いてコーヒーショップドトールへ。1年前となにもかわっていない。バイトのお姉さんまでいつもの人だった。ガラスの店内から見える国際通りは光に照らされてなんだかきれいだ。

 ここはチャンプルーズ時代、よく来たところだ。

 2000年に出版された「喜納昌吉1948〜2000流れるままに」のほとんどの原稿をここで書いた。
 今まで歩いてきたすべてのことを思い出して、パワーにして歩いていける気がする。

 この旅は自分を取り戻す旅だ。


 バスに乗り、本日の出発地点嘉手納まで向かった。


「あれは嘉手納ですか?普天間ですか?。」
 バスを降りるとき、運転手さんに聞いた。
「ああ、嘉手納基地ですよ。」


 私はその時、旧約聖書の中でノアが神からあたえられた虹の約束を思い出した。創世記の中で、大地を滅ぼす洪水が二度と起こらないこと約束して、神はノアと契約を交わす。


「雲の中に、わたしの弓、虹を置く。 雲の中に虹が出るとき、わたしはそれを見て、神とすべての生き物、地上のすべて生きとし生けるものとのあいだに立てた永遠の契約を心に留めるであろう。
 わたしが地上に雲を涌き起こし、虹が雲の中に現れるとき、 わたしとおまえたち、およびすべての生き物、すべて生きとし生けるものとのあいだに立てた契約を、わたしは心に留めるであろう。」


 右手に広がる広大な基地は、湾岸戦争で爆撃機をイラクへ飛ばしたあの嘉手納だった。


 そこに虹がかかり、私はその地球が教えてくれた約束をこの目で見た。



 嘉手納からイラクへ。爆撃機が再び飛び立つことはない。


 私は確信した。
 その確信を信じよう。強く強く。そして、その想いが争いを止める力となるのだから。

 2日目のスタートを、強い確信と共に歩き始めた。


11時 嘉手納を歩き終えて読谷に入った。比謝橋のほとりで、あまりにも美しく輝く自然に圧倒されて、私は自然に向かって祈りを捧げた。木々と川が美しい。鳥が歌っている。モスグリーンの色をした水場。木々が風に揺れて川に映っている。風が心地よい。黄色い小さな花を咲かせるクローバーが群生している。
 自然はいつだって語りかけている。耳を傾けてって。

 
「弱い私を支えてください。誰のための旅でもない私の旅を、たくさんの気づきをもたらすものにできるように、大切なものを見れる目と感じられる力をあたえてください。」

 祈り終えて目をあけると、四葉のクローバーがあった。すべての自然を代表して私に力をくれたのだろうと思い、一緒に旅をしてもらうことにした。

 私はたくさんの涙をこの旅で流すだろう。いろんな意味を持った涙を。それは幸せなことだ。

 やさしく吹く風にあおられて、さざ波が起こる。クローバーの花に蜂が飛んできて、蜜を集めている。水草が流れてゆく。空が青くて、すべてが美しい。


18時 目標地点に到着。海も空も風も美しくて、見とれてしまう。
19時 バスに乗って那覇へ向かう。
 疲れ切って、バスの中で靴を脱いで椅子の上に足をのせていた。バスの通路側に背を向けて道路の方に向かって座っていた。ふたつの座席に横向きに身体をうずめて。眠くなって目を閉じた。

 ふと目を開けると、昇りたての大きく黄色いまん丸な月が私を見ていた。
 びっくりしたけれど、うれしかった。嘉手納基地の上に浮かぶお月様。


 人間はバカだけれど、今夜もあなたは美しいです。


20時30分 バスが松尾に到着。

喜納昌吉&チャンプルーズのライブハウス・チャクラに行く。
沖縄の伝統文化エイサーを見て感動する。チャクラのマネージャーsさんとスタッフのKさん。
私と同じ年に沖縄やってきたSさんは、喜納昌吉のホームグラウンドであるこの開店以来ずっと守ってきた。
Kさんも98年の白船以降、ずっとがんばっている。

この場を守り、やり続けているふたりを見て感動し、そして尊敬した。

そのエイサーを見て、明日も歩き続けられるエネルギーをもらった気がした。
 恥ずかしくって、こんなこと本人には言えません(笑)。 



2003年02月16日(日)  嘉手納基地にかかる虹 1

16日から18日の3日間、那覇から本島北部の東海岸のとある街まで、歩いて出かけた。
その道のりは約70キロ。
一日の行程を終えるとバスで那覇に戻り、朝再びその地点までバスに乗って出かけるという方法で歩いていった。


 歩くということは、内に入るということ。
 私の中でいろんなことがつながっていった。


 基地を横目に見てひたすら歩いてきた。いろんな感情が渦巻いてくる。


「湾岸戦争の時は、この嘉手納から爆撃機が飛んだんだなぁ」と思っていた。


私が問題意識を持って世界を眺めはじめたのは、2001年1月17日湾岸戦争の勃発がきっかけだ。

その後、喜納昌吉&チャンプルーズと出会い、音楽でメッセージを伝えて行くという方法に惚れこんで沖縄に渡った。

あれから13年の月日が経った。

 喜納昌吉は、新しい戦争を止めようとイラクにいる。私は沖縄にいて祈りながら歩いている。じわじわとうれしくて幸せな感じが湧いてきた。13年前よりは確実に進んでいる。
 歩いて来れたよね?。道はまちがっていない。そう信じよう。

 足が痛い。つかれてきた。けれど、この瞬間に、喜納さんやみんなはイラクでがんばっている。そう思うと足をとめることなんてできない。

 歩くこと、祈ること、感じること、そして書くこと。

 平和へむけてのアクションを続ける喜納さんたちと別れて、私が選んだ道はそれだ。
 自分が信じた自分の道をひたすら歩こう。

 私が歩いてきた道は、間違ってはいなかったと確信しながら、
 一歩一歩、大地と空に祈りを捧げながら歩いていた。

 出発から5時間ほど歩いていた。

 北谷ハンビーを越え、右手には広大な基地が延々と続く。黒人や白人、米兵たちとすれ違いながら。しばらくあるくと雨が強く降ってきたので車屋の店先にて雨宿りをした。

 少しつかれたと、階段に座りうなだれる。友だちにメールを送り、ふと顔をあげると、道をはさんで基地の林の真上に虹が出ていた。

 米軍基地に虹が。

 虹は地球からのメッセージだ。
 祈りが通じたことを実感して、涙があふれてきた。

 地球や神様からのこのメッセージを、きっと喜納さんもイラクで受け取ってくれているだろう。 

 雨もやみ、胸の中に射し込んできたあたたかい光と共に、再びあるきはじめた。
 歩き始めたら、またいろんなことがこみ上げてきて、泣けて泣けて仕方がなかった。
 ひたすらに感動しながら、歩いた。
 涙が止まらなくて、感動が止まらなくて、仕方ないから走った。

 何時間も歩き続けてきたけれど、それでもエネルギーはあふれていた。



2003年02月08日(土) 宮古島日記 5日目。


 下地中学校に行って来た。

 ここも、花や緑がいっぱいでとても気持ちがいい。
 野球部の息子さんの試合を撮影するために出かけてきたオーナーiさんと
 グラウンドの隅っこで打ち合わせ。

 誰かが連れてきた足のやたらと短い犬が、遊んでくれー、遊んでくれーと
 わめき散らしている。
 超ビビリの我が息子・天流川(あるく)は、おそるおそる近寄ってゆく。
 ちぎれるんじゃないかと心配になるほどにシッポを振って
 ポチ(勝手に命名)は、天流川に体当たりしてくる。
 しばらくして、なれてくるとちびちびふたりは仲良く遊んでいた。
  ん?。遊んでもらっていた かな?。
 

 私と天流川は歩いて宮古島を探索することにした。

 下地中学校を出て、390号線を目指しててくてく歩いてゆく。


 サトウキビの穂が風に揺れる。

 ザワザワ  ざわざわ  ザワザワ  不思議な音を奏でながら。


 海が見えてきた。 あのつきあたりが、390号線だ。

 2時間に一本程度しか来ないバス停が、そこにはある。
 この島に来て、まだ路線バスを見たことはない。


 堤防に座り海を見ながら、さんぴん茶でノドを潤す。

 あれはアオサギだろうか?。2羽の白い鳥が、海岸で遊んでいる

 天流川の荷物は、地図とさんぴん茶の入った水筒、ポケットの中のハンカチ。
 ただそれだけ。


 ほんの少しだけ休憩をすると、少年は立ち上がった。

 「いくよ、まだまだ道は長いんだから。」


 すぐ先に精糖工場があり、次から次へとトラックが入ってゆく。
 荷台には山のようになったサトウキビを積んで。

 工場の吐き出す黒い煙。
 視覚的にはブルーなイメージのそれも、ここでは甘い匂いを漂わせている。
 サトウキビを圧搾し、煮詰めて、黒糖を創り出す。その時に出る黒煙だ。
 とうもろこしを茹でるときの少し香ばしいような水臭さを、もっともっと甘ったるくしたような空気。
 ねっとりとした、肺に染み込むような甘さ。
 それがこの島の香りなのかも知れない。


 しばらく歩いてゆくと、右手に大きな木々が見えてきた。
 低く広大な空とどこまでも続いていきそうなサトウキビ畑。
 その風景の中にぽつんと存在する、残された自然の樹たち。
 遠目から見ても、心地よい空気が漂っているのがわかる。

 その樹に呼ばれるようにして、道をそれてみる。
 草の生い茂る大地の中に、細く踏み固められた道がつくられている。

 大きな木の影に入ると、一瞬にして汗がひいてゆく。冷たく優しい風が吹いてゆく。


 「気持ちの良さそうな場所だ」と近寄ってみると、そこは御獄(ウタキ)だった。

 ほかの場所でも、たいていがそうだった。

 御獄は島の人々が「神様の在る場所」と大切にする聖域だ。

 この島にはたくさんの御獄が残されている。

 宮古では、まだまだ神様が、神様として、大切に奉られている。



 その地を長い間見守り続けてきた大樹に表敬訪問して
 道に戻ろうとするとルリタテハが近寄ってきた。

 導くように、挨拶をするように、なにかを告げるように。

 ひらりひらりと 近づいたり 離れたり 美しいその羽で風の中を泳ぐ
 


 御獄に行くと、たいてい蝶が遊ぶように飛んでいる。

 沖縄本島最大の聖地と呼ばれる斎場御獄に行くと
 たくさんの蝶が出迎え、そして見送ってくれる。

「御獄で蝶に会うことはよいことなんだよ。」いつか、誰かがそう教えてくれた。

 斎場御獄に行くと、必ずその方たちはいらっしゃる。

 部外者から御獄を守る門番か、メッセージを伝える天使か

 彼らの役割は、私にはまだわからない。 




 
 「人を愛するってのは、どういうことなんだろうねぇ。」


  小説のことが頭から離れない私は、自分に聞くように、

  海にささやくように、愛する少年に聞いてみた。


  少年は答える。

  道ばたに落ちていたサトウキビを剣がわりに振り回しながら。



 「わからないよ、そんなこと。

  まだまだ旅ははじまったばかりだから。これから わかるよ・・・。」

                     宮古島上地海岸にて。 天流川



2003年02月04日(火) 宮古島から 愛を込めて。 てへっ


 宮古島日記。その1

 東シナ海に浮かぶ美しい島、宮古。
 沖縄本島から南西へ320km離れた東シナ海の洋上にその龍宮城は在る。
 私は今、そこにいる。


 沖縄本島に9年間も住んでいたというのに、私は宮古諸島も八重山もいったことがなかった。
 行ったことのある離島と言えば、慶良間諸島、久高島、平安座くらいだ。
 「忙しい」「金がない」ということを言い訳に、私は沖縄の本質から眼をそらしていた、のかも知れない。

 今回の宮古入りは、お仕事。
 10年来の親友Kが働くダイビングショップで立ちあげようとしている
 新しい企画に参加させてもらえることになったのだ。

 小説を書くのに集中するために、ほかの文字の仕事をやめていた私だが、
 昨年末、心斎橋でショップのオーナーと会って話しを聞いた途端
 「やります!」と即答した。
 「やります」どころか、「やらせてください」の勢いだ。

 それこそ私がやりたいと願っていた仕事だった。



 2月には宮古、宮古!と呪文のように唱えながら、
 寒い年末年始を乗り切ってひたすらに物語を書き続けた。
 構想12年、執筆期間9ヶ月という小説も1月17日に仕上がった。

 居を大阪に移して約一年。やっと宮古に来れた。
 いやちがう。

 宮古が私を呼んでくれたんだ。


 Kと最初に出会ったのは19才の時だった。
 彼は、細い身体に白い肌が美しい金髪のパンク少年だった。
 沖縄の陽射しにやられてすぐに肌が真っ赤になってしまうような男の子だった。


 パンク少年は、ある時オーストラリアに旅立って、ダイビングのインストラクターになった。
 今では、その白い肌もいい色に灼けて、細かった腕もずいぶんたくましくなってしまった。
 伊良部の海を語る眼は、ほんとうに輝いている。

 彼のパンクスピリットはいまだ健在だ。

「人間が汚してしまったこの海を、必ず美しくする。いらないものはすべて片づける。
 未来の子どもたちに手渡すのは、軽くなったバトンだ。そのためにやらなきゃならないことが山ほどある。」

 と熱い眼で語る。


 そんなKは「観光客が来れば来るほど美しくなる宮古島」をテーマにECOバカンスという斬新な概念を打ち上げたエコガイドカフェで、エコガイドとして活躍し、日々多くのダイバーを伊良部の海に案内している。

 関西空港を11時35分に出発すると2時間ちょっとで楽園に到着する。
 まだ、宮古に来たという実感は全くわかない。
 ショップのオーナーが迎えに来てくれて、車で平良港へと移動する。
 空が曇っているにも関わらず、港は美しかった。鮮やかな緑色をした海が迎えてくれた。
 軽く打ち合わせを済ませて、常宿となる伊良部島へ向かうことになった。
 平良〜伊良部間はたったの15分だ。高速艇に乗るとあっという間に島に到着してしまう。
 島に着くと、Kやショップの人々が本気で守ろうとしているカヤッファビーチにすぐに向かった。


 ゴミひとつない美しいビーチは、自然のそのままに、あるがままの美しさに満ちている。

 この海から、宮古の自然から、島に暮らす人々から、私はなにを学びとることが出来るだろう。

 どこにいても、美しいものを見られる、感じられる力を鍛えるとともに、この島にしか存在しないなにかをつかみとろう。

 ゆっくりゆっくり呼吸するように、こころをひらいて、感じてみよう。




 海をみながら、ポツリとつぶやいたSの言葉が忘れられない。
「オレは、この海をもっときれいにする。それから死ぬんだ。」



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