こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年08月30日(金)  夏の終わりに。


 大掃除をした。そして模様替えも。
 夏休みの間、ほとんど家にいなかったので、
 わが家からは人の気配が消えてさみしい家になってしまっている。

 朝起きてからずっと台所と天流川の部屋を大掃除して、それじゃ飽きたらずに
 仕事机を自分のへやから、リビングに移した。

 一日のほとんどを、私は仕事机にかじりついている。

 リビングでゆったり、なんてことは全然していない。
 リビングはただご飯食べたり、天流川の宿題を見る場所だった。
 息子も、いつも自分の部屋で遊んでいるので、
 一番おおきくていい部屋が、誰にも使われずにシーンとしている。

 仕事場は私が一番長くいる空間だから、一番気持ちのいい場所を使ってやろうと
 机とその他諸々を移動してきた。

 南西向きのリビングは日がガンガン射し込んできて気持ちいい。
 窓も大きくて、仕事をしながら広い青い空が眺められる。
 しあわせだわ!。
 なんで今まで、そうしなかったんだろう。
 
 さあ、お仕事しよう!。



2002年08月28日(水)  スピッツとうつみようこ


 「ロックロックこんにちは」っつうライブイベントに行ってきた。
  お目当ては、「スピッツ」と「うつみようことYokorokoband」

 「うつみようこ」は、元メスカリンドライブ、ソウルフラワーユニオンの
お方だ。

 ほんとにかっこいい女性。惚れちゃう。ステージに立ってるようこちゃんは、しびれる。
 当たり前だけど、歌がめちゃくちゃ上手いから、安心して聞ける。
 考えれば、このバンドが関西でやるたびに見に行っている。
 カッコをつけてないのに、かっこいい、そんな女になりたいなあと思う。
 やはり、自分のやりたいことをやり続けている自信、それしかないな。

 スピッツはもう長いなあ。13年目だ・・・。
 こんなに長い間好きなバンドは、ほかにはいない。
 なにがいいかって?。まったくかわらないどんくささと、あか抜けないところ(笑)。

 一曲目、「海とピンク」一枚目のアルバムの曲からはじまった。
 それも、シングルでもなんでもない曲。
 そういうところがかっこいいと思う。そして、私はやられちゃうのだ。

 新曲もすばらしかった。ワタクシ思わず、泣いてしまいました。テヘ。

 久々のスピッツはあいかわらずで、あんなに売れてない時代も、
 こんなに売れている今も、なんにもかわってない。
 そこが、ほんとにかっこいい。

 私も、がんばろう!。



2002年08月25日(日)  龍宮城へ 


 足摺岬にある龍宮神社というところに行くために高知県に行って来た。
 これでこの夏は四国4県すべてを制覇したことになる。
 なんかうれしい。

「剣山に行こうと思ってるんですけど、
 なんか面白い情報あったら教えてもらえます?。」
 と高知在住の聖者原田紋寿さんに電話をしたのは、7月半ばのことだ。

 7月17日、剣山では御輿を担いで山にかけ昇るという不思議なお祭りがある。
 沖縄にいるときから、ずっとその祭りが見たくて仕方がなかった。
 それを急に思い出して、タイで知り合った原田さんに聞いてみた。

「剣山にいくんだったら、高知まで来たら連れていくよー。
 でも、17日は無理。ほかの日だったらいいよ。」
 といってくれた。
 ひとりで山で一泊して夜と朝を感じたかったので、
 原田さんには高知を案内してもらうことになった。

「じゃあ、どこがいいかなあ。足摺岬と室戸岬、どっちがいいが?。」 

  ・・・・・。
 といわれても、わかりません。

「弘法大師が悟りを開いたところと、龍宮神社どっちがいいが?。」

「あ、龍!。」

 ってことで、足摺岬にある龍宮神社に連れてってもらうことになった。

 このところ、龍神さまのことばかりが気になっていた私としては、
 願ってもない提案だった。
 満月にあわせて8月23日にいくことが決定した。

 龍は大地や水の守り神だといわれている。
 私が沖縄に移住したとき、地元の人が黒龍雲と呼ぶ、
 龍の形をした雲が出迎えてくれた。以来、何度も龍にあってきた。

 すべては妄想だ。そう片づけてしまっても構わない。
 でも、感じることは自由だ。

 龍はエネルギーの象徴だ。
 人のからだの中にも、クンダリーニと呼ばれる龍(蛇)が
 とぐろを巻いて眠り続けている。
 私の中のその蛇が、興奮して目を覚ますような小説を書きたい。
 いつも、そう祈りながら書き続けている。
 私にとって書くことは祈ることで、
 より大きな存在と会話をすることでもある。


 シーサーのような壮大な雲。

 虹色に淡くグラデーションを描く空。

 降りそうで降らない雨。

 龍の背骨に降り立つ。

 とんびが空高く舞い、美しく弧を描く。
 上昇するエネルギー



 旅をするということは通り過ぎてゆく土地に眠る魂を揺り動かすこと。

 鎌田東二さんの「聖地への旅」に書かれていたシャイアン族のシャーマンの言葉を思い出した。 

 この夏の四国の旅はいろいろありすぎて、まだまとまらない。

 高知の旅についても、ちゃんと書きます。  もう少々お待ちを。



2002年08月19日(月)  大掃除 抱えた荷物は捨ててしまえ。


 先日、実家にいってきた。私が中学時代を過ごした家。

 16才をこえてからは、友達や彼氏の家に転がり込んだり、

 家から逃げ出すように沖縄に引っ越したりしたので、

 自分の荷物を片づけることもないまま、今に至っていた。

 

 ここ最近、ずっとずっと実家にあるなにかが私を呼ぶ。

 それを見つけないと、解決できないなにか。前にすすめないなにか。

 私が忘れ去ってしまっているなにかが、私を呼ぶ。


 小さい頃の私が、ヒザを抱えて泣いている気がする。

 いくら必死で今を生きていても、過去を清算しようとあがいても

 ぬいぐるみを抱いて、タオルケットを握りしめて

 声も出せずに泣いている私を消し去ることができない。

 その頃の私が、兄の部屋の中で泣いている錯覚をずっと起こし続けていた。



 昨年末、数日実家に世話になった。

 時の停まった家にいることがこれほどつらいと思わなかった。

 家はやはり、人をそのままあらわしてしまうものだ。

 私が家を出た頃と、ほとんどなにもかわらない実家。

 時を忘れた家。

 私も兄も帰ることはない家なのに、私たちの物がそのまま置かれたまま。

 空虚の部屋。物はあるのに、カラッポの部屋。

 眠っていると、とてつもない夢が襲ってきた。

 起きていると、さまざまな出来事が思い出された。

 耐えきれずに、ふたたび私はその家から逃げ出した。



 痛みを真空パックしたその空間は、今も私の胸をかきむしる。

 人間は精神の崩壊を防ぐためにあらゆる自衛手段を取る。

 私は、その家で暮らしたことの記憶が実はほとんどない。

 それが、私が生きるために必要だったのだろう。
 


 あの家をそのままにしておくことはできない。

 自分の荷物を全部捨て、過去の汚濁も、ゴミと一緒に捨ててしまおう。



 一大決心をして実家にいった。

 汗だくになりながら自分の部屋を片づけ、兄の部屋に取り掛かった。

 今では物置になってしまっている兄の部屋。

 家族のわけのわからない荷物が山積みのゴミ溜の部屋で、

 マンガや服やカセットテープやなんだかんだと格闘すること数時間。

 奥の奥からうすぎたないパンダのぬいぐるみが出てきた。



 ああ、この子だ。私をずっと呼んでいたのは。



 どうしてこの子がお兄ちゃんの部屋にいるんだろう。

 この子のことを、私はずっとずっと忘れていた。

 あの頃、あんなにいつも一緒にいたのに。

 私の話しをきいてくれたのは、この子だけだったのに。

 私が失った記憶をこのパンダは覚えているだろう。

 この子が聞いて拭ってくれた涙と想いを取り戻すために

 この子と向かい合わなくてはならない。

 そう思って、そのパンダを連れて帰ってきた。



 「おかえり。」

 姉の家に着くと、義母が迎えてくれた。

 実家の掃除に行くというと

 「連れていったら大変でしょ」と息子を見ててくれた。


 血のつながりなんてないのに。

 この人は当たり前の、それでも私がこころから欲している言葉を、

 きちんとした想いとともに与えてくれる。

 いっぱい問題を起こしてきたオヤジだけれど、この人を選んだこと

 この人に選んでもらえたこと、そのことについては、ほんとに感謝。

 私と姉をこの世に誕生させてくれたことのその次に感謝するくらいの偉大さ。



 私は、今、ほんとうに幸せだよ。

 日々を、打ちのめされることなく、生きれることが幸せ。

 問題は抱えていても、それに目をつぶらず、目をそらさず、

 解決していこうと、前に向かっていこうと思えることが幸せ。
 


 YO−KING「愛とロックンロール」 最高!。まじで最高。シンプル!



2002年08月18日(日)  愛するってことは



 愛するってことは、すべてを与えつくすってこと。

 与えあって、学びあって、互いに前を向いて歩いていく。

 ふたりの関係性にその覚悟がなければ、ゴミと一緒だよ。


 「キライじゃないよ」、程度のつきあいはしないことに決めた。

 好きな人、尊敬できる人としかつきあわない。男も女もね。

 友達イコール愛している人。そんなシンプルな生き方をしたい。

 適当にはもううんざりなんだ。


 ってことを、ここ一ヶ月ほど、ずっと考えている。


 昨日と今日にかけて、携帯のメモリーを消しまくった。

 あまりの量に右手が痛くなったので、二日にわけざるを得なかった。

 友達や頻繁に電話をする人や、電話がかかってきてうれしい人だけを残した。

 今はもう連絡を取る必要がない人や、苦手な人々の電話番号を消しまくった。
 


 そもそも私は電話が苦手。

 好きな人と話すときも緊張する。苦手な相手ならなおさら。

 着信が入っただけでびびってしまう(笑)。

 電話を持っていること、それ自体がストレスなのだ。

 で、電話に出ないときもある。(あ、仕事で出れないときもあるよ・・・)


 今まで苦手な人のメモリーを消さなかったのは、

 その人の電話を取りたくないから。

 取る前に、こころの準備をしてから電話に出たいから。

 だった。でも、いいや。

 やはり、シンプルに大事なものを大事にしていきたい。

 ゴチャゴチャした感情を残していると、自分のことが嫌いになっちゃう。

 だから、消した。

 来ないものを恐がって、日々怯えるクセは早いうちになくしてしまおう。




 愛するってことは、すべてを与えつくすってこと。

 与えあって、学びあって、互いに前を向いて歩いていく。

 ふたりの関係性にその覚悟がなければ、実りはないんじゃないかなあ。



2002年08月13日(火)  七夕だぁ!。 (8月15日ね)

 お久しぶりデス。今は香川県にいます。
 母方のおばあちゃんの初盆で田舎に帰ってきているの。

 バイトしたり、家にこもって仕事したりと、最近バタバタしていたので、
 田舎はのんびりしすぎてて、これでいいのかや?という感じよ。
 でもね、パワーブックや原稿の束やバカみたいに思い資料を持ってきてたりする。
 みんなが寝静まったので、ひとりでこっそりを日記を書いているのだ。


 科学と宗教と文化と文明と人のこころ
 というなんだか収拾のつかないテーマの小説を書いている。

 世界をこんな風にしてしまったのはなぜ?、だれ?。
 で、どうすんの?。これから?。
 といういつもとかわらないテーマが根底に流れています。

 それの資料として今読んでいる本の中で、
 うぎゃーっと思った言葉を抜粋しておきやっす。
 



 菩薩は自分自身の私的な涅槃に達したいとは思わない。

 反対に彼らは、大いに苦しみに満ちた世界を探索し、

 最高の目覚めがどれほど望ましいものではあれ、生死を恐れない。

 彼らは、世界の益のために、世界をなぐさめるために、

 世界への哀れみのこころから、世に出ていくのである。彼らは決意した。

「われわれは、世界のための隠れ家、世界の憩いの場、

 世界の最後の安堵の場、世界を救う手段の導き手になろう。」


 般若経(プラジュニャ・パーラミッタ・スートラ 知恵の完全性についての説教)


 菩薩ってなに?。

  私が説明するよりは、こちらも本からの抜粋で・・。




 世界には、12人の菩薩がいる。

 人間の最高段階が菩薩で、次のレベルはブッダだ。

 地球の進化のために果たすべき役割を持つ。

 霊的世界では12人が共同体を作っている。

 中心にいるのが、インドではヴィシュヴァ・カルマン、ペルシアではアフラ・マズダ、

 エジプトではオシリス、そしてキリストとして知られる。

 菩薩は、その中心存在から叡智を受けて、人々に伝える。

       ルドルフ・シュタイナー他著 「釈迦・観音・弥勒は誰か」



 さてさて、8月15日は、旧暦の7月7日 七夕です。

 一年に一度男性性と女性性が和合し調和する日。

 お盆で、終戦記念日で、七夕のこの日、せめて一日くらいは

 のんびりゆったり幸せなこころで、過ごしてみませんか?。


 この日は、怒らない、嫉妬しない、嘆かない、羨望しない、妬まない、ひがまない・・・。

 うれしく、楽しく、笑って、歌って、踊って・・・。

 世界の現状を嘆くより、ひとりひとりがまずは幸せになってみよう!。



 今の私は、そんな感じのことを考えていまーす。 おやすみぃ。



2002年08月09日(金)  新月。 瞑想に最適の日



 8月9日 新月です。

 新月の日は、瞑想の日。なんでもいいから、自分と対話してみる。
 思い出したときだけでいいから、ゆっくり呼吸をしてね。


 毎日暑いね。みなさんへばってませんか?。
 振り返ってみると、夏っていろいろなことが起こる。まあ、年がら年中いろんなことは起こるけど(笑)。

 8月2日は、いろいろと思い入れのある日。

 90年にペルシャ湾岸危機がはじまった。そこから湾岸諸国は激動して、91年1月17日に湾岸戦争へと突入した。

 私がいろんなことを考えはじめたのは、湾岸戦争がきっかけだった。
 今年は、図書館にこもっていろんな資料を調べる幸せな一日だった。

 93年8月2日に私は沖縄に移住した。満月でした。


 8月6日は、広島に原爆が投下された日。
 8月7日、8月8日は、東京で花の祭りが開催されていた。
 8月9日は、長崎に原爆が投下された日。

 今日、8月9日は新月。なにか新しいことがはじまる予感がしますか?。

 8月14日はね、私がはじめて沖縄の地に降り立った日。92年のことでした。

 8月15日は戦争が終わり、アジア諸国は解放記念日と言い、日本は終戦記念日という。
 去年は花の祭りが行われた。

 今年の15日は旧暦の七夕にあたります。
 7月7日は、男性性と女性性が和合する調和を取り戻す日。
 1日でも15日でもなく、まんなかの7日というところに「和合」っていめーじが湧きますね。
 そういう日だからこそ、織り姫と彦星のラブストーリーが神話として残されたんだって。
 そういう視点で神話を眺めると、すごく面白いね。

 8月23日が次の満月。
 新月というのは、いろんなことがはじまる日なので、
 月が満ちるまでの2週間、なにが起こるか楽しみだ。 

 



2002年08月08日(木)  善と悪 生きるということ


 物事を善と悪で見て、判断してしまう。
 
 良いか、悪いか。

 でも、ほんとうは善も悪もない。

 そう思う。

 そもそも、起こるものごとをジャッジする権利も私にはない。



 「なんのために生まれてきたんだろう」

 このことは、長い間私の心を占めていた問題だった。

 そのことをずっと考えていた。 「生」に理由付けをしようとしてきた。

 でも、やっとわかった。「生」にはわけなどない。
 
 理由がないと生きてないのか?。理由があるから生きているのか?。

 そんなことはない。

 その理由付けをしようとする精神、マインドから抜け出すことこそ、
 生きるということなんだなあと、思った。

 「生」とは、思考じゃない。行動なんだ。

 やっとそれがわかったとき、こころがめちゃくちゃ軽くなった。


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