こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年05月31日(金) ねえ、甘いばっかじゃだめなんだよ。


 ★ ここ一週間ほどの日記をすべて書き終えてアップしましたー、よっ!。


 植物日記なるモノを新しく作ろうと思ったら、エンピツはもう新規のページを受け付けていないらしい。

 で、どうしよっかなーと思いつつも、今日はこっちに書いちゃえ!。


 農薬や化学肥料にまみれていない野菜を食べようと思ったら、

 高いお金を出して、ちょっと遠いところに買いに行かないといけない。


 ひきこもりでスーパー嫌いのくせに、食べるものにはこだわっている

 こんな私は、ちょこちょこと野菜を育てている。


 うちにはいろんな植物が同居しているけれど、ほとんどが食べれる野菜だ。

 わが家のベランダを見て、親友は「なんやこれ!。食い気だけや。」とのたまった(笑)。


 た、たしかに・・・。


 いちご、ピーマン、パプリカ、ナス、トマト、ズッキーニ、オクラ、パセリ、イタリアンパセリ、

 バジル、レモングラス、セージ、オレガノ、クレソン、じゃがいも、さといも、タイム・・・。


 あと、ひまわりももうちょっとで花芽が出そうな感じだよ。


 前回の沖縄で買ってきたがじゅまるも、1週間くらいまえに、

 なんとかかわいい芽を出してくれた。これからがたのしみ!。


 あとは、なんだっけ?。思い出せないや。

 キチガイ沙汰といわれています。当然だと思います。



 アブラムシとも闘いながら、楽しくベランダ園芸に勤しむ日々。

 
 たのしいよ。ほんとに。

 この楽しさを、お裾分けしたくて、日記をつけようと思ったんだけどね・・・。



 最近、夕食の時間をはやくした。

 学校が終わっても、ランドセルを部屋に放り込んで、すぐ遊びにいってしまう天流川(あるく)くん。

 彼がいままで以上に食欲旺盛で、日が沈むまで待てなくなってしまったからデス。



 そのおかげで、楽しみがひとつ増えた。  


 ちょうど、ご飯を食べる頃に、遠くの住宅街に夕陽が沈んでいく。 

 わが家のダイニングは、毎日オレンジ色の光が射し込んでくる。

 なんか、すごくいい感じでしょ。



 今日も、夕御飯をちょっと中断して、ベランダに出て夕陽をながめた。 

 お行儀は悪いけどね・・・。



  おおきなまんまるな、力強いオレンジ色の太陽が沈んでいく。

  ふたりで、ぽやーっとしながら、その光景を見ていた。


   「ねえ、お祈りしよっ!。」


  そういって、天流川は目をつぶって手を合わせた。

  ふたりで少しの間、手を合わせたあと「なにお祈りしたの?。」と、私。




  「えっとね、明日もおひさまがのぼってきてくれますように、って。」



  あまりにも愛しくて、ピカチューの着ぐるみパジャマという情けない姿の息子を抱きしめてしまった。


  てへっ!て感じで照れている天流川をそのまんま抱っこして

  ふたりで夕陽が沈むのを眺めていた。 



  私は、幸せなお母さんだ。

  我が王子さまは、いつまで、こうやっていてくれるのかなぁ。

                   (もしかして、のろけすぎ?)






  明日もおひさまがのぼってくれますように・・・・。



 





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2002年05月30日(木) ネイティブ・アメリカンのお知恵を拝借。 セージで場を清める

 私が日記に書いている内容は、あまりにも波がありすぎて、

 どれが一体本当の私なのか?と、疑問に思う人もいるかも知れません。


 とんでもなく脳天気なお笑いネタの日


 とんでもなく苦悩な日


 とんでもなく世界を憂いた日


 まあ、どれもこれも全部が私なのですよ。
 基本的には楽しく明るく生きるのが、テーマなのですけれどね。

 かなり初期の日記でよく書いていたんだけど、とにかく自然に近い状態で
 生きていこうというのが私のテーマです。

 とはいえ、酒も飲むし、髪も染めちゃったりするんだけど、
 できることを、地球にも自分のこころにもよいことを、やっていこうと思ってる。

 先日、子供が学校で問診票をもらってきた。ツベルクリン反応検査だ。
 ハリをブッ刺して、身体にクスリをいれて、結核菌があるかどうかをしらべるという。
 なんて原始的なやり方なんだろう。

 はい。拒否しました。 やんわりと。

 当日、熱があるので受けさせません。とお手紙を先生に書きました。

 そしたら、再度注射の機会があるから、うけてくれと・・・。

 その当日、出張にいっしょに連れていってたので、学校をさぼっちゃった。
 喜納さんと私が打ち合わせしてるその横で、でっかいプリン食べさせてもらって
 そのあと上野公園で、ボート乗ってた(笑)。

 学校に行くよりさ、満月の下でコンサート見る方がいいと思うんだ。
 注射で予防するよりもさ、こころを健康にしていれば、病気になんてならないんだ。
 
 ツベルクリンやポリオとか西洋のクスリには副作用があるけれど、
 こころの栄養剤には、副作用なんてないんだよ。


 勉強よりも、もっともっと大事なことが、この世界にはいっぱいある。


 おかあさんは、そう思うのです。
 (これ、読んでくれている学生のみなさん、私はほんとにそう思うよ。
  でも、だからといって刹那的に生きるんじゃなく、ほんとに大事なモノを探してね。



 うちの子は、誕生して以来、一本も注射を打っていない。
 そもそも、西洋医学を信頼していない私。
 大事な息子を実験台にさせたいなんて思うわけがない。

 あ、ちなみにエホバの証人とかモルモン教ではないし、宗教的に医学がダメなんじゃないよ。

 ただ、自然に生きることを考えた場合、いまの医学にはノーといわざるを得ないよね。

 だから、病気になったときのことを考えるんじゃなくて、
 病気にならない生き方をしなくちゃならない。
 それには、こころの健康が第一なのです。

 天流川が突然の交通事故で輸血や手術をしなければいけなくなったとき、
 もちろん気が狂いそうになる程悩むと思うけれど。
 そうならないことを、母はただ祈るばかりです。


 

 引っ越した当初、寝室兼仕事部屋(東南)がどうも好きになれなくてね。
 なんとなく、恐いというか、さみしい感じがして・・・。
 それで、浄化効果のあるセージを使うことにしたんだ。

 セージはハーブの一種で、アメリカインディアンが祈りやセレモニーをするときに、
 乾燥させたものに火をつけて、場所や人やいろんなものを浄化するもの。
 料理に使う生のセージを買ってきて干して、気になったときに焚くようにした。
 苗も買ってきて、いまは窓辺で4種類のセージがすくすくと育っている。

 乾燥した葉っぱに火をつけて、指先から頭から足元まで、煙で身体を一巡させて吸い込むの。
 あとは、部屋の角とか、窓辺とか、気になるところに煙を。

 それだけなんだけどね。

 セージ効果はというと、よくはわからないけれど、植物も部屋に増えたし、
 ここで寝起きするようになったので、気が部屋に入ってずいぶん雰囲気は良くなった。

 そういうモノは気の持ちようなので、細かいことはどうでもいいのさ。
 
 でもね、セージを焚いて気がついたんだけど、あれってお通じよくなりますよ。
 最初、???。って思ったの。で、考えても考えても、セージ以外には原因が見あたらない。

 だから、多分だけど。体内も浄化してくれているみたいよ。
 興味ある方、お試し下さいませませ。

 




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2002年05月29日(水) 蓮の華が咲くときに・・・・。


 27日かな?。上野公園のしのばずの池に行って来たの。

 前回の東京出張の時、新幹線に乗るにはちょっと早かったので

 緑が見たいと思って、上野まで足を伸ばしてみた。

 大正解!。 で、気に入って今回も行ってきた。

 今回は息子の天流川のリクエストでした。

 「おかあさん。上野行って、ボートのろうよー。」

 え?。そんな恥ずかしいこと、しちゃうの・・・?。ほんとに?。

 「おかあさん、全然天流川のいうこと聞いてくれないさー。」

 そんなこと言われると弱いなあ、私も子供の頃は乗りたかったしさ。

 で、しちゃいました(ポッ)





  しのばずの池の睡蓮。もちろんまだ咲いてはいないけど、

  緑の大きな丸い葉が、水面で揺れている。

  それを見ているだけで、こころが落ちつく。



  蓮の大きな葉に 大きな水滴がのっかってて

  それが、水銀のしずくのようにまんまるくって

  クリスタルのように光り輝いていた。


  ぽつりぽつりと雨が降ってきて そのしずくが水面に弧を描いた

  雨で水面が揺れるたびに、まるい水晶が空を映しながら


  ゆれるの。



  私がもし絵を上手に描くことができたなら、

  ほんとうに美しくその様を描くことが出来るでしょう。


  慈悲深き大いなる存在の手のひらの上に落とされた

  天からの愛の露のような

        淡い虹色にきらめく そのクリスタルを

                この目に映る姿より美しく


  こころに映し出された 真実の姿のまま 描くでしょう




  睡蓮が咲く頃に行こう 蓮池を一緒に見に行こう


  そして そのこころが動くままに

  あの園の絵を 描いてください



  ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○


  泥の中で芽吹いて、水の中に芽を出し

  大きな葉を広げ、茎を空に伸ばし、

  やがて淡い光を身にまとった幾重もの薄絹を開かせる。


  蓮の花は、今の世界をあらわしているかのように見える。



  混迷の世界。 腐敗し 澱んだ 泥池。

  そのカオスの中から目覚めて 花咲かせる人々

  それを、待ち望んでいる。ただひたすらに、待ち続けているの。



  その泥の中で、泥に埋もれたまま泣かないで。

  気がついて。芽を出して。

  手を伸ばせば、空があるんだってこと。

  根を伸ばせば、泥の中の清浄な恵みに出会えるってこと。


  けれど、そのことをだれも教えることは出来ない。


  だから、気がついて。

  芽を出せば、まわりには美しい華がたくさんあることが見えるはず

  そして自分も同じ蓮の華だということを知ることが出来るはず



   泥の中で泣きながら

      自分を責めて 朽ち果てないで


          真実の姿を はやく知って・・・




   それを、待ち望んでいる。ただひたすらに、待ち続けているよ


   目が醒めたなら いっしょにいこう 









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2002年05月28日(火) 目をとじて・・・・。

  なぜだろう。

  今は未来に希望しか感じられない。

  お気楽な楽観主義者だといわれても。

  現実逃避だといわれても。





  きっとこの希望が、おおきくなってひろがって。

  現実のものとなってゆくのだから。

  望みを現実として、日々を創っていこう

  その歩みはちいさくても、

          それが私が生きている証となるように。




   未来を信じて、明るいものにするために。


  世界を、こころを、たましいを、

      壊したり、傷つけたり、苦しめたりしないように。




  私はせめて、自分のこころをコントロールして

  未来を希望あふれる、光に満ちあふれる、美しいものに

  創っていけるように、そんな生き方をしよう。




  世界の現状を憂いて、うずくまってこころ締めつけられて

    どこへもいけなくなるのではなく




  こころの中にあふれるひかりを、この世界にばらまいて

  大いなる愛やスピリットがおこそうとしている

  壮大な物語の転換期に、力となれるように。



  今は、こころ穏やかに。

               こころ安らかに。



  まわりに満ちあふれるこぼれるほどの愛の光を感じよう。


  こころの目をひらかなければ、みえないもの

  この世界には、それが たくさんたくさんあるんだってことを

  再確認するために。



 
   今は、風を感じることにしよう。




2002年05月27日(月)  投身自殺・・・・。 謝ることも必要。


  新高輪プリンスホテルのティールーム。

  高いくせに大しておいしくもないコーヒーを飲みながら原稿の確認をしていた。

  先方が私の原稿を夢中になって読んでいる。

  ああ、いい感じで受け取ってくれてるな。

  これで、オーケーだぜ!。ビバ東京主張!くらいに静かにこころの中でガッツポーズを決めていた私。


  ほっとして、コーヒーを飲もうとしたら、コバエちゃんがカップに投身自殺していた。

  あうー。ショック。


  静かに手を挙げてウエイターを呼ぶ私。

  「すいません。これかえて下さい」

  「はい?。」静かな口調で、なんで?と聞くウエイター。

  一応いいホテルのティールームなのでそんなことを言われたら傷つくだろうと思って小さな声でね。


  「虫入ってるんですけど。」

  「はい。」といって、コーヒーをもってどこかへ。


  数分後、彼はお待たせしました。とすっとコーヒーをさしだした。
 


  んで?。すっと消えた。

  なんやねんそれ。一言くらい謝れよ。

  お代はいりません位の勢いで、あやまれよぉー。よぉー。よぉーーーー。


  はあはあ、ぜえぜえ。叫んでスッキリした。
 

  でも、その対応からして、別にハエが入ってることは

  あんまり驚きじゃない感じだったみたいなので、日記に書いてやる。


  新高輪プリンスホテルのティールーム!もみじ。


  900円だか、1000円だかのコーヒーにはハエが入ってるときがあります。

  でも、大したことじゃありません。でも、嫌な人は取り替えてもらってクダサイ。

  いや、もしかするとトッピングかも知れない。私が世の中を知らないだけかも?。



  っていうことをね、今コーヒーを煎れようとして思い出したのよー。

  こころのないごめんなさいは、むかつくけどね、それさえもないのはちょっとどうかと思った。



2002年05月26日(日) 満月の一三祭り in 池上本門寺

 「またか。昌吉さん、ほんまにやりすぎ。」

  会場に着いたとき、私はそう思った。

  何がって?。

  だって、いつものこととはいえ、ハラハラさせすぎなんだもの・・・。



  その日は、東京の池上本門寺で満月の一三祭りと題して、観月の野外コンサートが開催された。

  日蓮大聖人が教えを開いて750年目にあたる本年の満月の夜コンサートをしているという。

  この日記を以前から読んで下さっている人にはもう私のこころが伝わっているかも知れない。

  そう、またしても、日蓮さまだ。ふー。今年は因縁アリだな。



 ホテルで仕事の打ち合わせを終えて、昌吉さんと主催者の方と一緒に会場に向かった。

 グレーの雲が空を覆っている。


 「満月はどうなるんだろう。」

 そう思ったとき、フロントガラスにポツリポツリと水滴が落ちてきた。

「ああ、雨だねえ。」

 彼がそういったとき、車が会場に到着した。 


 ステージでは、チャンプルーズのメンバーが音合わせをしている。
 
 私たちの到着に気がついたベースの亀田さんが満面の笑顔で出迎えた。



 昌吉さんがステージに昇ったその瞬間。


 雷鳴が轟いた。


 リハーサルをはじめようとしたその途端、バラバラと大粒の雨が落ちはじめた。

 と、その雨はバケツをひっくり返したような大雨になった。

 スタッフは機材を雨からかばうために、シートを持って走り回っていた。

 この突然の大雨に当然リハーサルは中止となり、メンバーとスタッフは控え室で雨が止むのを待っていた。


 満月を見るための野外でのコンサート。
 雨で中止になっても困るし、雨が止んでも満月が顔を見せてくれなくても困ってしまう。スタッフの方々は一様に複雑な顔をしていた。


 主催者のこころをほぐそうと、昌吉さんは話しをはじめる。


「神様はたいへんさ。

 こっちでは農民が『お願いです。恵みの雨を降らせて下さい。』とお願いしている。

 すぐ横では、漁民が『お願いです。晴れさせて下さい。』と祈りを捧げている。


 みんなの願いを叶えようとすると、神様はおかしくなってしまう。

 雨も恵み。晴れも恵み。曇りも恵み。

 すべてを受け入れることのできるこころこそ、神につながるこころだと思うね。

 だから、今日もそのこころのままに。

 満月も見えても恵み、見えなくても恵みなんだ。

 ここからは見えなくとも、満月はちゃんとあの雲の向こうで輝いているよ。

 こころの中に、満月が見えるでしょ。」



 しかし、私のこころには、あるひとつの確信があった。

 絶対に、この雨は止む。そして絶対に、素晴らしいことが起きる。

 それはきっと、チャンプルーズのメンバーも同じだったと思う。

 私は8年間喜納昌吉&チャンプルーズとともに仕事をしてきて、

 彼らの祭りと自然現象の不可思議を見せつけられてきたのだ。


 だから、断言できる。必ず・・・。


 どんよりと濃いグレーに染まっていた空に光が射してきた。

 雲が切れたのだ。

 それでも、まだ楽屋から出るには、あまりにもひどい雨が降り続いていた。

 雨が小降りになった頃、待ちきれなくなった私は、

 “ソレ”を探すために空が広く見える場所に飛び出した。


 楽屋口の扉を開けて、観客席の方へ。

 私の身体がステージ左方の五重塔の方をむいたとき、それはそこに“あった”。


 小雨が降りつづけるなか、それでも青く澄んだ空に太陽の光を受けて輝いていた。

 約束されたかのように、空に架けられたおおきなおおきな虹の橋が・・・。


 期待通りとは思ってはいても、興奮を抑えることが出来ずに、楽屋に飛び込んだ。


 「虹!虹が出てる!。」


 「やったぁー!。」


  昌吉さんも、うれしそうにはしゃいで飛び出した。

  その頃には、すっかり雨も止んでひときわ美しい大きな虹を、

  メンバーやスタッフと一緒に見ることが出来た。




 開場時間の少し前、またしても雨が降りだした。

 「それでも、あの虹は約束なんだ。大丈夫、必ず雨は止む。」そう祈りながら、時を待っていた。

 ザンザンと降り続ける雨。その雨がぴたっと止んだのは、7時ジャストのことだった。

 雨すら開演時間オンタイム!。

 そして少し遅れて、喜納昌吉&チャンプルーズが登場する。



 「沖縄よこころをあわせて立ち上がろう このこころを世界へ知らせよう」

  と歌うヒヤミカチ節を皮切りに、ステージははじまった。



    命を育てる海が島を洗う 明日の島

    すべての武器が奪おうとして 

      奪えないもの それは沖縄の熱い願い


  米軍統治下の沖縄に誕生した那覇市長・瀬長亀次郎。

  彼の奮闘を描いた映画「カメジロー・沖縄の青春」の主題歌「明日の島」

 (喜納昌吉は音楽監督を務めている)は、今でも変わることのない沖縄の現状を表現している。


  昌吉さんは、この会場に向かう車の中で、抑えきれない怒りを爆発させていた。

 それは、有事法制への怒りだった。

 「周辺有事などといっても、沖縄はいつも有事だ。

  そして、今度の有事法制は、再び沖縄を戦争に駆り立てるもの。

  もう、こうなったら沖縄は日本から独立するしかないよ。

  独立といっても、新しい国を創るというわけじゃない。

  国境線からも、争いからも、沖縄は独立するんだ。」



  ドドドーン カメジロー ドドドーン 亀さん


  昌吉さんがそう歌ったその瞬間、雷鳴が轟いた。

  そして、喜納昌吉の頭上に稲光が走った。



  昌吉さんや、平和を願う人々の激しい行き場のない想いを、

  天がかわって表現してくれているかのようだった。





   いつか いつかかならず 金網のない世界を・・・





 降ったり止んだり、雨に翻弄されながらも、祭りは続く。


 快適に暮らしたい、お金がほしい、人を蹴落としてでも?、

 戦争はしたくない、環境は破壊したくない、でもこの快適生活はやめることは出来ない、

 もしかするともう引き戻れないところまで来ているのかも知れない、ならばこのままぬるま湯につかっていたい。


 その変わり続ける空の表情が、

 複雑怪奇な現代人のこころを表現しているかのようにも思えた。




 何度も何度も、私は空を見た。

 そして月を探していた。けれど、どこにも見あたらなかった。



 祭りも終盤にさしかかり、「すべての人の心に花を」のイントロがはじまった。


 どこ?。


 後ろを振り向いても月どころか、ほんのり明るい空さえも見つけられない。

 ステージのチャンプルーズを見て、ふと五重塔を眺めた。


 ああ、そこにいらっしゃったのですね・・・。


 真っ黒な空に少しだけ、ほんのすこしだけ明るく白い雲が広がっている。


 昌吉さんが「すべての人の心に花を」を歌い出すと、

 ゆっくりゆっくりと風が吹きはじめ、雲は流れるままに彼方へと消えた。



 そして、大きく美しき月が恥じらいながらもその姿をあらわした。





 そうなのだ、考えてみればその場所以外には有り得なかった。

 なぜすぐに忘れてしまうのだろうか。


 天文的知識があったわけではない、

 けれど私たちはその場所にお月様が顔を見せることは事前に知っていた。



 そう、満月が姿を現したその場所は、

 素晴らしく美しい虹が、そのあでやかな姿を見せてくれた

 まさにその約束の空だったのだから。




 お月様はその美しい姿を惜しげもなく見せてくれた。


 雨と雲と雷鳴と稲妻と風と星、集まった人々。


 すべてがひとつになるような、カチャーシーのあと、

 喜納昌吉は再び「すべての人の心に花を」を歌った。



 その歌声は、空にとけだし大地に染み込み、

 天と地の間に住む人々のこころに虹の種を落としていくようだった。






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 喜納昌吉&チャンプルーズの一ファンとして見たライブを、まったく個人的にレポートしてみました。



2002年05月25日(土) 月闇夜 こころの闇・・・・。


  金曜日、東京に向かった。友達の運転する車で奥多摩へ。

  東京駅から都会の週末の喧噪を横目に

  車はひたすら夜の道を進み続ける。



  月の光に照らされた奥多摩湖。

  やわらかに水面を揺らす風。

  乳白色に輝く月へと続く道。

  月の力が強すぎて、星さえも顔を隠してしまう。



  ライトを消してしまうと、すべてが闇にとけ込んでしまいそうな

  街灯もアスファルトすら敷かれていないまがりくねった細い道。




  すべての生命が静かに夜を語り

 
  すべての生命が穏やかに生を語る




  ひとりだときっと恐くていられないほどの山奥

     どうしてみんな一緒だと少しも恐くないんだろう



  けれど、恐怖に打ち勝つには、

  その恐怖の中にはいることも必要なのだ

  そんなこともあの闇は教えてくれた


  いつの日か準備が出来たなら
  
  その闇にさえ立ち向かうことが出来るだろう




   けれど今は、自然のおおきく優しい愛に包まれて

               穏やかに眠りにつきたい。





       いつの日か



       必ず力をつけて



       すべてのものに打ち勝って


       こころの中の恐怖に打ち勝って


       この闇の前に立つことを誓おう





   そして いつの日か 闇すらも友にして 

   光を闇が融合するその瞬間を 手助けすることが出来るように


   今は 望むことしかできないけれど


   いつの日か

   そうなることを、私は自分自身に誓おう



2002年05月24日(金) つらいことは、つらいっていわなきゃわかんないんだよ。 ?。


  なんで、その時、言わんかったん・・・・?


  母の口からこぼれ出た言葉に、おっとっと・・・と転びそうになった私。

  こんな私は28才。6才の子持ち。離婚経験者。



   ばーちゃんのソーシキに行ってきた。

   92才大往生。最後はみんなに見送られて、幸せそうだった。

   
   んで、私は久々に母に会ってきたよ。はじめて、私の子供の頃の話しをしました。


  小学校5年生の時から高校2年になって家を飛び出すまで、ずっと兄から虐待を受けていたこと。
  そのことは、私のこころがまっとうに成長する妨げになったこと。
  目の前でそれを見ている母親がかばってくれなかったこと。助け出してくれなかったこと。



  母は、やっぱり忘れていた。

  びっくりしたけど、忘れないと、生きていけないんだろうね。そう思った。

  母は、自分がちゃんと私をかばっていたと思い込んでいた。

  人間のこころは、とても興味深い。自己を防衛するために、記憶をねじ曲げたり、忘れたりするんだよね。


  「でもね、つらかったんだよ。」って、そう言いました。

   そしたら、冒頭の言葉が出てきた。唖然とした。

   やっぱりいわなきゃわからないのかなあ。イヤなことはいや。つらいことはつらいって。

   殴られたり蹴られたり、日々奴隷のように扱われてつらくない人っているんだろうか。

   私、マゾだと思ってた?。おかあさん?。




   「私ね、自立神経失調症で、一緒に病院行ったでしょ?。原因なにだと思ってた?。」

   「・・・・・・。」

   「お兄ちゃんのこと以外、ありえないでしょ。過食、拒食、嘔吐、私ずっと苦しんでたでしょ。」

   「なんで、その時にちゃんとお兄ちゃんのことを言わなかったの?。

    苦しいって言わなかったの?。」



   言えなかった。あの頃、兄のこと、誰にも言えなかった。

   なんでだろうね。私はどこかで、殴られるのは自分にも原因があるからだと思っていたんだよね。

   理由なく人を傷つける人がいるなんて信じられない。

   でも、物にあたるように、弱い存在に感情をぶつけていただけなんだけどね。

   どこかで、少しは兄や母を信じていたんだろうね。

   だって、唯一の家族だもん。



   でもね、いわなくてもね、目の前で殴られてるんだから、わかるよね?。

   わからないのかな?。   どうなのかね?。



   みんな、あの頃狂っていたからね。自分のことで精一杯だったんだね。

   確かに、母が私を守れない、助けられないのを知っていたから、

   母に頼ることはしなかったんだろう。


   でも、どんなに強がってても、笑っていてもね、

             私はまだ幼い女の子だったんだよね。


   バカだよね。なんでつらいときに笑うんだろう。

   そして、そんなひきつった笑顔をなんで信じるんだろう。



   私は、子供がはっきりと言葉に出さなくても、サインがわかるように、

   ちゃんと子供を見よう。どんなことからも、私の天使を守ろう。

   ちゃんと愛して、大事に見守って、おおきなこころで包んであげよう。

   私のようなこころの痛みを感じないですむように。





  「どうして、私のことは守ってくれなかったの?。」

       ほんとはそれを、一番聞きたかったけれど、聞けなかった。

   聞けないままに、タイムリミットが来てしまった。そして、私は大阪に帰ってきた。





  母の口癖は「すいません」。

  誰かになにかをしてもらったとき「ありがとう」のかわりに、

  その口から一日に何度も何度も出る言葉。



  でもね、「すいません」どころか「ごめんね」の言葉さえ、

  私を生んだ人からは、その日一度も聞けなかった。


  「つらい思いをさせてしまったね」とか、

  たった一言で表現できるその想いを、あの人が抱いてくれさえすれば、

  そのことが私に伝わりさえすれば、私のこころは軽くなるはずなのにね。


  そんなことを、期待している私が、私の心の中にはまだいるんだ。





  火葬場に行くバスの中で、涙が出てきた。忘れていた大切なことを思い出して。


  いとこのT姉ちゃんが、一時期近所にすんでいた。

  私は家のことはなにも言わなかったけど、看護婦の彼女は気づいていたんだろうね。

  あの頃、私をあの家から連れ出してくれた唯一の人だ。

  「尚子、遊びにおいで。泊まりにおいで。」

  いつもそう言ってくれた。出来る限り、家に帰らなくてすむようにしてくれていた。

  小学校5年か6年の時、Tちゃんが映画館に連れていってくれた。

  「銀河鉄道の夜」宮沢賢治の描き出した世界。

  今にして思えば、あの映画は私に強烈に影響を与えた。

  それまで、幸せがなにかなんて考えたこともなかった。

  日々をいきることで精一杯だったから。


  ちょうど、母の口から衝撃的な言葉を聞いた直後だった。
  自分が生まれてきたことすべてを否定されるような出来事があったあとだった。

  不必要だったのに生まれてきてしまったことを後悔して、私を産み落とした母を恨んで、それでもだからこそ育ててくれている優しい母の大事な息子から受け続ける暴力に耐えなければならないのだと、思い込みはじめたその頃だった。

  あの人がいなかったら、私は狂っていたかも知れない。

  だれも私を大切に思ってくれることはないと、人生をあきらめていたかも知れない。

  ギリギリのラインで私を引き戻してくれた人。

  私は、そんな大事なことすら、忘れたまま大きくなってしまっている。

  ごめんね。tちゃん。今回は会えなかったけど、私はあなたに会いたいです。
  言葉では言い尽くせないようなお礼の気持ちを、あなたに抱いています。
   


  母との話は、葬儀とか火葬とか法事とか、いろんなことの合間を縫ってだったから、とぎれとぎれだったけれど。

  それでも、話しが出来てよかった。

  おばあちゃんが、背中を押してくれたような気がした。

  私はね、母のことを全然恨んではいないの。

  今の私があるのは、やっぱり母のおかげだから。

  私は母を、責めているわけではないのです。

  自分が捨ててきた感情や、閉じこめている感情を解放して、

  子供の頃の私を助けに行くために、私には母の協力が必要なのです。




  母というものは、子供にとっては本当に大切な存在。

  私も母ですので。自分の子供を愛して、彼が自分の人生を思うがままに生きていけるように手助けをするために、そのためにも私のこころを育てなくちゃならないのです。


  

  ◆  =  □  =  ◆  =  □  =   ◆  =  □  =  ◆



   祭り!

   人が進化すること。それは、神そのものが進化することだ。

   なぜなら、神も人もひとつだからさ。


   文明に光の道を指し示す 完全なるユニティとは

   結局、天も地も完全ではないんだ。

   人間は、なんのためにこの地球に遣わされてきたんだろう。

   破壊するためだとは思いたくはない。


   この完全ではない天地をつなぐためにきたのだろうか。




   今、祭りというテーマで本を書いている。

   ので、こんなことを大きな文字に印刷して、私の仕事部屋に張り付けてる。


   コレを読みあげてうちの息子が一言。
    (漢字もちゃんと読めてるの、ナゼかしらんけど・・・。親に似ず頭がいい。)




   おかあさん、いいこと書いてるね。あれさ、あたってるよ。

   そうなんだよ。 あるくもさ、そう思ってる。

   やっぱり、祭りだよねー。

   あれさ、おかあさん、本書いてるんでしょ。がんばってねー。

   いいことだわけさ。(*沖縄の方言ね)



   お前、だれやねん。 ほんまに・・・・・。

   6才のクソガキの発言かよ。それが。 ってか、意味わかってるん?。ほんとに。




   私が出会ったすべての人に、ありがとう。



2002年05月23日(木) いのちは巡る 螺旋を描いて  そしてカルマもまた・・・・

 19時、大阪梅田三番街のバスターミナルから、香川行きのバスに乗った。

 東京出張から帰ったばかりで、荷をほどく暇もなく

 またいろんなモノを詰め込んだカバンと、不安で揺れ動くこころを抱えたまんま。


 家には6才の息子を残してきた。

 はじめての遠足を楽しみにしている私の王子さまを、混沌の中には連れていけない。

 親友にお願いして、泊まりに来てもらった。

 仕事の締め切りを抱えていたのに、彼女は来てくれた。

 私が前に向かって歩くことを応援するために。


 マキアトのダブルを飲みながら、外の景色を眺めていた。コーヒーの苦さが胃にしみる。

 高速道路の接続面を踏み込んで定期的に揺れるバス。そのリズムに身体を預けて、こころを覗き込んでみる。


  まだ、わからないよ。どうしたいかなんて・・・。

  あんたは、どうおもってんの?。



  そう言いながら、困っている私がそこにはいた。



 過去の清算をしようと決心する前まで、母のことはなんとも思っていなかった。

 ちょっとおかしな人だとは思っていたけど、恨みも怒りもしていなかった。

 扉を開けたとき、本当の感情を隠して閉じこめていただけだったことに、気がついてしまった。

 そんな複雑な感情で母の顔を見ることが出来なくなって、私は彼女の前から姿を消した。


 感情をぶつけることが恐い?。人を責めたくない?。

 暴力的な感情が沸き上がってくるのが恐い?。

 そう思っていた。でも、違うかも知れない。

 そんな感情をぶつけて、母に嫌われるのが恐かったのかも知れない。


 そう、ふと思った。子供というのは、大変な生き物だね。

 どんなにひどいことをされても、親という存在は絶対的なモノらしい。



 葬儀会館に到着して、久々に母と対面した。

 親戚のおじさんと母と私の3名で、亡くなったおばあさんと一夜を過ごすことになった。


 祖母は、眠るようにきれいにそこにいた。

 もう、魂は抜けきっているのかな?。このあたりにいるのかな?。私を見ているのかな?。


 ありがとうね。母を生んでくれて。私をこの世に誕生させてくれて。

 ありがとうね。



 軽く会話をして、「仕事してくるね。」と声をかけて部屋を出た。



 何日の人がここで夜を過ごしたのだろう。最後の夜を。

 朝になれば、葬儀をして、その肉体は火の中へ。

 数時間もすれば、小さな水分の蒸発しきった白い骨のかけらになってしまう。



 悲しかったのかな?。つらかったのかな?。さみしかったのかな?。

 それとも、新しい世界へと旅立つ希望で、胸をいっぱいにしていたのかな?。


 いくつかの電話とメールと、22日の壊れきった日記を、

 葬儀会館のロビーで書いたあと、MACはぱたっと動かなくなった。


 仕事をしているフリをして、時間をやり過ごそうと思ったのに・・・。



 部屋に戻ったら、ふたりはふとんに横になっていた。

 私も顔を洗って、眠る準備をした。他愛もない話しをして、母は眠りについた。



 ほとんど眠れず、朝はやく目がさめた私は、会館のまわりを散歩した。


 田んぼのフチにクローバーが群生している。

 クローバーを見るだけで、なんか幸せな気持ちになるよね。私だけかな?。

 彼らに呼ばれるように手をさしのべたところで

 四ッ葉のクローバーが笑って「おはよう」と言ってくれた。




 葬儀は創価学会員だった祖母の遺志をくんで、学会による友人葬という形式だった。

 坊さんが来るわけでもなく、幹部と呼ばれる人が来て、経本をみんなでよんだ。

 祖母がそれを望むのならば、それが一番の供養だろう。


 そう思って、私もお経を唱えた。


 いつも、泣きながらよんでいたこのお経。何年ぶりだろう。


 虐待の日々の中で、誰にも何にも救いを求めることが出来ず、

 母と兄の信仰する日蓮様を半ば強制的に信仰させられて、

 毎日お経を唱えさせられた。

  私を助けてくれない日蓮様をにらみながら経を唱えたことも、数え切れないほどあった。


 ああ、それでも、さすがにお経を唱えているときは殴られることはなかったなあ。


 いまでも、南無妙法蓮華経と唱えるだけで、涙があふれてしまう。


 この前、日蓮宗のお寺に行って良かった。  ◆ 涙の理由 ◆ 


 あれがなかったら、もっと複雑な気持ちでこの日を迎えていただろう。

 すべてがこの時期に、私の準備が整ったこの時期に降り懸かってくるということは、

 やはり私もまた導かれているのだろうかと思う。



 おばあさんに「ありがとう」と何度も何度もそう告げた。

 私に機会を与えてくれて、ほんとうにありがとう。







 ↑エンピツ投票ボタンです。押すと文字がかわります。



2002年05月22日(水)  in 香川 です。



はいどーーも。はるなっちin香川なんたら会館でございます。



今日は、霊前で御一泊です。


ご心配をおかけしてます。なんとか大丈夫です。いや、ほんとに。



祖母は92才の大往生で、あまり苦しむこともなかったようで、

やっぱりそれは良かったなあと思った。


そして、夕方になっていくことを決心した私は、

ダイエーにひた走り、髪色戻しを買い、速攻で髪を黒に染めて

ソーシキモードに変身しました。

高速バスのトイレで化粧をしながら

「もうそろそろ、落ち着くか・・・。」とため息をつきました(笑)。


母上には「沖縄はどう?。」と聞かれましたが、

まだ「ほんとは大阪にいる」ことは言えなかった。

ってか、親戚のおじさんのいる前でそれは出来ないってことで。






  問題は、自分がどうしたいのかわからないこと。


  ちゃんと自分と向かい合わないと、ダメです。





チビ太はやはり葬式よりも遠足を選んだので、

親友に家に来てもらって、なんとか明日遠足に行きます。

明日の弁当は、息子よ、すまぬ。冷凍食品のオンパレードだ。



ここまで来たんだから、さぬきうどんを食べねば・・・。

食べねば・・・・。




四国といえば、■色 siki 即 soku 是 ze 空 ku■。

って、あの方は高知だっけ?。

あの強烈キャラの日記を紡ぎ出すJACKさんに一度あってみたーい!。






+ + + + + + + + + + + + + + + + +


  僕は昨日までをリュックに詰め込んで歩いていくつもりさ

  どこまでも続くこの一本道をまるで綱渡りでもするように

  たまにはよそ見もするし 脇道にもそれる

  リュックをほどいて昨日と友達になる



  僕は立ち止まる事を悪い事とは思わないし 後戻りする事も恐れない

  明日には沢山のひまわりが咲き乱れ きっと金色の海になる

  そのひまわり畑の真ん中の一本道を僕はどこまでも歩いてく

  こころ踊らせて




       私が激烈に愛するアーティスト天才たろうのバンド

       THE COUNTORY HUNCHBACKSの名曲

       「ひまわり畑であいましょう」の一節。





   おやすみなさい。


   すべての人に、優しい風が吹きますように。 ついでに、私にも・・・



2002年05月21日(火) 死・・・・。

母方のおばあちゃんが亡くなった。

うーむ。私はどうすればいいんだろう。わからない。


両親が離婚して、私は小学校3年生の時母方に連れられて家を出た。

でも、私は今も父方の苗字を名乗っている。

それは、私が選んだこと。

一度結婚して父方の戸籍から抜けたあと、離婚するときにそこにも戻りたくはなくて、今の私は戸籍筆頭者。

私はある時家族を捨てて、私の日々の選択から生まれた新しい人生を生き、

私からはじまった愛する家族と日々を暮らしている。


葬儀に出れば、いろんな人に会わなければならない。

困った。でも、出るべきなんだろうか。わからん。

母の母。でも私はあまりあったことのない人で、なくなったと聞いてもあまり感情が湧かない。

まったく悲しくもないことに対して、自分で自分は冷たい人だと驚きショックを受けている。



輪廻を信じる私は、死に対してあまり悪いイメージは持ってない。

創価学会員のおばあちゃがどう思っているかは別だけど。

ボケてしまって、孫の私のこともわからなくなってしまったのは、もう5年も前のことだ。

苦しまずに逝ったのならそれはそれで天命かなあとも思う。


葬式はいつなんだろう。香川の田舎まで、どうやっていけばいいのかさえわからない。

フェリー?新幹線?。ネットで調べたけれど、よくわからない。


明日は、息子の遠足だ。息子はどうしても行きたがるだろう。

休ませてまで、葬儀に?。今回は預かってくれる人もいない。こまっちゃったなあ。


私は、どうするんだろう。田舎に行って、母にあって、どうするんだろう。

あー。わからん。 ごめんなさい垂れ流しの日記。



 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +



もしも僕が風の中で動けない日がきたら、

そのときはどうか自分の道を歩き出してほしい。

きっと、この想いはいろんなところに染み渡っていると信じているから。

この身体が朽ち果てたとしても、大丈夫。




僕に悔いはない。




だから、おねがいです。



もしも僕が風の中で動けなくなるその日がきたら、

そのときはどうか自分の道を歩き出して。


その風の中に、僕を置いて、前を向いて、自分の道を。



2002年05月15日(水) 深き泥の中に眠る蓮華の種


 今日5月15日は、沖縄の日本復帰30年目の日だ。

 戦争前は、独立国だった沖縄なので、歴史的に考えて、

 “日本復帰”なのか、“日本併合”なのか、

 それは難しいところだけれどね。



 どちらであったにせよ、沖縄という島に住む民族が、

 平和に幸せに暮らすことが出来るならば、それが一番素晴らしいことだと思う。


 そして、それが、一番今むずかしいことなんだけどね。おかしな世界だ。まったく!。



 沖縄は、“未来を包んだ種”なのではないかと思う。


 それはね、ただの種じゃない。

 腐敗した深い深い泥の中で、ひたすら眠り続けている、

 先祖の経験や財産を、その堅い殻の中に守り続けている蓮華の種なのだ。


 その種はいつか花咲く日を待ちながら今も眠っている。



その島は、500年前にすべての武器を放棄した島だ。

 武器を捨て、軍隊を持たなかった平和の島は、ナポレオンをも驚愕させたという。


 けれど、侵略の歴史の渦の中に巻き込まれてゆくことになる。
 
 1609年の「慶長の役」で、薩摩に侵略されてしまい、日本の一藩にされてしまった。

 その後、廃藩置県、第二次世界大戦、信託統治、日本復帰など歴史の荒波を経て、

 今では自衛隊基地とアメリカの基地によって小さな島の大部分が占められている。

 
「武器を捨て、軍隊を持たなかったから、侵略され占領され植民されたのだ、

  沖縄に軍隊は必要で、米軍は沖縄を守ってくれている。」



  そのような意見も確かにある。


  けれど、私は信じたい。


  沖縄の人々は「侵略されても、武器を捨てた誇りは失わなかった」と。



  暴力には暴力、武器には武器、戦争には戦争を


  その繰り返しと、それに乗じる軍需産業で、現代文明は栄えてきた。


  戦争や基地は経済効果を生み出す。

  世界経済が産軍複合体の恩恵を得ていることは紛れもない事実だ。



  でもね、人の血と犠牲に成り立つ経済と、

          人の不幸の上になり立つ便利で裕福な暮らし。


  そんなものが、ほんとうの幸せっていえるのかなぁ。




  私は、思うのです。


  戦争に明け暮れた20世紀は、やっぱり間違っていたよね。

  どこか、おかしかったよね。

  「武器を持って他国を侵略する精神性」

  「武器を捨てて、平和とともに他国と和合しようとする精神性」

  これからの世界にとって、どちらが必要なものだと思いますか?。




   戦争と平和



  個人で考えるには難しすぎる問題だけれど、

  現在を生きる一人一人に重くのしかかっている課題なんだよね。


  多くの人はそれに気がつかず、または目をつぶっている。




  武器や核の傘に守られた平和なんて、偽物でしかないよ。

  いつどんなことで、そのバランスが壊れるかわからないんだよ。

  ナニカにおびえて暮らすのではなくって、心の底から笑える日々を送りたい。


 
  沖縄では新しい基地が創られようとしていて、日本は戦争への道を歩き始めている。


  平和とは戦争がないことではない。


  たとえ戦争がなくなっても、心に平和が訪れなければ問題はどこからでも湧き出てくる。


  まずは、平和を想う心がつながりあうことが必要。


  一人、一人が、瞬間を大切に幸せを感じながら生きることが必要。



  自分に余裕がなければ、人を思いやることなんて出来ないよね。

  だから、まずは自分自身を思いやって、大事にして。
 

   今日も一日、あなたが幸せでいてください。









それはそれで、むずかしいんだけど・・・・。(笑)



2002年05月14日(火) まだ治せず・・・・・?・

 ふう。もういや。

 気合い入れて、設定いじりはじめたのはいいけど、

 頭が動かないのと、MAC調子悪すぎ。
 
 ネスケかなあ?。作業しながら固まる固まる。

 今日は、5月15日。沖縄の復帰30周年という記念すべき日なのに。

 私の日記は、イライラしたまんま。

 ふー。休憩して、元気が出たらやるけど、駄目だったらまたエンピツの

 ふつうのデザインにもどしちゃおうかなあ。・・・・


    =0=0=0=0=0=0=0=昨日の涙の日記=0=0=0=0=0=0=0=0=
  

 泣いてもいいですか?。 いいよね・・・・。


 もう、この日記を見れば解るでしょ。



 うん。やってしまいました。 



 前までのデザインだと重すぎたみたいね。

 ほかのPCでみたとき、凄く表示が遅かったから、びっくりした。

 「ああ、これじゃイカン」と思って、軽くするためにデザインを書き直していたの。


 「そもそもエンピツにはどういうデザインがあるんだろう?」

 という疑問を抱いた私がおろかだった。 の・・・・。


  うん、間違って、ボタン押しました。

  私の作ってたテキスト、まっちろ。

  ふー。いまさら、もう一回書き直す気力はない。



  当分、このまま。気がむいたら、またデザインします。しましゅ。です。



  立ち直ったら、今夜にでも日記また書きます。です。





 
+ + + お口直しに王子ネタ + + +


  眠くてぐずっていた天流川。

  そのぐずり方が絵に描いたようで面白くて、ちょっかいかけまくってたら突然キレた。



  ヤツは、泣きながら叫んだ。


 「お母さんが、おかあさんが、おかーーさんがぁーーー。」





  



   ちっちゃな鼻から、大量の水分をまき散らしながら、私に抗議した・・・。



2002年05月13日(月) パンクと行き倒れ。 ため息の日々。

  私の家は、私鉄と地下鉄の駅から結構遠い距離にあって、その二つの駅の真ん中にある。

  前回の東京出張の際、行きは地下鉄、帰りは私鉄で帰ってきた。

  翌日、自転車に乗って買い物に行こうとすると、ない。

  地下鉄の駅に自転車を置いてきたのをすっかり忘れていた。

  で、あわてて取りにいったら、前輪がパンクしていた。4日間置いたからしかたないかあ。


  自転車屋まで20分ほど自転車を押して歩いていった。

  数日前、私が行き倒れしそうになった交差点のマ○ダ付近の自転車屋だ。

  「すいませーーん。パンクしたんですけど。」と入っていくと、

  奥から、丸い身体の気の良さそうなおっちゃんが、満面の笑顔で出てきた。

  右手の親指と人差し指で「オッケー!」マークを作り、笑いながら。



  私が愛車を手渡したとき、おっちゃんが言った。




  「なんで、パンクしたか解る?。」


  「駅にずっと置いてたから、やられちゃったみたいです。」

   と言おうカナ?と思ったけど、まあ一応「いえ、わかりません。」と答えた。


   

   









    ・・・・・・・・・。

       ・・・・・・・・・・・・ うっっ。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぐさっ。

      (やっぱ、あのマ○ダのショールームの前で、行き倒れようか。)←ココロの声



    「。。。。。。。。。。はあ。。。。」


    といいながらも、愛想のいい(フリ)の私。「そっかなー。」なんて笑っちゃった。


    おっさんは、そんな自分の言ったことはもう過去の話し!にしちゃって、

    「20分くらいかかるからね。となりのパチンコ屋にいっておいで!。修理代くらいは、でるで!。」


    ・・・・・・。

   「あ、ううん。私パチンコしないんで。ここで待ってます。」

   「そーか。そーか。彼氏を待つんじゃなくて、修理を待つかぁ。」

   「はぁ・・・。」
 
   「ほな、おっちゃんのかっこええ顔でもみとって!。」


    ・・・・・・。



    まあ、グサっとは刺さりながら(刺さっとるんかい?。図星かい?。)

    ちょっとおいしい?と関西人の血もたぎった私は、店の外に出て、

    友達にその一部始終をメールした。相手は27才独身男子、仕事中。



   返事が超速でかえってきた。



   「じゃあ、ダイエットしなきゃ〜

                  せめて、自転車を壊さないくらいには、ならないと。」


    をいをい・・・。乗ってて壊したんじゃないぞー。私の体重のせいじゃないゾ。

 
   「乗ってて壊したんじゃないもん」
                   と返したら、速攻で帰ってきた返事がコレ・・・。



   「もし、重さでパンクだったら、凄いよね(笑)。っていうか、ちょっと笑えないよね。」


    その時点で、修理を終えてホームセンターで植木を物色していた私。

    パセリの苗を持ちながら爆笑してしまった。



    くやしい。やられた。 こいつって、めちゃくちゃ面白い!。



    さ、さぼってツッコミいれてないで仕事しなさいよ(笑)。




    でもある意味、彼の素直な嘘のつけない純粋さを知り、私は感動した。


    普通ね、下心ある軟弱男は、一言「そんなことないよ。」っていうもんなんだ。

   ヤツからはそんなフォローは一言も、かけらもなかった。こうして友達が増えていく。



  それとも、フォローのいれようもない体型なの?。(自爆)

  ダイエット推奨!って感じ?。 やっぱり?。

  日記のジャンル、「ダイエット」にかえる?。



  と、こうして今日も、自虐ネタでウケを狙う私。 ってか、日記でウケを狙うな。

  しかも、苦悩ジャンルで・・・。でも一応、私は“心”の方です。


    ::::::::::::::::::::::::::::::::::




   こんな私にだってね。いるんだもん。ちゃんと。今まで内緒にしてたけど。




   私が死にそうな勢いで寝込んでいるとき、とっても優しくしてくれた男がいる。


   彼は、私の部屋に入ってくると、何も言わずにふとんに入ってきて、後ろからやさしく抱きしめてくれた。


   髪を優しく撫でてくれて、「大丈夫だよ。すぐに治るから。」と言いながら、頬をなでてくれる。


   背中やおなかから早く痛みが遠のくようにと、優しくさすってくれた。


   右の手をやさしくつないで、おやすみのキスを頬にくれた。






   ああ、なんて素敵な人だろう。このまま、身を任せてもいいかも・・・。






    って、6才の息子なんだけど。


   「おかあさん?。だいじょうぶだよ。あるくがいるからね。

    どこがいたいの?。おなか?。だいじょうぶ、すぐに治るからね。あるくがいるから、だいじょうぶだよ。」

    だいじょうぶだよ。という呪文を唱えながら、看病してくれたの。




    その天流川、5分後にまた私のところにやってきた。

   「おかあさん、あのね。あるくさー、聞きたいことがあるんだけど。」

    天流川くんのやさしさにつつまれて幸せ気分の私は、ほほえみながら優しく言ったよ。

   「なーに?。どうしたの?。」


         なーんて、幸せな親子なんだろう。愛し合ってる?。私たち。





       「あのね、えっとね。 おかあさん、洗濯あきたの?」



              ・・・・・・・・・・・・・・・・・。母無言。



   うち、センタッキないの。で、コインランドリーに自転車でかよってんの。

   体調をずっと崩してたから、何日か洗濯物溜めてたの。

   天流川の言いたいことは、解った。でも、その表現が素晴らしすぎる。


     「あきた?。」
                  「うん、飽きたからやらないの?。」
     「いや、ちがうて。」
                  「なんで?。」
     「え、しんどかったから。」

     「そうか、なーんだ。あるくさ、お母さん洗濯飽きてやらないのかと思った。(テヘっ)」



       がんばって、洗濯あきないようにします。

       がんばって、自転車パンクしないようになります。


       ああ、がんばるさ。今日の日記が長すぎるのもわかってるさ。


                                ・・・・・・・ちょっと涙。



2002年05月12日(日) お願い。

  眠いです。東京出張を終えて、家に帰ってきた。眠いニャー。


  今日まとめていた原稿の中で、「憲法問題とポツダム宣言とサンフランシスコ条約」に

  ついて書いていて、手元に資料がなかったので、本屋を探してふらふらした。



  んでね、見ちゃったの。



  友達と電話をしている途中だったんだけど、あまりのすごさにハルナ硬直。

  で、数秒後、爆笑。
  


       







    電話の向こうの友達に、報告したら、

  「うーん。大阪も変なヤツいっぱいおるけど、

   東京は、ヤバさ炸裂やもんなあ・・・。」


   ま、そんな感じ。 どんな感じや。



 ********************************************************************







       ねえ、ひとつお願いがあるの。

       こころの中の、喜びの泉からあふれる涙。

       その存在を思い出して。



       その瞳からこぼれ落ちるのは、苦悩の涙だけじゃない。





       7色の虹の光を包み込んだそのしずくは、

       きっと、あなたのすべてを癒してくれる。



               ね、だから。

                     想い出して!。



2002年05月09日(木) 行き倒れ願望・・・・・・

   おとといは、日記を書いたあと、身体がしんどくなってしまって・・・。

   夕方から、母グロッキー。

   友達の家に遊びに行っていたあるくくんが、びっくりするくらい。
   「おかーさーん? ・・・・・・・?。 だいじょーぶ・・?。」
    おなかが痛いのと、胃が痛いのと、あと腰ね。
     ぅううぅぅ・・って感じ。

    っていうか、実はG.W前からずっと体調悪かったんだけど、楽しさに浮かれて忘れてた?                         
                                ↑子供か、私は。

   いつでも成長期か?、ってくらい普段は食欲旺盛。
   その割には身長0.0015キロメートルのおチビさん(笑)。その私が、晩ご飯を食べられなかった。

    ごめんね、・・・と息子に言いながら、おかゆをつくった。
    でも、食べれなかった。 ←どうした、私?。痩せちゃうぞ。危険だぞ。

    咳でノドをやられて、声が出なくなってしまったの。
    胃が痛くなって、吐き気がするの。
    腰が痛くて、力がはいんなくて全身がウニウニする感じ。
    おなかが痛くて、もうなにもしたくない。

    どれも治りかけると次が発症って感じの、いいタイミングのフルコース(笑)。
 
   で、今朝目が覚めたら、「ああ、次はこれか・・・」ってなかんじで頭がガンガンしてる。

     さて、明日はなんでしょぉー。


   最近体調があまりよくないのです。どしたのかなぁ。ってか、普段異常に元気すぎなだけかも・・・?


   んでもな、何日も寝てるわけにもイカンので、今日は頭痛を無視して区役所に行って来たよ。

   自転車は悲しいことにパンクしている・・・。

   頭がガンガンして身体はふらふらして大変だったけど、日傘を差して強引に散歩に出かけた。

   途中、バス停まで15分くらい歩いて、もう耐えられないと、バスを待つことにした。

   その間、車屋のショールームの前に座り込んで、頭を抱えてた。
   座っているとどんどんひどくなってしまってさ。 


   ふー。もうこのまま、ここで行き倒れたい。


   ここで、このまんま寝転がってしまったら楽だなあ。ってほんとにおもった。

   でも、今日は区役所に行く予定だから、身元が分かるものいっぱい持ってるし・・・。

   子供も学校から帰ってくるし・・・・。



  ああ、でももう寝ころんでしまいたーーーーい。   

   行き倒れたーい!。

  

   と、光射し込むマツダのショールーム前に座り込んで、おかんは思っていた。

   その時、ちょうどバスがやってきて、ハルナ行き倒れ!って事態にはならんかった。

 

ちと残念?。
   

   家に戻って頭痛でぐったり気味の私の元へ、天使が笑顔をきらめかせてやってきた。

「ねえ、お母さん、聴きたいことあるんだけど。」

「なに?。」

「あのさあ、どうして、冬はさぁ。おしっこがいっぱい出るの?。」


・・・・・・・?。 汗をかかないからかな?。


「えっと、夏はさぁ、汗いっぱいかくから、おしっこ少ないの?」

「うん、そうだね。だから、水分もちゃんととらないとね。」と私。

「じゃあさ、汗はさ、おちんちんからでるおしっこと一緒なの?じゃあ、顔とか汗かいたら汚いじゃん。」

といいながら、あるくは顔を洗いに洗面所に走っていった・・・。 



ああ、こんなに面白い子を一人残して、行き倒れられん。

幸せな母はそう思った。





    今ね、寝室に戻ってきて、CDを聞きながら日記の続きを書こうと思ってね。

    再生ボタンを押したわけ。

    もちろん、深夜なので、ヴォリュームかなり小さめ。

    ふと聞きたくなったモンゴル800。

   洗剤のアタックのCMソングの「あーなーたーに 会いたくてー」ってやつよ。
              なんだよ、若いの聞きすぎって?。ほっといて!。





・・・・人に優しくされたとき 自分の小ささを知りました・・・・


その時、私の部屋でとんでもないことが起こった。







ほんまにびっくりしてしまった私は、すぐさまCDを止めた。


ああ、恐ろしい。


もう、おとなしく寝るってばぁ・・・。




           まあ、こやつは寝言で「ねむたーい」というクソガキなので・・・。



2002年05月08日(水) 狂った私は、狂ったまんま このまま あるがまま


  こころの中がどんより曇っていても、どしゃぶりでも

  なんだかんだ言っても、日常を生きなくてはいけない。


  『 文字工房 流那 』ってな看板を掲げて、私は文字を書く仕事をしているわけだ。

  大昔の日記で書いたけど、流那・ルナはラテン語で“ 月 ”。

  LUNAを語源とした英語のLUNATICは“狂気の”、LUNACYは“狂気”という意味を持っている。


  私は、自分が狂っていることを看板に、仕事をしているのだーよ。

  ふと思いたって、流那にした理由 を、過去の日記をあさって読み返した。









  ふうー。たまらない。 ほんとにバカ、私。


  落ち込んだり、仕事が出来なくなると、必ずといっていいほどにね、

  めちゃ強引にね、引き戻される地点がある。

  それは、私のスタート地点。      もうね、うんざりするくらい・・・。

  突きつけられるのさ、その事実を。 誰に? わからない。なんかの存在に ダヨ。


   そうなの。私は世界の謎を解きたくて、必死に生きてきたの。

   どうしてヒトは暴力からぬけれないのか、いつどこから侵略や戦争がはじまったのか。

    ヒトとヒトはなぜ愛し合って、幸せに生きていけないのか。

    物質至上の価値観から抜け出して、ヒト同士やすべての生命と共生していくことが

    なんで出来ないのか。 


   その理由を見つけて、ゆがんだ世界を1ミリでも直していくために
 
   私はこれからの人生を生きようと思って歩いてきたんだ。



1991年1月17日、

「はじまりました」とアナウンサーが告げた。

湾岸戦争の勃発を・・・・・。




   15才の私のこころの引き金を引いたのは、そんな世界の激動。

   私が、あの家を出た理由
は、こんな感じ。これも、去年日記に書いた。

   世界がこんな状況のときに、くだらない家族のことで死んでたまるもんかと思った。

   おなじ狂うならば、人に狂わされるのではなく、自分で狂ってやる。        

    私は、私で生きてやる。振り返ったとき絶対に、後悔しない生を生きてやる。

   高校一年生だった私は、高校を辞めると同時に家を出る決心をした。        




   そして、自分自身を流那と名付けたのは、2001年9月12日の深夜。
   ペンタゴンとWTCに飛行機がつっこんだその時だった。


   偶然だよと、人は言うかも知れない。でもクレイジーな私は、自分のこころに忠実に生きる。 


   中東が戦争や争いの中心ならば、私の望んでいる答えもそこにあるはずだ。
   落ち込んで、ちょっと仕事手につかないなーと思っている私が今書いていたのは、
   まさに、ピースフルな男の物語・・・・。音楽を武器に世界の平和を願う男。


    いつもいつも、私がくじけそうになると、誰かが教えて導いてくれる。


    私のために神様がつくってくれた、パーソナル地獄(笑)を経験してきた私には、
    どんなささいな物事の中にも光や幸せを見出す能力が備わっている。

    空を見ても、緑を見ても、大地を見ても、風を感じても とにかく自然の中にいると、こころが開放されてしまう。

    地球って、なんてすごいものなんだろう。太陽も月もね。
    どんな人にもわけ隔てなく、恵みを与えてくれるんだよ

    その地球を、これほどまでに破壊して、めちゃくちゃにしてる人類って、ある意味すごい。

     まさに、狂気。私以上に、みーーーんな、くれいじー。



    昨日の日記を見て、心配してくれた方がいます。ありがとう。
    でもね、私は生まれてきたことに感謝している。だから、死なない。役割を果たすまでは。

     あの家庭の中で育ったことを感謝している。
     強がりじゃーなくって、ほんとに。 これは、ほんとなの。


    あの子供時代を、私の中で消化することが出来たとき、
    それはとんでもなく大きな肥料として、私を助けてくれるのでしょう。

    痛みを知らなければ、私は優しくはなれないと思うから。
    苦しみを知らなければ、私は強くはなれないと思うから。


    だから、私は泣きながらでも、血の味を噛みしめながらでも、やっていこうと思う。

    ほんとに大きな、強くて優しい、愛のかたまりに、いつかなりたいから。

    そして、そんなこころから生まれでる想いを、文字として紡いでいきたいから。  

    その一歩一歩が、私の道だから。



    ありがとう    



    私は狂っているけど、狂ったまんまで、生きていく。


    基準なんて、人が決めたもの。   

    なんで、そんなちっちゃいちっちゃいハコの中にはいんないといけないわけ?。


    しんどくても、いつか抜けられるよ。逃げない限り、絶対に。   

    そうやって歩いていこうとしている、そのこころがきっとあなたを幸せにする。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

         私たちに残された最後のチャンス          

         自分自身でありつづける

         その一番シンプルなことにかえることができるかどうか          

         まだまだ もっともっと まだまだ もっともっと          

         人を傷つけてる場合じゃない

         まだまだ もっともっと 隠している自分が そこにいるでしょう


         最後の鍵は 暗闇のなかであけるものだ

         最深奥に降り立ったその時こそ 

         もっとも光に近づいている          





こーんなに長い日記、読んでくれてありがとう。
あなたに幸せの光が降り注ぎますように 愛を込めて

はるななおこ



2002年05月07日(火) やっぱり私は狂っている。それでも私は生きていく。

  今、ちょっとブルーな感じ。裏日記つけたくなったよ。
  あんまりここで心境を吐露すると心配する人とか、自分のこと?ってグサグサくる人もいそうだから・・・。

  今日のように、ひとりで家にいて、どんより曇っている日は

  なぜか、あの暗い、地獄を思い出してしまう。


  苦しくなってしまう。 胸が苦しい。 頭が重い。
  本当はね、私だって、いつも不安を抱えている。

  いつも偉そうなことを言っているけれど。
  大丈夫だよ、大丈夫だよって、人には言うくせにね、自分は、大丈夫じゃない、時も多い。


  ほんとは自分が言ってほしいから、人に言っている。 みたい、私は。


  別にそれも悪くない。すべて自分だから、そう思いながらも、頭グルグル。

  私の言葉で、だれかが少しは気が晴れるなら、私はいくらでも話したい。

  その人がそう望んでくれるなら、そばにいって、抱きしめてあげたい。

  いつまでも、いつまでも、その人が素直に笑えるその時まで、髪を撫でて

  あたたかい手で頬をさわっていたい。包み込んであげたい。


  幸せな人が、ひとりでも増えれば、世界がすこし美しくなるから。

  ひとりの人が笑えば、その分、空気の中に愛が増えてゆくから。


 
  親と子、こじれた家族ほど難しいことはない。
  うちの場合、こじれていると相手が思っていないことに問題アリ。

  親父さんもたいがいひどい人だけど、私は9才で別れているから
  たまにあっても、なーーーんの感情もわかない。希望がない分怒りもない。
  でも、もう片っ方は、いちおう女手一つで私を育ててくれた人。
  めちゃくちゃながらもね・・・。

  私は、いつもいい子でいようとしていた。
  優等生であろうとするクセ、そこから抜けられない。 今も、そう。情けない。



  いい子でいても、悪い子でいても、結局は相手の気分次第だった。
  私のことは関係なく、兄のしたいように殴られていた。
  でも、なるべく苦痛が少ないように、時間が短縮されるように、小さくなって、存在を消して、家の中にいた。

 
  私がいられる場所なんて、そこしかないと思っていたから。


  兄に対する気持ち。それは、終わってる。一生会わないから。あれが死んでも、葬式にも行かない。

  追悼の気持ちがかけらもないのに、なにをしにいくっていう?。 だから、気が楽。


  でも、母からは、たまに電話がかかってくる。

  私は、その母からの電話を、とることが出来ない。





    






   


          なんて、ひどい娘なんだろう。







  っていうか、なにをこんなところで書いてる?私。

  誰かが、親に言うかも知れない。あんたの娘がこんなことを書いているよって。


  ああ、でもそれも気が楽になるかも。
 
  だれか、伝えてくれ。 私の母や父や兄を知っている人。
  あいつがあんなことを、公の場で暴露していると。
  親戚の恥になるようなことを、言っていると。

  でも、親戚の恥になるようなことを、母も兄も父も、私と姉にしてきたんだ。



  あの女は、壊れていた。 狂っていた。
 
  私は実の兄に殴られながら、目の前で見てみぬフリをする女を見ていた。

  シンナーを吸ってラリって狂っていく兄を見ていた。

  息子に包丁でハラを刺されたあの女が、声にならない声を出しているのを見ていた。


  9才から離れて暮らしていた、姉。 彼女だけが、私の生きる支えだった。
  自力で会いに行けるようになった頃から今まで、彼女は姉であり親友でいてくれている。

  その姉にさえ、家で起こっていることをずっとずっと言えなかった。
  もちろん、学校の人にも、近所の人にも。
  母も兄も、外面がすごく良かったから。そして、愛を説く、とある宗教に入っていたから・・・。



  今なら、つらいっていってもいいの?。苦しかったんだよっていっていいの?。



  私は、いまだに自分のために、泣けない。 蓋をして、心の中に閉じこめている。

  私は、どうして誰にも、そのひとことが言えなかったんだろう。



               助けて・・・・。



  すごく簡単な、ひとこと。
 

  でも、今もそう。本当の意味では、きっと誰にも言えない。だから誰とも深くはつながれない。



  私があの家で一番はじめに覚えたこと。
 
  それは、「自分のことは、誰も守ってくれない」ということ。

  その他にも、いろんなことを覚えた。
  自分で自分を守る術、自分のこころを壊さないために閉ざす術、
  痛みを遠のかせるために意識をココから飛ばす術・・・。

  私がこんなことを書くと、姉が泣く。
  幼い私を守ることが出来なかったと、自分を責めて、私の愛する姉が泣く。
  私の愛する人、こんな私を愛してくれる人、その人が苦しむ姿を見たくない。

  でも、ごめんね。お姉ちゃん。

  そろそろ私は、この呪縛から逃れるから。 私は前を向いて歩いていく。

  そのためにも、自分と向き合うためにも、
  あの家でのことを、ちゃんと思い出して、幼い私を助けに行こうと思うの。
 

  だから、あなたも自分の幸せを生きて下さい。


  こんなところで、こんなことを言ってごめんなさい。
  多くの人に、迷惑をかけるかも知れないね。



           やっぱり、私は狂っているのかもしれない・・・・。



2002年05月06日(月) 幸せさがし????

  草っぱらを見ると、どーしてもやっちゃうよね?。

  四葉のクローバー探し。

  本日は、ドライブ★ドライブ☆で赤穂まで行って来た。


 で、赤穂浪士ゆかりの大石神社ちかくの草っぱらで、

 四葉のクローバーを座り込んで探してしまった。

 G.W中、結構見つけたよ。って、おかんはそんなことばっかりやってるのか?。


 誰になんといわれようと、クローバーを見つけると、座り込んで探してしまう。

 四葉をみつけても、摘まないの。見て喜んでるの。また次の誰かが幸せ気分になれるように。

 なんて、かわいい趣味でしょう ←アホまるだし。


 速攻、みつけて、のほほーんの幸せ気分。

 四葉探しに座り込んだ私につられて、ruru嬢もあき嬢も・・・。

 とっくにひとつ見つけた私は、寝ころんでダンゴ虫とたわむれていた。


 やはり幸せはまだ遠いらしく、まだまだ見つからないruru嬢。

 彼女が座り込んでいる姿があまりにも面白くって「うーむ負けてられない。」と思った私。

 突然、走り寄って目の前で、前転をやってやった。


   ・・・・・?。

  一瞬の無言のあと、「あほちゃうん?」と愛のあるつっこみをいただきました。

 「なんや?。かまってほしいんか?。」活字にすると冷たい言葉だけどね。

 そっからよ、逆立ち、側転、ブリッジ、などなど。お前ら、ドリフか。くらいの体操技が飛び出した。

  なんで赤穂まで来て、でんぐりがえり?。馬飛び?・・・。

   いや、やりだしたんは私なんだけどさ。

  私たちのわけのわからんG.Wはそうして過ぎていった。


  なんで、赤穂に来たかっていうと、あまりにも家にこもりすぎてたので、

  どっか自然とたわむれに行こうよと、話し始めたはいいけれど、

  どこに行くかが決まらない。


  で、色気より食い気、花より団子の、私たちは

  よし!赤穂までイタリアンを食べに行くぞ。と、前々からいきたかったお店にむかったのだった。

  なーーんでメシ食うために赤穂まで?。軽く、2時間はかかります(笑)。

  今日は、4時間くらいかかったはず。

  その間、延々アホなことばかり。

  このメンツが集まると、どうしてもオモロイことをしなくちゃ負け!みたいな気がして、

  体を張ってしまったり、自虐的ボケにはしってしまう・・・。

  ボケの内容?。言えません。あまりにもくだらなくて。


  向かったお店は「さくらぐみ」というところで、赤穂城跡のすぐ近く。

  もをーー。激烈においしかった。

  最近意地になって、昨日の夜も、今日の昼もピザを作った私だけれど、


  ここのピザを食べて、愕然。

  まだまだ修行しなければ・・・・と思った。←当たり前や



  ああ、頭のチャンネルを切り替えなければ、仕事モードに戻さねば!。

  まあ、チームおバカは今日で解散して家に帰るので、明日は普段の私に戻って、

  日記も高尚な文字で埋め尽くされているはず(笑)。



   笑うことは、体にいい。一番の健康の秘訣!。なのだ


   みなさんも、いっぱいいっぱい笑って下さいな。



2002年05月04日(土) 想ってないのに叶うわけないよ 夢は・・・


 私は活字中毒である。
 本屋に行くと、興奮して、目が輝く。

 特に古本屋に行くと、字のごとくすみからすみまで
 一冊も逃すことなくチェックして、面白そうな本を探し出す。

 おかげでね、引っ越し・・・ 大変だった。
 本だけで、山のような段ボール。てか、本しか荷物はなかった。

 今日も古本屋に行って、よだれを垂らしそうな勢いで
 棚にかじりついた。
 でも、お金がないの・・・(泣)。
        でも、読みたい本が山ほど・・・・・。

   だれか、買ってくれ。 あうー。

  しゃーないから、95円の特価本を4冊買ってきた。

 とにかく、文字ならなんでも良いわけだ。
 手当たり次第になんでも読むのだ。

 で、そんな私の好きな作家は

 北山耕平、星川淳、宮内勝典

 リチャード・バック、辻仁成、吉本ばなな、パウロ・コエーリョ

 この中の数名とお会いしてお仕事をさせていただいたことがある。
 その度に、緊張して、興奮して、それでもって感動した。
 どの方も私の尊敬する、偉大な大人だ。

 私が物書きになろうと夢を描いたのは、リチャード・バックの
 イリュージョンとONEに出会ったからだ。

 それまでもちまちまとミニコミをつくっていたんだけど、ONEを
 読んで、本気で文字を手段として生きていくことを決心した。

 その翌年、インドに行ってそのレポートを自分のミニコミに書いた。
 私の友達が、吉本ばななさんにそのミニコミを手渡した。
 吉本さんは、その私の文章を読んで、思わずインドにいったという・・・。

 帰国後、その友人に「ありがとう」と手紙を送ってくれたらしい。
 私自身はまだ吉本さんにお会いしたことはないんだけど、
 会ったらぜひそのことを確かめてみたいと思っている。



 夢って、絶対に叶うと思う。
 
 夢が叶わないのは、途中であきらめちゃうからなんだよ。

 私は、いまだに10年も前に掲げた夢を追いかけ続けているよ。


 きっとね、すべての人の心の中に、夢の種っていうのが眠っていて

 芽吹く時期をまってるんだよ。


 夢なんて、叶わないよ。  とか  夢なんてないよ。


 そういっちゃう前に、その心の中で眠っている夢の種

 叩き起こしちゃいな。


 最初はね、寝ぼけてとーーーーんでもないことを言い出すかも知れないけれど

 根気よく、話を聞いてあげれば、きっと未来を輝かせるための

 根っこと双葉をのばしてくれるはずだよ。


   そして根と芽を出したらね、また根気よーく水をあげるんだよ。



2002年05月02日(木) 星の王子さま

 今日も一歩も家を出ず。昨日も、一昨日も。(笑)

 それがー、私。だーかーらー、いいのさ。

 4月中旬から東京出張以外、外に出てないなあ。

 そりゃ、素敵な出会いもないわさ。家にいたんじゃ無理だよ、チミ。


 私の理想のタイプは「星の王子さまがおおきくなった人」って、友達に言ったら

 「いや、王子さまは、全然いけてへんし。手とかひょーってしてるし。変な顔やし。髪の毛も変やし。」


 確かに。でもな、タイプやねん。しゃーないやん。

 色の白い、手や足の細い、細い髪がさらさらと風に揺れちゃいそうな

 私が蹴ったら折れてしまいそうな人。(オイオイ!蹴るな。いや、蹴らへんけど)

 ひとり、友達でいるんだけれど、あまりにも可愛すぎて神々しすぎて

 こんなよごれたお姉さんは近づくこともできません。


 元夫は、なんとなくそういう感じの人だった。理想のタイプやん。

 初対面の時にね、なんてかわいいんだろうって思った。

 わからんけど、だからそういう人がタイプになったのかも知れないけれど。

 今も昔も、よわっちい感じの人が好きみたい。自分が強いからかぁ?。

 でも中身が一本筋が通っていないとダメ。


 ミュージシャンだった彼は、今はダイビングの仕事をしている。

 不健全な仕事から超健全な仕事へ・・・。

 陽に焼けて身体もたくましくなってしまった(悲)

 俳優さんの浅野忠信に、とても似ている。

 浅野が好きな私は、浅野の映画を見る度、やはりアイツは私の好みの男やったな・・・。と思う。

 つきあったときは、これって運命!って思ったんやけど、

 結局は、あかんようになってしまった。まあ、仕事もたいへんな時期だったからなあ。

 でも、最愛の息子を私に授けてくれた。私は、幸せだ。

 別れるときは、かなり大変だったけれど、なんせ私、息子抱えて逃げたから(笑)。

 今では、親友。  戻ることは、私の中でありえない。



 好きになる人が、私を好きになってくれる確率なんて、天文学的数字分の1。

 ってなげいていると、前出の友達は「うちもそう思う」といいながら、

 「でも、一回あったからいいやん。多分、またあるよ。」って。


  ああ、ないものねだり。


  でもな、星の王子さまのような人がもしいたとしても、申し訳なくて手出せません。

  声もかけられそうにありません。

  私のような女より、もっともっと似合う人がいそうやから。

  こころのきれいな王子さまを傷つけてしまいそうだから。

  どこかに、いませんか?。そんなひと?。おるわけないか(笑)。


  一体私はなんの話しをしているんだ・・・。

  今日は、大阪弁バージョンはるなっちで行きます。



  うちの息子はなんてかわいいんだろう・・・。

  一生懸命に、ご飯を食べている姿を見ながらそう思った。

  我が息子は、私にそっくり。うりふたつ。まるでコピーなの。

  まんまるの目に、ちっちゃい口、ぽちゃぽちゃしたほっぺ。激カワ(笑)


  言うことも可愛い。

 「なんで天流川はお母さんとお父さんのところに生まれてきたの?。」

 「えっとね、お母さんがさみしそうだったから、一緒にいようと思って。」


  ・・・・・。

  私が苦しんでいるときとかは、背中をさすりながら

  「あるくがいるからね、お母さんはだいじょうぶだからね。」

     といってくれる。ふー。いつまでこうやってしてくれるんだろう。



  まあね、自分のこどもがかわいく思えんかったら、そりゃ大変ってな感じやねんけれど

  それでもかわいく思えないときもあったのよ、これが。

  うちの天使のようなかわいい天流川でさえ、そう思うんだから、

  世の虐待話もうなずけるっちゅーもんや。


 沖縄で仕事していたときあまりにも忙しすぎて、自分にまったく余裕がなくなってた。

 イライラするから、どうしても子供を叱るときもヒステリックになってしまう。

 で、怒りながら、ああうちの母親みたいだーって、自分がイヤになってしまうんよ。

 今はね、生きるということに余裕が出てきたから、そんなことはなくなった。

 というか、誰とも会わず、話さず、当然イヤなこともないので、

 ストレスがたまらないだけ?。


 私と兄と父は、顔がとても似てる。つーことは?。

 息子の顔は兄貴の小さい頃にそっくりやねん。

 まわりのひとは「元夫はかっこいいのに、そっちに似ればよかったのに」

 姉ちゃんに「なんで、元夫はかけらも入ってないの?。」と聞かれる。


 私にそっくりなのには理由がある。

 なぜなら、私ひとりでこの子をつくったから。私は聖母マリア!。


 たまに、あるくの顔を見て、世界で唯一許せない男の兄を思い出して、
 複雑な気持ちになるときがある。

 別れた亭主にそっくりな子供を虐待する親の気もちっちゅーんはこんなんかなあ?。

 いや、でもさ、やっぱり子供をつくるってことはさ、それ相応のことをするわけだから、

 そんときは好きだったわけでしょ?。カンケーない子供を虐待しちゃいかんよ。

 腹が立つなら、元亭主を殴ればいいんじゃ。

 あ、ちなみに兄ちゃんとの子供ではありません。あたりまえか(笑)。
   ↑ いや、笑い話じゃないぞ。気持ち悪い。


 こうして、一日が終わってゆく。

 風が吹いている。気持ちいいよ。夜になってからのさんぽもいいね。

 沖縄と違って、星はあんまり見えないけどね。



 
 あしたも、すべての人に優しい風が吹きますように!。



2002年05月01日(水)  ◆ 涙の理由 ◆

 先日、東京でお寺に行って来た。
  友達Kくんの友達のお母さんがやっているお寺をわけあって尋ねた。


 もうずいぶん前のこと、Kくんがすばらしい人がいると言う。

「日蓮宗の方なんですけど、僕の友達のお母さんで・・・」


  ・・・日蓮?。日蓮正宗?。創価学会?・・・・。

  私の固まった姿を見てなのかなあ。

 「あの、日蓮宗です。正宗じゃなくて。」と、Kくん。

 「ああ。宗ね・・・。」

  と、その時はそこまでだったんだけど、今回の出張でお会い出来ることに
なった。



 同行者が住職さんと話しをするために、奥の部屋に入っていった。

 私は、手前の部屋の仏壇の日蓮さまをのぞき見て、ため息をついた。

 息子のあるくは、ちょっと離れたところで本を読んでいた。



 頭が痛い。重い。ガンガンする。

 肩が異常なほどに重く痛く、かちかちにこっている。

 タクシーに乗ったときから、ずっとだ。



 なんで身体がしんどいのか、なんとなくわかっている。

 すべてはこころのことだ。

 私は、過去を清算すると、決心をした。

 決めたら、やり通す、融通の利かないスパルタ人間だから、

 めちゃくちゃ単純に、自分を理解できている。 

 解決すべきこと、逃げてはならない問題を、目の前に突きつけられているんだ。


 すべてはこころの問題で、それが体に表されている。
 

 わかってはいるのよ。頭では。

 日蓮さまが悪いんじゃないってことくらいは・・・。

 けれど、日蓮様の奉られているその部屋に入って、私はため息をついてしまった。




 日蓮さまに手を合わせた。


 私の大事なすべての人を守って下さい。
 すべての人を良い方向に導いて下さい。

 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経・・・・・・。



 私が日蓮さまを見てため息をついた理由。それは、私の癒せない過去のこと。

 うちの母親は創価学会員だ。日蓮正宗の熱心な信者だ。兄も信仰していた。

 私も、小さいときから会合に出たり、朝晩の経文を唱えさせられていた。


 母様は「信仰すれば魂がきれいになって幸せになれるのよ」といっていた。

 でも、創価学会員の兄ちゃんは、日蓮様に信仰している兄ちゃんは、

 気が狂いそうになるほど私を虐待し続けた。

 こころの病気になるほどに、私を殴り、蹴り続けた。

 そんな兄妹を、創価学会員の母は黙って見ていた。

 顔のあっちこっちを腫らしたり、派手なアザで身体をカラフルに染めている

 そんな小さな私を、近所の創価学会員の人はだれも助けてくれなかったの。



 毎日、無理矢理仏壇の前に座らされた。

 ポロポロポロポロ・・・・・・・。

 お経を唱えはじめると、自分の感情とはまったく関係なく涙があふれていた。

 毎日、ぽろぽろ。泣きながら、マントラを唱えていた・・・。



   なんで、あんたは私を助けてくれないの?。


 そんな風に恨み言を言っていたときもあった。



 日蓮様を目前にして、そういういろんなことが甦ってきて、涙が出た。

 あの頃、私は感情を殺して生きていた。

 すべての感覚を鈍くさせなければ、兄を殺すか、母を殺すか、

 自分を殺すしかなくなっていただろうから。



 だから、私は私のこころを殺して生きていた。


 今回、日蓮様を見てね、ふとおもったんだ。

 あの時の涙は、私の殺したこころを助けるための涙だったのかなあ。



  理由なく流れ落ちる涙。


 それは、私のこころを軽くするための浄化剤だったのかも知れない。


 今も、南無妙法蓮華経と唱えると、涙があふれてくる。


 私の中には、子供の頃の、まだ私の心の中でうずくまって

 小さくなっておびえきって泣いている私がいる。


 解決できない過去の痛みに苦しんで背中を丸めて震えている子供がいる。


 その子を、早く助けたい・・・。


 オーラソーマをはじめたのも、自分を癒すためだ。

 ニューエイジといわれるものに、どうも???と感じる私。

 私はヒーラーの手を借りるのではなく、自分自身を自分で浄化したい。



 感情の起伏が激しくなって、子供の頃を鮮明に思い出すようになったのは、

 やっと自分にその準備が出来たからなんだろう。



 あの頃と共通する涙を流しながら、ふと思った。

 あの子も、時空を超えて、あの家で、今こうしている。

 このマントラを通じて、あの日の私をつながることが出来る?。



 痛む頭を抱えながら、小さい頃の私のために、今の私のために、

 経を唱えながら、涙を流した。

 
**********************************************************

 今、私とおなじような苦しみにいるすべての小さな子供を、
 どうしたら救い出すことが出来るんだろう。

 みんなが幸せになってほしい。
 ひとりの親の幸せ、ひとりの兄姉の幸せ、ひとりの教師の幸せ、
 ひとりの権力者の幸せ、ひとりの苦しみにこころ奪われている人の幸せ、

 きっとみんな、自分が苦しいから、人にも厳しくあたるんだよね。

 ひとりひとりが幸せに笑ってほしい。

 そうすれば、いつか、暴力のクサリを断ち切ることが出来るから。

 私は、私で断ち切るよ。あなたも、そうしてほしい。

 こころから願います。祈ります。まずはあなたが、幸せになってください。


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