こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年04月30日(火) ゴールデンウィーク 私にはかんけいないっ


  ああ、お金がない。G.Wあけないと、ギャラが入ってこなーい。あーうー。

  今、G.Wだから?なのかな?。わかんないけれど友達がふたり泊まりに来ている。

  でも私はお金がないから、どこにも行く気にならず、部屋にこもって仕事をしている。

  お客さんは、テキトーにくつろいでいらっしゃる。


  昨日の夜から雨が降っているよ。野菜さんたちも雨を喜んでいる。  

  窓辺においているセージの鉢の、日のあたらないところに、キノコが生えていた。

  かわいい。なんか、もこもこしたやつが。4つほど。

  これって、食べたら、笑えるかなあ。死ぬんかなあ。と思いながら眺めていた。



  今は雨もやんでくもり空。こういう日は、ぽやーっとしちゃうね。

  頭もあんまり回らないんで、書けない(笑)。

  インタビューしたものを、まとめていっている。だけど、こうやってさぼって日記を書いている私。

 ちゃんとね、仕事しないから、こんなに貧困なんだぞー。


まあ、のんびり過ごすのが好き。悪くいえば、ダラダラ好きだからしゃーないかあ。


 で、日記をさかのぼって書いた。

 4/26の恐怖の経験を書きました。

 これからは、仕事にもどろうって思うけれど、
 わからん、やっぱりさぼってほかの日の日記を書いてしまうかも。



2002年04月27日(土) 東京出張中ざんす

オハヨウサン。携帯から書き込みです。
今日は日比谷野音で、キナ昌吉アンドチャンプルーズのライブデス。
関東のかた、時間がある方、遊びにきてね。絶対いいから。
泣きなさーい 笑いなさい いつの日か 花を探そうよ
の歌を作った人だよ。
ハルナは、チャンプルーズのライブが大好き。自然な感情を思い出すことができるから。

今、メールチェックできないから、なにかあれば掲示板に!。よろひくー。
ただなんか知らんけど、見れるのにかけない。でも、見てますので。



2002年04月26日(金) 久々の恐怖体験

 
  あるお寺に行くことになっていたのよ。

  ちょっとした用事で。


  約束の時間は6時。目的地の駅に5時40に到着した。

  そこから徒歩で約12分、タクシーで3分といわれているところ。

  行ったことのないところだしタクシーに乗ろうということになった。


  タクシーの運転手さんに、もらっていた地図を見せて「ココに行って下さい」。

  走り出すと、その人地図を片手にぶつぶつ言っている。

  この人、ちょっとおかしいなあ。

  この人、ちょっと恐いなあ。


         と思いながら、すでに10分以上が経過している。


  「あのー、もしかして、道わからないんですか?。」と私。

  「いや、あの、こっちかなあ?。」と運転手。

    恐いっていうのは、変なことを言ったらキレるんじゃないかっていう、
    都会のテンパってるサラリーマン風だったのよ。
       ↑サラリーマンの方ごめんなさい。)

   と、しているうちに15分経過。



  ほんとうに恐かったのはね、運転手のことじゃない。

  電車に乗っているとき、考えていたんだ。

  「よく、霊関係のテレビとかで、邪魔されていけないっていうのあるなあ。

    本当にそうなったりして。」
 
  タクシーに乗っている間中、「これってそれ?。」とかそのことを考えてしまってさ・・・。
 
  ちょっと、お祓い関係のことで行ったものだったから。。。。。

 

  胸はどきどきするは、恐くなってくるわ。

  同行の人も同じことを考えていたようで、車の中の雰囲気悪くなってくるしね。

  子供も、なんかへんな感じしているし。

  ポケットの中で、クリスタルを握りながら汗をかいていた。


  約束の時間も超えちゃいそうだし、いろんな意味で恐くなって、私キレました。


  「地図かして下さい。駅まで戻って!。 はい、次の角右、つきあたり左。はいそこ右に入って。」

  で?。駅から2分で目的地に到着。

  「ワンメーター分しか払いません。当たり前でしょ?。」で、降りました。


 お寺にはいると、スッキリしてね。いろんな意味ですごくほっとした。


  で、そこでの用事が終わって、宿泊先のホテルのロビーに足を踏み入れた。
 
  すると、喜納昌吉の歌声が聴こえている。

  「すべての人の心に花を」を三線で弾いているのが流れていた。


  「なんだ、これ?。アルバムにこんなバージョンのなかったぞ?。しかも、ライブやん。」


  なんだろうと、不思議に思ってフロントで聞いてみた。

  「いや、普段はこういうのは流していないんですけど・・・。
   バーから聴こえて来るんでしょうか。」

  ???。私を歓迎しているのか?。ワシントンホテル?。

  バーに行ってきいてみた。
  「いえ、申し訳ありません、普段は流していないんですが。
  もしかすると、空調の関係で部屋のテレビの音が流れてきているのかも知れません。」


  「なんだろうね?。どういうことだろう・・・」

   と、友達と首を傾げながら、エレベーターに乗り込もうとしたその時、



  「お客様」

               と、バーの従業員が追いかけてきた。



           ・・・なんだろう?・・・・


  「あの、お客様。そのカバンから流れているようなんですが・・・・・。」



                げげげ・・。


   そうでした。私のリュックから、その歌は流れていたのでした。

  キャー。
 
  あまりの恥ずかしさに、エレベーターに急いで乗ってしまいました。


  先日新潟に行ったときの街頭ライブの音を、テープレコーダーでとっていたの。

 それを、今回の取材で上から消して使おうと思って準備していたんだよ。

 でもさ、私お寺を出たときから、ずっとリュックを背負っていたしさ。

 カバンを開けていないんだから、流れるはずないんだけど・・・・。


 うーむ。なんだったんだろう。

 けれど、その大恥経験で、その日のちょっとおもーーーい空気はいっぺんに吹き飛んでいった。


  ありがとう、昌吉さん。



2002年04月25日(木) ◆ 生 と 死 ◆


 ソクラテスに死が迫っていたとき、友人が、

 なぜ恐れていないのか、なぜ不安で悲しくもないのかと尋ねた。

 するとソクラテスは言った。

 「私はこう考える。

  死が来ない限り私は生きている。

  生きている時に、死のことを思い煩う必要があるだろうか。

  また、死が実際死がやってくれば私はもういなくなる。

  であれば、死を思い煩うものもいなくなる。

  死ねば私は跡形もなく消える、後にはなにも残らない。

  死後になにも残らないとするなら、なにも恐れる理由はない。

  一方、もし人々の言うように死んでも死なないのなら、

  死を思い悩む理由などなにもない。」

                 イーシャ・ウパニシャッド OSHO より

  私も、ソクラテスのように、潔く生き、潔く死にたい。

  死を恐れないということは、生を完全にまっとう出来るということだ。

  なにも恐いものなんてない。恐怖を克服すれば、人はなんだって出来る。


  恐怖、克服できるだろうか・・・。 うーむ。


  ◆ 夢とピザ ◆


 ソクラテスの話とはほど遠いんだけど。一週間ってなんて早いんだろう・・・・。

 月曜日は学校をさぼったので、火〜金なんだけどさ、あっという間。

 明日、再び東京に行きます。今回は、半分仕事、半分遊び。

 ピクニックに連れていってもらうらしい。なんて素敵!。



 今日は、ひさびさにピザをつくった。

 粉ものをこねるのが好きでね、発酵したあとの生地って気持ちいいんだわ。

 なんつーんでしょ、感触フェチ?手触りフェチ?の私にはたまらないのです。

 4日ほど前、朝御飯を食べながら息子の天流川(あるく)6才が聞いた。

 「おかあさん、昨日こねてたやつ、ピザ?パン?。どうしたの?。」

 私、最近そんなことしてないんだけど・・・?

 「あるくが学校に行ってる間に、ひとりで食べちゃったの?。」

  と泣き出した。なんでやねん。私は、そんなおかんかよ・・・。

 夢の中で私がこねていたらしくて、彼は食べるのを楽しみにしていたそうだ。
 それをふと思い出して、生ハムとバジルとトマト、ナスとブルーチーズのピザをつくった。

 と、振り返ったら、私の後ろでピカチューパジャマを着た息子が眠っている。

 さっきご飯食べ終わって、部屋に入ってまだ5分も経っていないのに・・・。

 BBSで紹介したカラーヒーリングのオーラソーマを彼もはじめたんだけど、

 天使が夢に出てくるそうです。あと、見たい夢を見れるようになったらしい。
 2日連続で、モンスターズインクの世界に遊びに行ってきたんだってさ。

 私がご飯の準備をしていると、「今日は天使に出てきてもらって、遊ぶんだ!」

 といって、天使の絵を描いていた。

 子供って、すごいや。

 ピザとかピカチューの夢よりは、天使やモンスターと遊んでくれた方がいいね。



2002年04月24日(水)  筋肉痛?。霊障?。運動不足らしい・・・

       ☆ きょうのにっき ☆


 身体がね。筋肉痛。イタイ。

 週末、重い荷物を持って延々歩いたでしょー。だから、それからずっと肩が痛い。
 なんか、すごくタチの悪いのにとりつかれてるんじゃないか?っておもうくらい肩が重い。
 やっぱり運動不足だったんだなあと、実感・・・。

 MACとカメラと、資料やら本やら入っているリュックを担いで、二日間延々歩いたからなあ。
 思いっきり日焼けしてしまったし・・・。

 それで帰ってきたらまたずーっと家にこもっている。(笑)動けよ、ってかんじ。
 また週末関東だから。それまでに気が狂いそうな量のテープを起こして
 原稿をまとめるんだよ。 ふー。
 でも、この仕事、すんごく楽しいから、やってて幸せなんだけどさー。
 あと二日、まとまるんだろうか・・。ちと不安。

 乗ってるときはかなりの興奮状態で仕事すすめているんだけど、テンション下がるときついなあ。
 でも、自分がやりたくてはじめたことなので、やりきるのだ。

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 今、食べているモノは ほんとうにこころの栄養になっているか?。

 今、見ているモノは  ほんとうにこころの栄養になっているか?。

 今、与えられているモノは ほんとうにこころの栄養になっているか?。


 なんのために生まれてきたの?。 なんのために生きているの?。

 そのことを深く考え直さなくちゃならないと思うんだ。

 ほんとうの幸せってなんなんだろうね。 

 物が満たされても、こころは満たされない。

 こころが満たされるためには なにが必要なのか。

 現在の生活ががらっと変わってしまうかも知れない。
 価値観が変わってしまうのは、恐いことかも知れない。

 だけど、与えられた生活、文化、愛では、

 人間は本質的には満たされないんだよ。


 自らで創り出す生活、文化、愛。

 今与えられているものよりも見た目は悪いかも知れない。

 今与えられているものより、洗練されていないかも知れない。

 でもね、自分でつくるって、ほんのささいなことだけど、とても大事なこと
 
 ほんとうに大切なことはなんなのか。ほんとうに大切なものはなんなのか。

 自分の足で立ててもいないのに、大切なものなんてまもれない。



 立ち止まって、深呼吸する優しさを、自分自身にあげよう 

 人に優しくするみたいに、ちゃんと自分にやさしくしてあげよう。 



昨日の日記

 ★ 戦争のタネ ★

  人が人に暴力をふるうのはね、こころが弱いからなんだよ。

 私は、自分の経験でそれを言うことが出来る。
 10代の頃、ケンカに明け暮れていた。毎日ケンカしてた。

 自分で言うのもなんだけど、かなり強かったと思う。

  自分の中で昇華できないイライラを、人にぶつけるのが暴力でしょ。
 でも、人を殴っても自分のこころも手も痛いんだよね。
 モノにあたって壊しても、自分のこころも痛いんだよね。
 人を殴っても、問題は解決しないんだ。

  暴力じゃ、なにも解決しない。

 暴力を振るうのは、こころが弱いからなんだ。

 恐がっているこころを隠すために、人は暴力を使う。


  どうしたら、人は幸せになれるんだろう。

  みんなが幸せになったら、この世から暴力はなくなると思うんだ。

  だから、せめて私くらいはもっと優しくなりたい。 もっと強いこころになりたい。

  大きなこころで人を包み込めるような そんな人になりたい。



2002年04月23日(火) こころの中を旅しよう


 こころの中を旅しよう すべてを受け入れよう。今、目の前で起こっていることすべてを。

 私を癒すことが出来るのは、私自身でしかないから。

 こころの中を旅しよう。
 自分がどこで詰まって、どこで転んで、どこで泣いているのか。
 自分をもっと知るために、こころの中を旅しよう。

 ほんとうのスピリチャル体験をするために、
 インドやネイティブピープルの聖地に行く必要はない。


 ほんとうに神聖なるもの。 それは、自分自身のこころの中にある。


 私はインドにも沖縄にもアメリカにも行って、
 インディアンのスウェットやセレモニーや祭りにも参加してきたけれど、
 私が見つけたのは、やっぱり自分のこころのなかにすべてがあるってこと。

 その事に気がつかないことには、世界中どこを探したって、さがしものは見つからない。

 探す気さえあれば、絶対に見つかる。

 それを表現する方法だって、ぴったりとはまるものが見つけられる。


   哲学の深さは、苦悩の重さに比例する。 

 なんかの本に書いてあった。なにに書いてたんだろう。やたらと納得した私。

 でも、その逆は有り得ないんだろうな。


  苦悩の重さは、哲学の深さ 
                 にはなり得ない。面白いね、真実って。


 与えるだけの愛は 一見美しく見えるんだけど それは不完全なもの。  

 与えて 与えられて
             循環してこそ 完全になる

  与えるだけの愛  それってエゴなんだよね。


 今日、私はそのことに気がついてしまった。 あー恐いね、真実って。

  私はね、今まで与えるばかりだった。与えているつもりだった。

  うーんとね。多分、すべては恐怖からきているんだ。


  愛されたいと願っても愛されないということが起こったとき
  それを受け入れることが 恐かったんだとおもう。
 
  でも、愛されたい そういう気持ちが強烈にわいてきた。

  これは、私が一歩前にすすんだ証拠。 


  多分ね、母親にほんとうの意味で愛されたことがなかった。父親にもね。 

 だから、私は自分が人に与えることばかりをしようと思っていた。みたい。

 相手のこころを期待してこなかった。

 だから、まともな恋愛ってあんまりしてない。うーん、ごめん。今までつきあった人よ。
 そういう人だから、子供の父親ともちゃんと一緒に生きていけなかったんだわ。
 実名だしてるサイトで、ここまで書いてる私も異常、かな?。

 まあいいや。これも、誰かの、なにかの、きっかけになれば・・・。

 巡りめぐって、愛が温暖化して、人類のハートが温かくなれば。
 私はそれでいい。


 与えてばかりの愛情。でもそれは、ただの強がりの私。
 ほんとうは愛されたいよ。
 当たり前だけどね、誰だってそうだけどね、私、今気がついた。どんくさー。おそーい。

 やさしくされたい、包まれたい。そう、ほんとはずっと思っていたくせに(笑)。
 そうじゃない、ふりをしていた。すまぬ、私よ。ずっと騙してて。

 ちゃんと、愛する人を見つけよう。愛して愛される、そんな関係を築こう。
 出来るかなあ。わからないけど、でも探しはじめないと、見つけられないから。
 今までと比べたら、まだ一歩進んだんじゃない?。


 忘れようとしている痛みがある。

 兄からずっと虐待を受けていた。小学校5年生から高校2年生になるまで。
 目の前で見ていた母は、そんな兄から私を庇えなかった。守ってくれなかった。

 誰も、私を守ってはくれなかった。誰も、私をやさしく抱いてくれなかった。
 誰も、私の髪をなでてくれなかった。

 中学生の時、連日の嘔吐と頭痛に襲われて、学校に行けなくなった。   
 病院に行っても原因がわからず、何件かまわったあと言われたことは
 自立神経失調症 だって・・・。

 食べても食べても吐く日が続いた。ほとんどモノを食べられない。
 兄の暴力と私を守れない母の虚ろな目にさらされて
  私は拒食症になった。

 なにがきっかけかは忘れたけれど、ある日食べれるようになった。
  兄がいないとき、冷蔵庫をあさって、ただ目についたものを口に入れ続けた。

 ただただ食べ続けた。  拒食症から過食症へ。

 一応食べれるようになった私は、外に出るようになった。
 学校に行かず街を歩いていると、おとなしそうに見えた私はよくヤンキーにからまれた。

 5、6人の女の子にトイレに連れ込まれて、「金だせや」って。 
 そんなとき、私は相手がかかってくる前に女の子のおなかにケリを入れた。

 一発で勝負は決まるよね。
 だって、私は殴られ、蹴られなれているから。痛いところはどこか、すごく知っているから。

 兄貴から受ける暴力を、ちがう人に向ける暴力で発散していたんだ。
 兄が与えるストレスを、私は垂れ流して他の女の子を殴って解消していた。

 今ならわかるよ。そういうストレスが、すべての人類のストレスが
 まわりまわって、戦争をつくってるんだって。
 
 兄の暴力からどうやって逃げたかって?。単純な話し、家を出た。

 ある日、ひどく酔っぱらって目が覚めたら、ホテルの部屋にいた。
 そこまでの記憶はまーったくない。
 東京に住んでいる8才年上の人。2年前くらいから知っていた人。
 たまたま出張で大阪にきていたその人の泊まっていた部屋だった。

 ラブホではなかった。目が覚めたとき、まだ処女だった(笑)。それはね、今でもほっとしてる。
 その人は、泥酔してわけわからなくなっている私を、介抱して部屋まで連れていってくれた。
  
 ガンガンしっぱなしの頭を抱えている私に、その人は言った。

 一緒に東京に来る?。

 え?。

 なんで?。こんな私を連れていってくれるの?。ここから?。
 助け出してくれるの?。

 私はそのまんま東京について行った。男の人に優しくしてもらったのは、はじめてだった。
 おままごとみたいな生活。仕事に行く彼を送り出して、ご飯をつくって帰りを待ってる。
 すごく幸せだった。うれしかった。毎日、幸せだった。

 でも、男の人ときちんとつきあうことが恐かったんだと思う。
 その人はすごく優しくて、不器用で、面白い人。全然暴力的じゃない。
 でも、一緒にはいれなかった。彼の問題じゃなくて、私の問題。
 人を好きになることが出来なかったんだね、私は。

 ミュージシャンとか俳優とか、遠くの手に入らない人を想うことは出来ても
 目の前の人と、ちゃんと接することが出来なかった。

 で、また逃げた。大阪に戻った。

 次に、こんな私を好きになってくれたのは沖縄出身の男の子だった。
 でも、その人のことも心底好きになることは出来なかった。ごめんね。

 その人は、私に素晴らしい道をもたらしてくれた。そう、私は沖縄と出会ったのだ。

 私を、私の家とそれまでの人生から連れ出してくれたこのふたり。
 彼らと出会えたことは、私は運命だとおもっている。

 なんで、私が今の私になれたのか、暴力を乗り越えて、
 こんなサイトを開くようになったのか、 それはまた次に・・・。

 でも、今、苦しんでいる人に、一つだけ言えるよ。 

 大丈夫、絶対に抜け出せる。

  生きてさえいれば、そこから抜け出そうと想い続ければ、絶対に道はある。

 死ぬな!。自分で自分の命を絶とうとするな。それだけは言いたい。
 
 死んでも、その苦しみからは逃げられない。 今、おわらさなきゃ。
 がんばって。
          私も、のんびりがんばるから。



2002年04月22日(月) ただいま!

 大阪に戻りました。19日から22日まで横浜、東京、新潟と出張してきた。

 19日は、アースデイコリア&ジャパン、アースデイ横浜、レインボーパレード関連の壮行会。

 アースデイっていうのは、4月22日を地球の環境のことを考えよう!
 という主旨ではじまった、地球規模で各地で行われているイベント。
  これまでにも沖縄でアースデイに関する祭りを何度かやってきました。
 
 今年は、ワールドカップが日韓共催でしょ。
 だから、アースデイも日韓共催にしたい!と思い立った人々が
 アースデイコリア・ジャパンというのを立ちあげて、
 あっちこっちに声をかけてまわったんだわ。

 その呼びかけ人が私の友達で、私もその主旨にめっちゃ賛同した。
 日韓だけじゃなく、日本韓国北朝鮮が
 みーんな仲良くできたらいいなあと想っているからさ。

 今回は、一緒にイベントをつくるというのは出来なくて、
 友達を紹介するくらいしかできなかったのね。

 で、ワールドカップ開催地横浜在住で、いろんなことに興味を持って
 いろんなことをやっているbちゃんをしょうかいしたら、
 そこからどんどんつながっていって。
 レインボーパレードもアースデイ横浜もつながった。

 私は、なーーーんにも協力できなくて、口を出しただけなんだけど、
 ひとつ横浜で素敵なことがはじまったんだなあという気持ちになった。

 具体的に動いている人たちはめちゃくちゃ大変だったと思う。
 ほんとうにお疲れさまでした。

 韓国と日本で交換メッセンジャーを派遣することになって、
 19日は、メッセージを携えて勧告にいく人たちを送る壮行会でした。

 横浜のランドマークタワーの中で行われたんだけど、いやー
 あんなおしゃれげな場所、なんて私似合わないんだろうって想いながら歩いた。
 
 翌日は東京タワーの下で、有事法制反対と反戦のパレード。

 21日は、アースデイ横浜のパレードに出る予定だったんだけど、
 喜納さんに同行することになって急きょ新潟へ。
 4/28の新潟の補欠選挙に出馬した無所属の黒岩たかひろさんを
 応援するためでした。
 新潟あつかったね。土井たか子さんや保坂展人さんもきてました。
 
 で、翌日東京に戻って、それからは喜納さんに延々インタビューでした。
 大阪に戻ったのは、夜の11時半。ふー。つかれたあ。

 最近全然歩いてなかったから、連日のパレードで歩き詰めはきつかった。
 でも、すごく楽しく充実した出張だった。

 帰ってきたら、植物はすごく大きくなってた。
 トマトなんて茎が異常に太くなってた。
 サボテンはトゲがにょーーんて伸びてて、かわいい花も咲かせてました。

 これから、詳細はさかのぼって日記に書く 予定 多分 かくはず。。。



2002年04月18日(木) 拷問のごとく、長い日記。ひとりよがり。誰が読むねん

 携帯が止まってた。お金もないし、めんどくさかったから払いに行かなかった。
  何日か止めといた。基本的に電話はあんまり好きじゃない。
  好きな人たちからかかってくるのはうれしくて、つい長電話になってしまうけど。
  好きな曲を着メロにしても、少し経つとイヤになる。(笑)。
  それがかかると、ふーってため息をついてしまうから。

  人と仲良くなるのが苦手。 知らない人と会うのが苦手。
 
  でも、なんとか仲良くなろうと思う。
  だからあまり親しくない人と話すと、自分が一生懸命になりすぎて、疲れる。
  で、あとで反省する。普通でいればいいのにって・・・。

  広く浅くという人付き合いが苦手。めんどくさい。
  浅く付き合うくらいなら、社交辞令の関係なら、いらん。

  関わるなら、徹底的に関わりたい。お互いに学びあって影響しあいたい。
  それぞれの良いところをのばしあいたい。
  で、どっぷりつきあって10年になるのが2人女の子。
  だれも、パートナーなし。あかんやん、それ(笑)。なあ。
 
  デブ、あ、まちがった。出不精だし、人嫌い?だからあんまり外に行かない。
  でも、週末出かけるのでしゃーないから、コンビニに料金を支払いに行った。
  ついでにダイエーの100円均一に行ってインタビュー用テープを買った。
  「なんか他に買うものあったんだけどナー」でも、思い出せなくって帰ってきた。

  スーパーに行くと、頭が痛くなる。目がチカチカしない?。
  なんでだろう?。電気が明るいから?
  洗剤とかの成分のせいかなあ?。人のエネルギーなんかなあ。
  わからんけど・・・。
  人のいるところに行ったのは久々で、ちょっと人あたりした。(人酔いね)

  帰ってきて仕事してたら、買い忘れたものを思い出した。
  プリンターのインクや。ため息つきながらまたダイエーに行った。
  紙もなくなりそうなので買おうとしたら売り切れ。なんかこんなのばっかり・・・。

  「外に出なくていいよ」って、環境が許されたら、私はぜーんぜん出なくても平気。
  公園とか河原とか、さんぽには多分出かけるけど、繁華街にはぜんぜん行かない。
  だからなんや?って日記になってるなあ。

  仕事に集中しているときは、何日も何カ月も人としゃべれなくなる。
  書きたいテーマが見つかると、そのことばっかり考えて、
  調べものするために本の山に囲まれて、MACに向かっているだけの 日々。
  この気質。自分が、男に生まれていたら、どんなに気が楽だっただろうって思う。
  でも、女に生まれたから、しゃーない。それを生きなくちゃ。

  今もまさにそうだ。
  自分が追い求めていたテーマをやっと表現できそうなところまで来てる。
  ほんとは、本に埋もれていたいの。家にこもっていたいの。
  洗濯も、食事も、後かたづけも、掃除も、ちょっとーだれかかわってー。
  ほんとに、まじで、誰か私を世話してくれないかなあ・・・って真剣に思う。
  かっこいい男の子だったら、なおよし。
  
  あと、ちょっと。あと、ちょっと。いろいろ、この世界のことがわかってきたよ!。

  私けっこう、バランス悪くって。人と付き合うのって難しいよね。
  だから、仕事してるときは大変だった。
  秘書をやりながら、事務員もこなしながら、イベントや祭りもつくっていた。
  当然、こぼれてしまうことも多くって、まわりのスタッフに
  迷惑をいっぱいかけてた。

  時間に追われて、イライラしたり、食事も外食や弁当ばかり。
  深夜3時4時まで仕事が終わらなかったりとかね。
  一番大事な存在の子供と過ごす時間もほんのちょっとしかとれなくて、
  天流川にも大変な思いをさせてしまってた。

  振り返ってみると、こうしてたらもっと出来たなあとか、
  あの時はああするべきだったなあとか、
  人にも自分にももっとやさしくなるべきだったって、そう思う。
  でも、今さらどうすることもできないから、今出来る最高のことをやろう。
  私にしかできない、私がやるべき仕事をやろうって、そう思う。

 私を卵から孵化させてくれて、心配しながらも外海に放流してくれた
 喜納昌吉http://www.champloose.co.jpさんにこころから感謝してる。 
 離れていても、なんだかんだと一緒に仕事はしているし、
 方法はちがっても、やりたいことはおんなじだから
 今は、盟友って感じかなあ。

 まあ、引きこもりがちなのは、アーティストだから仕方ない?。
 職人気質ってことで許してくれ・・・。



2002年04月17日(水) 自責の念 大量殺戮の果てに・・・


 雨ですなあ。大阪は今日、ずーっと降ってる。

 最近、私はアブラムシと闘ってる。
 ゴキブリじゃなくて、花につくちっちゃい緑の虫ね。

 ペーパーカスケードというかわいい花は、
 大群にやられてご臨終してしまった。
 で、チューリップも2つ咲かないなあと
 おもっていたら、中で繁殖していた。

 虫が恐いとかじゃなくて、殺していいんだろうかって悩んでしまうんだ。
 農薬を使わなくっても、牛乳を吹きかければ、
 死んでしまうというのは知っていたんだけど、

 自分が花を見たいものだから、野菜を食べたいものだから
 この子たちを殺すって、なんかおかしいなあ。

 どうしようか・・・・。と思いながら数日が経っていた。

 てんとう虫に食べてもらえばいいんだー!。
 そう、てんとう虫は彼らの天敵。
 無農薬ベランダ菜園には、救世主なのだ。
 無農薬でバラを育てている人は、てんとう虫を大量に買ってきて
 放すんだってさ。
 ただ、殺してしまうのはいやだから、かれらに食べてもらいたい。

 よーしつかまえに行こう!って公園に探しにいった。
 いない・・・。
 河原にいっても、いない。
 ううううーむ。
 どこにも、いなーい。

 私が小中学生の頃、てんとう虫って校庭で朝礼とかやってるときに、
 ぶんぶん飛んできてたものなんだけど。
 いまは、あんまりいないんだろうかぁ・・・。

 で、悩んだ末、牛乳をかれらにぶっかけました、本日。
 大量のいのちを無駄に奪いました。

 自分が食べる野菜のために・・・。


 構いません。

 「なんだよ、お前。
         なんだかんだ偉そうなこといって結局殺すんじゃん。」

 と、突っ込んでくれ!。

 牛乳くさい風を匂いながら、これはあの子たちの怨念か・・・

 と、悩む、私・・・。


 求む!てんとう虫!。

 もしくはアブラムシを食べてくれる虫、もしくは人。

 ふー。



2002年04月16日(火) お仕事一段落 ☆


 今日は、朝から雨が降っていた。窓辺の植物は大喜びしてるよ。

 仕事に夢中になっていると、ご飯を食べるのを忘れる。
 忘れるというか、つくる間の時間がもったいない。
 それと、頭が切り替わっちゃうのが、もったいないんだ。
 インスタント食品は家に無いので、「えーーい仕事が終わってから食べよう」
 と思っているうちに時間が経ってしまう。

 子供がいると、つくらないわけにはいかないのでつくって一緒に食べるけど
 学校がはじまってから、私の食生活は、ちと破綻気味。 
 今日も、煮干しをかじって飢えをしのいだ(笑)。
 いいんじゃない?。イライラしなくて。
 おいしかったから、いっぱい食べちゃった。

 なんとか、お仕事が一段落ついた。ちょうど、とりかかって16日目で一段落。
 お昼に原稿を送って、相手の反応をうかがおうって状態。
 と思ったら、沖縄から指令が来た(笑)。
 すごいタイミングだ。ふー

 面白いよね。偶然って、ないとおもう。
 
 相手のことを考えていると、その人から電話がかかってくる。
 最近、こんなことが結構ある。電話代がかからなくて、いいねぇ。
 でも、ネイティブの人とかは、みんなそうなんだってよ。
 私の場合、やっぱり電話回線はまだ必要なのだ。 

 あ、ちゃんとスーパーに行って買い出しして食べました。
 トマトを買ってかじって食べたら、あまりにもおいしかったので、 
 思わず、お日さまにありがとう。

 ================

 この前、神戸に行ったとき、安ーーいイタメシ屋で晩ご飯を食べたのです。
 友達と、あるくくんと3人でね。
 グラスワインの白を頼むと、なんだか気の抜けたのがやってきた。
 次に、赤を頼むと氷が溶けて薄まったようなのがやってきた。
 うーーーーーーむ。
 とおもったけど、いまさらボトルを頼んでも飲みきれないし、金もない。

 もう一回、白を頼んだ。そしたら、でてきたのは・・・。
 色からしてちがうのよ。
 匂ってみたら、まさに蒸留酒。それが、なみなみ注がれている。
 私はジンが苦手なので、うーーんと思ったけど、ちょっと飲んでみた。
 
 昔、ズブロカを小さいグラスに入れて、ジャンケンで負けたら一気飲み
 とかいう飲み方をよくしてて、翌日血を吐いたりしてたけれど、
 最近は強い酒を飲んでいないので、
 ひさびさのスピリタスのストレートは、くらくらきた。
 
 「今日は大阪までかえらなあかんから、飲まれへんなあ」
 ってことで、やたらとかわいい店員のお兄さんに交換してもらった。
 
 でもさ、ワインと、ジンを間違えて注ぐって、よっぽどダヨ。
 ちょっと面白かったなあ。



2002年04月14日(日) THE B.B.B.B.


 東側の部屋で寝起きするようになって早起きになった。
 窓にずらーーーーーーっと植物が並んでいる。

 朝の風は冷たくて気持ちがいい。
 私の部屋に入ってくる風は、
 みんなその植物たちが呼吸して美しくてくれたあとの風だ。

 太陽と緑に感謝しながら、乾燥させたセージに火をつけて
 そのけむりで部屋と私自身を浄化してもらう。

 今日も一日、おだやかなこころですごすことができますように。
 すべての人が穏やかな心になりますように。
 世界が平和になるように。

 朝のちょっとしたセレモニー。
 それで、一日の気分ががらっと変わる。

 気のせいでもね、自然にとけ込めるような気になる。
 


 今日は神戸に行って来た。
 なんかの祭り。よくわからないけど(笑)。

 THE BLACK BOTTOM BRASS BAND (つづりあってるかわからんけど)
 がライブをやるというので、遊びに行った。
 前回、沖縄に来たときにライブにいって
 めちゃくちゃ好きになったバンドだ。

 今日は、海の横の野外ステージで、なかなか楽しかった。
 完全燃焼!ってわけではなかったけれど、踊った、とんだ。


 燃えるライブ。暴れれるライブ。というのに最近遭遇していない。
 て、私が家から出ていないだけなんだけどね。

 4月27日は、喜納昌吉&チャンプルーズが日比谷野外音楽堂で
 久々にライブをやるので東京まで足を伸ばそうと思ってる。
 
 今日、活字中毒の発作が出た。
 金がないので、自転車を飛ばして図書館に行って来た。
 
 仕事の資料は、貸し出し中でなかった・・・。ううう。つらい。
 高いのよ、あの本。
 イスラム、アラブ、イスラエル、中東関連、国連、湾岸戦争
 最近のテーマであるそんな本ばかりを借りてきた。

 なんで人は争うんだろう。
  なんで戦争は起こるんだろう。
    争いを止めるにはどうしたらいいんだろう・・。

 10代からの謎が、今日やっととけた。気がした。

 で、それをまとめるために、MACにむかってる。
 自分なりの答えは、もう少しでまとまりそうだよ。


 おやすみなさい。
 明日も、多くの人にとってよき日でありますように!



2002年04月11日(木) 給食に牛肉が・・・


 今日も無事・あるく(小学一年生)は小学校に行った。

 となりのお家に3年生のお兄ちゃんがいて、
毎日どろんこになって仲良く遊んでいる。

 引っ越してきたばかりで、ひとりの友達もいないまま
学校に通いはじめたので、大丈夫かなあと心配していたんだけど、
なんとかやっているようだ。

 一生懸命に大阪弁を話そうとしているところがいじらしい。
沖縄のなまりがあるので、みんなとちがうことを気にしているようだ。

 それもそれで個性なんだけどね。
まだ小さいうちは「みんなとちがう」ということは、
かっこよくも、いじめの対象にもなりうるからなあ。

 特に「みんなと同じ」が一番とされている
学校の教育方針にどっぷりと漬け込まれる子供たちの輪の中では、
むずかしいね。


 で、もらってきた給食献立表を見てのけぞった。

   やはり・・・。

   牛肉があるんだよねぇ。

 沖縄の保育園に行っていたときは、狂牛病騒動以来
給食に牛肉は出ていなかったので、安心していたんだけど。


 だいたい月に2回ほど。
 お弁当を持たせてもまわりから変に思われそうだし、
もういっそのこと休ませてしまおうか。

 一応、給食のこともあるので
牛肉以外は普段食べるようにはしはじめていて、
鳥や豚や魚介も国産の物を選んでいるんだけどね。
ベジタリアンのお母さんとかは子供の給食、どうしているんだろう。

これ、最近の一番の悩みです。

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 例の稲、芽が出てきたよ。
 うちの父親は「籾」があるから育つのに、
「籾」もない玄米が育つわけはない!。
と言っていたけれど、なんとか育っているようだ。

 今は約3センチほどニョーンと芽が伸びている。
なんか、すごくかわいいよ。

 あとズッキーニもでっかい芽が出たし、
種から育てているサボテンもミクロの単位で大きくなっている模様(笑)。



2002年04月10日(水) 今日もよき日を



 昨日、大阪城公園でカニ・はまぐり・エビ・白子・イカの大バーベキュー大会をした。

 一応花見?。一応、すこしだけ桜が残っていた。一応、大阪城の天守閣が見えていた。久々にあう友達と火を囲んで酒を飲んだ。

 いやー、寒かったね。でもすごい楽しかった。終バスを乗り過ごして、というか2時くらいまで「寒い寒い」といいながら外で飲んでいた私たち。


 ほかのメンツは次のコースに行ったけれど、さすがに私は帰ってきました。で、眠い目をこすりながら、仕事三昧。書いて書いて書きまくった。

 夕方、さすがに頭がぼーっとして回らなくなったので、MACを連れて散歩に出かけた。公園で友達と遊んでいた息子・天流川をさらって、淀川まで歌を歌いながら自転車を走らせた。

 きたない川。いろんな物が流れていく。人間が垂れ流してどんどん汚して。そしてその水をいろんなクスリを入れて浄化して、また飲んでいる。バカだよね。最初に汚さなければ、クスリ漬けにならなくていいのに。

 川っぷちに座り込んで、流れていく水を眺めていた。
 水のようには思考は流れない。今書いているのは、家の中にこもっていたのではかけないような内容。
 自然にいろいろ教えてもらいながら、インスピレーションを与えてもらいながら、私の沖縄での8年間の総仕上げをやっているところ。
 早くまとめて、次の第一歩を踏み出したい。

 遠い向こう側の岸にも家族連れが夕方の散歩に来ている。
 夕陽も沈んでしまった。

 目をつぶって手を合わせて川に向かってなにかを祈っている天流川。

 ???。とみていると

 「淀川の水がきれいになりますようにって祈っていたの。」だってさ・・・。


 今日は、大切な人のお誕生日だ。
 おめでとうと電話をかけたら、まだ眠っていた。
 姉やん、生活 逆転してるなあ。

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生まれてきてくれて ありがとう 

“あなたがこの世界に存在している” ただそれだけで

ちいさい頃の私が どれほど支えてもらっていたかなんて

言葉では表現することはできません


生まれてきてくれて ありがとう

あなたは 私にとってつよいつよい味方です

生きていてくれて ありがとう


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          旅

   こころのなかのほんとうの自分

 目をつぶって こころのなかを泳いでみる

      過去を旅することは

       未来を旅すること

 あたらしい自分を創ってゆくことなんだよ





2002年04月08日(月) こころを載せる船


  文字なんて、ただの記号にすぎない。

  その記号に、どうやってこころを載せるか。

            本当に大事なのは、そのことだ。



    世界はどうなってしまうんだろう・・・。


 子どもが小学校に入学した。
 小説を書き上げた。
 沖縄での暮らしに区切りをつけた。
 大阪に引っ越した。ひまわりの芽が出た。
 義母が大変な病気になった。
 愛するものは大事にしようと強く思えた。
 姉貴と親友との時間を取り戻した。
 ホウレンソウが大きく育ちはじめた。
 無理をしていい子を演じる必要はないとやっと思えるようになった。
 母と兄貴とは断絶した。
 書きかけの本を書きはじめた。
 チューリップの花が咲いた。
 自分を取り戻しつつある。


 ただ、笑ったり、気持ちが晴れやかだったり、のんびり空を見たり。
 たったそれだけでいい。風に揺れる緑を見ていたい。
 そんなに大それたことを望んでいるわけじゃない。


 誰もが愛されたいと願ってる。誰もが愛したいと願ってる。

 みんながすっごくむずかしく考えすぎているけどね、ほんとはすっごく簡単なことだよって、私は私の愛するすべての人にそう言いたい。

 18才の冬、友達が自殺をした。
 その夏、沖縄でできたはじめての友達。
 あと3日もすれば、再会する予定だったのに。
 首を吊って死んだ。


 私の言葉がなんの救いにも、
 彼女がその行動を止めるきっかけにならなかったとしても、
 そんなことはまったく関係なく
 私には伝えそびれた言葉がある。


      「大好きだよ」


 私はあなたに会いたいと思う。

 もっともっと話しをしたいと願う。

 その伝えられなかった言葉が、私の口の中でずっとたまっていった。


 私は誤解されても、気持ち悪がられても、男でも女でも、大切な人には大切だよって、好きだよって、愛したいと思っているよって、愛してるよって、そう思ったときに伝えようと思った。

 一回の人生で出会える人なんてそんなに多くはない。
 それなのに、まわりの人を傷つけたり、どうしようもなく不幸にしてしまったりする。
 私も振り返ってみると、たくさんの人を傷つけて生きてきたよ。
 でも、ほんとはまわりの人を大切にしたい。
 出会えたすべての人が笑っていてほしい。

 いろんな過去があっても、乗り越えられなくて壁にぶちあたっていても。
 時には座り込んでしまってもいいし、後ろむいて逃げちゃってもいい。

 でも、自分で自分を傷つけることだけはしないでほしい。

 大丈夫。

 笑うために生まれてきたんだから。

 苦しい日々だって、いつかきっと抜け出すことが出来る。

 すくなくとも、私はそうだった。大丈夫だから。


 きっと、この地球上に住む、すべての人が幸せなこころに包まれない限り、争いは終わらない。

 それが、地球規模の戦争でも、ちいさなケンカでも原因はおんなじ。

 世界中が愚かな炎に包まれるのを見たくない。
 多くの人が死ぬのを黙って見たくない。
 なんどもなんども、同じことをくり返したくはない。

 だから、ひとりひとりが幸せになろう。


 まずは、あなたが幸せに笑ってください。


 言葉はただの記号で、組み合わせによって何通りものメッセージを織り込むことが出来る。
 私はなにを伝えることが出来るだろうか。

 それが知っている人でも、知らない人でも関係ない。
 もう、だれも殺したくない。
 だれも死んでほしくない。
 つくり出された戦争や紛争や飢餓や病気で人が人を殺すことに、もう耐えられない。


 この想いは、だれかに届くでしょうか。



2002年04月01日(月) 壊れた扉のカギはどこに?


 あう。またしても、変なスイッチ入っちゃった(笑)。

 書き続けてきた小説を、昨日書き上げた。お疲れさん、私。
 それで、某賞に応募した。さて、どうなることでしょう。
 400字詰め原稿用紙に換算して450枚ほどの小説。
 去年の7月頃から書き始めて、書いてはやめ、書いてはやめ。
 で、これじゃおわらんと思って、賞に応募することで自分に締め切りをつくった。
 いやー、やはり締め切りがないと、私って書けないや。


 これまで、なんちゅーんだろうか自分のかいてきたジャンルというのがよく私わからないけど、一応ノンフィクションばっかりだったので、物語をつくっていくというのはまったくの初体験。

 まあ、ミニコミをちまちまとやっていたときには、小説風?、なんちゃって物語?を書いてはいたんだけど、こんなに必死に取り組んだんははじめてで。なかなか面白かった。

 なんで変なスイッチかっていうとね。
 それだけ書きまくって、抜け殻になったかというと、それがちがうんだわ。 

 書くことの快感に目覚めたというか、最近こんなに長編をがーっと集中してかくことがなかったものだからねえ。
 抜け殻どころか、次のプロットがガンガン浮かんできてしまっている。


 さすがにね、最近は半徹夜状態がずっと続いていたから昨日は早めに寝たんだけど、今日は起きたらもう書きたくて仕方がなくてね、興奮状態が続いている。
 
 なんだこりゃ?、ランナーズハイかい?。

 でも、ぐっとこらえて洗濯したり大掃除したり、日常のことでさぼっていたことをちゃんとやったのよ。

 あと、書いているときからずっと「これが終わったら、これが終わったら・・・」と呪文のように唱えていた、ホームセンターに植物を買いに行くという自分との約束を果たした。

 今回は、野菜の苗いろいろ、セージ3種、ひまわりの種(今度はいろんなのが混ざってるやつ)、とかね。いろいろ。家庭菜園おばさんになってるよ。

 で、いろいろ家のことをやってても、熱はまったく冷めず、それどころか頭んなかでいろいろと構想が膨らんできた。

 ええい、このまま書いてしまえ!。

 パレスチナとイスラエルも、インドとパキスタンも、もーあっちこっちが大変なことになっているんだ。私は、ちゃんと思ったことを表現しながら生きてやる!。
 だって、それが私の仕事だから。

 沖縄のいろいろ感じたこと、世界を見て思ったこと、自分が今まで勉強してきたこと、全部出しつくして作品を書いていこうと、今さらながらそう決心した。

 またしても、資料や原稿に囲まれる日々だ。

 ふふ、でも結局はそれが好きなんだよ、私は。
 てなことで、この発作的日記も更新されたりされなかったりが続くと思うけれど、ご容赦下さいませ!。形になったら、ちゃんと報告するね。

 ちなみに、私の代表作は「喜納昌吉1948-2000 流れるままに」(エイト社)というもので、喜納昌吉さんのこれまでの歴史や「花」にまつわるエピソードなどいろいろ書いております。興味があれば、読んでみて下さいな。


 今は、なぜかエレファントカシマシのCDを聞いてる。
 むかーしのヤツね。叫んでるよ、宮本。


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