こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年06月28日(金)  こころの中に 花を咲かそうよ 



 今日は久々に外出してます。ってか、姉ちゃんちにきてるだけなんだけどね。
 いわゆる実家ってやつだよぉ。

 さて、私には“求めている”と、すぐに答えを何らかの形で受け取る事の出来る特異なスクープ能力があります。

 なんか今日は、書いててノリが違ーう・・・。
 マックじゃなく、姉貴のWINちゃんだからかなあ。
 ほんとは、家に帰りたいの。早く。ホームシック(笑)
   

6月26日の日記に、元お坊さんの原田紋寿さんから聞いた聖者の言葉に衝撃を受けたと書いた。

 「神と繋がって、世界を知りなさい。それから行動を起こしなさい。
  悟っていない人間が、世界を変えようとしても、混乱を招くだけです。」

  最近の私には、このことばがずっと胸に刺さっていたんだけどね、
  同じくタイで出会った青山圭秀さんの著書の中で、こんなことばを見つけたの。

  自分が完全であるかのようなふりをすること、
  自分の行いは完全であるようなふりをして、
  他人の行いを指導することは、大変な罪である。

  それは、人のためにならないからだけではなく、
  自分自身を毒するからだ。

  だが、人を助ける前に自分が完璧でなければならないと考えるならば、
  それも誤っている。 

  −中略−

  ある人が謙虚に自分の欠点を認めるならば、
  他人も助かり、自分自身も助かるのだ。


真実のサイババ P241 青山圭秀著 

 
 
  これはサイババが、帰依者に向かって語った言葉だという。
  私は、これを読んで、ブッダの教えのように、TAOの教えのように、
  やはり中道を往くべきなんだと思った。

  だからってわけじゃないけど、原田さんと青山さんの間を通ろうと思った。
  思い悩むよりは、まず行動だ。それが、私には一番似合っている。
  いろんなことを感じながら、こけたり、つまづいたりしながらも、
  良い方向に進んでいけたら一番いいよね。
  
  今日は、タイ行程記の3日目を書いた。
  なんか、それだけで一日終わってしまった気がする。
  青山さんが喜納さんを紹介した英文を、必死になって日本語訳した。
  やっぱさー、英語は勉強するべきだわ。
  今回、本当にそれを痛感した。自信持って英語を喋れたら、
  もっともっと素晴らしい人々と出会えたはずなのになぁ。

  笑顔は全世界の共通語だけれど、それだけじゃもったいない。
  そういう機会をせっかく与えられたのに、
  私は自分の勉強不足でそれを生かすことが出来なかったんだ。
  かなり、くやしい。   
  
  と思いながら、お昼ごはん&あるくのおやつにピザを練っていた。
  苦い味・・・・  はしなくて、
  なすびとバジルとほうれん草のピザは美味しかった。です(笑)はい。

  あとはね、やたらと袋中上人と、法然上人のことがちらつくのです。
  他の資料を探していると、あとからあとからこの二人の資料が出て来る出てくる。
   

7月7日の知恩院のこともあるし、ちょっと浄土宗について考える時期なのかもしれない。

  袋中上人は、浄土宗のお坊さんで、沖縄の慰霊の踊り(太鼓を持って踊るスピリチャルダンス)のエイサーが生まれるきっかけになった人。
  法然上人は、言わずと知れた浄土宗をひらいた方。

  最近宗教づいている?、というよりは、
  ひらかれた霊性に触れる機会が多くなってきているみたい。

  宗教という枠をとっぱらって、権威や争いや戦争をなくしちゃう
  その日に近づいているのかな?。 なんて、希望的観測。 
  
  でもほんとに、争いの根っこをがんがん抜き取っていきたいものです。
  最初にやるべきは、自分のこころの中の暴力性と欲望を抜き取る事だね・・・・。
  それが、いちばん むずかしいけどぉ

  って、こんな日記、誰も理解できないだろうなあ(笑)
  でもいいのさ。





   



2002年06月27日(木)  旗を掲げろ!

 私は沖縄に一人愛する人をおいてきた。
 その人はすばらしいアーティストだ。
 私たちがであったのは、2年前の6月30日。
 ああ、もうちょっとじゃない。今これを書きながら、その偶然に興奮してしまった。 

 その日、私が大好きな沖縄のインディーズバンド  「The CountryHunchbacks」
喜納昌吉のライブハウスに出演していた。

 ニライカナイ祭りのプレイベントだったので、私もそこにいてライブを見ていた。
 The Country Hunchbacksのヴォーカルたろうと友達だった彼女は、はじめて彼らのライブを見に来ていた。
 ぱっと見て、なんかきれいな人がいるなあと思っていたのを覚えている。 

 数カ月後、The Country Hunchbacksのライブの打ち上げに遊びに行った私は、
 その彼女と同じテーブルを囲むことになり、友達になった。
 きっかけはそんな感じ。

 私は、彼女と出会えて、いろんなことを知ったし、落ち込みかけるたびに
 妥協しちゃいけない、あきらめちゃいけないという、
 当たり前のアーティストスピリットを目前に突きつけられた。

いつも一生懸命に、自分に素直に、やりたいことをやりつづけようとしている彼女に、
 私もいつも励まされてきた。

10代の時からの親友2人に加えて、20代になってで来たはじめての親友。

ほんとは、これだけわかりあえる友達がふたりもいるから、
 もうだれもいらんよってこころのどこかで思っていた。

 でも、彼女はそんな私のところにガンガン入ってきて、
 きっちりとそしてでっかい自分の居場所を創りあげた。
 見上げた根性。そして、いい女。尊敬している。愛してる。


 その彼女から、すごい興奮した電話がかかってきたのが、6月の頭のこと。
 「はるなー。彼氏よりも先に報告したかったから、電話かけちゃったー。」 って、おいおい。私はめちゃくちゃうれしいんだけど。そりでいいんかい?(笑)。

 ひとつには、彼女のイラストが沖縄の大手ビールメーカーの
 Tシャツデザインとして採用されたという。すごい!。

 そして、彼女のコンテが沖縄の大手アイスクリームメーカーの
 CMに採用されるという。

それだけじゃなくて、そのCMソングに私たちの好きな
 The Country Hunchbacksの曲を使えることになったのだ。

すごい!。
 彼女の熱い思いが、コマーシャルになって、沖縄中に流れるんだ。
 もう、ほんとにうれしくなった。
私もタイに行く話しをして、お互いの近況をうれしく報告しあった。

 昨日、電話がかかってきた。
彼女はCMプランナーとしての役目をきちんと果たして、完成させたという。
彼女のCMが、7月1日から沖縄で放映される。
どんな反応が返ってくるのか、楽しみで仕方がない。

 友達って、いいねえ。
沖縄と大阪と、今はこんなに離れちゃったけど、それでも大事に想ってるよ。

 お互い、キチガイだっていわれたって、やりたいことをやりましょう。  
 やりたいことが見つけられた、幸せな人たちなんだから。

 そのいのちが消えちゃうその瞬間まで、絵を書き続けてください。
 私は、文字を書き続けるから。


  そのCMに使われる曲「ハタヲカカゲロ」


 
  ひたすらに純粋な自由を手に入れるのは

  あまりにも多くのものと ひきかえだということを憶えておけ

  なにかにいつも怯えながら 流れる赤い血もそのままに

  笑われて 叩きのめされても オレがオレであるために
 
  
  恐れるな てめぇのハタの名のもとに

  踏みつけられても ガキ共 ハタヲカカゲロ



  生きるということだけに 溢れて止まらない情熱を

  狂気にもにた この情熱だけを 握りしめ走り続ける


  振り向くな てめえのハタの名のもとに

  自分を信じて ガキ共 ハタヲカカゲロ
 
  真夜中のスピーカーから 流れる 歪んだ声にこころを奪われ
 
  ヒザを抱えて 泣いた 忘れない 忘れられるはずもない

  オレはオレのハタをタカクカカゲテ オレはオレのハタヲ・・・・



   



2002年06月26日(水)  満月の日は断食がいいらしい・・・。


 断食なるものをやっております、今私。

 「月の癒し」という本に今年の冬に出会って、続編の「自分の力で」というほんと合わせて両方読んでみた。

 月のリズムに従って生きていくという、とても単純で、とてもすばらしい生き方が書かれた本です。

 この本は、月の満ち欠けと星座をあわせて、その日をどういう過ごし方をすればいいかを書いてくれているものです。
 これまで、なんとなく月の満ち欠けを意識しながら生きていたけれど、
 もっと踏み込んだ、生活に密着した知恵がいっぱい書かれていた。

 だから、最近はすこしづつ星座のことも意識するようになってました。

 満月の日は、身体を浄化するのに新月の日に次いで効果的なんだって。
 それを知ってからずっとやってみようと思っていました。もちろん、減量のためではありまへん!。

 で、昨日だよね、満月。曇っててお月様はでてなかったけれど。

 お昼前にそのことに気がついて、そこからはじめたから、中途半端ではあるけれど、まあいいや。
 仕事をしないといけないので、目と脳みそに栄養を与えなきゃいけないから、
 ブルーベリーとハチミツだけは良いことにして、あとは杜中茶のみ。

 24時間が経過しました。

 私の感想としては、これ、おすすめです。 めちゃいいです。

 もちろん、ただの我慢って感覚でやっちゃいけないんだと思うよ。

 感謝とか祈りとか、大きなものにとけだしてひとつになろうっていう、
 そんな気持ちをもって過ごしてみると、ほんとにいろんなことが起こる気がする。

 朝、目がさめたとき、いつもと全然感覚が違っていた。
 
 今さっきまで、仕事をしていたんだけれど、でてくる文字が違うよ(笑)。

 体調やそれぞれの健康によって出来る出来ないはあると思うので、おすすめはしないけれど、
 それでも、私の場合。すごくいい経験をしました。

 まだ、続行中です。

 初心者なので、いきなり何日もってわけにはいかないから、明日の朝日が昇ったら、
 こころにも身体にも魂にも、栄養になるような食べ物を食べようと思っています。
 
 今、なんか幸せ気分ですよ。  って、最近いつもか・・・。(笑)

 ま、笑っているのが一番。幸せなのが、世界を平和にする唯一の方法だから。ね。


 おととい、高知の原田紋寿さんと電話でお話をした。
 この方はタイでご一緒させていただいた、元お坊さんだ。
 若い(って私がすでに若くないけれど・・・)人があまりいなかったツアーの中で
 原田さんと、作家の青山圭秀さん(理性のゆらぎ、アガスティアの葉の著者)
 の“感覚”が若いチームでよくお話をした。
 
 今書いている原稿の中で、原田さんの活動について少し紹介をさせてもらおうと思って、
 何をやってるんですかー?と、聞くために電話をかけたのだった。
 ちょうど、その時も講演会を終わらせて帰ってきたばかりだったという。
 多忙な方だ。
 
 原田さんは、子供の頃から世の中を良くするにはどうしたらいいんだろうかと考えていたという。
 学校をでて、社会にもでたけれど、どうも違和感を感じ、自分のやるべき仕事を探して、
 環境問題や精神の問題、社会、自然など、これらの多様な切り口で改善を計るための仕事を始めた。
 それでも、まだどうすればいいのか、悩み続けていた。

 そんなとき、インドで聖者にあった。その聖者にいわれたことは、
 
 「神と繋がって、世界を知りなさい。それから行動を起こしなさい。

  悟っていない人間が、世界を変えようとしても、混乱を招くだけです。」

 そして、彼はタイで出家した。
 タイの伝統の中に身を投じ、その修行を終えて、インドでヴェーダーを学んだという。
 今、彼は日本に帰ってきて、こころの成長を意識して、講演活動や様々な活動を行っているという。

 私は、電話でその話を聞きながら、そのインドの聖者の言葉にガツーンとやられてしまった。

「悟っていない人間が、世界を変えようとしても、混乱を招くだけ」

 私には、なにができるんだろうか・・・・。
 
 と、この数日間考え続けている。

 悟りはひらけなくとも、存在の懐にちかづくことはできるかな?と
 ちょいと清い生活をしてみることにした。

 今までの私を知る人には、衝撃的!かも知れないね。

 朝は断食の影響で6時前に目が覚めた。シャワーにはいって身を清め、太陽に祈りを捧げた。 
 息子の天流川を学校に送りだし、仕事を始める前に、掃除をした。

 そう、禅でもなんでも、修行の最初は掃除からはじまる。
 きれいにしていないと文章の神様だって、降りてこられないんだから。

 それから、5年前から延々やり続け、出版にこぎ着けることの出来ない
 私にとって、愛すべきでも大変な原稿を書いている。
 ところがね、順調なんすよ。ほんとに、文字がすらすらってかんじ。

 ま、清い生活なんて、この私の性格からしてずっと続けられるわけじゃないとおもう。
 でもね、一日だけでもいいじゃんか。二日続けば、すごいじゃない。
 3日続けば?。私にとっては、奇跡だよ。
 
 そんな素直な、気持ちで、物事に向かっていけば、きっといつの日か
 扉は開いてくれる。 今の私はそう感じています。

   こんな私を、キチガイだと思う人は、思ってもいいよーーーーん。
   だって、私は流那=ルナティック を自覚しているもの。 



2002年06月25日(火) 今日の私。  また、家にこもっています(笑)。


 こんにちは。はるなです。今日の大阪は曇りです。

 私は、ずっとコンピューターに向かっています。

 なのに、なぜ日記を更新していないか、タイ旅行記も途中のままなのか、

 今、最近感じたいろんなことを、自分の中で消化しながら昇華させるために
 
 準備をしているところなのだと思います。



 今ね、10年来の親友たちが家に泊まりに来ています。

 でも、私は彼女たちとあまり話しをすることなく、
 自分の部屋に閉じこもって、自分を見つめなおしています。

 リビングからはすごく楽しそうな笑い声が聴こえてきて、
 私もふと息を抜くために部屋をでると、大好きな人たちがそこにいるの。

 なんだかしみじみ幸せな感じです。

 言葉や感情にオブラートをかぶせない関係なので、ケンカしたり、
 仲直りしたり、互いの悪い部分を指摘しあって、それで反発したり理解したり。

 変に気を使うことなく、自分の時間を大事にしながらも、
 一緒にいる時間も大事に出来る。

 ほんとに、いいともだちだなぁって、この人に出会えてよかったなあって、そう思う。
 
 こういうことを、男性とも共有できればいいのになぁ・・・。てへっ。



  感じたことを、ひとつひとつていねいに

  かたずけていけば、必ずやれるんだよ。

  ちゃんと自分を信じてね。

  大丈夫、あきらめなければ、かならずやることはできるから。




  今ね、とても大事な仕事をしているんだけれど、ほんとのことを言うと、

  私は自分に自信がないの。


  そのことを、自分が出来るのか、自分がやるべきなのか。

  ほんとは、いつもそんな風に思ってしまう・・・。
  
  だから、自分を応援するために、こんな言葉を机の前に貼り付けています。



  自信がないなんて、言い訳にしか過ぎないね。

  自分がそれをやりたくて、やれる環境にいるのならば、

  あとは、すべての情熱を傾けて、そのことをやるしかない。

  だから、がんばってみます。   ありがとう。

  
  今日という日があなたにとっても すばらしい一日でありますように。

  いろんなものがあなたにささやきかけている、その声を聞くために

  あなたの こころと耳がひらかれますように。



2002年06月21日(金)  禅スピリット体感ツアー&ホタルの幽玄

昨日、帰ってきたヤツらは、奈良を満喫してきたようで、満足げにしていた。
お好み焼き&タコヤキをおなかいっぱい食べたあとは、みんなコテっと眠ってしまった。

朝目が覚めると、まず一番にしたことは、天流川の学校への電話。
親戚が来ているので、今日は家庭学習をするといって休ませた。
こんなオモロイツアー、学校休ませて参加させニャーかわいそうよね。

で、車2台に分乗し、京都へ向かう。京都とはいってもそんじょそこらの京都じゃないぞ。

タイでご一緒させていただいた臨済宗妙心寺派の宝積玄承さんが貫主をつとめる東光寺に行って、
 座禅体験をさせてもらったのだ。

 亀岡にあるこの東光寺。周囲が緑に囲まれてて、ほんとうに美しい。
 無駄に豪華な装飾もなく、まさに禅寺という感じで、
 一歩足を踏み入れると、そこだけゆったりとした時間が流れていた。
 庭もすごくきれいに手入れされていて、まさに禅スピリット!という感じデシタ。

 宝積和尚は花園大学での授業のためいらっしゃらなかったが、玄徳さんというお坊様が案内をしてくれた。

 この方は、禅に惚れこみ、この寺に来て2年になるというスイス人。

 日本語はぺらぺらで、すでに日本語で新聞も読めるという。す、すごい。

 し、しかも、めちゃくちゃ男前でした(笑)。


 禅堂に案内していただいて、作法を教えてもらい、いざ禅体験。

 6才のあるくくんも、神妙な顔をして座禅にトライしていた。

 体験ということで10分程度だったけれど、それでも子供にはながかったろ
うに。

 ちゃんと足を組んだまま、大人しくしていましたよ。

 まあ、一緒に行った8名の中で、悟りに一番近いのは天流川王子かも知れないけれどさ。


 スウェーデン人のダンも、禅体験に感動してくれて、みんな「またきたーい」連発でした。

 この東光寺さんは、泊まり込みでの修行も受け入れているので、

 夏休みにでも、私もトライしてみたいと思っています。

 京都国際禅堂 的真塾 http://www.tekishin.org


 そのあとは、京都の町にくり出して、清水寺の周辺や三寧坂を散策した。

 お茶やさんで抹茶とおはぎをトライしたダンは、おいしーと喜んでいた。

 急に大雨が降ってきたので、車に戻って家に向かっている途中、一号車から連絡が。

「なあ、せっかくやから、ホタルみにいこうやー」
 

 なんてすばらしいアイデア!。

 私の家から30分もかからないところに、摂津峡という峡谷がある。

 そこは、この時期ホタルがわんさかわんさか、光りまくるという。
 
 でも、今年は例年よりも時期が早くて、ピークは過ぎたあとだったんだって。

 ホタルは残念ながら数えるくらいしかいなかったんだけど、すごくきれいだった。

 川に映るホタルの青い光がね、ほんとうに幽玄に美しかった。



 最近の私は、ずっと幸せなんだよね。

 ささいなことなんだけれど、自然と一緒に、自然に近づいて暮らしていると、

 ほんとうに幸せを感じることが出来る。


 みんな、外に出てね。風を感じてね。

 ちいさな葉っぱ一枚からも、幸せや愛情を感じられるようになれば、

 一日中ハッピーでいられるから。


 あなたが、今日も幸せでいることが、まわりのみんなを幸せにすることだからね。


 





 ↑エンピツ投票ボタンです。押すと文字がかわります。

 だから、そのホタルは、めちゃくちゃ貴重なホタルだった!。






2002年06月20日(木) スピリチャルツアーのはじまり!



 わが家に友達が泊まりに来た。

 お台場のデックス東京ビーチで「刻印屋」(ほんとうにそういう名前でカートを出しているので行ってみてね!)をやっているカネコネカくんと、その妹プリティえみちゃん。そして謎のスウェーデン人Mrダンの3名だ。

 カネコネカとは東京に行く度に、会ってご飯を食べたり、
 家に泊まりに行ったりしてるんだけど、
 最近お互いが忙しくてゆっくり話す時間がなかった。

 そもそも彼とは、清田益章くん経由で知り合った。

 私が沖縄にいるとき、同じくデックスで「絵文字屋」をやっている
 藍浩之くんと一緒に旅行に来た彼らを、清田くんに「友達が沖縄に行くからよろしくね!」
 ってなかんじで紹介されて、案内したのが出会いだった。

 普段人見知りをする私の、緊張がぶっとぶくらいにすごい男だった。
 考古学を勉強するために南米の大学に行き、遺跡を巡るのが趣味。

 そして、宇宙にも興味があって、古代史好き。なんて、話が合うヤツなんだろう。 
 そして、いい加減なテキトーさ。日本人にしておくのはもったいない。あ、日本人の皆様ごめんなさい(笑)。
 いやー、ナイスガイなんだよぉ、こいつが。

 最初の沖縄では、一緒にレンタル自転車で那覇から南部まで、往復5時間の自転車ツアーにでた(笑)。炎天下の6月の沖縄(笑)。

 そのツアーで、自分が身体を使えば、いくらでも体力が湧き出てくる人だということを知ったよ。

 あと、思っていた以上に負けず嫌いなとこも。
 久高島に渡る港の前に、すごーーーい坂があって、斎場御獄に行くには、その坂を昇らないといけない。

 みんなはとちゅうで自転車を降りたけれど、なんか意地になってしまって、
 うん、登り切った。必死で。
 これをやれたら、私はなんでも出来るーって思いながら漕いでたから、途中でやめれなかった。
 あの坂を知っている人は、驚くでしょう。多分。

 で、南部巡りは、沖縄の最大の聖地斎場御獄に行ってきた。

 ここは、風がすごいの。吹き抜けていく。身体やこころにいろんなことを語りかけながら。

 久高島を一望するその聖地の拝所に座って、みんな黙り込んで、ずっとずっと風を感じていた。

 神の島・久高島には残念ながら船の都合で行くことは出来なかったんだけれど、

 彼らは、後日しっかりと島に渡って、いろんなことを感じたらしい。

 あとは、アダムとイブの伝説のある古宇利島。私は行ったことないんだけれど・・・。

 次は、是非行ってみたいなあ。

 
 石垣フェチのカネコネカのために、座喜味城祉にもいった。

 かれは、石にほおずりする勢いで幸せそうにいつまでも眺めていた。

 カネコネカと遊びに行くと、必ずスピリチャルツアーになってしまう。
 お互い、興味がそこにしかないからだろうけれど・・・。
 まあ、特殊なお友達です(笑)。

 で、こんな彼らとの珍道中は、明日の日記に書きますね。

 今日は、うちの姉ちゃんたちと奈良に行っている彼ら。

 帰ってきたら、お好み焼き&タコヤキパーティーなのだ。

 スウェーデン男児に、タコヤキの焼き方を教えてやろうじゃないか。

 と、大阪人はるなは燃えているのであります。



2002年06月19日(水) タオ・老子の教え と 風への祈り


  I have Three Treasures, The first is Love.

  The Second is, Never too much.

  The third is, Never be the first in the World.





 私は三つの宝を持っている。

 ひとつは愛。
 ふたつめは、足ることを知る精神。
 みっつめは、世の人の先頭に立たないこと。


 タオとは、2500年前に中国で生まれた自由な哲学。
 その普遍的な内容は、いまも色あせない光をはなちつづけている。
 ほんとうにこういう風に生きていければ、どんなにすばらしいだろう。
  
 自分の心の中の宝物が、まだ形になって生まれでてくれません。
 もうちょっとかな?。もうちょっとかなぁ?。


 
 いま、すごくいい風が吹いている
 やさしくて、つめたいのにあたたかくて 
 いろんな言葉を運んできてくれる風

 なんだか うれしくて涙がでそうなくらい
 こころが満ち足りるということは ほんとうに幸せなこと
 このやさしい風に、わたしの想いを託します。

 あなたのそばにもやさしい風が吹きますように。

 今日も一日
 あなたが目にするすべてものが
 あなたへの祝福でありますように 

 あなたが感じるすべてのものが
 あなたのこころを幸せで満たしますように

 あなたが口に運び身体に入れるすべての食物が
 あなたのからだとこころを育み慈しみ
 そして大いなる愛にとけだしますように

 こころの闇から生まれるすべての災いから
 風や木々やすべての偉大なる存在があなたを守り
 ただしい道へと導いてくださいますように


 そう祈りを込めて 風に願います

 すべての人に この風が めぐみをもたらしますように



2002年06月17日(月) 生とは流れる川・・・。  感謝とともに


 ただいまー。無事に帰ってきました。
 おおきなおおきな、抱えきれないようなおみやげをこころのなかに詰め込んで帰ってきました。

 6月12日から14日までバンコクの国連(仏教・宗教本部)で開催された
「精神指導者によるミレニアム世界平和サミット」に参加するためにタイに行ってました。

 会議自体もそうですが、今回ご一緒させていただいたみなさんがすばらしい方ばかりでした。

 慈愛とでもいうようなこころの栄養をみなさんからたくさんいただきました。
 今の私はこれをどう育てて開花させていくのか、どう生きていけば、
 それを無駄にすることなく、多くの人と分かち合っていけるのか、
 そういうことを考えています。

 世界中から、宗教・精神指導者と言われる人々が集まってきていました。 

 98年にアメリカ大陸を横断しながら、ネイティブ・アメリカンや平和活動家たちとともに祭りを行った、
 喜納昌吉提唱実施の「白船〜White Ship of Peace〜」でお世話になった、
 イロコイ連邦のチーフ、ジェーク・スワンプ氏も、会議に参加されていました。

 懐かしい人との思いもよらない再会に、胸を躍らせたと同時に、
 たとえ目には見えなくても、平和への想いや祈りはちゃんと
 つながり続けているんだという実感を得ることが出来ました。

 会議自体はね、あともう一歩踏み出せば、本当にすばらしいところまでいけるのに・・・。
 と少し物足りないところもありましたが、参加者一人一人は純粋ですばらしい方ばかりでした。


 宗教が戦争や争いを引き起こす時代を、ほんとうにおわらさなきゃいけない。


 そうじゃないと、地獄の製造主に成り下がってしまった武器商人の政治家や経済家たち、
 無意識によって世界を破滅にむけている一般の人々を説得することが出来ない。

 権力や権威や名誉、それらをいくら抱えたとしても宗教性は高まらない。

 本当のスピリチャリティーは、愛によってしか育まれることはない。

 そのことを痛烈に感じました。

 私たちには、まだまだ、やるべきことがたくさんある。


 私は、特定の宗教に属していません。

 それは、私が組織や団体や階級というものに意味を見出せないからです。

 宗教が犯してきた罪の数々をみていると、本当の宗教性を持つためには宗教団体は必要ではないのだと思います。

 もちろん、宗教によって覚醒する人もいる。だから、否定はしません。でも、私はどこにも属さない。

 私はあえていうならば、TAOやインドの最奥義ウパニシャッドや般若心経の世界が好き。

   That is whole.and this also is whole. for only the whole is born out of the whole;
   and when thewhole is taken from the whole,behold,the remainder is whole.
   Om. Peace, peace, peace.
   あれも全体 これもまた全体 全体より生ずるは 常に全体だからである
   全体より全体を取り出すとも 見よ 残るは全体である       
    安らぎよ 安らぎよ 安らぎよ
                      イーシャ・ウパニシャッド 

  それらの愛から生まれでた教えは、自分自身のこころに深く降り立つことを何度も何度も語ります。
 この瞬間瞬間を、意識とともに生きるということを語りかけてきます。

 上記の詩は、イーシャと呼ばれるウパニシャッドの経文の最初のメッセージで、イーシャ・ウパニシャッドは、この経文ではじまり、そしてこの経文で終わります。
 ウパニシャッドのメッセージは「すべてが神である」ということだと、私は受け止めています。

 それらの教えは、けして、争わず、否定せず、和合を求めるもの。
 それらを概念として頭にしまうのではなく、その精神と共に日々を生きるということがいちばんたいせつなこと。

 信仰せよ!、信じよ!、帰依せよ!、などとはいわず、自分のこころを見つめ
 目覚めとともに生きなさいと、静かに熱く語り続けています。

 それらが語り続けることは根源的にどの宗教ともつながっているもの。
 文明宗教はどこで、そういうこころを忘れてしまったんでしょうね。

 自分のこころや周囲を、意識して眺めていきてゆく。つねに、感謝とともに、祈りとともにね。
  私は、地球や宇宙といっしょに、生きていこうと思っています。



 今回の会議に足りなかったもの、

 それは、宗教という壁を超えてひとつになろうという勇気。

 そして、和合を求める気概です。


 強烈に人々の心を結びつけてしまえる爆発力。

 それが、ほんとうに必要なのだとおもいます。

 私にとっては、それが祭りであり、音楽であり、踊りであり、祈りであり、セレモニーであり、瞑想であります。
 これは、喜納昌吉からのうけうり(笑)。


 今回、国連が試みたことは本当にすばらしいこと。次は、そのスピリットを束ねていく作業が必要なのでしょう。
 それは、次の課題であり、早急に精神指導者たちが取り組むべき、今の世界にとって本当に必要なこと。


 これまでの日記とのあまりのギャップに、驚いている方がたくさんいると思います。
 でも、ここで書いているすべてが私です。いままで、あえて出してこなかった部分も、これからは書いていこうと思っています。

 いろんな感情があって、喜びも悲しみも怒りも嫉妬も苦悩も、すべてが私のこころから生まれているものだから。
 ここでは、私が個人的に感じたことを書いています。生意気に感じる方もいるかも知れませんが、お許し下さい。


 この一週間の日記を、ここ数日でまとめたいと思っています。
 掲示板で更新報告を随時行います。


 読んでくれて、ありがとう。
 あなたが、今日も一日しあわせでいられますように。愛を込めて。

                                はるななおこ



2002年06月11日(火) 喜納さんら一行の到着 そしてはじまり!


 いやはや、まいった。
 いつも旅に同行してくれる愛するMACくん。98年に大枚はたいて買った、この人。
 私はこの人がいないと、文章が書けないほどに依存してしまっている。
 でも唯一の弱点は、この子一人だと、プリントアウトもメールもできないこと。
 愛を込めて、私の思いをひたすら書き込んでも、私を愛しすぎているせいなのか誰にもその思いを共有させようと思ってくれない(泣)。

 このMAC、持ってきた意味があるのだろうか?なーんておもっちゃうんだけど。

 それはいいっこなし。

 しゃーないやーね。私といっしょでインには強いが、アウトには弱し。(笑)


 さて、喜納さんご一行が無事タイに到着した。

 チャンプルーズの公式サイトで私の書いた同行記をアップしてくれると言うことなので、
 こちらでは通常通り、はるなのどうしようもない日記を書いていくことになりました。

 
 それにしても、私はどこまでも伝説を創り続けるらしい・・・。クリエイターだ。アーティストだ。ふふふ。

 もともと、自分が今泊まっているホテルを決めたのはね、ご一行の宿泊ホテルの目と鼻の先だったからなんよー。

 ところが、喜納さんたちは事務局の都合でまったく別の、さらにグレードアップした?ホテルに変更になってしまったの。まあ、それはいいよ別に、ただ問題は距離・・・。


 ふふふ。駅で言えば7駅離れてた・・・・。くー。


 しゃーない。経費で出してくれると言うので、タクシーで移動するさ。

 でも、難点が。私英語ほとんどしゃべれないんだもーーーーん。ヒアリングは出来るのよ。
 なんとかね。っておもっていたんだが。タイ人の英語って、それもほら、タクシーのオッサンのしゃべる英語って、激烈タイなまりぃ。わからん(笑)。


 今日の昼、昌吉さんをホテルにて出迎えるために、タクシーに乗った。

 ホテルの前でひろったんだけど、いわゆるタイ人のタクシーだったさ。

「・・・・ホテルに行ってちょ!。」と、私。

「おー!・・・ホテルね。あっちはなー、ほんまにカフェ最高やでぇ。」とおっちゃん。

(もちろん大阪弁ではなく、タイなまりの英語。でも、こんな感じに聴こえた。)

「ほんまに、あっこでな、明日でもええから、コーヒーとハンバーガーをたべーよー。
 ねえちゃん,まじでうまいからなぁ。なんたら、かんたらー・・・・・。」

 最初はちゃんとメーターを動かしていたくせに、ちょっと経ってからふとみると、メーター切ってる・・・。おいおい、おっさん。

「で、そこまでは、なんぼなん?。メーター倒れてるけど。」

「え?。あ、ああ。300バーツでいいよ。」

 ちなみに1バーツは約3円。もちろん、1バーツの価値は、3円どころじゃーない。

 高い!。高すぎるとは思ったんだけど、もともと人と喋るのが苦手な上に英語でしょ、もう喋るのもなんぎなんで「ああそうでっか」と言ってしまった。

 で、無事ホテルに到着。でもさ、そのままの金額を払うのも悔しいから、
 ほんとはサイフの中に入っていた500バーツをないことにして、
 「あ!200バーツしか持ってないや。」といってみた。で、ごそごそ、
  カバンを探っているフリをしてると「もういいよ、200で!。おまけや。」とおっさん。

「ま。親切ね。ありがとう。じゃーね。」といって、タクシーを降りた。


 ホテルで待つこと約30分、日本からご一行様24名が到着した。

 各宗派のえらいさんばかりの団体で、いっしょにいさせてもらうだけで緊張しちゃうような面々でした。

 今後の打ち合わせを軽くして、会議用のパスのために写真撮影。

 一旦、一行は部屋に入り、休憩をして、中華料理店での再集合ということになった。


 参加者はふたつのテーブルに別れて、超豪華な中華を堪能した。

 私と喜納さんは日本代表団の団長である内田大円さん(インド文化協会会長)と、
 日蓮宗大本山妙法山妙尊寺の貫主斉藤蓮乗さんと、臨済宗妙心寺派東光寺の貫主宝積玄承さんら名だたる宗教者と同テーブルにつくことになった。
 その席では、さまざまな話題が飛び出した。

 でもね、その模様は、現在執筆中のタイ同行記公式版にてお伝えします。

 だって、あまりにすばらしい内容でさ、私のこんなおちゃらけ日記で紹介するようなことじゃないから・・・。


 つまり、世界を平和にするためにはどうすればいいのか、

     宗教が和合するためにはどうすればいいのか、

     という話し合いが延々と延々と続いていくのさ。

 私は、その場にいられる感動に鳥肌を立てながら、半分感動して泣きそうになりながら、

 北京ダックを食べていた。(って、ちゃんと食べてるやん・・・。)


 その感動をこころに、そして胸にはワインを抱えて帰途についた。

 だって、そんな席で一緒に酒飲めないじゃん。おそれおおくて(笑)。


 帰りのタクシーは正規のメーターを使ってくれて、一言も喋らない(私にとってはそれは最高!)運転手が乗せてくれた。

 でね、無事ホテルに着いたときメーターは、51バーツしか上がってなかった。


 くそー、昼間の運転手め!。150バーツ返しやがれぃ!。
  



2002年06月10日(月) タイ到着。&ペイイットフォワード

無事タイに着いた。

飛行機の中で「ペイフォワード」を読んでいた。

だめです。飛行機の中で、号泣です(笑)。本当に、胸が苦しくなってきます。

授業の課題でだされた「世界を変えるにはどうすればいいか」

というテーマに対して、12歳の少年が考え出した答え。

それが、ペイ・イット・フォワード

まず、世界を変えたいと思った人は、3人の人に

「そのひとがしてもらいたいと願っている事」をする。

それをしてもらった人は、その感謝の気持ちやお礼を

してくれた人にかえすのではなく、

全く違う別の3人に同じことをしていく。

ひとりの純粋な少年からからはじまった、ペイ・イット・フォワードは

3人、9人、・・・・・・・。延々と広がり続ける。


その結果、世界はどうなっていくか。


映画で公開された時、すごく話題になって、私の回りの人は大体見ていた。

何人にもすすめられて、 「はるなは絶対に見るべきだよ」といって、

映画のパンフレットまでくれた友達もいたの。


でも、映画はまだ見てない。

目と耳で感じるより先に、原作を文字で感じたいと思っていたから。

成田へと向かう途中、ふと立ち寄った古本屋さんで100円で売っていたそれを見つけて、

ああ、今こそそのタイミングじゃないかな?って思った。

タイ航空に乗り込んで、いくつかの用事を済ませて、読みはじめたの。

もうね、しょっぱなから、やられてしまいました。
ラストがどうだとか、私の回りでプチ論争があったけれど、そんな問題じゃない

これこそ、文魂。 言霊、文魂、音魂、のうちの文魂だとおもった。

何度も書いているけれど、言葉や文字というのは、ただの記号であって、
大切なのは、何を伝えたいかという、その気持ち。

文字という記号に、この作家はとてつもなく偉大なスピリットを載せて

世界中の人の心へと運んでいる。

もう、私が何を言うよりも、ぜひ、この本をよんで下さい。お願いします。


こういう、グレイトすぎるものにであってしまうと、自分の力の無さを感じてしまうね。
でも、まだ、これから私も頑張るのです。

形や表現は違っていても、ちゃんと文魂を表現できるようなアーティストになりたい。

だから、すべての細胞を触覚にして、目にみえるもの、見えないもの、

触れるもの、触らざるもの。

そういうすべてを感じて、感じた事を私色に描いてみたいと思ってます。



さて、もう間もなく喜納さんたちがタイに到着します。

いったい、どんな事が始まるんだろうか。

「すべての人の心に花を」 そんな世界の実現を夢見て、では行ってきます!。


そうそう、タイ滞在期間中のはるなあてのメールは、
haruna867867@hotmail.comに送って下さい。

ちなみに、おみやげ催促メールは、受信できない設定になっています。



2002年06月09日(日) 国連ミレニアムワールドピースサミット 行ってきます!。


 今、成田のホテルでこの日記を書いています。

 でもね、部屋にモジュラージャックがなく(泣)、わざわざフロントまで降りてきた。

 グレーのISDNの公衆電話の下に隠れているコンセントに、MACの電源をさし込み、

 「さて! コードを」 とおもったら、どこを探してもない・・・。

 カバンの中をすみからすみまで探したけど、入ってない。

 うん、そうなんよ。さっき部屋でね、ネットしようと思って出したのよ・・・。

 で、ため息を付きながら部屋までとりに帰った。

 気を取り直し、コードを差し込み、ついでに電源も確保して、

 さて、10円10円と思って電話機を見直すと、おいおい、カード専用やん・・・。

 テレカ?そんなもの、もってないよ。ていうかさ、いまどきテレカなんてみんな持ってるの?。

 ええ、私は持ってませんよ。で、フロントに聞きにいった。

 もっちろん、MACは全部撤収してリュックの中に。

 「すいません、テレカじゃないISDNの公衆電話はありますか?。」

 「いえ、ございません」

 うっ。にゃんだとー。


 仕方なく、テレカ買ったさ・・・。1000円も出して。

 私のネット環境は、dionのコミコミってことは、電話代はいらんのよ。

 電話代はいらんのだけれど、電話を繋ぐために1000円。

 1000円?・・・・・。 

 こんだけあったら、タイでどれだけうまいもんが食えるんだろうか・・・。

 さっき、メールチェックして、ピピーピピと戻ってきたテレカ?

 ああ、未使用状態さ。 ふー。

 悔しいからじゃないけど、日記も書いちゃいます。
 昨日の日記もアップしたけど、あまりにバカっぽくて、
 人格を疑われそうなので、出来ればよまないで下さい。お願いします


 さて、今日は科学技術館で行われた意識波動医学研究会主催のイベントで
 喜納昌吉さんが講演をするということで同行してきた。
 約一時間の間にトークと軽いライブをやった。
 今はちょっと疲れ過ぎてて書けそうにないけれど、タイにいく飛行機の中ででも、
 講演会での昌吉さんの発言や、感じたことなどをまとめたいと思っています。

 内容?。すごくよかったです!。

 喜納さんとの衝撃的な出会いから、10年以上経つんだけど、

 三線一本で歌う「すべての人の心に花を」と「愛は蓮華」は、鳥肌たちます。

 声が声じゃないみたいなんだよね。なんだろう、スピリットの塊。なのかな?。
 
 そのうちにね、報告しますね。



 えー。タイですが、何しにいくかっていうと、
 マスコミ発表もすんだことですので、私も発表します。

 喜納昌吉さんが、国連主催の宗教精神指導者 代表者会議というのに出席し

 スピーチをすることになりまして、私も同行取材させてもらえることになりました。

 これは、とてもすごいことだと、自分では思っています。大興奮です。

 宗教精神指導者が世界から一堂に会する場です。

 イスラエルもパレスティナも、今の戦争の大半は宗教がらみ。

 ユダヤ、キリスト、イスラム、ヒンズー、仏教・・・・・・。

 この宗教たちってば、今までどれだけの人を殺し、血を流し、傷つけてきたんだろうか。

 「なんで、お前ら宗教指導者、その戦争を止めないんじゃ!」って、前々から思ってる。

 いろいろしがらみあるのわかるけど、そんなことをいってるヤツは、宗教を語る資格はない!。

 いや、逆に宗教の枠にとどまって、団体や権威を作っている人たちだから、

 そんなものなの?とまで考えちゃう程です。ほほほ・・・。


 私思うに、霊性と宗教はまったく別物です。

 ほんとに、神や存在や宇宙を感じるには、宗教は必要ない。

 もちろん、宗教を媒体にして、なにかを感じる人もいるでしょうから、否定はしないけど。

 でも、ひとりゆったり、自分のこころ深く入ってみることも大事だとおもうのです。

 さて、そんな私は、世界中から宗教者がやってきて、平和について、

 人類の未来について、真剣に討論するのだと思うと興奮せずにはいられません。


 自分が何かを出来るわけではないけれど、その場の空気を肌で感じて、

 ちゃんと言葉に紡ぎだしたいと思っています。

 毎日は無理かも知れないけれど、タイにいっている間、会議などの報告をこの日記でつづっていきます。

 興味のあるかたは、またのぞきに来て下さい。


  では、明日もはやいので、このへんで!。

   (いやー、昨日とのギャップひどいわ(笑)
    でもね、それが私ですし、それがにんげんっちゅーもんよ!。)



   



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2002年06月06日(木) 虹のつくりかた。 目に涙がなければ虹はみえない


 昨日、家の近所の大きなホームセンターに行って来た。

 タネから育てている野菜がそろそろ植えかえ時期なのと、
 この前奥多摩に行ったときに連れて帰ってきたコケ三種の
 永住の地を探すためにね。

 あと、水撒き用のホース。これも前々から欲しくて、仕方がなくて、悩んでいた。
 ベランダに水道がないので、ジョーロで何回も何回も往復しながら水をまいている。
 でも、それも朝晩のこころ休まるひとときって感じで、すごいたのしいんだけどね。

 いろんな花の苗を見ながら、「あ、これ買いたい!。」といくつか思ったけれど、
 自分の家の状況を思い出して、なんとか踏みとどまった。
 なんせわが家は、これ以上葉っぱ増やしてどうするん?状態なので・・・(笑)。


 で、水撒き楽しんでいるくせに、なぜホースを買ったかというとね。

 あのやさしい水が空中にちらばっていく感覚が好きなのね。あと、虹が見えるのも!。

 水撒きといえば、「月とキャベツ」(1996年 篠原哲雄監督 山崎まさよし主演)で、
 群馬の田舎でキャベツを育てている主人公花火(山崎まさよし)が、
 肩に水タンク?を担いで畑に水をまくシーンがすごく印象的に残っている。

 ホームセンターでホースを見る度に、そのシーンを思い出すんだけど、
 そんな大量の水を肩に担いで水撒きしてもしんどいだけで、
 たのしくないっちゅーねん!といつも自分にツッコミを入れて自制していた。

 ここまで「ふーん」と気軽に日記を読んでいた姉が、ココですごく驚くと思うんだけど。

 来週、私タイに行くんですけど。その間、息子の面倒を見に家に来てもらうわけだ。

 で、家にいるわけだから、水撒きもお願いしたいんだけど・・・・。

 さすがに何往復もしてもらうのは申し訳ないんで・・・。

 って感じで、ホース買いました。(笑)

 なので、よろしくね。←昨日の驚き話に次ぐ第二弾じゃ!(for姉さん)


「タイに行くかもしれんねんけど、そしたらあるく見ててくれる?。」とちょっと前に姉に電話したとき、
「ええで!」とめちゃくちゃやさしくすんなり引き受けてくれた姉。

 でも伝えたつもりが伝わってなかった一件があって、昨日「え?。まじで?。嘘やろー。あんたなにかんがえてんの?。」といわれた。笑いながらだけど。

 結局は、問題なしだったんだけど、姉は姉で私の妹気質に驚いていた。


「お前は、日記で偉そうなこと書いてて、ほんまにそういう性格はあいかわらずや。
 なんで、そんなに脳天気にちゃっかり妹っぷりを発揮してるねん!。
 妹は世界平和を願ってそのために海外行くけど、姉は自分の平和もなしかいな。」

  すんません姉様。

「もう、あんたなんか妹じゃない。私は一人っ子!。」
「なにがよ。」
「妹はなぁ。かわいらしくて、姉ちゃんのいうことを何でもきくもんや。」
「そんなもんなん?。姉ちゃんの役割は?。」
「・・・・・。」 
「え。じゃあ姉ちゃんやめるってことは、私とはどういう関係なん?。友達?親友?はずかし。」
「あほか、主人と、奴隷じゃー。」
「えっ?、どっちがどっち?。」

「 ・・・・・・・。

 もう、全部日記に書いたろか。はるなの裏側っていって。裏暴露日記付けたるーー。」

 姉ちゃん。まじで、それ、お願い。それって、かなりおもろいです。

 あいかわらず、仲の良い姉妹です。一緒に住んだことがほとんどないからかも知れないけどね。
 でも、30前後の姉妹の会話って、これでいいもんなんかいな?。


 だから、お姉ちゃん、水撒きお願いね!。天流川にやらせてもいいからぁ。


 長期休暇中の姉が、やっと本調子で遊びはじめようとしていた矢先の大阪に戻ってきて!嘆願だったらしい・・・。ふふ、すまぬ。姉貴よ。

 なんだったら、学校休ませて、いっしょに遊びに連れてってもいいから、というと、

「ほんまやなあ、富山!とか、ディズニーランド!とか連れてっていいの?。」

「一週間くらい休ませてもいいよ。」

 いいです、いいです。

 結局、なんだかんだといって、めちゃくちゃ天流川のことが大事で仕方がないんだよね・・・。
 ありがとう、おばさま。



 今朝、太陽サンサンの中をホースで水をまいた。

 結構厳しくなり始めている陽射しの中で、水がキラキラと光っていた。

 トマトも赤く色づきはじめてて、朝の甘露をうれしそうに全身に浴びている。

 ちょっとホースの角度を変えたとき、虹が現れました。うれしいなあ。

 これ、簡易虹製造器。幸せ気分になりたいときは、みんな水をまきましょう。


  タイトルの「目に涙がなければ虹はみえない」っていうのは、
 
  ネイティブ・アメリカンの言葉です。


 あと、今日の幸せはね。

 里芋を育てているんだけど、イモ系の葉っぱって、蓮の葉っぱににてる。

 沖縄で恐ろしくでっかく育つクワズイモも、質感が蓮ににている。


  で、やってみた。


 霧吹きでシュッと、葉っぱの上に水を吹きかけた。

 すると、ころころーんと水の珠が、葉っぱの上を軽やかに転がって

 きらきらひかるクリスタルのしずくができた。

 うれしくて、あまりにきれいで。

 葉っぱをゆらしたり、もっと水をかけてみたり、幸せな一時を過ごしました。


 
     さて、今日もがんばって仕事するか!。





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         お見事!。さすが私の息子。ことの本質をよくご存じで!。
 



2002年06月05日(水)  虹の探しかた。それってある意味 幸せの探し方でもある、よ!。

 6月3日の明け方、ピシャーン、ドーン、バシバシバシッ

 そんな激しい音で目が覚めた。

 なに なに?。

 ゴロゴロゴロゴロ・・・。ドシャーン

 かなり近くで 激しく雷鳴が鳴り響いていた。

 なんだかうれしくなって、身体を起こして窓の外を見ると、東の空がほんのり明るくなり始めていた。

 半分寝ぼけながら南西側のベランダに出た。

 

 遠くの神社の大きな木がぶんぶんと風に揺れて、しなった枝がおいでおいでをしているように見える。
 

 東の空の 強いオレンジ色の朝日。 西の空の 明けゆく青い空。

 晴れきった南の空には 自在に空を翔る龍のように 大空を踊るように稲光が縦横にはしっている。

 深い青い空に光る稲妻、その数秒後に左から右へと走り去るように すさまじい音が鳴り響く。
  

 きれい。


 虹は?。雨は?。

 探したけれど、それはみつからなかった。

 まだおひさまが昇りきっていないから、虹もまだ眠ったままだったんだろう。

 

 私はよく虹を見せてもらえる。 
 

 その話しを友達にすると「なんで、そんなにみれるの?。」と聞かれた。

 「ん?。だって、虹に愛されてるから。」 冗談まじりにそう答えた。

 「そだね、虹に愛されてるから、男はいらないね(笑)。

  虹に愛される女は、男に愛されるより、なんかかっこいいよ。」
 

  ・・・・・・・。


 多分ね、私は いつでも空を見ているから。雲を見たり 風を見たり ただ空をみたり。

 部屋で壁をみているより、空をみているほうが断然きもちいいもん。


 朝、おひさまがその顔をみせてくれたあと、真後ろに振り向いてみて!。

 大気が水分をおびて、虹の神様がその気になれば、

 七色の橋が見えるかも知れないよ。


 そういえば、私は沖縄ではほんとによくみていたよ。 

 なんでかっていうとね。 朝日が昇るまで、飲んで、ふらふらーっと家に向かって歩いてると、

 でーーーーんっと、目の前に 「 また 朝帰りかー 」 って、虹が仁王立ち。

 ふふ。虹を見た時って、幸せだよね。理由なく幸せになるもんね。

 それって、ほんとに地球の愛をうけてるんだなあって、そう思う。


 欠けてゆく月。それも美しい。
 
 昨日は深夜4時前頃に顔を出していた。

 月はどんな姿をしていても美しい。 ほーーっとなる。
 
 月のリズムで生きていく。地球とともに 自然に、天然に。

 そうしたいです。こころからそう思います。

 今の時期は4時半頃に起きると 最高じゃないかなあ。

 ダイナミックな地球の営みを見ることができるから。

 朝日ってすごいエネルギーを持っているような感じがして

 それを見ているだけで、一日幸せに暮らせそうだよね。  


 仕事部屋で原稿を書いていると、風が吹くたびに ふわっと花のようなハーブのような

 甘くてさわやかな香りが 伝わってくる。 なに?。このしあわせっぽい香りは?。

 気になって、窓から顔を出して ベランダの植物たちの匂いをかいでみたりしてた。

 でもちがう。どの緑でもない。なんだろう・・ってここ2〜3日の謎だった。

 さっき、解けた。 笑ってしまった。

 カラーとハーブとクリスタルでつくられたオーラソーマの香りだった。

 自分で首につけてたやつなんだけど。(笑)すっかり忘れてる(笑)。

 香水といっしょで、つける前の香りとつけた瞬間とそのあとの香りが違うみたい。

 最近、色を変えたので、香りもかわってたんだけど、気づかなかった。

 いや、だからなに?ってかんじの話しでしたが・・・。





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2002年06月04日(火) 色即是空 空即是色 無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。

 
 原稿が書けないときとか、約束の時間に遅れそうで走っているときとか
 公共料金を払いに行くのがイヤでイヤで、それでも払いにコンビニに出かけないといけないとき(←自分の社会不適合さ加減を深く知って)

 もうこんな私みたいなやつははやく死んだ方がいいよなんて思ってしまう。


 で、逆にいい原稿が書けたときとか、波に乗ってすらすら書けちゃうときは、
 私って天才!とか自分で思っちゃったりする。

 どうでしょ。世のみなさん。私だけ?。それともみんな、そんなもんなのかなあ。

 なんだか、ものすごく、とてつもなく、自分にとっては偉大な仕事を今やっている。

 そういうことをやりたくて、生まれてきたんだよって言い切れるくらいの!。

 で、ほとんど徹夜状態なんだけど、それでもまだ興奮してる。

 今朝、息子を学校に送りだしたあと、仕事に夢中の頭をクールダウンしようとして、

 おととい古本屋で買った、中山可穂の「白い薔薇の淵まで」を読み始めた。

 寝ながら読もうと思って読み始めたのに、結局最後まで読んでしまった。

 寝れなかった。

 また小説を書きたくなった、こころから。




 週末からはまた関東に行って、週が開けたらちょいとタイに出張。

 初タイ。移動はひとり。ドキドキ。それも興奮のタネ。

 この詳細は落ち着いたらちゃんとアップするので。お楽しみに。

 でもローミングっていうの?。海外のアクセスポイントを調べたけど、よくわからなかった。
 MACくんは連れて行くけど、NETはできるかどうかまだわかんない。

 アメリカ横断したときは、めんどくさい!といって沖縄にかけてつなげていた私。
 ほんとに、アホやんね。極度のめんどくさがり。

 ああ、今回はそんなわけにもいかないので、ちゃんとしらべなきゃ・・・。

 ってか日記書いてないで、仕事に戻らないといけないんだけど、気分転換気分転換!。


 仕事の休憩でさえも、お茶を飲みながらMACに向かってしまう私。

 

 辻仁成が中山美穂と入籍だって。

 リサイクルショップのテレビにそんなテロップが流れていた。

 ああ、いい女ばかりをしっかりとものにする人だなあ。

 そんな私は、そのショップで洗濯機を買ってご満悦。


 つい最近だよね、辻さんの話を日記に書いたのって。

 あのふたりはどちらの永遠を手に入れたんだろうか・・・。

 まあでもね。とりあえずいまの私には、男よりは洗濯機の方が重要なんだ。

 いつかは引っ越しをすると思っているのでなるべくは荷物を増やしたくはない。

 買うべきか買わざるべきか一週間悩んだけれど、ステンレスのあまり大きくないヤツを買った。

 吸水口から勢いよく吐き出される冷たい水に腕をひたしながら、

 ああ、私はこんなにも水が、洗濯が、好きだったんじゃないか と思いだした。


 沖縄の暑い日。蛇口から出るぬるい水にも、あんなに幸福を感じていたじゃないか。

 ギラギラ照りつける太陽に挑むように、吹き続ける強い風に挑むように、洗濯物を屋上に干した。

 干し終わったとき、日に灼かれて汗ばむ身体に、風がやさしく触れていく。

 洗濯という日常を通じて、そんな沖縄での日々を思い出していた。


 ま、洗濯は好きだけど、畳むのは好きじゃないんだけどね。

 でもこれで、もう天流川王子に「おかあさん 洗濯あきたの?。」なんていわれないですむ。のだ。



  色即是空 空即是色

  不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。  無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。

 The Heart Sutra と呼ばれる般若心経が好きだ。

 こころの経。 般若という響きがどうも恐ろしい雰囲気を醸し出しているけれど

 ほんとに素晴らしい。響きを聞くだけだけでも大好き。

 唱えるのも気持ちいい。朝日に向かって、読むだけで、世界にとけ込める気がするんだよ。

 この漢字を眺めているだけで、伝わってくる世界がある。

   不生不滅。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。





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2002年06月03日(月)  そのままでいいの?。 ほんとうに?。



    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 
 


   そのままでいいの?。 ほんとうに?。



  人生の流れを

  自分で切り開いていこうとする気持ちがないまま日々を生きていると

  いつのまにか ほんとにとんでもないところまで流されてしまう。

  思ってもいなかった 想像もしなかったところまで流されちゃう。

  そうなってから こんなはずじゃなかった そう言ってもね

  そこから また泳いでかえってくるのは ほんとに大変なことだよ。



   全力を尽くして、自分の生の流れを泳いで。

   たとえ その流れの中で力つきたとしても 

   それでも 流されるだけの人生をいきるよりは

   誇らしく笑って次のステージに行くことが出来るはずだよ。 



   私は 笑って。 へたくそでも 笑われても。

   平泳ぎやクロールをしながら 私の行きたいところに 泳いでいく

   水の中を 歌いながら あるいていく


   時には ぷっかりと水に浮かんだまんま 昼寝をしたり

   忘れたものを取り返しに 流れをさかのぼってみたり

   水の中にもぐって そのきらめきを のぞき込んでみたり

   横で泳いでる人を見つけたら 空に身体を向けて浮かびながら

   月や 星や 雲や 太陽や 虹を眺めたり

   とんでいく鳥の軌跡を 指でなぞってみたりしよう。


   肩幅がいくらゴツくなってしまってもね。

   それでも 私は 自分の 流れを泳ぎきるから。


   決心したなら いっしょに 泳いでみよう。



2002年06月02日(日) 恐怖と苦痛とココロの闇  呪縛の18年 心の檻


  もうなにかにおびえて日々を過ごすのはやめにしたい
  なにも私を脅かすものはないというのに
  それでも、なにかにおびえている私がいる
 
  なんで?。

  あれから、もう10年以上が経ったんだよ。
  そろそろ解き放ってくれませんか?。
  あなたが、私の細胞に刻みつけた、この恐怖の呪縛から

  ってか、そんなもんは自分で自分を解放するしかないんだけど。
  ほんとうに いい加減やめたい。こんな自分を。

  いつも、こころのどっかでビクビクしてる。
  主人に殴られすぎた犬みたいに
  手を伸ばされるだけで、ビクッとこころが震える。


     情けない、

  ある日だれかが突然 私の家にやってきて
  すべてを壊して すべてをダメにして
  私という存在のすべても この輝ける世界から奪い去ってしまう
  そんな 恐ろしく おぞましく それでいて魅惑的な白昼夢
  繰り返し繰り返し 夢想している


     そうなるなら早くなってくれれば楽なのに
 
  誰からの電話にも 出られなくなる
  突然 見ず知らずのだれかから 一番大事な人たちから
  とてつもなく厳しく激しく  
  もう二度と立ち上がることもできないような
  トゲだらけの 鋭いガラスの破片のような
  言葉を浴びせかけられるのではないか
  そんな ありえない恐怖に おびえている

     そうなるなら 早くなってくれれば 楽なのに

  メールも 手紙も
  この世界から 消し去ってしまうほどの衝撃を
  私に与えるものが迷い込んでくるのではないか
  そんな ありえない恐怖におびえている

     そうなるなら 早くなってくれれば 楽なのに

  救急車の音におびえる 車の急ブレーキの音におびえる
  突然の大きな音におびえる

  でもほんとうは 記憶の中の 家族たちに 脅えている



     機嫌が悪い日   殴られたし蹴られていた それが   日常
 
     機嫌が良い日   殴られないし蹴られない それは  非日常


 日常から非日常への移行

  それは、すべての感情を私という道具に吐き出して満足したとき
  しばらくは痛みを感じずにすむという安心感が、痛みに呻く私のココロを包み込む


 非日常から日常への移行

  いつはじまるのか、いつかわるのか、という常に抱える恐怖が現実となった瞬間
  やっぱり というため息まじりの言葉 と 安堵感に包まれる
  ココロの恐怖から解放され、肉体の苦痛へと移り変わる



  私が一番恐れたのは 非日常が日常にかわるその瞬間
  まったく前兆の見えない その切り替わりに 恐怖する
  目以外のすべての肉体 すべての細胞 すべての感覚
  触角を研ぎ澄ませて その男をみていた

  ひとときの平穏な非日常  私はそれに安堵し そして戸惑う
  笑っている兄の横で 私がするべき表情は 笑顔
  抑圧と従属のなかで 覚えた笑顔  それは 一番の苦痛
  

  こんなことなら、機嫌のいい日なんていらない


  私の精神を 狂わせ 不安定にさせたのは 非日常と日常のはざまの空間 

  いつはじまるのか?という恐怖におびえるココロは

  いつしか 待つ時間を忌み嫌い、日常がはじまることを望んだ



  殴られているその瞬間は いつ殴られるのだろうかというおびえから解放される

  身体が痛みに侵されている瞬間は ココロが苦悩しないですむから



  優しさなんかいらない



  その一瞬の優しさが どれほど私を苦しめたのか
  お前という存在のすべてを 憎しみで埋め尽くしても構わないほどの
  極悪な男であってくれれば どれほど楽だったのだろう
  だが その優しさは 私への優しさではない 自己満足の兄弟愛
  性格破綻者の愛情 そんな愛ならいらない そしてそんなものは愛ではない


  そうなるなら早くなってくれれば楽なのに いっそ殺してくれ

  最後の恐怖の日が 早くやってくればいいのに そうすれば解放されるのに


   “待つ恐怖”が いまも私のココロを 細胞を苦しめる  


   もう10年以上会ってもいない 

       ただ両親が同じだという その男に刻み込まれた異常な精神




  この呪縛 絶対に断ち切ってみせる


    すべての恐怖を乗り越えて、バイオレンスも超えて

    過去も未来も 現在という手の中に掌握し

    ココロの闇を光のもとにさらけ出し


    私にしか歩けない 私の道を 歩いてみせる


                   光も闇もない世界へ 自分の力で






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2002年06月01日(土) 一瞬が永遠になるものが恋 永遠が一瞬になるものが愛


 リンクのページを更新したよ!。

 前に日記や掲示板でも書いたんだけど、5月19日超能力者清田益章くんのパーティに行った。

 一家でバリへ出発する彼らの旅立ちを祝うパーティーだった。

 人間国宝の鼓をバックに清田君がスプーン曲げならぬ、スプーン折りを披露。

 いきなり、出てきて、一言もナシにそれをやっちゃう。この人たち。

 パーティーにもいろんな人が来ていた。超能力者以上に異常な人々がいっぱい。
 もちろん、私もその中のひとりだけどさ。

 2次会に出席して、素敵なご夫婦と出会って、友達とも再会して、すごく幸せ気分で飲んでいた。

 もうちょっと飲んでいたいけど、最終の新幹線で大阪に帰る予定だったで、「帰るかい?。」と息子に聞くと、清田くんにべったりくっついて離れようとしない。


 ふたりして「いいよね泊まっていいよね。」と、目を輝かせている。

 「学校よりも大事なこと山ほどあるもん」がテーマの親子ですので、またしてもサボり決定。

 いつものことながら、清田邸にお世話になった。

 宴の後のほわーとした雰囲気に包まれて、みんなで夜遅くまでとりとめのない話しをしていた。

 「来てました?。」と私。

 「うん。なんで、会えなかったの?。話ししなかったの?。」と清田夫婦。

  うん。しなかった。そっか。来てらしたか・・・。

 私が、一番会いたい人がやっぱりそのパーティーには来ていた。


 でもね、こういうのはタイミングだから。いつか、機会があれば会えると思うから。

 人に紹介してもらうのとか、なんとなくイヤだから。

 と、言い訳しながらも、ちょっと残念気分。


  え?。誰かって?。

  それは、吉本ばななさん。私のとても大好きな作家さん。

  バリか・・・。やっぱり、『マリカのソファ』だなあ。

  あれを読んで救われた部分がすごくある。その一言のセリフで、少しこころが軽くなった。

  どんなセリフでこころ掴まれたのかを言ってしまえば、私のすべてがばれちゃいそうなので、ここでは言わない。
 

  それほどの言葉があった。



 きっと、いつかなにかの縁でお会いできるでしょう。

 と思いながら、吉本さんのHPをみると日記に清田くんのパーティのことが書かれていた。

 メールを出してみようかな?と思ったけど、緊張するし、なにを書いていいやらわからないのでやめといた。
 そのかわり、リンクをはらせてもらうことにした。

 いつかお会いできるときは、私が水黽通信のインドレポートを書いたことを告げて、プーナの感想を直接聞いてみたい。
 
 ま、そのうちにね。



 リンクを増やすことにして、あと誰を入れようカナ?と考えた。

 リチャード・バックはずいぶん前からhpを休止したまんまだし。

 そもそも、ひとのサイトってあんまり見に行かないから、よくわかんないんだ。

 浮かんだ。もうひとり好きな作家、辻さんだ。


 で、今日はじめて辻仁成のHPを見た。

 本屋に行くたんびに、新刊が出てる。それくらいに書き続けている人。

 それにしてもこの人はどうしてこれだけのものすごい量を書き続けられるんだろうかと、不思議に思っていた。

  と、日記を読んでブッとんだ。


 「作家デビューから一日も執筆を休んだことは無い。」


        キ、キチガイ沙汰や。すごい。それだけでも尊敬する。


 「太陽待ち」が好きだ。すごい作品だと思う。

  あとは「目下の恋人」

 “目下”ってなんやねんと、私も主人公と同じように思った。

  でも、惹きつけられるようにしてよんだ。素晴らしかった。




  一瞬が永遠になるものが恋 永遠が一瞬になるものが愛

                          目下の恋人 辻仁成



  




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   あっ!。 あと、もうひとりいた。マーシーだ。

   私はどうしてもマーシーと辻好きな男に惚れてしまうらしい。

   とはいっても、田代まさしではない。念のため(笑)。



   天流川は、辻ではなく加護が好きなんだだけどさ・・・・。


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