気分刊日記

2007年09月26日(水) 水曜は千円のアミューズ系

井上真央と大沢あかねが似ているとか、今ならCGを使って『ド根性ガエル』の実写を作ってみてはどうだろう?但し、映画ではなくTVの2時間ドラマで“月曜ドラマランド”風。なんかどうでもいい予言がちょこちょこ降ってくるんですが、どうでもよすぎて健忘症の脳味噌には定着していません。なんか、いろいろ思いつくんですよ〜。

今日は珍しく早く帰れたので、疲れていたけど『ブラック・スネーク・モーン』を観てきました。アミューズは男女問わず水曜1,000円なのでタイミングが合えば観たい映画はたくさんあるんですよ。ほんと、5時半とは言いません。定時も殆どないけど、レイトショーを観れるぐらいの時間には帰りたいです。

 ブラック・スネーク・モーン』・imdb



2007年09月23日(日) 寝連休

寝正月があるなら、寝連休です。引き続き引き蘢り継続中!引き込もてゲームやネットをやっているかと言えばN0。日記も書かなきゃmixiも観ない。面倒この上ない。ほぼ自動的な行動として、映画の株券消化で『シッコ』『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』を鑑賞しました。

 シッコimdb
 スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ



2007年09月21日(金) 記憶の記録07921

仕事帰りに渋谷23時くらいからのベン・シムズ@wombで朝まで汗かいてきました。なかなかズンドコ入っていてよろしかったです。そう言えば、もう舞台観に行くのを止めて2年くらい経つか?そのかわり音楽を聞きに行ったり踊りに行ったりする事が増えたなぁ・・・

ベン・シムズ



2007年09月17日(月) 引き蘢りモード

只でさえ人付き合い悪いのに、仕事の悩みやプライベートな失敗やお年頃が積もり積もって引き蘢りモードに突入。特に映画は観に行く気が全く起きない、って言うか観たいと思っていた作品はあるはずなのにモチベーションが一向に上がらない。ってこれってプチ鬱?それでも、なんとかノルマと言うか義務と言うか『ラッシュアワー3』を近所の映画館で観てきました。

 ラッシュアワー3』・imdb



2007年09月14日(金) 兎角この頃無責任

とかくこのごろ無責任になりがちだ。いい加減考えなきゃ行けない事を放り出して火曜に夏休みの残りをくっ付けて4連休にしてしまいました。そのくせ、今日が最終日のレイトショー映画『たとえ世界が終わっても』を観るために仕事を20時半に切り上げて急ぎ渋谷へ。ついた劇場が妙に混んでいるなぁと思ったら、実は最終日のため劇場が満席になてしまい急遽2つあるスクリーンのもう一方も解放して上映する事になったとか!それも、両方満席。

終映後、ふらっと下北沢に降りてブラブラした後、マイミクさんがVJすると書き込みにあったイベント「ミュージック・スーパーノヴァ!'97シリーズ3」【特集:くるり】に潜入!会場の下北沢CLUB QUEが13周年イベント中ってことは、俺が前回ここに来たのは10周年イベント中のhalのライブだったから3年前ですよ。もう3年?

ってか、まぁライブだったいざ知らず、DJが流すくるりの曲に合わせて円陣組んで飛び跳ねる若者達がちょっと羨ましいような感じで、黒霧島ロックをちょびちょびと。あと、くるりフォロアー?と言うかフリッパーズのフォロアーとして扱われたブリッジ、もしくはカジヒデキの様なポジションでまつきあゆむさんがライブ出演されていたけれど、どうにもそのドラムの人(熊谷さん)が気になったので声をかけてしまいました。

話を聞くと彼は、元来パーカッショニストでドラムを叩くのはまつきあゆむくんのバンド編成の時ぐらいと言う事でしたが、今度、別のバンドやライブがあったら聞いてみたいので教えてくださいといってメール交換してしまいました。で、彼の経歴を観たら結構そうそうたる面子とセッションしているので驚きです!

そんなこんなで、無理して若い人に交じって朝まで頑張ってしまったので土曜は開店休業で決まりですね。


たとえ世界が終わっても
スクリーン2つ使って同じ作品を同時上映するのは劇場始まって以来の対応との事だが、これはデジタル(HD)だから出来た事なんだろうねぇ〜、フィルムだったら興業機会も逃し溢れた客に平謝りだっただろうに。さらに、この人気も受けて、上映前に急遽監督とプロデューサーのティーチインで、再来週からアンコール上映が決まったり、当初予定してなかった地方上映が一道一府一県(北海道、大阪府、名古屋)で決まったと報告。かなり若めのプロデューサが印象に残ったけど、彼はもしかして配給のアルゴ・ピクチャーズの人間なんだろうか?羨ましい。

しかし、この人気はいくつかの時事的タイミング(1)若い人に人気の大泉洋も所属するTEAM NACSの安田顕が出演している(2)その安田顕が今クールのドラマの中では実質的に一番面白かった「ホタルノヒカリ」に出演して更に株を上げた(3)ヒロインの芦名星が抜擢された日伊加豪合作、キーラ・ナイトレイ共演の「シルク」の完成披露のニュースがあった。・・・など、が追い風になったのだが、その風に柔軟に臨機応変に対応できた制作が頑張ったのだとも思う。そして何より、この監督に対する期待度も結構あるのではないだろうかと、パンフに書いてあった前作『演じ屋』『駄目ナリ!』と言う作品を観て思った。

あらすじは、人生に絶望した女性が今まであった事の無い様な人々と出会い、ファンタジックな、そして余りにもリアルな経験を経て生きる希望を見いだしてゆくと言う、神話的な要素である通過儀礼と生まれ変わりをモチーフにした自分探し。さて、この作品は仰々し外的要因にどれだけ応えられたか・・・?と言うのが注目なのだが。わたしの隣にいた女性は一瞬泣いていた。

前半、大森南朋の演技がファンタジーっぽさを出す起点に成っているのだが、この嘘っぽさ(大森南朋的には間違っていない)が切っ掛けで、プロットも手伝ってか、『ベロニカは死ぬことにきめた』っぽいと思った。精神病院ぽいシーンもあるし大森の役回が市村っぽいのだ。で、そこから更に、「カッコーの巣の上で」や「17歳のカルテ」とか連想するのね。これがはなについてしまうのでちょっとうんざりしてしまった。

しかしまぁ、ドラマの中盤に入ると男女二人のぎこちないロードムービーになり新たな展開に入る。そこにおいて安田の腰の低い演技と、美人でキツ目で閉鎖的な芦名星の演技と妙に噛み合ってくる。安田の演技は「ホタルノヒカリ」の時の“腰の低さが慇懃無礼になる一歩手前”のような、頼りないようで母性をくすぐる、でも実は一緒に居ると女性がリラックスできてしまう人柄演技。

その演技は、端正な顔立ちに真っ黒なストレートでほっそりした芦品、りょうや小雪の様なきつめにもとられ、モテそうなんだけど実は男性が敬遠して、身に降る恋愛は不倫だったりしてしまう恋愛貧乏な美人顔の彼女が肩の力を抜いて寄りかかれる相手として絶妙なのだ。

そんな、彼らを更に急速に打ち解けさせる切っ掛けが、安田演じる長田が15年ぶりに帰る実家の、平泉成と白川和子の夫婦。とくに平泉成の演技に改めて感服させられた。最近の「サラリーマンNEO」での軽い演技(あの風体で軽い演技のギャップ)も凄いのだが、いつもの刑事ドラマばりに、相手の真正面に座りながら、沈黙の間をとり目線そそらして遠く庭先を見つめつつぽつりと呟く。これが凄い!彼の一言は映画全体の空気を、緊張もさせればその緊張をいっぺんに解いてしまう魔法の呪文に成るのだ。

この辺の役者の使い方、そして脚本も書いた監督の力量はそこそこのミニシアター映画を撮り続ける限りは安定して居られると思う。ただし、この後、商業映画の監督や脚本の仕事が入ってくると思うのだがそれをどれだけ上手く廻せるか、塩田や行定のようにバランスを取れるかが生残りの鍵だと思うのだが、彼ならやって行けるんじゃ無いかと思わせる実力を感じさせる映画だった。



2007年09月09日(日) 考えないと言う事を考える

最近飲み屋で会った中村梅雀似のオッサン(私もオッサンですが)と話すことがあったのだが、彼は日頃から色々と本を読んでいて、色々と社会に対する不満や思う所があるらしく、話の端々にそんな話題を投げられたのだが、たいした受け答えも出来ず自分の無知さを痛感すると共に、彼の知識欲、と言うか理論武装の原因が何となく見て取れ、そこに自分に共通する様な何かを観て少しブルーになった。

それだけで、日曜は何もする気が起きなかったけど、明日までの武蔵野館の株券を消化するために新宿で『恋とスフレと娘とわたし』と言う映画を観てきました。劇場は女性率80%の所にオッサン一人は私ぐらい?

恋とスフレと娘とわたし』・imdb
あらすじは・・・、女手一つで娘3人を育て上げた自他ともに認める、自立したシングルマザーのお手本みたいなダイアン・キートン演じる母と嫁に行き遅れている末娘の恋愛ドタバ劇。友人の様な関係の母娘だけど、子離れできない母のおせっかいが娘の恋愛まで介入!「娘の幸が自分の幸せ」が逆転して「自分の幸せは娘の幸せ」とお思ってしまい、自分の価値観を娘に押し付けてしまう。で、それに娘が反発、娘も母を尊重しつつ自分なりの幸せを掴もうとする。そんな娘に寂しさを感じつつ、さすがに子離れできない自分にも気付いた母は落ち込んだりするけど、ひょんな事で自分の幸せを再発見!末娘も自分なりの幸せを掴んでハッピーエンド!・・・てな感じ。

始まってすぐにうんざり。それは女性ばかりの客層、それも20代後半以上ル・シネマ未満みたいな年齢層にオッサン一人で行ったからだけではなく、映画も面白くなかったから?個人的にビデオスルーで良いじゃないかと思った。

始めはなんだか説教臭いと思ったんだが、その説教臭さをあえて払拭するのが直球エロ。これには少し引いた、っというか男性(ワシ)が恋愛映画にロマンスを求め過ぎなのかもしれんが、女性の性に対する表現は基本的に直球なのね。まあ、脚本は女性だしおそらく現場もダイアン・キートンがかなり仕切ってたんじゃぁないかと思うと、それは意図的なものなんだと思うけど・・・。

そんな構成要素も含めて、母と娘、女性の自立、恋愛における価値観、母の幸せと女幸せ、etc・・・わかっちゃ居たけどより女性が共感する要素で固められていので、はなから俺みたいなのは相手にしていないってのを映画が進むなかでつくづく痛感した。この客層を限定するって事を考えるとハリウッドのメジャー制作なのに単館系上映ってのも納得。

制作のユニバーサルは、現状ユバーサルの作品は日本での配給がしっかりしているとは言い切れないのでよくわからないけど、UIPの頃からラブコメとコメディーは基本的にビデオスルーが多かったので、そのまま行ってたらビデオスルーに成ってた確率が高い作品だと思うけど、今回の日本配給は東北新社。劇場もシネスイッチ銀座が旗艦と言う事で、基本はOLや主婦層をターゲットにしているので間違ってない客層ではあるのだが、どうだろ?今の日本のこの層の女性達はこの程度で満足するよな輩ではないでしょ?



2007年09月08日(土) そら恐ろしいです

最近、ふと、なにしてたっけなぁ〜と思い返したとき、一週間前辺の記憶がかなりごっそり亡くなっています。まぁ、仕事以外の記憶は週末の記憶ぐらいしか気に留めてなくてもいいぐらい単調な生活を送っているのですが、それでもちょっと落ち込みます。若年生痴呆症です。BSEの影響だと思います。

で、この日記も1週間置いて書いている訳ですが、『天然コケッコー』を新宿武蔵野館に観に行った事ぐらいしか憶えていません。でも、相変わらずここの株主招待券の扱いがマズイようで、いつもの容姿の不自由な女性マネージャーに対して、満員で入れなかった事をネタに物凄くイヤラシイ喋り方で延々クレームを繰り返す40代ぐらいの中年男性が印象的でした。それも、妻らしき女性も同伴で。

ああ、このオッサン会社や取引先でもこの調子なんだろうなぁ。で、自分の都合が悪くなると逃げる・逆切れするんだろうなぁ〜て感じの典型的なおっさんでした。もうねぁ、接客業に対して「お客の気持ちに成った事があるのかぁ?」とか、「お前はどう思う?」っていう攻め方をするのですよ。こういわれちゃったら、他のお客さんも居る手前平身低頭する以外無いですよ。

おそらく、突き詰めればそのオッサン自身の不手際を本人も認識しているので、それを棚に上げるべく問題の論点を一般論にすり替えているんですよ。自分はどう思ったかっていうと『(妻、もしくは彼女らしき)女性の前で恥じかかさされた!格好悪〜。』『なんかヤバそうなのは薄々感じてはいんだよなぁ、でも彼女もいたし余裕ブッこいてたんだよ本当は』って感じですよ。

で、個人的には「この人のクレームを録音してサンプリングしたい!」って思いました。凄くネチネチと朗々と、ある意味では理路整然と、しかし、どう考えても大人げないクレームを延々繰り返しているのがまるでお経のようでもあり、かなり面白い素材。でも、残念ながら今の私の携帯にはICレコーダ機能が無いんですよ!残念!

天然コケッコー
オープニング、バケツとモップを持った夏帆が廊下の向こうの方からカメラに向かって駆けて来るシーン。結構胸あるなぁっていうのがつまり、最近常々思う“夏帆の行く末=優香”って事でした。単純に若い、天然ぽい、自然体って言うのが今の売り。でも、このまま大人の女性に成った時、女優としての魅力は何か残っているか?って言うと疑問だなぁ。実際、役者としての需要が極端減っている優香を観るとね(「志村X」とか無し!)。

まぁ、映画自体はそん事とは無縁に、今の“夏帆”の初々しさ全快!田舎娘キャラにすっぽりはめて天然っぷりを倍加(山下監督の趣味全快)させ、恥ずかしいくらいピュアな主人公に仕上げている。ってか、その“恥ずかしいぐらい”ってのがこの青春ドラマの肝です。

で、このドラマを表する時に劇的な事は何も起こらないて言う説明をよく目にするんですが、当たり前の事ですが青春まっただ中の14〜18ぐらいまでの子たちの細胞レベルでも心のレベルでも日々劇的な変化を遂げているんですよね。つまり成長してるってことなんですけど、山下監督がそうなのかディレクターやプロデューサーがそうなのかわからないけど、前作の「リンダ・リンダ・リンダ」でも撮影前の合宿だったりって所から全体の空気を作ってゆく手法がとても上手い。

若い役者で青春映画を撮るのは、その作品にどれだけ時代性を込められるかって言う事と、被写体自身=役者自身の今をどれだけ2時間弱のフィルムに詰め込めるかって言う事で、その両方がバランスよく伝わると、作品としての消費スパンが伸びる=普遍性を獲得できるって言う事だと思う。



2007年09月01日(土) せっかくですが

せっかく映画の日meet土曜日なのですが、先週のぶり返しでテンションロー!でも、公開初日の『ブラック・スネーク・モーン』を観に行ったら既に満員で入れねぇと来たもんさ!マァザーファッカー(byサミュエル・L・ジャクソン)。しかたが無いので、シネクイントで『恋するマドリ』を観てきたぜ。

そんな訳で、今月からガッキー尽くし・・・「恋するマドリ」「ワルボロ」「恋空」が始まりそうです。もしかしたら「ワルボロ」は見逃すかもしれませんが、出来るだけがんばります。

恋するマドリ
ガッキーはアニメ声だ。菊池凛子もアニメ声だ。ってか菊池凛子をフルでカタカナで書くとキクチリンコ、打ち間違えてキクチンコになった。どうでもいいですね。まぁ、映画は基本的にネットシネマのレベルです。


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