ジョージ北峰の日記
DiaryINDEX|past|will
25 私の子供時代、現代社会に比較すると子供達の選択肢には多様性がありました。中学卒業すると直ちに大人社会に入っていく子供が全校生徒の半数ぐらいに上りました。 そんな子供達は、学業にはそれ程意欲的ではなくむしろ自由に生きていました。彼らは子供の頃から、既に一部大人社会に組み込まれ自分の歩む道をしっかり見極め地に足をつけて歩き始めていました。学校の帰り道、彼らが家業を忙しそうに手伝う姿を見るにつけ、私は彼らをある意味でうらやましく思えるのでした。一方私の人生は全く見えなかったのですから。 私の通っていた小学校にはそんな目的の違う人生を歩む子供達が一緒に通っていたのです。 ある日、担任の先生が突然「今日は午前中実力テストをする。ただこの試験は、調査の為に全国的に実施されるので、結果は皆さんには返しません。しかし各学校の学習到達度を調べられるので、皆頑張るように」と緊張した面持ちの中にも笑みを浮かべながら、生年月日の順に席を並べ替えるように指示しました。
皆は試験と聞いて、驚いてガヤガヤ話しながら席を移っていますと、全く知らないきりっとした試験官が部屋に這い入ってきて、早く準備する様に私達に促し試験の要領をてきぱき説明するのでした。私の通っていた小学校は田舎の学校でしたので、担任の先生が、この学校は都会の学校に比べると学業は著しく遅れていると何時も話していました。だから何の準備もしていない突然の試験に驚いて、おまけにうるさそうな試験官が監視すると知っていやが上にも、焦るのでした。
当時は鉛筆や消しゴムを持たない子供も数人いたのです。慌てて鉛筆の貸し借りする子供もいました。
担任の先生は柔道三段、剣道二段の元気のいい若い先生でしたが「 君たちは慌てているようだが、学校に来る時は先生がいつも言っているように勉強できる準備をしていなければだめです」と言いながらも、顔には幾分紅潮している様子が窺えるのでした。 この実力試験は、知識を重視する試験ではありませんでした。私にとっては、殆ど答えられることばかりで時間もたっぷりありました。試験の後、「実力試験は易しいんだね」と皆で話し合える余裕さえありました。
さてそれから数ヵ月後、担任の先生がニコニコしながら教室へ入ってくると「このクラスに、実力テストで他の学校の子供も含めてトップクラスの成績を収めた者がいる。先生は安心したよ」と話すのでした。しかし先生は、それが誰なのか名前を挙げませんでした。 ただ、卒業も近づいたある日、先生は私を呼んで「君が実力テストでトップクラスに入っていた。君には才能があるようだから自信を持って学業に励むように」と勇気付けてくれたのでした。何の才能か良く分かりませんでしたが、とにかく子供心として嬉しかったのを今でも覚えています。
私は子供の頃から、幸運だったのか、周囲の人たちから、人間の生き方について非常に多くのことを学んでいました。それは、「真の人間である」為には人から教えられるのではなく、「主体的」に自分で学び行動すること、又此れが正しいという絶対的な真理はないと知ること、自分の考えが間違っていると知ったときそれを否定する勇気を持つこと、だからこそ自分で考え行動できる本当の基礎的能力を養うこと。
基礎的能力の開発には「此れでよい」という限界はなく、無限であること。その為に自分を絶えず磨く続けること。此れでよいと満足できる頂点はないと知ること。
もしそれが真理であるなら、此れを知っている人こそ天才であると!だから天才はいたるところに存在するかもしれない、あるいは全く存在しないかも知れない。ただ天才は知識に関わる才能でなくもっと説明困難な本質的能力であると!
|