ジョージ北峰の日記
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2012年09月11日(火) 青いダイヤ

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    私は日本が極貧国から豊かな社会へ移行する時期に成長期を迎えたのでした。私達の世代は、日本の復興のために日本の企業復活を夢見て、理工系の学部に進学する学生が幅をきかしていました。無意識ではありましたが、この世代が団塊世代の人々の活躍する社会的基盤を築こうとしていたのです。
    私の母も子供達には理系に進むように薦めていました。文系に進んだ父の失敗に懲りていたからかも知れません。「お父さんも、本来理系の頭だったから理系に進んでいたら、戦後こんな苦労をせずにすんだのに。お前達も何か技術を身に付けておいたほうが良い」と母は絶えず話していました。技術は思想とか信条とは違って、時代の変化に影響を受けることが少なないというのが母の持論だったのです。
  私は私で「動物学者になりたいとか、哲学者になりたいとか」きわめて行き当たりばったりの夢に考えが揺れていました。しかし本当は何をしたいのか自分でもはっきり分かってはいませんでした。
  ただ一つはっきりしたことは“超人”に強いあこがれがありました。それもスーパーマンのような“超人”ではなくて、目には見えないもっと精神的な意味での“超人”でした。
 
   小学校の卒業を間近に控えた春休みのある晴れた日、私は中学生になる希望に胸を躍らせながら裏山に、何時もの修行をかねて散歩に出かることにしました。松の木と潅木が密生する低い山で、樵(きこり)さんがマッタケを採るための、曲がりくねった細い山道が頂上へ伸びていました。
  山の頂上は平地になった狭い岩場で、大きな岩が所々に地面から顔を出し、夏でも雑草が茂ることなく、所々にやせた丈の低い松の木がまるで枯れススキの様に立ち並び、さながら古寺の石庭の様に見えるのでした。冬の寒い日の夜、兄と修行に来たこともありましたが、月明かりで其処は古戦場のようにも見えるのでした。
  昼間は頂上から眼下に緑色に淀んだ池が、そして対面の山の斜面に点在する邸宅が眺望できるのでした。それは何処か異国の風景を髣髴(ほうふつ)させるのでした。
  頂上を目指して登って行きますと人の気配がするのです。これまで山に登る人は、大抵私の知っている子供達ばかりでした。「誰だろう?」私は山頂へ急ぎました。と、小型の白い犬が山頂から、顔を覗かせ、私を見ると、突然嬉しそうに駆け下りてきました。その犬はN子が以前可愛がっていたジュンという名の犬に似ていました。
   驚いて「ジュン?」と聞き返すように呼びますと、犬は激しく尻尾を振りながら飛びかかってきました。すると頂上から「ジュン! 誰?」と弾んだ声が響いてきたのです。それは随分長い間、聞きたくても聞けなかった懐かしい声でした。
   え!N子?
   私は驚きで頭の中は真っ白、「嘘だろう!」
   私は事態を飲み込むことが出来ず、一瞬立ち止まってしまいました。
   すると「T君?-----散歩に来たの?」とやはりN子の弾んだ声。
   我に返った私が、喜び勇んで大急ぎで駆け上がって行きますと、N子は「今日は、T君が来るかと思って散歩に来たのよ」と昔の様なはきはきした口調で話しかけてきました。しかし久しぶりに会って驚いたことは彼女の姿が以前とは随分変わっていたのです。顔が、以前に比べて透き通るほどに白く、しかも背が想像に以上に伸び、ふっくら太り、随分女らしくなったように思えたのです。
   心の中では飛び上がるほど嬉しかったのですが「病気は治ったの?---だったら、僕に連絡してくれたらよかったのに」と昔のような口調で責めるように話していました。
   「大分良くなったのだけれど、本当に治ったのかどうかはもう少し様子をみる必要があるらしいの」
   彼女は、少し落ち着いた様子で平らな岩の上に腰を下ろしながら私にも座るように目で合図を送りながら話すのでした。
   彼女は深いこげ茶色のズボンと赤いセータ、薄い茶色のジャンパーを着ていました。髪は肌と対照的に黒く、少し長めで肩にかかる髪型がやさしく、病気上がりを物語っていましたがいかにも元気そうで、大きく見開いた目は少し潤んだように見えるのでした。
   春も近く、日の光が暖かく、彼女を軟らかく包んでいました。その姿が、私には神々しく、人間離れしているように見えるのでした。

   私はN子がいなくなってからのことを色々話し、N子も入院してからの出来事を話してくれました。
   私が「早く復学して欲しい」と促しますと、N子は、「このままでは進級できないと思う。T君とは一緒に勉強できなくなるかも知れない」とさりげなく話すのでした。
   私は、久しぶりに懐かしいN子に会った嬉しさから「何故? N子は賢いから無理してでも進級すればよいと思う」と力を込めて返しますと、N子は首を振りながら「この病気が治ったらね」と少し寂しそうな表情を浮かべるのでした。日の光にかすかに輝く横顔は、言葉には表せない神秘的な静けさと落ち着きを感じさせるのでした。 
   
   突然N子は「神様におすがりしなくては」と、笑顔を浮かべ、願を懸けるような仕草で、少し間をおいて「T君は“超人”だから神様に頼んでくれる」---、その話し方は冗談のようにも聞こえましたが、しかし素直で純粋な響きがあり、私の心を強くゆさぶるのでした。
   犬は相変わらず私たちの周りを走り回っていました。ガサゴソ枯葉の中に鼻を突っ込んだかと思うと折れた木の枝をくわえて突然駆け出したり、寝転んだり、私たちが久しぶりに話しているのが嬉しい、---といった素振りで、二人を確認すると又翻って坂を駆け下りていくのでした。
   時間は瞬く間に過ぎていきました。
   太陽が西の山の稜線に近づくにつれて、山の景色は緑色から深い青色に変わり始めていました。風が出てきて松ノ木が音を立てながら揺れ始めました。

  「もう帰らなくては」N子は立ち上がりました。私は言いたいことがどうしても言えないもどかしさを感じながら「送っていくよ」と手を差し出しますと、「有難う」とN子は強く握り返してくれるのでした。


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