ジョージ北峰の日記
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2003年12月22日(月) 雪女、クローンAの愛と哀しみ---つづき

XIII

 それから出産までの時間は飛ぶように過ぎていった。その間、運の良いことに、後腹膜腫瘍は増殖が止まったばかりでなくむしろ退縮する傾向さえ確認された。そして、私やC医師の心配をよそに、A子は女の子を自力で無事出産した。苦闘の末、無事人間誕生を告げる子供の産声を聞いた時、その時の私の感激は本当に筆舌に尽くしがたい、それまでの私の人生の中で極限値に達するものだった。涙が自然に溢れ出るのを止めることが出来なかった。
 病院の窓から見る街は、もう初冬と言うのに、気候は例年よりはるかに温暖で、まだ秋の名残が残っていた。眩しい秋の陽光が部屋に差し込んで来たが、ビルの谷間は未だ陰にあり、路面は夜に散った街路樹の鮮やかな赤、黄色の葉で敷き詰められていた。さながら錦織り成す黄金の絨毯のように見えた。出勤で出かける人々が足早に通りすぎていく。
 ベッドに腰掛けているA子は聖母のように厳かな落ち着きを見せていたが、表情には充実した人間らしい喜びが溢れていた。
 あなた疲れたでしょう、コーヒーでも飲んで、と言った。君も飲むかい、と尋ねると首を振って、朝食の時に飲むから、と笑顔を見せた。
 それから、彼女は驚かないでね、と前置きしてまたしても俄かには信じられない“彼女の真実”を明かし始めたのである。
 実は私の母は誰か分からない、母のことについては父から何も聞いていない。でも私は、これまで産んでくれた人を私の母と信じてきた、私にとって実の母が誰なのかはとても重要なことなのに、科学者の父にとっては、それ程重要な問題ではなかったかもしれない。いえ、真実を話さない方が、私を苦しめないだろう、と簡単に考えていたのかも知れない。そうでも考えなければ悲しすぎるでしょう。でも本当は私も母のことを知るのが怖くて、だから父を追及出来なかったと言うのが真実かもしれない。こんな気持ちあなたには分からないでしょうね!
 私は、この時初めて彼女の心の奥深くに、クローンとして異星人のような孤独感が渦巻き、それが私の理解の範囲を超えた深い傷跡として残り、彼女を苦しめていたのを知ったのである。私は話す言葉を完全に失っていた。私の思考も完全に凍りついてしまっていた。
 彼女は淡々と言葉を続けた。今私が話したいことは、その事だけではなくて、もう一人の私がこの世に生きているということなの。
 え! 私が驚いて彼女の目を見つめると、彼女は冷静に聞いてねと言って、少し間をおいてから、実は私たちは双子の姉妹だったの。一人は父が、もう一人は母が死んでから父の妹に引き取られて育ったの。
 じゃあ君のお母さんは双子の親なのかい?
 そう、私達姉妹はこれまでも時々連絡をとりあってきたの、もう一人の私はまだ元気で生きているのよ。
 A子は本当の母を知らないだけでなく、さらにもう一人A子のクローンがこの世に存在する。医師として、私はこの手の話には驚かないつもりだったが、やはりそれは、そんな私にも想像を絶する出来事だった。
 A子は続けて、私は近い将来必ず死ぬと思う、だからあなたに本当のことを今話しておきたかったの、このことは決して忘れないで、と言葉を切った。
 私はAこの誕生の経緯を知っただけでも驚きだったが、その上もう一人この世にA子のクローンが生きている!
 しかし、私は君をきっと助けてみせる、今はそれしか考えていない、と言うだけで精一杯だった。


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