ジョージ北峰の日記
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2004年01月25日(日) |
雪女、クローンAの愛と哀しみーつづき |
XV 私は彼女に点滴をしながら今後の予定を話していたが、日頃の疲れがたまっていたのかつい睡魔に襲われ、うとうとしたようだった。 どれほど時間が経過しただろう。彼女は突然私を揺り起こし、一度外の世界を見たいと言う。その時彼女は既に白いスキー服に着替え、それまで見たこともない金色のブーツを履いていた。驚いたことに彼女はすっかり元気な頃の表情に戻っていた。私は寝ぼけていたこともあって、今日は雪だから外に出るのは無理だよ、とたしなめたが彼女は笑顔を見せ、安心して私はもう元気、と窓から飛び出そうとする。私が危ないと思わず声を出し、止めようとしたが彼女は構わず両腕を鳥のように広げゆっくり羽ばたきながら空中へ飛び出していた。そして私にもついて来るように合図を送る。私がためらっていると、大丈夫私がついているから、今ならあなたも飛べるのよ、勇気を出して!と再度呼ぶ。私はもうどうなってもよい、と窓から飛び出すと、不思議なことに体が空中にふわりと浮くではないか。私が両腕を使って羽ばたくと自由に空中を移動できることがわかった。暮れ行く空を自力で飛ぶ気分は格別だった。空中から見る夕暮れの雪景色は想像以上に美しかった。 地上は黒いヴェールがかかったようで深い深海の岩礁を眺めているようだったが、西の空には太陽の光がまだ仄かに残っていた。地平線には銀色の雲で縁取られていたが、太陽の沈んだ辺りだけは赤く眩しく、金の指輪のように輝いて見えた。それは、燃え尽きようとしているA子の命の炎を象徴していたのかも知れなかった。 A子は時々私の方を振り返りながら太陽に目指して一直線に飛んでいく、金色のブーツがきらきら美しい。私も必死になって追いかけようとするが、もどかしい程前へ進まない。暫くすると周囲の温度が下がってきたのか水蒸気が雪の結晶となり、私の視界をさえぎり始めた。瞬く間にA子の姿は巻き上がる雪の細片の中へ包み込まれて行った。 まもなく太陽が沈むだろう、そうすれば帰る方向さえ分からなくなる、私は気ばかりあせった。A子に早く追いつき連れて帰らなければ腕に力を入れるが、そうすればするほど前へ進まない、如何しても追いつけない。結局A子を見失ってしまった。私は突然、身震いするほどの孤独感に襲われ、親を見失った幼鳥が泣き叫ぶようにA子を呼び続けたように思う。 すると何処からともなく、あなたは家に帰って!とA子。私が一緒に帰るんだ、と叫ぶと、もう駄目、私は雪の精、今日は雪の世界に戻らなければいけない日なの、あなたと一緒にはもう戻れない! でも、あの子はあなたと同じ人間、これからはあの子のことを私と思って大事に育ててください、これが最後のお願い! 駄目だ、君も帰るんだ!帰ってくれ!私は必死になって叫んだ。しかし彼女は何も答えなかった。 ふと子供の泣き声に気付いて目を覚ました時、彼女はベットの上に座っていた。私は夢を見て冷汗をかいていたのだ。彼女の姿をベットの上に確認してほっとしたのは言うまでもない。 だがーー 私が目覚めたのを知ると、彼女は子供を連れてきて欲しい、と言う。私が、呼吸が苦しくなるから横になっていた方が良い、子供は私が面倒見ているからと言うが、いいえ今日はあの子を抱いてみたいの、と祈るように訴える。彼女に子供を抱く力はとても残っていないように思えたが、彼女はさらに強い決意を私に告げる。仕方なく子供を連れて来ると、彼女は頷き、最後の力を振り絞ったのか、やっとのことで子供を抱き寄せた。子供は母の気配を感じたのか嘘のように泣き止み、顔を見合わせ一瞬微笑んだように、そして何か言葉を交わしたようにさえ思えた。・ A子は嬉しそうに私の方を見て子供に授乳するような素振りを見せたが、突然動きが止まり、そしてーそのまま動かなくなった。彼女は顔に笑みを浮かべたまま眠るように死んだ。 つづく
2004年01月11日(日) |
雪女、クローンAの愛と哀しみーつづき |
彼女は産まれて来た子供に何の異常もないと告げられると、ほっとしたのかあるいは又それまでの緊張の糸が1度に切れてしまったのか数日間寝込むことになった。それでも自分の子供が余程可愛いのか彼女は付きっ切りで世話し、一日中子供の顔を見ていても飽きることがない、と言った。私はA子の健康状態が心配だったので、誰かに手伝いに来てもらってはと薦めたが、彼女は、その必要はない、あなたは自分の仕事に専念してくださったら良いのよ、とにべもない返事だった。 しかし彼女の幸せは長続きしなかった。産後一ヶ月の検診で悪性腫瘍が彼女の体全身に広がっているのが確認された。妊娠中抑えられていた癌細胞が一挙に増殖を開始したのである。寒い冬が続き、抑えられていた桜の蕾が一挙に開花したかのようで、もう手遅れ、散るのを待つだけだ、手の下しようがない、とC医師は断言した。 XIV 2月に入ってその日は朝から奇妙な天候状態が続いた。雪が降っていたかと思うと突然日が差し込む。雪に覆われた木々の葉や枝が太陽の光にあたかも宝石店に美しく陳列されたダイヤのように八方に輝く。彼方此方で突然木の葉が揺れたかと思うと四方に雪の粉が飛び散りしだれ桜のように降り注ぐ、とその合間から時に名も知らない大柄の鳥が奇妙な声を発しながら飛び去っていく。 A子の病状が思わしくないことを知って今後の診療所の運営をどうするか話し合うために集まった村人も、今日はあまり経験したことがない天候だとか、A子の病状がどんなだとか、今後の診療所の運営が心配だとか口々に語っていたが、いつものことで、鍋を囲み、お酒が入ってくる頃にはすっかり外の天候・診療所の運営の話などはそっちのけの話題となり村が抱かえている諸々の問題、殊に過疎化の問題は深刻で今後若者を村に引き止めるには如何すべきか?それにはA子のような、若くて美しい女性が村に来てもらうことが早道だとか、果ては某家の誰某の噂話が挟まったりして会議の内容が脱線することの方が多かった。ただ全員が喜んでくれたのは私が当分この地から離れないと言うことだった。 しかし結局、会議でははっきりした結論も出ず近い将来もう一度話し合いを持とうと決まっただけだった。帰り際に数人がA子の病状を見たいと二階の病室を訪れた時、A子はベッドに座り微笑んでいた。 彼女の病状は確実に進行しつつあった。貧血が強く、昔のようなふっくらとした健康美は失われ、主人から忘れられ、置き去りにされたみすぼらしい蝋人形のようにさえ見えた。その姿から、彼女の健康が再び回復し昔のように仕事に復帰することはとても不可能なこと、と村人達は悟ったようだった。それでも、皆は元気そうで良かったとか、色々見舞いの言葉をかけてくれたが、誰かが体に障るから横になって下さいと薦めると、A子はいいえ今日はとても気分が良いのです、元気そうな皆さんの顔を見るととても勇気付けられます、とはっきりした声で答えた。 村人達はそれ以上彼女の姿を見るのがつらかったのか、それとも気をつかったのか、早く元気になって下さいと言って帰っていった。
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