与太郎文庫
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2002年10月25日(金)  天誅か私怨か 〜 動機不詳、単独犯行、柳刃包丁、本庁出頭 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021025
 


 石井 紘基 参議院議員/民主党(東京6区) 19401106 東京   20021025 61 /刺殺
♀石井 ナターシャ 紘基の妻       1945‥‥ Russia /20021025(57)刺殺目撃
♀石井 ターニャ  紘基の娘/公設秘書  19720515 東京  /政治文化研究所代表
/1994-95 NHK教育テレビ「ロシア語会話」出演。ロシア語通訳
────────────────────────────────
 伊藤 白水   右翼団体「守皇塾」代表 1954‥‥ ‥‥  /20021026(48)警視庁に出頭
「アパートの家賃を工面してくれなかったのでやった」
/籍=尹 泉/199705‥ 改名/20040618 求刑通り無期懲役

 
257 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/01(月) 23:13:59 ID:gdTSTmE70
 
 石井紘基議員暗殺事件
 民主党の石井紘基議員が自宅前で刺殺された事件。
 犯人は右翼団体幹部の伊藤白水。これが主に報道された内容。
 
 後に、伊藤白水とは通名(本名・尹白水・ゆんぺくす)で在日の犯行
であったと判明。尹の所属する右翼団体はろくな活動実績もなく構成員
も本人一人のみ。
 普通なら「自称右翼」と報道されるはずだが、なぜかマスコミは上記
のように報道していた。
 石井議員は在日外国人地方参政権に反対の立場をとっていたがそのこ
とを事件と結びつけたテレビ報道は当時まったくなかった。
 今回の事件と関連を探してしまうのは、こじつけだろうか?
 
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200508011809.html
 
 ◆
 
── 石井紘基民主党代議士の刺殺事件について。週刊文春11月7日号
の「民主党石井紘基代議士と刺殺犯右翼の『黒すぎる関係』全証言」を
例にとって、今回の事件が行政によって仕組まれたものの可能性が高い
と言える根拠を示そう。中立的な立場の記者だったらどう書くだろうか
ということを念頭においてこの記事を読むと、どうしても不自然さを感
ぜざるをえない点が幾つかある。1.まず、伊藤白水という容疑者の名
前についてだ。「白水」というのは本名ではないと思うのだが、その点
についての記述がない。それでいて、「公安関係者によれば、伊藤は東
京都世田谷区生まれ。神奈川県内の高校を中退した後、一時、暴力団事
務所に所属していたが、知人に誘われて右翼団体「A」に所属。しかし、
約半年で脱退し、85年7月に一人で守皇塾を旗揚げ・・・」と述べて
いる。もしも「白水」が本名でなかったら、または、名前の変更をして
いたなら、高校時代の彼の様子などを、伊藤白水という名前からは辿る
ことができない。右翼団体「A」という書き方もおかしい。この経歴の
とおりなら、15年以上前の話だから、右翼団体の名前を出してもいいは
ずだ。もっとも、それだけ昔だから名前を出さないという言い方もある
かもしれない。なお、記事には、別のところで、右翼団体「A」の関係
者の話として、「うちは初当選のときから石井さんを応援しているが、
伊藤と石井さんの交際のきっかけを作ったのはうちだ。」とまで載せて
いる。2.石井事務所関係者の話として「(伊藤白水容疑者が)『俺は
前科17犯だ。何も怖くねえ。』とうそぶいてました。」とある。
「うそぶいて」と言う言葉を使っているが、事実伊藤白水容疑者が前科
17犯だったかどうかが記述がない。というより、前科があったかどう
かもまったく記述がない。普通、こういった重大事件の容疑者逮捕の際
には、警察の記者会見が開かれ、誕生日から、身長、体重、前科につい
てなど、かなりのことが明らかにされる。こう行った具体的なデータが
ほとんどないのが不思議だ。3.次に、伊藤容疑者の殺害動機について
の部分。「伊藤が『自分には石井代議士にカネを要求する権利がある』
と思い込むに至った、何らかの事情が両者の間には存在するのではない
か。
 容疑者逮捕を受けて26日夕刻に行われた石井事務所の会見は、この
疑問に一層拍車をかけるものだった。」と述べているのだが、石井事務
所側の会見内容について、何ら検証していないのだ。つまり、「こちら
で代議士が二人きりで会ったことはない。」などと言う発言に対して、
違う発言があるがそれについてはどうなのかと言う検証がない。それで
いて、「石井代議士と伊藤との個人的関係を否定しようという意図が窺
えた。」と書いてしまうのだ。これでは、事実として、石井代議士と伊
藤の個人的関係があったかのように思えてしまうが、どこにも、その証
拠はない。この記事全体の特徴なのだが、関係者の証言がどれも言い放
しで、互いの検証がないのだ。このことについて、同じ雑誌の「大島居
座り農水相にトドメを刺す」と言う記事との比較をしよう。「小誌の直
撃に対し、宮内氏は口利き料を得ていたことを否定し、家の主な購入原
資は父親の遺産と答えたが、宮内氏の兄はこれを否定。小誌が大島農水
相に尋ねると、今度は母親からの生前贈与に回答が変わった。だが、こ
の回答も親族によって否定された。」つまり、ここでは、ある発言に対
して、関係者による検証が行われている。これがない、ただの言いっぱ
なしの発言の引用だけである場合は、非常に事実の裏づけがないいいか
げんな記事であると思ってもいい様に思う。雑誌や新聞、テレビがどの
程度、政治や官僚の不正の監視をやっているかというと、かなり怪しい
と言わざるを得ない。司法も同様であり、裁判官や弁護士がぐるになっ
て、本来はかつべき当事者が負けになると言う例はよくあると言う。
 山口宏と言う弁護士が書いている一連の裁判の内幕ものはそう言った
ところの実情をよくあらわしている。たとえば少年事件で、加害者の名
前がインターネットに上がらない場合は、何らかの行政のかかわりがあ
ると思ったほうがいい。
── 祈り167(20021103)日々の記録とお知らせ
http://www.geocities.jp/taked4700/geodiary.html
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20081123
 天誅説から私怨説へ 〜 公憤・孤憤・私憤・誤憤 〜
 
(20081126)
 


2002年10月18日(金)  一件落着

  
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021018
 
■2002/10/18 (金) 遠藤くんの自伝
 
 遠藤 瓔子君のホームページを発見。自伝のようなものを連載している
のに驚く。同人誌にメールを出して、続きを送ってもらい、送金までに
ちょうど一週間かかった。その記録を《一件落着》と題す。このあと、
本人にメールを出すべきか、迷っているうちに一週間が過ぎていく。
(Day'20021018-1024-1030)
*20030622(以下166行削除)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓=Non-display><↑=Non-display
────────────────────────────────
 
 《gui 63号》P186-190、昭和35年 3月〜36年 2月→34〜35年が正しい。
 古い振替用紙があったので、これに記入して女房にもたせる。郵便局
は新しい用紙に書きなおしを要求、これを局員が再入力したという。
 Bourk-White,Margaret の前夫のことば(要旨、出典不詳)。
「本を読む人と書く人がいる。私は書くほうだ ── Caldwell,Erskine」
 
→ Mail'2003/01/15 (水) はるかなる読者より“寒月の右手”
 
 「ロバート・フリップ: 今回のミニ・アルバムが“左手”ならば、次の
フルレングス・アルバムは“右手”だ。(20021011)」
── http://entertainment.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=109485
 
────────────────────────────────
 
■2002/10/27 (日) 経営免許
 
 医者は、一定の期間ごとに学会に参加する義務があるらしい。
 そもそも零細企業の経営者は、運転免許とおなじように、経営免許を
取るべきではないか。四年ごとに更新して、基礎的な法律の試験をする。
 労働三法くらいは、知っていないと議論ができない。
 そのための社会的システムも、だんだん修正する必要がある。
 
 また、学校などの就職担当者や、企業の面接担当者も、基礎的な免許
が必要ではないか。ふだん役にたたないような社員が、こんなときこそ
えらそうにするのはいけない。ふだん役にたたないから、といって面接
などやらせてはいけない。あとあと責任のとれるようなシステムを考え
だすべきである。
(Day'20021027)
 
更新日: 20051114


2002年10月11日(金)  無事 〜 恩師の消息 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021011
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 二年前の日記より。
── 夕6時、金谷先生より電話「朝いちばんに電話したんやが、まだ
寝とったみたいやね」大原美術館や競馬のことなど。
 
「わしは軍隊でも馬を可愛がっとったし、眼ぇみると分るんやで」
「そうは云うても、たまに手ぇかまれることもありまっしゃろ?」
「そこやがな、たまにあるさかいに困るんや」
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021001 ヴァンデミエール
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20021011
 Ex libris Web Library;無事
(Let'20021009-1011 from Mr. Kanatani, Akira)
 
 金谷先生から(重ねて)はがきをいただく。落款に「金谷」とあって、
(妻が、近くの書道教授にみてもらったところ)「無事」と読むらしい。
 察するに、なにかの折にまとめて印刷されたらしい。年賀状など返事
を書くのが面倒なとき、そのまま出しても用は足りるのである。
 
 かくのごとく、金谷先生の才能は、とどまるところなく多彩である。
 こういう発想が、なぜ貴重であるかというと、受けとった者までさま
ざまなアイデアが湧いてくるからである。
 
 三年前の日記より。(Day'20010830)
 ろ組のセンセ 〜 金谷先生のこと 〜
 思いだしたエピソード(1)
 
 戦時中、幼い病弱な娘を疎開させるにあたって、父は数十枚の葉書を
与えた。その葉書には、あらかじめ父への宛名が書かれていた。
「元気な日には“○”を書いてポストに入れなさい」と、父は云った。
 
 こうして毎日一枚づつ、娘からの葉書がとどいた。しかし、だんだん
“○”に元気がなくなり、“○”が小さくなっていく。そして、ついに
父は、最後の一枚を手にして、娘の死を知った。
(向田 邦子《字のないはがき》より)
 
 もっと有名なのは、野口英世が、故郷の母のためにエアメールの封筒
に(ロックフェラー・センター宛)ゴム印で捺したという。
 タレントの神田うのも、在英中の父が、祖母のために用意したという。
(“うの”の名は、持統天皇に由来する)
 
 海外居住の高齢者では、母国語の話し相手が少ないため、ストレスが
生じるという。海外でなくとも、与太郎も京都弁で話せる相手がいない。
「ほな、さいなら」と云えるような幼馴染が居ないのである。
 
 カナダやカンヌにいる二人の楽友を思いうかべる。
 彼らは、その地に骨を埋めるつもりなのか。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060608 海を越えた友 〜 港が見える日々 〜
(別項に後述)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080822 (二次言語)
 Triplingual ? 〜 母語・父語・兄語・弟語・姉語・妹語 〜
 
「給食の時間に、みんなといっしょに食べる先生の姿を、いまでも思い
だします。いまだに、あんなにおいしそうに食べる人を見たことがない」
「親戚のおばさんに“皿まで食べるんか”言われたこともあるで」
 
「ボクも、ときどき真似して褒められることがあります」「貧乏人やか
ら、ガツガツ食べたんやろな。うまそうに食べるのは母親の影響やが」
「ボクにも貧乏人の知りあいはいますが、それとは違うんですよ」
 
 もう一つのエピソードは(とっておきなので)一向に筆が進まないが、
後々推敲するとにして、ここでは走り書きのメモを、そのまま転記する。
(これも三年前の日記に重複)
 
 たちまち先生は、梁川博之くんの目に入ったゴミを、舌で舐めとった。
 当時22歳の青年教師が、10歳の教え子を抱きかかえる姿は、ユージン
・スミスやミケランジェロの“母子像”にせまる鮮烈なシーンだった。
 


 Michelangelo, Buonarroti 14750306 Italy   15640218 88 /〜《Pieta 1499》
 Smith, W. Eugene     19181220 America  19781015 59 /誤=19181230 69
♀上村 智子        19560613 熊本 水俣 19771205 21 /当時15歳
────────────────────────────────
── 《入浴する智子と母 19700612 アサヒグラフ 197212‥ Minamata》

 
「先生は、どなたかに、そんなときの救急処置を学ばれたんですか?」
「そんなことがあったかなぁ」
「こういう敏捷な判断は、IQ(知能指数)の高さですかね」
 
「いや、IQとはちがう。せんだってNHKで、PDとか云うとったが、
情動反応やったかな、認識能力のようなものらしいで」
「それじゃ、早速インターネットで調べて、プリントを送りましょう」
 
 かつての教え子が(半世紀を越えて)恩がえしできるかどうか。
 残念ながら、PDでは検索できなかった。たぶんEQとみられる。
 ひさびさの長電話、贈り物より電話料が高くついたのではないか。
 
 その後、プリントを送るつもりだったが、量のわりに内容が乏しい
資料ばかりで、そのままになってしまった。(20041029-20051030)
 はてなに質問があったので、その一部を紹介する。
 
(20110306)
 


2002年10月01日(火)  ヴァンデミエール

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021001
 
■2002/10/01 (火) さらば、耳鼻科
 
 20020924 耳鼻咽喉科医院3600円借りる、薬局で1700円。
 20021001 耳鼻咽喉科医院(再診)
 初診では「運動不足と食欲不振は関係がない」と、まことに論理的だ
ったが、一週間後の再診は、まるで非論理的だった。
 「薬の効果はありましたか?」
 「たしかに、慢性鼻炎であったかもしれませんが、このたびの薬で、
快方に向ったような実感はありませんね」
 「そうですか。それじゃあ、もう二週間分出しておきましょう。この
薬は副作用がありませんから」
 この種の三段論法は、許しがたいものがある。かといって、その場で
争うに価しない気がする。断われば済むのだが、ほとんどの場合、これ
までの人生で、与太郎は容認してきたのである。
 ときに争うことは、愉快でストレス発散できる。しかし、論理的であ
るべき相手が、あまりに非論理的であるのは、なにかしか事情があるに
ちがいない、と同調してしまうのかもしれない。あとで、どんなに悔ん
でも、その時は争う気分にならないのである。
────────────────────────────────
 ノート・パソコンを常時オンにしていると、耳鳴りのような現象が続
くので、これが味覚障害の原因になるのではないか。
(Day'20021002-1005)
 
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■2002/10/01 (火) 曇、台風前日
 
 十月の記、教え子の賦
 十月四日は、横井軍平の命日。
 十月五日は、やしき・たかじんの誕生日。
 十月六日は、芝山先生のお誕生日。
 十月九日は、一昨年本宮先生が下さった書簡の日付。28年前参照。
 十月十日は、金谷常延氏の命日(当時、体育の日)。
十月十五日は、祖父・阿波保申の命日(五十七歳)。
十月十七日は、佐々木敏男君の命日(大沢善夫は十六日客死)。
 模写 〜 ピカソ《葡萄とギター 19591017 美校レポート》、出典不詳。
 ポスター《サービスに明日はない! 19801022 岡山鉄道管理局》
十月二十九日、曽祖父・阿波直三郎(五十九歳)客死。
 
 一昨年、金谷先生への電話で。
 金谷常延氏の命日は十月十日(享年不詳)。
「りっぱな人でしたね」「そうやったなぁ」「あんな立派な人に、生涯
を通じて、何人も出会えると思うてたら、ただひとりの立派な人でした」
「わしも、そう思うで」(書簡、同封せず。《葉隠》引用)Day'20021003-
 
────────────────────────────────
 
■2002/10/05 (土) 右肩あがり
 
 落語家の桂ざこば(雑魚場)は、同期同門の桂文珍のことを、あまり
好ましく思っていないふしがある。
 両人のパーソナリティは、それぞれ別のところにあり、とやかく云う
のも大人気ないが、落語家としてのキャラクターからすると、文珍は、
あまりに常識的でつまらない。
 たとえば早くから自家用飛行機を持っているが、誰も乗せないという
(家族をはじめ、誰も乗りたがらない、というのが実情らしいが)。
 ざこばいわく「みんなでワーッと騒ぐのんが芸人ちゃうか」
(谷本先生もHP《ざこばの「らくだ」20021023》で激賞されている)
 文珍は、もはや芸人などという意識はなく、空飛ぶビジネスマンだと
思っているのだろう。一部の関西人は、エラクなると言葉つきが微妙に
変化することに気づかない。“右肩あがりのアクセント”になる。
 一種のチック症状のようだが、はなし家としては致命的なのだ。
 
────────────────────────────────
 
■2002/10/06 (日)
 
 ことし“十月の葡萄”を、杉井・谷本両先生を加えた七人に贈る。
 天満屋でピオーネを選ぶ。マスカット・巨峰とのちがい分らず。
1006-1008発送依頼。《古い賛美歌》《悪友四重奏》《門庭再訪》同封。
20021009 夕6時、金谷先生より電話「朝いちばんに電話したんやが、
まだ寝とったみたいやね」大原美術館や競馬のことなど。
 
「わしは軍隊でも馬を可愛がっとったし、眼ぇみると分るんやで」
「そうは云うても、たまに手ぇかまれることもありまっしゃろ?」
「そこやがな、たまにあるさかいに困るんや」
 
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■2002/10/08 (火) ピオーネ
 
── ピオーネ 収穫期は巨峰よりやや遅い8月下旬から9月上旬。静岡
県の井川秀雄氏が、昭和32年に、巨峰にカノンホールマスカットを交配
して育成した欧米雑種で、48年にピオーネと命名されました。
 果粒は、巨峰より一回り大きく、ときには20gを越すことがあり、ゴ
ルフボール大となってジャンボブドウとよばれることもある。果皮は濃
黒色でつやがあり、やや剥きにくい。果肉は締まって、肉質はよい。糖
度はかなり高く、酸が少なく渋味はなく、風味は上品で、甘味の強い味
わいで人気があります。貯蔵性は短いほうですが、巨峰より日持ちがは
るかによく、全国各地で栽培が増加している品種です。
 最近はたね無しのものが多くなり、食べやすくなっています。またた
ね無しは冷凍庫に入れて凍らせると、おいしいシャーベットとしても楽
しめます。(主な生産地は岡山、山梨、広島、香川) 
── http://www.packet.ne.jp/fruit/syurui/budou/kuro.html
 
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■2002/10/09 (水)
 
 夕7時、金谷益子未亡人より電話。昨年11月ごろに倒れて、
手紙が書けなくなったので。昔のままの住まいは、数段の階段があって
(週二回のリハビリに)車椅子の出し入れ困難とか。常延氏は、国鉄を
退職されて、夫婦で旅に出ることになった。その日、三台ものカメラを
かついでいたためか、急に気分が悪いといってベンチに座りこんだのが
もとで、昭和五十四年十月十日(体育の日)六十歳で亡くなったという。
 当時その一ヶ月前、与太郎の起死回生の大作(B全)となるポスター
《ダイヤは眠らない! 19790912 岡山鉄道管理局》の下書きが完成して
いる。いま、奥様は七十八歳、氏が健在ならば八十三歳である。
 
 Mai'20021010 16:19 from:tbc00346 to:awalibrary
 
 ありふれた菓子折や、しおたれた特産物のごときは趣向がない。−−−
ミスター・同中
 
 昨日はしおたれていない”ニューピオーネ 1箱頂戴し、感謝します。
まだまだ新品種の開発が進んでいるのですね。学問の世界と同じですね。
今朝は”いま考えていること”に異色のノーベル賞をめぐって一言書い
ておきました。昨日から我が家はフレッツB100が入り一段とブロー
ドバンド化は進みました。これでこれからの映画の配信も十分利用でき
そうです。
 目下手元にある古いlpで少し面白いもの例えばOistrakhとRichterに
よるBrahms:Violin Sonata No.1 in G major など演奏の便宜を図って
CD−R録音もボツボツやっています。
 お元気で。また面白いDay is Dayを待ちます。お礼旁々 早々
 
谷本岩夫



 
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■2002/10/10 (木) 杉井先生
 
 夕6時半、杉井先生より電話。
 弘前高等学校は本当だったが、石坂洋次郎《青い山脈》モデル説は、
「風説にすぎない」とのことだった。
「きみの《門庭再訪》は、なかなか推敲されていて、よくできていたね。
芳醇な果実に、きみの誠実な態度がうかがわれて、感謝している」など
まるで高校生にもどって誉められたような気になって、うれしくてしょ
うがない。
「他の諸先生は引退されて悠々自適ですが、杉井先生は学者として現役
でおられるので、お時間を取らせてはいけないと遠慮しておりました。
名実ともにご引退されましたら、ふたたび河原満夫と一緒にお邪魔して、
その後のマルクシズムについて論じたいと願っています」
 その折は、ぜひ《ゲーテとの対話》のように、格調高く記録したい。
「お電話いただいて、まことに光栄です。奥様はお元気ですか?」
「うむ、元気だよ」「高校時代に二度もお邪魔して、夕食までご馳走に
なりましたので、どうかよろしくお伝えください」
「そうか、そんな事まで覚えてくれていたか」
(おぼえていますとも、当時めずらしかった電気炊飯器のご飯!)
 長居して、とっぷりと暮れた夜道を駅にむかう教え子に、帰途を案じ
た先生は、懐中電灯まで用意してくださったのである。
 いったい、何事を相談していたかといえば、最初は、第一学期はじめ
に、芸大受験するなら徹底的に学力をつけること、その決心をかためる
ための確認である。
 その効果はてきめんで、中間考査ではビリから一転して平均点に迫る
勢いだった。ところが、これで気を抜いたため、期末考査でリバウンド
して、せっかくの勢いも自滅してしまったのである。そこで与太郎は、
「なに、一浪すれば何でもない」と、ふたたびタカをくくった。
 二度目の訪問は、いったん武蔵野に入学して、予備校に通いながら、
翌年もういちど芸大に挑戦するという決意表明だった。
 要するに、このころの与太郎は、おおくの無能な青年とおなじように、
自信がもてない不安を、信頼すべき人に語りたかったのである。
 先生は、与太郎の話を、辛抱づよく聞いてくださったのである。
 
 Let'20021010 08-12 -1011         芝山 マツ
 
 気候不順な昨今ですが、今日は秋晴れのさわやかなお天気になりまし
た。お変わりもなくお過ごしのようで何よりです。
 本日は誕生日のプレゼントに、岡山の郷土の香りをお届け下さり、持
つべきものは教え子と、ご好意に感謝しています。自分の誕生日も忘れ
てしまっていましたのに、阿波君が覚えていて下さるなんて……本当に
有難い事だと……厚く御礼申し上げます。旬のフルーツ、ネオピオーネ
は、今仏壇に供えてありますが、後程賞味させて頂きます。
 同封して下さいました Day is Day を拝読し、阿波君は昔の先生や友
人を大事にしておられる様子が伺え、感心しました。
 私は、満七十五歳を迎えた今、担任の先生は、小学校も女学校も、師
範学校も亡くなられましたが、同窓会や、グループで定期的に会ったり、
自由に会ったり、旅行をしたりして、旧交を温めています。会う度にし
ょうもない話がいつまでも続き、タイムスリップして楽しんでいます。
 お元気で阿波君らしく自由に、今後もご活躍下さい。ご健康を祈って
います。      先は御礼まで   かしこ
 
 Let'20021010 18-24 -1011         金谷 泰典
 
 ありがとうさんでした。姉にもネ。みどりさんにもよろしく。
(画像「無事」)
 
────────────────────────────────
 
 Let'20021010 12-18 -1012         本宮 啓
 
 いつもいつも愉快な文章と素敵な果物有難とう。
 今日は同中教諭三筆ならぬ一筆の悪筆で失礼。
 ワープロばかり使ってると漢字が書けなくなって困ってます。
 同志社中高生管弦楽の歩み(略史)は来春第廿五回定期プログラムに
一応書く事にしました。略史ですが出来たら送ります。
 
────────────────────────────────
 
■2002/10/11 (金) 才筆
 
 芝山先生から、はがき。お手本のような矍鑠たるペン字は、昔とかわ
らない。ことし二月ごろ、かねての疑問を電話でたしかめた。
「書は、どなたに学ばれたのですか」
「ただの我流よ」(おどろいたなあ)
「ぼくの人生を通じて、先生は二番目です。一番の能筆は、父ですけど」
「お父さんは達筆やったね」
「もうひとつ伺いますが、
“♪もろともに いや健やかに いや栄に 暮しまほしく 祈る初春”
の出典を教えてください」
「あれは、私が勝手に作ったんや」(おどろいたなあ)(Let'19520104)
 
 金谷先生から(重ねて)はがきをいただく。落款に「金谷」とあって、
(妻が、近くの書道教授にみてもらったところ)「無事」と読むらしい。
 察するに、なにかの折にまとめて印刷されたらしい。年賀状など返事
を書くのが面倒なとき、そのまま出しても用は足りるのである。
 かくのごとく、金谷先生の才能は、とどまるところなく多彩である。
 こういう発想が、なぜ貴重であるかというと、受けとった者までさま
ざまなアイデアが湧いてくるからである。
 
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■2002/10/13 (日) 左伝について
 
 杉井先生へのメモ、また会える日のために。
 
 《春秋左氏伝》には、暦に関する三つの主題がみとめられる。
1、「三月、蒸ス」の記述。三月にして暑いのは、気候不順ではなく、
 閏月を置きすぎたことが原因である。
2、孔子は、しばしば「閏月は年末に置くべし」と言っているが、その
 理由はあきらかでない。最後の旧暦にあたる天保暦では、中気が無
 い月に(途中で)置くルールを設けているが、これとても天文現象
 に即しているとは言えない。
3、孔子は、五十にして易を学びたいと言ったのか。あるいは易に凝る
 ような友人は好ましくない、と言ったのはなぜか?
 以上、いずれにせよ、暦の専門家である司馬遷の登場によって、初の
史書が完成する。
(Day'20021013-1019)
 
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