与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020901 ■2002/09/01 (*) 彼我の医術 路上や機内・船上で倒れた場合、かかりつけの医師を呼べない。 日本人が、イスラム圏内で救急車に乗せられた場合は、どうなるか。 担架からベッドに移されて、診察がおわったとする。どうやら緊急に 手術を要するらしい。やむを得ない、見知らぬ異国人ではあるが、真剣 な表情のアラブ人医師(イラン人かアフガニスタン人かもしれないが) に命をあずけることになる。 ここで、彼が腕をまくりあげ、メスやピンセットをもって頭上にかぶ さってくるなら覚悟の上である。ところが現実はそうでないのである。 あろうことか彼は、長々しいお祈りをはじめるのである。 (おいおい、それはないぜ) 逆の場合、すなわちイスラム教徒が、非イスラム圏で倒れると、こう なる。 担架からベッドに移されて、診察がおわったとする。どうやら緊急に 手術を要するらしい。やむを得ない、見知らぬ異国人ではあるが、真剣 な表情の日本人医師に命をあずけることになる。 ところが意外なことに、日本人医師は腕をまくりあげ、メスやピンセ ットをもって頭上におおいかぶさってきたのである。 (ギャー、せめてその前にお祈りを!) この小噺は、むかし眺めた海外漫画《イスラムの歯医者》がヒントに なっている。ヴェールをまとった女性患者を、手探りで治療している姿 が、まことにおかしい。このヒントに加えて、アメリカのテレビ映画で、 イスラム教徒が「治療の前にお祈りをしてくれ」と騒ぐシーンを観た。 ほんとうは、当事者にとっては笑いごとではない。また、昨今の日本 では、治療の前に保険証を見せろという救急病院が、あたりまえになっ ているのではないか。保険証は、さまざまの加入契約があって、負担の 料率が複雑なので、病院経営にとって、重要な要件となっているのだ。 (20020901-0902) ■2002/09/02 (*) 松葉くずし ~ サポーター不信 ~ 「松葉くずし」と聞いただけで、知っていても知らないふりをする人が いるにちがいない。与太郎の友人の一人は、かならず知っているはずだ が、与太郎以外の人には知られたくないだろうから、彼の名をあげるこ とはしない(安心しろ、与太郎は大事なところでは、口が堅いのだ)。 まったく知らない人のために注釈すると「男女四十八手の一」である。 きょう、あるエピソードをおもいだして、パソコン検索したのが発端 である(何をいっても弁解になるが、語源をたしかめるつもりだった)。 約60件が検索され、どうやら他の用法はなさそうである。ついでに 二三項開いていると、それはそれ別世界の好き者たちが、それぞれ思い 思いのアイデアを繰りひろげている。「画像をクリックせよ」とあって、 つられてクリックしたところ、なんだか時間がかかりそうで、妖しい。 危険を感じて中止(キャンセル)するが、反応しない。意を決して電源 を切ってしまった。 この処置は、専門家にいわせると安全ではないのである。パソコンに とって、落雷や電源時のショックは、保証の限りではない。はたして、 ふたたび電源を入れてみると動作が変だ。「モデム選択」のメッセージ が出て、どれを選んでも、接続できないことが分かった。 サーバーのサポート・センターは混雑しているので、マシンメーカー の東芝に電話する(これまでの経験では、あらゆるトラブルに対して、 もっとも誠実な対応が期待される)。 担当者は、状況を把握すると、即座にいった。 「わいせつ画像を開かれていませんか?」 「なるほど、たいしたもんだね。たしかに心あたりがある」 ここで、しばらく世間話を通じて、問題発生の背景がわかってくる。 「彼らは、専門的な知識をもって、ゆえなく他人のパソコンを破壊する ことを愉快に感じるらしいのです」 「しかし、ぼくのパソコンを破壊したとしても、おなじホームページを 観ることができなくなるのだから、利にかなわないね」 「それでも愉快だという人たちが存在します」 「待てよ、画像にみちびくと同時に、有料通信に自動接続すれば、利に かなうね」 「そうです。そういうケースもあるでしょうね」 ここまでのところ、ユーザーとサポーターは意気投合した。いよいよ、 現実にトラブルを解決しなくてはならない。 最悪の場合は、リカバリーといって、マシンのすべての記憶を亡くす 処置にいたるが、いままでの苦い経験で、よくよくのことでないかぎり 回避したい。 サポーターの指示で、二三の再チェックを試み、これでも駄目なら、 プロバイダーに相談し、それでも駄目ならリカバリーとなる。 ようやく再起動してみたが、一回目はヒートアップが原因らしく電源 が切れない。しばらく冷ましてから、再起動したが、もとの動作不安定 のままである。つまり、東芝サポーターの状況判断は当たらなかったの である。 がっくり考えこんでしまった。サポーターといえども、百年もやって いるわけではない。基礎的な、専門知識はあるにしても、日常的な問題 解決能力は、さほどアマチュアと違うものではない。 かくて、Windows XP で開発された「システム復元」を試してみると、 みごとに的中したのである。一発で、昨日の状態にもどすことができた。 おわりよければ、途中がうらめしい。なんだかんだと、みっともない 話をすることもなかったのだ。これからは、トラブルが起きても、あわ てずに毅然として、まず一人で考えよう。反省!
■2002/09/02 (*) 谷本先生より 谷本先生から郵便物(高砂のコピー)到着。 ── ご教示ありがとう。取り敢えず感謝と共に5部同封しました。 谷本 岩夫 ──────────────────────────────── 讃美歌 四三一 一 ときこそきつれ あめつちの はじめの日より さだまれる おほみはかりは いもせをちぎる いはひのとのに いまなりぬ 二 たにのをがはの そこきよみ きしのひめゆり あさゆふに したしむかげの みずかがみこそ いもせのさまを うつしけれ 三 うきもなやみも よろこびも ともにおひつつ むつまじく さかえのしろを のぞみてすすむ いもせのみちの たのしさよ 四 八千代ことほぐ ももとりの うたのしらべも のどかなる はなのむしろに あまつつかひも いもせのさちを うたへかし ──────────────────────────────── ── Heiji Shinoda1896《讃美歌431 Arranged from TAKASAGO 1931-1932 》 [付記=75757777/信徒の生涯/結婚/創世2-18] ── その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは 良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(2-18) ── 新改訳・旧約聖書《創世記 19741001 日本聖書刊行会》P0003 ── 《Day was Day 》P031 脚注メモ「Takasago」 ♪(記憶では)「ときこそ来つれ 天土の 祝いの殿に今成りぬ」 ■2002/09/05 (木) 高砂三題(1) 中学二年(1953)秋の文化祭で、ジュニア・シンフォニーは《おもちゃ の交響曲》を演奏することになり、指揮者の本宮先生がおもちゃの楽器 を買いに出かけた。楽器屋で売っていないものに(豆腐屋の)ラッパも あった。このとき先生はピッチを忘れてきたことに気づいた。おもちゃ であっても、それなりの音程が要求される。 そこで先生は、学校に残っている生徒で、音楽のわかる者を呼びだす。 電話口に呼びだされた有賀が、ピアノまで届かないというと、 「そこでピッチ(音叉棒)を叩いてみてくれ」 有賀は、音楽室からピッチを持ってくると、電話機にむかってチーン と鳴らした。 こうして、先生は正しい音程のラッパを選ぶことができた、という。 (先生と有賀の、得意満面の表情を察すべし。のちに、有賀はポケット に音叉棒を持って歩くことになる)。 このエピソードは、現在の環境からみて、どことなく不自然である。 電話の天気予報や話し中の信号音はA=440'(NHKの時報もおなじ) だから、電話口で音叉棒を用意する必要がない。しかるに当時の電話は、 つねに交換手が登場するために、信号音を聞く方法がなかったのである。 (いまなら、話し中の信号音を聞くには、自分の番号にかければよい) 同志社中学および高校では、聖書講義、校祖伝記などを教科に加え、 「徳育」と総称するが、その中心儀式は、プロテスタント系の習俗たる 毎朝の礼拝である。 ここで全員が合唱する《讃美歌》は、おおくが世界各国の民謡である。 有名な、マルティン・ルター作詞作曲《神は我がやぐら》のような曲目 から、最新版にはシベリウス《フィンランディア》も収録されている。 (ビゼー《アルルの女・間奏曲》の主旋律は、讃美歌ではなく、ラテン ン語のカトリック祈祷文《神の子羊》を歌詞とする独唱曲である) ■2002/09/05 (木) 高砂三題(2) 中学三年の秋から卒業までの数ヶ月間、有賀誠一・木下聖治を中心に、 毎日うたってばかりいた。私的な早朝祈祷会での讃美歌にはじまって、 チャペルでの全校礼拝、休み時間から放課後まで、ハモってばかりいた。 枯木コーラス、と称していたが課外活動として認知されるほどの団体 ではなく、通りがかりの者(たとえば吉田肇)を加えて即席にハモった。 与太郎が選曲すると、有賀がピッチ(音叉棒)をはじく。最初の音を ハミングで示すまでに、他の者は楽譜をめくって待っている。 与太郎は、いつか目あたらしい曲をもとめはじめた。 合唱のための名曲は無数にあるわけではない。《音楽教科書》はじめ 《讃美歌》および《キャンプ・ソング》に、ほとんど網羅されている。 一般のアマチュア合唱団が発表会で採択するものは、前衛的もしくは 宗教的または政治的な傾向がつよく、かならずしも傑作ぞろいではない。 「合唱名曲集」などというタイトルにつられて買ってみると楽譜出版社 の常套商法か、買いたい曲と売りたい曲が、絶妙に重複混在している。 《新・讃美歌》から消えてしまったが、《旧・讃美歌》のなかに謡曲 《高砂》が収録されていた。すべての讃美歌とおなじく、混声四部合唱 用に編曲されていた。ためしに詠ってみると、謡曲の素養がなくとも、 「それらしく」聞こえる。このように邦楽曲が洋楽風の和声で記譜され た例は、きわめて希少で《君が代》か《越天楽=今様》くらいである。 《君が代》については《Day was Day》P053 参照。弦楽四重奏のため に編曲された《今様》は、高校三年以後、二三度演奏したことがあるが、 いまひとつ(弾き手にとっても聴き手にとっても)インパクトに欠ける。 ■2002/09/05 (木) 高砂三題(3) 彰栄館の一階での《高砂》試演の情景を今でも思い出すことができる。 阿波・有賀・木下・吉田ら枯木コーラスが、フィリップ社製のテープ レコーダーを囲んで、はじめて歌ってみたのである。 廊下を通りかかった“ゲジゲジ”こと市谷先生が、 「おう、なかなかいいじゃないか」と声をかけたほどの出来ばえだった。 与太郎は気に入ったが、なにしろ主旋律をユニゾン(斉唱)で、他の 声部はハミングと指定されているので、他のメンバーにとっては難しい だけで面白くない。また、いつどこで歌うにしても「場ちがい」なので、 一回きりでレパートリーから外されてしまった。 のちに、誰かの結婚式でやってみたいと考えていたが、四人そろって 楽譜が読め、かつ即興的に歌えるメンバーとなると、なかなか難しい。 中学時代のメンバーを集めれば、自分の結婚式でできないこともないが、 燕尾服を着た新郎が歌ってる姿は、なんだか間がぬけていて気がすすま ない。謡曲師匠を父にもつ銀行マンに「お客さま代表」として《高砂》 を謡ってもらうことになった。媒酌人は「屏風のかげで謡うものだ」と 主張されたが、前もって「プロではありませんが」とことわって、扇子 だけ持ってもらった。 それから十年後、在日朝鮮人の結婚式に参列する機会があり、余興を 求められるかもしれないので、《旧・讃美歌》を探しだし、(このころ 書棚にあったから、失ったのは1999年末だったか?)譜面をたどって、 ふたたび歌ってみた。伴奏がないので、いささかやりにくいが「日本の 音曲は、朝鮮雅楽がもとになっている」というような口上で、座をとり もつ予定だった。わざわざ新幹線の中でも反芻練習したにもかかわらず、 ついに所望されず、このアイデアは実現しなかった。彼らは《アリラン》 が始まると、他の文化を受けつけなくなるらしい。 以上は、谷本先生のホームページ《謡曲について》を読んで、思いだ したことである。理科教室の谷本先生が謡曲をたしなまれていたことを、 この機会に有賀や木下にも知らせてやりたい。 残暑きびしい折に電話で、うろおぼえの《讃美歌版・高砂》を謡った ところ話がはずんで、《旧・讃美歌》の楽譜コピーが送られてきた。 あれれ、いささか記憶とずれている(?) よく検分してから、もう いちど(楽譜に忠実に)歌わなくては……。 (Day'20020407-0905) 古い賛美歌 ~ いま考えていること 110(2002年9月) ~ 谷本 岩夫 ── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html ■2002/09/05 (木) 有賀 誠一 君へ 昨年の君の手紙は、ほんとうに懐かしかった。 姉上からも丁重な返信をもらった(もちろん礼状を出した)。 いっぺんに十数人の恩師・旧友から手紙をもらったので、なかなか 返事を書けないでいる。 カンヌの若林通夫君からの手紙も、ぜひ公開したいほどだ。 木下聖治君は(手をぬいて)電話をくれた。 去年のテロ直後、ゴリ・バンバ、タケウチ(大)と京都で会食した。 さらに十一月勤労感謝の日には、本宮先生を訪問して、約六時間歓談 した。これらの記録は、もっとくわしい手紙とともに、“委細後日” 谷本 岩夫 先生のホームページ ── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html を読んで、ぜひ、メールを送られたし!。 木下 聖治 君へ (〒ほぼ同文)同封《71歳のキャッシュ/ろくなやつなし/楽譜コピー》 Day'20020827 May'20020826 ■2002/09/10 (*) カナダより From: ariga [*] Sent: Tuesday, September 10, 2002 8:10 AM To: Awa Library Subject: Re: 高砂三題 ~ 枯木コーラス ~ 阿波君、 メールをありがとう。ちょうど新学年が始まったばかりだったので、 返事を書くのが遅れてしまった。 貴君の記憶の良さには頭が下がる。枯木コーラスのことなど、僕はす っかり忘れていた。そういえば、大原の三千院に行ったときに(たぬき と三人だったか、日笠さんという女子大生がも一緒だったか忘れたが)、 そこにあった古い梅の木をみて、「これは枯れ木ならぬ、うめきではな いか。それならおれたちも、うめきコーラスと改名しようか」と駄洒落 を言いながら、その写真を撮ったことを今思い出した。あの時代はたし かに懐かしい。 貴君には連絡が行かなかったと思うが、去る 5月25日が父の没後25年 にあたっていたので、久しぶりに日本へ帰り、丸田町教会での追悼会と 日曜礼拝に出席した。木下の他に、思いがけない人たちが日曜礼拝に来 てくれた(中東偕子、遊津寿子、阿部道子)。たぬきには工学部卒業40 年の同級会にも来てくれた。今回貴君に会えなかったのは残念だが、ま たそのうちに機会が訪れるだろうと楽観している。 谷本先生のホームページは一寸目を通してみたが、一々読んでいる時 間はないので、まだメールは送っていない。さて、いつになるか。 若林通夫君がカンヌに居るとは知らなかった。かれは25年前にカナダ のエドモントン交響楽団に居たことがあるが、そのときはたった一日違 いで会うチャンスを逸してしまった。僕はこのところ毎年フランスとド イツに行っている。去年はカンヌにも立ち寄ったし、また来年も立ち寄 るかもしれない。連絡をとりたいので、彼のアドレスを教えてほしい。 さて、次の仕事が待っているので、今日はこれまで。 お元気で。 誠一 拝 ──────────────────────────────── 「その写真を撮った」梅ノ木はともかく、当日のスナップはある。 現在のようなコピーが普及したのは1970年代以降である。それまでは ガリ版が主流で、青写真も1960年代以後(馬場久雄君の書簡)だった。 ── 友とするに悪きもの七つあり。一つは高くやんごとなき人、二に は若き人、三には病なく、身強き人、四には酒を好む人、五にはたけき さめる兵、六には虚言する人、七には欲深きひと。 /よき友三あり。 一つにはものくるる友、二には医師、三には智慧ある友なり。 ── 兼好法師《徒然草(第百十七段)》 ── 妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある 友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分(静)の熱 ── 与謝野 鉄幹・作詞(作曲者不詳)《人を恋うる歌 1908》 有賀 誠一 君へ Mai'20020910 09:31 to:'ariga 件名:委細後日 ~ ろくなやつなし ~ くわしくは“委細後日”としても、とりあえず。 若林通夫君はカンヌ交響楽団に在籍、アドレスは次の通り。 Michio WAKABAYASHI 谷本先生は(木下聖治君とおなじく)奥様の介護に専念されている。 ぜひ励ましのメールを送ってくれたまえ。本宮先生は意気軒昂だった。 父上の生没年月日はデータベースに入力してあるが、没後25年とは 気づかなかった。5年後には会って《Deep River》を歌いたいものだ。 ろくなやつなし ~ 理科教室の四悪人 ~(略)返信無用。 高橋 勘教頭の名刺には「電話吉田⑦六七八六」とある。
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