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■ (日記) 嘘について・・・。
人間、誰もが、軽い気持ちで一日一つや二つの、あまり罪にならない嘘はついているものだと思うし、誰かに注目されたい気持ちも、認めてもらいたい気持ちも、自分を大物に見せたいという自己顕示欲も多少はあるものだとも思う。
ただ、森○氏の嘘は、ちょっとスケールが大きすぎて、時が時だけにマスコミも取り上げちゃったものだから、あんなに大騒動になっちゃっている訳で・・・・・・。 もちろんその発言によって病気を抱えながら苦しんでいる人々の期待を大きく裏切り、落胆させたのは事実であり、それが罪だといえば罪だとも思う。
けれど、なんか最近は、どんどん森○氏が可哀想になってきて、『もういい加減許してあげてもいいじゃんね・・・。マスコミはホント、しつこいなぁ・・・。いつまで人の失態をアレでもかコレでもかと暴き立てりゃ気が済むのかね・・・。そろそろ解放してあげないと、あれじゃ自殺に追いこんじゃうぞ・・・・・・。これじゃマスコミ自体がいじめの根源になってるって事が子供達にだってわかるだろうに・・・・・・』
「それで、イジメはダメだとか、人を追い詰めるのは罪だとか、よく言うよなぁ!!」 なんて話をし合っている。 一事が万事みたいな物の見方をする世の中って、なんかはかなくて、冷たくて、嫌だなぁ・・・・・・。
アタシ も子供の頃は結構な嘘つきだった。(今でももちろんたまにはつくけどww) ただ、人を傷つけたり、欺いたり、利益のために騙したり・・・、と言う犯罪に繋がるような罪深い嘘は吐いた覚えはなく、小学校時代転校が多く、あまり友達が出来ない間は、母にバービードールを買ってもらったとか、昨日UFOを見たとか、お化けを見たとか、有名人が私に会いに来たとか(本当は母の経営している店に、ブルーコメッツの小田さんがお客さんとして数回来ていただけなのに)そんな嘘は度々ついていた気がする。
罪深い嘘としては、中学時代にチョイ不良化し、ゴーゴー喫茶(古!)に入り浸っていたのだが、その度、母に学校で必要なものを買うからと嘘をつき、お金をくすねたりしていた程度だ・・・・・・。 母も甘く、普段構ってあげられないせいで、財布の紐はゆるかったもんな・・・。
そんな自分にいつしか嫌気がさすようになり、それが反面教師となり、こんなにバカ正直で、書かなくてもいいことまで書いてみたり、今の自分の実態を人様たちに了解していて欲しいがため、貧乏やら自分のダメさを曝け出してモノを書いたりするようになったのかもしれない。と思うのだ。
アタシは未だしつこく物書き志望者なので、日記をつけるにあたり、ただの日記としてではなく、読み物として少しでも楽しんでもらいたいというサービス精神もあり、多少自分や日記の登場者をディフォルメして書く場合もあるが、極力人様のことを書くときには、その人が読んでもクスリ、ニタリと笑えるようなことを書かなければ・・・と言う注意はなるべく怠らないようにはしている。 時々グサッと刺さるようなことを書く場合もあるが、傷つける目的はなく、本人に面と向かって言えないような陰口は、なるべく書かないようにもしている。
ある女流小説家が「物書きは、敢えて書かないこともあるし、書けないこともある。そしてもちろん嘘や想像は書くのだけれど、知らない事だけはどうしたって書けなし、知らない世界のことも書けないもんよ・・・。だからドラマ性を出すには多かれ少なかれ、登場人物のモデルになった人様にご迷惑をかけてるわね・・・」と言っていたが、アタシもそう思う。 どの人の書物にも、その登場人物に反映されているモデルは居るのだと思う・・・・・・。
知っていることを如何に面白く、人を傷つけずに書くかということが物書きへの一歩らしいが、それが一番難しい訳で・・・・・・。 いい人ばかりが出てくる作品や、綺麗事ばかりの作品。自分自身及び、自分の家族や子供たちの幸せ自慢・・・みたいな畜無害で明るい日記は、羨ましく、微笑ましく、その類が大好きな人も多くいるかもしれないが、アタシ のようなちょっと外れたヒネクレ者の人間は、そのようなものを読んでいると、自分の情けなさや不甲斐なさがより露呈してきて、読むに耐えない日もあったりする。 ようは僻みっぽいだけのことなのだが・・・・・・。
アタシ は本当に芯から涙があふれるような、人間のどうしようもなく愚かな心の襞だを書いた、痛く深刻な作品も大好きだ。(松本清張など) でも、不幸でありながら、でもとことんまで暗くはなく、ちょっと笑えるような小説や映画も好きだなぁ・・・。 それか、どん底まで行っておきながら、何かのきっかけで急浮上した人が書いたものなんかも、読んでいて説得力があって大好きだ。 作品にペーソスとか、なにか物悲しさが漂うものを特に好む傾向がある。
なので自分にも人にも、ある程度の毒を貼り付けながらアタシ は日記を書いてはいるのだが、その兼ね合いがとても難しいよなぁ・・・・・・。
今書こうとしているのは「からくり箱」自体がモデルで、その店が生まれてから今現在に至る、店の日頃の風景や、時々起きる常連客ひとりひとりのプチドラマなどをまとめた作品が書きたいなぁ・・・と思うのだが、その登場人物たちの、どこまでを書いたらいいのかが全くわからない。
マキュキュと言う、ド貧乏で、商売ベタで、だらしなくて、明日も無いような綱渡りの危なっかしい経営者を、優しさだけで支える面々・・・・・みたいな美談ものなど、誰も読もうとはしないだろう。 その面々それぞれの人生ドラマや個性も、ある程度はリアルに織り込まなければ、みんながいい人だけで終わってしまう。 そうするとドラマチックにもならないし、面白みにも欠けると思う。
自分に対してはいくらでも毒は吐けるし、悪者にできるのだけど、人のことを書くとなると、とても悩む。 だって読む人が読めば、いくら店の名前や設定を変えても、名前を変えても,職業や年齢を変えても、そのキャラで、あっ!!これはあの人のことだ。と解ってしまうしなぁ・・・(笑) でも、あの店の、「限りなく真実に近い、嘘の物語」は、いつか必ず書きたいよなぁ・・・・・・。 それには、人様の恥部にも多少は触れないとなぁ・・・・・・。 あきら、早くアタシ の小説書いてよ!! それを参考に書くから・・・。(笑)
なんか、途中から話の方向性がかなりズレてしまった。
2012年10月18日(木)
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