マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) なんだか最近ツキが回ってきたなぁ…。


最近本当にツイて来たと思える日が多い。
去年までのアタシは10日辛い日が有って一日まぁまぁの日が有る・・・くらいのバイオリズムだったのだけれど、ここ最近、辛い日と嬉しい日が半々くらいになってきたような気がする。

昨日は水曜日だと言うのに、会いたくて心待ちしていたお客さん達がけっこう来てくれて、深夜までカラオケで盛り上がった。
しかも最後まで店に残ったのがじょーじんちゃんと(K)さん。
珍しくもアタシよりチョイ年上の人ばかりなので、昨日の歌は昭和一色。

ビートルズをはじめ、アイジョージ、ザ テンプターズ、ザ タイガース、石原裕次郎、バーバラ ストライザント、矢沢栄吉、 忌野清志郎などなど、まとまりはなくバラエティーに富んではいたが昭和一色!!!
いやいや、盛り上がりました。

物凄く楽しい一日だったなぁ……。

しかも(K)さんに、「家のパソコンも店のパソコンも、とうとうイカレて来ちゃったよ」と言ったら、次回来た時に不要のパソコン持って来てくれると言うし・・・・・・・・。(やった!!!)
Macのノートパソコンらしいけど、あきら先生もダウアー先生も居るし、そんなに操作は難しくないと言うので何とか使いこなせるようになるとは思う。
日記を書くことがアタシの生きるステイタスなので、めちゃくちゃ嬉しい。

そして先日コマキに美味しいランチをご馳走になったばかりなのに、今日はユッコからまたまたランチのお誘いが・・・・・・。
このところずっと粗食に耐えてたからなぁ……。超嬉しい[m:72]

そして、最近気味が悪いほど不思議なシンクロばかりが起こっている。

マイミクの(T)にある人の事で傷心メールを送ったら、「今ちょうど仕事で東京に居て、その人の店に行ったところなんだよ!!!物凄いタイミングでビックリしたよ」などと驚かれたり、健康ランドでは同名のカラオケ大会のグラチャンに出会ったり、昨日は昨日で久々の友人に電話をかけたら、「ちょっとぉ・・・、ついさっき友達とマキュから最近電話が無いけど元気なのかねぇ…って噂してたばかりだからビックリしたわ!!」などと言われたり・・・・・・ETC。
そんな事が3日に一回くらいの割で起こっている。

昨夜は昨夜で憧れの君にすご〜く思い切って電話をしたら(アタシャこれでも結構な小心者)快く会話してくれたし・・・・・・。
すっごくドキドキしながら電話したんです。(笑)

あまりに事が良く運んでくると、それはそれで怖い訳で……。(汗)
コレで宝くじなんかが多少当たってくれたら申し分ないんだけどなぁ……。

なんか、アタシ、死期が近いのかも……(笑)


2011年09月29日(木)


 (日記) 昨日はサムと語り合った。


アタシの周りには、生活に困窮しながらも、精いっぱい頑張りながら、何とか今の現状を切り抜けようと工夫している人たちがとても多い。

みな不貞腐れる訳でもなく、世間に背を向けるでもなく、悪事に手を染めるでもなく、ただひたすら、今をすこしでも良くするためにはどうしたらいいのかね・・・…などと真剣に話し合ったり考えながら、暮らしている善良な人たち。

そんな友人の一人でもあるサムが昨夜店にパスタを食べに来てくれた。
アタシと同じ年でもあり、母の店からの常連でもあり、音仲間でもある昔馴染の友人だ。
車なので酒は飲まなかったが、アタシのお任せパスタが食べたくなったと言う事で立ち寄ってくれた。
彼は生活支援や就労支援の仕事に携わっている。

「先日リストカットを撲滅させようというセミナーが有ってさ、自分もそんな時期を経たと言う絵空事ではない講師が来てくれて、真しに話してくれたんだけどさ・・・…」と言う話題から話がはじまった。

『相変わらず松本は失業者や生活保護の受給者は増えているの?』と聞いたら「残念ながら増え続けてるね・・・」との事。

頑張ろうとしている人、実際に頑張っている人たちが全く報われない世の中。
公務員やそれ以上の収入が有る人たちしか生き残れなくなりそうな世の中。
でもそうなったら一体誰が税金払うんだろうね……なんて話をずっとサムとしていた。

今や国中の皆が、自然災害に関しても、経済難に関しても、人間のあり方に関しても異常事態だと言う事はウスウスかんづいているのだろうけど、もうこの世を立て直す術はなにも無いのかしらね……と、互いの口からは溜め息ばかりが出る。

今や若者だけに限らず、一部の人間たちを除いては、かなり多くの人々が心を病ませていて、自分たちの未来に夢も楽しみも何の希望も持てなくなっている人が増え続けている…と言う話題に移り、どんどん話はヒートアップしていく。

「もう世界中が金融危機で、失業者や自殺者ばかりがこの先どんどん増えていくなら、いっそのことどの国もお金刷りまくっちゃえばいいのにね」なんて冗談も出たのだが……。

彼曰く、「もう何とか制度【その制度の名前忘れてしまった[m:78]】を導入でもして、いったん大金持ちも貧乏人もひっくるめて日本中を地均しして、昭和の頃のように物価も下げて、一からやり直さないと日本中が共倒れになる」と言う話にまでなって行った。

そして話は1960時代ころの話題に移り、「あの頃はみんな貧乏だったけど、まだまだ人間の優しさや心に、他人の事を慈しむゆとりが有ったよね・・・」と言う話で幕を下ろした。
みんな誰もが自分の一番良かった時代、楽しかった時代を一番愛しているんだろうなぁ……。

そんな話が終わろうと言う時にダウアーが立ちよってくれ、YOSHIMIの兄貴が立ちよってくれ、少し気を取り直して店は看板を消した。

あっ!!今日はチョンマゲの誕生日だ。
ご多分にもれず何もしてやれなくてすまぬ!!!

好きな料理の一品くらいは作っておいてやろう。



2011年09月27日(火)


 (日記) とらさん、二日間ありがとうございました。


とらさんは地元の年一組の常連さんから比べたら、もう一年の内に6回も来てくれた事になるので、最優秀他県常連客である。

昨日の客はとらさん、若いお嬢の二人連れ、コマキと、とらさん以外は皆女性。
ちょっとハーレム気分を味わっていただけたかな?

オマケに昨夜はYOSHIMI君が波田のイベント会場から駆けつけてくれ、氷川きよしの演歌を一曲と、X・Japanのヨシキの歌を一曲披露してくれ、とらさんはじめ、みんな大喜びだった。
(またキヨシとヨシキの歌って所が面白いなぁ・・・なんて……)

しかし、YOSHIMI君は本当に歌が上手いよなぁ……。
憎たらしいほど歌が上手い。(笑)

音域があり、声量も有り、音程が確かで、リズム感も確かで……と言う、いわゆる歌のうまい人はたくさん居るし、アタシも多くの人の歌を見聴きしてきた。
でも、YOSHIMI君の歌は、ただそれだけじゃなく、彼の歌には物語を感じさせる情緒と言うか語りが有るのだ。
それはYOSHIMI君の人生がタダの人生ではなく、2度も死にかけるような大事故に遭遇したことやら、今までの生き様の集大成が彼の歌に込められているからではないのか…なんて勝手に空想している。
なのでシャンソンなんかも歌わせてみたら、シャンソン界に新風を巻き起こすかもしれない。

とらさんも自分ではあまり歌を歌わない人だけど、色々な人生の艱難辛苦も味わってきたお人だろうから、聴きながら「イイネ、イイネ。たしかに松本で埋もれてしまうのは勿体ないね」と呟いていた。

とらさん、今日から大垣市に移動するようで、けっこうハードスケジュールな連休を満喫しているようだが、アタシも秋になるとどこか見知らぬ場所に行ってみたくなるなぁ……。
とらさんのように定期的に旅に出られる人が羨ましくてならないなぁ。

とらさん、今回もからくり箱のまた一味違った顔をお見せできたでしょうか?
楽しんでいただけましたか?
大垣市でも楽しんでくださいね〜。

きっと、そんな旅をすることが、とらさんの日々の仕事の原動力になっているのでしょうね。

今度の来松は来年になるのかな?

とらさんはいつも別れを惜しむように、必ず次回分のウイスキーボトルを入れていってくれる。
そんなとらさんの優しさが、何があっても店を続けなきゃ、と言う、アタシの原動力になるのだ。

とらさん、二日間ありがとうございました。楽しかったです。




2011年09月25日(日)


 (日記) どこかにやる気本願寺ってないのかなぁ……。


アタシはぐうたら神教の教祖兼信者であり(教祖も信者もアタシ一人)、他力本願時の信者でもあり、棚からボタモ寺(じ)の信者でもあるんだけれど、どこかにやる気本願寺ってのはないかいなぁ……。

もっと色々な事にやる気を出せばいいのに・・・・と、色々な人から言われる。

その根源は、やはり自分に自信がない事が一つ。
こう見えてけっこう臆病なのも一つ。
アタシは子供のころから、やらない内から自分でシュミレーションして、勝手に諦めちゃうクセがあっていけないんだよなぁ……。
色々と発想やアイデアは浮かぶし、こんなことをしたい、あんなこともしてみたい、などと構想は練って、一瞬やる気満々にはなるのだが、いざ動こうとすると中々腰が動かず、悪い方ばかりに考えが向いてしまい、期待していてそれが叶わなくなることが怖いので、尻込みしてしまうのだ。

まぁ、はなからノテでもあるので【ノテ=松本弁で、ものぐさ】マメ寺(でら)なんかがあったら是非真剣にお参りしたい。


サテサテ……。

昨日最初にドアを開けてくれたのは、なんと、(S)さんと、slow dancerさんのお二人。

「マ、マ、マジ!? きゃぁ〜!! 嬉しい〜〜〜〜っ!!!又来てくれたんだぁ〜」
信州に用事が有ると、必ずと言っていいほどからくり箱に寄ってくれるので、週2くらいに信州に御用を作ってくれると嬉しいんだけどなぁ……。

slowdancerさん達、先日ケンさんのお店に遊びに行ったみたいで、その時の土産話などを聞かせてもらいながら飲んでいたら、そこにとらさんが……。

紹介魔のアタシの事なので、さっそくお互いの事をご紹介させていただき、どうしてこんな松本くんだりの場末の店に来る事になったのか…などなど、しばらくの間雑談タイムに・・・・・・。
アタシはそれを聞きながら、一人でニタニタしている訳で・・・・・・。
と、そこへダウアーが現れ、後に毒舌2と(T)さんの異色カップルが・・・・・・。

昨日は東京組が二組、地元組が二組と、なかなかバランスの取れた御顔ぶれだった。
でも、考えてみたら、ダウアーも毒舌2もアタシも生まれは信州ではないので、正真正銘のジモティーは誰ひとりと居ない訳で・・・・・・。
そんなところあたりも、からくり箱って面白いなぁ……なんて想像しながら飲んでいた。

東京や県外からお客さんが来てくれた時、その時のタイミングもあるので、からくり箱の常連たちが一堂に顔をそろえる事は滅多にないのだが、とらさんにもslowdancerさんたちにも、徐々に常連さんを紹介できて、それがお客様にも楽しみの一つになっているみたいだ。

皆さん、アタシの日記を良く読んでくれているので、ああ、この人がマキュの日記によく登場する○△さんなんだぁ……と言う感じで、それが新鮮で面白いみたい。
なので県外から来るお客さんは、もちろんアタシがやっている店なので、アタシに会うための目的で来てくれる人も多いのだが、それよりもアタシの日記の登場人物に会いたくてやって来る人も多い訳で・・・・・・。

そう考えると、店ってやっぱり経営者だけが主役な訳ではなく、お客さんも主役な訳で、お客さんがその店を作ると言う話は本当なんだよなぁ・・・・・と改めて思った。

うちの店のお客さんは其々の人が各分野に才能がある若者も多いし、色々な業界で一線級で仕事をしている人も多いので、うちの店で知り合った人が何かのきっかけで、チャンスを得て、良くなってくれたらいいなぁ……なんて思う。

先ずは誰かを有名にしちゃって、棚からボタモ寺のおこぼれを授かろうと言う魂胆なのら。




2011年09月24日(土)


 (日記) 昨日はサッパリな日だった。&来客ニュース。


日のお客さんは小連休の前日だと言うのに、計二人だけ……。

今年は大地震や原発事故や巨大台風などで日本自体に大きな試練が与えられ、どんどん人の気持が萎えて来るような出来事ばかりだから、多くの人は尚更内に籠もってしまうような気持にならざるを得ないんだろうなぁ……。

やはりこう言う時期だからこそ、未来に不安を持ち、なるべく家族と過ごす事に価値を見出し、家に引き籠もろうとする人と、こういう時期だからこそ、いつ何が有るか解らないので、今のうちに日々を楽しもうとアクティブに動こうとする人と、大まかに言えば人間って二手に分かれるような気がする。

アタシのように引き籠りたくはないけれど、発散する余裕もあまりないので、成すがまま、時の流れに身を任せ、なるようになるがいいさ、楽しめる時には楽しめばいいさ、と言う、半ば諦め組も多少は居るかもしれないなぁ……。

昨日も一人のお客さんとは「どの道人間はいつどうなるか解らないよね・・・」と言う話で盛り上がり、猫の話で盛り上がり、もう一人のお客さんには、少しだけでも精神的に気持を軽くしてあげられたような日になって、まかりなりにもお役には立てたようで本当に良かったナリ。

今を悔いのないように、出来る範囲で精一杯、多少の楽しみや喜びを見つけながら今日を生きる。
アタシの方針は今こうだ。


サテサテ、来客ニュースに移りますが……。

今夜は東京からとらさんがやってきます。
いつも2日連チャンで来てくれるので、今夜と明晩はとらさんにお会いできます。
他県のお客様の中では皆勤賞もののとらさんですが、とらさんは探索心が旺盛なので、もしかしたらアタシより既に松本には詳しいかも……。
下手をすればとらさんにアタシが松本を案内してもらう……と言う事もあり得る訳で・・・・・・(汗)
如何に普段どこにも行ってないか(行けてないか・・・)と言う事ですね。
どうか今日&明日お暇のある方は、からくり箱にとらさんに会いに来てくださいね。

そして、もうひとつ他県の方の来店のニュースをお伝えします。
な、な、な、なんと、マイミクのキィすけちゃんが来月の10月15日の土曜日、ダーリンとお二人で初からくりをしてくれる事になったみたいです。

彼女とはミクシィの1955年生まれのコミュで知り合い、仲良くさせていただいてるのですが、今朝彼女からやっと夢が叶って、からくり箱に行ける事になったよ〜と言う嬉しいメールが届きました。

一期一会ではないですが、この広いネットの海で、会話を交わす人はたくさん出来ても、実際にお目にかかれる人は限りがあると思います。
なのでアタシは会えるチャンスがあれば出来る限り会っておきたい…そう願いながらネットを続けて来ました。

でも、その中でもこの人とは絶対にいつか会う事になるだろう……。そんな確信めいた予感は当たるもので(願いなのかも)多くの人たちに会えて来ました。
なのでキィすけちゃんの来店も今からとても楽しみです。
きっとその日も、昭和の良き時代に話はタイムスリップする事でしょう。

キィちゃんが、今朝のメールで「マキュちゃん、大しゅき嬉しくて踊っちゃおう!!」と書いてありました。(笑)
アタシに会う事をこんなにも楽しみにし、喜んでくれる人が居る……。
こんなに嬉しい事はありません。

だからこそ、日記を書き続けていること。店を持っていることに、かけがえのない価値が見いだせるのですものね……。


2011年09月23日(金)


 (日記) しかしYOSHIMI君の声は半端ないなぁ……。


昨日は来客も見込めそうもなさそうだったし、TVのニュースを見ていたら東京もどこもかしこも物凄い状態になっていたので、いつも台風時には平和な松本なれど、流石に今回の台風は何かが有るに違いないと思い、店を休んだのだが、拍子抜けするほど穏やかなまま、台風は通り過ぎていったみたいだ。
こんな事なら店を開ければ良かったとも思ったが…、まぁ、家でゆっくりサッカーを観れたのでよしとしよう。

昨夜の松本は雨がショボショボ降っただけ、風がソヨソヨふいただけ、今に来るぞ今に来るぞと戦々恐々としていたが、怖い思いをすることも無く床に就いた。
きっと四方八方の山々が長野県を守ってくれたのかもしれない。
何はともあれ何事もなくてありがたかった……。


サテサテ…。
一昨日の夜、家の充電器に携帯を差し込んだまま店に来てしまい、その日はどうしても携帯が必要だったので、酒屋やカラオケ屋が来るのを待ち、その後店のドアに(携帯を忘れたので家に取りに行ってきます。8時前には戻ります」と書いた紙切れをくっつけ家まで取りに行って戻ったら、YOSHIMI君と兄貴がドアの外で待っていた。(汗)

「ごめんごめん、雨の中お待たせしちゃって……」
一昨日は昨日よりも雨が降っていた位なので悪い事をしてしまった・・・・・・。

皆で乾杯して、なんだかんだとダベッていたら、そこへ(乙さん)という昔からのお客さんが・・・・・・。

今回YOSHIMI君はギターを持ってきてくれたので、彼のオリジナルなんかもたくさん聴かせてもらったのだが、本当に彼の声は素晴らしい。
アタシャこの方長年店をやってきたが、XJapanのヨシキの歌を原キーで歌える人に初めて出会った。
しかもヨシキよりも声が伸びているし……。
乙さんも大喜びで、今度何かの会が有ったら是非彼ら兄弟をゲスト歌手として呼びたいと言っていた。

乙さんが帰った後、沖縄帰りの(A嬢)が駆けつけてくれ、3時まで歌や会話で盛り上がった。

折角兄弟で来てくれたものの、昨日よりも酷い雨降りだったので他に客も無く、彼らの歌の実力を大勢の人にはお知らせできなくて残念だったが、これから徐々にそんな機会を設けようと思うので、どうか末長くお付き合いのほどを・・・・・・。

ともかく実力を持った人を埋もれさせておくのは勿体ない。
アタシの店を通じて少しでもたくさんの人に彼らの事を知って頂き、何かのチャンスのきっかけになれたら嬉しいなぁ…と思う。

YOSHIMI君のオリジナル曲のDVDも、まだすべては聴けてないけど、とても良いです。
もしもお店をやってる地元の人で、彼らの歌を聴いてみたい人がいたらご連絡ください。
あちらこちらのお店にキャンペーンで回っているそうなので……。


2011年09月22日(木)


 (日記) ささやかなこの人生・・・・・・


昔、今日の日記タイトルのような歌が有った様な無いような……。たしか有ったよね?

18日のお昼頃に健康ランドに入り、大広間の席を取って待っていてくれた修と合流し、さっそく乾杯〜。
ちょうどその日は月に一度のカラオケ大会の日だったみたい。なので大広間は既に客で満席状態。
大会が始まるまでの2時間、ステージのカラオケでは出演者および一般客などが順番に歌っており、ステージの右端には審査員席がもうけられている。
カラオケ大会の日に行ったのは初めてなのでチョット楽しみだ。

修はほぼ毎週健康ランドに来ているみたいなので、ランド仲間(?)も多く、前回のグランドチャンピオンの女性とも顔見知りみたいで、アタシタチ夫婦に紹介してくれた。
そしたらここでも又珍しいシンクロニシティが・・・・・・。

な、な、な、なんとその彼女、アタシの本名の名前の方が、字も読みも同じではないですか・・・・・・。
一般的なヨウコとかケイコとかミチコならばまだ解るのだが、アタシの本名は有るようでいて、なかなか無く、珍しい名前と言えば珍しい。
互いに互いの名前を呼び合い、「おお〜、友よ!!!」とハグハグし合い、直ぐに意気投合。
その時修が「マキちゃんもすごく歌が上手いんだよ」なんて言っちゃったので、後に歌わされる羽目に・・・・・・。

ああいう場で歌うのは初めてなので、ちょっと恥ずかしかったが、せっかく遊びに来てるんだから楽しまなきゃ・・・。酒の勢いも借りて「歌ってやろうじゃぁないか!!」ってんでリクエストした。
チョンマゲは「俺は良いよ・・・」と尻込み。(なんだ詰まんないヤツだなぁ・・・。何気取ってやがる!!)
あんな顔してて結構テレ屋なのよね・・・・・・。

彼女健康ランドの主みたいな人で、アタシが歌う歌も彼女がリモコンで入れてくれた。
アタシが歌った歌は、高橋真理子の「FOR YOU」

ざわついてた客席が一瞬静まり、皆が拍手をしてくれた。見れば、向こうの方でグラチャンの同名彼女が大きくオーケーサイン。
歌い終わって席に戻ったら「次回は絶対に出なさい!! 優勝間違いない!! アタシが保証する!!!」と言われ、「早い者勝ちだから、さっさとフロントに行って申し込んできなさい」と言われ、あれよあれよという間にその場でフロントに行き、次回のカラオケ大会のエントリーをしてきた。(チョンマゲの分も内緒でエントリーしてきちゃったwww)

サテ、当日は何を歌おうかなぁ・・・・・・・。3日後くらいまでに曲目をお知らせしなきゃならない。
コレも無料宿泊券の為じゃ!!!!!!

そんな事も有り、その日は呑みに呑んで騒いで、後に20数種類のスパを思う存分愉しみ、早めにホテルの部屋に帰り寝た。

夜に目覚め、チョンマゲは夕方から既にグロッキーでダメみたいなので、修と二人で又少し呑みなおし、食事をし、それぞれの部屋に。

又真夜中に目覚め、再びスパを愉しみ、プール風呂で10往復泳いで、疲れきって御就寝。
(しかしアタシもタフよなぁ・・・・・・)
昨日は9時前に健康ランドを出て、街中で食事をし家に帰り付いた。

久々に泳いだので、お陰で今日は朝から筋肉痛なり・・・・・・。

今日はこんな雨だけどYOSHIMI君と兄貴がからくりに来てくれるそうなので、楽しみだな。
又あの兄弟の半端なく上手い歌が聴ける。

しかしあの健康ランド、アタシは結構好きだなぁ・・・・・・。
あんなささやかな楽しみなんだけど、あの庶民的なムード、アタシは嫌いじゃないな。
来月のカラオケ大会で宿泊券が取れたら、それはそれで嬉しいなり。

http://www.kur-hotel.co.jp/shinsyu/index.html


2011年09月20日(火)


 (日記) 秋が一番好きな季節なんだけど・・・…。


ちっとも秋らしくないこの暑さ……。
なんと午前中にして部屋の温度は34度。
うちはサウナか!!!!!

お盆明けごろ薬切れになったので、もう一回くらいデポ(ノボセの注射の愛称)を打ちに行こうかと思ってたら、あの頃急に涼しくなっちゃって……。
なので喜んでナチュラルボディーでいたのだけれど、ここ最近の暑さはふたたび真夏に逆戻り……。もう我慢できない……。
今日の午後にでも又お尻にチクリと打ってもらってこよう……。

でも行くとあの爺ちゃん先生、話長いのよね・・・・・・(汗)
注射打ってさっさと帰りたいのに、この前もとっ捕まって20分も世間話に付き合わされ……。


サテサテ……。話は変わりますが……。


タバコが100円になるとかならないとか……。

アタシタチはこんなに貧乏なのに人よりも多く税金を払っている。なのに健康の為とか何とか言いながら、これは生活弱者への苛めも良い所だ。
国の方針で、今まで使えていたビデオは使えなくなるし、タバコが一箱1000円になんかなれば、もうタバコも吸えなくなる。
何の楽しみも息抜きもどんどんどんどん減らされてしまう。

そんなに健康を歌うのなら、いっそのことなら、それで生活を支えてきたタバコ農家やタバコ産業の人達に一生困らぬような保証をしてあげて、タバコ自体を売らなきゃいいんだよ・・・。
なきゃないで諦めも付くけれど、有りながら値段をどんどん釣り上げて行くのは人の足元を伺うような厭らしい苛めそのものだ。

生活弱者や、生活格差をなくしたい……なんて政治家たちは口先だけでは言ってるけど、貧乏人が益々生きる気力をなくすような世の中を作ってるのはアンタたちじゃないのさ・・・・・・。
なんで最近こんな虚しい世の中になっちゃったんだろうか・・・・・・。

先日「砂の器」を見ていて、電車の中でタバコを吸っていたり、取り調べ中に刑事も容疑者もタバコを吸っていたり、どこでもタバコを吸う人が居て、吸わない人も吸う人に文句なんかも言わなかったし……。
あの時代は皆が互いの何かを黙認し許し合い、認め合っていたような気がする。

あんな時代を当たり前に生きてきたアタシなんかは、これから益々保守的イジワル政治家が増えるばかりであろう日本で生きて行くのが、どんどん厭になってきたなぁ……。


2011年09月14日(水)


 (日記) 益々からくりは音楽の宝庫に。


昨夜は、早い時間にじょーじんちゃんが、氏の行き付けのお店のママさんとマスターを連れて来てくれた。
それはそれは楽しいご夫婦で、二人とも歌もプロ並み。(いや、プロ以上かも)
話も実に楽しく、今度ぜひそのお店に行ってみたいと思った訳で・・・・・・。
しかもママさんはコマキの旦那の同級生だそうで、松本は狭いよねぇ・・・・・・と言う話題で大いに盛り上がった。

そして彼らが帰った後は、長野県で頑張っている歌手のYOSIMI君と、その兄と、そのお父さんの親子3人連れが飲みに来てくれた。

http://tosp.co.jp/i.asp?I=yoshimioffice

YOSIMI君の兄はいつもアタシが呼んでいる代行の運転手さん。
彼はいつも愛想が良く、帰り道はいろんな事を喋りながら帰っていたんだけど、フとしたことから仲良くなり、一度からくりに飲みに来てくれ、その時彼の歌を聴いてびっくり仰天!!!!!!

歌の上手さが半端じゃないんですよ・・・・・・。

聞いてみれば、弟さんもお父様もプロ歌手だと言うではないですか・・・・・・。
お父様はハワイアンの現役歌手で、弟さんは演歌歌手(本当はビーズとかXジャパンとか、ポップス系も上手いんだけど、今は演歌を歌っているそうだ)

そしてYOSHIMI君の兄は歌手デビューはせずに(すればいいのに)今は二人のマネージメント的な役割だそうだが、なにせ皆さん半端なく歌が上手い。正に音楽一家。

昨日は顔見せと言う事で初めてお父様と弟さんを連れて来てくれたのだが、もう、アタシもダウアーもあっちゃんも口をあんぐりと開けて、ただただ彼らの歌に酔いしれていました。

いつもながら、良い歌を聴かせてもらって、その上お金までもらって、申し訳ない気分だなぁ・・・・・・。(滝汗)

YOSHIMI君もお父様も大変気さくな方たちなので、直ぐに仲良しに・・・・・・。
彼らを有名にしてあげたいなぁ・・・・・・。
アタシがそれほど真剣に思うほど、彼らの歌は上手で、その才能を埋もれさせておくのは実に勿体ない訳で・・・・・・。

しかし類友とはよく言ったもんで、最近からくり箱は音楽好きや歌のうまい人たちがこぞって来てくれるようになってきた。
そのたびに、アタシの中での「歌の上手なお客ベスト10」の順位が塗り替えられている。
最近では余りにレベルが高過ぎて順位を付けるのが難しくなってきた。

長野って歌のレベルが高いんだなぁ・・・・・・・・。
つくずくそんな事を感じる今日この頃。

YOSHIMIの兄貴、ありがとうね。
昨夜はとても楽しかったです。
お父様と弟さんにくれぐれもよろしくです。
これからも応援しますからね〜。


2011年09月13日(火)


 【エッセイ】 向日葵が大好きだった母のこと。


マイミクのあきらちゃんの撮った写真を見ていたら、なんだか急に母に会いたくなった・・・。

「あたしは花の中では向日葵の花が一番好きだなぁ。いつも太陽を追いかけて、首をくるくる回して・・・時々チョット疲れちゃったみたいに首をうなだれてる時も有ったりして・・・、そこが何ともいじらしいじゃない?」
母がそんなことを呟いていたのはアタシが小学生の高学年か中学生の時だったと思う。
その頃は反抗期だったし、母とは喧嘩ばかりしていたので、その呟きに返事さえしてあげなかった記憶がある…・・・・・・・・・。

アタシが小学校の3年生の時、父と母は離婚した。
売れないお笑い芸人で、吞べぇで、女好きで・・・・・・、人間的には面白くて優しくてお人好しだった父だけど、夫としてや父としては失格も甚だしかった父。
僅かなギャラをもらっては、家には入れず友人たちに奢ってしまうような父を、母はいつもどこか呆れて冷めた目で見ていた。そんなだから夫婦げんかも多い家だった。
やはり売れない女優と、銀座の雇われマダムをしていた母が、一家4人の生活(父・アタシ・父方の祖母)のほとんどを支えていたのだと思う。

それでも父は幼少時のアタシの事がかなり可愛かったみたいで、ストリップ劇場で前座のコントなんかの仕事が入れば、まだ3歳ほどのアタシを仕事場に連れ歩き、ストリッパーの楽屋にアタシを待たせ、ストリッパーたちにアタシの遊び相手をさせ、その帰りには父の通う一杯飲み屋で父は相方と酒を飲み、アタシには食事をさせると言うような事がたびたびあった。
面白くて優しい父がアタシは大好きだったので、いつも金魚のフンのように父に着いて歩いていた。

アタシが小学校3年生の時、岩手県のドサ回り先で知り合ったと言うストリッパーのおネェちゃんと父の浮気(父は本気だったのだろう)が母にバレ、母の逆鱗に触れ、二人はとうとう離婚してしまったのだ。
まだ幼いアタシは父と母とのどちらについて行くかと問われ、生活感の無い父では路頭に迷いそうなので、アタシは父が可哀想な気がして申し訳なかったが、オイオイ泣きじゃくりながらも、しっかり者の母を選んだ。
母とアタシは世田谷の生家を出て、一時期、幡ケ谷の叔母の家に同居をさせてもらっていたのだ。

やがて二年ほどが経過し、母にも新しい恋人が出来た。妻子のある人なので所謂不倫関係だ。
母よりも11歳も年上のその人は、築地の水産業の社長さんだった。
別れた父とは年齢も風貌も似ても似つかないその人に、アタシは最初の内はあまりなじめなかった。大好きだった父を捨て、他の人とくっついた母にも、アタシは反抗的になっていた。
母の新しい恋人は恰幅も良く、当時は金回りも良かったらしく、しじゅう母とアタシを旅行や高級店への食事に連れて行ってくれ、後に中野に住居付きの店舗を確保してくれ、母とアタシは叔母の家からそこに移り住んだ。
その頃からその人は中野の家に隔週ごとに通って来るようになり、アタシはその人の事を「お父さん」と呼ばされるようになった。

そんな暮らしが長く続き、それでも人懐っこいアタシは、徐々に「お父さん」にも打ち解けて行ったのだ。
「お父さんはお父さんで、案外いい人なのかもしれない・・・・・・」そんな気持ちで接するようになっていった。
しかし、母は「お父さん」に家庭が有ることで、たまに深く悩み、時にヒステリックになり、情緒が不安定になった時期も有った。

やがてアタシが若くして結婚し、諸事情から松本に移り住み、母も松本に呼び寄せ、家を建てた。
しかしやはり諸事情からアタシが離婚し、母が松本に店を持つようになってからも、「お父さん」は定期的に松本に通って来ていた。

母は「お父さん」の事を本気で愛していたのだと思う。「お父さん」も母を深く愛していたのだろう。
正妻との離婚は最後の最後まで出来なかったものの、実に母が62歳で亡くなるその日までの30年間、「お父さん」は母の元にずっとずっと通って来ていたのだから・・・・・・。

今になってみると、母が向日葵を好きだった理由がなんとなく解る気がする。
「お父さん」と言う太陽をひたすら追いかけ、首をぐるぐるまわし、時に疲れきって首をうなだれていた母。でも、枯れ果ててその花を朽ちらせるまで、母そのものが向日葵のような女だったような気もするのだ。

母が亡くなってからは「お父さん」は松本にはピタリと来なくなった。
やはり「お父さん」は母だけの太陽だったみたいだ。
それがアタシにはチョット寂しかったなぁ・・・・・・。

多分「お父さん」も年齢的に、既に他界されていることだろう。
今母は天国で、父と居るのかな? それとも「お父さん」と居るのかな?
それとも又新しい誰かと一緒に居るのかもしれないなぁ・・・・・・。
もしかしたら母の事だから、皆と一緒くたになって、大好きなマージャンでも楽しんでいるかもしれない・・・・・・。



2011年09月12日(月)


 (日記) 歯車が噛み合ってきたのかなぁ・・・・・・。


足を怪我して二日間も店を休んでしまったけど、今までのアタシだったら、その二日間に、敢えてたくさんお客さんが来て、足を引きずりながらでも店を開けた昨日はお茶っ挽き・・・・・・と言うのが常だった。
わざとらしいくらいに、如何にアタシをケチョンケチョンに凹ませようかと企んでいるかのように、全て裏目裏目・・・・・・うらめしや〜の世界だった。
でも昨日は違っていた。

いつもアタシが具合が悪くて休んだ時ばかり、計ったように[「これから8人で行こうと思ったのに・・・」とかの電話をくれる(T)教授たち5人が来てくれて、カラオケ三昧でどんちゃん騒ぎになった。

(T)達にやっと店で行き会えた・・・って感じ・・・・・・。

水商売はお客さんの足が向くのをただひたすら待つ商売。
アタシが若くて美人だったら、メールでも何でもしてもっと積極的に客引きをするところだけど、この年であり、この風体だ。
あまり積極的にお客さんに「来て来て」言うのは申し訳ない気がしてならない。
なのでお基本はお客様の気の向くまま足の向くままと言うのがアタシの営業スタイル。

ただ、明日がもうない・・・・・・というくらい、よほどに困った時には本当に気の許せる4〜5人ほどに「明日がないので今日来てね」というくらいの短いメールは打つが、またそう言う時に限って、その人たちも忙しかったり、遠くに居たりで結局お茶を挽くような事も多く、それが怖いので尚更消極的になる訳で・・・・・・。なかば人生まで諦めながらひたすら待つのみ・・・・・・。

でも、ここ最近、お茶を挽くようなことが無くなってきつつある。
先日酷い風邪で休んだ時も、2組ほどは来ようと思ったと言う人からメールが入ってしまったが、恐る恐る翌日店に行ったらちゃんとその日もお客さんが来てくれ、結構忙しかった。

少しずつ歯車が噛み合ってきたと言う証拠なのかな・・・・・・。




2011年09月09日(金)


 (日記) 食べたいものが食べたい時に手に入る(口に入る)喜び。


先日、ソロソロお寿司が食べたいなぁ・・・・・・と何気なく思ったら、最近常連になりつつある上さんが店に来てくれて、「ママ、あそこの○△寿司に寄って行こうよ」と、回ってないお寿司屋さんに誘われた。(ウハッ!!なんたる幸せ・・・)
ツマミに脂の乗ったさんまの刺身と、あさりの酒蒸しを頂き、大トロ・中トロの握りを頂き、赤貝のヒモ巻を・・・・・・。
ウニもいただいたかな?忘れちゃった・・・・・・。


アタシは蟹が大好きで、でも、スーパーで売っているようなパック入りの蟹は半額になれば買って蟹シャブなどにするのだけれど、身がパサパサであまり旨くない。
年の暮に年に一度の贅沢で、近所の魚屋で、生の一番太いタラバ蟹の足を一本だけ買ってぶつ切りにしてもらい、(それでも一本4〇〇〇円前後)それを焼いて食べるのがお年取りの恒例の贅沢の一品になっている。

あぁ・・・、ソロソロ蟹が食べたいなぁ・・・・・・と何気なく思ったら、じょーじんちゃんが北海道から帰ってきて、タラバの足をお土産に頂いた。しかも生タラバ[m:49]
これは即冷凍保存して、日曜日までお預けで、日曜の晩酌時に焼き蟹にして頂く事に・・・・・・。(ウハッ!!なんたる幸せ・・・)

懐事情に寄り、自前では中々行けないような店に連れてってもらったり、買えない食材を頂いたりすると、アタシは飛び上るほど嬉しい。
今はこんなに貧困だけど、父も母もかなりな食道楽だったので、子供のころから旨いものは知っているつもりだし、飲み屋通いも若い頃には随分経験しているので、どうしても飲食に掛けては妥協が出来ない。

旨いものを一度知ってしまうと、まずいものが食べられなくなるのは、ある意味不幸だなぁ・・・と思う。

今は自力の贅沢は出来ないので、極力安い材料を用意しては、あそこの店と同じような味を出す!! というステータスで旨い料理を作る努力はしているつもりだが、いつも店でも家でも自分で料理してばかりいるので、たまには人様の店にも行きたい。
車は走ればいいと思ってるし、洋服は着てれば良いと思っているし、アクセサリーも何もいらないけど、食に掛けてだけはなるべく旨いものが食べたい。そして極力旨いものをお客さんに提供したい・・・と思う。
美味しいものを食べながら美味しい酒を飲めてる時だけは、少々の日常の厭なことなども忘れられ、最高に幸せになれるもの・・・・・・。

オヤジだね・・・やっぱアタシlは・・・・・・。


2011年09月07日(水)


 (日記) 「白く染まれ」を読み終えた。


昨夜「白く染まれ」を全て読み終えた。
各界の大物たちの常連さんが店の30周年記念にWHITEと、そのママさんに贈った寄せ書き・対談・などを収録した本。
従兄弟も寄せ書きを書いているし、伯父のエピソードは結構所々に書かれているので、相当二人とも通い詰めていたんだろうと思う。

かのビートたけしの事を「たけし」と呼びすてにし、森田義一の事を「タモリ」と呼びすてにし、和田アキ子の事を「アキ子」と呼びすてにし、中村勘三郎のことを「のりちゃん」と呼ぶゴットママ・・・・・・。

松田勇作に平手打ちを喰らわせ、内田裕也を出入り禁止にし、お客の頭をビール瓶で殴ったり、お客の顔に水や酒をぶっかけたり、ソファーで寝ている役所宏司に「起きなさいよ!そこはアンタの寝どこじゃないんだよ!」と一喝するゴットママ・・・・・・。

もちろんそれぞれがまだそれほど有名ではない頃から通い出した店ではあるのだろうが、一人又一人と徐々に有名になっていき、今や各業界のトップクラスの大物たちを何百人も(何千人かも)送り出してきたWHITEと言う店の神話は、読めば読むほど面白く、心惹かれてならない。

ある日著名な人が二人でWHITEに飲みに行ったら、カギも掛かっていなくママ不在。
カウンターに「新宿で飲んでるから電話して」とのメモと、10円玉が・・・・・・。
さっそく電話を掛けてみたものの、もうママさん梯子をしていたらしく、一向に連絡が取れない。
仕方ないからカウンターに入り自分たちの飲み物を作って呑んで待っている内に、あれよあれよと店が満席になって困り果て、結局一日働いてきた・・・・・・などの波茶滅茶であり得ないエピソードや武勇伝が実に満載なお店みたいだ。
店では客同士、ママと客との喧嘩も絶えなかったらしく、放送禁止のようなお色気ゲームや、くだらない遊びで楽しんだエピソードなども沢山書かれてある。

ママさんはWHITEに集う人たちをお客さんという目では見ておらず、一人一人の人間として、本音で対等に真剣に付き合ってきたのだと思う。もちろん有名であろうとなかろうと・・・・・・。一流であろうとなかろうと・・・・・・分け隔てなく・・・・・・。
そんな所がステキで堪らない。

ネットで調べてみたら宮崎三枝子さん(ママ)は2008年にまだ享年67歳という若さで、残念ながらもお亡くなりになられたそうだ。

http://ameblo.jp/counselors/archive1-201004.html


もう一回くらい従兄弟にねだって連れて行ってもらっておけばよかった・・・・・・。

ママさんの読者ファンとして、心よりご冥福をお祈りいたします。

でも、大好きだったステキな仲間たちと、いまも天国でもWHITEを営みながら、楽しくおかしく賑やかに過ごしておられるんだろうなぁ・・・・・・。



2011年09月05日(月)


 (日記) マキュおばちゃん唖然とする・・・・・・の巻。


基本的にアタシの歴代の店は「下ネタ厳禁!!」という事になっている。

でも、なぜかエポック時代から、フとした話題が下ネタに発展し、止め処なく盛り上がっていくのは、いつだって決まって年端もいかぬアルバイトの女子大生や若い常連女性群なのだ。
下ネタと言っても、SEXがらみの類ではなく、オナラネタやらウ○チネタの体験談が多かった気がするのだが・・・・・・。

嫁入り前の女の子が良く言うよ・・・・・・と呆れながらもアタシも随分と笑い転げたものだった。
しかしこれ以上野放しにしてはならぬと思い、「あんんたたちもういい加減にしなさいよ!!アタシが黙ってりゃ、一体どこまでその話転がって行くのよ!!」と言うまでそれは延々拍車をかけながら続くのだ。

いいおじさん達も真っ青になるほどの、その子等のゲスな会話を、若い男のお客たちは決して自らの手(口)は汚さず、傍観者を装いながらも耳をダンボにしながら「イマドキの女たちは怖いわ・・・」などと呆れながらも、ニタニタゲラゲラおこぼれ話で楽しんでいるだけなのだ。

昨日久々にからくり箱始まって以来の超ど級のシモネタが爆裂した。

店に居たのはdoctor&magicianのKanegonnちゃん、&年端も行かぬ若いレディーの二人組と、ダウアー。
皆顔見知り、噂見知りではある。

最初はKanegonnちゃんのプロ級のマジックに喜び驚愕しながら、和気あいあいと飲んでいたのだ。

しかし、何かで乳癌の話になり、アタシの
「アンタ達も嫁入り前なんだから、ちゃんと定期的に乳癌とか子宮癌の検診はしたほうが良いわよ」という気真面目な忠告からそれは始まったのだ・・・・・・。

そしてなぜかその話から、脇毛の話に発展し、チチ毛の話に発展し、徐々に下の毛の話に発展しつつ、最終的にはおケツの毛の話にまでなり・・・・・・、ハテは止め処なくなり、これ以上はとてもじゃないが日記になど書けないような話にまで発展し、doctorのリアル図解説明なんかもアリで、昨夜もそんな話だけで真夜中の3時まで超超盛り上がってしまったのだ。(笑)

それらの話題を中心に回していたのは、ご多分にもれず年端もいかぬレディーたちである。

マキュおばちゃん、唖然脱帽・・・・・・。

またまたご多分にもれず、ダウアーさんは、自らの手(口)は決して汚さず、上手にその話群がエスカレートするように巧妙な相の手なんかを入れ、耳を超ダンボにし、眼孔まで超まん丸にし、腹を抱えてただただ笑い転げていただけだ。
(ずるいんだから、もう・・・・・・)

Kanegonちゃんに「さぁ、明日のマキュキュの日記が楽しみだ・・・・・これをどう書くのかなぁ…」と期待されたが、アタシャとても日記に書く勇気などございません。
んなこと書いたらmixiからおいだされちゃう・・・・・・。

アタシも昨夜で両目尻のシワの数が6本ずつくらい増えた気がする。
しかし、笑った笑った・・・・・・。

まぁ、あっけらかんとした若いレディーの下ネタくらいなら、たまにゃぁ〜許すか・・・・・・。



2011年09月03日(土)


 (日記) 著書「白く染まれ」(ホワイトという場所と人々)が面白い。


誕生日にダウアーがプレゼントしてくれた、以前から欲しかった著書「白く染まれ」(ホワイトと言う場所と人々)と言う本を今夢中で読んでいるところ。
分厚い本なので昨日から読み始め、まだ半分ほどしか読んでいない。

芸能人やらTV人やら文化人やらジャズ屋やらロッカーやらのそうそうたる著名人が、一度はそこを訪れ、皆が虜になったと言うその店の30周年記念に出版された本らしいのだが、ママさんが書いたと言う訳でもなさそうで、店に通う定連さんや常連さんがその店について書いたものの特集本である。
世の中にはもの凄いママさんが居るもんだなぁ・・・・・・と、読んでいて楽しくてならない。

当時親戚の家が四谷3丁目と4丁目の間にあり、そのホワイトと言う店もすぐ近くに有ったので、伯父や従兄弟がその店の大常連だったのは知っていて、従兄弟の話などから伝説のbarだと言う事で、その店で起きた数々の武勇伝などをたくさん聞かされていたので若い頃から興味津津だったのだ。

まだ私が東京にいた頃か、松本に来てからか東京に里帰りした時(その頃は私の母は健在で、中野で店をやっていたので)かは忘れたけれど、まだまだアタシが20代の頃、一度だけ従兄弟かなんか連れて行ってもらった記憶は有る。
まだ20歳そこそこのアタシには異空間過ぎて、その面々のあまりの凄さと狂乱ぶりに圧倒され、気後れし過ぎて早々に親類の家に逃げ帰って来た。

この前ネットで違う本を探していて、たまたまっその店の本が有ることを知り、読みたくて読みたくて仕方がなく、注文しようとしたのだが、ダウアーが誕生日にプレゼントしてくれたのだ。

この店のママさんは今でもご健在で西麻布でお店をやっているのだろうか・・・・・・?
冒頭部分に出て来るママさん像がクスリ笑える。

伊集院静香さんのコメントからなのだが…。

店をオープンしたばかりの頃、ある夜、独りで出かけた。
地下にあった店は予想した通り、素人の店その物で、客は呑んだくれ酔いどれの如何にも金払いの悪そうな男たちばかりだった。「おい、ミーコさん、こりゃダメだ。さっさと店〆ちまわないと家賃の払いと酒屋の未払いで大変な事になるよ」

「そうなんだけど、あの連中も可哀想で、他に行く店もなさそうだし……」

ーーコリャダメダ。

と思ってものの、昔からの馴染みだし、大人数の宴会があるとwhiteに寄った。ところが金を払う段階になると、こう言う。

「ねぇ、いくら取ればいいのぉ?」

ーーマスマスダメダ。



と・・・・・・。
アタシもいまだにこんな状態だから、なんか他人事とは思えなく、楽しく読み進めているのだが、いや・・・・・・ここのママさんって凄すぎる。
水中バレエをやっていた頃、良く劇団の先輩に連れて行かれた「青い部屋」の戸川ママの比ではない。


2011年09月01日(木)

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