マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 年末の営業のお知らせ。


久々に日記を書こうとしたのですがパソコンが今朝方から不調で、ネットに繋がったり途切れたりの繰り返しなので、取り急ぎ年末年始の営業のお知らせだけに留まります。
年末は30日まで、年始は今のところ不定です。
又、書きたい事が沢山有りますので、ネットが安定しましたら日記を書かせていただきます。





2009年12月28日(月)


 (日記) 最近益々涙もろくなってきた。


最近、何かに付け、やたらやたら泣けてくる。
悲しい涙ではなく、悔しい涙などでもなく、寂しい涙などでもなく、何の涙なのかは良く解らないけれど、景色を見ては泣けてきて、音楽を聴けば泣けてきて、ドラマを見れば泣けてきて、愛しい人々を思い浮かべては泣けてきて、我が人生の懐かしいシーンを振り返れば泣けてきて・・・・・・。
どうも蛇口が壊れちゃったみたいだ・・・・・・。
こんなに泣けてばかりいると、体中の水分が出切って干乾びちゃうのではないかと思う。

でも何となく心地悪い涙ではないんだよなぁ・・・・・。
少し感動が入り混じり、少し切なさが入り混じり、少し慈愛や慈悲が入り混じりなんか不思議で複雑な涙なのだ。

この涙がおとぎ話のようにダイヤモンドや真珠になるなら、一杯泣いて泣いて、辛い人や貧しい人に与えて喜ばれる事も出来るのに・・・・・・アタシが泣いても何の役にも立たない事が悔しくて又泣けてくるのだ・・・・・・。

今日も大好きな人のお母様が亡くなってと聞いて、又泣いた。
しかしやはりそれには一種の感動の涙も入り混じっている。
その方のお父様も僅か数年前、確かこの時期に亡くなられていると思う。

あの世に行っても、現世での暮らしぶりは中々忘れ切れるものではなく、年末や年始が近付くと、いつも長年寄り添っていた連れ合いが居ない事に寂しくて寂しくてきっとお父様はお母様を捜し求めていたのだと思う。
余りの寂しさにお父様はお母様を呼ばれたんじゃないかと思うと、もしかしたらお母様も最愛のお父様と再び再会できた事で喜ばれているのではないかとも思えてきて、ああ・・・本当に仲の良かったご夫婦だったのだなぁ・・・・・・と、それに感動して涙が止まらなくなったのだ。

愛し合い切った夫婦は、後を追うんだよなぁ・・・・・・。
夫のご両親もそうだったもの・・・・・・。

アタシ等夫婦は出来る事なら一緒に旅立ちたい・・・・・・。

このように次々に泣ける題材が訪れ、最近泣きっぱなしである。



2009年12月23日(水)


 (日記) 今年も余す所後10日なんだなぁ・・・。


何だか今年は、思い起こせば正に宿命大殺界の終わりにふさわしく、最後の最後まで駄目押しの如く大荒れに荒れた1年だったよなぁ・・・・・・。
20年間続くと言う宿命大殺界も、12年間で一番悪いと言う停止も、後10日で終わるので、もうこの先はこれほど苦しい事ばかりは起こるまい。
今年しぶとく生き残れたのだから、もう大丈夫なような気もする。

今年はかなり初っ端から痛めつけられ続けた1年だったような気もするけれど、それを書く糧や養分にしたり、生きる知恵にしたり、こんな風に大荒れに荒れた1年だったからこそ、人の本物の優しさやその場限りの虚像などを見分ける心の目も養われる訳で、益々洞察力や直観力などが研ぎ澄まされて来るような気もするのだ。

だから辛い時や苦しい時こそ、何かが培われる時なのだと言うのは、決して嘘や慰めなのではないと言う事は充分に解っている。
それ等は向上心を鍛える為のすばらしい教材なんだろうなぁ・・・・・・。

まだまだ発展途上のアタシだもの・・・。
大器晩成を望むべく、この先も色々な経験をし、感性を磨いて行かなきゃね・・・・・・。


2009年12月22日(火)


 (日記) 最近予想が大幅にズレ始めてきた。


とてつもなく嬉しい事だったハズが、本当はとてつもなく残念な空しい結末に終わると言う事も有ったが、余り期待していない時に、飛び切り嬉しい事なんかも増えてきたので、アタシは今元気を少しずつ取り戻しながら毎日を過ごしている。

昨日は雪がちらつく金曜日。
折角の華金にまで雪を降らせるぐうたら神の執拗さに、(こんちくしょうメ!)と思っていたのだが、昨日は心に残る素晴らしい日になった。

先ず最初にドアを開けてくれたのは、アタシの心の足長オジサン(O)さん。
つい先日お渡ししたアタシの手記を、もう読んでくださったらしく、その感想を兼ねて色々なおしゃべりで楽しんだ。
(O)さんとアタシも25年ほども前からの知り合いである。
その(O)さんに面白い事を言われた。

「お前さんの人生は、傍から見るととても危なっかしくて見ちゃ居られないような生き様だけど、俺はずっと昔からお前さんを見てきて、お前さんは昔から生き方や思考が一貫してるよなぁ・・・。ソコが凄い事で、昔から全然変わってないもんな・・・。マキよ、お前はもう自分の生き方を貫き通せ! 俺は何も言わないよ。お前さんがまともな人間みたいな生き方に変わったら、お前さんらしさが無くなるだろうし、むしろつまらない人生になってしまうのかも知れないもんな・・・」ですって。

やったぁ〜〜〜!!

理解してくれたのか匙を投げられたのかは解らぬが(笑)アタシャこういう風にアタシの生き方を承認(?)してもらえるのがもの凄く嬉しいのだ。
どうやら(O)さんは、アタシが感性を磨く為にそういう人生をわざと選びながら生きている事に、多少の共感を感じてくれたみたいだ。

「しかし客来ないねぇ・・・」
心配する(O)さんに「(大丈夫、今はからくりマジックが起きてるんだわよ)と、アタシは心の中で呟いた。

(注: からくりマジックとは、ご存知の人も多いと思うが、真剣な話がある人が来ると、その話しが終わるまで、誰も入ってこない不思議な現象のこと)

その通り、(O)さんとは様々な話で盛り上がり、互いの語らいに満足し終わった頃、丁度じょーじんちゃんが来てくれ、その後アクヤちゃんが来てくれた。(ハテ? どちらが先だっただろうか・・・)

そこで(O)さんはニタリと安心したような笑みを浮かべ、雪の中へと消えて行った。

アクヤちゃんは年に1〜2度なれど、アタシの近況は日記を読んでくれているので、いつもハラハラドキドキしながらもたまに生身のアタシを確認すべく、顔を出してくれるお友達である。
昨日は初対面の謎の男(S)君を連れて来てくれた。

アクヤちゃんの目的は(S)君にアタシの歌を聞かせる事らしく、シャンソンを一曲歌ったら誉めてもらえて嬉しかった。
どうやら謎の男(S)さんは音楽関係に携わっている人物らしい。
昨日はまだまだ正体を全て教えてもらえなかったが、徐々に仮面をはがしてやる! ウッヒッヒ。(o^―^o)

カウンターでじょーじんちゃんにアクヤちゃん達を紹介し、和気藹々と飲んでいる所に、来ると約束をしていたてつ達がなだれ込んできた。
2〜3人で来るのかと思いきや、な、な、な、何と12人!!
アタシャ、アタフタウロウロアタフタウロウロ・・・・・・。

しかし嬉しいじゃぁ無いですか・・・・・・。
てつの良いヤツ振りが、凄く嬉しかった。
此処のところで沈みがちなアタシを元気付ける、てつ特有のサプライズなのだ。
そんな気遣いがとても嬉しかった。

じょーじんちゃんも喜んでくれ、「良かった良かった・・・」とニコニコ顔。

アクヤちゃんたちも安心したようにそれを見届けて帰って行った。

それで、団体は歌で盛り上がってくれていたので、再びじょーじんちゃんと話しながら飲んでいたら、何とそこにじょーじんちゃんが紹介してくれた、バイオリニストの(A)ちゃん先生が・・・・・・。

それで統計すれば昨日の金曜日は満席になった訳である。

雪のちらつく中、皆さん、本当にありがとう。


嬉しい物思いに耽りながら、店を片付け、丁度片付け終わった所で代行が来(こんな所まで良い日は全て丸く収まる)外へ出ると一面の銀世界。

昨日はぐうたら神がほんの気まぐれにくれた、クリスマスプレゼントの一日だったのかもしれない・・・・・・。

悲しく悔しく無念だった思いを、周りに居てくれる善人たちが癒しに来てくれたような、そんな日になった。
嬉しい一日だったなぁ・・・・・・。

良い予想も悪い予想もズレて来たと言う事は、今まで悪い予想ばかり当たっていたので、良い傾向に傾き始めているのかも知れない。


2009年12月19日(土)


 (日記) 昨日はコマキと修を見舞ってきた。


コマキ・修・アタシは、遡ること25年ほど前からの飲み仲間である。
最初はコマキのご両親と仲良しだったアタシは、そのご両親が夫妻で勤める店(今で言うライブハウス?)当時の「生バンド演奏付きナイトクラブ」に良く修の飲み仲間達と遊びに行っていたのだ。
コマキの父がジャスピアニストで、コマキの母は厨房担当で、コマキはお運びのバイトをしていた。
なのでナイトクラブと言うとゴージャスで近寄りがたい雰囲気は有るが、コマキ家がファミリーでその店に勤めて居たので、中々アットホームな店だった。

当時のコマキは花も恥らうう20歳。
修はやり放題し放題の24歳。アタシは女ざかりの28歳。
良くそのナイトクラブの生演奏で歌ったり、修の物まね(上手いんだ、コレが・・・)に腹を抱えて大爆笑したりと遊び盛りを謳歌していた。

そんな奇妙な3人が、今は50のオッサン、四十路越えの大年増、54の貧乏婆さんとなり、今も尚当時と同じようなノリでわいわい騒げていると言うのも何か妙だが、アタシ達はそんな間柄なのだ。

昨日はコマキと修の見舞いに行ってきた。
アタシにはどうでもいいらしいが(怒)コマキには術後の大改造跡を見られることに恥じらいを感じていた修。
しかし、コマキも驚いていたくらいに修は回復の一途を辿っており、もう歩く喋る飲み物を飲む程度の事は難なくこなし、流動食も食べられるまでになっている。

三人寄ればまるっきり当時に戻り、思い出話や他愛も無い話をしている内もうにあっと言う間に1時間。
1時間過ぎると駐車場が有料になるので、それを見計らって出たつもりなのに、しくじった!! 二分遅れで200円取られた!!(笑)

修はもう健常者と同じだ。
良かった良かった。
修おじちゃん、又からかいに行くからね〜。



2009年12月18日(金)


 (日記) 昨日は魔の火曜日なれど・・・


火曜日と言うのがなぜか一番店が暇な曜日である。今年になってからの統計で特に火曜日がお茶を挽く場合が多い。
なので店に出る前は多少憂鬱になるのだが、昨日は開けて良かったなぁ・・・・・・と、つくづく思える日になった。

大学病院でアタシの手術を担当してくれた(T)先生達が、医者仲間9人でドンチャン騒ぎをしに来てくれた。
この(T)先生、アタシよりはかなり若いが、エポックの頃からの大常連で、当時はまだ留学先から帰国したばかりで若手の医師だったのだが、今や何と大出世をし、とうとう教授になってしまった。

こんなに歌を楽しそうに歌う人間が世の中に居るのか・・・と思うくらい歌が上手で、レパートリーも広く、チトやんちゃで面白い人間だ。
なので他の先生達も、男女を含め、皆ノリが良い。
貸切のカラオケボックスよろしく、ミスチルや小室ファミリーの歌等で大いに盛り上がった。
シモネタ有り、おふざけ満載でアタシもカウンターの中でゲラゲラ腹を抱えて笑いながら、充分楽しませてもらった。
エポック時代からの医者仲間も三人ほど居て、当時小学生だったアタシの息子の遊び相手だった若い医者達が、みな其々良いオッサンになっていて面白い・・・・・・。
「アタシャもう孫が居るんだよ」と言ったら、びっくりしていた。

今日は水曜日。今夜のからくり箱はどうだろうか・・・。
昨日カラオケ会社の担当が来て「ママ、今年は駅前も全然ダメみたいだよ。何軒も店閉めてるもん」と言っていたが、やはり今年は何かがおかしいみたいだ。
今年を乗り切り、又来年も店が出来る事を切に願うばかりである。




2009年12月16日(水)


 (日記) 愛情と哀情を持ち合わせた人間になりたい。


多かれ少なかれ人間はどこかで自分の事を認めてもらいたい。着目されたい。振り向いて欲しいと思っているのだろうし、自分の思考や力のようなものを過信している部分も有って、誰かにそれをひけらかしたり自慢したくなるんだろう・・・。
しかし自信過剰な人間ほど鼻持ちならないものは無いとアタシは思う。

普通は遠慮や謙遜とのバランスを上手く保ちながら、アピールも時々・・・って位が丁度良い筈なのに、しかし今回の事件は、いささかアピール度ばかりが暴走し、それが人をうんざりさせる事にも反って疑惑を抱かせる事にも気付かず、自分で墓穴を掘り、哀れな結末を迎えた訳だ。
器用なようでいて、恐ろしく無様だったなぁ・・・・・・。
何か、どっちにしても空しさばかりが残る後味の悪い珍事件だった・・・。

前々から書いているが、アタシはちゃんと生きられている人の事は放置しておいても別に良いと思っているが、生き方下手な人や、どこか蝶番が外れかかっているような人は中々放っておけない癖みたいなものがある。
自分がそうだからなのだが、きっとそんな人達もアタシみたいな人間なら解ってくれるかも・・・と、匂いを嗅ぎ分けるアンテナが有るのかもしれない。

なのでアタシの店は、一種一匹狼的で、どこか人と群れるのが苦手で、人にひれ伏すのが嫌いな人間達の溜まり場になっているような気もするのだ。
でもその一方ではすこぶる寂しがり屋が多い。
そんな人達にアタシが向けているのは、友情や愛情と言うよりもむしろ哀情に近いのかもしれない・・・・・・なんて感じる・・・。
人間の弱さや情けなさやペーソスが、アタシはたまらなく愛しいと感じるんだよなぁ・・・。
だってそう言う人たちって、裏を返せば物凄く不器用で優しくて可愛らしい人間が多いんだもの・・・。


2009年12月15日(火)


 (お詫び) 過大期待をお掛けして申し訳ございませんでした。


以前11月の12日のアタシの日記を読まれた方たちは、今度こそアタシに本当の奇跡が起きたと一同に喜んでくれ、アタシ自身、やっと自分が9年間に渡り書いてきた行為が報われる日が来るのかも知れないと、心からぐうたら神に感謝し、その奇跡をいつも応援していてくれた皆にも報告し、安心してもらおうと思ったので、ついつい日記にも書いてしまったのですが・・・・・・。

徐々にその同級生が同姓同名の脚本家に成りすましていた事が解り、過去にも、とてつもない虚言癖があり、書かれていたことの殆ど全てが彼の嘘だと言う事も判明し、アタシまでが彼の嘘の片棒を担いだような結果になってしまった事に贖罪の念を感じ、もう耐えられなくなりました。
彼の日記には同級生達の実名も出ており、アタシの事も含め、読むに耐え難いような嘘も多く書かれているので、今日彼の元にこれ以上惨めな嘘で塗り固めるのは止める様メッセを送りました。
そうしたら即、自分の部屋を消し去ったようです。

同級生であるアタシにまで何故彼がそんな短絡的な、いつか必ずバレるような嘘を吐き通していたのかは解りませんし、アタシは無一文ですので、彼が得る物は何も無い事も事実ですし、アタシが失ったものも無いと言えば無いのですが・・・。
ただ単にアタシは今回の件では深く傷付き、落胆し、一時期は生きる希望も失うほど空しい思いをさせられただけなのですが、マイミクや店の大切なお客さんを巻き込んでしまった事が申し訳なく、残念でなりません。
過大な期待を抱かせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

なので、あんなに喜んでいた日記を書いていた筈なのに、アタシの書いた物の行く末や、将来が尻切れトンボのままになってしまっている事に、心配してくれたり、どうなったのだろうと感じている人も居ると思ったので、本当は日記に書くのも辛く嫌だったのですが、意を決して今日の日記に至った訳です。
彼の知識が結構豊富だった事、業界に親戚筋が居るアタシにまでまさか、そんな嘘は吐かないだろうと言う甘さから、まんまと騙されてしまいました。
浅はかでした。

本当にお騒がせして申し訳ありませんでした。



2009年12月14日(月)


 (日記) 今日はプリンセス・テンコーを観て来た。


昨日は嬉しい事が沢山有った。
もう今月は携帯諦めていたのに、(Y)君が思いもよらぬカンパをしてくれ、携帯が繋がった。
携帯やパソコンが繋がると言う事はアタシに取っては命が繋がるくらい重要で、家でゆっくり物が書けないと途端にストレスになってしまう。
なのでやはり今朝携帯が止まっていたのだが、急遽朝一で復活させてきた。

そして昨夜、友人のユッコから電話を貰い、プリンセス・テンコーの無料招待券が有ると言うので、今日の午後急遽、ダウアーとタカチンと夫との4人でイリュージョンを観て来た。

イリュージョンに付いての感想その他は、これから観る人も居ると思うので触れないが、ダウアーはテンコーさんと握手ができてご満悦。
夫も行こうとしたらしいが、照れ屋なので遠慮したみたいだ。
柄でも無い・・・・・・。(笑)

しかし、ついさっきまで飲んでたようなメンバーが昼間も集まり、イリュージョンを観てるってのは、なんとも奇妙な図である。

今日は夫の会社は忘年会。
さっき送り届けてきたので、今日はヘロって店に来る事だろう。
きっと歌三昧になると思われる。

サテサテ・・・今日のお勧めは

スープカレー

牡蠣とキノコのバター焼

酒盗豆腐

自家漬け銀ダラ(しょうゆ味&粕漬け)

生ベーコン (珍味)

イカの丸ごとバター焼

キムチ鍋

ペペロンチーノ

エビにんにくパスタなどなど・・・・・・。

相変わらず何の脈略も節操も無いメニューだよなぁ・・・。(汗)

お客さん沢山来ると良いなぁ・・・。


2009年12月12日(土)


 (日記) 暫く家で日記が書けなくなるなぁ・・・・・・。


今朝、親愛なるコマキに家から電話をしようと思ったら、家の電話が止まっていた・・・・・・。(涙)
と言う事は、一括パックなので、パソコンのネットも携帯も時間差で止まると言う事なので、暫くの間連絡が取れずご不自由やご心配をお掛けすると思うが、店のパソコンと電話はなんとかお金をかき集めて今日繋げて来たので、連絡が取りたい方は店に電話を下さるか、ミクシィまたはメールにてお願いいたします。

いつもは優先順位を、携帯と家でのネットにしていたのですが、復活させるには4万以上掛かるとの事なので諦めました。
この稼ぎ時の暮れに来て・・・・・・(トホホ・・・)

日記に付いては店が暇な時間帯に極力書くようにします。


今まで心も気力も死んでおり、店も開けられぬ状態でしたが、今日はタカチンが松本に来ており、ランチに誘ってくれ、その他にも嬉しく良い事が有ったので、元気を多少取り戻し、今日から店に返り咲く事にしました。

タカチンも飲みに着てくれると言う事なので、良かったら来てください。
今日は、スープカレーを仕込む予定です。

いつネットが止まるか解らないので取り急ぎ日記書きました。
誤字脱字を修正している余裕が無いので(^^; それらは感覚で読んでくださいね。

ではでは・・・。


2009年12月10日(木)


 (日記) 手術をすれば楽になれるものだろうか・・・。


昨日病院に行って腫瘍マーカーは問題ないとの事だったのだが、考えてみたらまだアタシの病名は坐骨神経痛なのか椎間板ヘルニアだかもハッキリしてない訳で・・・・・・。
もしもこの先も頻繁に痛みが襲い、余り酷いようなら整形外科に通い、手術をするのも手だと言われたが、それ等の手術をして本当に目覚しく良くなったという話を、今まで余り聞いた事が無いからなぁ・・・・・・。

たまに医療最前線!などの番組で、ゴッドハンドとか言われてるような名医が整形手術をし、先日まで車椅子や松葉杖を使っていた患者がスタコラ歩いてるなんて光景は見た事も有るが、そんな病院はアタシなどには掛かれる訳も無く、大体が、しないよりはした方がマシになった・・・位の話ししか聞いた事が無い。
稀にはしないほうが良かったという人も居るくらいで・・・・・・。
やはりどんな病気も、経済的余裕や長期で仕事を休める余裕が無い人は、近所の整形にでも通い、シップや超音波を当ててもらい、騙し騙ししながら一生付き合って行くしかないんだろうなぁ・・・・・・。
友達のユッコに紹介された、イケメン先生揃いの整骨医にでも通って、腰でもモミモミしてもらいますか・・・・・・。

昨日あれほど痛かった腰が今はそうでもなく、ただ油断してると昨日みたいになることもある訳で、まだ新しい痛さのこの腰痛とどう付き合って行けば良いのかコツが解らない。
ただ解っているのは、激痛がある時は無理をしないと言う事と、無理をしないと食えないと言う事だけである。

誰か手術をして目覚しくよくなったと言う人は居ますか?


2009年12月08日(火)


 (日記) 今日は腫瘍マーカーの検査結果を聞きに行ってくる。


金曜日、土曜日と結構両日店がにぎわい、そのお陰で店の電気代と今日の医者代が出来た。
今日は先週受けた腫瘍マーカーの検査結果が出ていると思われるので、聞いてこようと思っている。

しかし、めんどっちぃなぁ・・・・・・。
結果を聞くだけで、診察を受けなければならず、又半日仕事になるのだろうか・・・・・・。
町医者なら電話で結果が聞けるのに、総合病院は何とお金や足を無駄遣いさせるように出来ているのだろうか・・・・・・。
薄利多売と言う事かなぁ・・・。
コレでインフでも貰ってきたら目も当てられないなぁ・・・。

腰痛の方だが、今日は成りを潜めてくれており、全く痛みが無い。
ただ痺れはずっとあのままで、やはり撫でてもつねっても鈍い感覚したないのが不気味だ。

と・・・ここまで書いたら電力会社から電話が来た。
解ってますって・・・・・・、ちゃんと今日お支払いに行きますって・・・(笑)
なのでご安心くださいな・・・・・・。

いつもちゃんと電気が止まるのを電話で知らせてくれる職員。
1年ほどこのやり取りが続く中、何かホンワカとした友情みたいな物が芽生えてきて、心配してくれているのだ。(笑)
「大変な時期だと思うけどママさん、頑張ってよね」なんて事も言ってくれる。(笑)

借金取りなどは逃げず、開き直らず、ちゃんと心を込めて正直な心情を訴えていると、結構解ってくれるものなのだ。

サテサテ、職員さんも心配してくれてる事なので、そろそろ行ってくるわ・・・・・・。


2009年12月07日(月)


 (日記)やはり店は楽しい。


昨日はボルタレン(痛み止め)を突っ込み、温シップを貼り、腰痛万全対策で営業に臨んだ。
約10日ぶりくらいの営業だったが、カウンター席が全て埋まり、久々だった若い友人夫婦も来てくれ、楽しい一日になった。

店に着くなり、数ある料理屋が存在する松本なれど、毎年アタシの店で忘年会をしてくれている友人「山ちゃん」からメールが届き、「今年も14日に忘年会したいので、料理はお任せするからよろしくお願いします」と予約を受けた。
うわぁ〜〜〜い!! やったね 今日は幸先良さそうだなぁとは思っものの、暫くの時間店はシ〜〜〜ンと静まり返っており、
気分は急降下。
しかし10時を過ぎた頃から堰を切ったように常連がやって来て、カウンター席が全て埋まった。
ホッ!!
今日も来る人は居るので、やれやれ、月曜日やっと電気代が払えそうだ。
本当は先週で止まる所を「後生だ!!止めないでやっとくれ〜〜〜」とお願いして引き伸ばしてもらっていたのだ。(汗)

やっぱ、あの店は何となく良い店なんだろうなぁ・・・・・・。
集まるメンバーが楽しいもの・・・。
みんな仲良くやれるもの・・・。
一同に「この店が無くなったら絶対に嫌だ!!」と言ってくれるもの・・・。

昨日は途中で数度腰痛悲鳴をあげたものの、ダウアーが皿洗いをしてくれて助かった!!(笑)

あの店はやはりアタシの店じゃない。みんなの店なんだわ・・・。
潰したくないなぁ・・・・・・。


2009年12月05日(土)


 (日記) 今日から店を開けてみます。


生活費(全財産)がとうとう1万を切ったので、今日明日はリハビリ兼ねて店を開けてみようと思う。
まだ腰を庇いながらの営業なので、たいしたものは出来ないが、アタシを1日でも長く生き長らせてやりたいと思う方は、是非来てやっておくんなさいませ・・・・・・。[m:78]
今月一杯できる限り店を開けて様子を見、後は今後の事を真剣に考えるつもりで居る。

久々に皆と語り合いたいし、酒も飲みたいなぁ・・・・・・。
アタシが一週間以上も酒を口にしなかったのは初めてかもしれない。
アタシがこんな身体状態になってしまった今、何をどうもがいても仕方ない訳で、なるようにしかなっていかない訳で・・・・・・。
後はぐうたら神のご機嫌に、全てゆだねようと思う。

ともかくからくり箱の最後を賭けて、今日から店を開けます。



2009年12月04日(金)


 (日記) 修の見舞いに行ってきた。


先ずは皆様に1ポイントアドバイス。
癌で入院している患者さんを見舞いに行く際、お見舞いの品にはチョットした注意が必要だ。

花は匂いがあるものが多いので、抗がん剤やコバルト治療をしている人にとってはチョットした匂いも吐き気を誘いアリガタ迷惑になる事がある。
食べ物などもしかりで、同室の患者さんたちも同じような状態の人が多いので、なるべく避けたほうが良いと思われる。
アタシが癌で入院していた時に一番嬉しかった見舞い品は、現金(コレが何てったって一番嬉しい)病院専用のテレビカード(度数が余れば後に精算できる)や楽しい本、良本、パジャマや下着、ゲームなどだった。
抗がん剤で脱毛が始まると、コロコロみたいな粘着性簡易掃除道具なども嬉しい。
こんな見舞い品を持ってきてくれる人などは「流石・・・入院患者の気持ちを良く心得ててくれてるなぁ・・・」と、感心したものだった。

サテサテ・・・。

昨日腰の激痛が軽減されていたので、修の見舞いに行ってきた。
信州大学病院は今は大掛かりな改装中で、アタシの入院時とはかなり様変わりされていて、先ずは驚いた。

修からのメールで物凄い改造手術をした事が解っていたので、顔を見るのが正直怖かった。重い足取りで病室に向かったのだが・・・・・・。
病室に入ると「やぁ♪」と手を振り、一緒に歩いて面会ルームへ・・・。
会って見れば何の事は無い。もう既にスタスタ歩けるし、顔も本人が言うほどオカルトチックでもなく、アタシにすりゃ、今までデカ過ぎた顔がこじんまりして、反ってハンサムになった気さえした。
しかしやはり修はただじゃ死なないヤツだった。
医者達も驚いていると言うほどの目覚しい回復力だそうだ。

修の喉には器具が取り付けられていて、そこで呼吸をし、声を出す訓練をし、まだ話は聞き取りにくい部分も有るので筆談と声の両方で会話してきたのだが、手術の大変さや、その後の辛さなどを聴いていて、自分の彼よりもまだ恵まれた状態を思うと、今はこんな事で泣き言なんて言ってる場合じゃないと思え、不覚にも涙が溢れそうになった。
ともかく修が確実に回復に向かっている事が嬉しく、顔が見られた事が嬉しく、それも含めて泣きそうになった。

修に無理をさせてはいけないので小一時間で昨日は帰ってきたが、やはりだだっ広い病院・・・・・・。
流石に帰りは腰がしんどくなり、壁を伝っての伝い歩きになっていた。
(どっちが重病人じゃい!![m:78])

ともかく顔を見てとても安心した。
行って良かったなぁ・・・・・・。
コレを期にアタシも腰のリハビリがてら、チョクチョク顔を出し、からかいに行ってやろう。

帰り道、修からメールが届いた。

「マキりゃん、TVカードありがとうね。とても嬉しかった。退院したら何倍にもして返すからね」

仕方ない・・・修が退院するまで、生きてるとするか・・・・・・。


2009年12月03日(木)


 【料理】 真ダラの甘酢あんかけ


昨日辺りから左腰部分の痺れはそのまま残っているものの、激痛が消えたので、夫への労いの気持ちも兼ねて(本当はアタシが食べたかったからだけど・・・)久々に台所に立った。
とは言うものの、安静を保つため、アタシが作ったのは一品だけ・・・。

昨日夫が買い物に出る際「一緒に来てぃ〜〜」と言うので、二人で近所のスーパーに行き、真ダラの屑パック(1パック150円ばかりが半額になっていた)を見付け、先日TV番組「二人の食卓(?)」で見たタラの甘酢あんかけと言うのが何かとても旨そうだったのでそれを作るべく、2パック買ってみたのだ。(かなりのオリジナルバージョンだが・・・)
後はありあわせの材料で賄った。
コレが事の外旨かった。

【材料】3人前くらい

屑真ダラ   400グラム近く有ったのかなぁ?
ブタバラ薄切り 100グラム
白菜    3枚程度
ネギ    太目の物一本
しいたけ  二個
玉ねぎ   半分
にんじん  少々
ピーマン  二個
しょうが汁 少々

トリガラスープの素 大さじ1
砂糖        大さじ2
酢         大さじ2
醤油        大さじ2
オイスターソース  大さじ1
酒         大さじ1
みりん       少々
水         半カップ
コショウ      少々
片栗粉       大さじ3
小麦粉       大さじ1
ごま油       大さじ2
サラダ油      大さじ2
タカのつめ     少々
水溶き片栗粉    少々

【作り方】

☆タラは軽く水洗いしボールに移し、酒少々、醤油少々、みりん少々、ショウガの絞り汁少々、水少々を加えたタレに40分ほど浸し下味を付けておく。

☆その間に一緒に入れる好みの野菜を食べ易い大きさに切っておく。
(玉ねぎは乱切り・人参は拍子切り、ピーマンは縦半分に切り6等分に・しいたけは4等分、人参はいちょう切りに、白菜は一口大と言うように)

☆ネギは周りの部分を白髪ネギにし、冷水に取り、芯の部分はぶつ切りに。

☆酢、砂糖、醤油、オイスターソース、水、トリガラスープの素を合わせ、絡ませるタレを作る。

☆タラに下味が付いたらミスターパックなどの袋に片栗粉と小麦粉を入れ、水分を切ったタラを入れ、良く振って粉を馴染ませる。

☆フライパンにごま油とサラダ油をタップリ目に引き、タラをキツネ色になるまでカラリと揚げ炒めし、タラに火が通ったらいったん取り出しバットなどに移しておく。

☆同じフライパンでタカのつめ、ブタバラ、野菜を炒め、野菜に火が通ったらタラを戻し入れ、一緒に軽く振り、コショウとタレを入れ、水溶き片栗粉でとろみをつけたら出来上がり。

☆皿に移し、白髪ネギをタップリ乗せて、熱々を・・・・・・。

タレの甘さやしょっぱさはお好みで・・・。
要は酢豚の具がタラに変わったと思えば良いと思われる。

家にある材料と、たった200円足らずのタラでこんなに旨いおかずが出来たのはチョット驚きだった。
ツマミに良し、おかずに良し。
タラは夫があまり好きではないらしく、今までタラチリを作ってもアタシ一人でタラを食べていたくらいなので、ブタバラはタラが食べられない時の夫の為にアタシがオリジナルで加えたのだが、コレは旨いと、タラもバクバク夫は食べていた。

ちょっと手間が掛かるかもだけど、タラのカリカリ感と身の柔らかさが絶妙で素晴らしく旨いです。
労力を惜しまず作ってみてください。
  


2009年12月02日(水)


 (日記) ご心配をお掛けしてます。<(_ _)>


先日の日記でお解かりのように今回の腰痛、初めはいつもの通り右側の腰痛に始まったのだが、どんどん痛みが左側に移り、待ちに待っていた筈の週末の27日、28日、29日辺りには痛い箇所が左側の腰骨の内側(内臓側)なのか骨自体が痛いのかも解らぬほど全体に激痛が走り、身の置き所も無く、熱も出てきて夜も眠れずもだえ苦しんでいた。
食べれば吐く、食べなければ鎮痛剤が飲めずの繰り返しで、それはそれは苦しいものだった。
お陰でたったの4〜5日で5キロも痩せられた。(それだけがチト嬉しい)

なにしろ3日間殆ど食べ物は口に出来ず、風呂で温まれば貧血を起こし、唯一の望みだった金・土と店が出来なかった事が悲しく、余計にストレスになったのだろう。
日曜日には痛かった箇所の痛みが薄らいだと思ったら、今度は左腰全体が痺れ出し、その痺れが左腹部にまで達し、羽のようなもので撫でてもガラスで神経を切断してしまった親指のように皮膚感覚が全く鈍っていたのだ。(今も同様)

経済的に歯医者に行くのが精一杯だったのだが、アタシは癌の経験者でもあるので、昨日意を決して少し大きな総合病院に行き検査をしてもらってきた。

MRIを進められたがそんな余裕は無かったので、エコーカメラと血液検査(腫瘍マーカーを含む)と尿検査だけしてもらったが、医師の診断は突発性の坐骨神経痛、もしくは急性の椎間板ヘルニアによる痺れではないかとの事。
どちらにしても炎症を起こしている間は安静を保つより他はないと言われた。
内臓も肝臓、腎臓、胆嚢、すい臓、腸、膀胱とエコーカメラで診て貰ったが、内臓系統は問題ないといわれた。
ただ腫瘍マーカーに付いては結果が出るのは1週間後だと言う。

一昨日までパソコンの椅子に腰掛けるのも辛く、携帯でレスを書くと転送ミスをしてばかりなので、日記はおろか、コメントのレスを書く元気も無かったのだが、昨日辺りから投薬で痛みが軽減され、昨日は久しぶりにラーメンが一人前食べられた。
病院が混んでいて恐ろしく時間が掛かり、朝起きてから午後の2時まで何も食べてなかった夫と二人で、検査結果が出るまで更に1時間待ちだと言うので病院を抜け出し、近くのラーメン屋に行ったのだ。

今回の事で夫のありがたみが良く解った。
夫は今日まで仕事を休み、ずっと側に付き添ってくれ、お粥を炊いたりおかずを作ったり、マッサージをしてくれたり、甲斐甲斐しく動いてくれている。

正直この先どうなるか全く解らない。
再び払えないものが沢山溜まって来た。
取り敢えずは今は何も考えず、心と身体を休め、後は野となれ山となれで、所詮なるようにしかならないので、もう運を天に任せるしかないと腹をくくった。


2009年12月01日(火)

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