マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) 珍しく占いが当たった!


今月のボーナス払い・来月頭と、再来月半に迫った車検が2台分、それだけでも全然足りなく茫然自失だったのに、一昨日の店への出掛け、さらに駄目押しの追い討ちを掛けるように保険会社の人が家にやってきて、以前丁度保険金が払えず、保険のチョットした切れ目時に限り夫が事故を起こした時の請求が18万も来てしまった・・・・・・。
(なんで今まで何も言って来なかったのに、この期に及んで、この時期に・・・・・・)
もう気が触れたように笑うしかない。

いつもアタシの人生は、こういう風に大口の支払いが重なり、生きてる心地もなくなるような窮地に立たされる事になるのだが・・・・・・。

昨日のTV番組の血液型選手権。(笑)
大まかな占いだと思うので、いつも何気なく見ているだけなのだが・・・、昨日は確か「逆境に強く窮地をしのげる日」みたいな占いだった。
(ここまで追い込まれてしのげるもんかい!)と、せせら笑いながら見ていたのだが・・・・・・。
そしたら今日、もの凄い大口の予約が入り、本当に車検分と店の家賃くらいの窮地をしのげそうになった。(笑)

細木先生の六星占術では、アタシは今年が12年間の中で最も悪い停止だし、12月・1月・2月が大殺界月なので、次から次へとこう言う事が起こるのも仕方が無いのだろうが、アタシに一番足りない財力に関わる事ばかりなので、本当に追い込まれてしまうと(もう生きてちゃいけないって事だよね・・・)と言う気にもなるもので・・・・・・。

しかし昨日はあの偉大な細木さんの六星占術よりも、TVの血液型選手権の方が勝ったと言うことになった(笑)
賠償金は分割交渉するとして、コレで急遽払わなければならない車検費用と家・店の家賃が払える事になった。

やれやれ・・・・・・。


2009年01月30日(金)


 (日記) 素晴らしい人を見っけた!!


さっきフジTVの某番組で、素晴らしいシャンソン歌手に出会った。
名を佐々木秀実と言う。(NHKドラマ ちりとてちんで挿入歌「聴かせてよ愛の言葉」を歌ってた人)

彼のシャンソンは魔性であり、妖艶でもあり、上手いと言うレベルをはるかに超え、アタシの心に深く激しく衝撃的に染み込んだ。
画像を探したら、残念ながらこの曲しかなかったが、今朝彼が番組内で歌っていたのは原語の「愛の賛歌」だった。
アタシャ鳥肌が立ち、全身があわ立ち、朝っぱらから泣いてしまったよ・・・・・・。

アタシは母の影響で16歳の娘盛りからシャンソンに惚れこみ、金子由香里の虜になり、「銀巴里」と言うシャンソニエに母の財布からお金をちょろまかしては始終通っていたものだ。
あまりにもおどろおどろしい自己陶酔(マスベ)的な歌い方をすっるシャンソン歌手は、聞いてるこっち側が恥ずかしくなる事も多く、とても苦手なのだが、金子由香里や彼はシャンソンをスタイルで歌っているのではなく、歌詞を大切にし、魂で歌っている気がする。

以前も日記に書いたが、何故コレほどまでにシャンソンが好きかと言うと、シャンソンって愛や恋の単なる感情や一場面ではなく、一曲一曲がその歌の主人公の人生であり人間味溢れる愛しきドラマだからだ。

彼の年齢を聞いて先ず驚いた。
なんとまだ28歳だと言う。
アタシャ顔だけ見た時は50近い人だと思った。
それだけ彼が、単なる生き方をして来た人ではなく、色々な引き出しを持ちながら生きてきた証だと思う。

彼はとてもビッグなシャンソン歌手になると思う。
彼の歌を生で聴きたい。
いつかその夢が叶うまで、又死ねなくなった。

http://jp.youtube.com/watch?v=qAzHUGDsYH8

彼のサイトも見っけた!!
http://www.up-front-works.jp/sasakihidemi/


2009年01月29日(木)


 (日記) 朝青龍は凄いなぁ・・・・・・。


昨日本当は朝青龍の事を日記に書こうと思い、ほぼ書き終わった頃、息子から初孫誕生の電話が入ったため、急遽、削除し(何も消さずともコピーしとけば良かったんだけど・・・)昨日の日記に相成った訳だ・・・・・・。

アタシャ相撲には全く興味は無く、朝青龍のファンでもないが、ワイドショーなどで騒がれている度「朝青龍は何をやっても勝手気ままにギャ〜ピ〜騒がれて、あれじゃ可哀想過ぎだなぁ・・・」などと思ってたくらいだ。
ところが、たまたま深夜、他の局の放映時間が終わり、NHKしかやってなく、相撲ダイジェストを何気なく見ていた時が今場所の初戦で、負けると思っていた朝青龍が勝ったので、それから何となく欠かさず見るようになった。
見ている内にコッ面憎かったはずの朝青龍が段々愛しくなってきて、知らず知らずの内に心から声援を送るようになっていたのが不思議だった。
相撲を全戦欠かさず見たのは、後にも先にも今回が初めてだ。
最後に優勝した時は涙がチョチョ切れた。

この前の日記じゃないが、朝青龍を優勝させた要因は、もう後が無いと言う崖っぷちに立たされた究極の緊迫感と、諦めていた人々を見返してやる!! と言う反骨精神と、何が何でも勝ち抜いてやると言う、応援者(理解者)に対しての男の愛と意地以外のなにものでもないんだろうなぁ・・・と思う。

この半年は特に辛い事ばかりだっただろう・・・・・・。
悔しい事ばかりだっただろう・・・・・・。
見えない恐怖心や挫折感に日々打ち震えていた事だろう・・・・・・。
そう考えると、一勝するごとに自然に応援してやりたくなった。
そして優勝した時に、アタシも頑張ろう!! 今に見てみぃ!!と言う気持ちになれ、物凄い元気が貰えた。
まさか、好きでもなかった朝青龍が今回のアタシを立ち直らせるきっかけになるなんて・・・・・・。

この所、嬉しいニュースが直ぐそこに迫ってると言うのに、自分のふがいなさと情けなさに、頑張っても頑張っても無理な時は無理なのだと言う諦め感ばかりに打ち震えており、アタシも一種の強迫観念に捕らわれ、何をする気力も失せかけていた。
昨日もそんな気持ちを振り絞るように店に行ったのに、誰も来ず、益々そんな気持ちに追い討ちを掛ける・・・・・・。
12時を廻り、帰ろうとしたその時、ドアが開き、さとみちゃんと言う母の時代からの(当時さとみちゃんは高校生)お客さんが顔を覗かせてくれた。
我が頼りになる心の弟、ヨロズ君の同級生だ。

彼女等がまだ高校生の頃、アタシの母の店に立ち寄った所、母は「おおっぴらにお酒を飲ますことは出来ないので、誰かに聞かれたら信大生って言うのよ」と言い、少しだけ彼等にウイスキーを飲ませてあげたと言う(亡き母よ、そりゃ、チョットまずいだろが!!)
そんな事がとても嬉しかった彼等は、それ以後エポックの大常連になり、母の大ファンになり、やがて娘であるアタシに引き継がれ、今尚皆で集まると来続けてくれているのだ。

「ほれママ、銀扇亭に行くよ! ママもおいで、ラーメンでも食べようぜ」と誘われ、さとみちゃん達と銀扇亭で軽く飲み、(銀扇亭を紹介してくれたのはさとみちゃん)そこからマスターをはじめ、もっと大勢を引き連れて、再びアタシの店にリターンしてくれ、ボトルを入れてくれ、カラオケや話で盛り上がり、お茶っ挽きだった所を救われたのだ。

アタシの周りにはこんな生き神さまみたいな人が大勢居てくれている。
そんな人たちの為にも、孫の為にも、いつか自分自身を見返してやらなきゃ・・・。

ある人が言っていた。
「苦難や災難や挫折が人より多い人と言うのは、それだけ神仏に見込まれてる証拠なんだよ。多くの人間の中から選ばれているんだから、全然嘆く事は無いのよ。それを克服して何かを成し遂げた時に、物凄い褒美が待ってるから・・・」と・・・・・・。

こういう風に良い事を言って元気付けてくれるような生き神様も沢山居る訳で・・・・・・。
だからアタシは生きてられるんだよなぁ・・・・・・。


2009年01月27日(火)


 (日記) 昨日孫が産まれたみたいだ。。


今、息子と電話で話し、昨日孫が産まれたとの事を聞いた。
男の子だそうだ。
帝王切開と言う事は前から決まっていたらしく、息子も今病院に向かっている途中だと言う事なので、息子もまだ我が子を見ていないらしい。
きっとハラハラ・ドキドキ・ウキウキした複雑な気持ちで今頃病院に向かい車を走らせている事だろう・・・。

あの、いつも店でチョコマカして、常連達に遊んでもらっていたチビスケが父親になったんだ、とさ・・・・・・。
そして当時客達をブイブイ言わせていたアタシは婆さん、だとさ・・・・・・。

息子とはちょっとした事で、ここ半年チョイ、断絶状態にあったのだが、今年になってアタシから「今年はアタシのお雑煮が食べられなくて、残念だったねぇ・・・。ザマーミロ!!」と言うメールを送ったら、息子も気を良くして「素直じゃないんだから、この意地っ張りメ!!」と言うメールが返って来た。
それからはメールのやり取りや電話のやり取りがまるで何事もなかったかのように普通に執り行われている。

親子なんて断絶してても喧嘩をしてても、大抵はこんな簡単なものである・・・。

息子の同棲が決まった時も、初孫が生まれたと言う今さえも、アタシはいつも最悪に苦しい時期になってしまう・・・・・・。
何のお祝いすらも出来ないのが情けなく惨めで悔しい・・・・・・。
息子とて、内情は解ってくれているので、そんな事は少しも望んでやしないことは良く解っている。しかし・・・・・・・・・・・・

だから、精一杯の「おめでとう!」を、真心を込めて伝えた。
そしたら息子も「ありがとう」と、真心を込めた声で返してくれた。


今は良い。
それだけで良い・・・。

いつか何かでお金を稼いで、絶対に孫に何かしてやりたいなぁ・・・・・・。
気後れなく、この手で孫を抱きしめられるようになりたいなぁ・・・・・・。


スピッター&ももまん、おめでとう。
愛情を一杯注いで、育ててやるんだよ。
それには二人が仲の良い事が一番なんだからね。
アタシにしたくても、それが出来なかった分、多すぎるほどの愛情を掛けて育ててやって欲しい・・・・・・。


2009年01月26日(月)


 (日記) 後は野となれ山となれ


人間は具合が悪くなってはいけない時に限って、具合が悪くなったりするもので・・・・・・。
今回はとても長引いてしまった。
余裕の無い者にとって、体の具合は即、精神の具合にも直結してしまう。
体を動かせないので仕方無しに仕事を休む。でも、休めば休むで、今月末のボーナス払い、来月の車検、再来月のもう一台分の車検などの支払いの事が頭をぐるぐると駆け巡り、身体を休めている分、気持ちがあわ立ち、尚更途方に暮れ、益々それが身体にも影響を及ぼす・・・と言う悪循環で最悪な精神状態に陥り、「もう、どうにでもなれ! 所詮人生なんてなるようにしかならないのだから・・・」と開き直り、開き直ると又少し元気のようなものが出てき、停止していた時間がゆっくりと動き出す・・・、と言う事を繰り返しながら生きてきた。
今まで何十回、何百回、このような状況に直面した事か・・・。
しかしアタシは今日もこうしてしぶとく生き続けている訳で・・・、また仕事を再開したいと思う訳で・・・もしかしたら今回もまた乗り越えられるかも知れないと微かな希望も持つ訳で・・・・・・。
ダメならダメで、最悪、生活保護と言う手立ても有る訳で・・・・・・。
そこまで開き直ると、案外気持ちが楽になるものだ。

昨日、島田伸介のトーク番組を途中からだが見ていた。
100人だか、50人だかの子供達の本音を伸介が聞き出し、アドバイスをするというような番組だった。
島田伸介は青春時代、誰もが知るワルだったそうで、正直、ルックスだって大したハンサムでもないし、勉強だってさほど出来た方ではないだろう。
落ちこぼれの不良と言う印象が根強い。
明石家さんまとは旧友だったそうで、さんまは高校時代から凄くモテたらしいが、伸介はサッパリだったらしい。
しかし今や伸介さん、さんまと肩を並べ、お笑い界のリーダー的存在となって、芸能活動、実業家、プロデューサー、物書きとして大いに成功してしこたま稼いでいる。
それは何でかと言うと、夢を諦めなかった事と、いつか見てみぃ!! と言う反骨精神に燃え続けて来たからだ・・・と言う事を番組内でも言っていたが、本当にそうなんだろうなぁ・・・・・・と素直に思いはするのだ。
整えられた環境の許で、ぬくぬくと生まれ育って生きてきた人ではない人達の成功話や、その要因話は、何とも真実味や現実味がある。

ちょっとあの番組で元気を取り戻し、「アタシもこないな年やけど、まだまだ人生捨てたらあかんのや!」と自分に言い聞かせ、また今日からイッポ踏み出してみる気が戻って来た。

後は野となれ山となれだ・・・。


2009年01月23日(金)


 (日記)全然ダメだわ・・・・・・。


今回、風邪と腰痛が重なり、一進一退で長引いてます。
ご心配掛けてごめんなさいです。
まだ芳しくないので今日まで休んで、明日の華金と土曜日に賭けてみます。

26日には孫が生まれると言うのに、本当に情けない婆さんです。(涙)


2009年01月22日(木)


 (日記) オバマ氏の演説は愛と力と説得力が有るなぁ・・・・・・。


深夜、政治や世論に全く疎いアタシが、柄にもなくオバマ氏の就任式のライブ中継を見入っていた。
先ず驚いたのが、アレサフランクリンのいまだ尚健在の、あのボリューム感タップリの声量と、あの歌唱力。
アタシャ従兄弟の影響で、小学生の頃からrhythm&bluesにはまり、生まれて初めて購入したレコードは、確かお年玉を貯めて買った、オーティスレディングの2枚組みのLPで、次に購入したのが彼女のシングル版(小さな願い)だった事を懐かしく思い出しながら、「この人一体今いくつだ!?}と感動しながら聴いていた。

いよいよオバマ氏の就任式が済み、演説に入り、会場は水を打ったようにシーンと静まり返る。

同時通訳の人って凄いよなぁ・・・・・・。
氏の言葉を寸分も漏らさず、正確に日本国民にも伝えなきゃならないので、きっと生きるか死ぬかくらいの、凄いプレッシャーなんだろうなぁ・・・・・・などと思いながら聴き始める。

難しい事は良く解らないけど、オバマ氏が日本の政治家と違う所は、常に「私は」ではなく、「私達は」の精神であり、口先だけではない誇りを国に感じていると言う事も伝わるし、富める人を作り上げた影には、凡人や貧しい人々の大きな存在があるからだと言う事もちゃんと述べてくれている。
貧しい人々にも人間らしい生活が出来るようにと、先ずは弱者から救おうとしてくれている気持ちがヒシヒシと伝わってきた。

彼は子供の頃、レストランにも行けないような家で育ったようで、相当な屈辱や試練を乗り越えて来た人なのだと思う。
そういう人の演説は説得力と真実味が有るなぁ・・・・・・。
何の苦労もしてこなかった人の絵空事の理想論より、多くの苦難を経験したであろう人の心からの叫びは、下々の魂にも慈悲深く染み渡る。

彼がどれだけの事を成し遂げられるかは解らない。
でも、彼になら、苦痛を分かち合いながらでも、着いて行って大丈夫だ。と、大きく心を動かされた人が大勢居た事が、とても良く理解できたような気がした。
彼は立派な人々だけではなく、むしろ、弱い人々を心から愛そうとしているのだろう・・・・・・。
マザーテレサの男版のような人なのかも知れないなぁ・・・・・・。
日本にもこういう人が現れて欲しいよなぁ・・・・・・。

久々に感動して涙が溢れ出たよ。


2009年01月21日(水)


 (日記) 悪夢のような腰痛。


昨夜は一昨日寝てないせいもあって、10時と言えばもうベッドインし、しばらくTVを見ていたが、知らぬ間に眠りに付いていた。

んで、今朝、トイレに行きたくて夢うつつで目覚めたのが朝の7時なれど、未だかつて無いほどの激しい腰痛に、どうにもこうにもベッドから出られず、とうとう午後の1時までそのまま我慢。
何だか腰骨近辺の内臓までが痛く、脂汗が出てくるほど・・・。
なにせ、1〜2センチほど腰をズラスのも難儀でして・・・・・・。
そのまま固まること数時間。
その後、退屈なので腰痛持ちで悩む友人3人ほどにメールをし、「アタシャ今、酷い腰痛なんだけどアナタは出てませんか?」と、腰痛アンケートを取る。
一人が「出てる出てる! 酷い酷い!」との事。
もう一人は「ストレッチをして鍛えているのでノープロムデント」との事。
三人目は「私は大丈夫だけど、父が出てる」との事だった。
やはり今朝の急激な冷え込みで腰痛指数は高かったみたいだ。
(今朝腰痛になった人、統計を取りたいのでコメください・・・ww)

しかし、これ以上こうしていたら膀胱が破裂する!! と思い、のた打ち回りながらホウホウノテイで起き上がり、ロボットのようなギクシャク歩きで5分掛かりおトイレに・・・・・・。
そこで又便座に座るのに1〜2分。
用を済ませ立ち上がるのに又1〜2分。

今度は一度立ったら立ったで、再び横になる勇気も無く、もしかしたら身体をもうしばらく縦に置いておいた方が良いのかも・・・と思い、居間に行き、コーヒーを立てコタツで暫く座っていた。
そしたら、徐々に痛みが薄れて来て、今やっとこうしてパソコンの机に座れている状況なのだ。

さっきまでのあのキチガイ地味た痛みは一体何だったのだろう・・・と言うくらい、普段のちょっと酷い腰痛時くらいの痛みにまで戻っている。
痛み止めを飲んだわけでも座薬を突っ込んだ訳でもないのに不思議だなぁ・・・・・・。

とは言うものの、まだ痛みは結構残っているし、今日無理をして又ぶり返し、今朝みたいな痛さに戻るのはごめんなので、もう1日様子を見て今日は家で腰を温め静かにしてる事にした。
腰痛時は安静が一番とも医者に言われているし・・・・・・。

原因はきっと一昨日ダンナの横にお泊りして、硬さの違う寝慣れない布団に寝たせいだと思う。

怖いTVなんか見なきゃ良かった。


2009年01月20日(火)


 (日記) 楽しさてんこ盛りの週末だった。


金曜日はわが女神、コマキの誕生会があり、大勢の常連が集まり、とても楽しい誕生日会になった。
誕生日と言うのは誰の誕生日でも、いくつになっても嬉楽しいものであり、盛り上がるものだよなぁ・・・・・。
かなりの酒豪たちが勢ぞろいしたお陰で、各々のボトルの他に日本酒などの差し入れもあり、2升あった日本酒が、あっと言う間に空になった!!
恐るべし愛すべき頼もしき大トラ達よ!!

コマキが愉しそうで・・・、嬉しそうで・・・、そんな顔を見ててアタシも愉しくて嬉しくて・・・。
気心知れた仲間達って本当にありがたく良いもんだなぁ・・・・・と、シミジミ思う。

金曜が結構勢ぞろいしちゃったので、土曜日は暇でチンヤリになりそうなムードで、ダウアーに「明日誰も来なかったら今日とのギャップに凹みそうだから、明日もまた来てよね〜」などと駄目押しして置いたのだが、土曜は土曜で豪快兄貴が5人で来てくれ、ぷあぞんも来てくれ、ダウアーも来てくれ、爺ちゃん先生なども来てくれ、賑わってくれて良かったナリ・・・。

先週末はお雑煮を復活させたので、豪快兄貴達にもお雑煮が行き渡り、今日その中のニプルスちゃんがわざわざメッセで「お雑煮本当に美味しかったです。食べられないと思っていたお雑煮が食べられて、嬉しかった」と嬉しい感想を書いてくれた。

サテサテ・・・、アタシャ昨日の夜から又少し風邪気味でして・・・。
昨日ビデオに収めてあった「恐怖映像50連発」とか言うのをダンナと見てたら物凄く怖くて独りで寝れなくなって、ダンナの横にお泊りしたら、ダンナのイビキと歯軋りで尚更眠れなかった・・・・・・。
そんな事も手伝って風邪を引いたのやも・・・・・・。

まぁ、今日は第三月曜なので店は休みだから、午前中に医者にでも行ってゆっくり休んで体調を整えようと思う。
仲間にも風邪引きが多く、寝込んでいる人も居るので、みなさんどうか気をつけてくださいね。

今日の休みは、押せ押せになっていて、ようやく書き終えた私小説の最終チェックでもしながら、久々のカレーでもこさえて(懐かしいなぁ・・・婆チャンが昔良くこう言ってた)、ダンナの帰りを待つ事としよう・・・・・。



2009年01月19日(月)


 (日記) 昨日も充実した愉しい一日だったなぁ・・・


昨日は早い時間から(W)さん(例の牡蠣事件の人である)から電話が入り、「今日、タカとカルロスと3人でマキの店で飲もうって話になってるんだけど、何時に開いてる?」と言われ「わ〜い! わ〜い! 嬉しいなぁ、やったね!! いつも通り7時には開けてまっせ〜♪」と返事をし、いつもより少し早目に意気揚々と仕入れに出かけた。
彼等は皆25年選手のほぼ身内化した常連さんだ。
彼らのためにも今日のためにも(後ほど書くね)再びお雑煮を仕込みたかったのだ。
鳥ガラのスープは長く煮込めば煮込むほどコクと旨みが出る。

しかしながらいつも仕入れに行くジャスコに鳥ガラが無かったので諦め、ジャスコ内の肉屋にも無く諦め、店の近所の鶏肉専門店に行ったらもう閉まっており、そこから再び西友に行っても無く、アタシャひたすら鳥ガラ求めて右往左往・・・。開店時間の7時は目前に迫っている。
アタシャ仕方なく西友まで戻り、出汁が出そうな骨付きのぶつ切り肉や、手羽先を買い求め、店入りした。

そして大鍋に出汁を取るべく準備をし、手早く付き出しを作り、あれやこれやの仕込みをしていたら、先ず最初にタカが入って来、少ししてWさんが入って来、ほどなくカルロスも来て勢ぞろい。
内輪新年会の始まりである。
皆で新年の乾杯をして、雑談タイムが始まる。

彼等の話は実に面白しろくて愉しい。
TV関係やCM関係の所謂業界人間達なので、色々な裏話も聞けるし、なんてったって一人一人が話題を如何に面白おかしく話すかのセンスにも長けている。
聞いてても愉しい、混ざって尚愉しい、そんな彼等だ。
そんな時間帯が刻々と過ぎて行き、するとそこに毒舌2が入って来、毒舌2もタカとロザリー夫妻の結婚式に出席した仲なので「やぁやぁ」と言う事で飲み始める。
そしてトーク番組のような時間が過ぎ、世も更けて行き、サテサテ鳥ガラの出汁も取れ、みんなに仕上げのお雑煮を振舞っていた頃、(O)さんからメールが入る。

「今、店はどうだい?」

『相変わらず暇です。今4人ほど居ますが・・・」

「4人は多すぎる」

『でも、もうみんなお開きの模様ですので絶対に来て下さい』

暫くして皆が帰り、後片付けを始めた頃、(O)さんがドアを開けてくれた。

彼がこんなに遅い時間に来るのは大変珍しく、いつもは客が出揃わない早い時間帯に来ることが多い。彼は混雑時を嫌うタイプで、アタシとゆっくり話がしたい派なのだ。
二人でゆったりとまったりと飲みながら、色々な話で盛り上がる。
彼の話も大変愉しく、いつもアタシをこき下ろしながらも誉める所はちゃんと誉めてくれ、本音で語り合える仲である。

そんな時間もトロトロと過ぎて行き、閉店時間の1時となって、珍しく代行も早く来るというので定時に無事に終了出来た。

昨日は凄く充実した愉しい日だったなぁ・・・・・・。
家に着いてからカルロスから借りた雑誌を読み、やはり眠りに着いたのは4時前後。


サテサテ、今日は我が女神コマキの誕生会だ。
我が家の家畜、あ、いや・・・、亭主も来るようだし、皆集まってくれるので、まだ食してない人たちのために又お雑煮を復活したと言う訳だ。
二日掛けて取った出汁なので、一際旨い雑煮が作れそうだ。

今日も賑やかで愉しい日になる事に間違いなさそうだ・・・。


2009年01月16日(金)


 (日記) これも正にシンクロニシティーなり。


世界恐慌による不況は、株主や大企業の社長や金持ち達が騒ぐだけで、アタシ等末端も末端のホームレス予備軍人間などには無関係の話だと思っていたが、やはり末端ほど真っ先に影響が出て来ている。
マスコミに煽られ、ちまたの噂に煽られ、世間中が戦々恐々としており、9連休の後は初日が多少賑わっただけで、ピタリと線を引いたように客足が止まってしまった。
からくり箱は5日から営業した訳で、金曜は風邪で休んだとしても、8日間の営業日数の内、お茶っ挽きが3日も有った。
コレは快挙だ!!(喜んでる場合じゃない・・・)

一昨日もお茶を挽き、それでもと思い、11時半までは粘っていたが、もう居た溜まれず家に帰ったら、着信が有ったようで携帯が光っている。見てみれば(T)ママから。
慌てて電話を掛けると「誰も客が来なかったもんだからむしゃくしゃしてマキちゃんと飲もうと思って、これから一人で行こうとしたのになぁ・・・」との事。
やはり(T)ママの店も新年を明けてからと言うもの、お茶っ挽きが相次いでいると言う。

中小企業や個人事業主への支援策は各自治体で色々と語られているが、水商売(実績のある老舗の料理屋などは別だろうが、特にスナックやら風俗店のような娯楽色豊かな店)に救いの手を差し伸べてくれる環境も無く、我々の仕事こそ、社会が作ったストレスに病める人間達の救いになっている貴重な仕事だと言うのに、潰れてしまえば野たれ死のうが、路頭に迷おうがハイそれまでよ・・・の冷たい世界なのだ。

そんなやこんなで年末貯金は日に日に目減りし、日記を書く気力も失せ、昨日は半分気持ちが死んでいた。
しかし店に行かない訳にも行かず、なんとか気持ちを振り絞って行ったら、携帯を充電器に刺したまま、家に忘れてきた事に気付き、またまた意気消沈。
こんな時、携帯が無いと益々相乗効果で不安が募るのよねぇ・・・。
客が居なけりゃ店なんて寂しいものでさ・・・・・・携帯があればまだ愚痴メールも友人に送れるのに・・・。

しかし、最初にドアを開けてくれたのが我が女神、コマキ。
コマキは客ではなかったものの、レンコンの煮物を差し入れしてくれ、アタシを励ましに来てくれたのだ。
コマキ曰く、「昨日がダメだったって言うから、今日は休んでるかと思ったけど、やってたね。偉い偉い!いい子いい子」と誉めてくれ、我がマブダチであるコマキの娘のツボミちゃんにもご挨拶が出来、元気を貰って+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(←ミュウーの足跡。オモロイからそのまま残そうっと♪)仕事に励もうという意欲が出た。

その直後、市役所勤めの(Y)ちゃんが来るらしいとダンナが電話で知らせてくれ、(Y)ちゃんが今年初めて来てくれた。

・・・・・と言う事は・・・?もしや・・・・・。
とアタシにある予感が過ぎった。

実は遅ればせながら、今日の本題にはここから入るのだが・・・・・・。(笑)

以前、(Y)ちゃんと常連である(J)ちゃんが店でもめた事があるのだ。と言っても(Y)ちゃんは(J)ちゃんにただただ説教されていただけなのだが・・・・・・。(笑)
「水商売にも市がらみでもっと愛の手を差し伸べてくれよ・・・」とアタシが(Y)に言ったら、(Y)が、「マキちゃんにホイ!ってお金渡す訳にもいかないしねぇ・・・」と言って、それを聞いていた(J)ちゃんが、「役所の人間はこんなか弱き人間達の税金で食ってるくせに、そうやっていつも上から目線だから嫌いなんだよ!!」と、怒り始めたのだ(笑)
アタシにとっては両者とも大事な常連なので、アタシャ「まぁまぁ・・・」となだめ役で(( アタフタ(^^;)(;^^)アタフタ ))

過去にそんな一場面が有ったのだが、なぜかそれ以来、本当に不思議な事に、(Y)ちゃんが来ると、必ずと言っていいほど(J)ちゃんも来て、二人が顔を合わす羽目になってるのだ。
あれから5回ほど(Y)は来ているが、その度(J)ちゃんも必ず同じ日に来る。(笑)
二人は前世で夫婦か双子か!!ってくらい・・・。
二人ともそう毎日来るわけじゃないのにね・・・・・。
正にしんくろにしてぃーも良い所なのだ。
二人はよほど、強い縁が有るんだろうなぁ・・・・・・。
行く末は大親友になったりして・・・・・・。(o^―^o)

で、話は戻るが、昨日は(Y)ちゃんが居る内に、昔からの友達のモモちゃんと言うお客が二人連れで来て、(Y)ちゃんがバトンタッチをして帰り、モモたちと飲んでいたら、やはり(Y)が帰った後、寸での差で(J)ちゃん達が教授会の二次会で9人で来てくれたではないか・・・。

アタシの予感的中!!

その他ぷあぞんも来てくれ、事務長も来てくれ、(T)ママも来てくれ、昨日は今年初めての大入り満員となった。

店を終えたのはいつも通り午前4時。

一昨日みたいな日もありゃ、昨日みたいな日も有るので、手っ取り早く諦めちゃいけないんだよなぁ・・・・・・。


もしやして・・・、昨日の福の神はコマキと言うより、ツボミちゃんやも知れぬ・・・・・・。
あの母子はやっぱ、アタシの女神だわ。


2009年01月15日(木)


 (日記) 低額泣腐金


連続放火魔が逮捕され、その犯行理由とやらが「住む所も金も無くて、むしゃくしゃしていたから」と言う事だったらしいが、もちろん何かにむしゃくしゃしているからと言って、お金が無いからと言って、住む所が無いからと言って、犯罪に手を冒してまで自暴自棄になってはならないし、罪も無い人を傷付けてはならないし、どうせ自殺(自殺する勇気の無い人が死刑と言う間接自殺を選ぶ事も有るのだと思う)するなら、他人も巻き添えに・・・なんて考えは、もっての外である。

しかしそのような人々が増え続けている事や、政府や社会に絶望し、強い怒りや虚しさを感じながら、ギリギリの精神状態で今を過ごしている人達が本当に多い事も、もう間違いのない事実な訳で・・・・・・。
政治家達はそれらに真剣に目を向けないと、とんでもない事になると思う。
このまま行けば、人を危めないまでも、今の現状では生きていけないので、自殺までする勇気が無い人が刑務所暮らしを選び、わざと犯罪を犯すなどと言う事が果てしも無く増えて行きそうな気がする。
人間としての尊厳を選ぶか、何としてでも生きる事を選ぶかと言う、究極の選択をさせるような国にしてはいけないと思う・・・・・・。

そんな無謀な犯行に人々を走らせてはいけないし、生活苦での自殺者も出してはならないし、ホームレスや失業者などの弱者を救う為に生かす定額給付金で有って欲しかったなぁ・・・とアタシは思うし、そう考えている人も数多いと思う。
最初は一定水準以下の弱者を救う為に考案された筈なのだが、最高に追い詰められている真の弱者には(例えば住所不定なホームレスなど)行き渡りもしないお金らしい。
また、そこまで追い込まれた人々には1万2千円のお金をもらった所で、一週間ばかり生き延びられるだけだろう・・・・・・。
70%近い人が反対している訳で、2兆円の大金を国民全体に配るのに、800億だか80億だか(ど忘れ)の経費も又別に掛かるそうで、そんな大金をはたいて国民に喜ばれもしないのなら、いっそ止めてしまえば良いと思う。
アタシャ、武士は食わねど高楊枝でも、明日をも知れぬ人に回してあげても良いと思う・・・。

今取り立てて生活に困っていない人や、それが無くても生きていける人には目を瞑ってもらって、明日を生きられるか生きられないかのギリギリの人々から順番に救ってあげなければ、誰からも喜ばれないまま、誰も気持ちの良くないまま、2兆800億円のお金がただただ消える訳でしょうに・・・・・・。
定額給付金は低額泣腐金と成り下がり、麻生さんはそれでも何かをやり遂げたと満足できるのだろうか・・・・・・。

もっと人々が素直に喜べる、生きたお金の使い道が有るはずなのになぁ・・・・・・。


2009年01月13日(火)


 【料理】 変り辛み餅


大根おろしで食べる辛み餅が大好きで、小腹のすいた時などたまに作るのだが、いつもは餅を耐熱皿に入れ、水を少々入れレンジでチンしてたのだが、今日は揚げ餅にして作ってみたら案外イケた。

【材料】

餅     2個
揚げ油   
大根おろし  大さじ2杯ほど
かつお節   少々
刻みネギOr白髪ネギ   少々
刻み海苔   少々
醤油Orめんつゆ 適量

【作り方】

☆餅は揚げ油で揚げる。
☆餅を揚げている間に、大根おろしを作り、ネギを刻んでおく。
☆餅が揚がったら、大根おろし、かつお節、刻みネギを乗せ、醤油かめんつゆを好みで掛け、刻み海苔をたっぷり掛けて出来上がり。

普通の辛み餅もサッパリして良いが、たまには揚げ餅で作るのも中々イケます。


2009年01月11日(日)


 (日記) 松本は雪景色&物凄いシンクロニシティー


この一週間、初日が多少賑わっただけで後は最悪だった・・・。
やはり長期の休暇の後はまるっきりダメなんだなぁ・・・・・・。
無理も無いね、お金散々使った後だもの・・・・・・。
年末に僅かに出来た貯金がもう直ぐ底をつきそうだ。(ヤレヤレ・・・・・・)
んでもってやっと華金が来たと思えばこの天気。
松本地方は今現在、積雪2〜3センチの雪模様。
ぐうたら神は年始から手ぐすね引いたみたいに意地悪してくれるよ・・・ったくぅ・・・。

昨日は結局お茶を挽いてしまい、あまりに店が暇だったので、パソコンでたまにお邪魔するチャットルームを覗いてみたら、誰も居なかったので他の五十代のルームを覗いてみた。(三十代のルームに行かない所なんぞ、中々正直者でしょう?)

この部屋も過去に3回ほど訪れた事があり、2人ほど知ってる人が居たのだが、その他はお初の人ばかりが4人ほど・・・。
お初の人に自己紹介をし、松本〜、小さな飲食業を営んでいるマキュキュです。どうぞよろしく。と挨拶をしたら、その中の男性の一人が、10年前まで松本に住んでました。と言うではないか・・・・・・。

えっ?松本のどこいら辺ですか? と聞いたら、城東の信号辺りですと言う。

ナニュニュ!? アタシの今の店もその通り沿いだし、昔アタシが経営していた店は、その信号から僅か一つ先の信号ですよ。と言うと、なんと言う店かと言うのでエポックと言ったら、な、な、何と、昔のお客だった!!
今現在彼は東京在住だと言う。

彼の事はまだあまり良く思い出せないのだが、何でもエポック1からのお客さんだそうで、アタシに2度ほど「もう二度と来るな!」と追い出された事が有るらしい・・・(笑)
その後謝ったら許してくれたけど・・・、と笑っていた。
(昔からアタシャ強気な商売してたんだなぁ・・・・・・)

息子が小さかった時の事も知ってるみたいだし、エポック2にも来た事も有るらしいし、どこそこの店のマスターは元気?とか、あんな店も有ったよねぇ・・・などと、懐かしい話でついつい盛り上がってしまった。

しかしたまぁ〜にしか行かぬチャットルームで昔のお客さんに出会うなんて、正に奇跡としか言いようが無い。
ルームの常連さんに言わせれば、彼も初めてそこを訪れたらしく、そこにたまたま同じ時間帯にアタシが出向いたと言う訳で・・・、このネットの広い海の中で知り合いに会うなんて事も有り得るんだなぁ・・・と、驚き桃の木最初はグーだった!!
他の人たちもびっくりしていた。

彼もミクシィをやっているというのでマイミク登録したので、おいおい正体が解るだろう。(笑)

まぁ、昨日はそんなシンクロニシティーもあり、店は絶滅なれど、中々面白い日になった。

今日はこの天気でどうだべか・・・・・・。
お願い・・・誰か来て・・・・・・。(トホホ・・・・・・)



2009年01月09日(金)


 (日記) 好きこそ物の上手なれ・・・。


アタシャ元来僻みっぽく、全く自分に自信が持てない人間だったので、自分に無い才能を持った人や、自分よりも優れた人や、何かを成し遂げた人に対し「それはきっと天性のものなのよ・・・。最初から備わったものに決まっている。どうせ、アタシなんか何の取り得も与えられて生まれては来なかったんだし、人間のクズみたいなものなんだわさ・・・」と、酷く自分が無能な人間に思え、自分がこの世に生を受けた事にすら、何の意味や意図があるのだろうか・・・と、疑問に感じていた時代をかなり長く過ごして来た。
(今尚、そんな傾向が時々頭をもたげるけれど・・・)

こんなアタシに対し、最近になって「マキュキュさんは良いよなぁ・・・。料理も出来るし、歌も歌えるし、文章書いても人気だし、友達も沢山居るし・・・、やりたかった店まで持てたりしてるし・・・・・・。きっと才能が有ったからなんだよね・・・」などと、羨んでくれる人が出て来たりして、この人は数年前迄のアタシときっと同じ気持ちで人々を見て居るんだろうなぁ・・・などと複雑な気持ちに感じたりする事がある。

アタシは無能で飽きっぽい中、料理、歌、物を書く事、ソレ等が唯一好きな事だったから続けられて来ただけで、好きな事を続けて居さえすれば、ちょっと齧って止めちゃった人よりはソコソコの力は着いて来るものだと実感している。
人間、何かを成し遂げようと目的を定め、大げさな気持ちで物事に取っ掛かるより、好きな事をただただ続けている方がよっぽど身に着くような気がするのだ。
それが実を結ぶとか結ばないとかではなく、長年同じことをやっていれば、やって来なかった人よりは上手になって行くのは当たり前の事なだけだと思う。

「あなたの年から何か好きな事を続ければ、アタシの年になるまでには相当なものになっているはずだわよ。」と、アタシは答えているのだが、アタシだって何をして良いか解らず、何をしても今からじゃ遅いと決め付け、何もしない無駄で無意味な時間を沢山過ごして来たもの・・・。

紅白に出場した61歳のオールドルーキーである秋元順子さんを見てても思うが、きっと彼女もこんな未来が来る事は想像もせず、ただ好きな歌を続けて来ただけで、結果は後々付いて来たものだのだと思うのだ。

後は日常起こる様々な出来事や、苦難や、苦痛を、恨んだり妬んだり怒りの矛先にするだけではなく、感性を磨く為の教材だと思うように極力気持ちを摩り替える事も、最近になって大切な事のような気がして来た。

後ね・・・コレも大事だけど、劣等感とか、挫折感とか、屈辱感は、今までに無かったものを育ててくれる、コレが又、一番の良い肥料なのだという事も心に留めておいた方が良いと思われる。


2009年01月08日(木)


 (日記) 中山家特製雑煮の作り方伝授します。


お雑煮と言うのはその家代々に作り方が伝わっていく物で、煮物や味噌汁と一緒で、その家によって味も作り方も具も異なる訳で・・・、これこそふるさとの味・お袋の味と言う物なんだろうが、最近は家でお雑煮を作らない人がかなり多いらしい。
お雑煮なんて爺ちゃん、婆ちゃんが元気だった頃に作ってもらったけど、今は家からお雑煮が消えたわよ!!と言う家庭も少なくないみたいだ。
餅を焼いて、インスタントの澄まし汁や味噌汁に入れるだけ・・・と言う簡素な物も増えているという。
それじゃぁ、あまりにも味気ないではないですか・・・。

なので中山家代々に伝わるお雑煮の作り方を伝授しようと思う。
以前にも日記に書いた気がするが探すのメンドッチィので、又書くね。
多少手間は掛かるが、このスープはラーメンなどにも使えるし、お雑煮の作り方を知らない人の為にも、自分の家の本来のお雑煮に飽きた人で、偶には目先の違った味のお雑煮も良いかもなぁ・・・と思っている人にも役立つとは思われるので、興味がある人はコピーしといて是非是非いつかご参考にしてみてください。

ハッキリ言って、絶対に旨いです!!

【材料】

【出汁】

直径30CMくらいの鍋に対しトリガラ1羽分(もっと大きな鍋に出汁を取るなら増やしゃいい)
鳥皮   1パック分
かつお節Or出しの素 適量
塩         適量
醤油        少々

【具】
餅    食べるだけ
鳥もも肉 1枚 (一人に対し2切れくらい)
小松菜  1羽 (一人に対し一株くらい)
しいたけ 1パック(一人一個)
長ネギ  1本  (一人に対し4切れくらい)
三つ葉  1束
なると  1本
ウズラの卵の水煮缶 1缶 (一人一個でも2個でも)
エビ   人数分     (上に同じく)
手まり麩 高いのでウチは一人一個しか入れられない。
ゆずの皮 少々


【作り方】

☆鍋に8分目の水を張り、水洗いしたトリガラと鳥皮を入れ、最初は強火で、吹き上がったら弱火にし、アクがたくさん出るので丁寧に救いながら1時間ほどじっくり煮込み鳥ガラスープを取る。
この時、火が強いと途端にスープがにごるのでご注意。
(メンドッチィ人は市販のトリガラ出汁でも良いが、鳥ガラから取った方がなんぼも旨い)
☆出汁が充分出たら、鳥ガラと皮は除いて捨てる。
☆別鍋で小松菜をサッと茹で、水に取り、軽く水洗いし、束に纏めておく。
☆なるとは薄切りに、三つ葉は2センチほどの長さに、ゆずは皮を少々削り、後乗せの具として小皿などに取っておく。
☆鳥の出汁が取れたら、使う分だけ小鍋に移し、金網のボールなどに鰹節を一つかみ入れ、煮立つまで待ち、鰹節は捨てる。
(メンドッチィ人は本だしでも良いが、鰹節の方がなんぼも旨い)
☆鳥ガラと鰹節の合わせ出汁が出来たら、一口大に切った鶏肉、皮をむいて背ワタを取ったエビ、ウズラのゆで卵、しいたけ(丸のまま)を入れ、主に塩、醤油少々で味を調える。旨み調味料はお好みで。
☆鶏肉やしいたけに火が通ったら、小松菜のざく切り、長ネギの斜め切り、手まり麩などを加え、それらがしんなりするまで弱火で少々煮る。
☆その間に餅を焼いておき、餅が焼けたらおわんに入れ、出し汁を注ぎ、最後に、なると、三つ葉、ゆずの皮を乗せて、アツアツを食べる。

コツは、味付けには塩を主に使い、醤油は色付けする程度に抑えた方が品の良い味に仕上がる。

このスープは鳥ガラのコクとかつおの出汁が絶妙なヂュオを醸し出し、何とも旨みのあるオツユになるのですよ・・・・・・。
餅を入れずに、澄まし汁として飲んでよし、残ればコレに鶏肉の細切り肉と青梗菜とラーメンの麺などを入れ、鳥そばなんかにも変化させられ、中々重宝です。

ちょっと手間は掛かるようだが、慣れればなんて〜事ないので、是非是非一度お試しあれ。

この雑煮、サービスは今日までだが、金土の両日も作ろうかなぁ・・・なんて思った。
一杯餅2個入りで、700円でどうだ!?


2009年01月07日(水)


 仕事始めは雪模様


昨日は初仕事だってのに、松本には雪が舞い降りた。
長い休み明けでオマケに雪じゃ、ダ、ダ、ダメだこりゃ・・・!!と少々意気消沈・・・。
しかし昨日は、アタシの第二の息子「まーくん」&第二の娘「ぇみちん」の最年少カップルが一番乗りしてくれ、今年最初のお客さんになった。

彼等とは本当に身内のような間柄であり、お客と言うよりもやっぱ親子だ。
何でも本音で真剣に話し合えるので、気楽ながらも若い子達の気持ちに付いて、とても勉強させてもらっている。
ところがまーくんは風邪気味だったらしく、ぇみちんは腰痛で(婆あさんかい・・・)二人ともいつもの元気は無かった。
お腹が空いているというので、お雑煮の第一号を出してあげたら、まーくんに「旨い!!」と誉められた。
ぇみは毎年経験済みなので「ねっ? 旨いでしょう! アタシは何度も食べてるもんねぇ〜」と鼻の穴をおっぴろげてた。

暫くして、まーくんが食欲はあまり無いのだけれど、まだお腹が何となく物足りないと言うので、土鍋でお米からじっくり炊き上げお粥を作ってあげたら、それも「旨い!」と喜んで食べてくれた。
ねっ? まるっきり母でしょう?(笑)

それでも二人は3時間近く遊んで行き、「風邪を拗らせられないから今日は少し早目に帰るね」と、二人が帰った後、ぷあぞんが来てくれ、歌の上手な事務長が来てくれ、てつが来てくれ、皆でお雑煮を突付きながらカラオケの歌い初めが始まる・・・・・・。
事務長とぷあぞんはアタシのお雑煮初体験らしく、二人ともやはり「旨い!!」を連発してくれていた。

外では雪がチラホラ・・・・・・。
中では皆歌でホロホロ・・・・・。

ふと気が付けばもう1時半・・・・・・。

「さてさて、お開きにしますかね・・・・・・」

とは言ったものの、代行も雪模様で時間が掛かっていたらしく、1便にてつを乗せ、次の便でぷあぞんを乗せ、アタシの最終便が3時チョイ前に着き、無事に一日を終えた訳で・・・・・・。

思ったよりもお客さんが来てくれて、お雑煮の評判も上々で、オマケに雪景色も見られ、なんとなく風流な仕事始めを迎えることが出来た。

昨日の初日はそんなゆったり風景でした。


2009年01月06日(火)


 (日記) 今日から日常が戻ってくる。


過去の正月休みは、エポック時代からずっと大晦日と元旦だけで、2日からはもう営業していたと言うのに、もう若くも無いし、体力も無いし、利益よりも安息を選び、今回は5連休と言う異例の長期休暇を取ったと言うのに・・・・・・、いつだって休みなんて何もしない内にアッ!と言う間に終わってしまうよなぁ・・・・・・。
今から時間を巻き戻したいくらいだ。

まぁ、正月中に体調を崩し寝込んでいたので良かれとするが、3日の日は「今日やってるかぁ?」と言う問い合わせメールが結構あり、開けていたらそこそこ客が来てくれたみたいだ。考えてみれば勿体無い。アタシが3つ子なら良いのになぁ・・・・・・。
そしたら年中無休で営業するのに・・・。(笑)
今日から仕事始めの人も多いと思うが、9連休の人なんか会社行くの嫌だろうなぁ・・・。

サテサテ話は変わるけど、一つ大きく疑問に思った事が有って・・・・・・。
年が明けると喪中の人を除き、大抵は誰に対しても明けましておめでとうございます。と言う挨拶をするが、この習慣が定着したのはいつの頃からなんだろう・・・。
コレはハッピーな人に対してのみ、受け入れ易い定番の挨拶であって、世の中の人が全てハッピーで浮かれ気分な訳でも無く、貧困に飢えている人、家を手放さなきゃならなくなった人、生死を彷徨う重い病気の人、又はそのような病人を身内に抱えている人、失恋したばかりの人、離婚間近な人、倒産間近な人、様々な苦難を抱えている人達も一同に明けましておめでとうございます。と言い合うのは何か解せない気がするのだ。
年が明けたからっておめでたいような心境には中々なれない人も多いんじゃないかなぁ・・・なんて思ってしまったりする訳で・・・・・・。
でもそんな事をいちいち配慮するとややこしいので、明けましておめでとうございます。で、取り纏めているのだろうか・・・・・・。

苦労や苦悩は多いけど、取り合えず新年は明けてしまったので、今年も出来る限り友情や知恵をつくしてこの年を一緒に乗り切って生きましょうよね・・・。などと言う挨拶の方が身に染みて嬉しいと感じる人も、中には大勢居るのではないか?なんて思っちゃた訳ですよ・・・・・・。

何か年を取るごとに、アタシャどんどん理屈っぽく偏屈になって行くよなぁ・・・・・・。
↑自己反省。

まぁ、今日から何事も無かったように日常が始まる訳で、アタシャアノ店で気の合う仲間達と様々な事に付いて語り合い、酒を酌み交わし、笑い合い、怒り合い、悲しみ合い、慈しみ合いながら、今年もスタートを切りたいと思う。

なんか、今日の日記は取り留めが無いなぁ・・・・・・。


2009年01月05日(月)


 (日記) お陰さまで・・・・・・。


昨日の夜ご飯は、霜降り和牛のすき焼きを旨そうにつつく亭主を尻目に、アタシャそれには一切目もくれず、シラスおろし、玉子焼き、梅干、冷奴、味噌汁と言う安民宿の朝ごはんのような質素なおかずを並べ、ご飯も小さなお茶碗に軽く一杯と言う腹7分目の食事を取って終わりました。
酒類も大晦日と元旦まで。それ以降は一滴も口にしておりません。(アタシ、なんて偉いの!!)

ご馳走の並ぶ正月のお膳の中、かえってこういう食べ物の方が愛しく美味しいと思うのはアタシの負け惜しみでしょうか・・・・・・。
いやいや、そんなことはござんせん。
やはりこういった食事が旨いと感じられる胃袋&年齢に差し掛かっているようです。

昨夜は主人が夜更かしが出来る最後の晩と言う事で、花札のコイコイをして遊んであげたのですが、ハッキリ言って全然相手になりません。
ほんの赤子の手をひねるようなもの・・・・・・。
なにせ、小学校1〜2年生の頃からアタシャ父母の悪友達にポーカーやコイコイ、マージャンなどを鍛えられ、事コイコイに関しては、何れは誰もアタシには勝てなくなるほどの腕を磨いたものです。
アタシの生家では、常に父母の兄弟や悪友達が週末集まり、誰かがマージャンの順番待ちをしている間、アタシャ夜中だろうがなんだろうが、無理やりたたき起こされ、花札の相手をさせられたものでしたから・・・・・・。
コイコイ暦は50年近いのでありまして・・・・・・。

昨夜は一文(いちもん)50円で夫と三年分の勝負をしたのですが(コイコイは12ヶ月(一年)で勝負が終わる)アタシャ夫から3千円ほど軽く稼がせていただきました。

そんな訳で粗食と勝負に勝った嬉しさが幸をそうしたのか、体調もすっかり良くなり、昨日は熱も引き、胃も痛まず、無事に一日を終えることが出来ました。

今日一日無理をせず、又粗食に耐えれば、すっかり身体も元通りになる事だと思われ、明日から滞りなく店を開けられるものと思います。


所で・・・、ニュースですが・・・・・・。
毎年恒例の新年の粗品として、明日から7日までの3日間にご来店の皆様に、中山家代々に受け継がれてきた「特製バカウマ名物雑煮」をもれなくご賞味いただきたく、お年賀の変わりにプレゼントさせていただきます。
このお雑煮は100発100中の方々が皆様口を揃えて「旨い!!」と絶賛してくれたお雑煮であり、アタシの最大の自慢料理の一つです。
トリガラと鰹節の併せ出し汁に、具は鶏肉、しいたけ、小松菜、ネギ、エビ、ウズラの卵、なると、三つ葉が入った、さっぱりの中にもコクのあるお出汁です。
お餅は一個だけですが、是非是非飲んだ後に召し上がってくださいな・・・。

そんな訳でして、明日からからくり箱を営業いたします。
今年も是非是非、ご贔屓にしてくださいますよう、御ン願いたてまつりまする・・・。


2009年01月04日(日)


 (日記) 正月早々ダウンしてた・・・。


皆様改めて新年明けましておめでとうございます。
今年も一年、よろしくお願い申し上げます。

サテ・・・アタシですが・・・。元旦の夜に暴飲暴食が過ぎたのか、2日の早朝5時ごろひどい胃痙攣で目覚め、まるで陣痛のように10分おきくらいに襲ってくる痛みに耐えながら一人身悶えておりました。
昨日は朝から元気も無く、丸一日中胃痙攣も治まらず、夜になって熱も出始め8度まで上がり、ダンナにお粥を作ってもらい、珍しくダンナに手厚く看病されたまま(アタシが具合悪くなるとなぜかダンナもそれ以上に具合悪くなり、結局アタシが看病しなきゃならない羽目になるパターンが過去の大半だったのだが・・・)一日が終わりました。
偶にゃ良いもんだよね、看病されっぱなしってのも・・・・・・。

今日になってやっと胃痙攣も治まっていて、熱も今は下がっており、やっとパソコンに向かう元気も出たと言う訳で・・・、今こうして日記を書いているという次第であります。

きっと12月の半ば辺りから溜まっていた疲れや体の中の毒素が一気に噴出し、胃腸もかなり弱っていたものと思われ、それが長期の休みと言う事で気が抜けたのか、胃痙攣と発熱を伴い、噴火し、浄化されたものだと思う。

本当ならば今日辺りダンナと二人で店の大掃除をする予定でいたのだが、まだ本調子ではなく、又油断するとぶり返しそうなので、ひとまず目を瞑り、店の大掃除は後日、アルバイトの手を借りて、ゆっくりやろうと思う。
じょーじんちゃん、アルバイト募集の再には何卒ご協力くださいませ・・・。

しかし、胃痙攣と言うのは40年ぶりくらいで起きたのだが、あれはかなり苦しいね・・・。
普段胃腸は丈夫な方なので、胃が痛いとかお腹が痛いというのはあまり経験が無い。
それが息も出来ぬほどのた打ち回っていたので、ダンナもかなり心肺だったらしく「胃癌じゃないか? 病院行くか? 救急車呼ぶか?」と、一人半泣きでオロオロしていた。
こう言う事があるとダンナの心配度とか優しさなんかが窺い知れて、偶にゃ病気もありがたい・・・。

今日明日は飲食も控えめにして、来週からの営業に差し支えないように健康を取り戻すべく大人しくしていようと思う。
なので新年会も後日になってしまいそうだ・・・・・・。

アタシの正月は、思いとは裏腹な、体のギャップを切実に感じたお正月だった。
皆さんのお正月はどんなだったのだろうか・・・・・・。


2009年01月03日(土)

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