マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 【手紙】  親愛なるナルミちゃんへ


今日は約束していた童話に代えて、ナルちゃんにお手紙を書くことにしました。
【童話もかならず書くからね】


ナルちゃん、ステキなバースディーカードありがとうね〜♪
チョッとのんびり屋さんのママから昨日たしかにうけとりました〜♪(プププッ!)

ナルちゃんには、まるでマキュキュおばちゃんの心がお見通しみたいだね・・・。
実はマキュキュおばちゃんは最近、ちょっとオツカレモードだったんだ・・・。
ナルちゃんにはナルちゃんのこまったゲンショウがあるように、大人には大人のこまったゲンショウってものがあってね・・・。これは人間にはだれにでも起こるゲンショウだと思うのね?

いつもいつも元気にしていたいんだけど、いつもいつもはりきっていたいんだけど、物事が思うようにいかなくて、元気じゃなくなってしまう事って時にはあるじゃん?
マキュキュおばちゃんも、最近がちょうどそんな時期だったんだ・・・。

そんな、お沈(しず)みモードの中でプレゼントされたナルチャンのバースディーカードに、おばちゃん、10回も20回も【ありがとう・・・】をくり返しながら、泣きじゃくっちゃったよ・・・・・・。
【ナルちゃんには何度うれし泣きをさせられたことだろうか・・・】

人間ってね・・・、元気で頑張れてる時によってきてくれる人も、もちろん嬉しいんだけど、心が痛んでて、お沈みモードの時に優しい心をくれた人の事は、とくべつに忘れられないものなんだよね・・・。

【大好きなマキュキュへ。】←この言葉に特に号泣しちゃったよ。(エヘヘ・・・)
マキュキュおばちゃんは、ナルちゃんに大好きって言ってもらえるシカクあるのかなぁ・・・? 【あやしいものだ・・・】

昨夜はお店に他のお客さんがだれも居なかったので、ママとずーっと色んな話してたんだ。
ママのパパやママの事とか色々と・・・。そう、ナルちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんの事ね・・・。

マキュキュはもともと、その二人のお友達だったんだけど、それからのつながりで、ママともお友達になったの。
んでね? マキュキュ思うんだ。
心が豊かで、ステキで、良い生き方をしている人間から育った人間は、やっぱり、それがじょじょに受けつがれていって、ステキな人に育つんだなぁ・・・って・・・。
だからナルちゃんのママもナルちゃんもステキな人なのよね。

ナルチャンのおじいちゃんとおばあちゃんは、とても仲良しな夫婦で、かたぶつではなくてちょっと飛んでてさぁ・・・(笑)、人の痛みがとても良くわかる人だったの。
そんな二人がピアノを置いた、おしゃれでレトロなお店をやっていたんだけど、そこがマキュキュの若い頃のゆいいつのいやしの空間だったのよ。
あなたのおじいちゃんのジャズピアノは素晴らしかったんだ・・・。
マキュキュはまだ若く、東京から来たばかりで、色々と不安だらけだったころ、しょっちゅう通ってたのね?

いつもそこで、グチを聞いてもらったり、恋のときめきを聞いてもらったり、おじいちゃんのピアノでマキュキュが歌ったり、つらい事があると泣いたりしてた・・・。
おじいちゃんとおばあちゃんの店は、どこにも無いような不思議なあたたかみのある店だったの・・・。
3人で飲んだくれてベロンベロンに酔っ払っちゃったりもしてたしね・・・(プププッ!)
そのころ、ナルちゃんのママはまだ高校生だったの。

おじいちゃんもおばあちゃんも、弱い人の心をいやす不思議な力を持ってたなぁ。
ダメ人間をダメじゃなくしてくれる・・・、大きな自信を持たせてくれるようなところがあったの・・・。

そんなおじいちゃんとおばあちゃんに育てられたあなたのママは、やはりとても心が広く素晴らしいママなんだよ〜。【時に鬼になるけどさ・・・プププ!】
とても温かな人で、時に強く、時に大きく、時には怒りんぼうになるかもしれないけれど、あれでいて少女のようなあどけなさもあるんだよ。

そして一番いいところは、なんていったら良いのかなぁ・・・・・・。
人の弱い部分を分かれる人なのね・・・。
だからナルちゃんも、ママには何でも話せるようにしてね。
あなたのママはきっとナルちゃんの人生の良き相談相手になってくれつづけるよ。

おばちゃんもそんな人間になりたいと思ってるし、人がしょげてる時にこそ、元気を与えられて、励ませる人間でいたいと思う。

ナルちゃんもそんなおじいちゃんやおばあちゃん、そしてママの血を受けついで、人にたくさん元気を与えてあげてね。
マキュキュはいっぱい、いっぱい、ナルちゃんに元気をもらってきてるんだよ〜♪

マキュおばちゃんはいつか必ずお金持ちになって、ナルちゃんとママを旅行にでも招待するからね〜♪(いつのことやら・・・笑)

ナルちゃんは、人が喜んでくれる事が自分にとっても喜びだという、とても素晴らしい部分がある。
だから、それを生かして色んな人を元気付けてあげてください。
ママもそんなナルちゃんをホコリに感じてると思う♪

おばちゃんも頑張るね〜♪
ナルちゃんがカードに書いてくれたように、ムリをせずに、ゆっくりやるからね〜♪

本当にありがとう〜♪
おかげさまで、マキュキュ、とても元気になれたよ。


2005年09月30日(金)


 (日記) お客の評価が嬉しい。


昨日はあのメニューにサーモンフライのタルタルソース添えを加え、エビオムレツを和テイストのシラスとネギの薄塩ふんわり玉子焼きに変えて出した。
「どれもこれもがお世辞とか社交辞令抜きで、とても美味しい」と皆に褒められ、(Y)さんの顔も立ち、私は朝から張り切って仕込みをした甲斐があった。

特にひき肉とたけのこの中華炒め、レタス包みは、初めての食感だと喜ばれた。

簡単に作り方を紹介すると・・・。

春雨は高温の油に落とし、一気にジュワッ! っと揚げ、手でバラバラにほぐしておく。
にんにく・しょうがのみじん切りを油で炒め、そこに豚挽き肉を加え、パラパラになるまで良く炒める。それに長ネギ・たけのこ・しいたけ・セロリ少々のみじん切りも加え、さらに良〜く炒める。
水分が無くなったら、酒・醤油・オイスターソース・塩・こしょう・うまみ調味料・中華スープ少々を加え、汁気がなくなるまで炒め煮する。
汁気がなくなってきたら水溶き片栗粉少々を加え、まとめやすくする。
味を見てOKだったら、仕上げにラー油少々とごま油少々を加え出来上がり。
それを大きくちぎったレタスにパリパリ春雨とひき肉を包みながら食べる。
と・・・こんな料理だ。
ちょっとしたパーティーでは大好評だ。

値の張る食材は無いけれど、【情熱】と【ワクワク感】と【愛情】と言う魔法を加えれば、人の心に触れられる料理が作れる。
何よりも楽しんでニタニタしながら作った時の料理は、大変評判が良い。
そしてやはり、心配事があり、心が沈んでいる時の料理は、味もどこか沈む。


家庭よりもちょっと高級で、料理屋よりもちょっと家庭の香りがする料理。
そんな温かみがあり、和みのある料理をいつもいつも心掛けたい。

先日来てくれたマイミクの(S)ちゃん達も、餃子もカレーも褒めてくれた。
そして「何を食べてもはずれが無いんだよねぇ・・・」と。

何しろ私の店は、カワユイ女の子が居るわけじゃなし、ノリの悪い50女がやってる色気もそっけもない店。
何がウリかと言えば料理とアットホームな雰囲気だけだ。
若い客は私にこき下ろされたりしながら、里帰りしている気分で飲みに来る。
お客に媚びないけど、気さくな店。そんな雰囲気を確立させたい。

店の造りはもろスナックだが、あそこに行くとそこいらのスナックでは味わえない物が食べられるよ〜。という口コミがほしい。
そして出来れば予約で来てほしい。
そうすれば定番メニューに無いものがたくさん作れる。

料理一人¥2500〜¥5000。(4名様より承ります)
プラス飲み物・カラオケは別途料金いただきます。と言う設定で、ポップを書き直した。
これなら少し家庭的な食に飢えている大学生もこれる値段だと思うし、普通に来るよりは色んな味が味わえ、断然お得だと思う。


予約がコンスタントに週に2つは入るような店にもって行きたい。

(S)ちゃん、どうか宣伝お願いします。


2005年09月29日(木)


 (日記) 今日の献立


昨日はフゥーリィーの誕生日だった。
アタシャすっかり忘れていた。
店の準備をしていたら【誕生日なのに一言も無いんですかねぇ・・・】と、メールが入った。

一人ぽっちの誕生日だったわけだ。
何のお構いも出来ず、少々可愛そうだった。
しかも我が家は今が一番ピンチの時期。
まぁ、待て。
もう少し稼いだら、パンツと靴下のセットでも買ってあげるよ。
ともかく、フゥーリィー、47歳の誕生日おめでとう〜♪


サテサテ・・・。
今日は久々に予約が入ってる。
で、朝から張り切って献立を考えていたところだ。
予約の主は我が尊敬するメンター(Y)さん。他7名。合計8名様。
彼女はたびたび【からくり箱】を利用してくれ、小さなパーティーを企ててくれている。

今日は、料理一人3000円。プラス飲み物&カラオケと言う事だ。
このくらいの人数と予算だと、一番料理が作りやすい。
なんせ狭いカウンターの中での調理だし、調理台が無い店ゆえ、あまりに多人数分だと物の置き場が無いので苦労する。
むろん家で作れる煮込み料理などは家でやるとしても、店でしか作れないものもある。

予約が入った日の前日は、わくわくしながらあれやこれやとメニューを考えたりするので、中々眠れない事が多い。
料理本や過去のレシピを見詰めながら夜更けまで考える。そして気合が入ってるので朝早く目が覚めてしまう。
今朝も6時に目が覚めた。
結局4時間ほどしか眠れなかった。


予算との折り合いを考慮し、今日のメニューの一品に、秋らしく、秋刀魚を使う事にした。

☆ 生秋刀魚のカルパッチォ

☆ 豚挽き肉とたけのこの中華風炒め物、レタス包み。

☆ 生湯葉の刺身

☆ ブリと大根の煮物

☆ えび入チーズオムレツ

☆ 漬物

☆ シメジとまいたけの炊き込みご飯

☆ フルーツ (メロンと葡萄)



こんなところを考えている。


我が店の料理は、その日の予算や人数に応じて作るのだが、和洋折衷だ。
もちろんナニナニが食べたいと言われれば、極力応じるのだが、お任せで良いと言われる事が多い。
なので洋物あり、中華あり、和あり、時にイタリアンありと、バラエティーに富んでいる。

おっ! 一時間ほど前から家の台所で煮込んでいるブリ大根の大根が、いい具合にべっ甲色になってきた。(旨そっ!)

今の季節、一人5000円の予算を貰えると、信州和牛のステーキと、最後の食事にはマツタケご飯が出る。

あぁ、お腹が空いてきた。もうすぐ10時半か・・・・・・。
まだ朝だよなぁ・・・・・・。


ブリ大根でもおかずに朝食でも取るとするか。


2005年09月28日(水)


 (日記) あっという間に元気100倍


昨日家のパソコンが復帰した。
家で又、日記や文章が書けるようになった事が何よりも嬉しい。
復帰というよりも、新しいマシーンに変わったのだ。
我が愛しのマシーンは、5年と8ヶ月で、その生涯を閉じてしまった。
その亡骸は、一生涯の私の宝物として、いつでも見える私の傍に大切に保管しておく。
癌からの生還後、ずっと苦楽を共にし、私のありったけの気持ちを保管し続けてくれた愛しかったマシーン・・・・・・。
今まで本当にご苦労様でした。そしてありがとう・・・・・・。
あなたは私のセラピスト的な役割として、たくさん活躍してくれました。
どうか傍らで静かに今後を見守ってくださいね。


新しいマシーンは友人のお手製。
ただに近い破格の安値で仕上げてくれた。
彼には足を向けては眠れないだろう・・・・・・。【でもベッドの方向的には多分、向いてるんだよなぁ・・・・・・】
出世したら10倍返しするからね。
本当にいつもいつも窮地を救ってくれてありがとう。


この所、先週後半あたりから、店の忙しさも回復しつつある。
心に引っかかっていた親友に対する(?)も、キチンとした説明を受け、私側の原因ではないと解り、その理由が納得できた。
病気の友人も今は小康状態を保っていると言う。
そして何よりパソコン復帰で、私の目標がかなり明確になった。
とりあえず書いて書いて書きまくる!!
ここ暫くはそれに始終しよう。


出入りの酒屋さんが面白い事を言っていた。無口で無愛想なオジサンなのであまり喋った事が無いのだが・・・・・・。
「お盆過ぎてから、どこの店に行っても言われる言葉が3つあるんだよ。いや、最近はこの3つしか言われなくなった・・・」と独り言のように言うので、『何んて言われるの?」と聞いてみたら・・・・・・。
「客が来ないけどどうしたらいい? と、うちだけかなぁ? と、他はどうなの?」の3つだそうだ。
先日あたり私も同じことを聞こうとしたので、聞かなくて良かった。(笑)

集団無意識と言うのが有って、飲みに行く時期、行かない時期が重なる事があるという。
皆がせわしく忙しくなる時期、皆が飲む余裕の無い時期、皆が骨休めをしたい時期・・・これらが重なり、一気に街中から人が居なくなる。
その集団トリックにかかってしまうと、皆が不安になり、さっきの3つの疑問が浮かんでくるのだそうだ。

そういう日が続くと、本当に自分の店だけが阻害されているような暗澹たる気持ちになってしまう・・・。
そしてやっと久々に混んだと思うと、座れない客を逃したりし、泣きたくなるような心境になる。

昨日のからくり箱は月曜だというのにお蔭様で久々に賑やかだった。
マイミクの(S)ちゃんとその彼も来てくれ、信大の団体も来てくれ、久々に楽しく仕事をさせてもらえた。
冷蔵庫もほぼ空になり、今日の仕入れが大変だが、忙しいと疲れ方が違う。

色々な不安要素が一気に解決し、元気100倍になった。

さぁ、これから遅れ分を取り戻しつつ、書くぞぉ〜♪
応募したかったエッセイは締め切り間近になってしまったので諦めるが、エッセイ集の編集作業と日記に精魂込めよう。

という訳で、沈んでいた時期を又乗り切りました。




2005年09月27日(火)


 (日記) 心が疲れている人が如何に多いか・・・


先日、診療内科医の友人先生と飲みながら話した時に、今現在、如何に心の疲れている人が多い時代になったかと言う話になった。
お互いに違う意味で心が疲れている同士の酒の上での会話だ。(苦笑)

ネットで調べてもうつやパニック障害などの治癒方法や対処法、様々な情報などが蔓延している中、尚もうつやパニック障害などに悩む人は増え続ける一方だ。
今まで隠れていた存在が、明るい場所に出た事は良い事だとは思うのだが・・・。
ほんの軽いものから重いものまで数えたら、3人に一人はストレスの犠牲者だそうだ。

普通に幸せそうに見える人も何かしらのストレスは抱え込んでいる。
カレーのCMやシチューのCMのような幸せだけの家族はほんの一握りだろう。いや、もしかしたら皆無なのかもしれない。

そんな疲れた人たちの癒しの場所にしたいと思い、開いた店なのだが、実は私もこの所、少々疲れている。

今町全体が死んだように静まり返っていると、カラオケの集金人が言っていたが、本当にお盆を過ぎた頃から線を引いたように夜が静かになってしまった。
私の店だけではないと言う事が唯一の救いの糸のように感じられ、自分を奮い立たせているのだが、こんな事ではいけないと焦り、試行錯誤し、もがけばもがくほど虚しくなるような暇さ加減なのだ。
折角工夫して作った付き出しや餃子やカレーなどをフゥーリィーと二人では食べきれずに捨てるときの虚しさと言ったら・・・・・・。
ただであげるから取りに来てくれ! と言いたいくらいだ。(笑)

客が入ってる店はキャバクラのようなお色気の店、高級志向のお洒落なフーズBar、新しく開いた専門店、ごく一部のホストクラブ等など、数が知れていると言う。
私のように余裕を持って始めていない人間は、こんな時期が2月も続くと途端に焦りが出てくる。
でもその焦りをお客に悟らせないようにすると言う事は至難の業なのだ。
人間と言うのは頭ではわかっていてもどうしようもない時がある。
そして誰が悪いわけでもない事で事体が悪化する事もある。
そんな時期に心が疲れるのだ。

しかし、自責の念に駆られ、自分のやり方が悪いと責める。プレッシャーを感じるが、休んで旅行に出かける余裕など全く無い。
なので気持ちを切り替え、良いアイデアが浮かぶと試しては見るのだが、成果が出始めるまでは我慢の日が続く・・・・・・。

そんな時に友人になれたとばかり思っていた或る女性に痛い所を突かれた。
彼女に痛い所を突かれたのは今回が初めてではないのだ。
彼女とは何度かプライベートで食事に行ったりする程度の付き合いで、所謂始まったばかりの付き合いだ。
私は理不尽な事で嫌な思いをした事でも、争う事でのエネルギーの無駄使いが億劫なので、極力忘れるようにしているのだが、しかし余りにもそれは違うと感じた事は最近では随分反論もするし、言うようにはなった。
でも彼女にはまだいくばくかの違和感を感じてるに過ぎないので先日も聞き流したのだが・・・・・・。

彼女に「幾らなんでも客商売なんだから、店でTシャツは止めた方がいいんじゃないの? マキちゃんは顔立ちは良いんだから胸の開いたお洒落な服でも着たら、年配のお客は増えると思うんだけどなぁ・・・」と言われたのだ。

「アタシが胸の開いた服かぁ? いまさら色気出したところで客増えるかなぁ・・・? 気味悪がられるんじゃない? 返って」と笑ってごまかした。

そして先日の大賑わいだった日、わざわざ彼女が本を返しに寄ってくれたのだが、その時は車だったらしく飲んでは行かなかったのだが、その日の事を「あの時は満席でびっくりしたわ。ふっと見たら小父さんばっかり一杯居てさ・・・」とも・・・。

その彼女の言い方に【ああ・・・この人は人の痛みを解らない人なんだなぁ・・・」と、改めて再三感じてしまったのだ。

言い訳ではないが、あの団体は小父さんばかりでは決して無い。
若い社員も大勢居た。
偶々彼女が一瞥した時に支店長クラスの年配の方が目に入っただけなのだろう・・・。

そして洋服の事についてだが、何時もTシャツな訳ではないのだが、着る物を4年間買ってない私は本当に着る物が無いのだ。
ブティックの頃のジョロジョロしたお洒落な洋服は動きが取れない。
しかも、色気で売るスナック系の店ではないので、調理もする。
卵巣が無く体温調節が出来ない私は狭いカウンター内で火を使う仕事なので、動きやすく汗をかいても良い様にTシャツで仕事をする事が多い。
それでなくてもクソ狭いカウンター内は3台の冷凍庫や冷蔵庫などの熱気で、冷房が効かずただでさえ汗だくになってしまう。

そういうことを解って欲しいとは決して言わない。彼女の言う事も最もだろう。悪気が無いのも解る。
ただ、彼女は自分の価値観や自分の考えだけで物事を言い過ぎる。
【私はお金の苦労をした事が無いんだよねぇ・・・。外国に留学をしてたんだよねぇ・・・。私のママがさぁ・・・・・・】
彼女の話に羨ましさを感じたことは無い。コレはやっかみでも僻みでもない。
アナタと私とでは育った家も環境も今までの生活も家族も違うの・・・、としか言いようは無い。

ただ、彼女に欠けている所で私が持っている部分も沢山あるんだ。と、少し気が楽になった事もある。

それと同時に私自身、人と接する時、相手が平気な顔をしていても、この人はもしかしたら心が疲れているのかもしれない・・・と言う意識を持つ事も必要だと思った。
それを相手の言葉や目や仕草で解れるような洞察力が欲しい・・・。

少なくともそれが解った時は、尚更相手にプレッシャーを与えるような存在ではなく、尚更落ち込ませてしまうような存在ではなく、何時でも辛い事が有ったら私の事を思い出して、何でも話してね・・・と言えるような、温かい存在で居たいと思う。

私も悪気は無いのだが、かなり言葉が辛らつなところがあるので、疲れている相手を尚更追い込ませないように気をつけたい。


2005年09月22日(木)


 【愛猫エッセイ】 猫が神秘性を帯びる季節


この季節になるとミュウーは神秘性を帯びる。
ツイこの前まで暑さにだらけきっていたミュウーが、何かが乗り移ったように機敏になり、活気付き、年齢を感じさせぬ美しさまでをも、かもし出す。
早朝、窓辺にたたずみ、明け切らぬ藍色の空を見上げ、じっと一点を見詰め動かぬ様子は、まるで宇宙の神々と何かの交信をしているようだ・・・。

うちのミュウーに限らず、猫は秋と言う季節が最も輝き、活動的になる季節なのではないか?
店からの帰り道、買い物の途中、町々で見かける猫達が何かいつもと感じが違う。
誰も彼もが目を輝かせ、何かステキなたくらみを含み、いそいそと道路を横切り、何処かで人間にヒミツの集会を開いているのではないかと言うような気がする。

先日、久々に魔女の宅急便を見た。
何度見ても良い映画だと思う。
宮崎駿の映画はどれも素晴らしいが、ひときわ魔女の宅急便は好きだ。
ラストシーンで必ず泣いてしまう私を見て、フゥーリィーが「何でこの映画でそこまで何で泣けるのよ?」と、腹を抱えてゲラゲラ笑うが、私はハッピーエンドの映画のシーンそのもので泣いているのではないような気がするのだ。

演出や、台本や、キャラクターの使い分けの素晴らしさに感動するのだ。
あのこっつら憎いまでの出来栄えに・・・・・・。
宮崎駿のアニメのスタイルそのものに・・・・・。
ジジに喋らせてしまうあの感性、魔女と普通の人間を扱っているにもかかわらず、魔女の存在を普通の人間のようにとり扱う周りの人間達のあの自然さを考えたあの新鮮さ、何一つ無駄の無い台詞、ストーリーそのものが、まるで日本のディズニー映画と呼べるような高い完成度で、大人にも大きな感動を与えていると言う事事体に偉く感動してしまうのだ。
私はそんな夢を与えるものを作り続けている人々が羨ましいのだ。
きっと皆、楽しくワクワクしながら、童心に返り、活き活きと仕事をしてるんだろうなぁ・・・。

宮崎駿の作品は、もしかしたらうちのミュウーもいつか喋り出すのではないか? というような期待も持たせてくれる。

魔女は(ジジも)恋をする事によって、魔力を失なうらしいが、私たちはこれから魔力が持てるのかも知れない・・・。と、こんな私にも勇気や元気を与えてくれる。
そんな宮崎駿の世界に恋焦がれてしまう。
フゥーリィーよ! そんな夢見る50歳をバカと笑えば良い。今に魔女になってやる!!(笑)

私も皆が感動するような物語を絶対に書けますように・・・。
そう今朝ミュウーにお願いしてみた。


2005年09月21日(水)


 (日記) ご無沙汰しちゃって・・・


家のパソコンが立ち上げ不能とナリ、電源を入れた途端にブツブツと切れてしまうと言う事態になって・・・。
なんせ電源を入れると、3〜5秒ほどで切れてしまう・・・。
こんな状態は初めてだったので、もう、今回だけは完璧に覚悟した。

折角エッセイ集も真面目に編集する気になり、ほぼ最終章に差し掛かり、大いに張り切っていた矢先の出来事だったので、「そんな状態だとデーターも何もかも、消滅は免れないかもだよ・・・」と言う、主治医の言葉に、かなり落ち込んでいた。

それに加え、この所、一日の温度差が激しく、秋風邪を引いてしまい、おまけに膝の関節炎と重なり、昨日までトイレでしゃがむ事もままならず、2日間の連休を取り、焦りと不安の中、家で静かに時を過ごしていたのだ。

でも、パソコンティーチャーから昨日の朝、データーは無事だったと言う連絡を貰い、一気に気持ちが明るくなり、今日はわざわざ店に日記を書きに来る元気がやっと出たと言う次第。

先日の目標額達成のお礼と、パソコンのデーター無事の感謝の気持ちを込め、先ほど松本城に立ち寄り600円のお賽銭を払い【宇宙ツツジ】にお礼を述べてきた。

人間って本当に単純と言うか何と言うか、上手くいかない事が少し重なると、プラス思考から一気に脱落し、自信喪失し、全ての気力が萎縮してしまうと言う弱さを兼ね備えたものだと言う事が痛いほど良く解った。
ただ、今までとは明らかに何かが違ってきた。
苦境に立たされた時にこそ、何かの手立てを前向きに考えようとする気持ちが、フツフツと沸いてくる。
やはりこれは多くの本を読み漁って来たお陰と、運命を変えようと言う気付きが有ったお陰だと思う。

どれかの本がどれかの立ち場に立たされた時、必ず手助けになってくれている。そしてそんな時に面白い事を言って笑わせてくれるフゥーリィーの存在も大きい。

コレがダメならあれをやる。あれがダメならそれをやる。そんな意欲は限りなく沸いてくる。
何をしたらいいかも解らず、ただただため息ばかりついて、ダメだダメだと嘆いてばかりいた頃の私とは何かが違っている事だけは確かだ。
そうやって試行錯誤をしている内に、絶対に道が開けることも確信している。

まだまだひ弱で、まだまだ日々の出来事に翻弄されがちな私だが、出来る限りの事を出来る範囲で頑張っていれば良いと思う。
それが成長し続ける鍵だよね。


2005年09月20日(火)


 【料理エッセイ】 サーモンのホイル焼き秋バージョン


今日、行きつけのスーパーで生ジャケの安売りをしていた。
ムニエルやフライは良くやるのだが、亡き母が良く作ってくれた懐かしい料理をフト思い出し作ってみた。
この時期、旨いものがスーパーに並び、食べたいもの作りたいものは沢山有るのだが、財布の中身と相談しながらなので、いかに安い材料で旨いものを作るかが課題になる。

きのこ嫌いだったフゥーリィーが、最近ようやくきのこを食べられるようになったので、今日の料理は【サーモンのホイル焼き秋バージョン】を昼のおかず兼、店の試作品として練習がてら作ってみた。


ではではその作り方を・・・。

【材料】2人前

生のサーモン       2切れ
バター          大さじ1
シメジ          少々
生しいたけ        1個
生マッシュルーム     4個   
えのき          少々
コショウ         少々
醤油           一たらし
酒            少々
とろけるチーズ      大さじ2
小麦粉          小さじ4
刻みパセリ        少々


【作り方】

☆ フライパンにバター少量を熱し、薄切りにしたしいたけ・マッシュルーム・ほぐしたシメジ・えのきを炒める。

☆ サーモンは塩・コショウを振り、両面に小麦粉をまぶしておく。

☆ 炒めたきのこは塩・コショウ・醤油一たらしで下味をつける。

☆ 別のフライパンにバターを熱し、サーモンをこんがりと焼き色が付くまで両面をさっと焼いておく。

☆ アルミホイルにサーモン・きのこ・とろけるチーズを重ね、ワインか酒を数的振りかけ、刻みパセリを乗せ、オーブントースターで加熱する。

ごめんなさい。客が来たので簡単でした。


2005年09月17日(土)


 (日記) 奇跡!! 


【宇宙ツツジ】と言うものが松本城の本丸庭園にある。
入場力は600円掛かるのだが、先日初めて見に行ってきた。
気功師の友人(I)に、少し前から聞いてはいたのだが、そのツツジには物凄く不思議なパワーが宿っていると言う。
彼女は職業柄、宇宙のエネルギーや不思議な現象等に大変詳しく、又、敏感に感じ取れる人なのだ。

彼女が以前その場を訪れた時、とても足が痛かったそうなのだが、そのツツジの側を通りかかった時、そのツツジから偉大なパワーが発せられている事に気付いたと言う。
暫くツツジと対話し、瞑想していたら、足の痛みがスッと消えたそうだ。
それ以降、彼女は度々、ツツジと対話し、ツツジのエネルギーを貰い、そしてツツジに感謝しに定期的にそこを訪れていると言う。

何故【宇宙のツツジ】かと言うと、かの向井千秋さんが宇宙を訪れた時、ツツジの種を持参し、一緒に宇宙旅行をしたその種を発芽させたもので、それが松本市にも寄贈されたのだそうだ。

私はこの所、少し気分が沈みがちだった。
義父の入院、友人の癌、フゥーリィーとの久々の喧嘩、盆過ぎから選挙前に掛けて店の暇が続き、憂鬱要因が多く、折角前向きになってきたのに元気を損ない、気持ちにも焦りが出始めていた。

そんな私を察し、日曜日、わざわざ(I)がお弟子の(k)ちゃんを連れ、諏訪から元気付けに来てくれたのだ。
そして私を【宇宙のツツジ】に会わせたかったらしく、誘ってくれたのだ。
土砂降りの雨の中、私たちは松本城を訪れた。

「マキちゃん、そのツツジの前に暫く立っててごらん。そしてツツジに真剣にマキちゃんの願いを話してごらん。物凄い奇跡が起こるから・・・!」

何の変哲も無い膝丈ほどに育ったツツジの木が柵に覆われ植わっている。
私は半信半疑だったが、言われたとおり、心の中で今抱えている不安や問題部分をツツジに話した。
「何か感じない?」と言われたが、その時は何も感じられなかった。

「マキちゃんが願っている事を真剣に具体的に、日にちも決めて頼んでみな。マキちゃんの願いが真剣でツツジに通じれば、何でも必ず叶えてくれるから・・・」
『でも何をお願いしたら良いの?』
私の当面の願いは、暇続きで足りない分の売り上げと、友人の病気の回復と義父の健康の回復だ。

「今、幾ら足りないの?」
『10万ほど・・・』
「何時までに必要なの?」
『本当はもう今でも足りないくらいなの』
「じゃぁ、一日じゃ幾らなんでも無理だと思うから、3日で10万売り上げられますようにって願おうよ」と(I)はニタニタ笑ってる。
『えっ!? たった3日じゃ幾らなんでも無理でしょう・・・!』
私はこの所の静かさから、それは内心無謀だと思っていた。
でも、無理だと思いながらも必死に真剣に、お願いしては見た。

松本城を後にするまでは何も感じられなかったのだが、しかし、店にコーヒーを飲みに皆で立ち寄った頃から、私の手が異様にしびれだしたのだ。

その日は店も休みだったのでコーヒーを飲み終わり、皆と別れ、家に着きフゥーリィーに宇宙のツツジに会って来たと報告しただけに留まった。

が、しかし、ナ、ナ、何と、本当に奇跡が起きたではないか!!

翌日の月曜日から水曜までのたった3日間で、本当に願っただけの金額を売り上げられたのだ。
正に、多くも又少なくも無く、ほぼ望み通りの売り上げだった!

私は唖然としてしまったよ・・・・・・。

(I)いわく、「マキちゃんの願いが受け入れられたと言う事は、マキちゃんの願いが正当な願いだからなんだよ」と言う。
そしてこうも言っていた。
「マキちゃんは何時も人から与えられるばかりでそれが情けなく、惨めだと言うけれど、与えた事の無い人は絶対に貰う事は出来ないんだからね!」と。
世の中に与える人と与えられる人が居るのは、前世か何かで私がちゃんと与えて来たからだと言う。
そして今だってちゃんと書く事も店も頑張ってるんだし、人に与えて居るじゃんか・・・。と言ってくれた。

今、与える事の多い人は、人に与える事によって又、その人たちの魂が浄化されてるのだと言う。
宇宙の法則とはそういう物らしい。
与えた事があるから、与えられている。
今与える立場の人は、以前与えられたからだと言う。
それを聞いて、私の心は随分と楽になった。

「ともかくマキちゃんが一生懸命に頑張りながら、真剣に願った事は、あのツツジはこれからもきっと叶えてくれるから」そう言っていた。
「そして願いが叶ったら、必ず感謝しに行ってね」

(I)の力なのか、ツツジの力なのか未だ解らない・・・。
でも彼女は「ツツジの力とマキちゃんの心がシンクロしたから叶ったんだよ。私は何もしてないもん!」と言っている。
そんな(I)とツツジに感謝の気持ちを込め、週に一度は曜日を決め、ツツジに会いに通ってみよう。

私の秘密の癒し場所にしようと思ったのだが、少しでも多くの人に奇跡体験をして欲しく、あの奇跡感覚を分けたく、今日の日記を書いた。
欲や汚れた気持ちから出ている願いじゃないならば、きっと叶えてくれると言うツツジのパワー。
アナタは信じられますか?

その存在を心から信じられる人ならば、願ってみてはいかがだろうか・・・。

追伸。
たった今、フゥーリィーから電話があり、明日義父が退院するって♪


2005年09月16日(金)


 (日記) 餃子BAR 復活


いやはや日記が暫く途絶えてしまった。
色々と思うところがあり、エッセイ集の編集をしたり、何か他の店には無いウリ物を作り、店の形体をそろそろ確立させようかなど、考え、模索していたのだ。

昔、餃子BARがやりたかった時期がある。
私の亡き父から伝授された餃子をメインに、お洒落な雰囲気で、女の子でも気軽に、旨い餃子をつまみながら、チュウハイや洋物のBerrを飲みながら、お喋りと歌で楽しめる店・・・・・・。

コロリと忘れていたのだが、それをこの店に復元させ、からくり箱の看板娘メニューとして、焼き餃子と、水餃子を定番メニューとして置くことにした。

にんにくやニラの入っていない無臭性の物と、匂いたっぷりのスタミナ物の2種を置き、焼いたものと茹でた物をチョイスできる。
その他にはカレーが評判なので、極力切らさないよう、カレーも置く。

どうしてもスナックと言うイメージからお客が離れてくれないので、もっと気軽な売り物で楽しめるよう、¥1000円の付き出し4点盛は任意で出す事にした。
付き出しも人気なので排除はしないが、いらない人は餃子と洋物のビンビール一本なら1000円で済む。

そして他のメニューはその日の気分で用意したものを2〜3種置くだけにすれば、仕入れの無駄も省け、手間も省ける。
家のパソコンがストライキを起こしたためと、そんな事を色々考えていて、チト日記が途絶えていた。

あっ! お客様だ!
ごめんなさい。






2005年09月14日(水)


 (日記) 電話のシンクロニシティ


昨日、数年ぶりに昔からの友人に電話してみた。そういえば彼女もイニシャルは【M】だ。
私の取り巻きに【M】と言う頭文字が多いのは愛読者の皆さんならご存知だと思う。

彼女は私が松本に来立ての頃、クラブでアルバイトをしていた時の同僚で、互いの彼との4人で旅行をしたり、互いの家にも行き来をし、何でも悩みを言い合える一番の仲良しだった。
私よりも8つばかり年上で、もう直ぐ還暦になるんだなぁ・・・・・・。
当時の彼女はホステスと言えど、性格は物静かで、中々エキゾチックで東洋的な大人の女の魅力が有った。

先日店に来てくれた諏訪方面の気功の先生【I】と私と【M】とが、そのクラブ上がりの同窓生として、今でも時折行き来をしている唯一の仲間だ。

2年ほど前に蓼科で3人で食事をしたり、【I】の家で気功を受けたり、当時はちょくちょく会う機会もあったのだが、皆家もバラバラ、仕事もバラバラと言う事でこの2年ほど【M】とは連絡を途絶えていた。

彼女は数年前に最愛の夫を癌で亡くし、子供にも恵まれなかった彼女は、孤独と無力感と今後の不安感に耐えながら、サービスエリアで働き、経済面では差ほどではないだろうが、精神的には何とかかろうじて生きていると言う感じだった。

彼女は夫を失った喪失感から鬱病になり、元気を無くし、仕事以外では家に引きこもっていると言う状態が長く続いている。
そんな彼女を見るのも辛く、又、彼女も人と会うのが苦痛なのではないかとも勝手に思い、輪を掛け、私自身が経済的に苦しかったことも有り、長い間連絡をしてなかったのだ。

フト彼女の事が急に胸に浮かび、そんな彼女の声が無性に聞きたくなり、昨日電話してみたのだ。

『元気?』と言ったら「それが元気じゃないのよ・・・」と相変わらずのネガティブな声。
『病気でもしてるの?』と聞いたら
「鬱が酷くなってきててさ・・・・・・」と彼女。

それでも私の電話がとても嬉しかったらしく、次第に声は急に↑上がりになる。
「寂しさと不安感でもうどうしようもない気分なの・・・・・・」
彼女はそう言い、素直に自分の弱味を見せた。

彼女がお酒を飲めるなら、タダでも良いから顔を出して欲しいくらいなのだが、彼女はお酒はたしなまない。
でも、店を始めた事を知らせ、コーヒーも有るし食事も出来るからいつでも顔を見に来て欲しいと告げたら彼女は驚き、何で知らせてくれなかったかと店の開店日を聞かれた。
『今年の3月9日なのよ』と言ったら、何と彼女の旦那さんの命日らしい。

それからしばし旦那さんの話になり、私も旦那さんとは仲良くさせてもらっていたので少しばかりしんみりしながら話し込んでいた。

店の開店日と旦那さんの命日が同じだったとは・・・・・・!

何かこの偶然は、彼女の旦那さんが彼女の身を案じ、私を使って電話をさせたような気がしてならなかった。
【アイツ・・・ずっと落ち込みっぱなしでサ・・・。何とかマキちゃん、電話でもして、アイツを慰めてやってくれよ・・・】
そう囁いた様な気がした。

これで彼女とは又繋がった。
そしてやはり、彼女が人を避けたがっているわけではなく、人の温もりを心から必要としている事も解った。
彼女との交流が又始まるだろう・・・・・・。
私はそんな人たちを慰める役目をしたい・・・。
心に希望を失い、元気をなくしている人に元気を与えるような、そんな役割を果たしながら今の店を維持して行きたい。
ただ飲んで食べて歌うだけの店ではなく、来てくれた人に元気を与えて帰すような店にしたい。

そんなアイデアを今、考え中だ。


2005年09月09日(金)


 (日記) 読みたい本が勝手に向こうからやってくる


図書館通いの習慣が身についた事は先日も書いたけれど、とても不思議な現象が起きている。
いつも、本を丁寧に探す事もなく、ページをめくって立ち読みするわけでもなく、目に付いた題名や興味をそそられたものを手当たり次第、4冊【そのくらいが無理なく2週間で読み切れるので】借りてくるのだが、先日借りた曽野綾子の本然り、ちょうどその時に知りたい事、言って欲しい事、問いかけたい事、模索している事等の的確な答えが書かれている本が、勝手に向こうからやって来る。
そのくらいタイムリーなタイミングでアタシのところに手に入ってくる。

私は日頃のチョットした出来事や、店の新しいアイデアについてや、店を良くする為のこと等は無論お客さんや友人の意見を参考にするが、人生の最も大事な部分で人の教えを乞う事は、もう殆ど諦めた。
中には【あいつは人の意見を聞かないからダメだ】と言う人も居るが、だって黙って聞きたくなるような的確で良い意見を言ってくれる人が中々居ないんだもの・・・・・・。
どこか既存の既成概念や、錆付いた固定観念や、ありきたりの道徳観念に基づいた意見ばかりなのだ。
一番知りたい部分の核心に触れてくれる事は殆ど無い。
余りにも的外れで期待外れなトンチンカンな意見が多い。

やる気を起こさせてくれるように上手に意見を言ってくれる人も少ない。
どちらかと言うと相手を打ちのめす事を目的にしてる? と思えるようなやり方が多い。
人間には誰にも自尊心と言うものがある。それを配慮しない人は結構多い。

先日読んだ本に良い事が書いてあった。
【人を誉める時は極力目に触れる人前で誉め、人を叱る時は絶対に人前を避ける事だ】
これはなるほどそうだな・・・と思う。
【これは子育てにも当てはまる】
子供にも自尊心はある。
人は誉められれば誰でも嬉しいし、できるだけ大勢の前で誉めて欲しい。
でも、人前で叱られたり怒鳴られたりしたら、例えその意見が正しくても、反省には至らず、人前で傷付けられた事のみが先行し、反省どころか相手に反感を持つだけだと書いてある。

なので出来る社長さんや上役達は、これを実践している人が多いと言う。
本当に心も生活も豊かで良い人生を歩んでいる人々は、決して人の自尊心をくじくような事はしない。
やる気を起こさせる事こそが大切だと知っているからだ。

だけど人生にも人脈にも富にも、自分自身がそれほど成功している訳ではない人に限って、人に対して大柄に意見する人が多すぎる気がする。
なのでそういう人だったんだ・・・と解った時点で、素直に聞く気にもなれなくなるのだ。

中村天風が自分の師を求めて世界中を彷徨った時の不毛な気持ちに少し似ている。
中村天風は自分の命が消え行きそうな極限状態の時にカリアッパと言う最高の師に出会えたが、私もそんな人と出会いたい。
まぁ、自分がそれだけの師に出会える価値がまだまだ無いからなんだろうけど、だからこそ、信頼できる人が書いた本などを読み、自分の問いかけの答えを探している訳だ。

本なら当たり外れがあっても、文句も言えるし、例え文句を言っても本は反論してこない。
そしてそういう気持ちで必死に本を読んでいると、本を手に取るたびに、正に出会いたかった素晴らしい本に出遭える様になってくる。

今日読んだ本はジェームス・アレンの【運命を変える7つの学びのステージ】と言う本だった。
かなり痛い事も書いてある。でも、全てが最もだと思えたことばかりだ。
100年以上も前に書かれた物らしいが、今の時代の心の持ちようにピッタリ当てはまるから不思議だ。
と言うよりも、私に限らずどの人間にも当てはまる事が書いてあると思った。
この手の本の著者は皆、思考が共通していて、殆ど教えの根本は同じなのだが、書き手に寄り、かなりニュアンスが違う。
優しく温かく教える人・楽しくユーモラスに教える人・重く厳しく教える人・色々な本がある。

今日読んだ本は、重く、厳しい面もあり、グサグサと容赦なく私の心を刺した項目も有ったが、この著者が本物の哲学者であり思想家なのだろうと言う事はバカな私にも解った。
まったくその通りだ・・・と思えたのだ。
今、この心境の時に、この本に出遭えた事は、やはり神の意図だとしか思えない。



2005年09月08日(木)


 (日記) 今日一日、恐れず怒らず悲しまず。


これは中村天風語録集の中でも、簡潔で有名な教えの一つなのだが・・・。
私は一日の始まりの時間、よくこれを自分の心に言い聞かせている。
でも、恐れる事・怒る事・悲しむ事と言うのは容赦なく前触れなく襲ってくるものだ。
ただこの言葉を心の引き出しにおいて置くと、そうなった時に酷く取り乱す事もなく気持ちの切り替えは付け易い。

一昨日の夜、フゥーリィーの父が救急車で運ばれ、木曾の病院に再入院した。
脈拍が弱まり、血圧低下が著しいとの理由で様子がおかしくなったのだそうだが、まだその時点では詳しい内容はわからない。

店を9時半で切り上げ、木曾の病院まで義兄を乗せ、3人で駆けつけた。
雨の国道は事故が多い。特に夜の木曾道は大型車が多く、事故の多発地帯でもある。
やはりこの日も大型車の事故があったらしく、途中からこちら側の車線が全然動かなくなった。通常1時間で着く所を2時間掛け、ようやく11時過ぎに病院に着いたのだ。
お義母さんは心配で心配でおろおろしていた。

点滴や酸素吸入器に囲まれ痛々しかったが、義父はちゃんと意識もあり、多少朦朧とはしているものの、受け答えなどもちゃんとできる。
顔色も悪くはなかったので、とりあえずは手を握りしめ、一安心した。

が、しかし急な痩せ方がどうしても尋常ではない。フゥーリィーの言っていた通りだった。
頬には肉っ気が無く、手も足も骨に皮が被ったようで本当に痩せこけてしまっていた。
足首から下だけが以上にむくみ、パンパンに膨らんでいる。
義母の入院中に入っていた施設の頃とはまるで違う義父の容姿に私は胸が痛んだ。
もう最近では伝い歩きも出来なくなってしまっているようだ。

詳しい検査をして見なければ今回の発作の原因や痩せ方の原因は解らぬが、もしかしたらどこかに癌があるのかも知れない。私はそう感じた。
全身に手をかざしてみたのだが腎臓あたりに差し掛かると極端にビリビリする。
取り敢えずは詳しい検査をして見なければなんとも言えない。

その日は1時ごろまで病院に居、義母を付き添い用のベッドに眠らせ私たち3人は病院から20分ほどの場所にある木曾の実家に泊まった。3時半頃まで3人で色々な話をし、そして眠りに付いた。
翌朝、8時に再び病院に行き、フゥーリィーの姉妹たちが来るのを待ち、皆が揃い、皆が揃った事が嬉しいのか、義父は笑顔も見せている。
それから1・2時間ほどしたところで私たちは松本に帰ってきた。

この2日間、チョットした意見の食い違いと価値観の問題で私とフゥーリィーは久々に喧嘩をした。
今その内容は書かないが、何れ書く事が出来る気分になったら書くと思う。
ともかく今、少し私の心にボロが来てる。ボロボロまでは行かないが、ボロくらいだ。
もしかしたら本当はボロボロの3乗位かも知れない。

その口論が原因で私は昨日の夕方家を飛び出し、一人諏訪湖の畔に居た。
通常を装い店を開ける事は出来そうに無かった。

一人静かな場所で自分とじっくり対話がしたかったのだ。
夕方の4時半から夜中の1時まで、ずっと湖面を見つめながら自分の心の内面と対話していた。
誰が悪いと言う原因ではない事で人が揉める時、人間は深く考えさせられる。
どうしようもない現実や価値観の食い違いというものは、どちらかに軍配を上げられないものが多い。
ソレラをずっと考え、咀嚼し、今後の方針を自分なりに立ててきた。

 
今日から何事も無かったように又日常が始まるのだ。
心の中の憂さや怒りや焦りを、そっと心の金庫に仕舞い込み、笑顔で再び店に出て、ジョークや日常会話を弾ませる。

これでいいのだ。
ソレがいいのだ。
今はソレしかないのだ。

【今日一日、恐れず怒らず悲しまず】

いつかドカッ! っと、良いことのみが雪崩のように起きる事を信じて、毎日を地道に送れば良いのだ。



2005年09月07日(水)


 (日記)  シャワーの中の花火競技会


3日の土曜日、フゥーリィーと、【M】との3人で、かねてからの約束だった諏訪湖の新作花火競技会に行ってきた。
【M】とは例の火災に遭ってしまった友人の事だ。
彼女と花火に行くのは毎年の恒例行事の一つだ。

本番の8月15日は60%の集中豪雨予想と言う事で急遽取り止めにし、3日も予想では30%の予報だったのだが、もう、それに行かなきゃ来年まで見れないと言う理由で行く事にした・・・・・・。

私たちは3時に松本駅で待ち合わせをし、余裕を持って諏訪湖入りした。
新作花火も本番さながら、約30万人もの人が集まってくる。
当日に良い場所を取るのは内心諦めていたのだが、思いもよらぬとても素晴らしい場所を取る事ができた。一人3000円のヨットハーバーの特設席で、目の前で花火が上がるのだ。ソレまでは良かったのだ。ソレまでは・・・・・・。

とりあえず場所取りが出来たので、それから飲み物やツマミを確保するため、屋台や酒屋などをブラブラ探索した。
そして席に戻り、飲みながら時間をつぶしていたら、ポツリポツリと雨が降り出してきた。オマケに私のこの世で2番目に嫌いな雷までが鳴り出した・・・・・・。
花火打ち上げ20分前頃からは、その雨がシャワー状態になってきた。そして雷雲はほぼ真上全体を覆いつくしてきた・・・・・・。
だけど誰一人動こうともしない。皆、雨天決行を知っているので、シャワーの歓迎を受けながらも変な連帯感が出来、「これで雷に打たれて死んだら死んだで、本望だわなぁ〜。」などと言い合いながら異様に盛り上がってる。
中途半端な雨ではない。が、此処まで降られると、返って小気味いい。
もう完璧に開き直りである。
シートと傘でテントのようにし、最初は雨除けをしていたが、花火が始まると、もうそれどころではない。そのうち傘もかなぐり捨て、食べ物と飲み物だけを保護し、皆シャワーを浴びながらの花火観戦となった。
雷と花火のコラボレーションも中々オツな物だ。
花火の後半でようやく雨が小降りになって来たが、皆猫も杓子もずぶぬれだ。
赤ん坊も婆ちゃん爺ちゃんも、皆ずぶぬれだ。
浴衣を着てきた綺麗な姉ちゃんもビジュアル系のパンク兄ちゃんも、皆、みんなずぶぬれだ。

「こんな花火大会は一生の思い出になるねぇ・・・」
そんな事を言いながら私たちは花火大会を愉しんだ。
来年の花火の競技会の予約もし、来年はその中でも真ん前の席が取れた。
最後まで歓声を上げつづけ、そして私たちは帰路に着いたのだ。

諏訪駅は花火客でごった返している。皆一応に濡れ鼠で、電車待ちの間、豪雨の凄さの話題で持ちきりだ。
臨時電車を3台分待たされ、ようやく電車に乗れ、シートをグショグショにして松本に着いた。
【今日の電車のお掃除役は大変だろう・・・】

【M】は豊科まで帰らなければならないのでそこで別れ、私たちはタクシーに乗り店に直行した。

店は【R】に留守番を頼んでいた。店に入ったら【R】の息子とダンナも居た。【R】は中々のチーママぶりだっだ。
店には妹分【M】達が大勢で来てくれており、中々の賑わいだった。
私たちは挨拶をソコソコにし、【R】のダンナに家まで運転してもらい、取り合えずビショビショの服を着替え、再び店に戻った。

【R】一家のお陰で店を休ませずに済んだ事。その他色々、本当に感謝だ。
それから店は3時半まで営業し、その頃はもうフゥーリィーもアタシもかなり酔っ払ってしまった。
タクシーで家に帰りバタンキュウー♪

あんな豪雨の中で花火を見たのは生まれて初めてだ。
でも、それだけに印象深い、ある意味とても忘れられない花火大会になった。


2005年09月05日(月)


 (日記) 3冊目の木曾春秋が届いた。


私が参加させてもらっている月間随筆誌【木曾春秋】も、もう私が加わってから今月で3冊目になった。我が店の本棚に並んだソレが嬉しい。

実は、【木曾春秋】は、今月から諏訪地方にも進出し、【諏訪春秋(仮名)】成るものを立ち上げたと言う。
もう直ぐ【諏訪春秋】の第1号が出来上がるらしい。
今回私は、【木曾春秋】【諏訪春秋】の両方に載せてもらえる事になったみたいだ。
諏訪の方には祖父母の事などを書いた物が載るらしい。
それでその時に載せる、祖母と母の写真が欲しいと言うので、先日、祖母の映画ビデオ・と共に祖父の事をネットで調べた文献や、祖母・母の写真を数点送ってあげたのだ。

先日、編集長から電話があり、そのお礼と共に、木曾春秋の今月号の私の作品についての評判を話してくれた。

「いやぁ・・・、あなたの書くものが面白いと、いろんな人から反響がありましたよ。中々好評なんです」と言ってくれたではないですか・・・。
何が載ったのかはお楽しみに・・・と言う事で、その時点では教えてくれなかったのだが、3日ほど前、【木曾春秋】が届いたので、真っ先に私の作品を見てみたら、何と【漢字が書けない】と言うやつだった。

いつも、過去、日記で書いた物の中から私が適当に5〜6点を選び出し、プリントアウトして編集長に送り、その中から編集長が随筆集に載せるものを再選、再編集して載せると言う流れなのだが、まさか、あんなふざけたものを選んでくれるとは思わなかった。

木曾春秋と言う随筆集は年配の参加者が圧倒的に多い。私が一番若いくらいではないだろうか・・・。
なので真面目で、崇高で、真剣な随筆が殆どだ。
あんなの載せて良いんだろうか・・・・・・。
次号からは読者の感想コーナーも設けるそうで、ドキドキだ。

でも、私が参加した事で、多少は新風が吹き、少しでも若い読者が増えてくれるとしたら嬉しいなぁ。

最初のデビュー作は 【オー マイ パパ】
2冊目は【人違い】
3冊目が今回の【漢字が書けない】だった。

まともな随筆と呼ばれそうなものは最初のだけだ。
これを見ても、編集長はどうも意図的にお笑い物を選んでいるらしい・・・(笑)


2005年09月02日(金)


 (日記) 神様からのお恵み色々・・・・・・


1ヶ月ほど前、初めてジョセフマーフィーの本を読んでから、人知れず友人の事や他人の事などを宇宙の神様に祈るようにしている。

以前のアタシは苦しい時の神頼み的に、いつも自分の事ばかり祈ってたのだけど、最近のアタシは先ず友人や他人の事を先に祈るようにしている。
これは私が美しい心構えをしているわけでもなんでもない。そのほうが祈りに対し、数倍早くご利益があるのだと読んだからだ。【要はずるがしこいのだ】
でも心が込められていなければ宇宙の神様は直ぐに見抜く。
悪意や取引的な気持ちがあってはご利益は無いのだ。
なので適当に祈ってはダメなのだ。真剣にその人の事を愛しんで祈らなければ・・・。

それは、時に、アタシに以前悪たれを付いた人であったり、酷いメールをよこした人であったり、私を頭ごなしに説教ばかりしてた身内であったり、嘘ばかりを書いてメールを回してた人であったり、今、落ち込み、沈んでいる人であったりと色々だ。
憎たらしい人でも喧嘩した人でも距離が出来てしまった人でも誰でも良いのだ。先ずはそういう人の事から順番に心を込めて祈るのだ。

【嘘だと思ったら、アタシのベッドに来て聞いててごらん〜♪ 本当に祈ってるんだからぁ・・・(笑)】

決して大好きな人や仲の良い人の事ばかり祈るわけではない。
フト心に気になる友人が思い浮かぶたび、その人達の全てを受け入れ、その人との良い時期を思い出し、してくれたことなどを思い出し、その人達に今すぐ幸せが訪れるようにと眠くなるまで片っ端から祈る事にしている。

そんな事をしだしたら、本当に、とても愛しい感動に沢山出会えるようになってきた。

昨夜は店に客が来なかったので、早い時間、一人ボックス席に座り、静かな音楽を流し、心を落ち着けて、そっと目を閉じリラックスしながら肺癌の友人の事と、癌の疑いを恐れている友人の事と店の繁栄の事を必死に祈った。
その後、肺がんの事を調べてみようと思い、ネットで検索していて、とても素晴らしいHPに行き着いたのだ。

顔も知らぬ赤の他人の生き様に、これほど深く感激し、感動し、泣きっぱなしになった事などが今までに有るだろうか・・・・・・。
その管理人が愛しくて愛しくて、悲しくて悲しくて、ありがたくてありがたくて、立派で立派で、アタシはしゃくりあげながら、閉店時間までに全ての項目を読んでしまった。
肺癌医師のHP
余りにも素晴らしいHPなので皆様にも是非伝えたい。

その本人の為に祈る事は、もう出来ないけれど、私は残された奥さんと子供たちの為にもう一度祈ってから、店を後にした。
雨がさんさんと降っていて、あいにく店はオチャッピキだったけれど、祈りのお陰でとても感動的なHPに出会えた・・・・・・。
そして癌におびえてた友人も、なんでもなかったことが解り、ホッと胸を撫で下ろした。

そしたら、今日は半日バイトの話が転がり込んできた。
取引先の酒屋さんから、「棚卸なんだけど手伝ってくれる人が居ないのよ」とHELPが有り、ツケも貯まっている事なので助っ人に行ってきた。
そこのご主人も癌で、私は長年世話になっているので、さっきまでやはりご主人のことを祈りながら、一所懸命手伝ってきた。
お陰さまで、とても美味しいうな重にありつけた♪

そして家に着いたら、私の中の心の女神から、ステキなお手紙が届いていた。
誕生日のメッセージが書かれたステキなハガキに添えられて、お祝いのお金まで入っていた。

泣けた・・・・・・。本当にいつもこの神様には泣かされる・・・・・。


これは私の祈りが通じ、宇宙の総神様から来たご褒美なのだ。アタシはそう思い、ありがたく受け取る事にした。


お祝いの手紙をくれたアタシの女神様に、その何百倍もの幸せが舞い降りますように・・・・・・。


そしてもう一つ、寝る前に実行し始めた事がある。

本を読み、あくびを噛み殺し、本を置いた後に、眠りにつくまでの間、ずっと「ありがとう」を何べんも何べんも繰り返すのだ。100回でも200回でも。眠るまで繰り返す。
不思議と涙が出てきたり、笑顔が湧き出てきたり、なんとも言えぬ、感動を覚えてくる。そして直ぐに眠くなれる。
そして次の日に必ず素敵な事が起こる。

これは心の魔法なのだ。
羊の数を数えるよりも早く眠くなるし、もっともっと素晴らしい事が起こるのよ。
あなたも試してみてください。


2005年09月01日(木)

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