『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年11月29日(金) EUREKA[ユリイカ]

きのう、ほんとうに数ヶ月ぶりに
朝からバイトに出られたので、
そうして人を待っているあいだに発作を起こしてしまったので
その反動もあってか、今日はもとの日々に戻っていた

朝から夜まで眠りつづける日

バイト先の図書館
毎日からだが動かなくて遅刻ばっかりなわたしを
雇い続けてくれてほんとうにありがとうございます、と
お礼を言うしかことばがなくて
卒業生で、一年目は要求以上にきっちり働いていたからと言って
その貯金でここまでしてくれるところなんて今どきない、って
わかっているからこそ
あったかいバイト先はうれしい、行くのは心身ともに負担だけど
行けて、きちんと精神がしっかりしているときは
うれしい

一方で主任さんが入院してしまったきり帰ってこなくて
さびしい思いをしています
いないとさびしいと言ってわたしを雇い続けてくれる主任さんが
いないのは、やっぱりさびしい

みんな、そういうふうに思っているみたい
声には出さないけど
どうしているんだろうと気遣いながらからっぽのデスクをみてるみたい


もっと冷たい場所の方が多いんだよと
教えてもらわないとわからなかったかも知れないけど
このあたたかさがありふれていないのは
自分が環境に恵まれているのにありがとうと言うのと逆に
すこし、すうすうとせつなくなることです


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きちんと起きていることを諦めてから
青山真治の「EUREKA」を読んでいた。
何年か前のカンヌ映画祭で有名になった映画を小説化したもの
貸してもらってから、もう何ヶ月たつのかな
少しずつ、読み進めてきた一冊の文庫本
古本屋さんで買ったこともあって、角っこの方がだいぶぼろぼろだ

映画のほうも、観に行った
横浜の繁華街の中にある小さな映画館で、だけど中はだいぶん広くて
お客はほかに数人しかいないで、受付の人もぶっきらぼうだった
そういう映画館にも行きはじめた頃
まもなく。
卒業式の後だったと思うから、もう二年近く前の話になるけど
お話と映像の思い出は、あまり途切れていない
昨日のことと一昨日のことと二年前のことにたいした違いのない自分の記憶
こういうときは便利なものかなとも、思う
昨日がたとえ、遠い遠いむかしに思えてしまっても
遠いむかしが、今起きたばかりのように思えたとしても

季節といっしょに十回分のその季節の記憶が
365日に貼りつきながら、わたしの上に
ふりそそいでくるみたいなんだ


映画と小説は同じ話で、ちがう話だった
ちがう話で、おなじ話だった
どこまでも陰惨でどこまでもどろどろとしていて
これで一体どうするのだろうと心配しながらわたしは読んでいた
電車の中で、おふとんの中で、こたつの中で
台所のテーブルで、真夜中に
淀んだ水みたいに濁って足に絡みつくその文字の並びの中でもがいていた
重たい、重たい、
逃れられないのは日の光だと何度もくりかえし唱えられる、そのお話の中で
わたしは本のページから立ちのぼってわたしを絡めとる、でろんとした
泥みたいな触手から逃れられなかった

けれど読み終わったときには、
きもちよく風に吹かれているみたいだった
清涼剤みたいな最後だった
映画とおんなじ、外に出て行ったら真っ暗に夜になっていて
自分と世界とかじょきっと切り離されてしまったみたいで驚いたあの日
それに通じるなにかの風が
小説のおしまいにも、吹いていたみたいだった

生と死のさかいめでもがいている
どうして越えては行けないのだろう
どうして越えさせてはいけないのだろう
そんな人たちの話
半分生きていて、半分死んでいる
半分は捨ててしまった、半分は殺されてしまった、
残りの半分だけがどうしてだろうと思いながら生きている

そんな人たちの

また
その足で地面をかんずることができるかも知れないと

そう思えるときまでの
はてしなく大きくて
そうしてとても小さな
たくさんでひとつの
短い

長い、ながい、お話





まなほ



2002年11月27日(水) chai

昨日の晩もまたよくわからない不安と焦燥にかられて
お薬の山を睨みつけていたのだけど
結局、いつものように、飲みすぎを防ぐために
規定の量の7錠と半分だけを袋から出して、あとはしっかり袋にしまって
それからマグカップ2杯分のお茶を飲んだ

熱々のカモミール

錠剤は怖いとおもう
ぷちん、とシートから出して
口に放り込む
その行動は気がつくと
エンドレスになれてしまう
かんたんに

お風呂から出たあとどうしていいかわからなくて脱衣所でうずくまっていた
お茶を入れようと一歩踏み出してどうしていいかわらかなくなって
真っ暗な台所の床にべったりとうずくまって膝をかかえていた
どんどん体が冷えていくけどわたしはそのまま固まっていて次の動作がわからない

……そんな日はとくに、

眠る前のおくすりには、気をつけなくちゃいけない
それから洗面台の二段目においてあるあるかみそりにも


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今日の朝も朝じゃなかった
目覚し時計を止めて眠り込んで
目をさまして、また眠り込んで
何度もそれをくりかえして
起き上がったのが、午後4時で
外はもう夕方で

昼夜逆転というのだろうなと思います

暮れていく空を見てぐったりする
午前中は体も気持ちも重くてこわくておふとんから出ていけなくて
日が暮れると欝みたいなのがやってくる、、、、としたら
痛みとか痒みとかから解放されている残り時間をかんがえて
平静でいられる時間のあんまりのすくなさにかなしくなった

かなしんでいるばかりでも仕方なく
ホットミルクと一緒にすべりこんだこたつからからだを引っ剥がして
夏がはじまったころ枕とおふとんとを抱えて出て行ってから
長らくほったらかしになっていた自分の部屋にきちんと入ってみた
ぬいぐるみのカイジュウがほわほわ笑ってる部屋
わたしの部屋

夏のあいだに着られたお洋服がベッドの上に山になっていて
窓を開けたら空気がよどんでた
ここに入るのがずっとこわかった
片付けなくちゃいけない現実と同じように
片付けなくちゃいけないお洋服が積まれているから?

でも今日わたしはドアをあけた
そうして窓も開け放った
いくらかの服をかたづけて
いくらかの洗濯物をよりわけて
ベッドカバーをひきはがして

ほんの1時間半、の、ちっちゃな行動
部屋はたいしてきれいにはならなかったし
あいかわらず、埃っぽいままで、
たぶん喘息だの湿疹だのを誘発する部屋なことはまちがいなくて
そこで眠ることは今日の夜もできそうになかったけど

ある意味、とてもとても落ち着いて平和だった
前の冬の夜のことを少しだけ思い出したよ
小さなクローゼットを開けながらお洋服をよりわけながら
枕もとの電気スタンドのあかりの下で本を読んでいたあったかな夜のこと
寒いのと怖いのに丸まっていないでも、ひららかだった夜のこと
この部屋の中の夜の時間

もしそれが、まだ残っているというのなら

わたしはこの夏の残り物をかたづけて
はやく冬の中に入り込んでしまいたい


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夜、片付けのときに出てきたチャイを入れた
春先まで一緒に働いていてなかよしだった派遣のお姉さんが
異動のときに辞めることになって、お別れのときにくれたもの
もらったものはうれしかったけど、お別れするのはさみしかった
そのまま仕舞われていたのを、今日、出してきて
うまれてはじめてチャイなんて作ってみた

水色のやかんにお湯を沸かして、ティーバッグを入れて
5分間、ぐつぐつと煮立てて、お湯と同じだけの牛乳をとぽとぽと入れて
かきまぜながらまた5分かそれくらい

できあがったお茶は、濃いキャラメル色で
やかんいっぱいのそれを
母と兄とわたしのカップに注いでも、まだ残るくらいたっぷりで
ものすごく熱くてミルクが濃かった


紅茶のにおいの湯気だった



まなほ



2002年11月26日(火) 草稿


螺子を巻かれながら

血脈がゆくのをみていた

あの川の岸辺はどこへいったのか

ぼくはすでに忘れてしまったいくつものことを

きみはおぼえているのだろうか

紅く細くつづいたいくつもの

雲の行列に腕を巻かれながら きみは

ぼくのとなりに居なかった幾月かの毎日

なにを 見ていたのだろう

銀の螺旋がそらを登りつめていった

あの丘の天辺を駆けた轟音

耳を貫いた金属のすりへる音のあいだで

きみはたしかに微笑んでいなかったろうか

ふりかえるぼくの肩先できみはしずかにわらう

暗いほうへ 暗いほうへ

誘い招く指のもちぬしがだれなのかぼくたちは知っていて

そうして知らないふりをした

あの夏のしずかな川辺に

置き去りにした記憶の切片

ひとひら ひとひら

うきしずみしながら目に舞い戻る

くるりくるりと続く円舞のなかにきみはいて

ちゃいろの包みを抱えて通りがかったぼくをみて たしかに

あざやかに笑った

……と

たなびく風はつよくぼくたちをなぎたおす

焦げついた風がはこんでくるわずかなあした

それを抱きとめてなおきみは笑った

ひたひたと足元に打ち寄せた色のない砂は

どの天空から転がり落ちた星なのだろうか

きみのとなりにぼくがいた幾月かの日々



くうはくがふたたび

ぼくらを襲う





心象宇宙(カムパネルラとジョバンニ、あの永遠の少年たちに寄せて)A



2002年11月22日(金) おやすみなさい

眠る前
まっくろなくうかんに向かっておやすみなさいを言う
それがわたしの挨拶で
誰にも届くわけでもない

手に負えないことが増えたので
このたましいは簡単にぺしゃりとつぶれた
つぶれたのでしばらくおやすみをいただきたく思い
だけれど、こんな片隅でひっそりと
挨拶をしたところで、それはやっぱり
だれに届くのだろうとばくぜんと思っていた



紫蘇のお茶が薫りたかく味も濃くて
あたらしい詩のうまれる気配はどこにもないから
わたしはこの息が吐き出される先のくうはくを
不安というものにいろどって時間を過ぎさせているところ
つかみどころもなくみんなながれた
赤い血とおんなじに
みんなながれた

詩の要請

ことばの要請

たくさんのひとがわたしに向かって言葉をかけた
かけられた言葉をさがしてひろいあつめているうちに
たくさんのひとが行ってしまった
ゴミ箱行きにしたたくさんの小さな手紙

同じ数だけの絶望
おびただしい数にふくれてわたしを占拠するもの、それがことばことばことば
死んだことばは黙ってわたしを縛りつける
ひきずり落とす、向こうのほうへ
向こうのほうへ


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深夜、ひとりで、「風花」をみた

再生したい、と

思った



まなほ



2002年11月20日(水) 白っぽくある夢のなか

おくすりって、なんだろう

最近、ときどき、思います
夏には疑問ももたずに飲んでいたおくすり、
春には必死に飲んでいたおくすり。

少しずつ増えたり減ったりしながら
種類が変わって、最近は飲む粒の数はいつもたいてい同じです
一日に、16粒と半分、
半分は、睡眠薬のぶん

朝と夜に
ごはんのあとにぷちんぷちんと並べる
いくつもの白い錠剤をみて
ふしぎな気持ちになります

秋、
いったいどうしてわたしはあなたを飲まなくっちゃならないのだろう。

わたしの場合、
精神科系列のおくすりが効いているという実感が実はほとんどありません
例外的に「デパス」が、不安でがたがたふるえているときに飲むと
じばらく経って少し楽になるかしら、程度で
いちばん最初に処方されていた、ルボックス、とか、パキシル、とかいう
流行のSSRI、選択的セロトニン再取り込み阻害剤、
一日の最大処方量を飲んだ時期もいくらかあったのだけれど
あんまり変わりませんでした

いちばん最初に
この場所にいるのが苦しい、と感じたのは
もう小学生のとき。
わたしはしんどいと笑うことができなかった。
叱られると、泣くか、それとも能面みたいな顔になって
ぐさぐさと感情を殺して固まっていることしかできなかった。
それだから余計にしかられた、
可愛げのない子どもだと言って。

自分のなかみを引き裂かれているとかんじたのが、もう5年か6年の前。
過呼吸みたいな発作を起こしたのもそのころ、
盛大に自分を傷つけはじめたのもそのころ。
死ぬとか生きるとかそういう話じゃなくて、ただ、
傷つけて当然なのだと思っていた
この手足。

わたしは一応、心理学を勉強していたけど
だからと言って、身の回りにそういった方面に繊細なひとが多いわけでもない、
病院へ行けとかカウンセラーにかかれとか示唆するひとがいるわけでもない、
そういうことを考え始めるのには18歳の時間は短すぎるのだと思う。
むしろ自分がいちばん病んでいたかったひとのほうが
もしかしたら、多いくらいの周囲だった

そうして、ひとりで黙ってこじらせていた
こじらせた、その結果なのかなと
よくわからない診察が終わるたびにふと思う

自分を醜くおもう気持ちとか、
よくわからない恐怖とか、
燃え尽きてしまったみたいな無力感とか
不安、眠気も遠ざける緊張、離人感。

そういったことは、診察の対象にあまりできなくて
手を焼かれているとかんじるとき
欝、という最初は軽んじられていたような項目が
だんだんと浮かび上がってきて、クローズアップされてきて
それへの対処がメインに据えられてきたみたいな
病院の診察。通いはじめて、8ヶ月と半分の
病院。


胸がいたい。

7つだったあの薄ぐもりの冬の日、
ぼろぼろだった体育館の裏を運動場にむかって走っていこうとした
半袖のちっちゃな体操服を着てたあの日
その日から付き合ってるこの胸の痛みは
なんでも、肋間神経痛、というものらしくて
所見としては、どこにも異常はないらしい。


あたらしいおくすりの、まるっこい三角形のフォルム、
まっしろな表面にはピンク色のアルファベットと数字が書いてある
それを眺めながらすこしだけ考えてました
よく考えます

すっぱりと
これを飲むのをやめたなら
飲むのをやめたなら。


もし、それを実行したのなら、
わたしはどこまで「ふつう」になって
どこまで「病気」になるんだろう。

お座布団をひきずって、ふらふらと歩き回りながら
自分の座っていい場所をさがしているこのバカな「女の子」は
じぶんを維持するために費やされているお金の額や時間や労力や
それから注ぎ込まれているお薬の分量を思って、

じぶんを消したく思うのです


ここにあるこの気持ちがぜんぶあなたのところに行ったらよかった


誰より自分を好きなのに
何より自分がきらいだから
みにくい自分をきらいだから
やさしくない自分を
憎んでるから


消えてしまったあなたの影の中にお座布団を敷いて
そらのむこうのほうを見て



まなほ



2002年11月18日(月) 秋色の咲いた

ひるまに眠っていると外のことがわからなくなる

今日も
目を覚ましたら夕方でした
ただまだ夕暮れ時で
灯ともし頃のうす闇で
そらは水色だった。

水色のそらってあるんだよね

クレヨンの水色と空色はどうちがうんだろう
そう思いながらたくさん塗り続けてちびてしまった
青の色の色鉛筆

わたしの絵の具箱の中ではいつも
白と青の絵の具チューブがまっさきにぺたんこになっていった。

そらのいろ
みずのいろ
かぜのいろ
かげのいろ
ひかりのいろ

どれにも混ぜてしまうから
うすい青の色はいつでも先にすりへっていく。

つめたい風に洗濯物が揺れていたから
サンダルをつっかけて外に出た
弱々しくなった鴇色のお日さまに照らされてずらっと
居残りの自転車が並んでいる学校のうらにわの自転車置場。
この風景画を、わたしはいつも好きだった、
ぎゅっと、心臓の奥をつかまれるみたいに
背骨のあたりからどきりとしてくる、「わたしのすきな風景」。

昔、
この季節になるとこの庭には真っ赤な小菊がいちめんに咲いて
蜜蜂がたくさんやってきていた。
それを押しのけながらランドセルを背負ってわたしはうちに帰っていた
よってくる蜜蜂はちっとも怖くないと言ったら嘘だけど
でも、蜜あつめの邪魔をしてごめんねという気持ちになる
働き者の午後だった。

時間が止まるころ
冬になりかけの
ひだまりのなかの午後3時

そこでわたしの時間はいつも凍って
半透明にすきとおった蜜蝋のなかでこがねいろに固まって
たぶん、とろとろと眠りながらゆるやかに保存されていく
そんなふうな夢を見ていたこと


紅い小菊の一面に咲く庭を、わたしはとても好きだった。
ある年、父親がばっさりと根こそぎ引き抜き歩いたそのときから
紅い小菊はどんどん減っていって
今では、一株が残るだけになり
あちらこちらから移植しようとした小菊も減って
ぽつんぽつんと幾株かの色違いの小菊が咲いていることを
庭のなかで、すこし冷えかけた洗濯物を抱えながら
もう一度みつけた。

紅いのと、黄色いのと、濃い桃色をしたのと、それからオレンジ色のような
赤と黄色が偶然にまざっちゃったのでここにいます、とでも言うような
ふらふらと揺れる橙色の、小菊の一株ずつが
せまくて細長い庭のなかにぽつりぽつりと地面に這うようにして伸びて
そうして、咲いていた。

点在する色はまぶしいようで
それでいてとてもさびしくて
眺めればてんでばらばらの花びらの数と厚み
あなたはどこからきたのだろう、と
風の中でほんの少しだけ考えていた。


明日は、きっと、どこかへゆこう。




まなほ



2002年11月16日(土) ムダイ

くうはくが不安をつれてきて

ぼくのなかみはうつろになる

うつろとは、はたしてしろいのだろうか

おしゃべりをする人形のようにぼくは黙ってことばをつむぎ

そのころに

背中からすべりおちたひとつふたつのしずくは

そっと

銀のいろをした糸をぶつりと切り裂いて

ものも言わずに融けていった蒸発する固体


どこへいく

どこへいく

どこへいく


しゅうしゅうと吐き出されていく白い繭

ぼくをすっぽりと包み隠したのならば

微笑め、うっすらと

あおざめたあのそらの色の唇

寒さにふるえながら痩せた肩を打ち鳴らした太陽の陽射


あたたかさを求めて小鳥は空に落ちた


まっしぐらに飛び散ったましろの絵の具

あなたがほんとうは白でさえなかったことをぼくは

今では、知っていると


遠い冬枯れのそらの向こうで

いつまでも泣きつづけるひとみを見ていた

ぼくは

今では、知っていると






まなほ



2002年11月13日(水) くうはく

ひとのことばに目をむけるということ。

最近はそれが、ちっとも、できていません。


描くことが苦痛になるとき
書くことが苦痛になるとき
読むことが苦痛になるとき

いろいろあります。

実のところ本音を言えばまっさらな画用紙に向かうのはとても苦痛です
まっさらなノートに向かうときの自分に満ちるおかしな気合がきらいで
それがために続かなくなった詩作ノート、などが
パソコンの下に積まれています

しろい空白というものが苦手なのかも知れません。


わたしの毎日は、おおむね、空白です。
なんにもありません。

通院と、
週に二日のバイトのほかは決まった予定もなく
その残りの時間には、眠ることと食べることが入っているくらいで
ほかにはなにもなく

ほんとうに、なんにもない。


マイエンピツというこの日記の機能、
せっせと読める時期とちっとも読めない時期があって
最近はずっかり読めない時期に突入したまま
書くことからも離れつつあったりする自分のこころもち。
それに、抗おうとして書いています。
これ以上「くうはく」になるのを食い止めるためなんだろうか。

翌日に日記を読むと誰が書いたのかよくわからないことがよくあります。
自動書記みたい。
手が勝手に言葉を綴って登録をしているのだろうと思う。
誰が書いたのかわからないと恐怖と一緒になって混乱がやってきて
きのうの自分を思い出そうとするけど
思い出せません。

それは、ほんとうに、わたしのことばなんだろうか。


よくわかりません。


正体不明のこの不安なものを直視することは
わたしには、なんだか、とても重たくて、
それだからたぶん、逃げています。
動悸がだんだんひどくなって、それでもキーボードに向かうのは
どうしてなんだろう。

くうはくを埋めるようにものを食べて飲んでいます
おなかはすぐに膨れ上がるけど
それでもくうはくはちっとも満たされたと思えずに
次のものに手を出したがる、次のことば、次のことば、
たくさんの無為な摂取と無駄なたべもの。

くうはくに誘導されるみたいな気分
ふくれあがる自分のからだという幻想
醜くて、醜くて、
それをまっすぐにみたくないとわたしは思うのに

明日がくるのが嫌なのに
今日があしたにつづくのが
こわいのに。

年ばかり取りました

そう言って笑う自分のうわっつらは、わたしのなかの余所者で
表情をつくることがすっかり下手になっていることに気がつきました。
こわいこわいと震えているときがもしかしたらいちばん
わたしは「生きている」のかも知れない。


今日のお薬を飲み忘れていることを思い出したから
もう、ここで、筆を置きます。


できることなら

おやすみなさい




まなほ



2002年11月11日(月) 小鳥

夜に生きています
本当はいけないんだけれど
夜に生きています

あけがた近くに怖いものが落ちてきて
今日は、結局、一日中眠っていました
9時にかけた目覚し時計をこの手で止めて
うつらうつら、何度か起きて
それでもまた眠って

何か囲われた中にいるのがいちばん安心で
この温度とかたちを抜け出したら不安が落ちてくるように思えて
別に、わたしが凍り付いていたら時間が止まるわけではないのに
眠る姿のまま、凍っていました


夢をみました

流れ落ちるたくさんたくさんの紅い布の夢

誰かを救い出そうとして死んでいく誰かの夢
そうして誰も帰ってこなかった、と
モノローグみたいに響き渡って目がさめた

また眠りに落っこちていけば、夢をみる

手の中で、小鳥が死んでいく

くちばしの折れた小鳥が
天から落下して
わたしの、左のてのひらのなかで
塵になっていく夢


きざはしは
こなごなに別れて
埃っぽい冬の夕暮れに
外の世界は満ちていた


今晩は、キャラメルミルクのお茶を飲もう。



まなほ



2002年11月09日(土) ひとり。

一年ぶりに、渋谷に行った。
生気をすいとられる街。
Coccoのためでなかったらこんなところには行かない、と
はっきり明言できてしまう、街。

先日出版された絵本の原画展があるという
パルコまで人に突き飛ばされながら
はばまれながら
行きました、
一年ぶりの縦横無尽なひとごみ。

濃く、ぶあつく、塗り重ねられたクレヨンの絵は
そうしてたぶんCocco本人が書いていったと思う
いたずらがきのいくつものあしあとが
ふわりとこころに振りおちて
羽毛のような手ざわりだった、その、イメージ。
この何とも言えない十幾枚かのカンヴァスのために
どれだけのクレヨンがぼろぼろにされていったんだろう。

35本の色鉛筆を傍らに漠然と過ごしてきたわたしの15年がその上にだぶり、
おそらくもう、捨てられないだろうと思ったのです。
踊りたがるこの体や
描きたがるこの手や
そうして

歌いたがるその喉も、唇も、すべて。

あらゆる創りごとは
すべてどこか、そのひとの血で書くんだと
あらかじめそうしなければいられないように
血が叫んで求めているのだと
わたしは、感じる。

ここ数年のあいだ、渋谷と言うところに出かけていって
まともに自分のおうちに帰れたことは、なかった。
思えば、、、
パニックと不安で相棒さんに連れ出される
体が動かなくなって、手をひかれて
過呼吸を起こして担ぎ去られる
今日は離人感がひどく来て、
だけどわたしは、うちにかえりました。
無理にでも良かった、ただもう

退路を断って
ほかの選択肢をすべて
切り捨てて
切り捨てられて

頑固でバカなわたしは
いちどかけたSOSの電話を拒否されたとき
もう、なにもかもがおわりだと思って
貫き通さずにはいられなかった

頼るものなんてなにもないんだ
わたしは一人で生きていくのが当然なんだ
あたたかくくるんでくれるものなんて、それは
ただの空想上のできごとでしか
ないんだ、と。

バカなわたしは、思い込みました。

それは見捨てられたと同意義なのかもしれない、たぶんそうなんだろう
そう考えながら。
なみだを仕舞いこんだ風船は目には見えず
ふくらんでいく触感も、その持ち主にはわからない。

うつらうつらしながら
自宅最寄り駅にたどりついて、
公衆電話から一件の電話をかけて、
涙がぶわりと出てきたときに、やっと気がつくのです。

じぶんが、無茶をしていたことを。
じぶんが、とてもかなしくてしかたなかったことを。
じぶんが、とても、とても
さびしくて、ひとりになりたくなかった、ことを。


だけど今はわたしはひとりです。

知ってる誰も
わたしからはとても遠くて
ひだまりの中は太陽が雲で隠されたような、薄日。
冬の季節の薄日はさむくてこころぼそくて
何もかんじないこころで見上げても、そこは
ひどく、素気なくわたしを世界から阻害する
ただたた、
見慣れないだけの場所で

味方なんて誰一人ほんとうはいないんだとずうっと思っていました。
こうやって、がくりと誰もがこころの近くから去っていって
愕然とするときが、あんまりに怖かったから。
怖かったから。

くちびるをやぶれるくらいに噛み締めて
陽気にはしゃいで、あるいは微笑んで
ごまかし続けてきたことのつけを今わたしは
払わなければならなくて七転八倒しているのかもしれないのに
そのうえに重ねて、また積み上げられていく
あたらしい嘘。

できたての嘘はなめらかなくせにひどくこころにめりこんで

わたしはまた
ひとりきりになってしまったと思い込むのでした。


あなたのところにかえれるのはいつだろう。
ひだまりに、戻れるのはいつなんだろう。

ひだまりのあたたかさをそれほどわたしは知らないけれど
知らないからこそ、憧れるんだろうけれど。

おひさまのかけらが落とされたように
ほのかにあたたかい日曜日の午後の洗濯物のひとやま。
そんなふうに
日なたのにおいのするものに憧れてやまなくて
ただ
穏やかでいられることを願っていて。


忘れてはならない
自分を守りたいのなら
忘れてはならない

「わたしはひとりです。」


その、ことばを。




まなほ



2002年11月07日(木) プルキニエ

誕生日。
ハッピーバースデイをもらった。

なんだか、年をおうごとに
寄せられるおめでとうの声が多くなります。
この年にして、それはきっと珍しいことなんだろうなと思い、
だってどこにも所属というものをしていない今のわたし、なんだもの。
けれども、増えていくお誕生日のお祝いの声。

ありがとう。

思わないところから寄せられたいくつかの声。

生きていける気がするときと
もうだめだと思うときと
ふたとおりのあいだでわたしはひっぱりっこ。

誕生日と言うのは、欝の気持ちが深まりやすい頃なのだと
聞いたことがあります。実感として、それはきっと(わたしには)
ほんとうなのだろうと思います。
なぜなら、「死」は、わたしの腕をつよく掴むから。
年月に容赦なく置き去りにされている自分のことを考えて
どんどん落下していく心を、自分の力では
この場所に留められないから。

秋がものすごい速さで過ぎていって
気の早い冬がきました。
わたしが生まれたのは冬の夕方。
もし晴れていたのなら、そこらじゅうがきっと
鴇色の夕焼けの色に染まっていただろうと思う、あたたかな色に。
そうしてつめたい夜との境目で
あおあおとしていただろうと思う、東の空の色は。

冬は好きです、けれども
同時にこわい季節です。
つめたさと不安は結びついて、朝から晩まで、
日の暮れた夕方からオクスリを握って眠りに落ちるそのときまで
わたしを切り刻もうとするから。

……落下する夕方、それはほんとうに
澄み切っていて、次になにが起こるのかちっともわからないくせに
とても静かに次の時間をつれてくる。
しずかで、うつくしくて
そうしてはてしなくかなしい。


一日で祝いきれなくなったくらいの人たちが
わたしにおめでとうをくれるようになったので
いつの間にか、11月はお誕生日月になりました。

母が用意して
兄があわ立てた生クリームを
わたしが飾ったケーキ。

ともだちからもらった台湾の烏龍茶を、ほのかに甘いお茶をいれて
がやがやと大騒ぎしながらバナナのはさまったケーキを食べました。

笑っていました。
小さい頃には手に入らなかった
いくらほしがってもとどかなかった
ケーキの前で
笑っていました。

ほんとうは、あのころにほしかったもの。
凍えたわたしに向けられることば。


「ケーキの味をやっと忘れたと思っていた、それなのに?」
(こっこ「がじゅまるの樹」)

……嘘に固まりながら、わたしは今、
生きています。
消え去りたいと思いながら、精一杯の、笑顔で。

サトくん。
あなたのいるところに行きたいと思っています。
笑いながら
つめたい風に吹きとばされて
あなたのいるところへ。

色鮮やかで
目の痛くなるような深い青色を待ちながら
わたしは生まれたのかも知れないと思って
夕方に振り落ちてくるプルキニエの青色、藍色の、そら。
その下で
わたしは何を握りしめて
生まれてきたんだろう、そう思えば
なんだか生と死の境目を今すぐにでも
飛び越えられそうな気持ちになる、矛盾している場所で。


けれども。


ことばをくれたひとへ、
ありがとう。

存在をおしえてくれたひとへ、
ありがとう。


まだ、わたしは、ここにいます。





まなほ



2002年11月06日(水) アントシアニン、赤色色素

おやつは紫芋チップスで
久しぶりに休日、目を覚ましたらお昼過ぎ。
あんまり視界が遠いので少し困り果てています。

離人感。

せかいはとても、とおいところにあって
手をのばして触れる自分の指の触感とか
口から出てくる言葉とか、そんなものがすべて
じぶんであるとわからない。
強く、強く、
現実感がうせている。

なにもする気が起きなくて
楽しいことが判らなくて
それでも、昨日までは楽しみにしていたはずの予定がぜんぶ
ただ億劫なものに変わっていたりして
途方にくれている。

そうしてそれは「欝」だねと、何人かに保証されたり。

夕暮れ過ぎ。
紫芋のアイスまであったので
出してみる。

紫芋、
アントシアニンが豊富で疲れ目にいいんだって。
離人感と疲れ目はそもそも全然ちがうけど
でも、あんまりに視界が狂っているので思わずちいさな期待をしてしまう。
紫芋のアイス、ね。

鎌倉のね
八幡宮へ行く表通りに売っていた紫芋のアイス、
いつのまにか有名になっていた。テレビで放送されたんだそうで、もう
並ばないと手に入らないお芋のソフトクリーム。
とうとう近所のコンビニで買えるようになっていました。
と、食べられるものを求めてふらり立ち寄った際に、知る。
それを買ったのは数日前になるんだけれど
かじったのはこれがはじめてだった。

「……おいもだ」

あたりまえのことをつぶやいてしまう。
おんなじことを、はじめて、
鎌倉でみんなでこれを食べたときに呟いたことを思い出して
ふふふと、すこしだけ、笑んだ。

早春あるいは冬最中の、2月の中旬
寒くてぴんと張った空気のおもてを眺めながら
みんなで紫色のアイスをかじっていた。

あれは何年前のきのうのことだろう。


そろそろ誕生日が来ます。
24年生きて、それからもう一年
わたしは生きました。


誕生日なんて祝ってもらうことないと思います。
こんな年だし、というのもあって、もうひとつ
わたしが取り付かれている考えのせいで。
「………どうせいつかは死ぬんだし。」
そんな、めちゃくちゃな、今を色褪せさせる圧倒的な考えのせいで。
(それだから鬱だと言われるのだろう)

でも誕生日は
誰かのためにすることなんだって。
自分のためではなくて
ここまで無事に生きてきました、どうもありがとう、って
そう周りの人に感謝する日なんだって。

自分のために祝ってもらうものじゃなくて
ひとに感謝をする日だって

そう、教えてくれたひとがいた。

それだから
見え隠れするさまざまな思惑はともかくとして
たとえば母が、わたしの誕生日を祝いたいと言うのなら
ありがとうとそれで受け取るのが
今はそれがいいではないかと、思います。


なにもできないのなら
せめて。




まなほ



2002年11月04日(月) カフェオレ・ボゥル

おまつりがおわりました
やっぱりわたしは最後までからだもこころも追いつかなくて
とても周りに迷惑をかけてしまったけど
それとは天秤にかけるのが申し訳ないような
楽しい時間をたくさんもらいました

自信喪失と、不安と、居たたまれない気持ちをかかえて
それでもね
わたし、わらえました。

けれど一方ではやはり
なにかにとても、苛まれていて
今すぐ消えていきたいと真夜中ぶつぶつと呟いて
混乱してくしゃくしゃになって落ちていました。
向こうの世界に、転げ落ちていくなら、今かもしれない。

お薬を変えてもらって以来、
イベント態勢も手伝って、いくらかポジティブな昼間のところどころに
不意打ちにどばっと姿をあらわしてわたしを包み込む恐怖と不安?
スタンバイして左肩のうしろからわたしを狙っています。
以前よりもひどく虎視眈々と
いつでも、狙われているような気がしてならず。
朝と昼と夕方と夜、
それに分断されている毎日は、とても、とても、長い一日で
一年前も昨日もいっそみんなおなじことのようで

安心して眠れる場所が、ほしいという、
たった、
それだけのこと。

ひたすら騒いでいたみんなに囲まれていたおまつりのあとは
とても物悲しい。
ひとり取り残されてしまったような気分で
とても、哀しい。

不安にあしもとがぐらついて意識の壁をやぶって顔を出す。ムイシキな本心。

そうやってながれていく涙の意味は
今は、あまり考えないようにしています
桜が散った頃わたしはなにをしているんだろう・・・
そんなこととか。

桜が、散った頃。

そうだ、サトくん、
あなたがいなくなってから一年目の日が
めぐってきてしまうんだ
ね。

コスモスが花屋さんに並んでいるのを見ては、あなたのことを思い出します。
ひまわりも、たんぽぽも、
やさしい風情の草木や花をみるたびに
あなたのことをうっすらと思い出して
また、薄皮いちまいぶんくらいの、かなしいという気持ちが
わたしのなかに降り積もって、地層をつくっていく。

元気ですか

元気にしていますか

わたしには、わかりません

食欲はあるようで、ないようで
30キロ台に突入しそうなのはぎりぎりまぬかれて
ただ、多すぎて重すぎて自分が醜いとパニックみたいになるあのきもちに
苛まれるほどには増えてしまわないように気をつけながら

ぺたんこのおなかを求めている自分が居て
けれど、肋骨が見える体はよくないものだと頭が訴える。

食料品街をとぼとぼとあるいて
食べられそうなものを見つけることをこころみました。
いきついた場所に、カップスープ。
カフェオレ・ボウルにたっぷり注いで
ゆっくりのみほして、じんわりとあたたまりたい。
こころのそこから
急激にひえていく、このつめたい指の先まで。


そう思いながら焙じ茶を飲む、深夜。
外の世界はとても目まぐるしいので
1日がまるで1週間のようでした。
容赦なく、じかんはながれさっていくみたい。


自分への課題

お薬を飲むのを忘れないこと
ごはんを食べること
自分は生きている方がいいんだと信じ込むこと

それが、たとえ、嘘でもいいから!



まなほ



2002年11月01日(金) ほんの少しのがんばり。

今日も朝起きられなかったのは
お薬が効いていたのか、はたまた
雨だからなのか、どうか。

朝いちばんにすることは
おかしいよ目覚し時計を止めた記憶がないよと首をかしげることでした。

最近、いつもそうです。
目を覚まして時間にびっくり。

そういえば
飲んでいる眠剤の注意書きに
覚醒時の記憶が曖昧、とかあったっけ……?
それじゃ自分で止めてすぐ寝ちゃってるのかな?
?????
わりと強いオクスリらしくて
ついでにアメリカ持込禁止だそうです
これって。


今日から三日間おかしな予定でイベントがあり
(詳しくはHomePageのメニューを参照してください、なのです
 下のリンクから飛べますので……奥深いのでEnterしたら
 ずいぶんスクロールしていただかないと、情報に届かないけど)
とにかく体調無視で、しかも卒業生なのに
気がついたらそれに参加することに決めてしまってたわたしは
たぶん、小さいころからもっていた「モノツクリ」の血を
まだ完全にはうしなっていないんだろうなとおもって
やりたいこと、まだあったよサトくん
そんなふうに呟きます。

ごはんは一生懸命たべています。
増えなくてもいいから減らなければいい。
髪の毛、抜けないくらいに
からだが持ち直したらいい。

だからがんばって食べています。
いろんな人に、ごはん食べることにしたの!と言って
ひとりじゃ後戻りしないように一種の枷をつけて
がんばってます。

はげましてくれて、ありがとう。

きっとだいじょうぶになれるよね、


今すぐじゃなくても
いつか、は。




そう言えば。

このあいだバイトの帰りにGOKURIが飲みたくなってね
(最近すきなんです。グレープフルーツ好きだし。缶のデザインも可愛い)
大学の生協はいまどき100円でがんばって自販機で売ってくれているから
真っ暗ななか、てくてく自販機コーナーのあるひとすみまで出かけていって
100円入れてボタンを押しました。

ぴ。

……ごとり。

…………ごとり?
缶にしてはずいぶんと重々しい音じゃない?
なんだか変だなあ、んー。

のほほんとそう思いながら取り出し口のフタをあけてみたら
そこには、壜入りのビックルがわたしを待ってました。

(◎▽◎)?



…………こういうことも、たまにはあります。


とりあえずビックルも好きなのでいいんだけど。
ただわたし、あの壜のフタをあけなれていないので
エイエイとがんばって力任せに剥がしたら
ビックルを、じゃばっとかぶりました。


…………そういうことも、たまには、あ、あります……?


(ないかも)


まだあそこの自販機でGOKURIを買ったら
ビックルが、ごとり。って出てくるんかな……?
試してみたいようなでも試してみたくないような
変な好奇心を抱えつつ……!!!




まなほ


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